王道と邪道   作:ふぁるねる

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鬼二人

 

「いや、ちょっと、待ってください」

 

 今にも女を追おうとするヴィルヘルムの背中に、スバルが投げかけた言葉は拒絶だった。

 

 怪しい女の尾行、それ自体に異論は無い。むしろヴィルヘルムではなく、本来はスバルが提案すべきことだ。

 神出鬼没の氷の巨獣を止めるため、今は手がかりが一つでも欲しい。

 貧民街をあれだけの殺気を振り舞いて歩く女は違和感の塊だ。巨獣の出現と関係している可能性は捨て切れないだろう。

 

「あ、あの……」

 

 理屈では分かっている。

 理性では理解している。

 

「どうしましたか」

「……」

 

 足を止めてこちらを振り返るヴィルヘルムに、続く言葉が出てこない。

 

「怖気付きましたか」

 

 握りしめた拳から滴り落ちる汗が、それを肯定する。

 この人は言い難いことをストレートに伝えてくる。伝えてくれる。

 

「…………」

「スバル殿、恐れは正しい感情です」

「……そう、ですかね」

 

 生唾を飲み込み、なんとか絞り出す。

 この場で正しいことは、今もどこかに向かって遠ざかっていく女の背中を追うことであり、恐怖に足を竦ませて立ち尽くすことではないはずだ。

 

「ええ。正しい判断と正しい感情は決して相反しません」

「……違いが分からねえ、です」

「分からずとも」

 

 ヴィルヘルムは剣柄を撫でる。

 

「あなたは今、あの女を追うべきだという判断と、逃げるべきだという感情に板挟みになっているのでしょう。それはどちらも正しいのです」

「いや、怖いことを押し殺してでも追いかける。これが正しいことでしょ?」

「それは正しい選択、です」

 

 違いが分からない。

 そう言うのならば、スバルは感情に押し潰されて正しい選択ができていないのだ。正しいことなど一つもない。

 

「ヴィルヘルムさんはやっぱり凄いですね。そんなにすぐ、正しい選択ってのがわかって、それを選べて、俺がどんな状態になってるのかもわかって……。俺には、無理です」

 

 歴戦の剣士には、スバルごときでは到底及びもしない経験、それに裏打ちされた考え、そして生き方がある。

 何も積み上げてこなかったこの頭と肉体では、何か出るかと叩いてみても虚しい音が反響するばかりだ。

 クルシュやヴィルヘルムといった人物と対峙する度、スバルは自身の空虚さを実感する。

 

「慣れです」

 

 ヴィルヘルムは短くそう言った。

 

「慣れって、そんな簡単に……」

「慣れです。スバル殿」

 

 前言撤回だ。

 慣れだと断言するヴィルヘルムの目を見れば、それが決して簡単ではないことはすぐにわかった。

 

「毎朝、市場に行くように戦場に赴き、リンガを品定めするように剣を手に取り、食事をするように人を殺して、帰宅して団欒するかのように戦果(死体の山)を報告する」

 

 それは、剣鬼が過ごしたかつての《日常》だった。

 地球でも、この世界でも、戦争を最前線で体験した彼らには、それが日常だったのだ。

 

「死地、修羅場、なんでもいいのです。一つの感情が、判断が、選択が己の命を掠め取ろうとしてくる窮地をすり抜ける。それを何百、何千と繰り返すのみ」

 

 異常が日常になれば、慣れる。

 平和とは、二つの戦争の間に介在する騙し合いの時期だ、とは誰が言ったのだったか。

 この剣鬼にとってはむしろ、戦争が日常で平和が異常である。そんな域まで達してしまっているのではないかと思わされてしまう。

 

「スバル殿、あなたがなぜクルシュ様の王選に介入しようとするかを私は知りません。ただ、あなたにどのような都合があろうと、クルシュ様の道は修羅の道であることに変わりはありません。剣を取らずとも、戦であることに変わりはないのですから」

 

 剣が無くともクルシュにとっては政争も戦争である。その結果如何で、生き永らえる人も死ぬ人もいるのだろう。

 

「クルシュ様に仕えるのであれば、あなたはこれから幾つもの死地に踏み込む。もちろん、道半ばで死ぬこともあるでしょう。しかし生き抜くことができたのならば、その中で慣れるのです」

 

 スバルがこの場にいる理由は、成り行きと言う他無い。

 ヴィルヘルムのように成し遂げなければならない悲願があるわけでもなく、フェリスのようにクルシュに対して身も心も捧げるような絶対的な忠誠心があるわけでもない。

 

「スバル殿、一つだけ伝えておきましょう」

 

 ヴィルヘルムの視線からは、スバルの体を透かしているかのように心に訴えようとしていることがわかる。

 

「恐れることを恐れるな。悩むことに悩むな」

 

 恐れること。悩むこと。

 それ自体が怖いことで、苦しいことだ。

 恐怖。苦悩。そう思っていた。

 実際、そうだ。そのはずだ。

 強大な存在の前に立てば、いつだって足が竦んだ。

 クルシュやヴィルヘルムと相対すれば、卑しい心を自分で掻きむしった。

 

 しかし、ヴィルヘルムはそれで良いという。

 

「怖くても、いいんですか?」

「恐怖とは本能です。麻痺してしまうと、引き際を見誤る」

「ヴィルヘルムさんには恐怖なんてなさそうですけど」

 

 剣鬼は、それでも数多の戦場を生き抜いてここに立っている。

 

「恐怖の対象が死ではないからです」

「どういうことですか?」

「恐怖とは誰しもが生まれ持った根源的な感情です。その根底は死への恐怖。生命が脅かされることへの警鐘です。スバル殿が抱いている恐怖はこれでしょう」

 

 まさしく。

 あの女に付いていけば待つのは死だということが、その雰囲気から感じ取れる。

 何もしなくとも死が待ち受けている身だが、先延ばしにできるのであればそうしたい。

 

「先程の女性は見覚えがあります。おそらく『腸狩り』のエルザ。腕利きの殺し屋として指名手配されているはずです。奴の殺気にあてられて恐怖を感じないのであれば、それこそ異常というもの」

「そんな奴だったのか……。で、でもヴィルヘルムさんは大丈夫だった、んだよな? それってヴィルヘルムさんの方が強いからじゃないんですか?」

「『腸狩り』の実力は未知数です。無論、交戦するのであれば負ける気で挑むつもりは毛頭ございません。ただし負けて死ぬこともあるでしょう。それが、戦いです」

「それよりも怖いことがあるって言うんですか?」

 

 死を四度も経験しているスバルだからこそ、死の恐怖は誰よりも身に染みている。

 

「私にとっての恐怖とは、この手で妻の仇を取ることが叶わないことです」

 

 ドッ、と汗が噴き出るのを感じた。

 穏やかな物腰、物言いだったヴィルヘルムから一瞬だけ、あの『腸狩り』とやらが醸し出す死の空気すら温く感じるほどの凄まじい殺気が溢れたのだ。

 

 気がつけばヴィルヘルムが視界から消えていた。

 

 違う。

 スバルが尻餅をついて、視点が下がったのだ。

 そのことに気がつかないほど、ヴィルヘルムの殺気は段違いであった。

 

「死んでしまえば仇を取ることもできません。そういった意味では死ぬことが怖いとも、言えます」

 

 そう言ってヴィルヘルムが差し出す手を掴み、立ち上がる。

 

「正直、ヴィルヘルムさんの方がさっきの女より怖いっすわ……」

「はっはっはっ。怖い相手にそう言えるスバル殿もなかなか肝が据わっていますよ。……ところでスバル殿」

「はい、なんですか?」

「『腸狩り』を見失いました」

「…………」

 

 夕方の貧民街をひゅーるると寒い風が吹いた。

 

 

 

 

「はぁ、やっとか……」

 

 貧民街の連中に片っ端から聞き込みし、女が向かった先をどうにか追って辿り着いたのは大きな盗品蔵だった。

 

 日はとうに落ち、満月が貧民街を照らす唯一の灯りとなっていた。

 

「くそ、貧民街の奴らめ。デタラメ言いやがって」

 

 女を見たと言う奴が親切に教えてくれたと思ったら、行った先が臓器売買人のアジトだったり、単純に教える代わりに金品を要求されたり、散々な目にあった。

 

「それが彼らの生きる道なのですから、仕方ないでしょう」

「仕方ないっつったって、こっちは急ぎなんですよ」

 

 あの氷の巨獣が貧民街に現れ、王都を凍り尽くすまでは一日の猶予がある。前回の死では異世界転移から二日後の夜、ちょうど今頃の時間のはずだ。

 怪しい女の尾行が徒労に終わったとしても、まだ一日探索の猶予がある。

 そうは言っても他に手がかりは無いので、解決の可能性が薄いことに変わりはないのだが。

 

「やっぱり今回は捨て回かもな……」

 

 そもそもあの女が巨獣出現に関わっているのかすら不明だ。

 全く見当違いの可能性も十分にある。

 

「何か言いましたかな、スバル殿?」

「いっ、いや、なんでも」

「それでは開けます」

「ええっ!? まだ心の準備がっ! って、はや!」

 

 月夜に照らされ物々しい雰囲気を醸し出す盗品蔵の扉を、まるで寝室の扉を開けるかのごとく軽々しく開くヴィルヘルムに肝を冷やす。

 まったく、この老人は先ほど言っていたことは嘘で、恐怖なんてものは母親の腹にでも置いてきてしまったのではないかと思ってしまう。

 

 盗品蔵の扉は驚くほど簡単に開いた。

 それもそのはずで、閂がその役目を全く果たしておらず、床に転がっていたからだ。

 

 ゴクリ。

 

 唾を飲む音が聞こえるほどの静寂。

 

「スバル殿、中に入ります」

 

 空き家ということはあるまい。

 盗品蔵という場所、閂が壊れていること、なにより扉を開けた瞬間に鼻腔を伝う、もはや慣れてしまった()()()()()

 

「はい」

 

 ヴィルヘルムに続いて侵入する。

 スバルなりに左右に注意しながら、ゆっくりと歩みを進める。

 盗品蔵は闇に包まれている。

 月明かりもろくに入らず、まさに一寸先は闇である。

 

 パシャ。

 

 足元で水を弾く音が聞こえ、確かに液体を踏んだ感覚があった。

 目線を足元に向け、それが何かと認識するよりも前に、それにわずかに反射する影をスバルは見逃さなかった。

 

「上っ! ヴィルヘルムさん!」

 

 もし名前を先に呼んでいたら、おそらくスバルの体は無事で済まなかったのだろう。

 ヴィルヘルムは鬼神の速さで身を翻し、直落する刃を納刀したままの鞘で受け止めた。

 

「残念。獲ったと思ったのだけれど」

 

 刃の主は三度床を蹴り、ヴィルヘルムとの距離を取った。

 顔を見るまでもない。

 その声と雰囲気ですぐに分かった。

 

「『腸狩りのエルザ』……!」

「あら、知っていてくれてるの? 嬉しいわ。じゃあ私も知りたいの。あなたの腸の色」

「生憎ですが殺人鬼に見せる内臓は持ち合わせておりません……!」

 

 この物騒なやり取りの間、スバルはただただ尻餅をついていただけだった。しかしその尻が濡れていることに気がつくと、すぐに立ち上がり、手の匂いを嗅ぐ。

 

「うぉう! やっぱこれ血か! うわっ!」

 

 この部屋には血が多すぎる。

 全てこの女が殺したと見て間違いなさうだ。

 

「お前、一体何人殺したんだよ……」

「あなたは今まで食べたリンガの数を覚えているのかしら」

「ナチュラルボーンDIOかよ。……ちくしょう」

 

 後悔を口にする。

 スバルが二の足を踏んでいるうちに幾つもの命が奪われてしまった。

 いくら捨て回だと割り切っていようとも、何の罪もない人が死んで良い気はしない。

 

「悔やんでも仕方ねえ……。ヴィルヘルムさん! 俺も戦います!」

「何を馬鹿なことを!? スバル殿は下がっていてください!」

「大丈夫だ! 俺は死なない! 少なくとも、今日は!」

 

 ファイティングポーズをとる。武器はない。

 おそらく、やれることはないだろう。

『腸狩り』の実力は知らないが、『剣鬼』がこれほど警戒する相手だ。スバルごときが役に立つはずはない。

 

 だが、スバルには死なないという自信があった。

 これまでの四度の死を経て分かったことがある。

 スバルが死ぬことは既定路線だったが、それはあくまでスバルが二度の夜を超えた後の夜だということだ。

 ループ開始が夕暮れ時のため、時間にして2日間と2、3時間程度だろう。約50時間。これがスバルに与えられた時間である。この時間にスバルはきっちり殺される。手を変え管を変え、死神は確実にスバルの首に手を掛ける。

 

 では、逆に。

 

 そのタイムリミットまでであれば、どれだけ無茶をしたとしてもスバルは死なないのではないか。

 

 あくまで仮説だ。

 しかし、それを前提に立ち回れるだけの根拠がある。

 なぜならこの検証に失敗は無い。

 

 もし死ななければ、次回以降の探索の幅が広がる。ある程度の無茶は効くだろう。

 もし死んでしまったとしても、流石に無茶をすれば死ぬことが分かるという情報が得られる。死に戻りの特性を存分に活かした検証だ。

 

「いいや! スバル殿! あなたは下がっているべきだ!」

「だから大丈夫だって! 俺はやるぞ!」

 

 恐怖心が無いわけではない。嘘だ。恐怖心しかない。

 それでもこの通信空手で鍛えた技を披露しない理由にはならない。

 

「シュッシュッ」

 

 ボクサーが意味もなく発しているように見えるこの声に、実は合理的な理由があることをスバルは知っている。

 

「さあ来い! エルザ!」

「…………ねえ、ご老人。この子、本当に良いの?」

「ッ! スバル殿! やめてください!」

 

 ヴィルヘルムの忠言はもっともだが、恐怖を飲み込んで腹は括った。恐怖を感じることは悪くないと教えてくれたのは彼だ。だからこそ、スバルはこうして立ち向かうことができる。

 

「さっきの少女達の勇気は素晴らしかったわ。腸の色も綺麗。……巨人のモノは酒でボロボロだったけれど。それに比べて、あなたのそれは蛮勇……。加護も無ければ精霊もいない。魔力も乏しい。腕に覚えがあるのかと思えば、隙だらけね」

 

「少女…………!? まさか!」

 

 ヴィルヘルムは血溜まりをバシャバシャと音を立てて走り、その中心に横たわる死体へ駆け寄った。

 

「銀の髪……。間違いない……スバル殿!」

「なんですか?!」

 

 エルザと対峙した時よりも緊張を孕んだヴィルヘルムの声に、異様さを感じ取れないほどスバルは鈍感ではない。

 

「エミリア様です! 行方不明だとは聞いてましたが、なぜこんなところに!」

「エミリアって……、クルシュと同じ王選候補の……!」

「あら、バレてしまったわね」

 

 エミリアという名前はつい先ほど聞いたばかりだ。

 ラムと名乗る少女がヴィルヘルムに捜索協力を願い出た、王選のもう一人の候補者。

 

「お前! 王選候補者を狙っているのか!?」

「本当のところは違うのだけれど、結果的にはそうなってしまったわね」

「それなら、なおさら放っておけねえな」

 

 同じ立場のエミリアが殺されたのであれば、エルザの毒牙はクルシュに届き得る。

 それだけは絶対に避けるべきである。

 そもそも、まだ氷の巨獣攻略の糸口すら掴んでいない状況である。その糸口を見つけるためにも、この殺人鬼を止めることは必要不可欠なはずだ。

 それに王選候補者が一人殺されている状況からしても、平穏を取り戻すためにエルザの撃破は必須なのだろう。

 

 これまでのループでは、王都の中心から出たことがなかった。

 おそらく、毎回この殺人は起きていたのだ。

 知らなかっただけ。知られることなく、殺され続ける少女達。あまりにも残酷だ。

 

「ヴィルヘルムさん! こいつは必ずここで討ちます!」

 

 目的は分からない。

 ただ王選候補者を狙っている可能性があり、それを成し得る実力があり、そして実際に遂げている。

 ヴィルヘルムを初太刀の内に斬り伏せようとした手腕も含め、その兇刃はクルシュにも届き得るだろう。

 

「来い!」

「やめてくださいスバル殿!」

 

 ヴィルヘルムの叫びは届かない。

 

「引け! ナツキスバル!」

 

 引かない。

 ここで立ち向かうことは、死に戻りの法則を知るためにも重要なことなのだ。

 

 しかし、続くヴィルヘルムの言葉はスバルの決心を足元から崩すものだった。

 

「あなたは昨日、丸一日以上倒れていたんですよ!」

 

「……は?」

 

 ヴィルヘルムが発したその言葉と共に、腹部に強い衝撃を食らう。

 

「ヒュッ」

 

 突然ジェットコースターに乗せられたような衝撃ともに、とんでもない速度で吹き飛ばされ、肺から空気が押し出される。

 

「グゥア!」

 

 わずかな意識の間隙の後、盗品蔵の壁に打ち付けられ、ようやくエルザの一撃を貰ってしまったのだと認識する。

 全身がバラバラになっているのではないかと思うほどの痛みだ。

 土石流に身体中を穴だらけにされた痛みを思い出す。

 

「……ヴィ、ル……さん」

 

「スバル殿! くっ、不覚! あなたはまだ万全ではなかった!! 一日中気絶していた人間が戦ってはいけなかったのです!」

 

 喉からはヒューという空気が漏れる音しか出ない。

 見るまでもなく、命を奪う一撃を喰らったことがわかる。

 ボロボロの身体に反して、頭はすんなりとヴィルヘルムの言葉を受け入れ、咀嚼していた。

 

 

 どうやらスバルは、このループにおいてもっとも重大なミスと思い違いをしていたらしい。

 

()()()()()()()()

 

 初日の夕暮れに気絶してそのまま二つの夜を越し、次に起きたのは二日後の昼間頃。クルシュに泣きつき、立ち上がる決意を得て行動を開始したときには、既に二日が経過していたということだろう。

 

 つまるところ、今日、スバルは死ぬ運命にある、ということだ。

 

 あまりにも衝撃的な事実を突き付けられ、呆然のまま立ち上がろうとした時、ドュリュンという形容し難い感覚が腹部から漏れた。

 

「…………ハ、ア…………アァ、アァァァァア……プッ……ガァ……!」

 

 それが切り裂かれた腹からこぼれ落ちていた臓器だと認識した瞬間、身体が軽くなったような錯覚と凄まじい痛みが追い打ちのように襲ってきた。

 

 未だに呼吸を忘れたかのように息をろくに吐くことができない口からは、言葉にならない力の弱い声が漏れるばかりだ。

 

 いや、胸部の痛みも襲ってきた。おそらく肺をやられているのだろう。

 

「スバル殿! くそっ! 私がついていながら……! 申し訳ございません!!」

 

「ゔ、る……さ…………ひゅ…………っ──ー」

 

 考えていることが言葉にならない。

 いや、そもそも考えていることすら明確に頭に浮かばない。

 

 痛い、熱い、寒い、気持ち悪い、心地良い、まずい、硬い、いや柔らかい、温い、うるさい

 

 色々な感覚がぐるぐると巡りながら脳みそを圧迫して、意識を強制的にシャットダウンさせようとしているかのようだ。

 

 

 目も満足に開かなくなってきた。

 

 

 

 確信がある。

 

 

 

 これは死の前兆だ。

 

 

 

 目を閉じれば次の瞬間にはあの王城の中に戻り、また一からこのループをやり直すのだ。

 

 

 

 それは、嫌だ。

 

 

 

 諦めたくない。

 

 

 

 ここまで頑張ったではないか。

 

 

 

 知恵を巡らせ、勇気を振り絞り、ここまで辿り着いたではないか。

 

 

 

 

 死ぬ結末が悪いとは言わない。

 

 

 

 

 それでも、なにか、報われる一つを。

 

 

 

 

「……あき…………ら、な……」

「勿論です。『腸狩り』を倒し、フェリスを連れてきて、必ず貴方を助けます」

 

 ボヤける視界の中で、僅かに伸ばした手を掴んだのは皺ばかりの掌だった。

 

 何度も、道を示してくれた。

 

 怖いことは悪いことではないと教えてくれた。

 

 深い愛情を語ってくれた。

 

 尊敬のような、畏怖のような、そんな感情が自然と湧く男だ。

 

 血に塗れた口角をにっと上げ、サムズアップ……は指先に既に感覚が無く、できているか分からない。

 

 それでも、彼ならばなんとかしてくれる。

 そんな安心感があった。

 

 

 

 

 いつの間にか、意識が僅かに飛んでいたようだ。

 おそらく、数分。

 

 薄い意識の奥で、カンカン、と鉄同士が打ち合う甲高い音が聞こえていた。

 

 むしろ聞こえなくなって意識が戻ったのか。

 

 相変わらず開かない目だったが、幸いにも聴覚は生きておりバシャバシャと壮絶だったことを物語る足音鳴らしながら、こちらに向かってくる人間がいた。

 

「スバル殿」

 

 ああ、良かった……。

 勝ったんだ。

 

 最初からヴィルヘルムに任せれば良かったのだ。剣鬼と謳われるその圧倒的な実力は、看守長との戦いで証明されていたではないか。

 死に戻りの実証実験などする必要は無かった。

 

 スバルはもう間も無く死ぬだろう。

 それでも、

 

「あらあら、うーん。やっぱりあまり綺麗とは言えないものね」

 

 息も上がっていない女の声に、開かないはずの双眸がカッと見開く。

 

 視界に入るのはぼたぼたと垂れる生血。

 

 その直上には、老爺の生首。

 わずかに震える唇は、最後の言葉をすでに吐いた後であることを告げていた。

 

「やはり剣鬼ともなると、お腹を裂くのも大変ね。先に首を落とす必要があったわ」

 

 そう宣うのはもちろんエルザだ。

 

「さあ、次は貴方の腸を見せてちょうだい」

 

 幕切れはあっという間だ。

 死に劇的なものなど無い。

 エルザはククリナイフを一閃。

 すでに痛みは感じない。

 

 ────────────死。


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