――どうしよう。
春休みも終わり、午後の授業が開始するチャイムを聞き流しながら、優稀は教科書も開かずにぼーっと黒板を眺めていた。周りには授業が開始してすぐだというのに、昼食を食べて眠くなったのか、こくりこくりと船を漕ぐ男子生徒や、真面目にノートを取る女子生徒、熱心に転入生を見つめる男子生徒たちなど様々な行動を取る人達がいて、見る分には飽きることはない。だというのに、どうして優稀がただぼーっと黒板を眺めているのか。それはもちろん、昼休みに彼の身に起きた出来事が原因だ。
……結局何だったんだ?
操られた男子生徒達からの襲撃と戦闘、ヤミの昔を知る者との接触。ごく一般的な生活をして来た優稀には、それらの出来事はあまりのも異質すぎて、正直思考が追いついていない。話の最後にあれだけ啖呵を切っていたのに何を言ってるんだと思うかもしれないが、あれは友達への信頼と……"結城リト"という、
「葵、ここの問題の答えはなんだ」
「16です」
「……正解だ」
さらにその謎の相手が言っていた、昔のヤミとターゲットについて。優稀は昔の彼女を知らない。というか彼は地球人で、彼女は宇宙人なのだから、知らなくても何ら不思議ではない。……しかしだからこそ、気になったのだ。そんな昔のヤミについて。
……前までは別に気にならなかったんだけどなあ。
おそらく事件に実際に巻き込まれたというのが原因だろうけど、と優稀は右手のシャーペンをクルクルと回しながら、簡潔にそう考える。そもそも、ヤミが戦っているところを見るのすら初めてだった。いつも本を読みながら、たい焼きを食べている彼女が、それが普通だと思っていたから、尚更優稀の驚きは凄まじいものになってしまっている。
それともう一つ、ターゲットの存在。あの時、ヤミの視線はモモではなく、その後ろにいたリトへと向けられていた。そうなると、ターゲットとは暗殺対象のことで、その暗殺対象が結城リトその人であると考えるのが妥当なところだ。
でも……なんで?
優稀は首を傾げる。
どうして地球人であり、彩南高校二年生である結城リトが宇宙の殺し屋の暗殺対象なのか。
「……葵、この問題は?」
「3Xです」
「……。……ではこれは?」
「20です」
……本当に一体あの先輩は何をしでかしたんだろう。あ、そういえば結城先輩って、今朝女の先輩のスカートに突っ込んでた人じゃ…………なんか途端に怪しくなってきたぞ?
思考が何やら変な方向に向かっているので、一度頭を振って仕切り直す。結城リトが暗殺対象である理由。あれだろうか。デビルーク星の王女達と関わりを持っているから、とか。しかしそれなら、他にも何人かいるかもしれない。というか、いる。優稀の隣人、妹の方。西連寺春菜だ。彼女は第一王女であるララと友人関係にあり、その妹達とも接点を持っている。もし、暗殺対象である理由が本当に関わりを持っている
「……葵、じゃあこれは……?」
「7です」
「…………。……それならこれを答えてみろ」
「えっと、42です。……というか何ですかさっきから俺ばっかり。しかもそこ今やってるところより、かなり先じゃないですか。特定の生徒いびりはやめてください、先生」
範囲が先なのに答えて、さらに正解している優稀。それに驚き、騒めくクラスメイトと居心地悪そうにしている数学担当教師。……そして、何故か笑っている隣の赤髪おさげと忌々しげに見つめてくる腹黒王女。
何だろうこのカオス。まともな人間をどうか寄越してください。
「す、すまん……だがな、授業中に百面相をしているお前も悪いと思うぞ」
「うっ……すみません。集中します」
顔に出てたのか……と少しショックを受ける優稀はそこでようやくノートを開いて、シャーペンを握った。では、再開するぞという教師の言葉で授業が再開される。その頃にはクラスメイトも落ち着き、またそれぞれの行動を開始。
……うーん、やっぱ考えてもわからんな。
知らないことはわからない。まして、宇宙に関してのことなど、今まで極普通に暮らしてきた優稀にとっては、未知とも言えるもの。だから、考えても仕方がない。そう結論を出した優稀は今も続く笑い声の方向。左隣へ、
「黒咲、笑いすぎ」
ジトーっと、抗議するような視線を送った。
*****
「あははっ♪ だって、ノートもとってなくてぼーっとしてるのに、ユウキくん全問正解なんだもん!」
あはは、と続けて笑うメアに優稀はため息をつきながら、頭に手刀を落とす。それに
「黒咲は、ホント反応面白いよな」
こう、なんかズレてる気がして、と付け加え優稀は苦笑い。
「ユウキくんこそ面白いよっ♪」
「……いや、どこが」
うーん、性格とか? と何故か疑問形で返してくるメアに、優稀は何で疑問形……、と呆れたように吐き捨てる。
「――それで、ユウキくんはいつになったら私のことメアって呼んでくれるのかな?」
そんな優稀に対し、メアは楽しそうに笑いながら、しかしやや不満げな様子でそう言った。
休み時間。授業と授業の間の休息の時間。優稀は迷わず席に座ったまま、隣の赤髪おさげに抗議運動を行った。内容はもちろん先程の授業中、バカなくらいに笑ってくれたことについて。そうして、返ってきたのがこの質問である。だが、優稀のその質問への回答は一つ。すでにもう決まっている。
「まあまあ、落ち着けよ黒咲」
悪戯っ子のように笑って。
実はこのやり取り、二人が話し始めた頃からずっと続いている。メアが『名前で呼んで?』と言って、優稀は答えを曖昧にしながら、名字呼びで返す。さすがに毎日ではないが、一週間に一回はやっていると本人達も自覚はしている。しかし、二人は止めようとしない。何故なのか。答えはただの悪ノリである。
「うん、全然わかってないよね?」
「え? 何をかな黒咲」
「あは♪ 私結構本気だよ?」
「……
はぁ、とため息を一つ。
話し始めた当初の優稀はメアのことを『黒咲
なんか壁を感じるんだよなあ……。
彼女の接し方に何処か壁を感じるのだ。それが何が原因でそうなってるのかはわからないが、仲良くなってから経った月日の問題もあるかもしれない。だからまあ原因はともあれ、この壁がなくなったら、きっとその時が優稀が彼女を『芽亜』と呼ぶときだろう。
えー、と不満そうな声をもらす彼女に優稀は、気が向いたらなとだけ答えて、またしてもデコピンを一発放つ。今度はふあー、と。
「じゃあ早く気が向いて?」
「……いや、どんな頼みだよ」
こう言ってはいるが、言葉ほど優稀の表情は険しくはない。逆にむしろ少し笑っているくらいだ。メアも実に楽しそうな笑顔でそんな優稀のことを見ていた。
「なんだオマエら、なんか楽しそうだな」
そこに響くもう一つの声。
話し方といい、態度といい、双子とは言っても全部が全部似てるわけじゃないんだな、と優稀は声をかけてきた彼女に対し、ふとそんなことを思う。……もう一人のあの忌々しいピンクヘアーを思い出しながら。
「あっ、ナナちゃん!」
「おーメア、さっきぶり! ……で、オマエは?」
ナナ・アスタ・デビルーク。デビルーク星第二王女にして、モモの双子の姉。ツインテールでややつり目の少女だ。優稀の知らない間に、二人はどうやら仲良くなっていたらしい。そもそもメアは友達が少ないので、優稀としては珍しく感じられた。
「この人は、ユウキくんだよ♪」
「えー、それだけかよ……。葵 優稀だ。ナナ・アスタ・デビルークさん」
「おぉ、オマエがユウキか!」
……何だろう、この予想外なくらいの反応の良さ。黒咲が何か入れ知恵でもしたのだろうか、と優稀は何故か隣で満面の笑みを浮かべているメアを睨む。しかし、メアはそれに対し首を傾げるだけ。まるで悪気の無さげな彼女を見て、結局。はぁ、とため息を吐いた優稀は、
「……この赤髪おさげが何か言ったんだな?」
もう完全にメアが入れ知恵したと断定した質問を投げかけた。あれ、名字ですら呼んでくれなくなっちゃった、と隣で何故か不満そうなメアを完全に無視して。
「ああ! メアが面白いヤツがいるって言ってたんだ!」
「ね、面白い人でしょ? ナナちゃん♪」
「確かに面白いよなぁー。特にさっきの授業中とか――」
二人は女同士で会話の花を咲かせる。そんな光景を見て優稀は少しだけ驚いていた。まるで普通の女の子みたいだ、と。もちろんピンク髪ツインテールに対して。
デビルーク星の第二王女としてではなく、一人の少女として。
そんな言葉が合うほどに、彼女は純粋にメアとの会話を、友達との会話を楽しんでいる。裏でこそこそと何か企んでいるどこかの腹黒王女とは大違いだ。そして、そんなナナを見て優稀は午前中思っていたことを密かに訂正することにした。『関わらなければいい』と思っていたことを。だから――
「――まあそんなわけだから、ユウキ。これからよろしくな!」
「おう。こちらこそこれから宜しく頼むよ、
名前で呼ぶ。表裏の無さそうな、そんな彼女のことを。お互いに手を前に出して握手を交わし、笑い合う。ナナは嬉しそうに、優稀は穏やかに。しかし、そんな二人に対して面白くないと思っている少女が一人。
「あー! ずるーい! 何でナナちゃんのことはナナって呼ぶの? 私のこともメアって呼んでって言ってるのに!」
うがー、とまるで子供のように。先程とは逆に今度はメアが優稀に抗議するような視線を送った。そんな視線に優稀はまたしても悪戯心丸出しの表情で、
「黙りなさい、黒咲。それに関してはさっき、気が向いたらなって答えただろ」
「……むぅ」
「あははっ、面白い顔になってるぞ、メア!」
プクッと頬を膨らませて、その整った眉を寄せるメア。そんな彼女にデコピンを放つ優稀。それを見て、笑うナナ。どこからどう見ても、仲良く見える三人。……一人は不満そうではあるが。そんな彼らの笑い声は次の授業開始のチャイムが鳴るまで、教室に響いていた。
――どこまでも暗く、深い闇の存在にはまだ誰も気づかない。
*****
――敵の正体は一体何なのかしら……。
今日、最後の授業。真面目に聞いている姿勢をとりながら、昼休みの出来事について考える。
間違いなく、敵の狙いはヤミ。だが、殺そうとしている雰囲気はなかった。いやそれどころか逆に、人を殺さなくなったヤミをわざわざ焚きつけるかのような言動で、挑発していた。となると狙いは――
……ヤミさん自身による、結城リトの抹殺……。
考えられるとすれば、これだ。そして、ヤミをもう一度殺戮兵器へと戻す。今度こそ闇の世界から出られないようにするために。しかし、もしそうだとしてもあの声の正体は何なのか。それがわからない限り、何もかもが後手後手に回ってしまう。そして、その結果最悪の事態に――。
そうはさせないわ……! リトさんは必ず私が――守ってみせる。
まずはリトにこのことを伝えるところから。モモは髪の先を弄りながら、決意を固める。自分の想い人を守るために。そうと決まれば、後は行動のみ。だが、そうなってくるとヤミの行動を把握しなければいけない。何者かもわからない相手に誑かされたヤミに、自分の知らないうちにリトを殺されてしまうなんてことにはさせたくない。いや、絶対させない。たった今、守ると決めたから。しかしそうなると、方法は……。
やっぱり葵さんの行動を把握するべき、かしら……。
心底不満そうにモモがそう考えるのは、偏に今の所は優稀が一番ヤミに近いからだ。優稀の方はよくわからないが、少なくとも昼休みのヤミは優稀を拒絶するどころか、むしろ受け入れているように、モモには見えた。特に頭を撫でられているところとか。さらにその後に、優稀はその謎の相手に殺害予告をされている。ヤミがもし本当に優稀のことを多少なりとも受け入れているなら、狙われている彼を放っておく筈がない。そう考えた末の結論だった。
チラリ、と。モモは殺害予告を受けた張本人をほんのちょっとだけ見てみる。彼は隣のクラスメイトと授業中なのに、何やら楽しげに話をしていた。
あの人……私とは関わらないって言ったくせに、さっきナナとは楽しそうに話してたのよね……。
先程の休み時間。
未だ続くクラスメイトからの質問攻めに晒されていたモモは、その最中に何度か優稀のことを見ていた。決して気になったとか、昼休みあんなことがあったから心配だったとかではない。ただ殺害予告された彼がどんな風に怯えて、どんな風に震えているのかを見て面白がりたかっただけ。しかし、蓋を開けてみれば優稀はナナと赤髪の少女と笑いながら、普通に会話していた。
……何でそんなに普通にできるの? あなたは狙わているんですよ?
モモがそんな彼に対し、何度そう思ったことか。命を狙われているはずなのに変わらない表情、そして態度。それに何故か妙に苛立ちを覚えたモモは、人知れず拳を握りしめてギリッと歯を鳴らしてしまっていた。ただそれでも、表面上では笑顔の仮面をつけて、クラスメイトに対応していたのだから、それには流石というべきか。
……大体自覚というものが足りないんです、葵さんには。死の危険に晒されているというのに。それに人が折角、こんなに心配――って、心配なんてしてませんよっ! むしろいい気味くらいに思ってるんですから!
一人心の中でそんなことを考えているモモは気づいていない。それが少しではあるが、表情に出てしまっているということに。そしてそんな彼女に対し、先生が冷や汗をかきながら、注意すべきか迷っていることにも。
全く、あの人には調子を狂わされるわ……。――いやいやダメよ、私。何弱気になってるの。振り回されてはダメ。何としても主導権を握って、私と友好的な関係を築いてもらわないと。そうしたらハーレム計画も円滑に進んで、リトさんとも――うぇへへ。
涎までは垂らしていないが、授業中だというのに表情が緩みまくっているモモ。もうその思考をしていることがすでに振り回されているということには、もちろん彼女自身全く気づいていない。
「あのー、モモさん? 大丈夫ですか?」
「……」
しかし、幸か不幸かモモは頭を下げて考え事をしていたので、表情を見られることは絶対にない。ただ、それが逆に勘違いされる要因ともなってしまっていた。心配そうに、国語教師はモモへと呼びかける。しかし、返事はない。何せ彼女は今妄想の世界へと旅立ってしまっているから。
――ああっ……! ダメですよぅ、リトさ……んっ! だめぇ……そこもダメですってぇ……ぁん♡
さらに彼女の肩が震え出す。
実際は如何わしい妄想に耽っているだけなのだが、それは周りから見ると泣いているようにも見え――
「モモさん……? モモさん! 本当に大丈夫ですか!?」
クラス中が騒めき出す。
心配するような声や慌てる声、またはこの期に気に入られようとニヤニヤしながら保健室を勧める声。様々が入り混じるが、やはりまだモモは動かない。しかし、今は授業中なのだ。教師としては授業を再開したい。だが生徒のこと、それも今日転入して来た生徒のことなので尚更放っておけない。つまり、何故か学級委員よりも先生から頼られてしまう優稀に、そんな状況に立たされている国語教師が頼らないはずもなく――
「あ、葵君……」
「えー……俺、ですか? 嫌なんですけど割と本当に」
ブンブンと首が折れるんじゃないかと思うほど、何度も何度も頷く国語教師は普段は穏やかで面倒見が良く、優稀も何かとお世話になっている。だからこそ、そんな教師からの頼みを断れるはずもなかった。
優稀は未だ下を向いているモモの方を向く。
突き刺さるのは、今からモモに対して声をかける彼への嫉妬のこもった視線達。出どころは言わずもがな、クラスの男子諸君だ。
……あっ♡ ……もう我慢できないんですね……? ……いいですよ。――キて……♡
しかしそれすら今のモモには届かない。今まさに寸前。最高潮だから。……何の、とは言わないが。
そんな彼女に――さらに肩の震えが大きくなったモモに対し、優稀は悪戯っ子のように笑って、
「――おーい、腹黒王女」
「腹黒王女じゃありませんよっ! 良いところでしたのに、邪魔しないでいただけます!?」
「なるほど……何が良いところだったのかは知らんけど、とりあえず周りを見てみろ」
言葉の勢いに倣い、勢いよく立ち上がっていた彼女は不満そうに、本当に不満そうに優稀に従い、その視線を教室内へと移動させる。驚き、驚き、驚き……驚き……おど……ろ……き…………?
「――っ!」
ボンっと音が鳴りそうなほど、一瞬にしてモモの整った顔に赤みが差した。それはもうトマト言ってもいいほどに。
「分かったか? 分かったら、先生に謝って授業に集中しろよ?」
「……。すみませんでした先生」
いえ。いいんですよ、という先生の言葉を聞くと同時にモモは頬を赤く染めたまま、自分の席に座り直す。自分の痴態を恥じるように身を縮こませかながら。ただ一つ幸運があったとするならば、それはクラスの男子が単純だったということか。彼らはすでにモモの言動など覚えておらず、『恥ずかしがるモモちゃん可愛い』という言葉でその思考の大半を埋めてしまっている。
しかしそんなことすらモモは考えることができない。羞恥心……それも妄想によるものならば尚更。それが思考を止めているから。だから彼女はあれほど不満に思っていた『優稀に従う』という行動を素直に実行してしまっていることにすら、気づいていない。それとクラスメイトの前で声を荒げてしまったことにも。……まあ、それも全て自業自得ではあるのだが。
――私としたことが何てはしたないことを……!
それから授業が終わるまで、モモの顔はずっと羞恥に染まったままだった。
第三話どうだったでしょうか?
モモのこれは果たしてキャラ崩壊なのか。自分でも疑問に思うところです……。そして何だろう、このモモのポンコツ感……。
まあともあれ、メア登場。主人公とはすでに友人関係です。二人の出会いに関しては……まあ、まだまだ後ですね。
次回、結城妹登場です!
読んでいただきありがとうございました。
感想、評価待ってます。
質問、アドバイス、ヒロインリクエストもまだまだ受け付けていますので、何かありましたら活動報告の方にどうぞ!
それでは、また次回。