大変遅れました。申し訳無い。何分今年は受験なもので、許してくださると幸いです。
―――それは、緩みを見せた事を嘲笑うかのように訪れた、覆せぬ現実であった。
喜びは焦燥へと、安堵は自責へと。
躱せぬと思われた死を免れた殺人鬼が引き起こした惨劇は、一人を除いてその場にいた誰もが予想だにしないものだった。
「――――っ!」
だが、その予想外の悲劇に対しても、サテラの意志は揺るがないものだった。
トクトクと流れる鮮血が作り出した血溜まりで汚れる事も厭わず、サテラは腹を切り裂かれた少年――スバルの側に跪く。
揺るがない紫の双眸に宿るは確かな決意。その両手に淡く輝く青い光を宿し、それをスバルの傷口に充てがう。
癒しを司る水の波動。生命を司る水の属性から成る治癒魔法が、赤く染まった傷口を照らし、それを修復しようとするが、
「――っ、駄目、これじゃ気休めにもならない……!」
歴戦の傭兵の渾身の一撃を腹に受ければ、それはまごうこと無き致命傷。決して容易に癒せる物ではない。
だからと言って此処で手を止める訳にはいかない。
「助けなきゃ……!」
――――この少年は。何としてでも助けなければならない。
それは、少女の中の何かがそう叫んでいたからに他ならない。
しかし現実とは常に非情。たかが一つの意思ごときで道理が覆せるものかと嘲笑うように、事態は回復の兆しの片鱗すら見せる事は無かった。
少女の貌には次第に悲壮の色が混じり始め、発せられる光が軸を失った様に揺らぐ。
出血が早すぎるのだ。月光に照らされ元々白かった肌が、更に色を失っている。傷が完治されたとしても、その中身が全て外に流れ出てしまったのでは意味がない。
怯えが走る。目前で命が失われようとしている事への、本能的な逃避を促す感情。確かな決意と意思があろうとも、己だけでは少年を助ける事は出来ないのかもしれない。
――そんな諦念を刹那に抱いてしまった少女にとって、横から手を添えた言峰綺礼という男は、果たしてどう映っただろうか。
「完治とまでは行かないが、処置は十分に可能です。
私も少しばかり心得がある。或いは一命を取り留める事も可能でしょう。
―――無論、貴女の助けがあればの話だが」
そう言って浮かべる笑みが、見る者にとっては悍ましい程に歪んだ物であったとしても。
無垢な少女にとって、それは正しく救世主の様に映ったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「――――よし」
再び訪れた緊張と後悔から来る憂いの感情が未だ場を支配していた中、喜色と疲労滲んだ少女の声が響く。
その側には倒れる少年と、顔色一つ変えずに立ち上がった法衣の男。
そんな男に対して、少女は頭を下げる。
「本当にありがとうございました。貴方の助けが無かったら、私だけじゃこの子を助けられなかったかもしれない
それと、あの時私を助けてくれて本当にありがとう。
あのままだと首ちょんぱだったし、なんて言ったらいいか……あ、あと―――」
「―――礼には及びません。
どうか頭を上げて頂きたい。」
だが、過剰とも言えるそれを受けた男にさしたる変化は無い。あるのは口元に僅かに浮かべた笑みだけ。心無しか皮肉げに見えるそれは、実際その通りなのだが。一命を取り留めたとは言え、あくまでその場しのぎ。完治にはそれなりの魔力と時を要する。
「僕からも礼を。此方の油断で、彼とエミリア様をみすみす危険に晒してしまった。
――あの場面で、気を抜くべきでは決して無かった」
そして、自責を声にまで滲ませるは赤髪の青年、群青の瞳には己に対する激しい怒りが混じり、周囲の大気すら僅かに震わせるほどだ。
正義を文字通り体現したような剣聖にとって、己の油断が招いた惨事を許すことは出来なかった。目前の物全てを救うことなど、如何に出鱈目な力を持っていようが出来はしない。
少なくとも男――キレイは暫く警戒を保っていたが、恐るべきはエルザの隠密能力。その体を瓦礫から跳ね上げさせるまで、代行者すらもその気配を捉える事は出来なかった……わかっていたところで、手助けをしたかどうかはキレイの性質上、あまり期待できたものではないが。
故に、赤髪の青年――ラインハルトの謝罪を受けたキレイは薄く微笑むのみ。その裏に隠された感情など、誰一人として気付くことはない。
「えっと……あなたはどうして此処に?」
そして、無垢な少女が示すのは純粋な疑問。盗品蔵に居合わせる時点で公に出来る事柄であるはずもないが、別段少女の眼に、探りの色は一切見当たらない。
「……情けない限りですが、この身は明日如何にして生き延びるかを考えなければならない。
そこでやむを得ず取ろうとした手段が、蔵での交渉だったという事です」
即席の口実だが、嘘は言っていない。唐突にこの世界への転移を果たしたキレイにとって、この国の財政の状況を知るはずも無い。衛兵の前で口にするのはあまりにも愚かであるが、彼にしてみればあるべきものとして何かしらの目的や理由を作っておかなければ後々面倒になる。
無論、色々と無理はある。何処の貧乏人が法衣などを身に着けているのだと問われればそれまでであるし、ラインハルトが職務を全うせんとするならば、最初から詰みというのが現実である。
だからこそ、環境を安定させておくに越した事は無い。この時代の物から逸脱した純白のローブを身に纏った少女を、キレイはそれなりの身分の者と判断し、エルザ撃退の手助けをしたのである。
結果的に恩を売る形だが、良くも悪くも目前の騎士と少女は純粋に過ぎ、また誠実すぎる。其処に隠しきれぬ打算があろうとも、ラインハルトにとってはエミリアをキレイが助けた。この事実が何よりも重要なのだ。
「――今回の件において、貴殿は誰よりの貢献者だ。
その功績をみすみす無かった物にするなど、僕には出来ない。」
「ちょっと、ラインハルト。その言い方だと、罪に問おうとしてたってこと?」
「場合によっては、ですが。私も騎士の端くれ。正直に申しますと、彼が此処に足を踏み入れた事を看過すると言うのは、あまり良いものではないでしょう。
――しかし、生憎と今日は非番でして。休日は仕事をしない怠けた騎士を、どうかお許しください」
――それは悪手だ。キレイはそう内心で嘲った。
騎士であるならば、常にそう言った事には気を配らなければないないのが常。見ず知らずの怪しい者が如何なる偉業を達成しようとも、其処に私情を挟むのは得策ではない。
少年がその類では無いという証拠が何処にあると言うのか。少なくとも代行者の目から見れば、道化を装った刺客と言う可能性も決して否定できるものでは無かった。
確かに、ラインハルトと言う男は一般的な観念から見るのであれば、正に騎士の中の騎士――最優とも言えるだろう。しかしあまりにも穢れがなさすぎる。それは一見良い事のようにも思えるが、その実それによって被る物も決して少なくはない。せめて反射的に疑心を抱き、それが芽吹かないうちに根絶するぐらいの非情さがあれば、話も違ってくるだろうが。
最優。脳裏には翡翠の瞳の少女が浮かぶ。その強さ、在り方を見れば確かにそうであったと断言できるであろう。
しかし、あくまでそれは雅さを求めた故の話。真の最優とはどのような存在かと一概に言えはしないが、少なくとも清廉な心など、何も意味を成さない。仮にラインハルトのそれが……未だキレイが目にした事のない、含み無しの純粋な正義だと言うのならば、キレイはそれを鼻で嘲笑うだろう――歪みあってこその正義。歪み一つないそれなど、ただの偽善に過ぎないと。
「……しかし、此度の事件の発端となった貴方がたを許すことは出来ません。
その罪は、見過ごせる程軽いものではない」
「――んな建前並べなくたってわかってるっつーの。
正義第一のアンタが、アタシらみたいな小汚い盗っ人を見逃さねぇってことぐらいはな」
諦観を抱きながらも、静かな怒りと嫌悪を滲ませながらラインハルトに皮肉を投げる金髪赤眼の少女――フェルト。彼女と隣に控える翁は、ラインハルトから見れば「徽章を盗んだ不埒者」と「盗品蔵の主で、徽章を金と天秤にかけようとした者」。その罪は、正義を振るうには十分だった。
エミリアからすれば、覆しようのない被害。たとえ徽章を取り戻そうとも、賊人に盗まれる不覚を取った、という事実は変えられないのだから。
少女に歩み寄る剣聖を止める者は誰もおらず、ただその靴音だけが響く。紫瞳の少女が一人、憂いを見せながら静止の声を掛けようとするが、それが声となって表れる事は無かった。
正義を重んじるが故に下された正しき選択は、無慈悲なものであった。
――時に運命は、正義をも狂わせる。
唐突にフェルトの腕を掴んだ剣聖を横目に、言峰綺礼はその身を呈して己が目的を成し遂げた非力な少年を見やる。
死を繰り返す運命。それがどれほど苦痛に満ち、絶望に蝕まれたものなのかは、死を眉一つ動かさずに受け入れることの出来る破綻者には推し量れない。
いつかは迎えるべき終焉、それが人為的なものだとしても、突発的な予期せぬものだとしても、死は万人に訪れる。
それは言わば、一度きりの終わり。仮にそれを一個人が幾度となく体験するとすれば、果たしてそれを死と言えるのだろうか。
生命の終わり。自分という歯車の停止。それを繰り返す事すなわち――その歯車は、永久に止まり続け……永久に回り続ける事と同義。
そんな理不尽な運命を、君は背負えるか?
普通の人間が、縋る事に長けた哀れな道化が。無意識に愛する者を定めることで、
断じて否。それを道理として捉えるならば、そのような可能性は万に一つとしてない。
エミリアを依り代にしたところで、それにも限度がある。全ての死を呑み込む事など、強靭な精神を持ち合わせた者であったとしても不可能だ……それこそ、何かしらが壊れていなければ。
どのような末路を辿ろうとも、それはとても素晴らしいものであろう。
諦念の果てに意味なき死を繰り返して廃人になるも良し、その身果てるまで抗うも良し――いっその事、彼の目前から希望という概念を全て根絶させるのも悪くはない。
――君の様なヒトに、希望は似合うだろうか?
「――エミリア様、彼女の身柄を此方で預からせて頂いてよろしいでしょうか?」
フェルトと翁を気絶させ、腕にフェルトを抱えたラインハルトが、エミリアに問いかける。
その瞳には先程までの後悔は微塵も存在せず、剣呑一歩手前、という程に鬼気迫る物を代わりに宿していた。唐突な変貌にエミリアは困惑を隠せず、曖昧に首を縦に振ることしか出来ない。
「―――でも、殺したりまでは……」
「……その罪も、確かに重大な物でしょう。
ですが、それとは別に僕はこの少女を見過ごすわけにはいかない。」
この期に及んでフェルトの末路を心配するエミリアだが、遠回しに、しかしながら確かな言葉を持って否定されてしまっては、これ以上挟む言葉もない。
「……わかりました。では、キレイさんとこの子は此方で預かります。
返しきれないくらいの恩を作っちゃったもの」
「――お心遣い、感謝致します」
その会話を皮切りに、剣聖と少女は互いの視線を外す。一人は恩人に笑いかけ、一人は腕の中の少女を見やる。
月明かりが照らす、瓦礫の山。そんな物さえ美しく見えてしまうのだから、誰もがそれを意識してしまう。
――その美しさの中に、一種の不気味さを感じさせるそれは……やはり、波乱の予兆なのだろうか。
「改めて、本当にありがとうございました」
「――その礼は、どうか彼に向けてあげてください」
一つ、確かな事があるとすれば。
「――誰にとっても、一番の貢献者は彼でしょうから」
――時に、言峰綺礼は何よりもの災厄となる。
破綻者が齎す波乱など、誰も知る由は無い。
故に、愛すべき神すらも欺くのだ。
くぅ〜疲れましたwこれにて一章完結です
……なんというか、支離滅裂な文ですね(白目)
前回と今回、本当に書き直そうかな。