王道と邪道   作:ふぁるねる

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濃密な死の女

「待ちなさい」

 

 頭上から少女の声が降ってくる。

 

「待てと言われて待つ奴がいるかよ!」

 

 その登場を予期していたスバルは駆ける足を止めずに、そのまま人気の無い路地を走り抜こうとした。

 

「聞こえなかったのかしら。それとも薄汚いボロ雑巾には言葉が理解できない?」

 

 さらにそれを予期していたのか、声の主はスバルの進路を塞ぐようにトンと軽やかに降り立つ。

 

「聞こえてるし、理解もできてるよちくしょう、やっぱりな……」

 

 少女の可憐な外見は、見る人が見れば天使と喩えてもなんら不思議はない。

 だが、少女が発している殺気に触れてしまえば、途端にその印象はひっくり返るだろう。

 

「俺って殺したくなるほどそんなに臭えのかよ……」

「ふん。よく分かっているのね。どこの誰だか知らないけれど、そのままお手洗いに流してやりたいくらいよ。汚物と同等ね」

「それはさすがに酷くねえ?」

「喋らないで。その酷い臭いがラムに移るわ。ああ、何を食べたらそんな体臭になるのかしら。あなたの食生活を考えただけで鳥肌が立つ」

「日本食はむしろ体臭良くなりそうだけどな!」

「さっぱり何を言っているのかわからないわ。臭い人間は言葉もまともに話せないのね」

 

 あまりにも酷い言い草に、怒りが沸々とわいてくるがグッと拳を握って堪える。

 この展開は予想していた。

 以前のループにおいて、看守長に連れ去られて王都から抜けるため、日没に路地を走っている時にもこの少女は進路を阻んだ。

 それだけでなく、看守長とスバル共々その首を落として絶命させたのだ。

 

 同行者こそ違うが、今回も場所と時間はほぼ同じはず。この少女が行く手を阻むことは容易に想像しうる事態であった。

 ヴィルヘルムを同行させたことには、一つに少女との接敵が理由だ。看守長でさえ瞬殺された彼女に対抗できる者は、この百戦錬磨の剣鬼以外に思いつかない。

 どこまでも他力本願で悪い気もするがそれしか方法はない。

 それゆけ、剣鬼マン! 

 

「あなたは……」

「どったの剣鬼マン……?」

 

 気分はポ○モントレーナーのつもりで送り出したが、剣鬼マンは剣を抜く様子も無く前に出る。

 

「剣鬼マン?」

 

 ピンク髪の少女が眉根を寄せて呟く。

 

「剣鬼……。なるほど。アストレアの……。カルステン公爵家の」

「ええ。あなたはもしや……エミリア様の?」

「あら、剣鬼に知られているだなんて光栄ね。そうよ」

 

 二人の中で話が進められていく。

 険悪な雰囲気はそのままだが、すぐに戦闘に入る様子ではない。

 

「てか、え、なに。二人とも知り合いなの? 置いてけぼりなんだけど。三人組で話してるのに他の二人でしかわかんない話されて、気まずい時のあの感じがすごいんだけど」

「スバル殿」

 

 なんとか話についていこうとするスバルをヴィルヘルムは手で制す。

 はっと気づいて足を止める。

 目の前の少女の殺気は、未だ緩んでいなかった。

 

「私はラム。王選候補者であるエミリア様の従者よ」

「改めて。ヴィルヘルム・トリアスと申します。同じく王選候補者であるクルシュ・カルステン公爵に仕えております」

 

 言葉遣いは丁寧ではあるが、ヴィルヘルムは警戒を解かない。ラムと名乗る少女が動きを見せれば即座に応戦できることをチラつかせて、牽制していた。

 

「同じく……って?」

「ええ。彼女の主人(あるじ)は、クルシュ様と同じく王選の候補者です」

「えええ……。そんな奴が普通に人殺していいのかよ……」

 

 かつて切り落とされた首をさする。

 国の要人であるはずの者の従者ならば、下手な真似は想像できないはずだ。それなのにスバルは身に覚えのない殺意を向けられている。それとも、そんなことも気にならないほど、スバルのことが憎いのだろうか。

 

「ラム殿」

「……なんでしょう」

「スバル殿はカルステン家の客人です。ここは私に免じて見逃していただきますよう」

「…………」

「エミリア様の今後を思うのであれば、」

「ああ、もう、わかっています。私怨を優先するほど阿呆ではないわ」

 

 ラムはそう言うと、ようやく杖と共に殺意を懐にしまった。

 張りつめていた緊張が解けることで、深いため息を吐く。

 

「スバル殿、行きましょう」

「ええ……」

 

 ヴィルヘルムも警戒を解くと、スバルを手招いた。

 もう安心して良いということだろうか。

 

「待ちなさい」

 

 ラムの脇を通ろうとした時、二度目のその言葉が投げかけられる。

 

「なん、だよ」

「そんなに警戒しないで。……ヴィルヘルム様に頼みがあるわ」

「頼み?」

「…………敵陣営に言うことではないのだけれど」

「なんだよ、早く言えよ」

「主、エミリア様の行方が不明です。見かけたらご一報を」

「なんと」

「では」

 

 ラムはそれだけ言い残し、シュンと音を立ててその場から消え去った。

 隣に立つヴィルヘルムは口元に手を当て、何かを考えているようだ。

 

「エミリア様が……なるほど。魔女教が動き出したこのタイミングで……気になりますな」

「なあヴィルヘルムさん。エミリアって奴は、クルシュさんと同じ王選候補者なんですよね?」

「ええ。私も数度、お見かけした程度ですが」

「そんな奴が行方不明ってかなりやばい……ってのは俺でもなんとなくわかるんですけど」

「はい。一大事です。見かけたらラム殿にお知らせしましょう」

 

 ラムには殺された経験がある手前、あまり積極的に手を貸したくはない。クルシュにとって、ライバルであるはずのエミリアという人物を助ける道理があるのかとも思う。

 

「なんでそこまで……」

「もちろん、クルシュ様にとってエミリア様は政敵です。自ずと脱落するのであれば、それも定めとクルシュ様は仰るでしょう」

「なら、助ける義理なんてないですよね? こっちはこっちで急用なんだ」

 

 他人の心配なぞしていられない。

 そも、あの氷の巨獣が現れてしまっては、そのエミリアとやらの生死ももはや関係がなくってしまう。

 

「誰でも彼でも助けるわけではございません。道中見かければ、助力する程度です。ですが、スバル殿はクルシュ様のお人柄をまだ理解されていないようですね」

「あいつが清廉潔白なのはわかるけど……」

 

 スバルにとっては眩しいほどに、王道を往く傑物であることは分かっている。

 だが、救うべきものと救えないものの取捨選択をしなければならないこともあるはずだ。

 

「『国王になってしまえば、王選候補者から亜人まで等しく護るべきルグニカ王国民である』」

 

 ヴィルヘルムはその言葉を恭しく口にした。

 

「クルシュ様のお言葉です。もちろん、エミリア様がご自身の力不足で王選から脱落されるのであれば、それはエミリア様の定めです。ですが、エミリア様に限らず王国民が理不尽に直面し、困っているのならば手を差し出す。それがクルシュ・カルステン公爵です」

「……だから、俺のことも……?」

 

 助けたというのか。

 なんという方正さ。なんという廉直さ。なんという篤実さだろうか。

 彼女のあり方は、眩いほどに正しい。

 

「クルシュ様は王道の歩み方を心得ています。道を踏み外すことはありませんよ」

「……わかりました。エミリアとかいう奴を見かけたら手を貸します」

「はい」

 

 正しさという言葉が目に見える形で存在するのならば、それはクルシュの姿をしているのだろう。

 彼女に身も心も捧げるフェリスと付き従うヴィルヘルムの二人も、正しさを体現している。

 スバルはこれまで、堕落した日々を無為に送ってきた。彼女や彼女の周囲の人柄に触れるたび、スバルの暗澹たる内面が浮き彫りにされてしまうかのようだ。

 

「とにかく先を急ぎます」

「はい」

 

 おおよその方角の見当は付くが、正確な目的地の場所は判らない。ヴィルヘルムの案内でひとまずは貧民街を目指すが、明確にここだという場所があるわけではない。

 あの氷の巨獣による王都侵攻を止めるという目的は揺るがないが、そのためになにをすればいいのか、どこに向かえばいいのかはいまだ不明瞭だ。あの巨獣がどこかから突如出現しているのか、それとも事件や事故をきっかけに出現しているかも解らない。誰かが作為的に出現させている可能性もある。まずはそういった不確定要素を明らかにしていく必要があった。

 

 このループは捨てループであることをすでに覚悟している。どのような結末()を迎えるかは解らない。だが、今回のループに関しては文字通り死ぬ気で情報を収集する。

 まるでゲームのようだと自嘲する。残機の許す限りトライアンドエラーを繰り返し、一見してクリア不可能に見える難敵やステージの攻略方法を見出す。まさしくゲームだ。

 しかし画面上で繰り返される死と現実で繰り返される死では、決定的に違うものがある。死という実感を伴って繰り返されるこれは、心が折れてしまうほどの苦痛と絶望を与えてくる。それに耐えるには、生半可な覚悟では足りない。死にループになることを覚悟しているものの、それは、達成すべき目標のために半ば約束された結末を受け入れる以外に道が無いだけだったとも言える。それを覚悟と断じて呑み込まなければ、死の衝撃にスバルはきっと抗えない。

 ゲームのキャラクターも同じような気持ちなのだろうか。到底クリア不可能に見えるステージを前に絶望しつつも、見えない誰かに指図され、幾度ともなく死に続けているのだろうか。しかも自分が死んでも、それを仕向ける本人は何の感慨も抱かない。もしかしたら、スバルも同じなのかもしれない。別次元の顔も名前も知らない誰かが、異世界というステージで魔女教徒や氷の巨獣といったボスを撃破するためにスバルを操作しているのかもしれない。

 そう考えていると、途端に腹立たしさを感じる。

 けして特定の誰かがスバルを操作していることを認めるわけではないが、それは「運命」という言葉に置き換えることができるだろう。理不尽かつ不可避に降りかかるそれが必然であるのならば、スバルは中指を立てて言ってやりたい。

『運命様上等だ。返り討ちにしてやる』と。

 

「スバル殿。ここからが貧民街です」

「ありがとうございます」

 

 しばらく走り続けると、その場所にたどり着いた。

 目の前には川が流れ、橋が架かっている。

 まず気が付くのは、鼻につく腐乱臭だ。川を覗きこんですぐに後悔すると同時に、現代日本の上下水道機能の高水準さを認識した。少なくとも首都の市街を流れる河川に、人糞や畜糞に群がる稚魚の群れはそうそう見ないだろう。

 あまり意識しないようにしていたが、ファンタジー世界に最初は心躍っていたものの、その生活ぶりはいわゆる『中世ヨーロッパ』レベルでありスバルのように元中二病患者であれば、それが決して良い暮らしぶりと言えるものではないことを知っているはずだ。

『中世ヨーロッパ」と聞くと華やかで美しい街並みや生活を想像してしまうが、実際のところは頭上からウンコが降ってくるという事実を知ってしまえば、そんな理想は消え去ってしまうだろう。

 

「俺の生活ってかなり恵まれてたんだな……」

「スバル殿の出生が気になるところですが、事は急ぐのでしょう?」

 

 この程度は些事であると示すヴィルヘルム。彼は戦争の最前線を生き抜いてきたゆえに、これ以下の環境に身を置いたこともあるのだろう。

 

「ああ。実を言うと、でっかいバケモンが出てくることはまず間違いないんだけど、手がかりはほとんど無いんだ。だから、ヴィルヘルムさんが変に思ったことはすぐに教えてほしい」

「わかりました」

 

 死ぬと割り切ったループだ。隠し事をしたところで意味は無い。ヴィルヘルムには素直に伝えて、協力してもらった方が良いだろう。

 

 荒廃した街並みを歩く。

『異常』を探すべきなのだろうが、ぼろぼろの家屋に舗装されていない道、微かに感じる人の気配と向けられる無数の警戒による視線。『正常』を探す方が難しいのではないだろうか。

 

「なんか、めちゃくちゃ見られますね」

「服装でしょうな。私もそうですが、スバル殿の衣服もなかなか珍しいです」

 

 道の真ん中に立ち止まる。

 突き刺さるようないくつもの視線は、十分間歩き回っても慣れるものではなかった。

 ヴィルヘルムに指摘されて、スバルは自分の身を包むジャージをつまむ。裁縫なんかはある程度できるが、衣服については明るくない。しかし、日本の格安の服屋で購入したジャージでも素材や縫製は、この世界における最上級の衣服と比べても遜色ないことが解った。それだけ、文化レベルに差があるということだろう。

 

「この世界を知るたびに、俺の怪しさが増すばかりだな……」

 

 こうして疑問を持たずに同行しているヴィルヘルムが特殊なのだろう。

 

「てか、何も起きませんね……」

「まだまだこれからでしょう」

「そうですね。果報は寝て待て。まあ寝てたら死ぬんですけどね」

 

 待っているのは果報でもないし、そもそも日本のことわざは意味が通じない。

 仕切り直して、さあ探索再開だと意気揚々と歩き始めたその時、

 

「道を開けてもらえるかしら」

「────ッ!!!!」

 

 背後から投げられた声に、勢いよく振り返る。

 その姿を確認する前に、そこに立つ者が『異常』であることはスバルの全身が即座に感じていた。

 

「あらあら。そんなに怯えないで。悲しくなるわ」

 

 嘘を吐くな! と叫びたいのに、声が喉より先に出ない。

 女の発する雰囲気を生身で浴びるスバルには、悲痛などという感情をこの女が知っているとは思えなかった。

 恐怖。畏怖。嫌悪。絶望。悔恨。およそ生まれながらに備えられた防衛本能のための感情が、スバルの心を埋めつくした。

 簡単に死を覚悟したと宣ったスバルをあざ笑うかのように、スバルの全てが死ぬことを拒否していた。

 

「スバル殿。落ち着いてください」

 

 その声が聞こえるまで、ヴィルヘルムが隣に立っていたことすら忘れていた。

 ヴィルヘルムはスバルを陰に隠し、前に出る。

 

「あまり威圧しないでいただきたい」

「そんなつもりはないのだけれど。これから大事な取引があるから、気が立っていたのかもしれないわ」

「そうですか。では」

 

 口早にそう言って、ヴィルヘルムは先へ行けと手で促した。

 ツカツカとヒールの音を立てて歩く女に怯え、スバルは縮こまることしかできない。

 大量の冷や汗がシャツの背中にじんわりと滲む。

 

 女は振り返ることなく、その場を去っていった。ヴィルヘルムはその後姿が見えなくなるまで動かない。

 

「大丈夫ですか。スバル殿」

「──ッハ」

 

 息を止めていたことにようやく気が付く。

 死を何度も経験したからこそ解る、濃密な死の気配。女が纏うねっとりとしたその気配は、スバルの鼻腔から体内を侵し、心臓をぎゅっと握るようだった。

 

「スバル殿。申し訳ございません。後を追います」

「あ、そ、そうですよね」

 

 ついに現れた『異常』。その行方を追わない以外に選択肢は無い。

 やはり今まで碌に生きてこなかったスバル程度の死の覚悟など、取るに足らないものだった。

 しかし、そんな悔恨を挟む暇は与えられない。

 今はあの女を追跡することが優先事項だった。

 

 スタスタと歩き始めたヴィルヘルムを追いかけるため、スバルはガクガクと震える両の足に鞭を打った。

 


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