3007日間   作:まなぶおじさん

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 五日目の夜が訪れた。
 自分の部屋のドアに鍵をかけ、呼吸をする感覚で紅茶を温める。テーブルの上に砂時計を置き、すぐさまひっくり返して時間調整開始。あとは三分待つだけで、おいしい紅茶がダージリンのものとなる予定だ。
 ダージリンは、夜中に電話をかけることはあまりしない。かける用事といえば何らかの計画を立てる為だとか、陰謀を成す為だとか、全体を見据えての動機であることが多い。先月も、そんな理由で真夜中に携帯を働かせたものだ。

 やりたいことがあれば、それをやる。それがダージリンの人生だったが――今回は、携帯に映っている「西住まほ」の文字を前にして、指が止まっている。
 電話番号自体は、GI6という、情報担当処理班からのツテで入手してきたというキナ臭い流れがある。最初に電話をかけた際は「なぜこの番号を?」と聞かれたものだが、さらっと「大洗を救う為に」と口にすれば、「それで?」と話が通った。
 それ以降、まほや他校のリーダーと、電話を通してお喋りに興じることもある。

 なので、別に「まほと初めて話をするから」緊張しているわけではない。
 単に、「自分の気持ちがよく分からない(と思う)、客観的に判断して欲しい」という乙女チックな理由により、次の行動が移せないだけだ。
 かけなければ後悔する、けれど恥ずかしい。そんなことを繰り返して何分経過したのだろう、気が付けば砂時計は役目を終えていて、少し慌てた感じでポットのカバーを外した。
 床に腰かけ、静かに、カップへ紅茶を淹れる。気を落ち着かせる為に、あくまで淑女らしく一口つけ――

 よし。

 ダージリンは、もうどうにでもなれと、全くもって淑女らしくない勢いに乗って、まほに電話をかけた。
 かかれば話すしかない、かからなければそれはそれで構わない。未だ及び腰だった。

『はい、西住です』

 かかったか。
 観念したように、ダージリンは一息つく。

「今晩は、ダージリンよ。ごめんなさい、こんなお時間に」
『いや、構わない。何かあったのか?』

 あった。物凄く個人的な理由だが、間違いなくあった。

「えっと、その……個人的な、理由なのですけれど」
『ほう、何か悩みでも? 私でよければ、力を貸せるかもしれない』

 なんて気前の良い人なんだろう、と思う。
 まほを相談相手に選んだのも、何事も真面目で、堅実で、好敵手だからだ。

「ありがとう。えっと、ね」
『珍しいな、お前が何かに躊躇うなんて』

 当たり前だ。いくらダージリンとて、初体験を前にすれば慎重にもなるし緊張だってする。それは勉強にしろ、スポーツにしろ、戦車道にしろ、同じことだ。
 ――今回は特に、そうだ。

「……そうね。気づいてはいるのだけれど、違うかもしれない、というか……」
『曖昧だな』
「――言うわ」

 まず、これまで五日間の出来事を、電話越しから西住まほに伝えた。
 最初は普通に飲み食いして、そこから友情を育んで、いつしか「幸せになって欲しい」と言われて、そこから彼への憧れが強くなって、別れたくなくなって。
 それで「大学で彼女を作る気は無い」と宣言された時、なぜかどうしようもなく嬉しくなって――

「ねえまほ、この気持ちは何なの。分かる気がするけど、怖いの」

『え、恋だろ』

 あっさり結論付けられた。

「は、早い……どうしてわかるの?」
『あのな、私はもう高校三年だぞ。男が関わって、それに伴ってもどかしい気持ちになる――そんなの、恋以外になんだっていうんだ』

 知ってて当たり前のように指摘された。「やっぱり」と認めはするものの、こうもあっさり答えられては、何だか否定してみたくもなる。

「五日間で、恋に落ちるものかしら」
『否定はできまい。何の為に、一目惚れって言葉があると思う』
「一目惚れ……はしませんでしたけれど」
『じゃあ五日惚れかな』

 なんだそれ。ダージリンは、渋そうな表情で紅茶を飲む。

『でもまあ、恋愛なんてキッカケありきだからな。嫌いじゃないんだろう? その、茶山さんって人のことが』
「ええ、まあ……」
『で、憧れの気持ちがあるんだろう? じゃあ、惚れている可能性は否定できまい』

 そういうものだろうか。
 そういうものなのかも。

「あ、あくまで、可能性の話でしょ? 友人として好きなのかも」
『少し意地悪なことを言うが、茶山さんに、他に彼女が出来たとし、』
「あの人はそれを否定しましたわ!」

 夜九時に、ダージリンは怒鳴り声を発した。マナーに人一倍気を遣うはずの、ダージリンが。
 一瞬にして冷静になって、一瞬にして「しまった」と思考する。

『そういうことだ。おめでとう、心から祝福しよう』
「くっ……あ、あなた、どうしてそうスマートに話を進められるの? 恋愛経験者だとでも?」

 まほは、なんでもない調子で「ああ」と言い、

『そうだが?』

 そうだが。

「え、ええっ」
『まあ、色々な縁があってな』

 軽く流されたが、まほも高校三年生を満喫しているらしかった。
 ダージリンの顔が真っ赤になる。経験者を前にして「この気持ちは何なの?」なんて、そんなのすぐに見破られるに決まってる。

『とにかく、それは紛れもない恋であり嫉妬だ。無かったことにするか、このまま歩むか、お前が決めろ』

 額に手を当てる。

『今生の別れ、というわけでもないだろう。今は携帯という便利なものもある、それさえあれば繋がっていられるはずだ』
「……まあ、そうなのですけれども」
『別に、好きでもなんでもありませんでしたと言ってもいいさ。ただ、後悔して泣きついてくれるなよ?』

 誰が泣くか。やりたいことを成すのがダージリン流だ。

「ふん……明日、吉報を届けに参りますわ」
『言ったな? やってみろ』
「ええやりますとも、恋に正直になりますとも。あなた以上の、情熱的な恋愛を成し遂げてみせますわ」
『流石、聖グロの生徒は言うことが違うな』
「ええ。あの人と、もっと食べ歩きをしたいもの――こう思える時点で、私はもう、恋を忘れられません」
『そうだな、恋とは残酷なものだ。が、一つ、お前に良い知らせがある』

 ダージリンが、「何」と不愛想に答える。

『茶山さんは、お前に対し、心の底から惚れているぞ』

 この時のまほの顔ときたら、とてつもなく上機嫌だったに違いない。
 ダージリンは硬直する、しかし否定の言葉が一つも出てこない。

『概要を説明されただけで、茶山さんの、お前に対しての好意が見てとれたよ。毎日食べ歩きに付き合ったり、格言を褒めたり、秘密はしっかりと守る。しかも大事な旅行の予定を変更して、その理由がお前ときた』

 たぶん、電話越しから憎たらしく笑っているに違いない。一方的だったが、なにぶん否定するだけの根拠がカケラほども存在しない。

『で? 理想の女性といえば賢くて話しやすくて自分のことを好きになってくれる人らしいが、そういう人は大学で探すつもりはないらしいな。――分かりやすくて、お前のことを応援したくなった』

 紅茶を雑に飲む。悪あがきの冷却を施したつもりだが、脳ミソは絶賛沸騰中だった。

「……根拠、になっているものでしょうか?」

 空になったカップに、紅茶を注ぎ足す。意味も無く、紅茶の表面をじいっと見つめている。

『それで、お前の事を何とも思っていなかったら心底驚きだな』

 しかし、まほは決して言葉を絶やさない。

『そういえば――明日は休日で、旅行の最終日だろう。予定は』
「え、えーっと、明日、一緒に街を見て回ろうかと」
『ほう。で、相手側の反応は?』
「……う、嬉しそうだった、かしら?」

 まほは、安堵するような声色で「なんだ」と呟き、

『デートをOKした時点で、脈ありじゃないか』

 ダージリンは、逃げるように紅茶を飲んだ。


 その後は、特に注目すべき話題などは無かった。まほが嬉しそうに「頑張れ」とか「土産話を頼む」とか「後悔するなよ」とか激励して、ダージリンも「わかってますわ」と覚悟を決めて。
 電話が切れる、通話時間が表示される。
 疲れた。
 紅茶を全て飲み、ため息をつく。

 そうか、これが恋か――知ってた。
 茶山は自分の言うこと成す事全てに付き合ってくれて、それを喜んでいるフシがあった。だから、「もしかしたら、この人は」と気持ちを察せたのだ。
 一緒にこそこそと食べ歩きをして、一緒に好き勝手なことを言い合って、称賛してくれて、尊敬されて、一週間ここに残ると宣言して、祝福という愛を与えてくれて、本土で理想を探し出すことを「否定」してくれて。
 そんなの、好かれていると気づくに決まっていた。そんなの、好きになるに決まっていた。

 五日間。一週間にも満たない時間だったが、自分はこれだけの熱を与えられた。そして、それらを受け止めることを選んだ。
 これからも、彼は私に情熱を抱くのだろう。
 これからは、私は彼に愛情を注ぐのだろう。

 茶山の嫌いなところなんて――あっただろうか。格言待ちの姿勢は正直恥ずかしいが、そんなもの嬉しさからくる照れ隠しに決まっていた。
 ……茶山の嫌な個所といえば、明日になったら姿を消してしまう事実、だけだった。
 こんな風に盲目になるなんて、それこそ恋以外なんだというのだ。
 
 ――明日は、早く会おう。何となく、驚かせてやろう。
 スリープモードに移行していた携帯に火をつけ、茶山へメールを送信する。『どこで泊まっていますか?』と。

 送信し終え、テーブルの上に携帯を置く。

 元はと言えば、牛丼からすべてが始まった。それもまた、やりたいことをやる、というダージリンの生き方にのっとったものだ。
 やはり、自分は嘘をつくことが出来ないらしい。


5~6日間

 ビジネスホテルに泊まってはや六日目、茶山は朝七時に目が覚めた。早起きの新記録達成である。

 目は完全に覚めてしまっているらしく、無理をしなければあくびも出ない。肉体も張りがついたように調子が良いし、脳ミソだって普通に回る。

 最終日だからかね――

 ぼんやりと起き上がり、寝巻きから普段着に着替える。歯磨きをし、顔を洗っている間――やっぱり、ダージリンの事を考えていた。

 

 別に、二度と会えないというわけではない。アドレスだって交換したから、交流自体は続けられる。

 ただ、ダージリンと顔を合わせて、昼食をする日々はしばらくお預けとなる――それぐらいだ。これまでの日常から抜かれるものは。

 たった、それだけだ。

 

 洗顔し、気分を整える。順調に腹も減ってきたところで、広くも狭くも無い部屋を一瞥した。

 こことも、お別れか。

 何だかんだいって、この部屋も家みたいなものだった。ここへ帰るたびに、一区切りがついたのだなあとか思ったりもした。

 もし、ここにずっと滞在出来たら。そうしたら、明日も明後日も一週間後もダージリンと一緒に――

 

 息をつく。

 夢物語を無造作に思考しながら、茶山はバックパックへ荷物をまとめる。メインは食べ歩きであるから、片づけるのにそれほど時間はかからなかった。

 布団も、出来る限り丁寧に畳み終える。後は何もないかなと、左右を見渡し、

 さて、出るか。

 部屋から出て、ドアを閉める。こうして思い出が積み重なっていく。

 

 

 朝八時にチェックアウトを済ませ、ビジネスホテルから外の世界へ視界を切り替える。

 今日は休日ということで、朝から出歩いている者が結構多い。それは生真面目なスーツ姿の男性だったり、ラフな格好をした兄ちゃん、若い私服姿の女性と、それらは決して茶山の視線と交わることはない。そこまでは普通だ。

 

 そう。民衆の目は、ある一人の女性へと注目を降り注がせていた。

 

 一介のビジネスホテル付近に、ウェーブがかった金色のロングヘアーを靡かせた女性が、腕を組みながら待ちぼうけを食らったように突っ立っている。正直、現実味が無い光景だった。

 白いシフォンブラウスと紺色のスカートを着こなし、遠慮なく素足を魅せるその出で立ちは、若い野郎どもの目をくぎ付けにしている。他の女性も同性として見逃せないのだろう、金髪の女性をチラチラと拝見していた。――正直、嘘くさい場面だった。

 

 確かに、金髪の女性はとても美しいと思う。この場における主役だと同意する。

 が、今の茶山にとっては、まるで関係の無い存在だった。茶山の心が躍る人物、それはダージリン以外に他ならない。

 何事も無かった、何も見なかったかのように、茶山が金髪の女性とすれ違う。何故ここにいるのか分からないけれど、幸せに生きてくれと思いを託す。

 

「そこのあなた」

 

 強い女性の声がした。聞き覚えがあるような気がしたが、まさかと思いながらすり抜けようとして、

 

「あなたよ、そこのあなた」

 

 改めて振り返る。お嬢様的な金髪に、日本人離れした青い瞳、白を強調した清楚な服装。

 最初は、自分なんぞが声をかけられているとは思わなかった。近くに、俳優のような男が通りがかったのだと思った。

 

「あなた……どうして私のことを素通りするの?」

「え、あ……」

 

 デジャブが生じる。

 何か、同じようなやりとりをこの前にやったような気がして――

 

「あ」

「……ふふ」

 

 笑われた。その誇らしい笑みを前にして、またしても「あ」という間抜けな声が漏れる。

 

「あ、あなたは……ダージリンさん……?」

 

 なるべく小声で聞く。周囲には未だにガン見している男性、女性、オヤジ、老人がいるので、下手に名前を出したら迷惑になる。

 

「はい」

 

 スカートの端をつまみ、足を曲げながら頭を下げる。挨拶も絵になるものだから、「この人と本当に知り合いなんだろうか」と夢みたく思う。

 

「そんな、どうしてこんな朝っぱらから」

「驚かせたくて」

 

 また、間抜けな「え」が口から漏れる。そんな茶山を見て満足したのか、くくくと笑われた。

 

「ひ、ひどいじゃないですかぁ、気づくはずないですよ」

「あなたなら、どんな私でもすぐに気づくと信じてましたのに」

 

 狐のように目を細め、含むように口元を曲げる。ダージリンのファンとしては、イメチェンしたダージリンを見抜けなかったのは少し痛い。

 

「無理ですよ、完全に別人ですもん」

「確かに、髪型を変えると印象は変わりますものね」

 

 そうそうと、茶山は納得するような、しないような調子で頷く。

 

「でも、私は私よ。この姿も、覚えておいてくださいませ」

 

 茶色い肩掛けバックに手をかけ、そこから取り出したのは、緑色のベレー帽だった。ここでようやく、現実に引き戻されたような感覚に陥る。

 

「……いつから待ってたんですか」

「七時ぐらいから」

「え、ええ~? なんでメールしてくれなかったんですかぁ」

「さっきも言ったでしょう、驚かせたくて」

 

 さも当然だとばかりに、そんなことを言う。

 茶山としては、正直なところ心が痛かった。一時間も女の子を、ダージリンを待たせたのかと。

 

「待たせた件については気にしないで。戦車道で、待機することは慣れていますので」

「でもなあ、俺が早起きしなかったら……」

「人の心を動かすのには、いつだって多大な苦労が強いられるものですわ」

 

 そういうものなのかなあと、これまた納得しかねる。ダージリンがベレー帽を被り、

 

「とりあえず、私のことは気にせずに。勝手に決めたことですから」

「分かりましたー」

 

 これ以上問うても仕方がないし、疑問に思っても進展はしないだろう。なので、

 

「じゃ、とりあえず――街並みでも歩きますか。空いている店も少ないですし」

「ええ」

 

 ダージリンが、茶山の真横に移動する。それだけの動作に、茶山の心臓ががくんと跳ねる。

 これまでもこんなシチュエーションは繰り返されてきたはずなのに、何故に今になって動揺するのだろう――デートという魔力に、当てられたせいかもしれない。私服姿の女性と一緒に、自由時間を満喫するなんてこと、男からすれば大金をはたいてでも買いたい場面であるはずだ。

 しかも、デート相手は聖グロの頂点であるダージリンだ。何だか凄くやばい気がする、本土へ帰還出来ないんじゃないかと思う。

 

「そ、それじゃあ、えっと」

 

 そして、茶山はまこと嘘くさい瞬間を目の当たりにした。

 ダージリンが、手を差し伸べてきたのだ。

 

「ほら」

 

 そう言われても。

 ダージリンも恥ずかしいのか、そっぽを向いたままで、手のひらを茶山に託したきりそのままだ。

 茶山だって決して馬鹿ではないから、「デート中に」「女性が横並びになって」「手を差し出す」という計算式の答えはすぐ解けた。つまり、

 

「……いいんですか?」

「あなただからいいの」

 

 ずるい、そんなことを言われたらもう逃げられないじゃないか。

 深呼吸する。

 お父さん、お母さん、自分をここまで育ててくれて、本当にありがとうございました。

 

「あっ」

 

 ダージリンの手を、きゅっと握る。握力のコントロールは出来たようで、ダージリンがどこか遠い目で茶山を見つめていた。

 

「い、行きましょうか、街へ」

「そ、そうね」

 

 行く当てなど、何も決まってはいない。飲食店が開くまでは、娯楽も腹も我慢の子だ。

 けれど、この瞬間が、なんでもない散歩が、とてつもなく愛おしい。ダージリンも決して手を離そうとはしないし、茶山だって絶対に手離さない。心の中で約束する。

 

 今日も、英国風の街並みは平和だった。朝早くから車が忙しなく走り、鳥が空高く何処かへ旅立つ。まだ、戦車の姿は見ていない。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院学園艦は、ひたすらに優雅さと華麗さを追求した世界である。

 そこに住まう人々も、常に美しくあれ、誇り高くあれ、をモットーにしており、決して調和を崩さぬように今日も生き抜いているらしい。

 街並みも外観を崩さぬよう、デザイン、色合い、雰囲気は徹底して英国風として統一され、お陰で観光スポットとしても上々の評価が与えられているらしい。実際、歩くだけでも心地良く時間を潰すことが出来た。

 華麗と聞くと、どちらかといえば静けさがイメージ的に合うだろう。この街並みにかかれば、静寂すらトッピングの一つになってしまうのだ――朝十時までは。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 クレープを片手に、茶山とダージリンは、バイオリンとドラムの組み合わせで、メタルチックな曲を演奏している二人組の女性の大道芸人を楽しげに眺めていた。

 ――これが、朝十時以降の姿である。群雄割拠とばかりに出店が続々と出現し、百貨店から料理店、アンティークショップからオカルトグッズ店まで、ありとあらゆる施設が一斉に息を吹き返す。こうなると無粋な沈黙は消え失せ、今日も大道芸人が広間を賑わせているのだった。

 

「いい曲だなあ」

 

 音楽については疎いが、勢いのある曲はいいなあと茶山は笑顔で思う。ダージリンも同じことを思っているらしく、クレープを口にしながら小さくヘッドバンキングを繰り返していた。

 

「意外と好きなんですか?」

「! み、見てましたの?」

「そりゃあ、近くにいますし」

 

 ダージリンが、心底恥ずかしそうに頬を赤く染める。そのまま、チョコがトッピングされたホイップクリームを味わいつつ、

 

「もう、人の顔ばっかり見て……」

「でも、デートですし」

「……デートってそういうものなんですの?」

「そういうものなんじゃないですかね」

 

 何だかおかしくなって、含み笑いがこぼれてしまう。聞き逃さなかったのか、ダージリンが手をぎゅっと握りしめた。

 

「あいたたっ、離してくださいっ」

「嫌よ」

「そこをなんとか」

「い、や」

 

 ダージリンの逆襲を食らい、ぐああいってえと茶山は唸る。そんな哀れな男の姿を見て、ダージリンは愉快そうに微笑む。

 

「いっつつ……ひどいなあ、淑女でしょう?」

「淑女だからこそ、やられっぱなしというわけにはいきませんもの」

 

 そう言われてみると、何だか反論出来なくなる。

 淑女も色々大変なのだろう。上へ登りつめなければ、優雅な姿なんて誰も見てはくれないのだから。

 

「……淑女というのも、やっぱり苦労します?」

「ええ」

 

 慣れた、と語っている横顔だった。

 この学園艦の中心地、聖グロリアーナ女学院は、それこそ華やかで、華麗で、優雅さが集う聖域なのだろう。公式サイトも、そこを強調している。

 だが、美しさの基準とは曖昧なものだ。家柄で決まるのか、外見で選ばれるのか、振る舞いで全てが何とかなってしまうのか――それが分からないからこそ、聖グロの生徒は今日も強く生き続けるのだろう。

 表面上は華麗に。しかし裏側では、常に競争心を燃やしているに違いない。だから聖グロは大きい、聖グロの戦車道は強い。

 

 だから、自分如きが語って良いような世界ではない。

 しかし、ダージリンが関わるのなら話は別だ。モノ知らずだろうが何だろうが、ダージリンの幸せを応援して何が悪い。

 

「ダージリンさん」

「はい?」

 

 きゅっと、ダージリンの手を握る。

 

「メール、いつでも待ってますから。困った時には、利用してください」

 

 ぎゅっと、茶山の手が握られた。

 

「はい」

 

 大道芸人の演奏が終了し、大きな拍手と歓声が上がった。二人組の大道芸人は、同じタイミングで己がスカートを摘み、頭を下げるのだった。

 

「――そういえば」

「はい?」

「あなたって、大学でも常に敬語を?」

「ああ、いえ、普通にタメ口ですよ。同級生相手なら」

 

 ダージリンが「そう」と前置きし、

 

「では私にも、普段の口調でお話をしてくださいな」

「はあ」

 

 クレープを一口噛み、ホイップクリームの味が口の中で膨らむ。

 

「は、はい? ええっ?」

 

 甲高い声が出たが、拍手の中だったので誰も気づいてはいない。ダージリンは、少し不満げに眉をしかめつつ、

 

「あなたは年上で、私は年下。何の問題もありませんわ」

「い、いやいや、なんというのかその、雰囲気的に……」

「私がお嬢様だから?」

「そ、そういうわけじゃ。なんというのか、ダージリンさんはカリスマがある人ですし」

 

 ダージリンが、「何言ってるんだこいつ」と言いたげな、白けた表情をする。

 

「……私とあなたは、友人関係でなくて?」

「う」

「あなたは戦車道履修者でもなければ、聖グロの生徒でもない。完全な部外者でしょう?」

 

 その通りだと、沈黙で同意する。

 

「なら、いつもの口調でも宜しいではありませんか」

「ダージリンさん」

「……それに」

 

 どこか寂しそうな目で、ダージリンが少しだけうつむく。

 

「――あなたと、もっとお近づきになりたい」

 

 ――これほどまでに、心から切望するダージリンの姿は初めて見た。

 青い瞳が海のように輝き、金色の髪が寂しげに揺れる。何かを期待するように口元が小さく曲がっていて、その姿は間違いなく、夢見る普通の女の子だった。

 

 クレープを完食し、一気に飲み込む。鼻と口で呼吸し、心の中で「やるか」と覚悟を決めた。

 訂正する、「やるしかない」だ。

 だって、自分に選択を求めている相手は、

 

「ダージリン」

「あっ」

 

 心の底から驚いたらしい。ダージリンが、両目を見開きながらこちらを見た。

 

「……次は、何を食おっか?」

 

 気の利いたセリフなんて思いつかない。けれど、いつものようにダージリンと共に生きることは出来る。

 

「――もう一度」

「……ダージリン」

 

 改めて、ダージリンが指を絡ませてくる。人の肌って、こんなにも温かかったっけ。

 まあいい。これから覚えていけば良いだけの話だ。

 

「……食べ歩きなのですから、目についたもので構いませんわ」

 

 笑顔で、ダージリンが提案してくれた。こんな素敵な顔は、もう二度と見られない気がする。

 見上げる。

 青い、空がとてつもなく遠い。雲が彩られている分、なおさらそう感じる。

 こんな晴れ空の下で、自分はダージリンとデートしていたのか。こんな素晴らしい世界の中で、ダージリンと通じ合えたのか。

 ――茶山の視界が、ダージリンの元へ戻る。何か食べたいなと、ダージリンが目で伝えてきた。

 

「分かった、じゃあ歩こう」

「はい」

「……ああ、その前に」

 

 茶山の手とダージリンの手が離れ離れになり、今度は己が手を一つにし、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 食べ歩きは順調に行われた。焼きトウモロコシを手にして、思い切りかぶりついては「うめえ」と感想を漏らした。ダージリンも「ん~」と、目で喜びを表現する。

 とにかく、興味を持った食べ物なら手当たり次第だった。外で食えるものを中心に、ケバブを味わったり、ボルシチに感動したり、パンシチューを初めて食べてみたりと、本当に食ってばかりだった。

 そして、ダージリンはこれら全てを受け入れた。口にするたびに表情を明るく変え、食べ終えれば次の食事を手で言葉で顔で促す。

 

 牛丼を前に、数分も躊躇うようなダージリンは、もう何処にもいない。

 一度も警戒態勢に入ることなく、休日の街並みの賑やかさを、食事を、デートを、この聖グロリアーナ女学院学園艦で、その身を躍らせていた。

 ――ただ一つだけ、絶対的に守られた伝統といえば、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 料理人に、食事に、心から感謝して、それを食べる。そして、全てを味わった後は、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 お喋りをして、食べて、歩きもすれば、自然と喉も乾く。丁度良い場所に自販機があったので、茶山は小銭を投入し、ボタンを押して無糖の缶コーヒーを手にした。

 後はプルタップを開け、勢いよく飲んでは「あー、たまらんっ」と、オヤジ臭く味わう。

 

「……あの」

「え、何?」

 

 ここで敬語が出そうになるが、ぐっと抑えることが出来た。間違って敬語で応えようものなら、ダージリンときたらぶすっとした表情を浮かばせるのだ。

 

「……コーヒーって、そんなにおいしいんですの?」

 

 飲んだことがないのかと思うと同時に、ダージリンならありえると思考する。これまでは英国風に拘ってきたのだろうから。

 

「おいしい、というか、味わい深いっていうのかな? ハッキリ言って苦いけど、それがいいっていうか」

 

 缶を傾け、今一度味を確かめる。

 

「あと、無糖を飲むと気合が入るんだよね。何だったかな、持久力が倍になるって聞いたことがある」

「へえ」

 

 ダージリンが、口元に手を当てて思考に没頭した。いつもなら沈黙せざるを得ない場面であるが、今回ばかりは予想出来る。だって食べ歩きの最中だから。

 

「コーヒー、飲む?」

 

 ダージリンが、勢い良く茶山を注目した。何で分かったんだ、と言いたげだった。

 

「いやあ、話の流れで、ね?」

 

 むう、とダージリンが唸る。

 

「ま、まあ――正直なところ、興味が出てきましたわ」

「いいんじゃないかな。あ、最初は微糖がオススメかな?」

 

 ダージリンは財布から小銭を取り出し、自販機に投入する。そして、「いつも飲んでいます」とばかりに、鮮やかな手つきで無糖の缶コーヒーを選択する。

 

「え」

「では、いただきましょう」

 

 ぐぐぐっとプルタップを開け、缶コーヒーの中身をじいっと見つめている。目前に戦車でもいるのかとばかりに、その顔は真剣そのものだ。

 

「え、えー、苦いよー?」

「私は甘いも苦いも知る高校三年生、無糖の缶コーヒーとだって分かり合えますわ」

 

 大丈夫かなあと不安げになりながら、茶山はダージリンの事を注意深く見守る。苦さのあまり、咳き込んでしまうかもしれない。

 

「では」

 

 両目をつぶり、紅茶を飲むような調子で缶コーヒーに一口つける。

 

「! ッッッ……!」

 

 缶コーヒーから顔を離し、激痛でも帯びたかのように目が細くなる。口は固く封印され、手は若干ながら震えていた。

 だよね、と思う。

 自分もそうだった、と思い出す。

 

「あ、大丈夫? 僕が、飲む?」

「いいえっ、こんな格言を知ってるッ?」

 

 まったく余裕がなさそうな振る舞いで、

 

「不可能だと思わない限り人間は決して敗北しない」

 

 こんな状況においても、この状況だからこそ、ダージリンは的確な言葉を発した。茶山は「流石だ」と同意するが、

 

「でも、いきなり無糖はね、ちょっとね。あ、今の格言は誰が?」

「デール・カーネギー、アメリカの作家ですわ――私は、これが飲みたいのっ」

 

 何で。不可解そうに、茶山は首をかしげる。

 

「それは……あなたと、同じものを好きになりたいから」

 

 今日も、ダージリンに対する好感度が上がってしまった。好意なんて一目惚れした瞬間から満点だったが、概念とは脆くも崩れ去るものらしい。

 

「そ、それは嬉しいけど、でもいきなり無糖は」

「大丈夫っ、苦いだけで問題はありませんでしたわっ」

 

 その苦さが問題なんだよなあと、茶山は頭の片隅でぼやく。しかし今のダージリンは不退転の一心で、缶コーヒーを凝視している。

 

「初めてなんてものは、大抵はうまくいかないものよ。マナーにしろ、戦車道にしろ」

「でも、しょっぱなから無糖は無謀じゃないかなぁ。僕だって、最初は微糖だったもん」

「で、今は微糖を飲んでいますの?」

「いや」

 

 瞬間、ダージリンが缶コーヒーを一気飲みした。その姿は死地に向かう兵士そのもので、ダージリンの必死な表情は茶山に感動すら覚えさせる。

 缶コーヒー相手に、ドラマを演じられる人がいるなんて。

 華麗で、優雅で、お嬢様のダージリンだが、その本質は、決して諦めを覚えない不屈の人、なのだと思う。

 だから、強豪校の戦車隊隊長に選ばれ、聖グロにおけるヒエラルキーの頂点として君臨し続けられているのだろう。それは、缶コーヒー相手でも変わりはしない。

 

「ぐううう……!」

 

 顔を真っ赤にし、目尻から涙が浮いて、体全身を震わせながらも、無糖の道を目指すダージリンは美しい。

 なので、茶山は先んじてアップルジュースを買っておいた。

 

 

 激闘の末にダージリンが勝ち抜き、アップルジュースを飲んで一休みする。茶山が「無茶は駄目だよ」となだめるも、ダージリンは「いつか、苦さをモノにしてみせますわ」と意気込んでいた。やっぱり戦車道履修者は凄い。

 後は軽く、いただきますとソフトクリームを食し、ごちそうさまでしたとスリーブ(紙)をゴミ箱に捨てて――ダージリンが、「買うものがありますの」と、百貨店まで足を運ぶことになった。そういえば食べ歩きコースに入っていなかったから、これが初めての来店となる。

 

 迷うことなく百貨店まで到着し、最初に否応なく目に焼き付いたのは、戦車――だった。

 百貨店の顔とも言える広間に、堂々と戦車が飾られている。撮影は自由らしく、観光客らしい家族連れが携帯で写真を撮っていた。

 周囲に目を逃がしてみても、暖色で統一された照明が、タイル状の白い床が、茶山の心と好奇心を手離さない。たまたま案内カウンターの女性と目が合い、「全力でもてなしてやる」とばかりに頭を下げられた。

 何だか恥ずかしくなって真上を見てみれば、最下層から最上階を貫く吹き抜けが、そこから照らされる日光が、茶山の目をしかと焼き付けていた。

 

「どうしました?」

 

 にこりと、楽しそうな笑みを浮かばせながら、ダージリンが茶山の顔色を覗っていた。

 茶山が取り繕うように「ああいや」と焦るものの、そんなものはお見通しだったらしく、

 

「私も、最初は驚きましたわ」

 

 だよねと、心の中で同意する。もう一度戦車を見つめるが、そんな茶山の視線を察して、

 

「去年、聖グロで最も優秀だった生徒が使っていた、本物の戦車なの」

 

 戦車の付近に、椅子とテーブルが展示されている。テーブルの上にはソーサーとカップが置かれていて、「アールグレイの使用していたティーセットです。さわらないでくださいね」の案内板つき。

 

「ここに飾られ、称えられることは、聖グロの戦車道履修者にとってたいへん名誉なことなの」

 

 へえ、としか答えられない。

 

「――次に選ばれるは、誰の戦車になるものやら」

 

 すかさず、茶山がダージリンの目を見る。異論など挟ませない。

 

「……そうかもしれませんわね」

 

 ダージリンは聖グロの戦車隊隊長を務め、黒森峰女学園と奮闘した記録がある。更には大洗を、母校を救ってくれたのだ。

 誰が何と言おうと、一等賞はダージリンに決まっていた。

 

「ですが、」

 

 ダージリンの目が、きらりと光っている。

 

「あなたにそう認められるなんて、嬉しいですわ」

 

 自分は何もしていない、ただ称えただけだ。

 しかし、ダージリンは手を握りしめてくれる。

 

「では、食器コーナーへ向かいましょう」

 

 そうして、エスカレーターが二人を案内していく。

 

―――

 

 楽しい時間なんて、あっという間に過ぎ去っていく。

 あれだけ青かった空も、段々と薄暗くなる。彼方が赤く染まる。そうなるほど、茶山とダージリンは学園艦を歩き回った、沢山のものを食べた、新品のティーセットを購入した。

 一区切りつき、後はどうしようかなと百貨店を歩き回っていれば――偶然にも、喫茶店を発見した。日ごろの行いが良かったのかもしれない。

 丁度いいかなと考え、ダージリンと目が合う。二人同時に頷き、そのまま喫茶店へ腰を下ろした。

 

「さて、何を食べようかな」

 

 とは言うものの、先ほどまでの調子とは違い、つい慎重にメニューを睨んでしまう。

 これが、聖グロリアーナ女学院学園艦での、最後の食事となるから。

 

「あの」

 

 ダージリンが、遠慮がちに、

 

「私、ミートパイが好きでして、その……」

「食べよう」

 

 即答する。しかも、少し奮発すれば紅茶とセットで出してくれるとか。

 すかさず、紅茶の欄に目をやり、

 

「うーん、何がいいかな……アッサムティーを飲んでみようかな」

「……そ、それを飲むんですの?」

 

 あれ、何かまずかったのかな。じゃあ、

 

「この、アールグレイを」

「そう……」

 

 どうしたんだろうと、メニューを逸らしてみる。

 茶山は、正直面食らった。だって、ダージリンがふてくさてたように眉を顰め、面白くなさそうに頬杖をついていたから。

 

「ど、どうしたの?」

「別に。ただ、最後に飲む紅茶がそれでいいのかと、確かめただけで」

 

 必死こいてメニューを見直す。アッサムティーとアールグレイは、間違いなくミートパイとセットになってついてくる紅茶だ。

 だから、マナー違反という線は消える。考えろ、ダージリンのサインを察しろ。ここで出てくる紅茶といえば――

 

 あ。

 

「じゃあ、せっかくだからダージリンを飲もうかな」

 

 瞬間、ダージリンが喜色満面の笑みに切り替わった。先ほどまでの表情など、綺麗さっぱり忘れたかのように。

 

「いい選択ですわ。ダージリンは飲みやすい紅茶ですものね、ええ」

「――かわいい人だなあ」

 

 とっさに言ってしまう、口元が笑ってしまう。ダージリンは、憎たらしそうに「むう」と声を出すものの、

 

「……特別に、許してあげますわ」

「やった」

 

 この旅行における、最後の食事だ。ダージリンで締めなくて、何の意味がある。

 今更その正しさに気づいて、自分もまだ甘いなあと思う。

 ――だから、伝えよう。今後の行動を。

 

「僕さ」

「ええ」

「本土へ帰ったら、コーヒーを飲む量が減るかもしれない」

 

 ダージリンが、無言で首をかしげる。

 

「ダージリン、好きになったから」

 

 多少の間を置いた後に、ダージリンの顔が真っ赤になっていく。普通の大学一年生である茶山は、今、バカを吐いたことに気づいた。

 

「あ、ああ、ああ、ダージリンっていうのは紅茶のことで別にそういう意味じゃ」

「そ、そうよね、知ってましたわ。ええ、知ってましたとも」

 

 しかし、茶山の視線は上の空のままだ。

 本当、馬鹿こいたと思う。下手すれば、ストレートな告白に繋がりかねないというのに。

 

 ――告白か。

 

 いつ、するべきなのだろう。告白しようがしまいが、自分はこの学園艦から立ち去らなければいけない。

 途端に、罪悪感が生じて、

 

「その……すみません」

 

 たまらず、謝ってしまう。

 

「……いえ」

 

 ダージリンをちらりと見る。ダージリンはうつむいたままで、赤くなったままで、

 

「その紅茶のことを、あなたが好きになってくださるなんて――嬉しい」

 

 途端に、茶山の熱さが引いていく。

 

「よかった、買っておいて」

 

 そして、ダージリンは胸に手を当てた。

 茶山がまばたきをする。考察しようとしたが、店員から「ご注文はお決まりですか?」と聞かれ、少し慌てた素振りで「ミートパイとダージリンティーのセットで」とお願いした。

 

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 ミートパイを食し、ダージリンティーを口にしながら、これまでの出来事を振り返る。気に入った食べ物は何だったとか、学園艦の空気はどうだったとか、コーヒーを飲みこなしてやると宣言されたりとか、OGをけなしたりとかで、話題は尽きない。

 長い六日間だった。ダージリンと食べ歩きをして、会話を交わして、デートまでした。本当、夏休みらしい日々を送ったと思う。

 ミートパイをかじりながら、互いに話の量を積み重ねていく。悔いを残さぬように話題を提供し続けても、意識が未練たらしく飢え続けているのが分かる。

 

 そりゃそうだ。好きな人と話せば話すほど、腹が空いていくのは当たり前じゃないか――

 

 それが、恋なのだと思う。恋愛に限って言えば、その不満足こそが正しい心境なのだと思う。

 この焦がれを、自分はずっと大切にしていきたい。

 

「あ……お茶も、パイも、なくなってしまいましたわね」

「そうだねえ」

 

 ダージリンに、陰りが生じる。しかし楽しい時間なんてものは、あっさりと過ぎ去っていくものだ。

 それが無くて、何が人生だ。

 

「では……」

「はい」

 

 手と手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 百貨店から出て、外の空気を吸う。気付けば、この学園艦のことが愛おしくなっていた。

 あとは、港まで歩いていくだけ。ここからなら、数分もかからずに到着出来るだろう――ダージリンは、実に楽しげな表情を浮かばせていた。茶色い包装紙にくるまれた、ティーセット入りの箱を大事そうに抱えて。

 そうして、手と手を繋ぎながら、軽くお喋りに興じる。あれを食べてみたい、これを食べてみたい、もう一度食べてみたいと、主に食べ歩きについて語り合う。

 

「――なるほど、スイーツ中心は良いかもしれませんわね」

「甘いものは飽きないからね」

「ええ。ああ、今からでも食べたくなってきましたわ」

「僕も僕も。甘いものって、なんでいつまでも食べられるんだろう。実際はそんなことないのに」

 

 未来の話をして、

 

「別腹、といいますわよね。あれはなんなのでしょう」

「確か科学的な根拠があったはずだよ、違ってたらごめん」

「私も調べてみましょう。ううん、後でコンビニにでも寄って、スイーツを探してみようかしら」

 

 これからの話をして、

 

「スイーツも充実してるから、良いんじゃないかな」

「なるほど、これは是が非でも行かなくては」

「いい顔するね」

「女の子は、甘いものが好きと相場で決まっていますのよ」

「そういえば、そうだ」

「――何なら、一緒にコンビニ行きます?」

「あ、いいの?」

「ええ」

 

 希望を話して、

 

「コンビニだけではありません。屋台でも、レストランでも、百貨店でも、どこにでも行きましょう、二人で」

「……いいのかい?」

「――こんな格言を知ってる?」

「何?」

「だから、わくわくしないで、恥ずかしい」

 

 いつも、を話して、

 

「――人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である」

 

 明日の話を、しない。

 

 港に着く、当たり前のように連絡船がそこにある。

 茶山の足が、ダージリンの一歩が、止まる。

 デートが終わる、旅行が無事に終了しようとしている。

 

「……その言葉は、誰が?」

「ヴィクトル・ユーゴー、フランスの小説家よ」

「なるほど。やっぱり、何でも知ってるね、ダージリンは」

「ありがとう」

 

 手が離れない、離してくれない、離れたくない。

 

「――どうして、今の格言を選んでくれたんだい?」

「……あなたは、人の気持ちを察することは苦手な方で?」

「いや……何となく、わかってるつもりだった」

「私も」

 

 あと数分で、船が出港する。それまでに乗らなければ、予算が間に合うかどうか怪しくなる。

 

「ねえ」

「うん」

 

 茶山の視界を覆う程の、大きなおおきな連絡船が、茶山を予定通りに飲み込もうとしている。

 

「やっぱり、延長はできませんの?」

「……食べ歩きを我慢すれば」

「そう――無理そうね」

 

 断言された。けれど、自分のことをよく知ってくれているからこその言葉だった。

 

「我慢を強いた上での出会いなんて、私は嫌ですわ。あなたとは、これからも沢山のものを食べて、喜びを分かち合いたい」

 

 それは、自分も同じだった。だからこそ、帰るしかない。

 

「……あの」

「何?」

 

 視線を感じる。顔を横に傾けてみれば、夕日に照らされた、ベレー帽をかぶったダージリンがそこにいる。泣きそうな瞳をしたダージリンが、茶山を見つめている。

 

「次は、次は、いつここに来れそうですの? ――いえ、冬休みになったら、必ずそちらへ向かいますわ」

「ありがとう。そう考えると、案外すぐ会える気がするね」

「そう、ですわね……」

 

 少し、考える時間を用いる。これからの稼ぎを考えて、次に行けそうな時期は、

 

「春休みになったら、僕の方からここへ来るよ。来年の二月くらいに」

 

 食べ歩きというものは、気まぐれに出費が重なるものだ。これは本土で何度も経験した。

 しかも、期間限定の旅行ともなれば、そのテンションもあいまって食欲が沸いて出てくる。食わなければ損という奴で、高いも安いも全て平らげてしまうのだ。

 

 それだけならまだいいが、人間、寝なければ生きてはいけない。世の中上手く出来ているもので、寝床を確保するにしても金がかかってしまう。一週間ともなればなおさらだ。

 それと、茶山だって食う寝るだけの人間ではない。もしかしたら現地で買い物をして、それで、予想以上にサイフが軽くなる可能性もある。

 ――だから、余裕は必要なのだ。常に予算を気にしては、旅行なんて腐る。

 

「分かりましたわ。――いつまでも待ちます、待っています。だからあなたも、私の事を待っていて」

 

 茶山が、力強く頷く。

 

「……改めて聞くけれど、こんな僕で、いいのかい?」

「ええ。だって、だって、私は」

 

 ダージリンが、首を左右に振るう。

 

「また会えた時に、全て話しますわ。今言ってしまうと、心が割れてしまいそう」

「――分かった。その時になったら、僕も全て告白するよ」

 

 いつ想いを告白しようか、まるできっかけが掴めなかった。ダージリンと離れ離れになる、という負い目が決心を鈍らせていたのだ。

 けれどダージリンは、そんな茶山のことを、いつまでも待つかのように「うん」と頷いてくれた。

 

「信じてます」

 

 呪文とともに、手と手を結ぶ魔法が解かれた。

 

「それで、その……」

 

 先ほどまで大事そうに抱えていた、ティーセット入りの箱を、茶山にそっと差し出す。

 茶山が「え」と言葉を漏らす。

 

「これ、私が普段使っているティーセットと、同じものが入っていますの」

 

 言葉が出ない。

 そんなの、当たり前だった。

 こんな、溢れんばかりの想いをぶつけられては、確かな愛情を確かめられては、深い情熱が伝わっては、絆を読み取っては、儚い夕日に照らされては、しばらく会えないという現実を思い知っては、また会いたいという気持ちを知っては、言葉なんて出るはずもない、出ようはずもない、ただただ浸りたかった。

 

 黙って、ティーセット入りの箱を受け取る。両腕で、ダージリンの想いを抱きしめる。

 

「茶山さん」

「……うん」

 

 風が吹き、黄金の髪が羽のように揺れる。ベレー帽が、夕日に淡く照らされる。

 華のように、ダージリンは笑い、

 

「どうか、幸せに生きてください」

 

 

 こうして、茶山の旅行が無事に終了した。夏休みは続くが、きっと、これ以上の思い出なんて、ない。

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
何かご指摘、ご感想があれば、ぜひ送信してくださると嬉しいです。

この話を書くにあたり、紅茶デビューしました。

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