てか長ぇ(諦観)
※冒頭のドナさんの長文を冒頭から後ろへ引っ越しさせました。改めて見直したら冒頭からこれだと読む気失せると思ったので。
――古臭くも頑強な造りをしているように思えた盗品蔵。人の形をした二人の化物が繰り広げた戦闘は、その頑強さを容易く凌駕する規模の物であった。
戦闘前の静寂とは違う質の静寂。其処には緊張も恐怖も無く、ただただ純粋な"畏怖"がある。そして畏怖を抱くのは銀髪の少女――サテラも例外ではなく、アメジストを思わせる美しい双眸を大きく開いていた。
定刻が迫り眠気と格闘していたパックでさえ、今は静かに激闘を繰り広げた両者を見据えている。
介入どころの話ではない。それはキレイとエルザの激闘の最中にスバルが確信した事であったが、それが先の激闘の苛烈さを物語っていると言えるだろう。
だが、そんな中でも当人達は至って平静。片方は喜色に満ちた妖艶かつ獰猛な笑みを浮かべているが、それも彼女――エルザ・グランヒルテの性質を考えれば納得がいくだろう。その腸に再び開けられた筈の風穴は鳴りを潜め、元通りまでとは行かないものの着々とその傷を塞いで行っている。
絶大な自然治癒能力。それが、エルザが真の意味で人間ではない事を示している。
誰もがその出鱈目さに瞠目し――ある者はエルザの正体を察知し更なる驚きを顕にする中……やはりもう片方の男――キレイは何処までも無表情を保っていた。
嗤う女と眉一つ動かさない男。あまりにも異質なその対峙による拮抗は、綺礼から紡がれた言葉によって破られる。
「――――
その場で最も貧弱なスバルからすれば、それは最早核爆弾並みの爆弾発言であり、ふらつく足を抑える事で精一杯だった。
――あれが様子見?何をしたのかも、スバルでは振るわれる剣や拳すらまともに捉える事が出来ないと言うのに、それを様子見と言ったのか?
思考が混乱する?あまりの惨状に他人事の様に傍観に徹していたスバルであったが、キレイの言葉を切っ掛けに両者に対する本能的な恐怖が復活する。
縋る様にエルザを見やれば――否定する事もせず、ただ先程までの妖艶な笑みを少し深めただけであった。
故に肯定。両者にとって先程までの戦いはただの前哨戦。それを確信した途端、スバルの口は皮肉めいた悪態すらも紡げない程に震えていた。
「――そこまで気付かれていたなんて、随分と厄介な依頼を押し付けられたものね」
「……いや、貴様の依頼主は私の存在を予期していなかっただろう。
「あら、素敵。
「何を思っているかは知らんが、私は美徳などと言う物を持ち合わせているわけではない。
先程も、
「すんごい腹の底まで真っ黒そうな会話だねー」
言葉の応酬で情報を引き出そうとする両者と、そのあまりのドス黒さに思わずそう感想を漏らした猫が一匹。もしそのあっけらかんとした声が無ければ、スバルもその異様な空気に呑まれていた事だろう。
ククリナイフに垂れた己の血を、エルザは勢い良く横に振るう事で振り払う。キレイもまた、己の右拳を感覚を確かめる様に握る。
刹那に鋭くなる空気。剣呑さを取り戻したそれが、本戦の開催を意味する。その濃厚な殺気は先程とは比べ物にならず、もはや息苦しさすら感じる程の物となっていた。
身を低くするエルザ。手を突き出す様な独特の構えを取るキレイ。燻ぶる緊張が開放を望み、膨張した殺気となって周囲を襲う。
「――こんな久し振りの身に感じる楽しみ、そう簡単に逃すわけにはいかないわ……!」
蜘蛛のように、しかし豹のように。
刹那の時にキレイに肉薄したエルザを見たスバルは、その俊敏さにただただ瞠目する事しか出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
静かに、しかし刹那に肉薄したエルザから振るわれる刀剣の斬撃。先程までとは比べるまでも無く鋭いそれを、キレイは聴頸を用いず視覚で捉えて受け流す。
しかしククリナイフを弾き終えた頃にはキレイの目前にエルザの姿は無く、直ぐ様その背後から鋭い一撃が振るわれる。キレイはそれを振り向きの勢いで放たれた回し蹴りによって封殺。再び視界の死角を巧みに使い、その場から離れようとするエルザに瞬時に肉薄し、至近距離での崩拳を打ち込むも――エルザはそれを絶妙な距離を保ちつつも後ろにステップを用いて下がる事で自身に加わる力を最小限に抑え――口から血を垂れ流しつつも、がら空きとなったキレイの首にククリナイフを振り下ろす――――も、キレイは大きく首を捻り、肩を上に持ち上げ――それによって出来た隙間に、あろうことかナイフを挟んで見せた。
さながらメモをする為に首と肩の間に挟まれた電話の受話器の様に、キレイは微塵の恐怖すら抱かず一歩間違えればその首が刎ねられていたと言うのに、それをやってのけてみせたのだ。
あまりに奇策、あまりに妙策。誰もが予想しなかったであろうその対処法に対して、驚きを顕にしなかったのは忽然と笑みを浮かべるエルザのみ。
「―――素敵」
心底嬉しそうに――刃が防がれ、自身の体ががら空きのまま固定された状態でも、エルザが感じたものはただただ目前の戦闘に対する抑えきれぬ高揚であった。
刹那の間、睨み合う両者。片や凍えるような冷たさを持った虚無の瞳で、片や熱情を訴えるように妖艶さで以って鈍い輝きを灯す黒き瞳で。その一瞬の邂逅、それが終わる頃には両者は弾ける様に大きく距離を取る。
が、此度は燻ぶる拮抗は無く、息をつく暇も無くエルザが動き出す。――そして、その動きに今度こそ誰もが瞠目した。
床を、壁を、天井を。その全てを足場として、奇抜という言葉ですら表せないような動きでキレイへ接近し始めたのだ。
それは並外れた跳躍力が為せる業か、時には天井を足場に壁へと飛び移るその様は、正しく蜘蛛の糸で己の体と他の場所とを繋いでいるのではと思わせる程の出鱈目さがあった。
縦横無尽。慣れ親しんだ我が家の様に、蔵の内部構造の全てを理解するかの様に、淀みなく確実に豹の様な俊敏さも加えて、予測出来ない動きをエルザは繰り広げていた。
これでは何時どの瞬間にエルザがキレイに肉薄するかも解らない。エルザが床に降り立った時か、それとも壁を足場にした時か、はたまた天井を足場にした時か。
あらゆる場を足場とする事が出来る彼女は、これだけで三通りの攻撃手段を得た事になる。
そして、先に場の支配をエルザが握った事で――縦横無尽に駆け巡る彼女に対して、キレイが先手を打つことは出来ない。故に、考えうる全ての攻撃手段を踏まえた上でエルザを迎撃しなくてはならないのだ。
此処に来て立ちはだかるは種族の壁。如何にキレイが並外れた身体能力を持っていようと、その壁を越える事は出来ない。形勢は一瞬の内にエルザに傾いた。
蜘蛛が己の巣の領域を広げる様に、ありとあらゆる場所に跳躍し――獲物を見定める。それに対してキレイは目で追うでもなく―――静かに息を吐く。
それに何かの異変を感じたエルザは、縦横無尽に蔵内を跳び回る事を止め――刹那の間にキレイの真上の天井を足場にし、重力をも利用した絶速でキレイ目掛けてナイフを振り下ろす。反応すら出来ぬ速度。拳も足を届かない死角からの襲撃。
故に必殺。一秒にも満たぬ速さでキレイの胴は真っ二つ切り裂かれる――
――――事は無く、キレイの渾身の震脚の衝撃で上向きに吹き飛ばされた無数の木片の破片が、エルザを襲っていた。
エルザのそれを出鱈目な身体能力が為せる奇策と言うならば、キレイのそれは出鱈目な脚力が為せる力策だ。如何に貧弱な木片と言えど、飛来する速度は弾丸に引けを取らない。故に、肌を裂くことなど容易いものだった。
――しかし、エルザは絶大な自然治癒能力を持っていると言う前提がある。無数の木片が高速で飛来した所で致死にはならない。故に、自身の肌が引き裂かれ、夥しい血が流れ出ようとも防ぐのは急所だけに留め、キレイへと振り下ろしたナイフを振るう速度は幾らか遅くなれど、軌道が歪む事は無い。――その僅かな遅れが、キレイの狙いであったのだが。
「―――っ!?」
振るわれた筈のナイフ。如何にその速度が落ちようとも、それは最早回避出来ぬ位置にまで到達していた上に、その腕で弾く程の猶予があったわけでもない。
――現にエルザの腕には確かな感触があったのだ。肉を切り裂く感覚。聞き慣れた心地良い音。だと言うのに、
それはつまり――――
―――断ち切れと言わんばかりに軌道上に差し出されたキレイの左腕を、
魔力による身体強化。キレイのそれ自体は決して膨大な物ではないが、それでも一度の斬撃を腕を消し飛ばされずに防ぎ切るには事足りる。
――何よりも驚愕すべきはキレイ自身だ。如何に身体強化を施した所で、それを防ぎきれるわけではない。肉を切り裂かれた左腕は辛うじて形を保ってこそいるが、看過できるはずも無い程の鮮血を撒き散らし、噴水の様に木床を彩っている。
――にも関わらず、
「―――、」
漏れ出るは苦悶の声。肩の小さな裂傷から未だ血液が流れている事から、キレイはエルザを死徒――吸血鬼と断定。その判断は正しく、貫かれ、小さな空洞を開けた右足がこの戦いの最中に元通りになる事は無いだろう。
その美しい貌を僅かに苦痛に歪めながらも、エルザはその場から大きく跳躍して離脱。右足に穴が開いている事など微塵も感じさせない動きであったが――その速度は、明らかに落ちていた。
対するキレイも迎撃を行うには片腕では事足りない。放っておけば数分で意識に阻害を齎す程の左腕からの出血を放っておくわけにはいかなかった。故に迎撃は黒鍵による一撃だけに留め、間に合わせの治癒魔術を左腕に掛けるのだった。
誰もが顔を歪めた。その光景から目を逸らす者もいた。己が身を削る死闘。それを繰り広げているにも関わらず――決して見過ごせる事の無い傷をその身に負っているのにも関わらず、一人は腕を抉られても眉一つ動かさず、一人は足を貫かれても笑みを崩さないのだから。
「―――おかしいだろ、痛覚あんのかよ……?」
故に、この場で最も痛みに敏感であろう無力な少年――ナツキスバルが、誰にでもない理不尽を訴える独り言を漏らすのは致し方の無い事。
「ボクが思うに、アレ多分死ぬ程痛いよー」
「だよなぁ……痛いんだよな…?いや、だってナイフが腕斬り裂きかけて、それで………絶対痛いよな?」
そんな独り言に怠げに応える猫もとい大精霊が一匹。理解者を得たところで、スバルの当然の疑問が解消される事はなかったが。
「ここまで凄まじいと、棒立ちに徹する事しか出来ん」
「……てか、アタシの依頼主強すぎだろ」
棍棒を持ったまま立ち尽くす老人。目前の出鱈目さに場違いな発言をするしか無い金髪の少女。
「――やっぱり、助けるべきなんじゃ…
だって、あの人は殺されかけた私を守ってくれたわけだし、素性も何も解らないからって、目の前でその人が戦ってるのにそれを助けないのは――」
「――リアのそれは美徳だとは思うけど、ボクは形勢が不利にならない以上は、彼に手を貸すことは無い。
あれ程の力を持っているんだ。言ってしまえば得体が知れない」
持ち前の善意でもってキレイに助太刀するかどうかで葛藤を繰り返している銀髪の少女が一人。大精霊の説得もあって辛うじて留めてはいるが。
「――――それに、
続けざまに紡がれた大精霊の言。それと共に、ひとまずの停滞を生んでいた死闘に横槍が入る。
轟音が響き、地震さながらに地面が揺れる―――刹那、蔵の屋根を貫き、何者かが派手な登場をやってのける。此処まで来れば混沌だ。次々と移り変わる戦局に誰一人理解が追い付いていない。
「――あなたの言う通りだ。
僕は彼に対して疑心を向けるのではなく――迷わず手を貸していれば、みすみす危険に晒す事も無かった」
その瞳に、己を責める自責の念を宿しながら。しかし其処にはそれにも勝る圧倒的な正義を滲ませ。
「――だから、その償いをしなければ」
燃えるような赤髪の青年――剣聖ラインハルトが、確かな決意を持ってエルザを見据えていた。
破綻者の口元が、裂けた穴の様に深く歪んだ。
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常人とも、精神異常者とも異なる、ただただ純粋な―――破綻者。
神がただ一人産み堕とした、唯一の失敗作。
如何に神といえど補いきれない失敗を態々露見する様な真似はしない――故に、『破綻者』としての『破綻』の本質は己自身で見出さなければ気づく事は無い。
それの何と哀れな事か、何と健気で儚き机上の夢か。己が万人と異なる唯一にして無二の醜悪な存在なのだと、如何にして認めろと言うのか。
否、認めるどころかそれに気付く事すら自らの力だけでは叶うことはない。万人が幸せと捉えるモノに抱く虚無。万人が喜びと捉えるモノに抱く空虚。本質すら解らないままに只管に答えを求め続ける失敗作を目の当たりにして、果たして神は何を思ったのだろうか。
―――己が生み出した失敗作が、他の何者よりも己を崇め、敬愛していたと知れば何を想うのだろうか。
破綻と決めつけるには、どれ程の歪みが必要となってくるか。それを一概に断定する事は出来ないが、人が破綻としての定義を個人として唱え、それを他者に押し付ける事は出来ないだろう。
万人に数えられる人間とは言え、その一人一人が全て同じ本質を持っているわけでは決して無い。その全ての本質が全て異なっているからこそ人と言う生物が生まれ、擦れ合いながらも共存して行く事が出来るのだろう。それは美徳でもあり、同時に汚点でもある。
場合によっては己の本質を晒す事を躊躇い、異を唱えるべき他者の本質を受け入れる事も時にはあり得るのだから。己の本性を押し隠して生きてゆくと言う行為自体を理解する事は出来ないが、そうしなければ人として世界を生きる事は出来ないのだろう。
人でない『ワタシ』が断定していいものなのかどうかは解らないが本質が美しい人間など、ひと握りどころか一粒程の確率でしか存在しないだろう。と言うか、本質が美しい人間とは言ってしまえば聖人、つまり人でありながら穢を知らない純粋な無、厳密に言えばそのような者を人間と呼ぶ事は憚られる。
醜いからこその人間、清らかさだけで生物界きっての繁栄を築くことなど出来はしない。その生き汚さを尊いと取るか愚かと取るかも、また人々がそれぞれ持つ本質によって違う結果を齎す事になるのだろう。
――しかし、破綻している者にはその『本質』が無いのだ。あるにはあるが、誰にも理解されることの無いその違いを、それを解らないまま生まれ持ってきた破綻者が何かしらの感情を感じ取る事など、出来る筈もない。他者と感情を共有出来ない。つまり、それは同じ種族としての在り方を共有出来ない事と同義。言ってしまえばそれは、本来は自身と違う種族にしか起こり得ぬ出来事である。
価値観や本質に違いはあれど、人間が喜びや悲しみを感じる場面は根本的には同じ。しかし破綻者にはそれがどうしても、幾ら考えようとも……そもそも感情を考えてしまうという時点で親近感が湧く気もするが、解らないのだ。故に人としての輪から外れるのは必然、とは言え果たしてそれを人間ではないと断定する事は可能なのだろうか。
――否、断じて否である。この場合の破綻者とは万人の不幸を幸福と感じてしまう本質を持つ者の事を指すが、どのような形であれど聖人とは異なり確かな己の本質を持っている。醜い欲望という名の概念すら持たず穢れを知らない聖人よりかはよほど人間らしいと言えるだろう。
自分には欲望が無い等と他者に言いふらし、自らの清らかさを見せつける様に誇示し、あまつさえそうして示された清廉さが本当に穢れなき物であると言う完璧すぎて腹が立ってくる様な連中とは違う。
つまり、彼は感情というものを理解出来ないワタシとは異なり、感情として感じる物が人と真逆であると言う事だ。故に他者とのズレにただただ苦悩するのみだっただろう。そしてその苦悩はワタシにも僅かだが理解する事は出来る。
彼のように苦悩を抱いた事は無いが、人の感情を理解出来ずに長い時を経て、もどかしいと思った事は幾度もある。それ程までにワタシにとって人の感情とは最も理解し難く、最も理解したいと思う物なのだ。
幸福を得るために奔走するのが人間ならば、破綻者はその幸福の捉え方が人と真逆の物であると言うだけの事。それの何を悪と断ずる?何を歪として否とする?何を醜悪と決めつける?何を例外と定義する?何を異端と呼ぶ?何を失敗作とする?
悪の定義も善の定義も何一つ確かな物など存在しない。或いはそれすらも人が作り出した概念か、善と悪というモノが原初の時から存在していたというのか?
否、それすらも結局はヒトが創り出した『虚飾』である。自身の醜さを隠すためだけに光と陰としてヒトが用意した都合の良いモノ。それが善と悪。
身勝手な理想を振りかざし、それに反する物を陰として扱う。極論かもしれないが人間の醜さを考えればそんな物だろう。
恐らく破綻者としての彼が苦悩を抱きながらも此処まで生きていたのは、彼自身が感じる破綻した感情を自身の中で善と肯定していたからではないのか?
故に『彼』の存在を悪と断ずるには早計に過ぎる。幸福を善とするならば、破綻者が感じる幸福もまた善。彼らの定義に乗っ取るならばそう言う事になる。集団主義の彼らにとって破綻者とは自身らの不幸を幸福と断ずる何よりも都合の悪い存在。そんな存在は否定されるどころか、そもそも認識される事すらないだろう。
神が世界を創造し、人間という概念が誕生し、世界は人間によって改築されあるべき形へと組み替えられてきた。善と悪も持たない無垢な世界をあるべき概念として塗り替えたのは醜い本質を持った人間たちの手によってだ。その結果世界が更なる発展を遂げた事は神々にとって皮肉以外の何者でも無かっただろう。
――そもそも『ワタシ』が生きたこの世界において『彼』の世界程に神という者は重要視と言うか強大な位置づけにいる者では無い。それを崇めている人々も少なくは無いだろうがルグニカの神竜の様に彼の世界では神がいるべき場所にその他の強き存在が代役を担っている。
数々あるその中の一つにワタシ自身も入っているのだろうがともかく何もこの世界を創造したのを神と断定する宗教など少なくとも存在しないというわけだ。
そんな世界に放り込まれた彼は果たして何を思うのだろうか?嘆くのだろうか?怒るのだろうか?己を哀しむのだろうか?喜ぶのだろうか?困惑するのだろうか?
――それとも、破綻者故に当然のように少しの動揺と共に受け入れてしまう物なのだろうか?
ともすればそれをわけの解らない唐突な出来事として捉えるのではなく、起こりうるべくして起こった当然の結果として自己解決してしまうのだろうか。
―――嗚呼、アア、ああ、全く解らない全く予測できない全く見る事が出来ない。人の感情というやつが解らないワタシに人間を理解しろ等と言う無理難題を自ら押し付けるつもりは毛頭ないが、彼の事は最早解らないとかそう言った次元では無いのだ。
人間の感情を未だ理解できていないワタシが、人の形をした、最も人の本質に近い破綻者を自力で理解する事など百年早いどころの話ではない。
こんなにも疑問を持ったのは久しぶりだ。こんなにも知りたいと思ったのは初めてだ。彼が何を望み何に笑い何を感じ何を為し何を哀れみ何に怒り何を成すのか、その全てを狂おしい程に知りたい。その感情を味わいたい。
――或いは彼自身が人間の感情を理解出来ないのか?彼自身が己が人間ではないという事を自覚しているのだろうか?彼が一体何者で何を為すかを知っているのは、果たして彼自身のみなのだろうか?
否、もちろん彼は人間ではない。人と呼ぶにはあまりにも醜悪で、同時にあまりに清廉すぎる。そんな存在を人と同じ括りにする事は些か躊躇われる。ワタシが理解出来ない人間にすらも理解されることの無い人の形をしたナニカ。こんな興味深い存在を見つけてしまってはワタシの本能が疼く様に、熱を持って獣の様に狂おしい程にそれを知りたいと思ってしまう事は仕方のない事なのだろう。そうだともそうでなくては有り得ない。
自分の欲求を完全に満たしてくれる玩具が目前に現れた時、子供はそれを手にする事を躊躇うだろうか?自分の願いを叶えてくれる都合の良いナニカが目前に現れた時、人は躊躇するだろうか?
否、その欲を目前にしてそれを否定する事など出来はしない。目前にあるモノは偽りなく確実に、己の欲望を満たしてくれる可能性を大きく秘めているのだから、たとえそれが疑心に満ちた物であっても食わず嫌いで嫌悪したり否定したりする必要はない。
――全ては欲に帰する故に人は世界を築いてきた。欲を満たさなければ命を灯し続ける事など不可能。故に食欲があり、故に性欲があり、故に睡眠欲があり、故に知識欲がある。その全てを叶えられる範囲で満たしていかなかければ、イキモノはただ欲望に囚われた獣になってしまう。
だから、ワタシは知る事を恐れない。それどころか、疼く程に彼を知りたい、彼が齎すありとあらゆる事象をこの目で見て焼き付けたいと思ってしまう。
……だがワタシがその欲求を果たすためには彼とも良好な関係を築いていく必要がある。恐らく彼のような存在が一個人を嫌悪するような事があるとすればそれは聖人の類であろうが、鬱陶しい奴と思われては元も子もない。世界の記憶を利用して『彼という人間を知る』という結果を記憶として"見て知る"事は出来るが、そんなつまらない真似はしない。
自分が心の底から知りたいと想う事柄を人伝で聞くなどと、そんな勿体無い真似をしでかす筈もない。結果として彼という破綻者が持つ内面の僅かな感情を知れれば良いと言えばそれで良いのだが、後味が悪いと清々しく胸を張って答えを得たとは言えないだろうから。
やはり直接会ってこの耳で彼を知りたい。その結果をこの体に響かせたい。彼と対面した時私は何と言葉を掛けたら良いのだろうか?ああ、こんな時人間ならばどうするのだろう。笑い掛けるのだろうか?ああ、きっとそれが良い。初対面は印象が大事だろうから。
何の話をしようか?如何にして彼の内面を引き出そうか、如何にして彼という破綻者を理解していこうか。その過程すらも、苦悩すらも、得られた結果の数々さえも、その全てを知りたい。その結果の全てをワタシは肯定する。
例えどのような退屈で『怠惰』な結果が彼を知る事で得た物だとしても、その全てを肯定しよう。どのような結末を迎えようとも、それが途中で途切れようとも――それが結果として現れるのならば、それがワタシの知りたかった事の結果なのだから、それでワタシが満たされなければ道理ではない。
様々な仮説や検証は可能だ。だが、実際にその結果を出そうと実験に臨むとなれば、結果も試せる仮説も検証も、一つに集約されざるを得ない。終点として得られる結果はただ一つだけ、やり直す事も出来なければ、己の手で違う終点の結果を得る事も出来ない。それは全ての生物に、概念に対して言える物。
そこにはもちろん『魔女』も含まれている。結果の無い過程など存在しない。意味もなく過程を創ろうとする者など存在しない。意味もなく創られた存在など、この世に有りはしない。その全てが意味があるモノとして創造されたとするのならば、そのありとあらゆる意味を知りたいと思うのは当然のことだ。
純粋な興味で彼を連れてきたと知れば、向こうの人々は義憤を顕にするだろうか。意地悪な事を言うが、彼と言う存在が消え去り、悲しんだり哀れんだり怒ったりする者が一人としてあの世界に存在しているのだろうか?破綻者として、創られ象られた善と悪の概念が支配するあの世界において、彼は誰か一人にでも受け入れられた事があるのだろうか。
――そんな者は存在しはしないと鼻で笑い飛ばしたくなるのは、ワタシ自身が人間を理解できていないからか。
彼らの理論で行けば彼は悪よりも醜悪な本性を持った忌むべき者だ。その輪から外れてしまった者、或いはワタシ達に最も近い堕とし子。そんな悍ましい存在を、人間としてのまともな価値観を持っていながら、受け入れたり愛したりした者がただ一人でも存在したと言うのだろうか。
それすらも過程の、結果の一つだ。知らなくてはならないのだ。この際限なく内側から溢れてくる好奇心と呼ばれる狂うような熱を満たすために。ワタシの欲を満たす糧とする為に。
――本能が疼いている。渇望。熱望。渇求。切望。渇欲。混欲。宿願。飢渇。欲深。貪欲。強慾。貪婪。貪慾。欲心。強欲。その欲の全てを満たさなくてはならない。故に何と甘美な疑問だろうか。果たしてどのように純粋で根源的な答えを彼は見出したのだろうか。知りたい。知識として、『強欲』として彼を隅々まで――――
「――はぁ。気を緩めるのは良いけど、ふぅ。今はそれをして良い状況かね?はぁ。
流石にあんなのが乗り込んできたら、はぁ。洒落にもならないのさね、ふぅ」
「―――っと、思考に耽っている暇は無いか。死にかけの存在を連れてきた所で、とは思ったんだが……些か、いや見過ごせない歪みが生じてしまったらしい。
それにもう気付かれたらしい。下手をすればワタシごと消し飛ばされないからね、警戒に越した事は無い。
……尤も此処にある戦力を全て投入しても勝てるとは思わないが。
――故に、少し猶予が欲しいものだね」
期限までに――君を知らなくてはね。
長ぇ(大事なk(ry)