3007日間   作:まなぶおじさん

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『お疲れ様です。何事も無く、自宅へ戻ることが出来たでしょうか? 私たちも、学園艦へ帰還しました。
先ほどは、本当にありがとうございました。無理をしてでも会いに来てくれたこと、花束をくださったこと、誓い合ってくれたこと――思い出すだけでも、熱い気持ちになります。
こんな関係になるなんて、最初は思いもしませんでした。少し食べ歩きをして、そして縁が切れる――そういうものだと、考えていました。
ですが今となっては、あなた無しの人生なんて考えられません。私に、『幸せになって欲しい』と言ってくださる、あなたと離れ離れになるなんて嫌です。

良いことは重なるようで、聖グロのみんなが『応援します!』と言ってくださっています。とても嬉しいのですが、絶対遊んでますよね。
ですが、後ろ盾が出来たことにほっとしています。いつでも、聖グロに遊びに来てくださいね。……秘密の関係が消えてしまって、少し寂しいですけれど。

あと、突然で申し訳ありませんが、親に事情を話しても良いでしょうか? 将来のことを考えると、早く説明した方が良いと思いまして。
返事次第で、すぐにでも交渉してみます。

次に会う時は、冬休みの期間中になるでしょう。とてもとても楽しみです、本土でも食べ歩きに付き合わせてください。
特別な予定を組む必要はありません。あなたに会って、色々なものを食べられれば、私は幸せです』

 茶山は、『是非、話し合ってほしい』と返信する。誰かと誰かが交際をする以上、やはり親の存在は避けては通れない。
 好意的ならそれで良し、駄目なら良い男になるまでだ。ダージリンと両想いであるのに、何を迷う必要がある。
 不信感を抱かれることなく、ダージリンの両親に認められたい。快く祝福されたい――家族とは、未来永劫仲良くしていきたいと、昔から考えている。

 返信を終える。学習机の上に置いておいたダージリンティーを、一口飲む。
 熱い。
 カップをソーサーの上に置き、何となく息を吐く。ひと段落ついたからか、何だか心地よく疲れた。
 本当、色々なことがあった気がする。

 紅茶を飲み終え、台所でカップとポットを洗浄する。今となっては、これら食器も人生の仲間になったものだ。
 当初、親からは「紅茶なんて珍しい、何かあった?」と聞かれたものだが、何だかこっ恥ずかしくなって「思い付きでね」とだけ返答したものだ――今となっては、「察して」ニヤつかれることもある。昔から、親に隠し事を通せたことはない。
 食器を洗い終えると同時に、ポケットに入れておいた携帯が震える。1ループでバイブレーションが停止したから、メールだろう。
 携帯を引き抜き、画面に表示されている「新着メール:ダージリン」を指でスライドさせる。
 
『たった今、両親と話し終えてきました。まず、母は『いい人と会えて良かったわね』と喜んでくれました。……問題は父の方で、シンパシーを覚えたのでしょう。猛烈に会いたがっています。
どんな顔をしているのか、どんな雰囲気をまとっているのか、何が趣味なのか――是非、『仲間』と対面したいのだそうです。

私としても、家族としても、こちらへお邪魔することは全く問題ありません。歓迎します。
――よろしければ、冬休み中に訪問してみませんか? 確かに家は大きいかもしれませんが、緊張する必要は全くありません。こちら側でおもてなしさせていただきます。
予定に組み込んでいただける際は、そちら側でしばらく食べ歩きを。数日が経ったらこちら側で食べ歩きを――でしょうか。私としては、あなたがお傍にいていただけるのなら、どこでも構いません。
食べ歩きをしてみるか、みたいな感覚で決めてください。

あなたのダージリンより』

―――

 ダージリンと道を歩んで112日目。バイトに一区切りがついたかと思えば、街並みもニュースも空気も主食も、今となってはすっかりクリスマス一色だった。
 寒かった本土も、今となっては凍えそうなくらい冷たい。雪も淡々と降ってきて、最初は「おっ、降ってきたな」と珍しがるものの、僅か数歩でそれも日常となる。
 

 冬となれば、夕飯も温かいものが中心になる。テーブルを囲んで鍋をつつき、父や母と雑談をしながら、テレビ番組を何となしに眺める――こんな流れを、数年間繰り返してきた。
 今年もぼんやりと新年を迎えるつもりだったが、今回は家族全員の表情がまるで違う。茶山は常に携帯を装備しているし、母は「で、いつ?」と微笑みながら質問する。父ときたら、豚肉を食いながら「部屋片づけとけよ」とか、余計なことを口にするのだ。
 はいはいといい加減に返事をしながら、茶山は湯気だった豆腐を容器に入れる。タレで多少冷やしながら、豆腐を箸でつまんで口の中へ。
 熱い。
 この味を噛み締めるたびに、「鍋食ってるんだなあ」と実感する。この無遠慮な熱さが、茶山は好きだった。

『今はデート中ですか?』
『はい、そうなんですよぉ』

 テレビの向こう側から、全てを愛しているような笑顔がプレゼントされる。前までは「へえ」で流していたのだが、今はもう他人事ではない。
 父も母もインタビューに中てられたらしく、

「で、いつ来るの? 彼女さんは」
「だーから知らないって。今ごろは冬休みになったばっかりなんじゃないの?」
「となると、新年を過ぎた頃あたりか? 写真でもいいから見せろ」
「まあいいけどさ、そんなに顔が見たい?」
「見たい」
「見たい」

 そりゃそうかと、鍋から白菜を捕まえる。今はやる気のない面構えをしているが、内心は携帯に対して過剰な警戒心を抱いている。
 当たり前だ。だって、あと少しでダージリンと再会出来るんだぞ――
 しかし、求めてばかりではロクな目には遭わない。それを知っている大学一年生は、平常心を装って白菜を噛み砕いていく。ダシが口の中にはじけ飛ぶ。

 その時、チャイムが鳴った。父が「こんな時間に珍しいな」という顔をして、母は「はいはい」と素早く立ち上がり、受話器を手に取る。

「どちら様ですか? ……あなたのお友達みたいよ? 女性みたいだけど」
「……は?」

 本能そのものの声が、口から漏れた。母も心当たりがないらしく、首をかしげたが――次第に「ははーん」と口元を曲げる。

「……母さん」
「何」
「とりあえず、対応してくれない?」

 はいはいと、母が超嬉しそうに玄関へ向かう。いやまさか、そんな馬鹿な、いやしかし。
 メールを確認するものの、『今日飲んだ紅茶は――』で、話題がストップしている。この情報を信じるのなら、ダージリンは海の向こう側の学園艦で紅茶を淹れているはずだ。
 玄関の戸が開く、母が「どちらさまですか?」と声をかける。そして――

「今晩は、夜分遅くに申し訳ありません。私、茶山さんとお付き合いをさせていただいている、ダージリンという者です」

 父が、「マジか!?」と、玄関へ視線を向ける。母ときたら「あら、あなたが! どうぞどうぞ!」と、子供のように喜んだ。
 めちゃくちゃ恥ずかしくなって、玄関でお出迎えなど出来るはずも無かった。


112~118日間

 

「で」

 

 とっくの昔に、ダージリンは鍋の輪に加わっていて、

 

「どうしました? 茶山さん。手が止まっていますわよ」

 

 いつの間にか、ダージリンの分の食器が用意されていて、

 

「いや、なんで君がここにいるの」

「それはもちろん、あなたに会いたかったからですわ」

 

 当然のように、茶山の隣に座っている。

 一方の茶山は、逃避するようにうつむいていた。

 

「あらあらあら、いい感じじゃない」

「うるさいよもう」

「お母様に、そんなことを言ってはいけませんわ」

 

 父が、全くだと首を振るい、

 

「こんな上品な子と付き合っているなんて……お前、どう会った?」

 

 ニタニタと父が笑う、実に迷惑だ。スポンサーにしたのは間違いだったのかもしれない。

 

「茶山さんとは聖グロリアーナ女学院学園艦で知り合いまして、彼は食べ歩きの最中でしたわ」

 

 聖グロという単語を耳にし、父も母も「えっ」と声を出した。

 

「お前……聖グロといったらお嬢様学校じゃないか、ええ?」

「うん、まあ、そうだね」

「あんたみたいなのが、どうやってこの人と釣り合ったの?」

「え? まあ……偶然会ったのをきっかけに、色々食べたりおしゃべりしただけだよ」

 

 父が、未だ信じられんという顔を浮かばせながら、

 

「えーっと……ダージリンさん、でしたっけ?」

「はい」

「その、本当に息子と、付き合っているんですか?」

 

 失礼なおっさんだなと思ったが、よく考えなくともおかしな組み合わせだとは思う。

 茶山はスポーツマンでも、秀才でも、金持ちでもない。食うことが好きなだけの、普通の大学生だ――それに対し、ダージリンは正真正銘のお嬢様だ。それも、戦車隊隊長という輝かしい実績つき。

 誰が見ても、嘘くさいカップルだと思う。親の目だからこそ、かえって疑わしく思うのは仕方がないことだ。

 ――しかし。

 

「はい、茶山さんとは正式に交際させていただいています。将来は、結婚も想定していまして……」

 

 そこで、ダージリンが頬を赤らめる。乙女の顔を前にして、父が「おお……」と声を漏らした。

 

「あなた」

「すまん」

「……そう、そうですか。うちの息子のことを、そこまで」

 

 ダージリンが、迷うことなく「はい」と頷いた。

 

「茶山さんは、私に色々なものを教えてくれました。食事の楽しみ、愛される喜び、祈られる幸福さを」

 

 父が「へええ……」と、感嘆の声を漏らし、

 

「そうですか。それは、良かった」

 

 父が安堵する。ここでようやく、鍋の中を箸でつつき始めた。

 

「まあ、こんな息子ですが――どうか、仲良くしてやってください」

「はい」

 

 ダージリンが笑顔になる。母も嬉しそうに顔を明るくし、

 

「さあ、遠慮なく食べて、ダージリンさん」

「ありがとうございます。では、いただきます」

 

 父は豚肉をつまみ、母は白菜を回収する。ダージリンはしいたけを取り上げ――

 

「ダージリン」

「え、なんです?」

「えと……今日ここに来るっていう、メールは……」

 

 目的自体は達成出来たから、別にあらぬ感情を抱いたりはしていない。ただ、疑問を解消したかっただけだ。

 

「それは……この前の、仕返しですわ」

「仕返し?」

 

 ただならぬ単語を耳にし、父の目がダージリンに移る。

 

「黒森峰との練習試合の際、あなたときたら黙って会いに来たでしょう? しかも、花束持参で」

 

 母が「へー?」と、実に興味津々になる。

 

「あ、お父様、お母様、失礼しました。私、戦車道をたしなんでいますの」

 

 豚肉を食いながら、父は「ふむ」と頷く。

 

「それで――茶山さんったら、自分は王子様だから、お姫様に会いに行くのは当然だー、とか言って。心臓に悪いサプライズでしたわ」

 

 うわあ言われた。

 またしても茶山はうつむき、箸を持ったままの手で額を支える。

 

「お前……あ! もしかして、それを言うために金を借りたのか?」

「……さあね」

「だいたいは当たっていると思います」

 

 さらっと。

 

「……嬉しかったですわ。やはり、私には茶山さんしかいません」

 

 ダージリンが、手のひらで頬を抑える。その顔は、少しだけ赤い。

 一方、両親ときたら「もっと聞かせて」と目をきらきらさせている。茶山の心拍数もひと際輝いていた。

 

「その後、茶山さんは、黒森峰に勝った私の事を、抱きしめてくれました」

 

 きゃ―っ。

 母が黄色い声を出し、父が「マジか? お前そんなことやったのか? 本当か?」と、背中をバシバシ叩いてくる。茶山はあくまで沈黙したままだが、今の状況からすれば悪手以外に他ならない。

 

「その後は、色々あって、その、えっと……」

 

 危機感を覚え、茶山が獰猛に顔を上げる。隣で腰を下ろしているダージリンに対し、待ってくれと目で訴える。

 

「え、ダメ?」

「駄目、もう持たない」

 

 しょうがないなあとばかりに、ダージリンが口元をへの字に曲げる。

 

「え、ウチの息子が何かしたんですか?」

「いえ、悪いことは何もしていませんわ」

 

 きっぱりと、ダージリンが否定した。

 

「茶山さんは、私に対し肯定的な行動をとり続けてくれました。それこそ、大洗の戦車道ではなく、聖グロの戦車道を支持する程に」

「……そう。良かったわね、ダージリンさん」

 

 母が、滲み出るような声で喜んでいる。父も、豚肉を口にしたままで頷いた。

 母からの言葉に対し、ダージリンも嬉しそうに微笑む。しいたけを口にし、おいしいと一言。

 その一方、茶山は、水を飲んで頭を落ち着かせている。僅か数分のうちにしっちゃかめっちゃかがあったものの、今日も何とか生き残れそうだった。

 

 テレビを見て、父が肉を食べて、茶山とダージリンと母が思い思いの具を掴んで、父が肉を食べる。すっかりダージリンも馴染みきったようで、主に母と雑談を交わしあっていた。

 安堵する、呼吸をする。再び肉を確保しようとした父に対し、「おいコラ」と声をかけてやった。

 

 ――ひと時の安心が生じたからだろうか。ダージリンが、決意するように「すうっ」と呼吸した。それを茶山は聞き逃さない。

 

「あの」

 

 父と母の目が、ダージリンに独占される。

 

「お父様、お母様。その……えっと」

 

 父が、言ってみなさいと目で促す。

 

「……私は、大学を卒業した後に、茶山さんと結婚しようと考えています」

 

 父も母も茶山も、沈黙を貫く。

 テレビ番組の音が遠ざかっていく。

 

「それで、私の家は……その、ある土地の地主を務めていまして。どうしても、跡継ぎが必要なのです」

 

 父が、「ああ」と声を出す。言わなくてもいい、把握した、とばかりに。

 

「――1つ、聞くぞ」

 

 父の強い視線が、茶山に突き刺さる。これまでに幾度の隠し事、悪事を暴いてきた、父の必殺技だ。

 正直怯みそうになる。親はいつだって恐ろしい、これからもそうだろう。

 だが、今は、今だけは――隣にいるダージリンへ視線を向ける、不安げな目が合う。

 気を張る。無表情の勇気を、沸き立たせた。

 

「お前、ダージリンさんのことをどう思ってる?」

「世界一愛してる」

 

 あまりにも、決まりきった答えだった。

 父は「ふう」と、小さく息をつく。ゆっくり、ゆっくりと、ダージリンと目を合わせる。

 

「ダージリンさん」

「はい」

「――息子を、よろしくお願いします」

 

 望んでいるかのように、受け入れたかのように、父は深々と頭を下げた。

 母も、続けて「よろしくお願いします」と礼をした。

 

「お父様、お母様。顔を、あげてください」

 

 十九年間、茶山を育て上げてきた父と母が、ゆっくりと顔を上げた。

 ――父も母も見たはずである。ダージリンの顔を、ダージリンの濡れた瞳を、ダージリンの目からこぼれ落ちる雫を。

 

「ダージリンさん」

「はい」

 

 父が、箸で鍋を指す。

 

「……さあ、鍋を食べましょう。遠慮しないで、あなたは家族なのですから」

 

 ダージリンが、両肩で深呼吸した。それは不安によるものなのか、喜びに満ちたからなのか、緊張しているからか、一区切りつけたかったのか、或いはそれら全てか、それ以外か。

 鍋の茹でる音が、聞こえてきた。

 

「……はい!」

 

―――

 

 茶山とダージリンと父と母が鍋を味わって、数時間が経過した。「家族団欒」が成立した今となっては、父もダージリンに接し、母もダージリンを可愛がる。そのたびにダージリンは会話で接し、きゃあきゃあと表情を明るくするのだ。

 ここぞとばかりに茶山が傍観しようとするも、目が合えば「そういえば茶山さん」と声をかけてくる。この時ばかりは、父も母も空気を読んで無言になるのだ。ニヤけ面丸出しで。

 ――本当に、何でもない時間が過ぎ去っていく。

 茶山もよく食ったし、母も随分と鍋を堪能した。父は懲りずに肉ばっかり狙ったが、ダージリンに「お父様、野菜もとらないと」とたしなめられた時は、上司に怒られた時みたいに「す、すみません」とへこんだものだ。

 

「あー、食った」

 

 これまでのこともあってか、鍋を制覇して一種の達成感すら覚える。腹をさすってみると、少し太ったような錯覚すら覚えた。

 食った、本当に食った。

 ダージリンも父も母もすっかり力が抜けているが、あと一つ、やらなければいけないことがある。一同は、よっこいせと姿勢を正し、手を合わせ、

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 母が鍋を片付けようとした時、ダージリンが「手伝いますわ、お母様」と食器を回収していく。ならば自分もと立ち上がったが、ダージリンが「殿方はここで」と手で止められてしまった。

 すとん、と腰を下ろす。笑いがこぼれる。

 居間から台所へ、繰り返し繰り返しダージリンと母が行き来する。由緒正しきお嬢様の顔は、今、とてつもなく楽しげだった。

 

「なあ」

「何」

 

 テレビを見たままの父が、声をかけてくる。今は歌番組を放送しているらしく、女の子が軍歌を披露していた。

 

「いい嫁さんになるな、ダージリンさんは」

「あー」

 

 ダージリンが、最後の食器を手にとる。その時に茶山と目が合ったが、にこりと表情を変えてくれた。

 再び、ダージリンは台所へ戻っていく。何気なく、「実は、食器を洗ったことがあまりなくて……」の一言が聞こえた。

 

「だね、僕もそう思う」

 

 父が、茶山の背中に手を当てる。

 とても、大きかった。

 

 

 食器を洗い終えたことに達成感を覚えたのか、ダージリンは実に良い顔をしていた。たぶん、練習試合で勝利した時もあんな感じなのだろう。

 ダージリンが白いエプロンを外し、母に「ありがとうございました」とエプロンと返す。母も「こちらこそ」と、小さく頭を下げた。

 

「では、私はそろそろホテルへ戻りますわ」

 

 玄関には、ダージリンの所有物らしい赤いキャリーケースが直立している。たぶん、ティーセットもお持ち帰りしているのだろう。

 

「実家じゃなくて?」

「ええ。だって、明日『からは』あなたと食べ歩きをする予定ですもの」

 

 すっかり前提に組み込まれていたらしい。しかし、このまま新年を迎えるよりはよっぽどマシだ。

 茶山は「分かった」とだけ。

 

「で、ホテルって、どこの?」

「ああ、近くにあるビジネスホテルに。場所は確保してありますわ」

 

 そこで母が、顎に手を当てて思考に飛び込む。珍しいな、と茶山は思った。

 

「今日は本当にありがとうございました。次は、何かお土産でも持っていきますわ」

「いえいえ、また来てください」

 

 父が、静かな声で歓迎する。ダージリンも、堂々と「はい」と返事をする。

 

「……あ」

 

 その時、母から「!」という意味不明の音が聞こえたと思う。母の顔を覗ってみると、両目は見開かれ口は半開き、おまけに「今、物凄い良案を閃いた」とばかりに口元が釣り上がっていた。

 茶山十九歳は、母に対してろくでもない予感を抱いていた。こんな顔をした母は、初めて見たからだ。

 

「ねえ、ダージリンさん」

 

 ダージリンが、きょとんとした顔で「はい?」とだけ。

 

「ウチに、泊まっていかない?」

 

 ほらな。

 

「……え、え、えッ!?」

 

 まず、「え」で首をかしげ、「え、え」で表情が崩れ、「え、え、えッ!?」のところで顔が真っ赤になる。母の中では予定が出来上がったつもりなのか、「これは夕飯が楽しみね」とか、好き勝手なことを言っている。

 

「そ、そんな……ご迷惑になってしまいますわ」

「何を言ってるの。ダージリンさんはもう、家族同然よ」

 

 家族と言われ、ダージリンの抵抗が軟化する。「いずれはそうなる」のだから、仕方がない展開だろう。

 

「そ、その、本当にいいんですの?」

「もちろんよ。いつ来てもいいし、いつ帰っても構わないわ」

「うむ」

 

 父も、その通りだとばかりに同意する。

 

「そ、そうですか。そういうことでしたら、その、」

 

 三者の視線が、瞬く間に茶山へ殺到する。ほぼ決まりかけではあるものの、決定権は茶山に握られているらしい。

 父の目を見てみよう。「男ならドカンと決めろ」

 母の目を見てみよう。「信じてるわよ、ねっ?」

 ダージリンの目を見てみよう。「茶山さん……」

 

「ウチでよければ」

 

 大勝利した瞬間である。

 

「そうですか……よかった」

 

 ダージリンが、ほっと胸をなでおろす。父も母も、よく言ったとばかりに笑顔となった。

 

「……で、ここからが肝心なんだけれど」

 

 ダージリンと父と母が、「はい?」と言いたげな顔をする。

 

「ダージリンさんは、何処で眠るんですかね?」

 

 まず、父と母は、何でもないような動作で茶山と目を合わせた。次にダージリンだが、「うーん……」と考え込んでいる。戦車道の顔そのものだった。

 

「……いやいやいやまずいでしょそれは」

 

 茶山のセリフを耳にし、ダージリンが思考の海から戻ってくる。何のこと? と言いたげに。

 ――そして、すぐに空気を把握する。聖グロの頭脳はとても優秀で、想像力にも長けていた。

 

「え、ええッ!? そ、そんな……!」

 

 あっという間にダージリンの顔が赤くなり、両手で口を抑える。父と母からの反論はない、どちらかといえば「そういうものでしょ」と言いたげに苦笑している。

 

「ああ、もう、いくらなんでも……」

「といっても、ねえ? あなた、何処で寝るの?」

「居間でいいよ居間で」

「ダージリンさんを一人にするの?」

 

 茶山の足掻きは、母の一言で蹴り飛ばされた。

 いやいやしかし、だからといって、

 

「そ、そうですわね……茶山さんがここにいるのに、どうして一人で眠らなければ……あ! いえいえっ、無理にとは言いませんわっ」

 

 ダージリンもすっかり飲まれているらしい。当たり前だ、こんな場面なんて初めてだろうから。

 

「……じゃあ、僕は自室の床で眠るよ。布団ってあったっけ?」

 

 父が、「はあ?」と目を歪ませる。

 

「無いな」

「無いっけ?」

「無いと思うし、そもそもあれだ。ダージリンさんを寂しがらせるつもりか?」

「あ? ……は? いやいやいや、まずいでしょ一緒に眠るのは」

 

 父の思考を読み取り、全力で首を振るう。

 

「ダージリンも何とか言って」

 

 一人では何ともならないので、ダージリンにバトンを手渡す。しかしダージリンは、瞳を輝かせながら何かを思案していて、

 

「……茶山さん」

「あ、はい」

「……私たち、いつかその、結婚する、予定ですのよね?」

 

 頷き、肯定する。

 

「……なら……」

 

 本当にもう恥ずかしいのだろう、ダージリンの目線が茶山と一致しない。――ちらちらと、茶山を覗ってはいたが。

 

「……わかった」

 

 茶山の返答に対し、ダージリンが、黙ってこくりと頷く。

 

「じゃあ、部屋片づけてくるよ」

「私も手伝いますわ」

「いやいやいいから、汚いし」

「そう言わず」

 

 茶山が「まあまあ」と言っても、ダージリンが「まあまあ」と受け流す。父と母は笑うだけで、干渉もへったくれもなかった。

 

「……本当にいいの? 幻滅しない?」

「汚れを気にしては、戦車道は務まりませんわ」

 

 納得しそうになるが、やはりめちゃくちゃ恥ずかしい。自分の部屋というものは、本人の写し鏡以外に他ならないからだ。

 勢いで二階まで上がり、あっという間に自分の部屋の前まで来てしまった。ドアノブに手をかけるが、いつものように捻ることが出来ない――後ろに、両手で拳を作っているダージリンがいるからだ。

 

「あー、先に僕だけが入るっていうのは、」

「汚れがあれば、綺麗にすれば良いだけ」

「いやでも」

「あなたの部屋でしょう? なら、問題なんてありませんわ」

 

 断言された。

 ダージリンが何故、聖グロの世界で頂点を掴めているのか、何となく分かった気がする。この人は、言葉がうまい。

 

「……開けるよ」

 

 何でもないように、ダージリンが頷いた。

 ドアノブが捻られる、馴染みきった世界が視界に入る。

 天井、壁は暖色系でまとめられていて、学習机に本棚、テレビ、名物ラーメンカレンダー、床に放置された食べ歩きガイドブックに充電器、一床のみのベッドと――いたって普通の自室だ。広さも、床に寝転がれる程度はある。

 振り向く。ダージリンはどんな顔をしているのだろう、もしかしたら「汚い」とか思ってはいないだろうか。こんなことなら、掃除を趣味にしておけば良かったとつくづく思う。

 

「ここが、茶山さんの部屋」

「は、はい」

 

 思わず敬語口調になる。一生分見たはずの世界なのに、何だか現実味がまるでない。

 まさか、ここに女の子を連れてくるなんて思いもしなかった。それもお嬢様を、ダージリンを。

 

「お邪魔しても?」

「どうぞ」

 

 たぶん、拒否したところで聖グロ流交渉を食らうだけだろう。もうどうにでもなれと、茶山はその身をどかした。

 

「失礼します――まあ」

 

 ダージリンが、するりと自室へ入ると同時に、床に落ちていた雑誌を拾い上げる。表紙には学園艦の写真とともに、『学園艦限定(だけ)』というタイトルが印刷されていた。

 

「良いかしら?」

 

 手で、どうぞと促す。ダージリンはぱらぱらとページをめくっていき、

 

「まあ、ここは……」

 

 ダージリンの後ろからページを拝見してみると、そこには「あの」牛丼屋がでかでかと特集されていた。

 値段は普通、ボリュームばっちり、客入りも悪くない。味は、最高の部類に入るだろう――あの、ダージリンも訪問した店なのだから。

 

「なんだか、懐かしい気がしますわ」

 

 ダージリンが、顔だけを茶山に向ける。何だか嬉しくなって、何だか遠い過去のように思えて、何だかアルバムを見たような気がして、茶山にも笑みが生じた。

 

「本当、偶然だったなあ」

「ええ」

 

 ダージリンは、そのページをめくろうとはしない。牛丼の写真を、人差し指で撫でている。

 

「いつか、また食べに行きたいですわね」

「そうだね」

「……本当に、ここに来て良かった」

 

 茶山も、黙って頷く。

 ダージリンが、ぱたんと雑誌を閉じた。

 

「――あ」

 

 ダージリンの関心が、学習机に移る。学習机の上には、

 

「これっ」

 

 早歩きし、とっさにティーセットを掬い上げた。ダージリンとおそろいの、青い意匠が刻まれたティーセットを。

 

「使って、くださって」

「うん。下には、ダージリンティーの茶葉もあるよ」

「……そう……」

 

 嬉しそうに口元を緩め、海のように瞳を照らす。まるで我が子のように、カップを撫でていた。

 

「時間がある時は、それを使ってティータイムを開いているんだ。まあ、一人でだけど」

 

 高ぶった感情をごまかす為に、茶山は乱暴に苦笑する。ダージリンは、「そう……」と呟き、

 

「――今度、私と一緒にティータイムをしません? なるべくなら、二人きりが良いかな、と」

「やろう」

 

 そんなの、ハナから即答に決まっていた。ダージリンは、ぱあっと表情を明るくする。

 

「よろしくお願いしますわ」

「うん。まあ、マナーはてんで素人だけど」

「そう言わず、一緒に紅茶を飲むだけでも嬉しいのに」

「そっか。じゃあ何を飲もうかな、新しい紅茶がいいかも」

 

 ダージリンの表情をチラ見する。「むう」と、ダージリンがふてくされた顔になる。

 

「ダージリティーを飲もうかな」

「当然ですわね」

 

 いつもの、誇らしい微笑に早変わりした。

 やっぱり可愛いなあ、この人。

 

「――しかし、あれだ。汚くてごめんね」

「そんな、綺麗ではありませんか」

「いやでも、床に雑誌はちょっと」

「生活感があって、逆に安心しましたわ。それも、食べ歩きの雑誌でしたし」

 

 そういうものかなあと、茶山は思う。汚いのは嫌だが、積極的に片づけるタイプでもない。

 

「まあ、ダージリンがそう言ってくれるのなら」

「ええ。そう気を遣わず、いつもの調子でくつろいでくださいな」

 

 女の子、ましてやダージリンを部屋に入れている時点で、そうもいかなくなる。これからは、ホコリ一つすら見逃さない目ざとい男になるだろう。

 けれど、悪くはない。

 部屋が受け入れられた瞬間から、本当の意味でダージリンとは通じ合った気がする。

 

 その後は、一緒に雑誌を読み合ってあれ食べたいとかこれ食べたいとか、明日になったら名物を攻略したいとかで結構盛り上がった――夕方になったら、ティータイムをしようと約束して。

 ここまでは本当に平和だったと思う。何せ、いつもの会話しかしていなかったのだから。

 

 ――問題は、夜十二時くらいを回った後だ。

 夜遅くになれば眠くなるし、明日の予定だってある。夜更かしをする趣味も無いから、必然的にベッドへ潜り込むわけだ。ダージリンと一緒に。

 

「……なんで、こんなことになっちゃったんだろうね」

「……こんな格言を知ってる?」

「何だい?」

 

 あまりにもこっ恥ずかしいので、ダージリンとは背中合わせで横になっている。しかし、どうしても体温は伝わってくるから、否応にも「実感」を抱かざるを得ない。

 

「運命とは、最もふさわしい場所へと貴方の魂を運ぶのだ」

 

 茶山が、まばたきをする。

 

「イングランドの劇作家、ウィリアム・シェイクスピアの言葉よ」

 

 ああ、そうか。

 ここが、この場所が、この場面が、自分とダージリンにとっての居場所なのか。

 

「信じるよ、その格言を」

「私も、信じてますわ」

 

 この時、茶山の心に火が付いた。

 たぶん、ダージリンが「愛の言葉」を口にしてくれたからだと思う。魂という単語に、心惹かれてしまったからだと思う。

 茶山が寝返りを打った瞬間、ダージリンの金のロングヘアーが、茶山の視界を瞬く間に支配する。暗がりだからこそ綺麗に映る、心地よく魅了されていく。

 ――ダージリンがこちらを向く前に、そっと抱きしめた。

 ダージリンがびくりと震えるが、少しずつ体の力を抜かしていく。割れ物を扱うように、慎重にダージリンの腕を撫でる。

 ダージリンは何も言わない、何も応えない。ただ、茶山の腕をぎゅっと握りしめるだけ。

 

 戦車隊隊長の体は、あくまでも乙女そのものだ。

 自分はダージリンよりも弱い人間だけれど、ダージリンのお腹を満たすことは出来る。これからも、ダージリンの元気を守り抜こう。

 

 今日は眠れるかなと思ったが、その心配は無用だったらしい。明日への食欲が、茶山とダージリンを夢へ誘った。

 

―――

 

 ダージリンと接して113日目、朝を迎えて「何でダージリンがここにいるんだっけ」とか口にしそうになり、同じくして起床したダージリンが「あ、おはようございます」と顔を赤くして挨拶をしてくれた。

 その際に「狭かったでしょ? 眠れた?」と質問してみたが、ダージリンは「はい、とても温かかったですわ」とだけ。

 カーテンを開け、日光を浴びる。脳細胞が活性化した気になる。

 

 

 母から「おはよう」とニヤつかれつつも、あえて受け流して軽く朝食をとる。白米に味噌汁、卵焼きにたくあん――ダージリンは、「素晴らしい朝食ですわ」と感想を漏らした。

 

「ありがとう、ダージリンさん」

「いえ。――あの、お母様」

「はい?

 

 ダージリンが、まるで照れを隠しきれていない表情で、

 

「……いつか、その、夕飯の時間になりましたら、お手伝いさせていただけません? その、料理を覚えたくて」

 

 年下の意図を察したのか、母は「もちろん」と笑顔で応えた。

 

 

 次の食べ歩きコースに選ばれたのは、ハンバーグ専門店だ。評判は聞いていたのだが、ついつい後回しにしてしまっていた。

 なので、せっかくだからと入店した。瞬く間に香ばしい匂いが鼻孔へ吸い込まれ、茶山とダージリンは容赦なく椅子へ腰を下ろした。

 ――数分後、

 

「ほんとにさー、ウチの父さん母さんってばはしゃぎすぎて……」

「まあまあ。恋人が出来たのですし」

 

 恋人というワードを、何の躊躇いも無く口にしながら、ダージリンはハンバーグをナイフで切り裂く。茶山もそれに続き、ハンバーグをフォークで刺しては口の中に放り込む。

 熱が肌に襲い掛かり、ソースが体の一部へと溶け込んでいく。何重もの肉をかみ砕き、飲み込めば、腹はもっと飢えていくのだ。

 

「うまいねえ」

「ええ、とても」

 

 さらに美味く感じるのは、今日が冬休みという点に尽きる。ましてや朝っぱらからという健康的な時間に、それもダージリンと一緒にハンバーグを食しているのだ。どう考えてもポジティブな状況でしかないから、飯は進むし舌が活性化する、おまけに腹は減る。

 

「何だか、すっかりダージリンも馴染んだよね。こういう店に」

「そうですわね。――あなたがいなくなった後でも、私は色々な店を訪問したものです」

「ほうほう」

「和食店、洋食店、ピザ屋、ジャンクフードも食べてみましたわ」

「いい食べっぷりだ」

 

 どうも、ダージリンは満たされた生活を歩めているらしい。茶山は、満足そうに笑った。

 

「けれど」

「けれど?」

 

 ダージリンが、茶山と目を合わせる。

 

「……やっぱり、あなたと食べ歩きをしたいですわ。これからも」

 

 ああ。

 それに関しては、同意するように頷く。

 

「僕もだよ、ダージリン」

 

 にこりと、ダージリンが笑顔になる。

 

「……あ、そうですわ」

 

 何かを閃いたらしい。ダージリンが、ナイフでハンバーグを小さく切り取り、

 

「あーん」

 

 それを、フォークで刺しては茶山に差し向ける。

 

「――は?」

「恋人同士の基本でしょう? はい、あーん」

「えっ、やだよ恥ずかしい」

 

 その時、ダージリンの目に光が籠る。親に捨てられた子供のような、希望が感じられない瞳だった。

 

「……私たちは、恋人では、ない……?」

「え!? いやいやいや」

「あーん、してくれないんですの……?」

「す、するよわかったよもう」

 

 瞬間、ダージリンが喜色満面の笑みを浮かばせる。

 

「はい、あーん」

 

 ちくしょうやられた。何となく予感はしていた。

 だが、ダージリンの落ち込む顔など見たくもないわけで、何とかしてやりたいわけで。

 

「あー……ん」

 

 めちゃくちゃ恥ずかしかった。周囲を見渡すものの、特に関心は抱かれては――いる。

 

 髪を整えた状態のダージリンは「優雅」であり、他人からすれば「触れてはいけない美しい象徴」だ。

 だが、今現在のダージリンの髪型はロングヘアーだ。それは普遍的であり、故に親しみやすく共感もされやすい。ストレートな魅力がある。

 ここまでなら問題は無いのだが、ダージリンはどうしても美しい。ただでさえ目を惹く存在が、ロングヘアーという「普通さ」を主張しているのだ。俺が僕が私がと、格好の注目の的になってしまうのは仕方がない。

 もしかしたら彼女に出来るかも、あのモデルさんは誰だ、女優さんか何かだろうか――きっと、そんなことを考えているのではないだろうか。

 ナンパの一つにも遭遇しなかったのは、茶山というお邪魔虫のお陰だろう。

 

「いいですわね」

 

 シチュエーション的には良いが、心境的にはあまり良くない。男どもからは「は?」という目をされているし、女性からは「ええ……?」と疑問視されている。

 確かに、我ながら夢みたいな現状だとは思う。けれど、

 

「じゃあ、はい、あーん」

 

 ハンバーグの一部分をフォークで刺し、ダージリンに向ける。

 

「……えっ!?」

「恋人同士なんだから、あーん」

「そ、そんなっ、えとっ」

「……そっか」

 

 茶山が、わざとらしく落ち込む。ダージリンと比べれば、なんという演技力のなさか。

 しかし、ダージリンはあたふたと表情を変え、

 

「わ、わかりましたっ、食べます食べますわっ。あー……んっ」

 

 躊躇いはしたものの、ハンバーグを口にしてしまえば笑みがこぼれる。しっかりと、充実しているように噛み締めている。

 

「うまいよね」

「ええ、とても」

 

 これから、ダージリンと釣り合う男になればいい。

 両想いなら遠慮することはない。見せつけてやろう。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと人生を満喫して、114日目。「家族」一同で夕飯をとっている際に、

 

「ねえ、ダージリンさん」

「はい、なんでしょう」

 

 ダージリンがほっけの骨を、ぺりぺりと剥がしていく。茶山は、実家の味噌汁の味を堪能していた。

 

「ダージリンさんって、外国人? それともハーフ?」

「えっ!?」

 

 ダージリンの目が、まん丸に見開かれる。茶山は「あー」と、仕方なさそうに声を出し、

 

「いや、ダージリンは日本人だよ」

「あらそうなの? じゃあ、ダージリンという名前は……」

 

 母が大真面目な顔をして、顎に手を当てている。真正面から考察されることがなかったのだろう、ダージリンは申し訳なさそうにうつむいていた。

 

「ああ、何というのかな。聖グロでは、紅茶の名前で呼び合う伝統があるんだ」

「あら、そうなの? へえー」

 

 実に感心したように、母がうんうんと頷いている。ダージリンは、弱弱しい声で「は、はい、そうなんです」と返事していた。

 

「まあ、いいんじゃないかな。ダージリンという名前が、とても似合っているし」

 

 父から助け船が入った。実際のところ、本名よりも、ダージリンという呼び方がしっくりきてしまっている。

 

「ありがとう、ございます……」

「いえいえ。ごめんなさいね、変な質問をしてしまって」

 

 ダージリンが、滅相も無いとばかりに首を横に振った。

 

―――

 

 ダージリンの格言を聞いて、115日目。一通りの食べ歩きを終えた後は、居間で二人きりのティータイムを開いていた。

 

「ここは、良い家ですわね」

「うん、そう思う」

 

 ダージリンが、「ええ」と同意し、

 

「私も、良い両親に恵まれましたわ。――その、私の父と母とは、すぐに仲良くなれると思います」

「だといいねえ」

 

 話によると、自分はダージリンの父とダブっているところがあるらしい。それ故に父からは仲間認定され、母も出会いを武勇伝にするくらいには、一般庶民への理解があるらしかった。

 

「……いつ行くの?」

「新年早々に」

「……でかいよね?」

「おそらく」

 

 金持ちの家とは、一体どんな生態をしているのだろう。

 茶山の貧困な発想力では、「宮殿」だの「金色の意匠だらけ」だの「自家用ヘリ完備」だのと、それぐらいしか思いつかない。

 ダージリンティーを片手に、ちらりとダージリンの目を見る。

 茶山の目の前にいるのは、文字通りのセレブだ。茶山という縁が無かったら、普通の居間で腰を下ろすこともなかっただろう。

 ため息も漏れる。ダージリンを手離すつもりはないが、かといって金持ちの中心部へ踏み込む度胸もない。聖グロの連絡船でさえ、かなりのビビりが入ったというのに。

 

「かといって、緊張する必要はありませんわ」

 

 茶山の心境を読み取ったらしく、ダージリンは何でもない表情でダージリンティーを一口つけ、

 

「何度も言いますが、あなたは部外者ではなく、私の大切な人です。ですから、私の家にお邪魔しても誰も文句は言いません」

 

 そこで、何かを思い出したかのように「あ」と声を出し、

 

「妹は……どうでしょうね。両親は納得しているのですけれど」

「妹さんがいるんだ」

「ええ。いつまでも甘えん坊さんで」

「いいじゃない」

 

 茶山がポットを手に持ち、ダージリンティーを注いでいく。

 

「だから不安なんですの。あなたに対しての、反応が」

「あー、なるほどねー」

 

 体験したことはないが、よくある話だとは理解している。姉の優先順位が曲げられそうなのだ、それはもう面白くない話だろう。

 

「ですがご安心を。必ず説得してみせますわ」

「ありがとう。まあ、僕も頑張ってみるから」

 

 間。

 

「で、本当に行かなきゃダメ?」

「――私との結婚を、破棄するおつもりで?」

 

 ダージリンの両目が、狐のように細くなる。タダの一般人である茶山は、「滅相もありません」とひれ伏すしかなかった。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと寄り添って、116日目。ポニーテールのダージリンが、母の指導のもと、夕飯にカレーライスを作り上げてくれた。

 茶山と父、母にダージリンの分と、それぞれの皿がテーブルの上に置かれる。出来立ての湯気は、胃の中を容赦なくすっからかんにしていった。

 

「これは……」

「リンちゃん、料理の才能があるわー。ささ、食べて食べて」

 

 白いエプロンを着たダージリンが、もどかしそうな顔をしながら、指と指を合わせている。

 事の始まりは、「私も何か、夕飯を作らせてくださいませんか?」という、ダージリンの主張だった。

 最初、母は「あらあらまあ」と戸惑いながらも、母はこれを快諾した――茶山に、親指を立てて。

 

「そんな、ほとんど手伝っていただいて……」

「何を言っているの。包丁さばき、見事だったじゃない」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ダージリンが作ったカレーという時点で、味は決まりきっているようなものだ。腹は減っていき、食欲が促され、変な高揚感すら生じる。

 

「頑張ったのよー、リンちゃん。さあ、最初にあなたが食べなさい」

 

 そんなの当たり前だった。

 茶山は、カレーに手を合わせ、

 

「いただきます」

「め、めしあがれ」

 

 可愛い一言と共に、茶山はスプーンを装備する。それでカレールーをいくらか掬い上げ、白米にかけた。

 よし。

 人生初とは、出会いよりもかけがえの無い瞬間だ。生まれて初めてダージリンは料理をこなして、その完成品を茶山が味わう――この時間を、一生忘れないようにしよう。この場面に、ずっと感謝し続けよう。

 心に強く刻み込みながら、ダージリンカレーを口に運ぶ。

 

「うまいっ」

 

 茶山の心が明るくなる。ダージリンの顔が、輝く。

 

「まあっ……やったっ」

「うまいよこれ、凄い美味い。ほら、父さんも食べて」

 

 父が「ああ」と頷き、手を合わせる。

 

「いただきます――これは、うまい、うまいよ、ダージリンさん」

「ありがとうございます」

 

 ダージリンが、泣きそうな笑顔を浮かばせる。

 茶山は、心の中で「良かった」と喜ぶ。手は止まらない。

 

「調理中ね、凄く良い顔をしてたわ、リンちゃん。戦う女性の顔っていうの? あんな感じ」

「戦車道してるからなあ、ダージリンは」

 

 困ったように、ダージリンが「いえいえそんな」と謙遜する。

 正直な話、容易に想像はついた。

 

「料理に熱心で、愛情も抜群。ああ、結婚相手が羨ましいわねえ」

「やめなよ」

 

 茶山が厄介そうに吐き捨てるものの、ダージリンは「ふふ」とだけ。一方、父は食ってばっかりだった。

 

「さて、水も持ってこなくちゃ。リンちゃんは先に食べてていいわよ」

「はい、お母様」

 

 当たり前のように、茶山の隣に腰かける。もう、誰も注目などしない。

 

「茶山さん」

「何?」

 

 カレールーつきカツを、もぐもぐと咀嚼する。カツ特有のパワーが、油が、ルーの甘みが、ダージリン補正が、茶山の身も心も満たしていく。

 

「これからは、レパートリーを増やしていきますわね」

 

 思う。

 ダージリンは、本当に情熱的な女の子だ。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと手を取り合って、117日目。茶山は「くそうくそう」と悪態をつき、ダージリンは「せっせっ」と声を出していた。

 

「なんで真昼間に大雪降るかねー」

「冬ですもの」

 

 除雪スコップで雪だまりを突き刺し、それを掬っては、体全体を使って指定個所へ放り投げる。

 降雪が止み、夜の七時に除雪を開始したわけだが――まったくもって終わりのめどが立たない。

 まあ、いつものことだ。

 この時期になると、一度や二度は大雪が降り注ぐ。そのたびに茶山や父、ご近所の方々が家から出撃して、除雪スコップを武器に雪だまりと戦いを繰り広げるのである。

 一瞥する。

 環境問題とは無縁そうな、真っ白い雪原が家の前を手広く支配している。子供の頃は足跡をつけて遊びまくったものだが、大学生からすれば「はいはいまたかよ」としかコメント出来ない。純白の雪も、大人にかかれば単なる厄介者だ。

 

「父さーん、もうやめない?」

「続けろ」

 

 だよねーと、やる気なく除雪を再開する。そんな中で、ダージリンは文句のひとつも言わずに雪を放り込んでいた。

 

「ダージリンさん、いいんだよ? ここは俺達に任せて」

「いえ、ここも私の家ですからっ」

 

 ダージリンの赤い除雪スコップが、また空を舞う。最初は茶山も止めたのだが、「私も家族の一員ですので」と押し切られてしまった。

 正真正銘のお嬢様が、肉体労働に励む――そのことに異論はないが、何だか物凄く申し訳ない気分になる。

 

「疲れたら、いつでも休んでね。僕が何とかするから」

「分かりましたわ」

 

 しかし、ダージリンの表情は硬い。家の前を何とかしようと、家族を助けようと、必死になって除雪作業を続けている。

 ――自分の頬を叩く。ダージリンを守り抜くと決めたのは、自分だ。

 

「よし、気合入った。やるぞ」

「よく言った、やれ」

 

 焦らず、急がず、力なく放り投げる。それが除雪のコツであり、基本だ。

 小さい頃は嫌々やっていたものだが、今となっては雪も軽い。単に、終わりが見えないからやる気が出にくいだけだ。

 だが、今はダージリンがいる。少しでも、ダージリンの負担を軽くしたい――そう考えてみると、何だか体が温まってきた。

 

「よっと」

 

 雪を引きずり出し、雪山と化した指定個所へほいっと投げる。ダージリンから「いい投げっぷりですわ」と褒められた。

 

「これが終わりましたら、一緒に紅茶でも飲みましょう」

「いいね」

 

 親指を立てる、ダージリンもピースしてくれた。

 そんな若者に対し、父は「いいなー」と笑うのだった。

 

 ダージリンが、掛け声とともに雪を放り投げる。最初こそぎこちなかったものの、徐々に飛距離が増していった。

 その表情は実に楽しげで、上手く投げられたと思ったら「どう?」と目を合わせてくる。

 やっぱり自分は、この人が好きだ。

 

―――

 

 ダージリンを愛して118日目。何だかんだで大晦日を迎え、「せっかくだしお参りに行こう」というノリで、徒歩で神社までやって来た。

 夜も更けているというのに、更けているからこそ、神社の前には人が殺到している。この日ばかりは神社も明るく照らされ、参拝客の笑顔も絶えない。

 普段の静寂は何処へいったのやら、今となっては喧騒が場を塗り替えている。まるでお祭りの会場だ。

 

「結構、並んでますわね」

「そうだねえ。いやあ、二年参りなんて初めてやるよ」

 

 緑色のベレー帽を被ったダージリンが、実に嬉しそうに口元を緩ませる。

 周囲を見てみると、多数のカップル連れが、友人グループが、老人が、大人の男性が、若い女性が、この神社の中を楽しげに歩んでいる。

 みんな、今日という日まで生き残ってきた。そして、来年も強く生き抜くつもりなのだろう。

 感慨深く、ため息をつく。

 

「みんな……何をお願いするんでしょうね」

「なんだろうね――そうそう、ここの神様は凄く頼りになるよ」

「そうなんですの?」

 

 茶山が小さく頷き、

 

「前にさ、OGと交渉したことがあったじゃない? ――その時にさ、ここでお参りしたんだよ。交渉がうまくいきますようにって」

 

 最初は何のことか分からなかったダージリンも、次第に表情を明るくしていく。

 

「あの時の……それは、期待できますわね」

 

 不意に、腕に抱き着かれた。それも両腕で。

 茶山が情けない声を上げるが、ダージリンは全く意に介さない。たぶん、何を言っても離そうとはしないだろう。

 

 そのままの姿勢で、賽銭箱まで到着した。

 長かった、実に長かった。恥ずかしすぎて、途中で蒸発しそうになったと思う。

 自分も、精神力というものが成長したらしい。或いは、今の関係を受け入れられているのか――たぶん、両方だ。

 

「じゃあ、お金を入れよう」

 

 互いに五百円を取り出し、同時に賽銭箱へ入れる。鈴を鳴らして二礼二拍手一礼を行い、沈黙をもってして願い事を繰り返し伝えた。

 一区切りつける。

 茶山とダージリンが礼を行い、賽銭箱を後にする。次に控えた参拝客は、カップル連れだった。

 

「……茶山さん」

「何?」

「なにを、お願いしました?」

「えー」

 

 照れを隠しもせず、ダージリンから目を逸らす。こうなったダージリンからは、逃げられないというのに。

 

「じゃあ……同時に言ってみる?」

「構いませんわ」

 

 「ふう」とひと呼吸する。

 未だ、喧騒は絶えない。参拝客がそれぞれの望みを、願いを、期待を胸に秘め、賽銭箱にお金を入れる。鈴を鳴らして神様を呼ぶ。

 その光景が、なんだか愛おしく感じる。きっと、ダージリンと出会ったからだろう。

 ダージリンは、自分の世界を変えてくれた。だから、ダージリンのことを――

 

「あなたが、幸せに生きられますように」

「あなたが、幸せに生きられますように」

 

 

 神社で、これからの新年を迎える。参拝客が、あけましておめでとうと高らかに挨拶をした。

 さて――あともう一か所ほど、挨拶しに行こう。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

本当は短くなる予定だったのですが、思った以上に長くなってしまいました。
次はたぶん、短くなると思います。

これからの展開ですが、ダージリンの家訪問→春休み編→大学編→エピローグと、サクサクと進んでいくと思います。
3007日間があっという間に過ぎ去ると思いますが、最後まで読んでいただければ、本当に嬉しいです。

ご指摘、ご感想、いつでもお待ちしています。

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