ダージリンと出会って七日目、昼過ぎになって茶山は実家へ戻った。
母からは普通に「おかえりなさい、楽しかったかい?」と挨拶され、茶山は「うん」と断言した。本を読んでいた父も、「うまいもの食えたか?」と聞いてくれた。
美味いものは沢山食べられた、良い観光もこなせた。そして、かけがえのない出会いもあった。
本当、色濃かった一週間だったと思う。人差し指ランクの思い出になったと思う。
実家の安心感に打ちのめされ、茶山は疲れたような足取りで部屋に戻る。とりあえずバックパックを適当に床へ放置し、ティーセット入りの箱を丁寧に学習机の上に置く。
――そのまま、ベッドの上に身を投げた。
疲れた。
色々あったが、最初に抱いた感想がそれだった。食欲を満たしたからこそ、愛を見つけられたからこそ、幸せを願ったからこそ、心の底から疲労していた。
このまま、少し眠るか。
何となく、ポケットから携帯を取り出す。新着メールのお知らせが届いていて、その文字を指でスライドさせる。
『無事に本土まで到着しましたか? 私は、寮でのんびりとしています。
この一週間、とても楽しかったです。あなたのお陰で、食事への抵抗なんてなくなりました。
これからは、気分で好きなものを食べていこうと思います。茶山さんも、お腹を満たしてくださいね。』
指を、上下にスライドさせる。
『次に会う時は、冬休みの期間中になるでしょう。必ず会いに行きますから、それまで待っていてください。
これからもメールを続けていきましょう。内容はなんでも構いません、今日食べたものとか紅茶の報告とか……本当、些細なことでも構いません。
今後も、親交を深めていきましょう。
あなたのダージリンより』
―――
ダージリンを見つけて八日目。旅行帰りということもあって、茶山は自宅で大人しく体を休めていた。好きに食って、好きに寝て、時々ぼんやりと両親と会話する――普段通りの行いだった。
学園艦へ旅行しに行ったのもそうだが、「あの」ダージリンと出会ったことが、あのダージリンと食べ歩きをしたことが、あのダージリンと触れ合えたことが、まるで嘘のように思える。モテない男の夢物語みたいだった。
だが、携帯にはダージリン本人からのメッセージが届いている――今日は、素直に食堂で昼を過ごしたらしい。
なるほど、と思う。かれこれ一週間近くも、昼休み中に姿を消していたのだ。だから、ここいらで軟着陸するのは正しい判断だろう。
『もし暇なら、いつでもメールを送信してよ。今日は休んでるからさ』と返信する。ダージリンは、今日も元気に聖グロの世界を歩んでいるらしかった。
――ベッドから起き上がる。
机の上には、包装紙も解かれていない、ティーセット入りの箱が鎮座している。ダージリンから手渡されて以来、未だにその時から動き出せずにいる。
箱の包装紙を丁寧にめくっていき、そっと蓋を開ける。中には青い意匠が象られた白いティーカップと、ソーサーが入っていた。派手さはないものの、確かな存在感を目で覚える。
これを、ダージリンが買った理由は、
自分に、使って欲しいから。ダージリンと同じものを、使わせたいから。
財布をポケットに突っ込み、家から出る準備をする。買うものは勿論、ポットと茶葉だ。
―――
茶山とお喋りをして九日目。ダージリンは戦車道の授業を終え、ティータイムに心を預けていた。
アッサムとオレンジペコが、今日の授業について語り合っている。ローズヒップも雰囲気に追従しようとするが、言葉遣いが割と怪しい。淑女に至るにはまだまだ。
そんな中で、ルクリリが心配そうにダージリンを見つめていた。どうしたんだろうと目を合わせると、焦るようにルクリリが視線を逸らしてしまった。
――まあ、いいか。
ダージリンは、ダージリンティーをすっと飲み込んだ。舌に苦さが伝わり、喉が熱さを覚える。印象に残る香りが、ため息をつかせた。
今、茶山からメッセージが届いているのかな。
思考の片隅には、いつも彼の姿が映っている。
―――
ダージリンと遭って十日目、茶山は旅費の為にバイトをこなしていた。
普通に労働を行って、時には指摘されて、自己嫌悪に陥ることもある……が、そんなものは食って寝てしまえば割と解消されるタイプだった。
だが、ダージリンへの想いは、ダージリンと会いたいという気持ちは、決して消えることはなかった――当たり前だ。それを目的に、バイトをしているのだから。
さて、この仕事が終わったら家で紅茶でも淹れよう。勿論、ダージリンティーをだ。
―――
茶山と知り合って十一日目、休み時間になるとダージリンはすぐさま携帯を取り出し、新着メールが来ていないかどうかを確かめるようになった。
メールの数そのものは多い。大抵は学友のものだったり、ダージリンとお近づきになろうとする赤の他人からだったり、時には他校生から届くこともある。
それぞれのメールに対し、それぞれの距離感を保って返信する。手馴れたもので、タイピング速度は随分と早い。
――来てないか。
息をつく。今頃は、バイトに努めているのだろう。
大変だなあ、と思う。
頑張ってと、心の中で励ます。
―――
ダージリンと顔を合わせて十二日目、茶山はバイトの休憩時間にメールを送信していた。
内容は、『最近、バイト帰りに団子を買って食ったよ。団子って味が重いから良いんだよね』といったものだ。
特に注目すべきところはないメールだが、ダージリンは『それ、食べます』とか『茶山さんはグルメですね、私も見習いたいです』と、いつも同調してくれるのだ。
そして時々、『バイトで何かありませんでしたか? 力になります』と激励してくれる。
さて、休憩時間が終わったら頑張るか。それまでは何か食っていよう。
―――
茶山と縁を結んで十四日目。ダージリンは部屋の中で横になりながら、ひたすらに携帯を見つめている。
今日は休日ということで、茶山のバイトも休みらしい。それ故にメールの返信も速く、そのたびにダージリンは微笑を浮かばせるのだ。
メールの内容といえば、今まで飲んだ紅茶について、食べたものの感想、バイトでの経験談、聖グロでの出来事――話したいことばかり、話していた。
けれど、それで良いのだと思う。あんなに気持ちを通わせて、今更社交辞令も何もあったものではないから。
紅茶でも作るかな。
ベッドから起き上がり、茶葉を取り出したところで、携帯が震える。今度は何を話してくれるのかなと、画面に目を映す。
―――
ダージリンが「気分転換」をこなしてから、十八日目。アッサムは、食堂でうなぎゼリーを堪能していた――表情は決まって、いつものすまし顔だが。
そんなアッサムは、周囲から「いつも冷静だよね」と評されることがある。それは否定しないし、そうでなければデータを活かすなんてことは出来ない。分析し、答えを見い出すには、あくまで冷徹さが必要とされるのだ。
――が。
それは、あくまでデータに対してだけ。だからアッサムは、少し離れた席にいるダージリンのことが、眠そうな顔で昼食をとるダージリンの事が、気になって仕方がない。
あんな顔、初めて見た――周りの生徒も、ただ事ではないと察してダージリンには近寄らない。
「や、アッサム」
声を追ってみれば、手のひらで挨拶をするルクリリがいた。アッサムは小さく頷き、相席へ座るように視線で促す。
ルクリリが、トレーをテーブルの上に置く。軽やかに腰を下ろす。
「――ああ、今日は食堂にいるんだね」
アッサムが、こくりと頷く。
「ここ最近は、隊長も食堂で落ち着くようになったよね」
「ええ。前は毎日のように姿を消していたから」
ルクリリが、フィッシュ&チップスを口に含む。
「あと、携帯もよく見るようになった。ほら、今も」
ルクリリが、無言でダージリンの動向を覗う。ダージリンは、曇り空のような顔で携帯を操作していた。
「授業中はいつもの調子で受け答えするし、戦車隊隊長としての役目もしっかりと果たす。一見すると、いつもの隊長なのだけれど」
「――うん。休み時間になると、少し暗い感じで携帯を触るよね」
ここのところ、ルクリリと会話する機会が増えた。ダージリンの「秘密」を共有するうちに、自然と共同戦線を張るようになったのだ。
「あ、見て」
瞬く間に、ダージリンの表情が太陽のように明るくなる。こうなったダージリンは、何かを逃がすまいと指をてきぱき動かすのだ。
「あれはきっと、『秘密の人』からメールが届いたのね」
ルクリリが、分かっているように「そうね」と同意し、
「先週までは、この学園艦に『秘密の人』がいたんだろうね。でも、今はもういないから外に出たり、出なかったりする。――会えないからこそ、メールを心待ちにしている」
ルクリリの表情が、少しだけ暗くなる。
「未練、なのかな。『秘密の人』がいないにも関わらず、外に出て昼食をとるのは」
「隊長に多大な影響を与えた、というのは間違いないようね」
そうだねと、ルクリリが同意し、
「外に出る時の隊長、なんだか寂しそうな顔をしてるんだよね。先週は、私にすら分かるくらい明るい表情してたのに」
これまで、ルクリリとはあまり縁が無かった。チームメイトである以上、ルクリリの良い点、悪い点は把握していたつもりだが、あくまでデータ上でのお付き合いに過ぎない。
――だが、今となっては、ルクリリは立派な「仲間」だ。ルクリリもそれは察していて、アッサムとよく絡むようになった。
「……よく、人の顔を見ているものね。私にはわからなかったわ」
「そうかな。まあ、隊長と付き合い長そうだから、逆に気づきにくかったのかもね」
アッサムが、首を横に振るい、
「ルクリリ。あなたは、情が深いのよ。だから、隊長の心境の変化に気づけた」
「え、そう? そんなことないわよ」
けれど、ルクリリは苦笑しながら水を飲む。よく顔に出る人だ。
――アッサムがため息をつく。
たぶん、自分だけだったら、ダージリンが隠すぎこちなさの正体に気づけなかったと思う。アッサムはあくまで分析的に、ルクリリはつい感覚的に、
私はてっきり、だれかと待ち合わせしているのかなーと。
こうして、ぎこちなさの正体を難なく暴いてしまった。
自分は良くも悪くも冷静だから、聖グロにおける上下関係を常に意識している。だからこそ、「余計なお世話」を犯さないように生きてきたつもりだ。
だが、今回ばかりはその配慮が仇になってしまったらしい。何だかルクリリに先を越された気もするが、
「――アッサム」
「え、何」
「……ありがとう、褒めてくれて。人のこと、よく見てくれてるんだね」
今となっては、それはそれで良いと思う。
さて――隊長を見守ることにしよう。
―――
茶山の事を意識し始めて、二十日が経過した。今日は授業なんてなくて、戦車道とも無縁で、ティータイムにも浸れない。
休日だった。
こういう日は――前は、ここぞとばかりに食べ歩きをした気がする。散歩をして、出店で食べ歩きをして、大道芸人を眺めて、百貨店へ寄って、戦車へ想いを寄せて、自分なりの情熱をプレゼントして、再会を誓い合って――
今でも、あの日のことを鮮明に思い出せる。今だからこそ、あの日のことが恋しくなる。
けだるそうに、ベッドから起き上がる。
カレーでも、食べるかな。
―――
ダージリンに愛おしさを感じて、二十一日が経った。今日はバイトも休み、外で軽く昼食をとることにした。
ここのところ、食べ歩きらしいことはしていない。少しでも旅費を稼ぐために、節約というものをこなしている。
――別に、そのことで不満を抱いたりはしていない。食ってみると案外腹は膨れるものだし、実家暮らしという強みもある。少なくとも、飢えに苦しんだりはしないだろう。
何より、今の自分には生きる目的が、生きるべき動機がある。この間も、「お前、頑張ってるな」とバイトで褒められたものだ。
十二月まで、あと数日はかかる――年を食った大学生からすれば、数か月なんてあっという間だ。
―――
茶山という男の人を知って、二十五日が過ぎ去った。今日も聖グロの戦車道を歩み終え、紅茶の園でティータイムに浸る。
皆が皆、思い思いの紅茶に口をつける。お喋りに興じるチームメイト、授業を振り返る隊員、スイーツを味わう友人――こうした場面を、紅茶片手で眺めるのが、ダージリンの楽しみの一つだった。
聖グロとて、決して優雅さだけで構成された世界ではない。守るべき伝統は多いし、努力しなければ美しさは保てないし、OGがうるさいし、強豪だからこそのプレッシャーはかかるし、みんな分かっていても建前は崩してはいけないし、OGは口うるさいしで、我慢大会めいた部分は多い。
だが、ティータイムという聖域に、そんな堅苦しさは存在しない。ティータイムにもマナーはあるものの、微妙なセンなら見逃してくれる。
戦車道という授業は、本当に疲れるのだ。だから、ガミガミ口を動かすよりは、紅茶を飲んで一休みしたいというのが聖グロ生徒の本音だった。
「――それにしても」
ローズヒップが、ぼうっとした表情で顔を見上げている。ダージリンは、目だけでローズヒップを追う。
「また撃墜判定を受けてしまって、何が悪いものやらさっぱりですわ」
全員が、「動きすぎなんだよね」と表情で語る。しかしローズヒップときたら、「座っているだけでは良い的ですわ」と言って、つい突っ走ってしまうのだ。
「ローズヒップ、いいこと? 時には待つことも大事――むしろ、待てなければ勝つことは難しい」
「そうなんですの?」
心底驚いた、といった表情でダージリンを凝視する。いくら一年生といえども、この認識は危なっかしいと思う。
だが、ローズヒップは勇敢なのだ。普通の生徒なら臆してしまうような状況でも、自らが囮となって買って出たり、我こそはと攻撃を仕掛けたりする。本人曰く「正しいと思ったからこそ、行動したまでですの」とのことだが――それを貫き通す事も、難しい。
それ故に、ダージリンはローズヒップの素質を見出したのだ。今はまだ若いだろうが、多少年を食えば蛮勇から勇猛へと成り代わってくれるはずだ。きっと。
「そう。ここぞという時に駆け抜ければ、相手へのプレッシャーにも繋がるのよ」
「う~ん……」
唸る。悩むがいい、それもまた戦車道だ。
「こんな格言を知ってる?」
ローズヒップが、「はい?」と首をかしげる。
「成熟するためには、遠回りをしなければならない」
ローズヒップが、「はい?」と逆方向に首をかしげる。
「開高健、日本の小説家の言葉ですね」
オレンジペコが、いつものように、さらっと指摘する。
――ダージリンは、がっくりと椅子に背を預ける。たぶん、口元はへの字に曲がっているだろう。
「ど、どうしました? ダージリン様」
「いえ……これが、普通でしたわね……」
その時、アッサムがちらりとこちらを見た。ダージリンも力なく見つめ返すが、何事も無かったかのようにアッサムは紅茶を味わっていた。
―――
茶山と分かり合って、三十日も歩んでいた。
今のところ、ダージリンは実に不機嫌である。なぜならば、数日後にOGが「何の実りもない会話」をする為に、わざわざ遠いところからようこそおいでくださるのだから。
教室の中で、「ふん」と毒づく。聞かれたところで問題は無い、理由を話せば「ああ、そういうことですか」と三年は納得してくれる。
そんな風にして、ダージリンは休み時間を過ごしていた。携帯をちらりと見るが、特にこれといって変化は、
新着メール:茶山
脳ミソと活力が生き返る。すぐさま画面をスライドさせれば、『先日は、母がおしるこを作ってくれたんだ。こういう食べ物、やっぱり大好きだよ。――ダージリンは最近、何を食べたのかな?』の文面が両目に焼き付く。
体内で蠢いていた不快さは消え、ダージリンの口元が緩む。文面を考えながら文章を打ちこんでいき、仕上がったのが、
『最近は、食堂で英国風メニューを味わっています。ティータイムが開催されない日は、放課後にうどんやカレーを食べていますね』
送信する――したところで、若干後悔する。
OGについて、書けば良かった。
別に、援護射撃を求めるとか、そういうものではない。ただ、応援してくれればそれで良いのだ。
単なる気休めにしかならないんじゃないかと、指摘したければするがいい。だが、恋に情熱的であればあるほど、そのパワーは馬鹿に出来るものではなくなるのだ。
だから、今更ながら「失敗したかな」と思う。二度に渡ってメールを送信するのも、それはそれで失礼であるし、
新着メール:茶山
ダージリンの肉体に火が付いた。画面をハイスピードスライドさせてみれば、
『いい食べっぷりだね、元気そうで良かった。あ、ダージリンがくれたティーセットはちゃんと愛用してるからね、茶の淹れ方はぎこちないけど……』
使っていて、くれてるんだ。
ダージリンの心に、火柱が立つ。自分は、ここまでしてくれる人間に好かれているのか。自分は、なんて幸せ者なのだろうと改めて自覚する。
――そっか。
再び、画面めがけフルオートで文字を打ち込む。
『いえ、そうして使ってくださることが、紅茶に興味を抱いてくれることが、とても嬉しいです。でも、飲みたいものもちゃんと飲んでくださいね? コーヒーとか。
あと、これはちょっとした報告なのですが、数日後にOGが来校してきます。戦車道の授業を見学した後、ティータイムに参加するついでに色々と注文をつけてくるのでしょう。
私は、ああはなりたくありませんね。そんなことだから、いつまで経っても聖グロは優勝できないというのに。
――長文になってしまいましたね、ごめんなさい。ただ、こうしてあなたに話すだけで、少しばかり緊張がほぐれる気がしたのです。
もし返答に困る場合は、無視してくださって構いません』
打ち終えると同時に、授業開始のチャイムが鳴る。送信ボタンを押し、ダージリンは勉学へ挑むために武器を用意する。
―――
同日、茶山はバイトの休憩中にメールを打ち込んでいた。ダージリンとのメールも日課になったものだが、今の茶山に明るさは無い。
そんなことだから、いつまで経っても聖グロは優勝できないというのに。
この一文を見て、茶山は声にならない声を漏らした。
そう、そうなのだ。聖グロは、全国大会で優勝したことが無い。強豪校と呼ばれるのは、単に好成績を出しているからに過ぎないのだ。
――自分如きの言葉が、自分なんぞの指が、ダージリンの力になれるかどうかなんて分からない。
けど、自分は聖グロのファンだぞ、ダージリンの友人だぞ、ダージリンのことを世界一愛しているんだぞ。
無い脳みそを絞り出して、激励の言葉を捻り出す。長いような短いような休憩時間が、あと数秒で終わる気がしてならない。
『気を遣ってくれてありがとう。大丈夫、コーヒーもおいしく味わっているから。
OGの件、確かに読んだよ。確か、OGが口出しするせいで聖グロは中々強くなれないんだってね。そのせいで、掴めるはずの優勝も得られない。
不憫な話だよね、そう強く思う。
戦車道とはスポーツであって、決して勝ち負けが全てじゃないけれど、それでもやっぱり勝ちたいよね。その方が嬉しいに決まってる』
タイピングし続ける。大分長くなったなと思いつつ、
『今度、OGと交渉する際は、僕は心の底からダージリンのことを応援する。歩ける距離に神社があるから、そこでお参りもする。
僕の母校は大洗学園だから、大洗の戦車道を支持すべきなんだろうけれど、今は聖グロ派だ。僕はあの世界が好きだし、何よりダージリンがいる。
ダージリン、僕は絶対に君の味方をする。それが僕の生き甲斐だから。
文章、長くなってごめんね。面倒だったら、流し読みでも構わないから。』
打ち込み終え、携帯をポケットにしまい込む。あんな内容で、良かったんだろうかと思う。
己が頬を叩く。何もしないよりはマシだし、自分は一生ダージリンの味方になると誓ったのだ。
身分は違えど、距離が離れていても、自分なりの戦い方は出来るはずだ。そう考えると、何だか気合が入ってきた。
休憩時間が間もなく終わる。さて、稼ぐか。
―――
同日。休み時間に入り、ダージリンは茶山からのメールを読み終えた。
手で、口を押える。呼吸が止まらない、感情が高ぶってくる、目頭が熱くなる。
どれだけ、彼は自分のことを好きでいてくれるのだろう。なんで、顔も見えない相手にここまで想いを伝えてくれるのだろう。世界を敵に回しても、食えるものがあるなら「やあ」と味方してくれるに違いなかった。
メールを返信する。一区切りつけて、深呼吸した。
OGを何とかする為に、交渉に使えそうな武器を探す必要がある。これまで通りに一人で何とかしようとしても、お茶を濁すような結果で終わってしまうだろう――何となく茶山のメールを読み返し、「支持」という単語が目に留まる。
伝統とは、支持があってこそ伝統と認められる。そうでなければ、自然と廃れていくだけだ。
新しい伝統を作りたいのなら、新たな流れを生じさせたいのなら、沢山の支持を集めて、その現実をOGに見せびらかせばいい。伝統ありきで生きている聖グロ生徒なら、支持という力には過敏に反応せざるを得ないはずだ。
OGと話し合い、やっぱりダメでしたなんて甘えは、これで終わりにする。今のダージリンは、聖グロの為に、同級生の為に、これからの後輩の為に、茶山の為に、何がなんでも交渉に打ち勝つつもりでいた。
ここまで張り切れる原因の一つに、蓄積していったフラストレーションも含まれているのだろう。けれど根本は、やっぱり恋だ。
――携帯を操作し、アッサムのアドレスをタップする。
負けるのは、私たちで最後だ。
―――
ダージリンの後を追って、もう三十三日だ。バイト帰りの夕暮れ時に、茶山は神社へ立ち寄っていた。
見よう見まねの礼儀作法をこなし、賽銭箱へ五百円玉を入れる。鈴を鳴らして神様を呼び、二礼二拍手一礼を行う。
自分には、好きな人がいます。その人を、どうか幸せに導けるよう見守ってください。自分も、力を貸すつもりです。
確かな願いを、間違いのない本音を神様に告白し終え、茶山はもう一度頭を下げる。そのまま神社を後にする前に、今一度神社へ振り返って礼をした。
―――
茶山とコミュニケーションをとって、三十六日の月日が経過していた。
昼休みに外出し、自販機で無糖の缶コーヒーを購入する。慣れない手つきでプルタップを開け、ダージリンは何の躊躇いも無く缶コーヒーを飲み干した。
苦い。だが、筋肉に張りがついたような気がする。持久力が上がるという話は本当なのかもしれない。
缶コーヒーをゴミ箱に捨てて、自分の頬をぱしんと叩く。
よし、気合が入った。
『今日、OGが来校します。ですが、もう怖くはありません。この日の為に色々と練っておきましたし、茶山さんが私の為に祈ってくれているからこそ、いつもより強く進められる気がします。
茶山さんも、バイトを頑張ってくださいね。応援しています。
あなたのダージリンより』
携帯をしまう。
さて、大切な客人をもてなすとしよう。
戦車道の授業を終了させ、紅茶の園で身も心もリラックス――というわけにはいかない。今日は、三名のOGが「またしても」来客してくれたのだから。
別に、OGはそれほど顔を見せるわけではない。だから「またしても」という認識には語弊があるが、嫌な相手なんてものはいつだって「また来た」でまかり通るものだ。
まずは、今の授業についてありがたい評価をいただいた。良くも悪くもOGであるから、良い点、悪い点はしっかりと把握している。指摘する個所も、素直に「なるほど」と頷けるものばかりだ。周囲の席に腰を下ろしているチームメイトも、うんうんと同調していた。
ここまでは良い。言葉を受け入れながらも、優雅に、華麗な振る舞いをもって紅茶をたしなむ。
「そういえば――また、全国大会で優勝出来なかったようね」
来た。ダージリンの目が細くなる。
「黒森峰女学園は、本当に強いものね。今年は大洗女子学園が優勝したみたいだけれど」
正直なところ、大洗が優勝した件に関しては心底驚いた。人間、やれば出来るものだ――が、戦車は揃えておくに越したことは無い。一部のケースに縋りつく程、まだ悲観にくれてもいないのだ。
「聖グロも強い、確かに強い。けれど、何かが足りない」
ポニーテールが、実にわざとらしく前置きをする。あまりにも聞き慣れた話題なものだから、心の中で「早くしろ」と悪態をついてしまった。
「そう、マチルダが足りない。この火力――主力としては、十分ではなくて?」
ショートヘアが、目つきだけで「何言ってんだ」とメッセージを送りながら、
「けれど、遅くては敵の不意はつけない、チャンスだって逃すかも。ここはクルセイダーが一番よ」
隣に座るアッサムが、心底うんざりするように紅茶を飲む。離れて見守っているチームメイト達も、聞くだけでそれ以上の反応はしない。
「けれど、負けてしまえば全てが終わりよ。それよりも、生存性が高く、外見も美しいチャーチルが一番よ」
ロングヘアーが、勝ち誇った調子でチャーチルを推奨する。そんな意見に対し、ポニーテールとショートヘアは、顔だけは「なるほど」と言っておいて、腹の中では「何言ってんだこいつ」と反論しているに違いない。
正直なところ、ダージリンとしてはチャーチルが好みだったりする。生き残りやすい戦車というのは、それだけで強いのだ。
が、チャーチルを導入した場合、ロングヘアーへ肩入れしたという結果が残る。そうなると、ポニーテールとショートヘアからの資金援助がマズくなる恐れがある。
「どの意見も、一理ありますわ。先輩がた」
紅茶を、ソーサーの上に置く。
「ですが、今の聖グロにとって必要な戦車とは、根本的な強さを秘めた戦車、だと思いますの」
聞き慣れない意見だったからだろう。OGが「何?」と、ダージリンへ視線を殺到させる。
――きつい。
OGとて、タダで生きてるわけがない。聖グロの世界から無事に生還して、聖グロよりも裏表の激しい社交界へ身を乗り出しているはずなのだ。
苦も楽も知っている人生の先輩は、学生時代よりもひと際輝いているに違いない。ダージリンよりも優雅に、華麗に、そして強く、今日も生き残っている。
だから、三人分の圧力を食らっただけで怯みそうになる。
耐えろ。
今の自分には、「武器」がある。無糖の力が、肉体を強くしている。確かな祈りが、今ここに届いている。
かつて見た、大道芸人のことを思い起こす。時には大胆さを、心にメタルを。
「根本的な……? それは何? 言ってみなさい」
「大学選抜チームの隊長――島田愛里寿が使っていた、あの戦車」
ポニーテールが、「は?」と声を漏らす。
「つまりは、センチュリオンを導入しようと考えているのです」
瞬間、OGのストレスは爆発的に膨らんだはずである。何を言ってるんだと、伝統はどうしたのだと。
「センチュリオンは、根本的に『強い』。しかも、外見も優雅ではありませんか」
さらっと口にする。
「確かに、それは認めざるを得ません――しかし、センチュリオンは『誰も乗ったことがない』」
OGの後を追う為に、OGが愛用した戦車を導入する。それも聖グロの立派な伝統であり、優勝出来ない原因の一つでもあった。
「そう。だからこそ、センチュリオンしかないと私は考えました。どこかに肩入れしては反論が起きる、しかしこのままでは優勝は望めない。なら、新しい伝統を作るべきではないかと」
ポニーテールが、紅茶を一口つけつつ、
「勝手な意見ですわね」
「いいえ。これは、『今の』聖グロの総意です」
ショートヘアが、「は?」と狼狽する。
「――聖グロの全校生徒から、アンケートをとらさせていただきました」
アッサムが「失礼します」と、タブレットを取り出し、画面を照らす。
「まず、生徒は全国大会の優勝を望んでいます。まあ、当たり前ですよね」
アッサムが、あくまで淡々とデータを朗読する。指をスライドさせ、
「次に、センチュリオンを導入するにあたっての反応をいただきました。ほとんどが好意的で、『共感出来る戦車』と示しています」
OGの抵抗が途絶える。
「『OGが推奨する戦車以外は、導入を控えるべきか?』 難しいアンケートでしたが、大半は『状況によっては、新しい戦車の導入も考えるべきだ』と返答していただきました」
OGが沈黙する。
当たり前だ、自分だってこの結果には正直驚いた。何だかんだいって、負けっぱなしはみんな嫌なのだ――特に、淑女というものは。
「――そして、戦車道履修者『のみ』に、ある質問を投げかけました」
誰も、紅茶など飲んでいない。スイーツも食していない。オレンジペコも、ローズヒップも、ルクリリも、ダージリンの席を注視している。
「全国大会で負けて、悔しかったですか?」
アッサムの目線は、タブレットからOGへ。
ロングヘアーは、ポニーテールは、ショートヘアは、確かに口うるさい先輩だ。聖グロのことを想っておきながら、想っているからこそ、自分の伝統を継承させようとする。
ロングヘアーは、ポニーテールは、ショートヘアは、確かにやかましい先輩だ。だが、三人とも、立派な戦車道履修者だ。
優勝を逃して、心の底から悔しがった「仲間」なのだ。
――質問に対し、OGは何も返答しなかった。それが答えだった。
「先輩」
ショートヘアが、声なくダージリンを見つめる。
「私たち後輩を導いてくださったこと、心から感謝しています」
ロングヘアーが沈黙する。
「優雅であって欲しい、華麗に生きて欲しい、聖グロを輝かせて欲しい――そうした願いを込めて、伝統を作り上げたことも存じています」
ポニーテールが、ただダージリンの言葉に耳を傾けている。
「ですが、たった一つだけ、無意味な伝統があります」
「それは……?」
ロングヘアーが聞く。ダージリンは、ダージリンティーを一口つけ、
「――勝てない、という
ロングヘアーが、ポニーテールが、ショートヘアがうつむく。
「私も、そろそろ卒業です。センチュリオンを迎え入れたところで、実質的には何の意味も持ちませんわ」
ダージリンティーの表面を見つめる。夕日が溶けたような色を見つめるたびに、心がほっとする。
「ですが、もう、後輩を泣かせたくはありません。優勝という喜びを、勝利という光を、後輩たちに与えたいのです」
そして、目をOGに合わせる。
「私は、新しい伝統を作りたい。優勝という、
音もなく、深呼吸する。
「後輩の喜ぶ顔を見たら、先輩がたは、どんな気持ちを抱きます?」
そんなもの、そんなこと、決まりきっていた――
『交渉は、『無事に』終了しました。たぶん、来年の全国大会は期待しても良いと思います。
私が強く出られたのも、聖グロの全校生徒が力を貸してくれたお陰です。私が勇気を振り絞れたのも、あなたが応援してくれたからです。
あなたには、いくらお礼を口にしても足りません。お返しになっているかどうかは分かりませんが、メールに自分の電話番号を書いておきます。お暇でしたら、どうか相手をしてやってください。
本当に、ありがとうございました。
あなたのダージリンより。』
―――
同日の夜、自分の部屋のドアに鍵をかけ、大分手馴れた手つきで紅茶を温める。学習机の上に砂時計を置き、すぐさまひっくり返して時間調整開始。あとは三分待つだけで、おいしい紅茶が茶山のものとなる予定だ。
茶山は、夜中に電話をかけることはあまりしない。かける用事といえば夜遅くまで食べ歩きを実行する時とか――大体こんな感じの動機であることが多い。
既に、携帯の充電は完了している。このまま長話をしたところで、携帯が息切れすることも無いだろう。喋り過ぎて喉が渇けば、ダージリンティーを飲んで解決だ。
画面には、ダージリンの文字とともに電話番号が表示されている。このままタップすれば、間違いなくダージリンの携帯を震わせるだろう。
本当にいいのかな――
今までは、文字でやりとりをこなしてきた。それはまだいい、文字ならいくらでも誤魔化しが利く。
だが、声となると話は別だ。何かバカなことを抜かしそうな気がする。ただでさえ、交渉の件で上機嫌だというのに。
「よし――」
砂時計の砂が、空になったのを確認する。ポットのカバーを取り外し、カップにダージリンティーを注ぐ。
「いただきます」
あくまで優雅そうに、華麗っぽくダージリンティーを口にする。程よい苦さと染み付く熱さが、体全体を温めてくれた。
ことりと、ソーサーの上にカップを置く。携帯を取り出し、勢いのままで送信ボタンをタップする。
携帯に耳を当てる、コール音が鳴り響く。かからなかったらそれはそれで良い、かかったらどうしよう。
『はい、ダージリンです』
うわあかかっちまった。かれこれ数日ぶりのダージリンの声を聞いて、「あ、えと」とか言ってしまった。
『……? あっ、茶山さん! かけてくれましたのね!』
「えっ、今の声で分かったの? 凄いね」
『一番聞き覚えのある、男性の声ですもの。当然ですわ』
ダージリンが、実に楽しそうな声を発する。
「お、お父さんがかわいそう」
『……最近、会ってませんし……』
だよなあ、と茶山は同意する。学園艦で生活する以上、親と離れ離れになるケースは頻繁に見受けられる。
「……あ、そうだ。ダージリン、おめでとう、やり遂げたんだね」
『――ええ』
ダージリンは、誇らしげに微笑を浮かばせているのだろう。電話越しからもそれが伝わってくる。
「おめでとう、本当におめでとう。ああ、すごく嬉しいなあ、めっちゃ嬉しい」
『私もです。やっぱりみんな、優勝は諦めきれないようで』
それはそうだ。本気でスポーツをやる以上、目指すは優勝と相場で決まっている。
ダージリンティーを飲む。美味い。
「ああ、今日は宴だなー。何をするわけでもないけど」
『それでしたら、明日は、食べ歩きをしてみては?』
「あ、それは控えてるんだ。旅費を稼がなきゃいけないし」
ダージリンが、「あ」と、曇った声を漏らす。
『そんな……遠慮なさらずに』
「いや、気にしなくていいよ。君と会うことが、僕の生きがいだから」
『茶山さん、そんな』
けれど、ダージリンは嬉しそうに言うのだ。茶山は、何となくカップを軽く揺らす。
「君とこうして話が出来るだけで、僕はもう満たされてる」
ここで、間が生じる。
やばい、流石にクサいことを言ってしまっただろうか。そう自覚出来る時点で、そんなものなのだが。
『茶山さん――その、あの』
「あ、はい」
『……これからも、お暇でしたら、お電話をおかけに、なって?』
間。
「あ、いいですよ。何だったら僕の番号も教えましょうか?」
『本当ですのっ?』
とてつもなく喜ばれた。何だかこっ恥ずかしくなって、茶山はニヤケ面でダージリンティーを口にする。
「いいよいいよ。まあバイトの都合上、夜くらいがいいかな」
『はいっ、是非っ』
そうして、今日のところは番号を教えて電話を切った。
――ダージリンティーを一口。
落ち着かない気持ちで飲む紅茶は、最高に美味かった。
―――
ダージリンの秘密を守って、三十七日目。バイトを終え、神社へお礼参りを行ってきた。その時、清々しい気分になったのを覚えている。
――夜中になると、早速とばかりにダージリンから電話がかかってきた。
「はい」
『あ、ダージリンです。今、大丈夫ですか?』
「もちろん」
話題といえば、今日食べたものとか、コーヒーにチャレンジして苦戦した事、バイトの失敗談などなど。特別、盛り上がったりなどはしなかった。
だが、茶山もダージリンも、決してお喋りを絶やすことはなかった。その時はダージリンティーを温めていなかったので、口が寂しかったのだけれど。
『――あ、もうこんな時間。早いですわね』
「そだねえ、そろそろ寝るかなあ」
衝動的に欠伸が出る。ダージリンも、疲れたようにため息をつき、
『えっと、明日は……?』
「あ、大丈夫大丈夫。でもいいの? そんな毎回かけて」
『ご心配には及びません。こう見えて、話題には事欠かないの』
「ああいや、何というのか、その」
『――私、あなたと久々に話せて、とても嬉しいの。気にしないで、ね?』
そうかあと、茶山は安堵する。万が一体調がキツかったら、メールで知らせればいいだけだ。
「分かった。じゃ、おやすみ」
『おやすみなさい』
―――
ダージリンと相席になって、三十九日目。茶山とダージリンは紅茶を飲み合いながら、雑談を楽しんでいた。
『やっぱり、格言を言って感動してくれるのはあなただけですわー』
「オレンジペコさんは賢いなあ」
『確かに、あの子は優秀なのですけれど、それとこれとは話が別よ』
今日は、オレンジペコというチームメイトについて語り合っていた。一年にして次期隊長の素質があるらしく、ダージリンの後継者候補なのだとか。
言うことは聞くし、滅多に驚かないし、マナーもなっていて、実に優等生なのだとか。流石は聖グロ生徒、流石は後継者候補、なのだが、
『はーあ、やっぱり茶山さんがいないと格言が冴えませんわ』
「いやいや、伝えることが大事だよ、そういうのは」
『でも、あんなに淡々とされると、正直寂しいですわ』
優等生であるオレンジペコは、格言の引用元をズバリと当ててしまうらしい。そのせいかあまり驚かれず、ダージリンも時にはめげそうになるのだとか。
他のチームメイトにしても、「意味が分からない」という表情をされたり、「そうなんですか」と流されてしまうとか。戦車隊隊長も、決してラクではないらしかった。
「まあまあ、知らないよりは知ってる方がいいよ」
『まあ、そうなんですけれど』
茶山が、ダージリンティーを口にする。
「僕で良かったら、格言大歓迎だよ。ささ、言って」
『急かさないで。何だか萎えてしまいます』
えへへと、みっともなく苦笑する。今のダージリンときたら、ぶすっとした表情を浮かばせているに違いない。
『もう……あなたはいつだって、そうやって耳を傾けて』
「ダージリンと話がしたいからねえ」
『ええ、それは私も』
間。
『あの』
「うん」
『次は、冬休みに――私から会う、という計画でしたわよね?』
「うん、そうそう」
流石に、今の予算で食べ歩きツアーは懐に厳しい。食う寝るほど、いい加減に金が消耗されるものもない。
『その、あの、それ以前に、早く会えたりは、』
言い切る前に、ダージリンが『あっ』と声を発する。
『ご、ごめんなさいっ。無茶を、言ってしまって』
「いやいや、気にしてないよ」
『本当にごめんなさい……』
「ううん。むしろ、そう言われて僕は嬉しい」
ダージリンが、小さく息を漏らす。火照った体を落ち着かせる為に、茶山はダージリンティーを飲む。
『茶山さんは……いい人ですのね』
「いやいや、普通の男だよ。怒ったりするし、根にも持ったりするし」
『そんな茶山さん、見たことがありませんわ』
「ダージリンの前では、清く正しくいたいからね」
『……そう』
一言だけだった。それも、嬉しそうな声で。
『あ、もうこんな時間――今日も、ありがとう』
「こちらこそ。おやすみ、ダージリン」
―――
ダージリンのファンになって、四十三日目。ダージリンから電話がかかってきたのだが、話題を切り出す前に「あの」とか「えと」とか、どうもしどろもどろだった。
「どうしたんだい?」
『あ、えっと、その……聞きたい、ことが』
「うんうん」
間。
『茶山さんには』
「うん」
『――好きな人は、いますか?』
両肩で、深呼吸する。迷うことなく、
「いるよ」
少しだけ、互いに沈黙した。
『その人は、本土にいますの?』
学習机の上に置いてあった、無糖の缶コーヒーのプルタップを開ける。
「いないね」
一口で、缶コーヒーの半分くらいを飲み干す。うんざりするくらい苦くて、逆にすっきりした。
『そう……やっぱり、そうですわよね』
安堵するような、不安そうな声。
――自分から全てを言うべきか、ダージリンの意志を尊重すべきか。額に缶コーヒーを当てていると、
『ごめんなさい、変な質問をして。ささ、今日は何をお食べになったの?』
「あ、ああ、そうだね。今日はグラタンを――」
―――
ダージリンと意思を疎通して四十四日目、ダージリンから届いたメールによると『今日は用事があって、電話が出来ません。本当にごめんなさい』とのことだ。
察する。
たぶん、ダージリンはきっかけを探しているのだと思う。本心を伝える為の、きっかけを。
何やってるんだ、自分は。女の子に、負担を強いるなんて。
ちらりと、何も入っていないティーカップに目をやる。
決めた。メールを送り、電話の許可を得たら、自分からダージリンへ電話をかけることにする。そして、思い切って告白するんだ。
知り合ってもう四十四日だ。愛して、愛されるには、十分すぎる程の月日が経過したと思う。俗にいう「遂にこの時が来たか」だ。
早速とばかりに、『明日、電話をかけてもいいかな?』とメールを送り――数分後、返信が届いた。
『少しだけ、お時間をください。決して、あなたのことを嫌いになったわけではありません。むしろその反対です、大反対です』
―――
茶山と交友関係を築いて、四十六日目。ダージリンは、食堂でぼうっと昼食をとっていた。
英国風メニューを口にしているものの、味が薄かった気がする。溢れんばかりの感情について、頭がいっぱいだった。
好意が、愛情が、情熱が、プラス的な想いが、ダージリンの中で日に日に膨らんでいっている。それらはダージリンの大切なパーツであって、決して捨てて良いものではない。
嫌悪感なんて、これっぽっちも、ない。
ただ、あと一歩踏み込めないだけ。会えてもいないのに、「ある言葉」を告白してしまうと、心が砕けてしまいそう。
ごめんなさい、勝手な理由で会話を閉ざしてしまって。
どうして、話せば話すほど、自分はあの人の事が好きになっていくのだろう。これも恋か。
―――
ダージリンと戸を開けて、四十九日目が経過した。学習机の上に置いてある携帯が震え、茶山は電光石火の勢いで画面を確認する。友人からの新着メールだった。
まあいいか。友人からのメールを確認し、返信内容を入力していく。
ダージリンは、『あなたのことは嫌いじゃない。むしろ反対、その大反対だ』とメールで伝えてくれた――あれ以来、ダージリンからのメールが少なくなったものだ。
分かる。だいぶ前に、友人に対して謝罪メールを送信したことがあるが――「送信」をタップするのに、めちゃくちゃ勇気を用いた。
文面そのものは、何の感情も伝えはしない。だが、メールを送信するのは人間であって、そこには必ず感情が生じる。それに恋が加われば、メールの送信受信に動揺するのは仕方がないことだ。
ダージリン、僕は不快になんて思ってないよ。むしろ嬉しい気持ちでいっぱいだ。
いつまでも待とう。だって、自分はダージリンのファンなのだから。
―――
茶山と隠し事をして、五十日目。ここのところ、昼休み中は大人しく食堂に居座っていることが多い。
今までの外出は、単なる気分転換でした。これからは聖グロ生徒として、食堂で英国風メニューを楽しませていただきます――こうした基盤作りもあるが、今のダージリンにとって、外食とは食べ歩きと同義だった。
食べ歩きを実行しようとすると、やはりあの人のことを思い出してしまう。相席に座り、話しに付き合ってくれて、格言を褒めてくれる、あの人のことを。
ため息をつく。
午後は、戦車道の授業が行われる。今はこんな気分だが、戦車に乗ると不思議と気分が整えられるのだ。
どうも自分は、戦車乗りに向いているお嬢様らしい。母の血が色濃いのだろう。
―――
茶山を思い出にして、五十三日目。今日も、ダージリンは食堂で英国風メニューを口にしている。
ああ、やっぱり、私はあの人がいないとだめになっちゃったな。
でも、交流をすればするほど、心がきつくなる。
―――
ダージリンの為に生きて、五十四日目。バイトを終え、自室でダージリンティーの香りに浸る。
彼女は、元気にしてるかな。旅費は、順調に稼いでるよ。
―――
茶山と話題を提供しあって、五十七日目。今日も、ダージリンは一人で昼食をかじっている。
聖グロの生徒は、皆淑女である。それ故に表も裏も読み取ろうとするし、誰それの表情を覗って「察する」ことも得意としている。この基本スキルが無ければ、余計なことをしでかして、己が
だから、今のダージリンに近づこうとするような、勇気のある生徒は何処にもいない――別に、現状を嘆いているつもりはない。むしろ、好都合とさえ思える。
――どんな顔してるんだろ、自分。
水を飲む。ここのところ、茶山とは最低限のメールしか返していない。理由は簡単、こっ恥ずかしいからだ。
再会を果たし、告白してしまえば、またくどいくらいメールを送りあう日々が続いていくのだろうか。西住まほにも軽く相談したが、「落ち着くのを待て、しかし想いを忘れるな」とアドバイスされた。
忘れるものか。それが、自分の生きがいだ。
両肩を落とす。前々から恋愛に興味はあったが、これほどまで情熱的になるとは。恋は怪物だと、改めて思う。
「――隊長。同席しても、よろしいですか?」
夢から覚めたように、はっと視線を向ける。トレーを持った、アッサムとルクリリの姿――秘密を目撃した、二人組だった。
「……ええ」
ルクリリとアッサムが、ダージリンの真正面に腰を下ろす。良い顔をしていた。
「どう、したのかしら?」
アッサムは何も言わない、ルクリリが、
「いえ。ここ最近、隊長の元気が薄いかな……と感じまして。それで、少しでも解消できればと思い、失礼ながら声をかけさせていただきました」
声が出ない。
周囲の生徒は、口にはしないものの「何をしてるんだ」という目つきをしていた。
「隊長、よければ話し相手になりますよ。雑談、相談、何でもどうぞ」
ルクリリがはっきりと意思表示し、アッサムがぎこちなくにこりと笑う。
ああ、そうか――心配を、かけさせてしまったらしい。
「ありがとう、アッサム、ルクリリ」
久々に、食堂でにこりと笑えたと思う。
アッサムが、ちらりとルクリリの方を見て、
「隊長、私は何もしていませんよ。ルクリリが、隊長を元気づけたいと提案してきたんです」
ルクリリが、うわ余計なことを言うなと表情に出す。ダージリンが、「まあ」と声を出して、
「そう……優しいのね、あなた」
「いえ、そんな。隊長のことは尊敬していますから、何とかしたいと考えるのは自然というか」
ダージリンが、「いいえ」と首を振るい、
「こんな格言を知ってる?」
ルクリリがまばたきし、アッサムが「またか」と苦笑する。
「勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから――アリストテレスの言葉よ」
水を、少しだけ飲む。
「あなたは、私を励まそうとしてくれた。それにだって勇気が、優しさが必要になるの。ルクリリ、もっと自分を誇って」
ルクリリの頬が、少しだけ赤くなる。小さな声で、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「私からもお礼を言わせて。二人とも、本当にありがとう――楽になったわ」
「それは良かった」
アッサムが、うなぎゼリーを口にする。自然と、ダージリンの手も動く。
「そういえば――ルクリリ、あなたとはあまり話したことがなかったわね」
「そう、ですね」
「よければ、あなたのことを話して欲しいわ。私、あなたに興味が沸いてきたの」
ルクリリが「へ!?」と上ずった声を出す。感情的なタイプなのだろう、それ故に情が深い。
「あ、えーっと、私は普通のお嬢様……ですよ?」
「普通? 結構。良い出会いとは、身分のあるなしで決まるものではないわ」
心の底から、主張した。
「そう、ですかね? あ、あはは……」
「ええ。ルクリリは、普段は何をしているのかしら? 私は格言集を読んだり、色々なものを食べたりしているのだけれど」
アッサムが、「ほう」と目で反応を示す。
「隊長ってグルメだったんですね」
「最近になって、食の楽しさに目覚めたの」
あえて言った。嘘でも何でもないし、思い出だから。
「今度、何かおいしいものを紹介してください」
「私も、興味がありますね」
「もちろんよ」
この二人なら、この二人だからこそ、趣味を共有してもいいやとダージリンは思う。今度、オレンジペコも誘ってみよう。
「これで、私の事は話しました。どうぞ」
ルクリリが、「うわやられた」という顔をする。それがおかしくて、含み笑いをする。
「えーっと、私は、そうですね。紅茶をたしなんでいます」
「目が逸れてますわよ」
「う。――そ、その」
ダージリンが、「話して」と目で促す。
「あー、えーっと、ぷ、プロレス観戦を少々……」
ダージリンが、「ほう」と表情で反応する。もっと話してくれと、笑って命じた。
―――
ダージリンと気が合って、六十日目が経つ。ダージリンからメールが届き、何かなと画面を見た。
『最近、センチュリオンを複数導入しました。とても素晴らしい性能です、これなら優勝も夢ではないでしょう。センチュリオンの戦車長は、オレンジペコに任せようかと考えています』
返信し、ベッドに横たわる。――良かった、本当によかった。聖グロが、一歩前進した。
気分が良くなって、体も温まる。そろそろ寝ようかなとベッドに横になり、
携帯が、震えた。獣のように起き上がり、充電器に差しっぱなしの携帯を引っこ抜く。
『近々、あなたに電話をかけるかもしれません。長い間お待たせして、本当に申し訳ありませんでした。
こんな私に対し、続けてメールを送ってくださったこと、心から感謝しています。もし、あなたに電話をかける時は――必ず、言うべきことを言います。言わせてください。
私と会うために、旅費を稼いでいるあなたのことを、片時も忘れたことはありません。本当にありがとう。
あなたのダージリンより』
快く返信し、携帯を充電器に差す。茶山は、「だいぶ落ち着いてきたんだな」と安堵した。
ダージリンは、高校三年生の少女だ。恋に情熱的な、普通の女の子なのだ。だから、意識した異性に対してぎこちなくなるのも、仕方がないことだ、
茶山は、今の状況も悪くはないと考えている。だって、ダージリンから想われているから、
携帯が震える。最初は誰かからのメールかと思ったが、バイブレーションのループが長い。
電話を受信していることに気付き、茶山は格闘家のように勢い良く起き上がる。充電器から携帯をもぎ取り、画面を見てみれば、
着信:ダージリン
受信ボタンを押そうと考えていたら、とっくの昔に指が動いていた。
すぐさま、携帯を耳に当てる。
「もしもし?」
『も、もしもし! あなたのダージリンです!』
まずい、動揺してる。茶山は「とりあえず落ち着いて」とアドバイスし、ダージリンが深呼吸した。
『す、すみません、夜分遅くに』
「いや、大丈夫だよ。それより、何か用事が?」
『え、ええ、その……あなたに、伝えなければいけないことが、ありまして』
間。
――駄目だ、待つな。言おう、言うべきだ。決めたじゃないか、「告白してやる」と。
「あのっ」
『あのっ』
被った。強制的にクールダウンを強いられる。
「……えーっと」
『……え、ええ』
わかる、分かってしまう。茶山とて二十近い年齢であるから、これからダージリンが何を言おうとしているのか、断言できる。
「だ、ダージリン」
『は、はい』
「じ、実は、僕も伝えたいことがあって。先に言ってもいい?」
『ま、待って! 私から先に言わせて! その方が、うまくいくというか……』
「そ、そう? じゃあ、どうぞ」
沈黙。
まずい、じり貧だ。このまま譲り合ったところで、何だかお茶を濁して終わりそうな気がする。
――自分は先輩だぞ、ダージリンよりも年上なんだぞ。なら、お手本を見せるべきだろうが。溢れんばかりの想いをぶっつけろ。
「ダージリン」
『茶山さん』
被った、
まあいい。
「僕は」
『私は』
――、
「ダージリンのことが、大好きです」
『茶山さんのことを、心から愛してます』
言った。
言われた。
――すっきりした。ベッドに、仰向けになって倒れる。ダージリンも、「はあっ」と大きく息を吐いた。
「……やっと、言えた」
『……私も』
今頃、ダージリンはどんな顔をしているのだろう。今の茶山は、泣きも笑いもせずに、ただただ疲れ果てていた。
「ダージリン」
『はい』
「もっと、ダージリンのことを好きって言いたい。もっと、喜ばれたい」
『そんな、私は十分に満たされました』
「そうかー……」
茶山の頭では、愛してる、大好きくらいしか、言葉が思いつかない。
突き抜けた意見の一つとして、「結婚してくれ」があるが、流石に早すぎると思う。
『茶山さん』
「はい?」
『私は、あなたを待たせてしまいました。なので、ありったけを言わせていただきますわ』
「は、はい?」
止めても無駄だぞとばかりに、ダージリンが大きく呼吸する。
『私は、茶山さん以外を愛さない。男性の事を、男性として見るのは、あなたが最初で最後』
「ま、待って」
排熱しきった感情に、また火が入る。
『私の心を結ぶのは、ダンスでも演奏でも芸術品でも演技でもない。お腹を満たしながらの、交流だけ』
「うわ恥ずかしい、やめて」
しかし、ダージリンは止まらない。聖グロ生徒の自己主張性は、いつだって強い。
『仲間と共に飲む紅茶は、格別の味がしますわ。――あなたと二人きりで食べるものは、全て美味しく頂けるのですが』
「やめてー」
けれど、茶山は半笑いで制止する。ダージリンはおかまいなしだ。
『――茶山さん』
「あ、はい」
『どなたか、婚約者は?』
うわー!
「い、いません」
『それは良かった』
「だ、ダージリン、落ち着いて。まだ若いのだし」
『あと数年もすれば、二十歳を越えますわ』
「まあ、ねえ」
『……それに、ここまで心を通わせておいて、別の女性の方と結婚――考えただけで、悲しくなりますわ』
それは自分も同じだ。ダージリンが他の男と結婚なんて、妄想するだけで不快になる。
だが、現実問題のことも考えなくてはいけない。茶山の両親はともかく、ダージリンの肉親は、良い血を引いているだろうから。
「ま、そうだけどね。でも、ダージリンの両親は……」
『そのことですが――父は、入り婿でして』
ほう、と茶山が興味を抱く。
『母は代々伝わる地主で、父は普通のサラリーマン。いつ知り合ったのかというと、高校時代だったそうな』
「へえ……」
『母は戦車道をたしなんでいまして、公式サイトにも顔写真が掲載されていますの。――テレビから試合を見ていた父が、母の姿に一目惚れして、勢いでファンレターを送ったらしいですわ』
根性あるなあと、茶山は思考する。
『それで、次第に両想いになっていきまして――母がとどめを刺されたのは、全国大会終了後の出来事だったそうな』
「何があったの?」
『……花束を持って、お疲れ様と、迎えに来たそうですわ』
凄いなーと思う。ずるいなーと共感する。
『と、いう流れで、結婚まで行きついたそうな。なので、身分違いの恋に対しては寛容だと思いますわ』
「そうだと、いいね」
ダージリンと結婚か。となると、自分も入り婿になるのか。
苗字を捨てるのは寂しいが、ダージリンと一緒になるにはこれしかないのだろう。いつか、割り切れる日が来る。
『……この話を、八回くらい聞かされましたし』
ああ。
それは、期待出来そうな気がする。
―――
茶山と確かめあって、六十四日が経過した。相変わらず顔を合わせられない日々が続くが、前のもどかしい気持ちはどこにもない。
普通にメールをして、夜に電話をすることもあって、昼休みになったら外食したりしなかったり――元通りの生活になった、というわけだ。
「隊長、練習試合の申し込みが四件ほど来ています。どう対処しますか?」
食堂で英国風メニューを味わっている最中、アッサムから声をかけられた。片手にトレー、今日もうなぎゼリー。
「確かめたいようね、新車の性能を」
「間違いなく」
戦車道履修者とは、例外なく精力的なものだ。これまでに沢山の戦車道履修者と顔を合わせたが、誰もがその目をギラつかせていた。
戦車道を歩む自分のことが好きで、戦車道を学ぶ自分に誇りを抱いていて、これからも戦車道を愛していこうと突き進んでいく――みんな、そんな顔をしていた。
無論、自分も。
「相手は?」
「黒森峰女学園に、サンダース大学付属高校。プラウダ高校に大洗女子学園」
らしいラインナップだった。大洗女子学園も優勝に驕らず、これからも戦車道を極めていくつもりらしい。
ダージリンは、くすりと口元を曲げる。
「では、最初にサンダースを。次にプラウダ高校と試合をし、更に大洗、最後に黒森峰を」
「なるほど」
黙って頷いた。
「では、そのように手配しましょう――同席させていただきます」
アッサムが、静かに腰を下ろす。
―――
ダージリンに想いを寄せて、もう七十一日目だ。先日はサンダースと練習試合を行ったらしく、その話題で持ち切りだった。
『やはり、強い装備は安定力を高めますわね。快勝だったと思います』
「流石聖グロだね」
センチュリオンを複数導入して以来、聖グロは大いに注目を浴びているらしい。来週の休日は、強豪プラウダ高校と試合をするとか。
自分だったら恐れおののきそうだが、戦車道履修者からすれば血沸き肉躍る一場面なのだろう。一生、到達出来ない境地だと思う。
『やはり、オレンジペコは戦車長の素質がありました。あの子に任せておけば、聖グロは安泰ですわね』
「後継者、か。良かったね、そういう人が見つかって」
ダージリンが、誇らしく「ええ」と返事をする。
オレンジペコはダージリンの元から離れ、今はセンチュリオンの戦車長を務めているのだという。
『あの子も、自立していくのね。寂しいような、嬉しいような』
「時の経過を感じるね」
『そうね。そうでなかったら、冬休みにあなたと会うことが出来ないもの』
何だか恥ずかしくなって、ダージリンティーに逃げる。けれどダージリンは、これっぽっちも反動を受けずに、
『待ち遠しいわ、あなたとの再会が』
「僕もだよ」
―――
茶山と会ったあの日から、もう七十四日目。今日「は」大人しく、食堂で昼食をとることにした。
一人で英国風メニューを味わっていたが、すれ違う生徒から「こんにちは」といい笑顔で挨拶された。これで四度目になる。
今の自分の顔は、とてもデキが良いらしい。優雅で、華麗で、聖グロそのものの表情を浮かばせているようだ。味もする。
ふう。
今週末はプラウダ高校と試合をする予定だが、きっと良い勝負が出来るはずだ。戦力もある、やる気もある、これからの予定もある――負ける気がしない。そう思うと、何だか笑えてくる。
「いい表情をしてますね、隊長」
がばっと首を動かすと、くすりと笑うルクリリが近くに居た。ダージリンは、かあっと赤くなる。
「同席、しても構いませんか?」
「ええ」
ルクリリが、ダージリンと向かい合うように腰を下ろす。
あの日以来、ルクリリとは何度か話をした。人の表情をよく見ているらしく、もどかしい気持ちの際にはいつも声をかけてくれる。
――ルクリリには、幾度も助けられた。
「隊長を見ていると、私も元気が出てきます。いいこと、あったんですね」
「ええ。――あなたには、何度も助けられたわね。改めて、お礼を言わせてちょうだい」
「そんな。私はただ、隊長への恩返しがしたくて」
ダージリンが、にこりと笑う。
「聖グロにふさわしい、美しい精神ですわ。ルクリリ、もっと自信を持って」
「ありがとうございます」
ルクリリが、子供のように照れ笑いを浮かばせる。
「それに――私は、あなたのことを頼れる友人だと思っていますのよ」
「え、本当ですか?」
ダージリンが、こくりと頷く。これを伝えるのに、正直少しばかり恥ずかしかった。
ルクリリといえば、あわあわと口を変形させている。何とかして水を飲むが、顔は未だ赤いままだ。
「こ、光栄ですっ、嬉しいですっ」
「そうかしこまらないで。同級生でしょう?」
「そ、そうですけどぉ」
「――こんな格言を知ってる?」
ルクリリが、「え?」と目を丸める。
「友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である」
ルクリリが、静かに吐息する。
「アウグスト・フォン・コッツェブー、ドイツの劇作家の言葉ですわ」
今、とても笑えていると思う。
「あなたとは、これからも交流を続けていきたいですわ」
ルクリリが自信なさげに、少しだけうつむき――けれど、すぐにダージリンと目を合わせる。
無言で、手を差し出してきた。
ダージリンは、かたくその手を握りしめた。
―――
ダージリンが茶山の声を覚えて七十七日目、プラウダ高校との試合が無事に終了した。結果は――勝利。
生徒同士でお礼を交わし、撤収作業を終えて、聖グロの連絡船へ乗り込む。あとは、待ちに待ったティータイムだ。
「流石よ、オレンジペコ。あなたは、立派に戦車長を務めている」
オレンジペコが、頭を下げる。連絡船だろうが、白いテーブルと、格調高い椅子と、赤いカーペットは完備されている。
海を背景に味わう紅茶は、もしかすると紅茶の園以上のものかもしれない。
「ダージリン様と比べれば、まだまだ」
「大丈夫。あなたには素質が、冷静さが、責任感がある。実際、誰も異論は唱えなかったでしょう?」
オレンジペコは一年生だ。だが、実力主義の聖グロにとっては、年齢などさして問題ではない。
他校よりプライドの高い聖グロ生徒から、「次期隊長に相応しい」と評価されているのだ。一年にして紅茶の名前を戴いている点が、聖グロにとっては何よりの根拠だった。
「この調子だと、私を超えてしまいそうね」
「そんな……言い過ぎですよ」
ダージリンが、紅茶を口にしながらくすりと笑う。ルクリリもアッサムも、オレンジペコににこりと。
「……頑張ります」
「ええ。来年は、聖グロを優勝に導いてね」
オレンジペコが、「はい」と返事をする。はっきりとした声だった。
――周囲を一瞥する。
文明に遮られていない夕暮れが、ダージリンの両目を、身を、心を迎え入れている。きっと何処までも届く海が、ダージリンの瞳を照らしていた。
息をつく、ダージリンティーを見つめる。
夕日に溶けた紅茶は、とても輝いている。いつか、あの人とこの紅茶を飲もう。
―――
茶山がダージリンと向き合って、八十五日目。互いにダージリンティーを味わいながら、先日行われたらしい、大洗女子学園との練習試合について話の花を咲かせていた。
「そうか、大洗負けちゃったか」
『あ、その、あの』
「あっ、ごめん、そういう意味じゃないよ。今は聖グロ派だけれど、思い出の土地だからさ」
ダージリンが「なるほど」と、安心するように同意する。言ったことに嘘偽りはないが、やはりOBとしてはどこか寂しい。
『茶山さんの気持ち、わかります』
「ありがとう。何だかんだいって、大洗学園艦では色々あったからさ」
親元から離れ、慣れない気持ちが生じたこともあった。次第に友達が出来て、時にはケンカをして、授業中に眠りそうになって、体育祭で足を引っ張って、文化祭で店番をして、暇さえあれば食べ歩きをしていた気がする。
だから、廃艦騒ぎになった時は「はあ?」と思ったものだ。またしても廃艦が決定された時は「はああ?」と思考したものだ。
――ダージリンティーを飲む。
「まあ、過去は過去ってことで。僕は、聖グロを全面支持するよ」
『ありがとうございます』
自分の気持ちに、異論は無い。
「そうだ。最近の聖グロ、凄いみたいだね。公式ページも賑やかなことになってるよ」
『ええ。センチュリオンはもちろんのこと、皆が頑張ってくれた結果ですわ』
いつも優雅に、華麗に魅せる聖グロ戦車道公式サイトだが、トップページに「連戦連勝中。センチュリオンという新たな伝統の幕開け」と書かれたテキストが、センチュリオンの画像とともにでかでかと表示されている。
これを見た瞬間、茶山は大人げなく喜んだものだ。ダージリンが新たな伝統を築き上げ、聖グロに光を射しこませたのだから――その晩、いくつかのスイーツを買い、財布を軽くしたことは、ダージリンには黙っている。
「本当、良かった、本当に良かった……」
『茶山さん』
「あ、ごめんね。もうすごく嬉しくてさ、あーあ……」
茶山が途方にくれる中、ダージリンが含み笑いをこぼした。たぶん、同じ感情を共有しているのだと思う。
『茶山さん。私は、これまで十八年間生きてきました。その分だけ、冬休みも体験しましたわ』
学習机に肘をつきながら、茶山はぼんやりとした表情で耳を傾けている。
『けれど、今年になって――冬休みが、とても待ち遠しい』
ダージリンが、優しく呟いた。
『必ず本土へ向かいます。お金のことなら心配なさらないで、お嬢様ですから』
おどけるように、ダージリンが笑う。
『ですから、その……たくさん、食べ歩きをしましょう。相席に座って、色々なものを食べましょう』
「もちろん」
『――今なら、あなたへの想いを少し留められます。冬休みまであと少し、それまでは淑女らしく生き抜いてみせますわ』
「わかった」
『今週末は、宿敵、黒森峰女学園との練習試合が開催されます。これが最後の壁となるでしょう』
黒森峰女学園は、問答無用の強豪校だ。それこそ、聖グロの優勝を何度も阻む程の。
――勝てたら、自分はみっともなく喜ぶに違いない。練習試合といえども、勝利は勝利なのだから。
「応援するよ」
『ありがとうございます』
「――お金があったら、現地で応援したいんだけれどね」
ダージリンが「いえ」と、遠慮がちに、
『そんな、無理をなさらないで。そのお金は、後にとっておきましょう』
「うん、ごめんね」
『……それに、』
ダージリンが、ぐっと堪える様に声を溜める。茶山が、促すように「うん?」と応えた。
『今、あなたと出会ってしまったら――心の準備も出来ていない私は、涙を流してしまうでしょう』
――。
「僕は、その、そんなに……」
『言ったでしょう? あなたは、私の……私だけの、王子様ですわ』
そうか、王子様か。
そうか。
「ありがとう、うん。――ああ、そろそろ時間だね、寝ようか」
『うん』
「おやすみ、ダージリン」
『おやすみなさい』
電話が切れる。
すぐさま、聖グロ戦車道公式サイトへアクセスする。お目当ては、ダージリンのプロフィールページだ。
確か、そこには「好きな花」という項目があったはずだ。今までは「へえ」としか思っていなかったから、記憶は定かではないが――前言撤回、自分は記憶力が良いらしい。
ダージリンの好きな花は、知識として確保した。
次にやるべきことといえば――茶山は、駆け足で一階まで降りる。ソファに座りながら本を読んでいた父が、何事かと茶山を注視した。
「父さん、その、いきなりで悪いんだけれど――ごめんッ! お金、貸してくれないかなッ!? 事情は話すから!」
今度は、自分が恋を抑えきれなくなってしまったようだ。
―――
九十一日目、土曜日。黒森峰学園艦。
選手宣誓を行い、黒森峰女学園との練習試合が開催される。黒森峰との付き合いも長くなるが、勝てた試しは――皆無だ。
だから、チームメイトの表情は堅い。正直なところ、ダージリンも不安が拭え切れない。後輩達を、聖グロを導こうとしているのに。
センチュリオンがあるのに、センチュリオンがあったところで――
どうしても、黒森峰は強い。これだけを揃えておいて、黒森峰に勝てるのだろうか。
ため息をつく、ダージリンティーを一口飲む。
まあいい、やってみなければわからない。ダージリンが、チャーチルへ歩んでいき、
「……ダージリン様」
馴染んだ声に呼び止められる。ゆっくりと振り向けば、そこにはやっぱりオレンジペコがいた。
「自信、無いみたいですね」
「……ええ」
連戦連勝を重ねてきたからこそ、今回も勝てるかどうか、不安を抱く。
負の伝統なんて、ここで終わりにしたいというのに。私たちは勝てるのだと、新たな伝統を築き上げたいというのに。
「ダージリン様」
「何?」
「――私は、今になって、ダージリン様の素晴らしさに気付けました」
「え」
恐ろしいまでの晴天とともに、風が吹き、草むらが揺れる。遥か向こう側に、黒森峰学園艦の旧市街がおぼろげに見えた。
あそこが、戦場だ。
「皆をまとめあげる優雅さ、決して弱音を見せない華麗さ、戦車道に対する力強さ。それら全てを、ダージリン様は備えていました」
オレンジペコが、言葉を綴っていく。自分と違って、どこか余裕そうに微笑みながら。
「私は、私なりに、ダージリン様の姿を見届けてきたつもりです。次期隊長になれるよう、聖グロの戦車道を学んできたつもりです」
ダージリンから、言葉が出ない。
「自信を持って、今、ここに誓います。私は、ダージリン様の後継者となりましょう」
オレンジペコの瞳に、ダージリンが射抜かれた。
「ダージリン様の紅茶が温まらないのであれば、私がこの場を指示します。私は――黒森峰女学園に、絶対勝ちたい」
……。
……そっか。
「こんな格言を知ってる?」
オレンジペコが、戸惑うようにまばたきをする。
――しかし、
「生命のあるかぎり、希望はあるものだ」
オレンジペコは、
「スペインの小説家、セルバンテスの言葉ですね」
格言に対し、あっさりと引用元を答えてしまうのだ。笑いながら。
「――ありがとう、オレンジペコ。あなたこそ、私の後輩よ」
「はい」
誇り高く笑う。この、黒森峰学園艦で。
「さあ、黒森峰と試合をしてきましょう。紅茶が冷めてしまいますわ」
緑色のベレー帽を、被った。
―――
「ありがとうございましたッ!」
聖グロリアーナ女学院の生徒と、黒森峰女学園の生徒が、共に頭を下げる。試合は、あっという間に終わったと思う。
黒森峰の面々は、「信じられない」というような顔つきをしている。けれど、「次は勝つ」という眼光も伝わってきた。
両肩で、深呼吸をする。
――勝ったんだ。
「ダージリン」
まほが歩み寄る。今、自分はどんな顔をしているんだろう。
「おめでとう。今の聖グロは、とてつもないな」
まほが、手を差し伸べてくる。
「ええ、鍛えましたもの」
当たり前だとばかりに微笑み、まほと握手をする。後でティーセットを送らないと。
「……変わっていくんだな、聖グロも」
ダージリンが、こくりと頷く。
「私の役目は、全て果たしました。後のことは、後輩に託すつもりです」
「そうか。――いい顔を、してるな」
「そう?」
見せつけるように、笑ってやった。
まほも、つられるように微笑する。
「今度は負けないからな。まあ、機会があればだが」
「ええ、こんな時期ですものね。寂しいものですわ」
ふう、とため息をつく。
だが、戦車道で培われた縁は、絆は、友情は、絶対に途絶えることは無い。
「ま、これも人生だな。……そうだ。茶山さんとはどうだ?」
「良好」
「そうか」
そうして、まほが立ち去っていく。
――さて、お待ちかねのティータイムに参加しなくては。
チームメイトの元へ戻り、ダージリンは感謝の言葉を述べた。建前は隊長らしく、格調高く。本音は、嬉しさを溢れさせて。
そんなダージリンに対し、チームメイトが「後はお任せください」と、凛々しく返事をした――オレンジペコは泣きそうになって、ローズヒップは笑顔になって、アッサムはほっとして、ルクリリは胸に手を当てて。
「さあ、連絡船へ戻りましょう。ティータイムの始まりですわ」
撤収作業が終了したのを確認し、ダージリンはいつもの足取りで連絡船へ、
「隊長」
真正面に居たアッサムが、どこか嬉しそうな表情でダージリンに寄ってくる。その一声をきっかけに、聖グロの生徒が「ある個所」へ視線を殺到させていた。
「どうしましたの?」
「――あなたの知り合いが、祝いに来たみたいですよ」
「え?」
アッサムが、ダージリンの背後を指さす。
「青いバラの花束を持った、男性の方です」
ゆっくりと、恐る恐る、そんなはずがないと、そういえば父は、振り向く。
「……なるほど」
ため息をつく。
「ファンの方、みたいですわね」
アッサムが、「そうですね」と同意する。オレンジペコは、首をかしげている。
「隊長」
ルクリリが、ダージリンに声をかける。全てを察しているかのように、全部分かっていたかのように、実に良い笑顔を浮かばせていた。
「いってらっしゃいませ」
――小さく頷く。
ダージリンは淑女だ。だから、優雅な足取りで男に近づいていく。
ダージリンは淑女だ。だから、華麗な顔つきで男に近づいていく。
ダージリンは淑女だ。だから、誇らしい笑みで男に近づいていく。
けれど、でも、私は女の子だから、あの人の元へ駆けつけていく。
「――茶山さん!」
八十四日の歳月をかけて、ようやく、ようやく、たどり着きたい場所へ到達できた。
茶山が、恥ずかしそうに顔を赤らめる。小さく頭を下げつつ、青いバラの花束をダージリンに手渡した。
「ああ、これって……」
「サイトで調べたんだ。好きなんだよね、この花」
「うん……!」
花束を、愛おしそうに抱く。そっと、頬に当てる。
「……その、どうして」
「まあ、その、大事な瞬間を見届けたかった、というのもあるんだけど、」
茶山が、頭の後ろに手を当てて苦笑する。
「――王子様らしいから、お姫様を迎えたくなって、ね」
「……もうッ!」
でも、ダージリンの笑顔は止まらない。現実の、茶山の顔を見て、想いが留まらない。
「ばか……お金は、どうしたんですの?」
「ああ、親がスポンサーになってくれたんだ」
「え、親?」
茶山が、「うん」と首を振るい、
「親にさ、その、『とある学園艦で彼女が出来たんだけれど、その人と会いたくなった。だからお金を貸してほしい、何でもする』って話したんだ」
茶山が、苦笑した。
「そしたら父さんったら、『なんでそんな大切なことを、もっと早く言わなかった!』とか、怒りながら笑って言ってさ。母さんも『ついに春が来たのね!』とか喜んじゃって、快く旅費を貸してくれたんだ。条件付きで」
「条件……?」
茶山が、面倒くさそうに「あー」と前置きし、
「……彼女の顔を、親に見せろって」
間。
目の前が、何だかぼやけてきた。
「そう、そうよね。ご両親に、ご挨拶をしなければいけませんものね」
「そういうことに、なるのかな?」
ダージリンが、こくりと頷いた。
「ごめんね、その、先走ってしまって」
「ううん、いいの。私も、こうなることを願ってた」
「……年上なのに我慢できないなんて、ね」
「いいの、いいのよ」
お陰で、茶山と早く再会することが出来た。奇跡の花を、抱くことが出来た。
「……茶山さん。この花束を」
けれど、今だけは、花束を茶山に預けよう。ダージリンは、茶山の左手にそっと花束を返す。
目をまばたきさせながら、茶山が花束を受け取る。そんな茶山に対し、ダージリンはくすりと微笑み、
――その場で、髪をといた。
「あ……」
茶山の、声にならない声。
この瞬間、ダージリンは「あの頃」へ戻った。茶山と街並みを歩き、出店で食べ歩きし、大道芸人を眺め、百貨店に寄って、一緒にダージリンティーを味わい、おそろいのティーセットをプレゼントした、あの頃のダージリンに――
「茶山さん」
どうして、花束を茶山の左手だけに返したのか。
だって、
「……大好きです! 愛してますわ!」
――私が、抱きしめられないじゃない!
背後で、歓声が絶えず響き渡る。聖グロの生徒は、みんな恋に情熱的なのだ。
――こうして、秘密はあっさりと公になってしまった。質問攻めは確定だろう。まあいい、なるべく茶山のことを守るとしよう。
それよりも、今は、
私はずっとずっと、彼のことを抱きしめ続ける。愛の言葉を捧げていく。王子様に縋って、何が悪い。
そして――彼も、私のことを強く抱きしめた。髪を撫でてくれた。目が、心が、肌が、血が、熱さに満たされていく。
「こんな格言を、知ってる?」
「なんだい?」
「友情と愛に恵まれれば、それ以上の幸せなんて考えなくてもいい」
「……誰の言葉なんです?」
ダージリンは、いたずらっぽく笑い、
「今、考えましたわ」
―――
茶山としては花束を渡せただけで十分だったが、聖グロの生徒達が「私たちの連絡船で、本土まで送りますよ」と提案してくれた。
聖グロリアーナ女学院は女子高であるから、それはまずいと思って「自力で帰りますので……」と逃げようとしたところ、ダージリンが「もう、帰ってしまいますの? ここでお別れ?」と、泣きそうな顔を浮かばせた。
それに共感したのだろう。聖グロの生徒一同は、
「隊長を泣かせるとは。聖グロを敵に回すおつもりで?」
命が惜しかったので、大人しく聖グロの連絡船へ乗ることにした。その時、ダージリンが「てへ」と微笑を浮かばせていたことは、絶対に忘れない。
聖グロリアーナ女学院は、女子高である。それ故に大半は女子生徒で構成されていて、そこに男の入る余地はない。
しかも、聖グロは由緒正しきお嬢様学校である。自他ともに認める「華麗で優雅な世界」であり、それ故にただでは生き残れない。誇り高くなければ、それを自覚していなければ、皆からそう評価されなければ、あの世界ではひと際輝けないだろう。聖グロにも、確かにヒエラルキーは存在する。
聖グロにおいて重要視されるは、言葉遣い、作法、プライド、存在感、行動力――恐らくは、これ以上に求められるものもあるのだろう。聞くだけで、茶山の腹が痛くなる。
だから、茶山は「自力で帰ります」なんて逃げようとしたのだ。しかし一般庶民が、貴族から逃げられるはずもない――ティータイムに参加する権利を、与えられた。
「隊長、やっぱり彼氏を作ってたんですね」
やるねえと、おさげの女性が笑う。髪型を整えたダージリンは、黙ってダージリンティーを飲んでいるものの――眉がぴくりと動いていたことは、見逃さない。
今現在、茶山は白いラウンドテーブルの一席に腰を下ろしている。他に同席するは「上」の聖グロ生徒であり、勿論全員女性だ。まずこの時点で死にそうになる。
テーブルの上には数々のスイーツが、ポットが、ティーカップが用意されている。邪魔にならないような位置に、青いバラが差し込まれた花瓶が置かれてあった。
優雅過ぎて、とてつもなく恥ずかしい。
「別に、探っていたわけではありませんよ。『カン』です」
「アッサムらしくない発言ですこと」
オレンジ色の髪をした女性が、申し訳なさそうに真っ赤になりながら、
「そ、その、恋愛って、どんな感じですか? 隊長……?」
「そうね。良くも悪くも、人を変えてしまうわ」
「なるほど……」
「オレンジペコも、恋愛に興味がおあり?」
「あ、はい。そうですね」
ダージリンが、優しく微笑する。
「出会いに恵まれたら、絶対に手離さないこと。これが、鉄則よ」
「はい」
どうやら、この女性がオレンジペコらしい。次期隊長候補とのことだが、おどおどと紅茶を飲んでいる。
「彼氏、彼氏さんですか。うーん」
「ローズヒップは、どういう人が好きなの?」
おさげの女性が、ローズヒップという赤髪の女性に質問する。ローズヒップは「う~ん」と唸り、
「わかりませんわね。まあ、きっと、『そういう人』と会うと思いますわ」
「お、ロマンチック」
おさげの女性が、感心するように口元を曲げる。ダージリンも同調したのか、「なるほど」とコメントした。
「……あの」
オールバックの女性――アッサムというらしい。アッサムが、黙って茶をすする茶山に声をかけてきた。
場違い的な緊張を抱いていた茶山は、「はい!」と大声を出してしまう。視線が集中する。
「その、どうか遠慮なさらずに。お話をしてもかまいませんよ」
「……いやあ、僕はその、一般庶民ですし」
ダージリンが、首を振って否定する。
「いつものように、活発的に話しかけてくださいな。緊張してしまうお気持ちは分かりますが、あなたは受け入れられているのですし」
「そ、そう? だって部外者だしなあ……」
おさげの女性が、「へえ」と声を漏らし、
「隊長とは、砕けた口調で話すんですね」
「え、まあ、色々ありまして……」
「い、いろいろっ? 何があったんですかっ」
オレンジペコが、実に興味深く質問する。ダージリンも照れが入ったのか、顔を赤らめつつダージリンティーを口にした。
「まあ、食べ歩きをしてって、それで交流を深めていって、ね」
「あー」
おさげの女性が、何かに納得したように「そうかそうか」と言葉を漏らす。ダージリンが、「うう」と唸る。
「時折、昼休みに姿を消す理由は――それでしたか」
バレていたらしい。しかし、秘密なんてものは隠し通せないものだ。
「よ、良くない?」
「いいえ」
アッサムが、にたりと笑う。あれは絶対、「やるじゃん」と言ってる目つきだ。
「姫君が、隠れて市民と会う……憧れちゃうなあ」
おさげの女性が、いいなあいいなあと目を輝かせる。スコーンも食べる。
「……本当、出会いというものは、わかりませんわね」
「だよね」
思い返すと、本当に変わった出会い方をしたと思う。食を通じての出会いは、もしかしたらありがちかもしれないが――聖グロというお嬢様学園艦で、よりにもよってダージリンと牛丼屋で遭遇したのだ。
牛丼屋。これだけで、底知れぬ安定感を覚える。
「本当、あなたと出会えて、良かった」
「僕もだよ」
強くそう思う。ありのままに返事をして、本能のままに笑って、
アッサムに、オレンジペコに、ローズヒップに、おさげの女性に、にんまりと注目された。
めちゃくちゃ恥ずかしくなって、ダージリンティーに逃げる。
が、
「飲んでるの、ダージリンティーなんですね。へえ、そこまで……」
逃げ場なんてなかった。おさげの女性が、感心するように笑っている。
ダージリンが「あ?」と目を向けるが、おさげの女性は気にしていない様子で、
「愛されてますね、隊長」
「ッ……当然ですわっ」
ダージリンも、ダージリンティーに逃げる。
――それにしても。
周囲を見る。このテーブルを中心に、直立しながら紅茶を飲む聖グロの生徒もいるが――本当に、上下関係が厳しい学校なのだと痛感させられる。
目が合う、生徒が小さく頭を下げる。
この椅子に、野郎である自分が座っていいものかと。本当は、聖グロの生徒が腰を下ろすべきなのではないのかと、今更思う。
ダージリンが沈黙する、茶山もダンマリを決めてしまう。
「……あ、えっと、お名前はなんていうんでしたっけ?」
声をかけられ、動揺丸出しでおさげの女性を注視する。
「茶山、です。好きに呼んでください――あなたの名前は?」
「ルクリリです、これからもよろしくお願いしますね」
ルクリリと茶山が、頭を下げて挨拶する。
「――まあ、ここは女性しかいませんからね、戸惑うのも仕方がないというか」
ルクリリが、茶山に対して同情するように苦笑し、
「でも、あなたは立派な『ゲスト』です。それも、隊長直々の」
あ、そうか。
何も自分は、非合法的な手段を用いてここに居るわけではない。ダージリンという「頂点」の特権で、この席に腰を下ろせているのだ。
「そう考えると、少しだけ楽になりませんか? いいんですよ、自分の話をしても」
そうなのかなあ、と考える。語れる話題といえば、
「茶山さんは、食事にとても詳しいのよ」
ダージリンが、カップをソーサーの上に置く。それを聞いて一同が興味を抱いたのか、一斉に茶山へ注目し、話してくれと目を光らせている。
「そ、それほどでもないですけど」
「遠慮なさらず」
アッサムが、小さく頭を下げる。
ダージリンの助け船を無駄には出来ない。ここは覚悟を決めて、食べ歩きに関する経験談を話し始めた。
「カレーライス、いいですね……今度、食べてみましょう」
オレンジペコが、嬉しそうな顔で今後の予定を立てる。ローズヒップも「いくら丼……いいですわね」と共感してくれたし、ルクリリに至っては「お腹空いた」とコメントしてくれた。
「ふむ、たまには色々なものも食べてみようかな。餃子か……」
アッサムも、お気に召した食べ物を見い出せたらしい。茶山は、よかったよかったと安堵する。
話題を提供出来たのもそうだが、食べ歩きに共感してくれることが本当に嬉しい。同調とは、それだけで人生を豊かにしてくれる。
「何でも知っているんですね、茶山さんは」
オレンジペコが、デジャブを感じる言葉を呟く。茶山は「いやいや」と手を振るい、
「食べることが好きなだけだよ」
「いえ、興味深く拝聴させていただきました。本当に、食事を愛しているのですね」
アッサムが、スコーンを口にする。
「これしか知らないけどね」
「――こんな格言を知ってる?」
アッサムが「はあ」とため息をつき、オレンジペコが「あ」とダージリンに目を向け、ローズヒップが「うん?」と声を漏らし、ルクリリが目だけで応え、
「……そ、そんなに見つめないでくださる」
茶山は、目で顔で姿勢で、ダージリンの格言を待ち望んでいた。
ああ、帰ってきた。間違いなく自分は、ダージリンの元へ帰ってこられた。
「……なるほど」
アッサムが、納得したように頷く。
「な、何が?」
「隊長が茶山さんに対し、夢中になるのも仕方がないな、と」
ダージリンの顔色が瞬間沸騰する、茶山も目を泳がせる。この場にいる全員が、「なるほどねー」と、声に出さずに頷いていた。
「……とにかく」
ダージリンが、ふん、と鼻息をつく。
「人間の真の性格は、彼の娯楽によって知られる」
久々の格言を前にして、茶山は沈黙する。
ダージリンは、ちらりとオレンジペコに視線を向け――特に、反応は無い。
「どんな食べ物に対しても、敬意を払い、楽しく味わうことが出来る。そんなあなたの人柄が、私は大好きなの」
最初だけは、何も答えることが出来なかった。
けれど、ダージリンから「大好き」と言われれば、感情だって熱くなるし口だって動く。
「ありがとう、ダージリン。その言葉は、誰が?」
「ジョシュア・レノルズ、イギリスの画家の言葉よ」
「……何でも知ってるね、ダージリンは」
ダージリンが、嬉しそうに微笑む。
格言を聞けた、今日は大満足だ。
「オレンジペコ」
「はい」
ダージリンが、小さくウインクする。オレンジペコが、くすりと頭を下げた。
――ああ、そういえば。オレンジペコは、「優等生」だったっけ。
「ありがとうございます」
オレンジペコに礼をする。オレンジペコは、「こちらこそ」と返してくれた。
気付けば、紅茶もスイーツも全て無くなってしまった。食べ物の話をしたからだろう、みんな手が早かった。
さて。
茶山は、手を合わせる。ダージリンも、「ああ」と同じ格好をした。一同は「?」と疑問視していたが――心で察したのだろう。同じく、両手を一つにし、
「ごちそうさまでした」
楽しい時間というものは、いつだって速く通り過ぎていく。それは海の上でも変わらない。
あと数分で、本土だ。
悔いなんてない。心も腹も満たされた、ダージリンを抱きしめることも出来た。ルクリリから「何かの縁ということで」と言われ、アドレス交換もした――連鎖的に、アッサム、ローズヒップ、オレンジペコのアドレスも手に入れてしまった。丁重に扱わないといけない。
「――あ、到着したみたいですわね」
「早いな」
ダージリンが、「ええ」と同意する。
空が、哀しいほど赤い。寒くなってきたのか、空気を吸うたびに腹の中が冷たくなる。前までは暑苦しかったはずの本土が、今となっては寂しげに冷えていた。
「じゃあ、そろそろ降りるよ。ありがとう、送ってくれて」
「いえ。隊員たちも、みんなお腹を空かせたようですし」
二人きりで、くっくと笑う。
「あ、そうだ……言い忘れてたよ」
「え?」
穏やかに笑ってみせる。
「僕も、ダージリンのことを愛してる。ずっと、これからも」
顔を合わせておいて、肝心なことを言えていなかった。
馬鹿だなあと、軽く自虐する。
「……そう」
ダージリンの目が、海のように輝いた。
「茶山さん」
「何だい?」
ダージリンが、茶山に歩み寄っていく。顔と顔が近づき、茶山が「あ」と察した時にはもう――
こうして、茶山の旅行が無事に終了した。これからも人生は続いていくが、きっと、幸せがなくなるなんてことは、ない。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
本当は前後に分ける予定だったのですが、「月日の流れ」を演出する都合上、スムーズに読めないと読者にストレスがかかってしまうのでは? と考えました。
なので、今回は少し長くなってしまいました。申し訳ありません。
書き終えて、正直なところ「これ大丈夫なのかな」と思いました。
ですが、やりたいことを、こうなって欲しいことを、全て書いたつもりです。
次は、たぶん軽い話になると思います。「3007日間」が過ぎるまで、見守ってくだされば嬉しいです。
何度か推敲はしましたが、失敗している個所があるかもしれません。その時は、遠慮なくご指摘ください。
感想、いつでもお待ちしています。