王道と邪道   作:ふぁるねる

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最大の局面

 戻る。戻る。戻る。

 

 二日間。

 

 全てが巻き戻る。

 

 満月へと至る月は、ほんの少し欠けた状態に戻る。

 食卓に並ぶ豚は命を吹き返し、屠殺されることもしらずにブヒブヒと鳴く。

 

 世界の全てが二日の時を巻き戻る。

 

 倒壊した建物は一切の損壊なく聳え立ち、その中で死んだ者たちは人としての身体を取り戻す。

 世界の巻き戻しは、魂や記憶も同様。

 

 しかし、たった一つ。

 たった一つだけ、巻き戻しから逸脱する存在があった。

 

 少年の魂、精神、記憶。

 

 一切の欠損もなく、死んだ状態(欠損した)そのまま、彼の中身は巻き戻る。

 

 その力こそ、死して時間を巻き戻すーーーー死に戻りの力。

 

 

 ーーー

 

 

 スバルにとってその目覚めの感覚は、二度目の経験だった。

 どんな目覚めよりも早く、鋭い。

 眠っていた頭に冷や水を掛けられたように、睡眠から覚醒へスイッチを入れ替えたように、あるべき微睡みの間を一切感じさせない。

 寝起きが良いことを自負しているスバルだが、これほどの目覚めは心地良いを通り越して、もはや気味が悪い。

 

「っ!」

 

 スバルはとっさに首を両手で押さえる。

 ほんの数秒前に感じた感覚は消えない。

 今のスバルの首は、何の異常もなく繋がってくれている。

 しかしつい先ほどまでこの首は、確かに離れていたのだ。

 見える傷は無い。

 その代わり、スバルの内側には首と胴体が離れた衝撃が残っている。

 あの時、スバルの頭が胴体から離れた時、スバルは確かに死んだはずだ。

 

 ナツキ・スバルは死んだ。

 そう、そのはずだ。

 確認は何度も続く。

 なにせほとんどの人間は、死を何度も経験することなど無い。

 スバルにとっても、それは未知の感覚だ。それゆえに何度も、何度も何度も反芻する必要があった。

 

 しかし、時間は止まってくれない。

 

「……なに」

「クルシュ様!」

 

 覚醒の感覚は二度目、死の実感も二度目。

 だがこの清廉な声を聞くのは、三度目だった。

 ゆえにスバルは、先手を打つために声を上げる。

 死の衝撃なんて後だ。

 覚醒の余韻など後だ。

 考えるべきもの、感じるべきものはある。

 だが、全てを後に回せ。

 今ある窮地を脱するために、頭を回せ。

 

 何かを発しようとしたクルシュを遮ったスバルの言葉は、広い部屋の中に響いた。

 中断されたクルシュは眉をひそめて、スバルを見る。

 

「何者だ、貴様!」

 

 一瞬、停滞と静寂が訪れた後に続いて空気が破裂する。

 円卓に座る老人たちが目を合わせ、クルシュは何かを考え込むかのように顎に手を当てる。

 扉の横にいた騎士風の甲冑を着込んだ男が叫んだ。

 

 部屋中の視線を独り占めする中、スバルは視界の中にたった一人だけを入れる。

 いや、視界にはおそらく全員が入っているが、焦点を合わせるのはクルシュだけだ。

 それは、高性能の単焦点レンズを用いた一眼レフカメラで撮った写真のような景色だ。

 他の物は些事。スバルの全てはクルシュに注がれる。

 

「クルシュ様、至急のご報告が!」

「……っ」

 

 スバルは膝をつき、続ける。

 騎士の男が迫ってくるが、そんなものは御構い無しだ。スバルにはクルシュしか見えていない。

 騎士はスバルの鬼気迫る表情に少し戸惑う。

 

「クルシュ様、彼は……」

「王城内部にて、魔女教徒の動きが確認されました!」

「なっ、ま、魔女教徒だと!?」

 

 円卓に座る老人、その中でも矢鱈と伸ばした髭が特徴的な男がクルシュに声をかけるが、スバルはまたしてもそれを遮るように声を上げた。

 狼狽えるような騎士の声が聞こえた。

 それもそうだろう。

 魔女教徒が王城に侵入しているなどということ、騎士、衛士のような立場の者なら由々しき事態だ。

 スバルの言葉で部屋の中は、ザワザワと動揺が波立つ。

 

「待ってくだされ。聞きたいことは山とありますが、まずあなたは何者ですかな?」

 

 先ほどの髭の老人が静かに手を上げる。

 それだけで、コソコソと話していた人々は徐々に落ち着いていく。

 小学校の挙手とは違う。彼にはそうさせるだけの威厳があるようだ。

 

「私はナツキ・スバルと申します」

 

 スバルは敬語の使い方がわからない。ろくに部活にも入っておらず、目上の人と接することが無かったのだ。しかし重要なのはそこではないため、気にしない。

 最も、老人の方を向かずにクルシュのみを見つめ続けているので、彼に対する無礼な態度はこれ以上ないというほど示してしまっている。

 

「私はマイクロトフと言います。ナツキさん、あなたの立場を知りたいところですな」

「まず、賢人会の皆様の会合を中断させてしまったことをお詫びいたします。そして私の立場ですが、見て頂ければお分かりになるかと」

 

 スバルは依然、クルシュのことを見つめ続ける。穴があくほど、なんてものではない。世界にクルシュしかいないのではないかと錯覚してしまうくらいだ。

 

 欺くためだ。

 全てを。賢人会を、マイクロトフを、スバル自身を。

 そうして信じるのだ。

 たった一人を。

 クルシュのみを。

 

「なるほど……。私から見ると、御身はクルシュ様の従者のように見えますね」

 

 マイクロトフは表情を変えずにスバルを見る。その言葉は、その場にいるクルシュを除いた全員の代弁だろう。

 

「…………」

 

 マイクロトフの言葉に、スバルは沈黙を選び取る。

 その代わりに、一つ、動作を入れる。

 慎重に、かつ不自然ではないように。

 小さく、しかしそれと分かるように、あごを引いた。

 

「ふむ。クルシュ様?」

 

 依然クルシュのみを見つめ続けたままのスバルを、マイクロトフはジッと見つめるもすぐにクルシュに話題を振る。

 話の中心と言ってもいいクルシュは、ここまで沈黙を貫いていた。

 真っ向から向かってくるスバルの視線に合わせるように、クルシュもその琥珀色の瞳をスバルに向けていた。

 二人の視線が交錯して、すでに一分は経過している。

 クルシュはその間に何を掴み取っているか、スバルにはわからない。

 

「…………失礼した」

「クルシュ様?」

 

 クルシュが円卓に向き直り、謝罪を一言。

 それがどんな意を持つのか、賢人会の一人が問うた。

 そして決定的な言葉を発する。

 

「彼、ナツキ・スバルは私の従者だ。火急の用ができた。失礼する」

 

 クルシュ・カルステンは席を立った。

 

 

 ーーーー

 

 

 

「それで貴様、どんなつもりだ。貴様のような従者、持ったつもりはないのだが」

 

 場所を移して、王城の一室。

 来賓用にあてがわれた部屋に、スバルは連れてこられた。

 煌びやかな装飾に、瑞々しく美味しそうな果実まで置いてある。

 牢獄スタートとは比較にもならない好待遇である。

 

 クルシュの後ろについて王城の廊下を歩く最中、スバルは状況を整理した。

 

 

 

 まず、スバルは『死に戻り』をしている。

 これは二度の死の経験を経て、疑う余地がなくなった。

 

 異世界転移をしている以上、何か特殊能力や異能を持っていたりすると良いなあとは思っていたが、まさかまさかのタイムリープだ。

 スバル自身としては、身体強化や大魔法、強奪スキルとかの所謂チート系の能力が欲しかったのだが、わがままは言ってられない。

 

 そしてこの『死に戻り』が、あまりに使い勝手の悪い力であることも理解していた。

 

 まず、発動条件が「死ぬこと」である。

 スバルは二度、死を経験した。

 一度目は流れる瓦礫に身体をズタズタにされて死亡。

 二度目は胴体と頭を切り離されて死亡。

 

 それぞれ違った死に方だったが、あの痛み、あの消失感、あの恐怖は未だに消えてなくならない。

 今だって、歩く足がブルブルと震えて力が入らない。

 足と腕と胴体と頭が、何の変哲もなく繋がっていることを不思議に思ってしまっているくらいだ。

 どうやらこの『死に戻り』、心や記憶は全く戻ってくれないらしい。

 どうせならスバルの中身まで死に戻ってくれていれば、こんなにも苦しく思うことはないというのに。

 まるで心と体の調子が合ってくれない。

 

 次に、死に戻りの地点、セーブポイントが任意ではないという点だ。

 

 二度の死に戻り。その戻った地点は、スバルが賢人会の会合の部屋に、うっかり入ってしまったところだ。

 これがあまりに悪い。

 

『死に戻り』は一種のタイムリープだ。

 それは過去を塗り替えて、未来を変えることができるような、トリガーが死ぬことに目を瞑れば、スバルも憧れた能力の一つであることは確かだ。

 

 しかしスバルが戻された地点は、すでに王城侵入という罪を起こしてそれがバレてしまったところ。すでに罪を被っている状態だったのだ。

 あのまま何も行動を起こさなければ投獄されてしまうことは、二度目の回で証明済みだ。

 つまり、『死に戻り』していると理解し、何か有効な手段を取るまでスバルは何度も投獄されていたのだろう。あんな薄暗い場所で硬いパンをかじる生活を何日も続けることになったら、気が狂ってしまう。

 

 そんな風に、やらかした直後に戻されたのではどうしようもない。

 過去を帳消しにするはずの力は、その過去を消せる時点まで戻ってくれない。

 もし死に戻りのセーブポイントが任意だったのならば、スバルは日本にいた頃に設定するというのに、致命的な欠陥だ。

 

「まじでありえねえ……」

 

 先ほどの場。

 スバルは『死に戻り』していて、初めから詰んでいるという事実。

 それのみを理解するにとどめた。

 それ以上を理解していては、出遅れる。

 

 王城侵入の罪。

 投獄。

 そして魔女教の襲来。

 

 二日後の魔女教の襲撃を知っている人物は、スバルただ一人。

 そしてそのスバルが投獄されて身動きが取れない、という事態は最悪の展開だ。

 

 だからスバルは自身を、王城侵入の不審者ではなく、()()()()()()()()()()()()()()に変えた。

 王城に入ったという事実は変わらない。

 ならば、それを罪にしなければ良い。

 それがスバルの出した、クルシュの従者という答えだ。

 

 クルシュの人となりを知っていて、求めるものを分かっていて、その力を信じていたからこそ、クルシュを選んだ。

 

 その場を欺くため。

 窮地さえ切り抜けてしまえば、スバルの勝ちだ。

 あの場での敵は、個人ではなく法や立場、場の空気だった。

 それらを欺くことが、死に戻り直後のスバルの最初の壁だったのだ。

 

 

 そしてその欺き方だが、あまりに強引だったと言わざるを得ない。

 もう一度あの場に戻って、さあやれと言われてもできるとは思わない。

 死に戻り直後の危うい精神状態だったからできたのかもしれない、と思う。冷静に考えてみると危ない橋を渡ったものだ。

 

 まず初めに、クルシュの名を呼んだ。

 クルシュに一言目を言わせてはいけなかったのと、取り押さえに来る騎士をその場に抑え、クルシュの興味を引くためだ。

 クルシュは部屋に入ったスバルに、「……何者だ?」と誰よりも早く問いを投げかける。

 その時点でスバルとクルシュの間に、何の関係もない事が露見してしまう。

 それだけは回避しなければならなかったのだ。

 

 そしてクルシュに対して、報告があると述べる。

 ここからはただ、クルシュの従者のような振る舞いを続けるのみ。

 

 マイクロトフがクルシュに、スバルのことを問おうとした時は焦ったものだ。

 クルシュがその問いに正直に答えた時点で、スバルの身に何の価値もない事がバレてしまう。

 そこでスバルは、魔女教についての話題を出した。

 論点をすり替えたのだ。

 

 ワンクッション置いたことで、マイクロトフはスバル自身に問いを投げた。

 聞かれたことには正直に答える。嘘をついて、良いことはあまり無い。

 

 そしてスバルは、自身の立場をマイクロトフに明言しなかった。

 マイクロトフの主観に任せたのだ。

 一貫してクルシュのことだけを見つめていたことも、それを助けるためのもの。

 はたから見ればスバルはクルシュの従者としか、()()()()

 そう、従者としか見えないというのが重要だった。

 

 今回の騒ぎ、スバルが最も恐れたものは、強そうな騎士でも偉そうな賢人会でもなく、クルシュの持つ『風見の加護』だった。

 嘘を見抜くというクルシュの加護は、身分を偽って場を凌ごうとするスバルにとって障害となり得た。

 ゆえに、スバルは嘘を一切ついていない。

 見え透いた嘘は、クルシュに見抜かれてしまうからだ。

 

『御身はクルシュ様の従者のように見えますね』

 

 マイクロトフはこう言った。

 この言葉こそ、スバルが求めていたものだ。

 クルシュの従者のように見える。

 そうだろう。

 まるでそのように振る舞ったのだから、そうだろう。

 

 スバルも、スバルがクルシュの従者の()()()()()()()()に同意だ。

 

 もし、「御身はクルシュ様の従者ですか?」と尋ねられていたらどうしようもなかった。

 それを肯定する言葉は、嘘になってしまう。

 しかし、そのように見えたことに同意することはなんら嘘ではない。

 

 念のため、頷くまではいかなくともあごを引く程度にとどめたり、心の中で「クルシュ様! クルシュ様!」と連呼していたが、それが役に立ったかはよくわからない。

 だが、場を欺き、クルシュの加護までも欺くことはできたようだった。

 

 そして最終局面。

 

 クルシュは、それでもスバルのことを疑っただろう。

 それもそうだ。

 スバルとクルシュは初対面。

 こんな従者、いた覚えどころか見たことすらないはずだ。

 

 しかし、スバルはクルシュが意図を汲み取ってくれると信じていた。

 

 思い出すのは、二度の死の間際。

 

 クルシュは常に、死にゆくスバルの近くにいた。

 破壊を続ける魔女教徒と共に、一人で戦っていた。

 なぜ、一人で戦っていたのか?

 どうして騎士団はいなかったのか?

 なにゆえ、スバルを斬ったあの老剣士は遅れて参戦したのか?

 

 違う。

 クルシュは、魔女教徒が騒ぎを起こした牢獄にちょうどいたのだ。

 騎士団が遅いとか、老剣士が遅いとかではない。

 クルシュが早かっただけだったのだ。

 

 ではなぜ、クルシュはあの場にいたのか。

 まさか投獄されたわけではあるまい。

 貴族の服は着ていたし、剣も持っていた。

 となってくると、クルシュは牢獄に用があったと推測できる。

 

 

 …………スバルに再度会いにきていたと考えるのは、傲慢だろうか。

 

 

 そうだったらいいな、という願望が入っていることは間違いない。

 ただ単に他の用事があったのかもしれないし、仕事で来ていたのかもしれない。

 だが、クルシュがスバルの言葉を気にかけ、処刑間近のスバルの話を聞こうとしていたとしたら、どうだろう。

 

 クルシュはまだ、スバルに可能性を見ていたのだろう。

 何か大きなことをする、その助けになるかもしれないと思ったのだろう。

 だから、あの時、あの監獄の近くにクルシュはいたのだろう。

 

 だからスバルは、会合の場で自分の能力を見せた。

 クルシュの加護を欺きながら、場を凌ぐことができるという能力を。

 俺はこれだけ出来るぞ、というアピールを込めた目を向けた。

 

 クルシュならば必ず、そんな路傍の石を拾うと信じて。

 

 そうしてスバルは、二回の死で得たクルシュの人柄を信じて、この窮地を乗り越えたのだ。

 

 

 時は戻って、王城の一室。

 

「さっき言った通りだ。王城に魔女教が侵入してる。撃退のためにクルシュの手を借りたい」

 

「貴様、いったい……。いや置いておこう。なぜ魔女教の動向が探れる。貴様が魔女教徒ならば、道理は通るが……」

 

「お、それいいな。俺、魔女教徒。その案で行こう!」

 

 スバルは指をパチンと鳴らした。

 

「作戦SMOだ!」




作戦S(スバル)M(魔女教徒)O(オペレーション)
作戦とオペレーションが被ってるのはご愛嬌。

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