3007日間   作:まなぶおじさん

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 牛丼が食べたくなった。そんな気分だったから。

 ダージリンは、常に淑女であろうと今年九月まで生き抜いてきた。
 振る舞いは勿論、髪型も服装も言葉遣いも、淑女らしく徹底してきたつもりだ。その気になれば、明日にでも社交界へ進出しても構わない。ヘマはしない自信がある。
 今日も、由緒正しき聖グロリアーナ女学院の生徒として、戦車隊の隊長として、紅茶を片手に己が人生を輝かせていく。

 の、だが。

 ダージリンはあくまで日本人であり、半年に一回くらいは「腹が減る」。
 昼休みになると、いつもは聖グロリアーナの食堂で「英国風メニュー」をたしなむのだが、本能的に我慢出来なくなって和食店へお邪魔することがある。
 別に校則で禁止されているわけでもないし、見られたところで「あ、今日はここで食べてるんですか」とコメントされるだけだ。

 が、

 聖グロの淑女とは難しいもので、そう簡単に和食を味わってはいけないし、同級生に目撃されてもいけない――という、暗黙の了解がある。それはダージリンも了承しているのだが、やはりどうしても、日本人としての血が抑えきれないこともある。
 だから、評判の牛丼屋へ足を運んでも仕方がないよねと、頭の中で何度も言い訳しつつ、西洋風の街並みに交じった牛丼屋の戸を開けようとする。

 ダージリンは、聖グロ出身の完成された淑女だ――牛丼屋の戸に手が触れた瞬間、恥じらいとか葛藤が、泉のように沸いて出てきた。
 ――私は日本人だぞ。
 何度も何度も自分にそう言い聞かせながら、あくまで平然を装って戸を開けた。軽快な音とともに、なんでもない牛丼屋の世界が視界に飛び込んでくる。
 ちなみに、このプロセスを完了させるのに五分の覚悟が必要だった。

 昼食時だからか、中は順調に混みあっている。主な客は大人ばかりで、その中に聖グロの生徒は居ない。
 ほっとする。
 二席のみがギリギリ空いていたらしく、ダーリジンはスムーズに腰を下ろすことが出来た。久々の和食を前にして、ダージリンはルンルン気分でメニュー表を覗う。
 まず、牛丼の画像を見ただけで腹が鳴った。これからこれを食べるのかと思うと、いよいよもって胃がカラになっていく。
 何だか聖グロを出し抜いた感じもあって、気分も盛り上がってきた。ダージリンは淑女であるが、手段を選ばない事も好きだったりする。

 店員に「定食を一つ」と注文し、数分が経過すれば、夢にまで見た牛丼定食が「お待たせしました」の一言で到着する。
 待ってましたと、手と手を合わせて静かに喜びつつ、箸を1セットつまみ取る。これで武器は揃った。
 食べるべき相手は、出来立てホカホカの牛丼に、あつあつの味噌汁、漬物にたくあんだ。この無慈悲な和風っぷりに、ダージリンの、日本人としての血がめちゃくちゃに騒ぎだした。

「素晴らしい」

 誰の耳にも届かないように、ダージリンは静かに呟いた。
 店内は先ほども今も賑やかなままで、雑談や、仕事の話、休暇の予定、「混みあっていますので……」など、それぞれの世界がダージリンの耳へ入っていく。
 マナーの聖域である聖グロの食堂も好きだが、この、昼休み感もたまには良い。ダージリンは目をつぶり、

「いただきます」

 手を合わせ、昼食へ言葉を交わし、早速とばかりに牛丼へ箸を伸ばす。まずは湯気が立ったままの牛肉をつまみ、恐る恐る、しかし容赦なく口の中へ入れる。
 あっという間に、牛丼特有のタレが舌へ沁み込んでいく。牛肉ならではのパワフルな質量が、ダージリンの食欲を全部引きずり出していく。
 とにもかくにも、

「おいしー……」

 これに尽きる。
 聖グロの監視の目を潜り抜け、この私だけが、半年ぶりの牛丼を堪能している――最高だった。本能レベルで何もかも満たされた。あまりに幸せだったもので、周りのことなど知ったことではなかった。
 だから、

「……あ」

 ここは相席だ。だから、目の前にいつの間にか男が座っていたとして、何の問題も無い。今は混み合う時間帯なのだ。
 小さく咳をつき、何でもなかったかのように、ダージリンは食事を再開し、

「ダージリン、さん……?」

 びくりと箸の動きが止まった。かわりに、顔面の温度が急上昇していく。
 「え……え……?」と、声になっていない呻き声を上げながら、男の顔を凝視する。たぶん、自分はみっともない表情をしているのだろう。

「ダージリン……さんだ」
「しーっ!」

 男よりもデカい声で、バラすなと警告する。男も「あ、すいません」と萎縮した。
 ダージリンは、何事も無かったかのように食事を続行する。表面上は。

 やばい。自分のことを知っている人に、牛丼の虜となった自分の姿を見られた。
 脳ミソは絶賛回転中で、次にどうすればいいのか、次にどう行動すればいいのか、次にどう口止めすべきか――思考はしつつ、今日も牛丼がうまい。


1~5日間

 

 牛丼定食を食べ終え、手と手を合わせ、「ごちそうさま」と食事に交わす。

 ――内心、茶山は未だにめちゃくちゃ盛り上がっていた。

 何せ、「あの」ダージリンと出会ったのだ。聖グロリアーナ女学院の戦車長を務め、大洗学園艦を救い出した、あのダージリンと。

 

 年を食っていなかったら、たぶん店内でデカい声を出していたと思う――それだけは避けたい、自分はダージリンのファンなのだ。迷惑はかけられない。

 勘定を済ませ、牛丼屋の戸を開ける。また会えたらいいなあと願いつつ、次の食べ歩きの為に携帯を取り出し、

 

「そこのあなた」

 

 強い女性の声がした。あまりに聞き覚えがありすぎて、体全体でとっさに反応してしまう。

 

「あなたよ、そこのあなた」

 

 お嬢様的な金髪に、日本人離れした青い瞳、聖グロの青い制服。

 先ほどまでの高揚感が、再び瞬間沸騰する。願ってもない再会を果たし、逆に何もできなくなる。

 こんな平民の為に、聖グロリアーナのお嬢様が、ダージリンが、牛丼屋の出入り口付近でずっと待っていてくれていた。

 

「あなた……どうして私の事を知っているの?」

「え、あ……」

 

 あ、そうか。

 ばったり遭遇した際、自分はダージリンの名前を口にした記憶がある。別にやましい理由で知ったわけではないが、何となく気まずい気持ちになった。

 

「あ、えーっと、ですね……」

「答えなさい」

 

 ダージリンの二つの目が、茶山をその場に縛り付ける。年下の女の子であるが、ダージリンは間違いなく戦車長だった。

 

「……えと、この前、あなたは大洗学園艦を助けてくれましたよね?」

「え? ああ、この前の」

 

 先月、大洗学園艦が危うく廃艦になりかけた事件があった。そこの卒業生としては、「マジかよ」と吐き捨てたものだ。大洗学園艦には良い思い出も悪い過去もある。

 廃艦を免れる条件は、今度開催される戦車道の試合に勝利すること――相手は優秀な大学選抜チームで、大洗側は圧倒的戦力不足。自分は「無理だろこんなの」とため息をついたが、試合開始前に「転入生」が、戦車込みで続々と駆け付けてくれたのだ。

 テレビ中継を通じ、次々と転入生が紹介されていったのだが、その時の実況ときたら、やけにハイテンションだったのを覚えている。

 西住まほ(現:大洗女子学園所属)、ケイ(現:大洗女子学園所属)、カチューシャ(現:大洗女子学園所属)、西絹代(現:大洗女子学園所属)――戦車道とは個性的なんだなあと思いつつ、緑茶のペットボトルに手を伸ばし、

 

 ダージリン(現:大洗女子学園所属)。

 

 その姿を目にした瞬間、茶山はこうも簡単に心奪われた。単純明快に表現すると、めちゃくちゃ好みだった。

 茶山、大学一年生。生まれて初めて、異性に興味を抱いた瞬間だった。

 

「僕、大洗学園艦の卒業生なんです。だから、あの時の皆さんには感謝していて……それで、戦車道に興味を持ってですね、色々な学園の公式サイトを拝見させていただきました。聖グロには戦車道の特設サイトもあって、情報収集しやすかったですね」

「ああ、あのサイトのことですか。確か、私のプロフィールも記載されていましたわね」

 

 ダージリンが、初めて明るい表情を見せる。

 ――嘘はついていない。

 聖グロの公式サイトには、聖グロ戦車道特設サイトも存在する。もっと正確に言えば、聖グロ全体の公式サイトと、聖グロ戦車道サイトが連携している、と表現した方が良い。

 まず、情報量が凄く多い。聖グロの戦車道に関する歴史はもちろん、全試合の詳細な報告、所有戦車、基本戦術、メンバー紹介、メンバーの名前にちなんだ紅茶の紹介などなど、読み物としても興味を抱ける作りになっている。

 更には、どのページを見ても「この力が聖グロリアーナを華麗に支える」とか「この振る舞いが、聖グロリアーナの戦車道を美しく魅せている」と、自信満々なテキストがついて回るのだった。お嬢様学校ってすごい。

 ――このサイトのお陰で、ダージリンの基本情報は脳ミソに叩き込めた。ダージリンというお茶「だけ」も、知識の中に入っている。

 

「なんというのかな。戦車道にはいろいろあると思うんですが、聖グロの戦車道が一番気になりまして、ね」

「ありがとうございます」

 

 ダージリンが、礼儀正しく頭を下げる。

 ――嘘は、まだついていない。

 ダージリン繋がりで、聖グロの戦車道に興味を抱いているのは事実だ。だが、聖グロ以外の戦車道に関する知識は――先ほど言ったように、拝見しただけ。

 

「すみませんね、何だか迷惑をかけてしまって」

「い、いえ、こちらこそ早まった真似をしてしまいまして」

 

 たははと、茶山とダージリンが笑う。牛丼屋の戸が開いたので、そそくさと場所を移動しつつ、

 

「――ところで」

「あ、なんでしょう」

 

 ダージリンが、えほんと咳をしつつ、

 

「私が牛丼屋へ出向いたこと、だれにも言わないでください」

「あ、それはもちろんですよ、はい」

 

 ダージリンの不利になるような情報なんて、拷問されても吐くものか。

 だって、初めて「素敵」だと思った女性だぞ。

 

「聖グロリアーナ女学院は、良くも悪くも『うるさい』学園ですから。和食は、禁じられているわけではないのですが」

「いえ、なんとなくわかりますよ。お嬢様学校ですからね」

 

 ダージリンも口にするように、聖グロはマナーが積み重なった世界なのだろう。西洋風なのだから、和食は控えるようにとか、そんな事情があるに違いない。

 食事制限をされては、自分如きなど生き残れる自信がない。

 

「ご理解、感謝しますわ。――そういえば大洗学園艦の卒業生、と言っていましたわよね? 今は何をされて?」

「ああ、大学一年です、本土の。名前は茶山っていいます。今は夏休み中でして、一週間だけ旅行を――しばらくはここに滞在です」

 

 ダージリンが、「まあ」と嬉しそうに声を上げて、

 

「旅行、良い響きですわね」

「ええ、この為にバイト代を稼ぎました。八月は集中講義を受けてきたので、清々しく食べ歩きさせてもらってます」

「食べ歩き?」

 

 ダージリンが、自分の顎に手を当てる。

 

「ええ、僕は昔から食べることが好きでして。いつもは本土で食べ歩きをしているんですが、なんとなく、学園艦を巡って食べ歩きしてみたいなーとか考えてしまいまして」

「なるほど……」

 

 考えるポーズはそのまま、ダージリンの視線が斜め上に傾く。何か考え事をしているらしい、その姿がとてつもなく似合う。

 

「――聖グロ付近に、おいしい店はあったりしますか?」

「え? ああ、いくつか抑えてありますよ。そば屋とかピザ屋とか」

 

 勿論、この後も食う予定だ。後腐れがない旅行だからか、足も腹も順調に空いているのだった。

 

「……あなたの迷惑でなければ」

「あ、なんです?」

 

 ダージリンが、深呼吸する。これからプロポーズでもするのかという勢いで、二人の間に「タメ」が生じた。

 閉ざされていたダージリンの両目が、緩慢に開いていく。その青い瞳は紛れもなく茶山を射抜いていて、茶山の体温がみっともなく上がっていく。

 

「……よろしければ」

「は、はい」

 

 ダージリンのお願いなら、たぶん何でも聞いてしまうと思う。

 自分はダージリンのファンであり、魅了された平民なのだから。

 

「明日のお昼休み、あなたの食べ歩きに同行させていただけませんこと?」

 

 え。

 茶山の言動は、ダージリンの一言で制圧された。

 しかしダージリンも無傷では済んでいないようで、頬は真っ赤、目先は地面へ逃げている。

 

「その、あなたの話を聞いていたら、お腹が空いてきまして……」

「え、あ、ああ! なるほど、そういうことですか――分かります。食べ物の話をすると、あれ食べたいこれ食べたいってなりますよね」

 

 流暢に言葉を紡いでいるが、実際は崩れかけた橋の上を走る勢いで口にしている。

 同行させてほしい、という一言で、すっかり動揺してしまっていた。

 

「あ、でも、メモなら渡しておきますから、おひとりでもいかがです?」

 

 よくもまあ、心にも無いことを口に出来たと思う。

 願っても無いシチュエーションを手にしたくせに、茶山ときたら年上のマナーを最優先にした。すっかり背が伸びたらしい。

 

「……お気遣いは嬉しい、のですが……」

「あ、はい」

「――1人で、西洋風以外の店に入るのは、ちょっと恥ずかしくて……」

「え、そうなんですか?」

 

 ダージリンが、重く頷く。

 

「この牛丼屋に入るのに、その……数分かかってしまいましたの」

「……なるほど……」

 

 ダージリンが、制服に刺繍されている校章に手を当てる。

 ――別に、適当に同意したわけではない。なんとなく、分かってしまうのだ。

 聖グロリアーナ女学院という世界は、良くも悪くも高貴だ。公式サイトも凝っているし、そこからティータイム制度が設けられていることも知った。撮影された画像を眺めてみても、皆が皆容姿端麗で、それに釣り合う振る舞いを紅茶片手で表現しているものが多い。

 食事も、ミートパイにうなぎゼリー、フィッシュ&チップスなど、よく厳選されていることが覗える。ダージリンは、普段はこうした食事をとっているのだろう。

 ――こうした食事をとり続けることこそが、「高貴」に繋がるという伝統があるに違いない。

 

「けれど、別に良いと思いますけどね。ここは外国じゃなくて日本なんですし……だから、和食店も多い」

「それでも、私は聖グロの生徒なので、その……」

 

 申し訳なさそうに、ダージリンが目を細める。

 聖グロの生徒なので。それがダージリンの理性であり、本能でもあって、誇りなのだろう。

 

「……分かりました」

 

 ダージリンが、きょとんとする。

 

「僕でよければ、一緒に何か食べましょう。そばでもピザでもなんでも。それでダージリンさんの元気が保てるのなら、ファンとして光栄です」

 

 出来る限り、下心を隠した言い回しをしたつもりだ。

 

「明日の昼休み、ここで集合にしますか? 流石に校門前にいると、ダージリンさんが誤解されてしまう」

 

 了承されたことを解したのだろう。ダージリンが、誇らしく笑みを浮かばせた。

 

「ええ、そのプランで構いません。――ありがとうございます」

「いえいえ。お任せください」

 

 互いに頭を下げる。そろそろ授業が始まるのか、ダージリンは「先に失礼しますわ」と立ち去っていった。

 ――深呼吸する。

 財布の中身を確認するが、特に問題は無い。これだけの札束があれば、二人分の昼食費を支払ったところで痛くもかゆくもないだろう。明日は男気を見せなくては。

 財布をポケットにしまい、携帯を取り出す。次はそば屋かピザ屋以外の店へ寄るとしよう。

 

 

―――

 

 二日目――早朝からビジネスホテルを出ていき、晴れ空の下でうんと背筋を伸ばす。

 夏休みとはいえ、平日から遊ぶのは非常に気分が良い。ずる休みをした時のような、尾を引く罪悪感を抱くこともないからなおさらだ。

 周囲を見渡す。

 ここは本土ではなく、聖グロリアーナ女学院の学園艦だ。西洋風の街並みに仕立て上げられた光景は、日本人の目からすれば十分にファンタジーで、魔法の一発が飛んできても「そういう場所か」と受け入れてしまう気がする。

 だが、ここはあくまで日本だ。行き交う人々もほぼ日本人だから、日本語が普通に通る――つまりは、安全が保障されているということだ。

 だからこそ、安心して盛り上がれるのかもしれない。たとえ異国感が凄まじくとも、ここは「故郷」日本なのだから。

 

 息をつく。

 さて、朝は何を食おうか。携帯を取り出し、適当に検索してみれば――喫茶店がヒットする。

 よし。

 実は茶山は、紅茶をたしなんだことがない。どちらかといえばコーヒー派で、喉が渇けば無糖を味わうことが多い。キツい苦さが、人生の相棒だ。

 そういう生き方をしていたので、紅茶に対する関心は皆無だった。ダージリンに惚れていなければ、紅茶を一生飲むことはなかっただろう。

 

 飲んでみるか、ダージリンを。

 

―――

 

 喫茶店でダージリンを飲み終え、親しみやすい苦さに唸りつつも数時間が経過した。

 そろそろ良い時間になったので、茶山はお上りさんのように街並みを見物しつつ、牛丼屋へ足を運んでいく――到着すると同時に、どこか安心したようにほっとする。

 ここは日本だ、それは間違いない。けれど、牛丼屋という日本の象徴を目にすると、どことなく「帰ってきた」という感がするのだ。

 こうして故郷が懐かしくなるのも、旅行の醍醐味なのかもしれない。そんな風に大人ごっこをしていると、見覚えのある女性が牛丼屋へ近づいてきた。

 

「こんにちは、ダージリンさ、」

「こんにちは」

 

 ダージリンと会うのは、これで二度目だ。厳密にいえば三回目。

 だから、顔を合わせたぐらいで今更緊張したりはしない、しないのだが、

 

「変装のつもりで、買ってみました。い、いかがです?」

 

 ダージリンが、緑色のミリタリーベレー帽を被っていた。

 茶山が沈黙する、感想を見失う。すぐさま「とても似合ってるよ」とコメントしたかったが、残念ながら肝っ玉は普通の男の子クラスだった。

 

「あ、あの、いかがです?」

 

 ベレー帽に向けて、自信なさげに指をさす。口をヘの時に、眉をハの字にしながら、感想を促してくる。

 今、自分の目の前にいる女性がダージリンなのか。強豪、聖グロリアーナの戦車隊隊長なのか。こんな可愛い人が、ダージリンなのか。

 やはり、自分が魅了されたのは間違いではなかったらしい。

 

「……ダージリンさん」

「はい」

 

 ダージリンが、真面目な顔になる。公式サイトで見られるような、誇り高き微笑が見当たらない。

 

「凄く似合ってます、とても可愛いです」

 

 本音だった、めちゃくちゃなまでの本心だった。

 

「そう、ですか」

 

 ダージリンが小さくため息をついた。

 

「良かった……」

 

 祈りを捧げる乙女のように、ダージリンは安堵しながら両目をつむった。

 ――決めた。

 自分は食うことしか取り柄がないけれど、その取り柄でダージリンを喜ばせよう。頼られる限り、自分も男として応えてみよう。

 

「ああ、ごめんなさい。男性に、自分の格好を評価してもらったことがなくて、つい」

「そうなんですか。僕の目だから、信用できるかな……」

「ええ」

 

 はっきりと言われた。

 

「あなたは、私の名誉を守ってくれました」

 

 牛丼屋の件か。

 それは、

 

「約束ですから」

「そう――こんな格言を知ってる?」

 

 最初、茶山は「え」と声が漏れた――思い当る。プロフィールページによると、ダージリンは名言集を読むのが日課で、それを人に聞かせることも趣味なのだという。

 

「勇気ある人は、皆約束を守る人である」

 

 ――格言なんて、そう簡単に思いつけるものだろうか。場に合わせて、一句も間違えずにモノを言えるだろうか。

 ダージリンは、慣れたような表情で「どう?」と見つめてきた。それに対し、茶山は、

 

「……すげえ」

「え」

 

 ダージリンが、びくりと体を震わせる。

 

「凄いですね、ダージリンさんは……。適切な場面で、的確な言葉を引用出来るなんて。インテリっていうのかな、流石です」

 

 自分には無い学を見せつけられ、茶山はすげえすげえと称賛した。こんな風に頭を回転させられなければ、戦車長など勤まらないのだろう。

 ――現在のダージリンは、「え、あ……」と口をぱくぱく動かしていた。顔もどこか赤い。

 

「あ、ありがとう……今の言葉は、ピエール・コルネイユという劇作家が発した言葉なの」

「そうなんですか。なんでも知ってるなあ……」

 

 ダージリンが、困ったように目を逸らす。

 茶山が、内心「うわしまった」と思考して、

 

「す、すみません。その……なんというのか、その」

「い、いいの、気にしないで頂戴。……最近、こういうことで褒められなくて」

 

 か細い声だが、聞いて欲しいという意志がよく伝わってきた。

 格言について久々に褒められたから、ダージリンは不意を突かれた形で戸惑ってしまったのだろう。ましてや「すごい」だの「インテリ」だの「なんでも知ってる」だの、本心からの感想を連続で受けたのだ。ダージリンの表情が変化してしまうのも無理は無かった。

 

「僕は……もっと聞きたいです、格言」

「……こ、こんな格言を、」

 

 間。

 

「そ、それより、今日は何処へ連れて行ってくれるのかしら? はやくしないと、昼休みが終わってしまいますわ」

 

 さらっと話題が変化した。

 あ、そうだ。今日はそういう事情があった。

 

「じゃあ、今日はそば屋へ寄りましょう。この学園艦で、今評判なんですよ」

「ほう」

 

―――

 

 今評判のそば屋へ立ち寄り、出入り口でダージリンが深呼吸した。心の準備が整うまで茶山は待機したが、ダージリンはすぐさま「行きましょう」とだけ。

 戸がからからと音を立て、そば屋の世界が視界に広がる。そばを味わう多数の客に、そば屋の主役たるそば定食が茶山の腹を減らす。ちらりとダージリンの横顔を確認するが、早く食わせろと誇らしく笑みを浮かばせていた。

 早速相席を確保し、「これにします」「では私も」と、同じ注文をする。後は待つだけ――その間にダージリンが店内を一瞥したが、すぐに胸をなでおろす。聖グロの生徒がいないかどうか、確認したのだろう。

 けれど、居たらいたらで問題は無いと思う。もしかしたら、ダージリンの友達になれるかもしれない。

 

 さて、

 食事の準備が万端というところで、茶山とダージリンはお見合い状態になった。出会ってトータル数分程度の関係だから、やはりどうしても会話が生じない。

 自己紹介は済ませてしまったし、戦車道についても深くまでは。こうして見てもダージリンって美少女だなあと抜かしつつ、互いの視線がけん制しあい、

 

「そば定食、二人前をお持ちしました」

 

 出来立てほやほやのそば、温まった白米、安心感がするたくあん、パワフルな天ぷら――これらを前にすれば、余計な緊張感などは用無しだ。茶山は「おっ」と声が出て、ダージリンは「これは……」と、嬉しそうに漏らす。

 自然と、互いが手を合わせ、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 食事に秘められたパワーは凄い。手も動くし、口だって達者になる。

 そばをずるずる食べながら、自然とチームメイトの話をしたり、戦車道について語ったり。茶山が「聖グロってどんな感じなんです?」と質問したところ、ダージリンは特に躊躇うこともなく、

 

「良い場所ですわ。あそこ以外での学生生活など、考えられません」

「ほうほう」

 

 色々と皮肉も出るが、何だかんだいって母校なのだろう。ダージリンは、嬉しそうな顔をする。

 

「優雅さを保とうとするからこそ、自然と競争心も芽生える。だから戦車道『も』強いと思ってますの」

「簡単じゃないですもんね、美しさというものは」

 

 ダージリンが、「ええ」と頷き、

 

「どうして、聖グロには守るべき伝統が多いのか。それは、皆が皆、美しくあって欲しいと願ってのこと――先輩だって聖グロの生徒ですから、無意味な伝統を飾り付けたりはしません」

「ああ、だから僕は、聖グロの戦車道ファンになったのかな。男だって、美しいものは好きですし」

「何が美しいのか、それを決めるのはあなた次第。だからこそ、光栄に思います」

 

 ダージリンが、小さく頭を下げる。

 

「応援しますよ、ダージリンさん。といっても、おいしい店を紹介することぐらいしかできませんけど」

「――こんな格言を知ってる?」

 

 茶山が天ぷらをかじりながら、「お」とダージリンを注目する。強い視線を感じたのか、ダージリンは「えほん」と小さく咳をし、

 

「偉大な思想は、胃袋から生まれる」

 

 二度目の引用を耳にした茶山は、やっぱり「すげえ」と目を輝かせるのだった。褒められ慣れていないらしいダージリンは、そそくさと目だけを逃がしつつ、そばを箸でつまみとる。

 

「なんか格好良い格言ですね。誰が言ったんです?」

「え、えと、ヴォーヴナルグ、フランスの思想家ですわ」

 

 茶山が、「へえー」と声に出して感心する。思想も哲学も疎いものだから、ダージリンの知識量にはやっぱり頭が下がる。

 

「やっぱり凄いなあ、ダージリンさんは。僕、一個上なのに自信なくしちゃうなー」

 

 たははと苦笑する。正直なところ、ダージリンに先を越されたところで悔しくも何ともない。

 いわゆる惚れた弱みという奴だ。

 

「そう思うことはありませんわ。あなただって、食事を追求する為の行動力があります」

「え、それはダージリンさんも同じでしょう?」

 

 ダージリンが「え」と表情を停止させる。

 

「もとはと言えば、僕たちは牛丼屋で知り合ったわけですし。ダージリンさんは、食事に対する行動力――この場合は、決断力かな? それがあります」

 

 ダージリンが、顎に手を当てる。その間は食事に手をつけず、茶山の手も自然と止まる。

 そして結論に至ったのか、ダージリンがちらりと目を向けてきた。

 

「あれは、お腹が空いたから……いえ。結局は、決断力が無ければ牛丼を味わえませんでしたか」

「ええ」

 

 次の言葉が、すぐに出る。

 

「ダージリンさんが隊長でいられる理由、分かった気がします。あなたは、やりたいことは全部やってしまうんですね」

 

 そばを咀嚼し、たくあんに手を伸ばす。どうしても食欲は抗えないものだが、何を食って食欲を満たすのかは本人次第だ。

 ダージリンに食への決断力が無ければ、今頃は出会わずじまいで学園艦を立ち去っていたに違いない。それが、茶山にとっての大きすぎる根拠だった。

 

「……あなたは、聞き上手なのですね」

「え、そうですか?」

「ええ。チームメイトの話にしろ、戦車道の話にしろ、あなたはいつも肯定的に頷いてくれたではありませんか」

 

 チームメイトの話をされた時は、「ローズヒップはもうちょっとお淑やかに……素質はあるのに」というセリフに対し、茶山は「良い人ですね、ダージリンさんは。普通だったら諦めてしまいます」と頷いた。

 戦車道の話をされた時は、「新しい戦車を導入するのに、これほど面倒な学園もあるでしょうか」という愚痴に対し、茶山は「導入すればもっと強くなると思いますが、今の聖グロも十分に強いです。ダージリンさん、いつも自信満々じゃないですか」とかなんとか言った。正直、この意見は割と強気だったと思う。

 

 確かに、これらの言葉は本音であり本心だ。だがそれ以上に、ダージリンに気に入られたいという下心もあるにはある。

 だから、ダージリンの言葉に対し、肯定的な意見を発掘する。万が一否定するにしても、それは肯定への布石にしなくてはいけない。

 

「――聞き上手とは、ちょっと違います」

「そうなんですの?」

「ええ。ダージリンさんの人柄が良いから、つい頷いてしまうだけなんです。聞き上手ってわけではありません」

「そんな……人柄云々は、単に、敵を作らないように意識しているだけです」

 

 そう言うものの、ダージリンは陰りのある表情でそばをすする。世の中を生き抜く為に、聖グロの世界で輝く為に、己が損得勘定を口にしたつもりなのだろう。

 だが、

 

「なるほど。その考え方、よくわかります」

 

 ダージリンが、「え……」と声を漏らす。

 

「僕もそうですよ。敵を作るとロクなことがないし、メシもまずくなりますから。だから、ダージリンさんの生き方はわかるなあって」

 

 今のダージリンの言葉には、色々と意図があるのだろう。けれど本音なんてものは目に見えはしない、結局は目視出来る行動こそが評価の全てだ。

 利益になるからこそ、敵を作らない――その生き方に、茶山は心の底から同調した。

 

「……説得力がありますわね」

「そうですかね」

 

 えへへと笑いながら、そばを完食する。箸でたくあんをつまみ、ごりっとかじる。

 

「……こんな格言を知ってる?」

「おっ」

「そんな風に、興味深く表情を変えないでくださるっ」

「え、どうしたらいいんですか?」

 

 実に楽しそうに意見を乞う。ダージリンが、「むう」と声を漏らしつつ、

 

「……分からないので、このまま聞いて」

「はい」

 

 どんな格言が飛び出すのかな、何を知ることが出来るのかな。

 いつも思うが、ダージリンの知識量は本当に凄い。聖グロという世界で生き残る術を知っていて、強豪であり続けられる戦術眼も備わっている。更には、格言に対する興味も現在進行形で膨らんでいるに違いない。

 本当に敵わないなあ、と思う。最高の人だなあ、と思う。

 

「全ての人を称賛する者は、誰をも称賛しないのと同様だ」

 

 ダージリンが深呼吸する。

 

「これは、別に皮肉で言ったつもりではないの。ただ、気を付けて欲しいというだけ」

 

 茶山は、素直に頷いた。嫌な気持ちなど、これっぽっちも抱いてはいなかった。

 なぜなら、

 

「忠告ありがとうございます。ですが、心配しないでください――ここ最近は、ダージリンさんのことしか称賛していません」

 

 ダージリンが天ぷらを噛み、ぴったり停止した。

 

「僕だって普通の人間ですから、称賛したくない奴もいますし、したい人だっています。――ただ、称賛『したい』人って、あまり出会わないんですよね。友人や家族のことは好きなんですが……ああ、好きだからかな」

 

 ダージリンの青い瞳だけが、こちらを覗っている。茶山は、恥ずかしそうに、

 

「けど、ダージリンさんのことは、心から称賛してますし、尊敬してます。ファンとして、これは断言させてください」

「……あなたという人は……」

 

 やばい、大袈裟に言いすぎただろうか。

 ダージリンの人柄や言動、知識量は、茶山からすれば感嘆に値する。仮に下心を抜きにしても、「この人は凄い」と評しただろう。

 ――そば屋は今も盛況で、自分の席以外からおしゃべりが聞こえてくる。それはドラマの話だったり、オカルト関連の噂が聞こえてきたり。仕事に対する愚痴も、耳に入ってきた。

 ただ、この席だけが硬直している。

 一方は、身構えるように聖グロの生徒を見つめている。

 一方は、瞬きを繰り返しながら旅行者を凝視している。

 

「……ほんと、」

 

 ふう、と息をついた。

 

「聞き上手、ですわね……」

 

 少しの間。

 茶山は、横に首を振るう。

 

「いえ、ダージリンさんの人柄が良いから、ですよ」

「……決めたつもり?」

「ええ」

「さすが年上」

 

 くすりと、ダージリンが笑った。

 ――この表情を貰えただけで、この学園艦に来たかいがあったと思う。

 

「あ、そうだ」

「はい?」

 

 ダージリンが、てんぷらを食べ終える。

 

「さっきの格言、どこからの引用ですか?」

「……サミュエル・ジョンソン。イングランドの文学者ですわね」

 

 ほう、と、茶山が感心し、

 

「やっぱり、ダージリンさんは何でも知ってるなあ」

 

 ダージリンは、頬を赤く染めながら白米を食べた。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 この後、茶山は二人分の食費を支払おうとして――やめた。

 昼食の料金を支払う今のダージリンに、誇らしさはどこにもない。ただ、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 聖グロの昼休みは、そろそろ終わりを迎えるだろう。名残惜しいという気持ちもあったが、正直なところめちゃくちゃ満足していた。

 裏話も聞けたし、議論もした。格言だって聞けた。ダージリンの一ファンとしては、他のファンに殴られてもおかしくない経験をしたと思う。

 これが最後の出会いになったとして、悔いはないと思う。そりゃあ恋愛感情はあるものの、何も結ばれるだけがゴールではない。何かの役に立てるなら、それはそれで構わない――そういう奴だって、この世にはいるものだ。

 さて。

 

「じゃ、僕はそろそろこれで」

「そうですわね――ところで、明日は何を食べにいきますの?」

「そうですね、次は、」

 

 間。

 

「えっ、また昼休みに合流するんですか?」

 

 ダージリンは、何言ってるんだろうという顔で茶山を見つめる。

 

「ええ、そうですけれど……何か問題が?」

「え、いやその、三日目になるんですが……いいんですか? ただの食べ歩きですよ?」

「かまいませんわ」

 

 間違ったことなど言っていないとばかりに、ダージリンはにこりと笑う。

 

「色々なものを食べてみたいというのも、それはそれで本音です」

「ふむ」

「けれど、あなたともっとお話がしたいのです。あなたは聖グロの生徒でも、戦車道履修者でもない。だからこそ、話せることがたくさんある」

 

 この時、あずかり知らぬところで心臓が止まったと思う。

 茶山は、ダージリンの瞳を見る。ダージリンは表も裏も利用するような女の子で、自身もそれを自覚している。だからこそ、聖グロでひと際輝く存在として君臨しているのだろう。

 だからこそ、ダージリンとああだこうだと話せる相手なんて、そうはいないはずだ。聖グロなら尚更、大半の雑談ですら建前に建前を、おまけにシールドを張ったような言い回しが展開されているに違いない。

 ――自分は平民だから、聖グロの会話を再現することなんか出来ない。思い返してみると、何だかとんでもないことばっかり言ってきた気がする。男としての下心がバレてないだろうか、単に見逃されているだけなのではないだろうか。

 呼吸する。

 

「その……僕はただの食べ歩き好きですよ? タダの、大学生ですよ? 面白いことなんて言えるかなあ」

「それは分かりません。会話の流れなんて、日に日に変わるものですわ」

 

 きっぱりと言い切られた。

 

「けれど今日は、美味しいものを食べながら、普段はできない話を口に出来ました」

 

 人差し指を、ぴんと立てる。ダージリンは、こういうポーズがとても似合うと思う。

 

「あなたは最後まで、私の話を聞いてくれましたわ。そう応じられる人は、見ていて気分が良くなるものです」

「あ、ありがとうございます」

 

 思わず、教師を相手にするように頭を下げる。

 

「そんなかしこまらず。私とあなたは対等の立場なのですし」

「いえいえ、ダージリンさんは聖グロのエースじゃないですか」

「そう? けれど、あなたは私の弱みを握っているではありませんか」

 

 くすりと、「いつもの」悪そうな笑みを浮かばせる。茶山は「まいったなー」と苦笑しつつ、

 

「まあ、そのことは絶対にばらしませんよ。ファンですし」

「ありがとう――ああ、これは完全に私情なのですけれど」

「あ、はい」

 

 ダージリンが、今度は恥じらいを込めたように目を逸らしつつ、

 

「……格言を言う際に、関心を抱かれるというのは、なかなか爽快になれますわね」

 

 その言葉を聞いて、茶山は嬉しそうに含み笑いがこぼれてしまう。

 ダージリンも「女の子」なのだなあと、思わず気分が良くなってしまった。

 

「ちょっと、何がおかしいんですの? もう言ってあげませんわよっ」

「あ、すみません。ダージリンさんの格言、聞かせてくださいっ」

 

 手と手を合わせ、「この通りっ」と頭を下げる。ダージリンは呆れたように、「もう」とリアクションしつつ、

 

「まあ、格言を口にすることはライフサイクルですしー、我慢するくらいならコーヒーを飲みますしー」

「そう怒らないでくださいよダージリン様」

「はあ。――また明日も、色々な話を聞いてくださる?」

 

 茶山は、当然だとばかりに頷く。旅行の予定は、聖グロリアーナ女学院学園艦関連でぎっしり埋まることになりそうだ。

 

「当然です。僕も、おいしいところリサーチしてますね」

「ありがとう。傾向に関しましては、あなたのお好きなように」

「期待に応えてみせます」

 

 ダージリンが、満足したように薄く笑う。まだ三度目しか会っていないというのに、随分と長く経過した気がした。

 

「それでは」

「ええ、また」

 

 ベレー帽をかぶり、ダージリンは華麗な世界へ舞い戻っていく。自分なんぞ、一生手の届かないところへ。

 さて――旅行の予定を変更するか。

 

―――

 

 昼休みの時だけ、ダージリンが姿を消して三日目になる。

 同じクラスメートのアッサムも、「最近、昼休みになると外出するようになりましたね」とコメントするほどだ。聖グロの昼休みといえば、食堂で英国風のメニューをたしなみつつ、戦車道や将来について語り合うことが多いというのに。

 世の中、何事も三度目までなら許される。万が一四度目があったとしたら――たぶん、周囲の人間がこそこそと質問するのではないだろうか。

 特に、オレンジペコとアッサムは黙ってはいまい。姿を消すのは昼休みの時だけだが、それだけでも立派な非日常に等しい。

 ――だが、ダージリンは時間通りに聖グロへ帰ってくる。その後は全てが元通りとなり、有能な戦車隊隊長として、今日も聖グロを輝かせるのだ。

 

 けれど、とルクリリは思う。

 外出する時、どうして隊長はあんなに嬉しそうな顔をするんだろう。

 

―――

 

 

 今日も晴天に恵まれ、争いのない平和な世界の下で、茶山とダージリンはピザ屋でビスマルクピザを注文する。

 店内のテーマは「茶」と「レンガ造り」で構築されていて、控えめなフランクさが茶山とダージリンの好みに合致した。ダージリンは「いい雰囲気ですわね」と店を一瞥しつつ、聖グロの生徒がいないかどうかを確認する。

 よし。二人は同時に頷いた。

 平日の真昼間だからか、客数はそれほど多くはない。けれど、ジャズが流れる店の世界と合っているようで、不思議と寂しさなどは感じられないのだった。

 

 これで三度目だからか、早速とばかりに雑談が始まる。先に口を開けたのはダージリンだった。

 

「私が帰った後、何を味わいました?」

「ケバブを食ってました」

「まあ、パワフルですわね……ああ、お腹が空いてきましたわ」

「ダージリンさん、食事が好きなんですね。いいことです」

「ええ。気の合う人との食事は、何物にも勝りますわ」

 

 ダージリンが、何の恥ずかし気もなく「交友宣言」をする。茶山の気分は真昼間から最高になって、「えー」と呟くことで感情を排熱させる。

 

「僕はただのファンですよ」

「――こ、」

 

 瞬間、茶山の目がセンサーのように光った。ダージリンもそれを察し、セリフの動向が止まる。

 

「……こんな格言を、知ってる?」

「教えてください」

 

 ダージリンが、しらーっと目を細め、

 

「もう……どうして、そこまで興味がおありで?」

「もちろん、興味があるからですよ」

「む――いつも思うのですけれど、そう耳を傾けられては、調子が狂ってしまいますわ」

 

 そういうものなんだなあと思う、何となくわかるなあとも思う。

 こういう「決め台詞」というのは、サラッと口にするから決めに繋がるのだ。それに対して身構えられては、ハードルが上がったような感じがしてやりづらくなってしまうのだろう。

 失敗したなーと思う。けれど、今更退いたところで空気は払拭できまい。ファンとしては申し訳ないが、ダージリンにはやり通して貰うしかない。

 

「す、すいません……」

「い、いえ。その姿勢は、立派だと思ってますわ」

 

 茶山が、「どうも」と小さく頭を下げる。ダージリンは気を取り直し、

 

「人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない――ドイツの小説家、ハンス・カロッサの言葉です」

 

 茶山は、当然のように「ほー……」と顔全体で表現する。やはり慣れないのか、ダージリンはこそばゆい感じで目を逸らして、

 

「私とあなたがこうして出会ったのも、目には見えない……いえ、牛丼という共通点があったから。それだけで、交友関係は約束されていたと思います」

「牛丼か……何か、食べたのがだいぶ前な気がします」

「私も」

 

 おかしくなって、茶山とダージリンが声無く笑う。出会うたびに喋りたいことを喋るものだから、たった四十五分間の昼休みが長く感じられてしまう。

 

「……間違っていたら申し訳ないんですが」

「どうぞ」

 

 意味も無く自分の服を握りしめ、少し荒っぽく服を正す。

 思い付きの緊張に、茶山が唸り声を出す。そんな茶山を前にして、ダージリンは表情一つ変えずに茶山の言葉を待っていた。

 

「えーっと……僕、ダージリンさんのこと、友人だと思って、いいんですかね……?」

 

 苦し紛れの言葉だった。ファンご法度の宣言だった。

 しかし、ダージリンは何を躊躇うこともなく、「ええ」と頷いた。

 

「先日は、色々な話を聞いてくれたではありませんか。それも、食事を共にしながら」

「まあ、そうですが」

「あなたは聖グロの生徒ではない、戦車道履修者でもない。だからこそ、あそこまで話せる時点で、友人と証明しているようなものですわ」

 

 縋るものがないからこそ、話せるかどうかで交友関係が決まる――自分は、それに選ばれたらしい。

 喜びはする。けれど、どちらかといえばほっとした。ダージリンに受け入れられた安心感が勝ったから。

 

「じゃあ、僕で良ければ何なりとお話ください。勿論、秘密厳守にしますよ」

「ありがとう――けれど、今日は、あなたの話が聞きたいですわね」

「ぼ、僕の? 僕は、ロクな人生持ってませんよ」

「さあ、どうかしら……?」

 

 困ったなあと苦笑していると、店員が「お待たせしました」と、ピザの乗った皿を置く。自己主張の激しい湯気が昇るビスマルクピザは、建前の理性など吹っ飛ばし、食欲をふん捕まえて正座させる。

 ダージリンを見る。

 やはり、ピザを食べるのは久々なのだろう。「まあ」と、顔を電球のように明るくしていた。

 

「さあ、食べましょう」

「ええ」

 

 手と手と合わせ、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 

 あらかじめ分割されていたから、茶山の分、ダージリンの分と、目で確保することは容易だった。

 ピザを食って気を良くした茶山は、

 

「最近、ダージリンを飲んだんですよ」

 

 とか自己主張し、ダージリンは嬉しそうに「まあ、いかがでした?」と感想を聞いてくる。茶山は「そっすねー」と前置きし、

 

「親しみやすい苦さ、というのかな。僕はコーヒー派なんですが、ダージリンも好みの味でした」

 

 まるで自分の娘が褒められたかのように、ダージリンは自信満々に微笑する。

 

「そうでしょう。ダージリンは、初心者向けの味をしていると思ってますの」

「ええ。僕も紅茶の世界は知らなかったんですが、いいですね」

 

 うんうんと、二度頷きつつ、

 

「次は、アールグレイやアッサムティーを飲んでみようかなと」

「紅茶の素晴らしさ、どうぞご堪能くださいませ」

 

 ダージリンは、フォークでピザを味わっている。食べ物に、差なんてものはない。

 

「ああ、そういえば聞いてくださる? 先日、気を強くしてOGと交渉してみたのですけれど――」

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 ピザ屋を出れば、先ほどと変わらない青空が茶山とダージリンを迎えた。今日も色々と話し合ったからだろう、茶山は山頂気分で深呼吸した。

 

「今日もお付き合いしてくださって、感謝していますわ」

「いえいえ、ファンとして、」

 

 ダージリンが、人差し指で己が口に手を当てた。ウインク込みで。

 そうだ。そういえば、そうだった。

 

「失礼、友人でしたね」

「その通りです」

「確かに、友人じゃないとOGの悪口なんて、ねえ?」

「ええ、言えたものではないですわ。告げ口されるかもしれませんし」

 

 茶山とダージリンは、「ふふふふ」と含み笑いをこぼす。

 本日はOGが飯の種となったのだが、ダージリンからすれば「尊敬はするがやかましい相手」らしい。聖グロの伝統を守り抜き、また新たな伝統を積み重ねていく姿は、後輩からすれば立派な見本のようだ。

 

 だが、戦車道に関わると話が変わってくる。聖グロは伝統の要塞であり、戦車道の強豪校でもあるから、「あの戦車を導入することが正しい」「それよりもあの戦車が重要」「この戦車を導入しなかったら……お分かり?」と、積極的に口出ししてくるとかなんとか。金を出して貰っている都合上、ダージリンもおいそれと反論出来ないらしかった。

 もちろん、OGへの罵詈雑言なんて聖グロの生徒相手には吐き出せない。その他の戦車道履修者だって、それ繋がりでチクられる恐れもある。心配しすぎかもしれないが、ダージリンの戦術眼がそうはさせない。

 なので、赤の他人である茶山が、話し相手としてピッタリだったというわけだ。茶山は完全にダージリンの味方であるから、顔も知らぬOG相手に「頭かったいですねー」とか「有終の美を飾りゃいいのに」とか「うぜー」とか「力になりますよ」などと好き勝手に意見したものだ。

 

「ふう――やはり、あなたには何でも話せますわね」

「それほどでも」

「……ああ、もうこんな時間。こんなにも時を早く感じるなんて――良いものですわね」

「ええ」

 

 これ以上無い、「楽しかった」という感想だった。

 

「それでは、私はこれで。明日も、ご迷惑でなければ案内してくださる?」

「もちろん」

「ありがとう。では」

 

 ベレー帽をかぶり、ダージリンは走りもせずに立ち去っていく。

 改めて、深呼吸する。

 見慣れない車が、茶山の目の前を通過していく。街並みの中で揺れる看板が、茶山の記憶に少しだけ残る。轟音が鳴り響いたかと思えば、戦車が道路を通過していき、赤信号で停止した。

 ここも、随分と歩き慣れた。食べ歩きとは、食べ物や地理、出会いをくれるものなのだなあと実感する。

 

―――

 

 四日目――聖グロから外出しようとするダージリンに対し、アッサムが「待ってください」の一声でダージリンを捕まえる。

 淑女であるダージリンは、無意味に無視したりはしない。だからその場で立ち止まり、何でもなかったかのように振り向くのだ。

 

「アッサム、それにルクリリ」

「隊長。お急ぎのところでしたら、申し訳ありません」

 

 ベレー帽を手にしたダージリンが、構わないと首を小さく振るう。

 

「ありがとうございます。――この四日間、どこへお出かけに?」

「少し散歩を」

「昼食も食べずに?」

 

 沈黙。

 

「……外で、食事を」

「なるほど――食事内容は、聞かないでおきます」

 

 アッサムが、納得するように小さく頷く。

 ――今のところ、アッサムしか口を開けていない。だが、アッサムがここまで単刀直入にモノを申せるのも、ルクリリという「仲間」がいるからだ。

 ルクリリが食堂へ向かう最中、たまたまアッサムと出会い、「隊長を見なかった?」と質問された。遂にこの時が来たかと、アッサムとはアイコンタクトで「探そう」と意思疎通を図り、現状に至るわけである。

 一人よりも二人で、これは何事にも通じる戦術だ。

 

「……一日だけの気分転換はともかく、四日間も連続で外出するとは――この傾向は、初めて目にしますね」

「――もう少しで卒業でしょう? だからこそ、こういうこともしてみたくなるの」

 

 なるほどと、アッサムが頷く。

 

「そういえば、そんな時期でしたね。なるほど、わかります」

「そう、そういうこともあるのよ」

 

 もう九月だ。

 ルクリリもアッサムも同じ三年であるから、何処か遠い目でダージリンと語り合う。

 

「そのベレー帽も、気分転換の一環ですか?」

「ええ」

「……珍しいですね。隊長が、帽子をかぶるなんて」

「そうかしら」

 

 そういえば、ダージリンが帽子をかぶった姿を見たことはない。きっと、よく似合うのだろう。

 

「アッサムも、何か被ってみては? 良い気分転換になるわよ」

「考えておきます。――そうですか、外食でしたか」

 

 ダージリンが、こくりと頷く。アッサムは、納得したように頭を下げて、

 

「お時間をとらせていただき、ありがとうございました」

「いえ、いいのよ。四日間も外出とあれば、気になっても仕方がないわ」

 

 これ以上、根掘り葉掘り聞くことは、淑女としてマナーに反する。

 それをアッサムが感じ、ダージリンが察したのだろう。互いに、分かりあうように穏やかな笑みを見せていた。

 

「なるほど、外食を……」

 

 そんなダージリンとアッサムを見て、ルクリリも不思議と上機嫌になる。

 

「隊長、凄く嬉しそうに外出するから、私も気になっていたんですが――そういうことでしたか」

 

 ダージリンが苦笑する。アッサムは「そうだったんですか」と、今知ったようにコメントした。

 ――悪くない気分だ。だから、ルクリリは適当な感じで、

 

「私はてっきり、だれかと待ち合わせしているのかなーと」

 

 瞬間、ダージリンからの強い視線を真っ向から浴びた。アッサムは「えっ」と動揺し、ルクリリは「え、なんです?」とダージリンに問うた――が、聖グロ出身のルクリリの頭脳は、すぐさま危険信号を発した。

 

 先ほどまでの穏やかなダージリン様は、何処かへ旅立っていった。今ここにいるのは、ルクリリの事を初めてガン見するダージリン隊長である。

 聖グロの玄関で、ダージリンとルクリリは、対等の位置に突っ立っていた。武器を片手に持っていれば、決闘と見なされても全くおかしくはない。アッサムは「ああ……」と声を出し、事態を眺めることしかできないでいた。

 脳内でエレキギターの音色が響き渡る。生きて帰ることが出来るのだろうかと、他人事のように思考する。

 

「……し、失礼」

 

 が、流石は聖グロの戦車隊隊長だった。

 何事も無かったかのように、首を小さく振るうだけで表情が元通り。

 

「待ち合わせなんてとんでもない。ただ、外食を楽しんでいるだけですわ」

「そうでしたか……申し訳ありません。失言でした」

 

 ダージリンが、「いいのよ」と一言で許した。

 

「あ、気づけばもうこんな時間……ごめんなさい、そろそろ出かけるわ」

「は、はい。外食、楽しんできてくださいね」

 

 手を振るいながら、ダージリンがルクリリとアッサムの前から姿を消していく。

 ――校門を通り過ぎたところで、ようやくアッサムが長い溜息をついた。

 

「……ルクリリ~」

「ごめんっ、つい」

 

 手を合わせながら、アッサムに頭を下げる。先ほどのダージリンと同じように、アッサムも「いいわ」と許してくれた。

 

「――あんな顔、するのね……」

「ええ、あの眼光は凄かった。消し炭にされそうだった」

 

 アッサムは、否定はしなかった。

 

「……で、さ」

 

 今のルクリリは、正直なところ、あまりモノを考えてはいない。

 そんなルクリリに対し、アッサムは疲れ果てた様子で「何……?」と応答する。

 

「隊長、誰かと会うつもりなのかな」

「……そうでしょうね」

「知り合い……といっても、隊長に知り合いは多いからなー。特定できないや」

「そうね……」

 

 放課後になれば賑わう校門前も、昼休みともなれば寂しいものだ。

 お嬢様学校らしく、昼休みになっても喧騒は聞こえてはこない。大多数は食堂に集まり、お淑やかに雑談を交わしあっているのだろう。

 

「……これはさ、我ながらアレな推測なんだけどさ、言っていい?」

「どうぞ」

「――男性、かなあ?」

 

 アッサムが、ロングヘアーを撫でる。

 

「ああ、ありえるわね。あの様子なら」

 

―――

 

 失敗した。

 淑女らしさをかなぐり捨て、こうして走るハメになっているのも、全ては自分の責任だ。

 自分は聖グロの有名人だ。だから、一つ一つの行動が目に入るのも仕方がないことだ。

 自分は聖グロの戦車隊隊長だ。だから、不自然に姿を消そうものなら疑問に思われる。

 アッサムは何も悪くはない、ルクリリも当然の疑問を抱いただけだ――聖グロからすれば、まる四日間の不在なんて目立つに決まってる。そんなことに気づかないほど、あのひと時がとても楽しかった。また堪能したかった。

 

 また、チームメイトのことで語り合いたかった。また、戦車道について意見を貰いたかった。また、OGをけなしたかった――また、格言を言って褒めてもらいたかった。

 それほどまで、茶山は頷き方が上手かった。茶山は「自分よりダージリンの方が上」と言っていたが、そんなことはない。

 茶山がいなければ、こそこそと好きなものを食べて、好き勝手に談笑することなど出来るはずがなかった。そこに上下は関係ない、ダージリンと茶山がいるかどうかが大事なのだ。

 

 戦車道を歩む都合上、体力を鍛えてはいる。だから、最初から全速力なんて、効率が悪いことも分かってはいる。

 だが、茶山と会ってのんびりと昼食をとるには、多大な余裕が必要なのだ。しかも、茶山は明日にでも学園艦を去ってしまうかもしれない。旅行の期限は一週間と聞く。

 だから走る。ダージリンは、時間が有限であることもよく知っているから。

 

 そして、牛丼屋の前にたどり着く。途中でベレー帽を落としそうになったが、手で押さえつけて何とかした。このベレー帽だって、昼食における大切なパーツなのだ。

 

「あ……ダージリンさん? どうしたんですかっ」

「ご、ごめんなさい。ちょっと用事があって」

 

 ダージリンが両肩で息をする、空気の供給が遅れているのがよく分かる。もっと走って、肺を鍛えておけば良かった。

 

「そうですか……大丈夫ですか? その、めっちゃ走ってきたっぽいですけど」

「も、問題ありませんわ。う、苦しいかも」

 

 茶山が「すみません」と一言口にして、ダージリンの背中をさすった。

 呼吸が整っていく。背中が順序良く温まっていく。間違いなく、手厚く対処されている。

 ――思うと、こんな風に優しくされたのは久々かもしれない。頼られることはあれど、その逆はまるで覚えていない。

 

「どうですか? ダージリンさん」

「あ……うん、うん、楽になってきましたわ」

 

 徐々に、普通に呼吸出来るようになった。沸いて出た吐き気も、大分マシになった。

 体を鍛えているといっても、基礎はお嬢様か。「はあ」と大きく息をつく。

 

「ご心配をおかけしました。私はもう大丈夫です」

「よかった」

「その……ありがとうございます」

 

 茶山は、なんでもなかったように親指を立てる。

 

「ふふ……あ、時間は」

「あ、正直微妙ですね。牛丼屋の前にいるとはいえ、早めに食わなきゃ間に合わないかも」

「そうですか……」

 

 心底、力が抜けた。食べるものは正直何でもいい、問題は飲み食いしながら雑談出来るかどうかだ。

 ダージリンは、残念そうに視線を地面に落とした。誰も悪くはない、それ故に悔しい。

 

「――ダージリンさん、次の機会がありますよ。それとも、放課後にします?」

「……午後は戦車道の授業を行うことが多くて、その後にはティータイムが開催されますの」

 

 意図をすぐ理解したのか、茶山は「あー、なるほど」と納得した。

 

「それじゃあ、腹が満たされてしまいますね」

「ええ……」

 

 何も食べなくても、話ぐらいは出来る。茶山も、そこは了承してくれるはずだ。

 けれど、食べ物とは、人間の明るさを引き出す力があると思う。一緒に食事をするだけで場を共有できるし、連帯感が募って自然と話題も生じる。ティータイムの際は、ふと談笑がこぼれ落ちるし、茶山との食事はああだこうだと愚痴をこぼすことが出来る。

 だから、「食事をしながら」というのは、絶対に外すことの出来ないパーツの一つだった。茶山が食べ歩き好きならば、なおさらだ。

 

「うーん……あ、そだ」

 

 ダージリンが、「え」と力なく声を出す。名案を思い浮かんだらしい茶山に、陰りなど失せていた。

 

「えーっと、聖グロ的にはマナー違反かもしれませんが……」

 

 何を言い出すのだろう。

 自分の頭では、一生思いつかないことを口にするつもりなのだろうか。

 

「えっと、ダージリンさんは、コンビニで何か買ったりします?」

 

 ダージリンが、無言でまばたきをする。茶山が、気まずそうに「あー」と声に出す。

 

「あ、無いっぽいですね……何かコンビニで食い物を買って、聖グロまで歩きながら食う……とか」

 

 実に恥ずかしそうに、実に申し訳なさそうに、茶山が案を口にする。

 プランを聞いたダージリンは、表情に明るさを取り戻していく。

 

「正直、聖グロの生徒としては……けれど、いい案だと思いますわ。効率的で、それでいて学生っぽくて」

「学生ですけどね」

 

 茶山とダージリンが、くすりと笑う。

 

「じゃ、コンビニへ行きましょうか。場所は確保してあるので」

「はい。エスコート、よろしくお願いしますわね」

 

 茶山が、腰に手を当てる。

 

「お任せください。必ずや、お姫様の身を守り通します」

 

 ダージリンも茶山も、何言ってるんだかと含み笑いする。

 

 

 実は、ダージリンはコンビニというものに入ったことがない。

 学生寮からは朝食と夕食が提供されるので、腹の中が不足することはほとんど無いのだ。足りないと思えば、追加を頼めば良い。

 だから、必然的にコンビニへ通う必要性が薄くなる。別に苦手意識を持っているとか、そういうわけではない。

 

 故に、コンビニへ入った時は「何でも揃ってる……」と感嘆したものだ。雑誌はもちろん、簡単な筆記用具まで売ってある。食べ物の種類だって豊富だ。

 すっかり食への抵抗を失っていたダージリンは、あれが食べたいこれが食べたいと盛り上がってしまった。そんなダージリンに対し、茶山は「パンがおすすめですよ」とアドバイスしてくれたものだから、すぐさま意識をパンコーナーへコーナリングする。

 時間は有限だが、ここで焦ってはいけない――ダージリンは直感的に、クリームパンを選び抜くのだった。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 袋を開封し、クリームパンがダージリンの前に姿を現す。袋に透けて見えてはいたものの、「所有権」があるのとでは印象がまるで違う。

 早速とばかりに、思い切りクリームパンにかじりつく。

 

「おいしい……!」

 

 喜色満面の笑みを浮かばせながら、茶山とともに聖グロへ足を進めていく。茶山はホットドッグを口にしながら、「それは良かった」と安堵した。

 色々あったが、今となってはアッサムとルクリリに感謝している。二人に呼び止められなければ、一生、コンビニへ入ることは無かっただろうから。

 

「コンビニも良いものですよ。まあ、聖グロ的には……ね?」

「ええ。ですが、時間が無い時は有効活用させてもらいますわ」

 

 移動しながら昼食をとる。聖グロ的には褒められたものではないが、かけがえのない時間を失うよりはよっぽどマシだ。

 自分は、茶山に話したいことがたくさんあるのだから。

 

「あ、時間といえば」

「なんです?」

「確か、一週間の旅行と言ってましたわよね?」

 

 茶山が、「あー」と声を伸ばし、

 

「そうですね。予算的にも、これぐらいが丁度いいかなと」

「そうですか……今日で四日目になりますが、あなたはいつ、次の学園艦へ?」

 

 茶山は言った。「食べ歩きをする為に、学園艦を巡る」と。

 一言も、聖グロリアーナ女学院学園艦「のみ」とは口にしていない。

 

「次ですか? 次はー」

「ええ」

「無いです、最後までここに滞在します」

 

 クリームパンを味わっていた、ダージリンの口が止まる。

 

「僕、土曜の夕方までここにいますよ」

 

 間。

 

「え、どうして……あなたは、学園艦巡りをするつもりでは?」

「ああ、それなんですけどね、今年はやめました」

 

 あっさりと言った。

 

「ど、どうしてですか?」

「え、それはー」

 

 茶山は、間違いなく食べることが好きだ。値段問わず、食欲を満たすことが茶山の趣味だ。

 食べ歩くための旅行とは、実に大学生らしい夢の叶え方といえる。それを実現させる為に、茶山はバイトを行ったり、集中講義を受けたりしたのだ。

 本当なら明日にでも旅立って、アンツィオあたりで食べ歩きを決行していたに違いない――けれど、茶山は夢の叶え方を変えた。聖グロリアーナ女学院学園艦で、お腹を満たすことに決めたのだ。

 なぜ、茶山はそう判断したのだろう。この学園艦で、何かがあったのだろうか。

 ――そんなの、自分がよく知っているじゃないか。

 聖グロリアーナ女学院へ通うだけの頭脳があるくせに、気づかないなんて嘘だ。ズルだ。

 

 茶山は、ただただダージリンを真っ直ぐ見つめた。

 

「ダージリンさんと、もっと話がしたいから」

 

 ああ、そうか、やっぱりそうなのか。

 

「――そう」

「はい」

 

 茶山は、答えたいように応えた。

 これまで、男性と仲良くなったことなんてない。けれど、牛丼の一つを注文するだけで世界が変わってしまった――出会いなんて、そんなものだと思う。

 茶山のことは、話せる友人だと思っている。聖グロとは無関係で、戦車道とも無縁であるからこそ、ここまで進展出来たのだと思う。

 

「……こんな格言を知ってる?」

「え、何です?」

 

 また、目を星のようにきらきらと光らせる。

 そうやって、また自分を困らせてくれる。

 

「友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである」

 

 そう――

 ダージリンも茶山も、互いに顔を合わせて話がしたいと思っている。そうでなければ、ここまで進展することなどできなかった。

 

「そ、そんな、僕はダージリンさんのことをよく……いや、知っているのかな? 色々聞かされましたし」

「ええ」

 

 クリームが、口の中に染み渡る。甘くて、自然と笑みがこぼれる。

 

「それで――今の格言は、誰が?」

「エルバード・ハーバード、アメリカの作家ですわ」

「ほうほう……」

 

 何度言っても、茶山はやっぱり称賛しかしない。

 そのたびに恥ずかしくなったり、目を逸らしたりするのだが、嫌な気持ちになったことなど一度も無い――嬉しい。

 

「もうっ。少しは予習しなさいな」

「無理です、あえて調べてません」

「まあっ、呆れた」

 

 茶山は「えー」と、困ってもいないくせに困惑した。

 

「冗談ですよ。ダージリンさんのお陰で紅茶が好きになりましたし、格言って格好良いなーって思いましたから」

「いい傾向ね」

「ですね。僕、ここに来てよかったな」

 

 この学園艦は、家のようなものだ。だからこそ、こう評価されたことが純粋に嬉しい。

 

「ダージリンさんとも会えましたし、思い残すことはないって感じです。ありがとうございます、友人になってくれて」

「――私たちは友人。だからこそ、礼を言う必要はありません」

「……そうですか。そこまで言ってくれるんですね」

 

 ホットドッグは既に完食していて、手のひらで袋を弄んでいて――ふと、手の動きが止まる。

 

「……ダージリンさん」

「はい?」

 

 その時、茶山が恥ずかしそうににこりと笑った。前に押し出すような笑顔ではなくて、まるで謙遜しているような、目に入りやすい微笑だった。

 

「僕は、これからも友人として、ダージリンさんのことを応援し続けます。まあ、どうすれば力になれるかは分からないですけど……困った時は、おいしいものを食べてみるのが良いですよ。僕も、そうやって色々切り替えてきました」

 

 そう言う茶山は、とても自信なさげで。けれど、誠実さを持ってダージリンの目を見つめている。

 

「帰る時は、おすすめのスポットをメモに書いておきます。……ダージリンさん。OGなんかに負けないでくださいね」

 

 ダージリンは、当然だとばかりに頷いた。――茶山は、薄く微笑んだままで、

 

「これからもどうか、幸せに生きてください」

 

 ダージリンは、仲間から信頼されているという自覚がある。アッサムからは頼られ、オレンジペコからは敬われ、ローズヒップからは親しまれ、ルクリリからは教えを乞われる。

 満たされた人生だった。聖グロの戦車隊隊長として、上手くやっていけているのだと胸を張れた。

 これ以上の幸せなど、あるはずがない。

 そう思い込んでいたが、真正面から「幸せに生きて欲しい」と言われた瞬間、ダージリンの体の中が大空になった。

 

 茶山は、彼は、自分「だけ」に対し、確かにそう言った。

 必死に発想したであろう、応援の言葉を耳にして、ダージリンの中の感情が宙を舞った。なぜかまったくわからないけれど。

 

「……茶山、さん」

「あ、な、なんです」

 

 クリームパンをかじる、完食する。咀嚼し、ごくりと飲み込む。

 

「……ありがとう。私、あなたと会えて本当に良かった」

「え、え、そうですか? それは、良かった……」

 

 茶山からすれば、今の応援なんて、取るに足らないものだと思っているに違いない。

 けれど、それは、聖グロでは絶対に聞くことの出来ない祈りそのものだ。目が、体が、心が、想いが、憧れが熱くなった。

 

「……あ、そろそろ学園に到着しますわね」

「そっか。じゃあ、袋をください、一緒に捨てておきます」

 

 ダージリンが「ありがとう」と礼を言い、クリームパンが入っていた袋を茶山に手渡す。

 

「あ、そうだ」

「――ああ、そうでしたわね」

 

 静かに、手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 ――聖グロの付近まで到着する。ダージリンが携帯を取り出し、少しだけ時間があることを確認して、

 

「あの」

「あ、なんですか?」

 

 照れる時間はない。ダージリンは、手に持っている携帯を印籠のように突き出した。

 

「アドレスッ、交換してくださいなっ」

 

 間。

 

「……もちろん、構いませんよ! いやー、嬉しいなあ」

 

 気軽そうに、けれどハイスピードな手つきでアドレスを登録している。

 その様子を見て、ダージリンは心底ほっとする。この人は、本当に自分のことを友達だと思ってくれている。

 ――これでようやく、秘密を守ってくれる理解者と繋がることが出来た。出会いもあれば別れもある、なんて陳腐な法則に従うつもりはない。たぶん、茶山のような男性と知り合えるのは、この機会しかないだろうから。

 ダージリンは、そう信じていた。

 

「じゃあ、後で送信しておきますから。ついでに僕のも登録してください」

「ありがとう。メールに関しては、いつもの調子で送信しても構いませんわ」

「やった。格言メールも期待していいんですよね?」

「……もうっ」

 

 そして、茶山とは手を振って別れた。

 左右を見渡す、聖グロの生徒は見当たらない。

 さて――聖グロの世界へ戻ろう。時には伝統が不便だと思うこともあるけれど、やっぱり聖グロの空気は心地良い。女性として、これほど自信がついていく場所もそうはあるまい。

 校門を潜り抜け、ダージリンは勇み足で自分のクラスに歩んでいく。

 

 今、とても幸せな気分だ。

 

―――

 

 五日目、茶山とダージリンは何事も無く牛丼屋の前で合流し、今評判のカレー屋へ足を運んだ。前のように何も恐れることなく、ダージリンは自信満々の笑みでカレー屋に入店する。

 入ると同時に、実にインド的な音楽が茶山とダージリンを出迎えてくれる。店内を一目見て、抱いた印象といえば「宮殿みたいだ」だった。照明も暖色でまとめられていて、壁には何かの文明を司っているらしいタペストリーが飾られている。

 相席へ腰を降ろしつつ、ダージリンが店内を見渡す。前と比べて、実に緩慢な警戒動作だった。

 

 さて、

 

 カレーは聖グロの範疇には入っていないらしく、ダージリンが「久々ですわ……」と手を合わせて喜んでいる。その姿を見て、茶山の表情が崩れた。

 二人前の甘口カレーが届き、茶山とダージリンの眼光が獣のように輝く。今からスプーン片手に、定番の人気メニューをご堪能するわけだ。

 が、その前に、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 静かに手を合わせ、スプーンを手でつまむ。出来立てアツアツのカレーは、あくまでルーが主役のシンプルなタイプだ。それ故に食べやすく、味わいやすい。

 まずは沈黙状態のまま、カレールーを白米にかけて、黄金状態と化した白米を口へ運んでいく。

 

「うまいっ」

「おいしいですわ」

 

 同調するように、茶山とダージリンがにこりと笑う。昼から食うカレーは最高だし、夕暮れ時に食うカレーはどこか懐かしい気もする。やはりカレーは強い。

 

「そういえば、メール見ましたよ。怪しまれたんですってね、ご友人に」

「ええ。流石に四日間の不在は目立ってしまったようで」

「じゃあ、今日は食堂に居ても良かったのでは? 僕は、それでもかまいませんよ」

「嫌です」

 

 即座の否定だった。意外にも聞き慣れない言葉に、茶山のスプーンがストップする。

 

「このひと時は、私の日課ですもの」

「それは嬉しいですが、たまにはご友人と昼食をとってはいかがです?」

「――確かに、友人と共に味わう昼食は、安らぎのひと時といえます」

 

 自然と、スプーンが動き出す。理性による話し合いも重要だが、せかしてくる食欲には敵わない。カレーを口にし、「もっと食えそうだなあ」なんても思う。

 

「ですが、全てを話せるわけではありません。聖グロに居る以上、やはり聖グロらしい交流をしなければ」

 

 それもそうだと、茶山は黙って二度頷く。水の入ったコップを手に取り、口の中を仕切り直す。

 

「……それに」

「それに?」

 

 白米にカレーを垂らし、スプーンで米を掬う。

 

「その、茶山さんと、もっとお話がしたくて」

 

 ダージリンの友人で、ファンで、惚れた弱みを掴まされている茶山は、もう一度水を飲み込んだ。排熱作業だった。

 

「そ、それは嬉しいんですがね……大丈夫ですか? 今日で五日目ですよ?」

「あなたは、明日で帰ってしまうではありませんか」

 

 あくまで冷静に、しかし何処かふてくされたように、ダージリンがカレーを噛んでいる。

 旅行の期限はあとわずか――その事実を、茶山は忘却したわけではない。茶山は、神妙そうな顔つきで「ですけどね……」とだけ。

 無理をすれば、旅行の期間を延長することだって出来る。ただ計画性の無い食べ歩きをしている以上、もしかしたら派手な食事だってかましてしまうかもしれない。外食とは金がかかるものなのだ。

 どちらかといえば安定志向であるから、帰還後も生活できる程度の基盤が欲しかった。

 

「ですが、僕とはアドレス交換したじゃないですか。話し合いなら、これで」

「そう、そうですけれど、ですけどね」

 

 珍しく、ダージリンが言葉に行き詰る。茶山が、二度ほどまばたきする。

 ――何となく、ダージリンの気持ちを察した。

 恐れ多いが、自分はダージリンの新たな友人だ。それも、聖グロではご法度の話題をこぼせるような。

 これは紛れもない「親しさ」であり、決して悪い仲ではない。そんな人と、食事を共にしながらお喋りに興じるというのは、間違いなく最高に楽しい。自分がそうだ。

 これはダージリン相手でも、友人でも、家族でも変わらない。そうした人間関係が、ふらっと消えてしまうというのは、人生的に痛手だろう。

 

「……そうですね。お話するのって、楽しいですもんね」

「ええ」

 

 この時ばかりは、上品な手つきでカレーを食していたと思う。

 

「――それに」

「それに?」

 

 ダージリンがカレーを飲み込み、水に口をつける。コップをことりと置いて、

 

「私に対して、幸せを願ってくれる人と、このままお別れするのなんて正直嫌ですわ」

 

 一瞬、何のことだっけと視線を逸らす。底抜けの馬鹿ではない茶山は、多少の間を置いて「ああ」と声を出した。

 

「あ、あれはー、ただの応援ですよ。その、深い意味はありません」

「――こんな格言を知ってる?」

 

 既に、本能的にダージリンの目に注目していた。

 そんな茶山に対し、ダージリンはやっぱり恥ずかしそうに不機嫌顔となる。

 

「この世に生きる喜びの一つは、人間の純粋な心にふれることである」

 

 茶山の手が止まる。

 だって、ダージリンが、穏やかに笑っていたから。

 

「武者小路実篤、日本の小説家が言い残した格言よ。――私は、あなたのそんな心が好きになってしまったの」

 

 好きと言われて、心の底からどきりとした。

 冷静になったフリをする。ダージリンが好きになったのは、自分の心だ。自分自身ではない。

 待て、それもまた自分自身に繋がるのではないだろうか。となると、自分の「そういうところが」好きということか。

 よかった、安心した。

 

「そうですか、それは光栄です。初めてですね、そう言われたのは」

「私も、こんな風にストレートに守られたのは、初めてですわ」

「守ったって、僕はただ応援しただけです」

 

 ダージリンが、きっぱりと首を横に振った。

 

「守りとは、何も盾のあるなしで決まるものではありません。言葉も、祈りも、それは本人にとって心の支えに繋がるのよ」

「……そうですか」

「ええ。――それに」

 

 ここで、ダージリンの目がちらりと逸れた。

 

「男の人にあんなことを言われてしまったら、ね……」

 

 たぶん、この時を一生忘れない。

 自分に目も合わせられず、頬を赤く染めて、スプーンを片手にしながら、情熱的に言葉を発する今のダージリンの姿を、茶山は一生忘れない。

 

「……その、深く考えないでください。僕はただ、あなたに幸せになって欲しいから、ああ言っただけです」

「聖グロでは、絶対に聞けない言葉ですけれどね」

 

 たぶん、「そう言う必要が無い」からだろう。ダージリンは常に自身満々で、誇らしく、完成されているからこそ、改めて「幸せになって欲しい」なんて声をかける必要も無いのだろう。

 或いは、高みにいるダージリンに対し、そう応援することなど出来ないのかもしれない。

 ――平民生まれで良かったと思う。聖グロとは無縁だからこそ、何の遠慮も無く、出来る限りの応援をかけることが出来る。

 男として産んでくれて、親に感謝した。ダージリンのファンになれた自分に対し、称賛した。

 

「……本当に嬉しかったんですから」

 

 もう、謙遜する必要も無い。

 ダージリンの顔は、心の底から安らいでいた。

 

「ダージリンさん。僕は、これからもダージリンさんを応援しますから――あ、いい店もメールで紹介しますからね」

「ありがとう」

 

 再び、スプーンが動き出す。口にするたびに味が強烈に沁み込んできて、茶山もダージリンも順調にカレーの量を減らしていく。

 カレーの魔力にすっかり虜となったのか、沈黙したまま、けれど表情で語り合う。目が合って、ダージリンが小さく「うん」と頷いてくれた。

 先にカレーを完食し、茶山が水を飲み干す。満足げに呼吸して、ダージリンがカレーを食べ終えるのを待つことにした。

 

 そんな茶山を見て、ダージリンが「そういえば」と声を発した。茶山は「なんです?」と返事をする。

 

「茶山さんは今、大学生なんですよね」

「そですね」

「何か、目指しているものとかは?」

 

 茶山が「あー」と、頭に手を当て、

 

「漠然としていますね。普通に働いて、給料が貰えるなら、何でも」

「ふむ……」

「まあ、ほとんど食費に消えると思いますけどね。一生、このままでしょう」

 

 ダージリンが、くすりと笑う。

 

「あなたらしいですわね。趣味の為に生きる、良いことではありませんか」

「ですね。ダージリンさんは、将来の夢とかは?」

「やはり、戦車道のプロリーグ選手になることでしょうか。そういう家系でもありますので」

 

 やっぱり、お嬢様は未来も見据えているのだなあと感心する。

 だが、かといって自分のことを卑下にしたりはしない。文字通り、食う為に働くことの何が悪い。

 

「今のうちに、サイン貰わないと」

「欲しい?」

「欲しい」

「残念、筆記用具がありませんの」

 

 そっかーと、無念そうに反応する。

 ダージリンは相変わらずの微笑を、けれどカレーを口にしたと同時に沈黙する。

 

「うん? どうしました?」

「……将来、結婚とかは考えていて?」

 

 考えてる考えてる、目の前でカレーを食べてるダージリンと結婚したい。

 なんて言おうものなら、間違いなく拮抗した関係が大爆発を起こすだろう。恋とは難しいなあと、恋愛素人が実感した瞬間である。

 

「ああ、一応、そうですねえ」

「そう。で、どのような女性が?」

「えー、言うんですかソレー」

「減るものではないでしょう」

 

 未だ、ダージリンは誇らしげな様子でカレーを食べている。

 そんなダージリンを見て、もどかしい気持ちになる。自分が中学生か高校生だったら、後先考えずに「ダージリンさんのような人」とほざいているだろう。

 だが、今は大学生だ。世界のリアリティというものを覚えていく年頃であり、人の迷惑を優先的に考えるようになる。

 だから、お嬢様のダージリンに告白を、ましてや婚約なんて、ファンの頃から無理だと断言していた。だからこそダージリンの味方をして、ファンとして支えていって――もう十分だ。平民からすれば、御の字といえる。

 

「そうですね……あ、知的な人だったら良いかも」

「ふむ」

 

 ダージリンが、肯定的に頷いてくれた。

 

「後はー、そうですねえ。うーん、色々言うと贅沢ですし」

「まあまあ、言うだけならタダですわ」

「じゃあ、会話が楽しい人かな」

 

 音楽が切り替わる。店員が近寄ってきて、空のコップに水を注いでくれた。

 

「交流は人生を彩るもの、同意しますわ」

「ですね。あとはー……」

 

 水を口にし、思考を冷やす。

 

「僕のことを、好きになってくれる人かなぁ」

 

 その時、ダージリンの視線が横目に逸れた。

 今の言葉に、何か思うところがあったのだろうか。顔色が真剣そのものになる。

 

「……茶山さん」

「あ、はい」

 

 ダージリンの両目が、茶山の視線を掴んで離さない。

 まさか、ダージリンのことを指しているのがバレたのだろうか。正直ありえる、だってダージリンは聖グロの戦車隊隊長だぞ。判断力の塊みたいな存在じゃないか。

 

「あなたに相応しい理想の人だと思います。贅沢なんて、そんなことはありません」

「そうですか? う、嬉しいなあ」

 

 何だかダージリンに選ばれたようで、上機嫌が空回りした。

 遠回しに言ったが、嘘はついていないのだ。

 

「……もし」

「はい?」

 

 ダージリンが、カレーを完食した。

 

「もし、そんな人が大学にいたら、アプローチをかけます?」

 

 ああ。

 その質問に対して、言うべき答えなど一つしかない。

 

「いいえ」

 

 自分は、テレビ越しのダージリンを見ただけで一目惚れしてしまった。

 それだけならまだしも、この五日間のうちにダージリンと接して、ダージリンのことがもっと好きになった。大袈裟に言うと、世界一愛してる存在だった。

 だから、「いいえ」と答えた。大学に、ダージリン以上の人なんて居ないと思うから。このまま、一生独身でもいいかなと割かし考えているから。

 

「……あなたは、何処でその愛をぶつけるつもりですの?」

 

 ここだ。

 なんて、答えられたらいいのに。自分が、お坊ちゃん育ちだったら白状出来るのに。

 大人になったな、と思う。大人になってしまったな、と考える。

 

「――あ、そろそろ時間がまずいかも。行きませんか?」

「あ、ああ、そうですわね」

 

 手と手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 聖グロへ向かう最中、特に先ほどのことを蒸し返したりはしなかった。午後から始まる戦車道に対しての意気込み、次期隊長についての語り、正直いらない伝統の暴露と、いつものように話し合い、いつものようにリアクションをする――そんな時間が、茶山にとっての幸福だった。

 時には格言が出てきて、茶山は素で関心を抱く。やっぱりダージリンは「やめてほしい」とばかりに恥じらって、いつか次の格言が語られるのだろう。

 そして、いつの間にか聖グロの近くへ。楽しい時間なんてすぐ終わるものだ。

 

「――そういえば」

「何です?」

「明日は休日で……確か……」

「ああ、本土へ帰る日、ですね。夕方に出る連絡船へ乗って、帰宅します」

 

 見逃さなかった。ダージリンが、「そう」と静かに口にするのを。落ち込むように、うつむいたこの時を。

 

「ねえ」

「あ、はい」

「……やはり、延長は無理なんですの?」

「すみません。予算的に、これぐらいが危なくないかなって」

 

 腕を組む。この姿勢は、己が不安を隠す為に行うものだと、どこかで聞いたことがある。

 本当は、ダージリンと離れたくはない。このまま聖グロリアーナ女学院学園艦に住み着いて、ダージリンとこっそり出会って、好きなものを食って好きなように会話し続けたい。

 だが、そんなものは夢物語でしかない。明日になって本土へ帰ったところで、数日後には思い出として処理されるのだろう。

 叶わないからといって泣き叫ぶ子供の心など、もう失われてしまった。

 

「申し訳ありません。お金は大事、ですものね」

「はい……」

 

 心の底から残念だと思う。けれど、仕方がないと受け入れている自分もいる。アドレスを手に入れて、ここで満足している僕がいる。

 

「――明日、夕方までの予定は?」

「特には」

「そう」

 

 ダージリンが、ベレー帽の上に手のひらを乗せる。そしてそのまま、思考の中で泳ぎ始めた。

 何かを思案するダージリンの姿が、茶山は好きだった。キャラとしっくりきていて、まるで嫌味が感じられないのだ。

 

「では、一緒に街並みを歩きませんこと? もちろん、メインは食べ歩きで」

「あ、いいですよ」

 

 間。

 

「えっ、街並みを歩く?」

「ええ。なるべくなら早くに集合したいのですが」

「ちょっと待ってください……それ、」

 

 瞬間、ダージリンのポーカーフェイスが破顔した。言っていることの自覚はあるようで、頬は真っ赤、視線は真正面以外を捉えている。

 

「……デート、しませんこと?」

 

 表面上は平然と、内心は猿のように跳ねまくった。

 全国のファンに闇討ちされたところで、「まあ、しょうがないよね」と受け入れてしまいそうな自分がいる。それほどまで、舞い上がっていた。

 

「で、デぇトなんて! そんな、ダージリンさんにはもっと相応しい人が、」

「男友達は、あなたしかいないんですけれど」

「そ、そうですか……」

 

 となると、自分こそがダージリンにとっての男性像というわけか。何だかとんでもない日程を重ねてきた気がして、胸が少しばかり痛くなる。

 が、過ぎたものは受け入れるしかない。別に悪いことは教えていないし、嫌われてもいない。むしろ受け入れられているのだ。

 そう思うと、何だかやる気が出てきた。

 

「分かりました」

 

 ダージリンが、ぱっと明るい表情になる。

 ああ、嬉しいなあ。

 

「明日までに食べ歩きコースを検索しておきます。まあ、沢山食べるから軽いやつをちょいちょいと」

「ええ、それで構いませんわ」

「――本当に、自分でいいんですか?」

 

 ダージリンは、当然だとばかりに「ええ」と答え、

 

「あなたは、私に対して、幸せになって欲しいと言ってくれた殿方ではありませんか」

「……そうですか」

 

 そういうことならば、受け入れるしかないのだろう。

 茶山が、自分の胸をばしっと叩く。張り切り過ぎてダメージを食らった。

 

「っつつ。じゃあ、エスコートはお任せください」

「ええ、またよろしくお願いしますわ、ナイト様」

「じゃあ、いつもの場所で朝十時に」

 

 二人同時に、親指を立てる。これで明日の予定は決まった、止めたければ矢でも鉄砲でも持ってこい、戦車はやめてね。

 

「じゃあ、そろそろお別れですね」

「ええ」

 

 今日も、ダージリンは聖グロの世界へ帰還していく。今となっては、その後ろ姿すら格好良いと思うのだ。

 

「ああ、そうだ」

 

 ダージリンが前を向いたまま、ぴたりと足を止める。

 

「どうしました?」

「――カレー屋で、あなたは『アプローチはしない』と言ってましたわよね?」

「……ええ」

 

 緩やかな風が吹き、肌に心地よい温さを覚える。名も知らない鳥が、ダージリンの遥か頭上を通り過ぎていく。

 

「……とても、嬉しかったんだから」

 

 自分は今、呼吸をしている。そう意識した途端、少し息苦しくなった。

 

「――どうしてですか?」

「ふふ、よくわかりませんわ」

 

 今度こそ、ダージリンは風とともに消え去った。

 ――大きく息を吸う。

 

 さて、明日はダージリンとデートだ。悔いが残らないよう、遊ぶとしよう。 




これで、「前編」は終了です。
いわゆる「期間限定恋愛」である為、どうしても一日ずつ描写する必要がありました。
飛ばし飛ばしで過程を描写すると、恋愛への過程がどうしても薄くなってしまうので、今回はこの長さに。本当に申し訳ありません。
多分、次回からは思いきり短くなると思います。

最初は分割しようと考えたのですが、一気に掲載した方が読者のテンポが良くなるかなと思い、過程を描き終えました。

何度も推敲はしましたが、もしかしたら「あれっ?」な個所があるかもしれません。この長さなので、もしかしたら見落としがあるかも。
その時は、どうか遠慮なくご指摘ください。

ご感想、本当にお待ちしています。

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