王道と邪道   作:ふぁるねる

19 / 22
剣の鬼

「剣鬼、ヴィルヘルム」

 

 片膝をついていたヴィルヘルムが呟いた。

 

「参る」

 

 血に染まった瞳が赤く光った。

 

 ──────────────―

 

 

 魔法は使えません。

 私には剣しかない。

 この身この人生全てを剣、そして妻に捧げてきました。

 

 過去の話をする上で、ヴィルヘルムは自身についてそう述べた。魔法の素質は無く、剣術しか扱えなかったと。その剣術すらでさえも、数え切れぬ死体の山と数多の戦場を越えてようやく、剣聖と並び称される域まで到達したのだと。

 

 魔法など素養も無く、鍛えることもなかった。

 

 では、魔法でなければ()()は一体何だというのだ。

 

 炎を生み出したわけでもないのに肌はチリチリと熱さに灼け、風を吹かせたわけでもなく閉ざされた地下だというのに服が強くなびいた。

 

 まるで本物の炎がヴィルヘルムの身を包んでいるように、ゆらゆらと揺れて見える。

 打ち付けるような風はその熱気を運び、スバルは思わず後退りしてしまった。

 

「スバル殿、下がっていてください」

 

 折れてしまっているのだろう。

 ぶらんぶらんと揺れる右腕など気にも留めず、こちらに目配せする。

 そんなこと、言われるまでもない。

 これほどの殺気、剣気にアテられてその場に留まっていられるほどの胆力はスバルには無い。

 今すぐ逃げ出さなかっただけでも褒めてほしいものだ。

 そも、この激しく震える両の脚がその機能を正しく全うすることができるのであれば、という前提があっての話だが。

 

「ま、任せます」

 

 すでに乾いてしまった喉に飲み込む唾はない。

 幻覚の熱気が額に本物の汗を滴らせる。

 じんわりと背中にも汗が浮かび、シャツが背中にひっつく感覚がいやに気持ち悪い。

 

 ヴィルヘルムは折れた右腕は無いものと考えたのか、左腕で剣を構える。

 構えなどなにもわからないスバルだが、背後から見ているにも関わらずどこから攻め入れば良いのかと思うほどに隙が無い。

 

「いくら剣鬼と言えども片腕ならば、太刀打ちもできましょう。どうかご容赦を。不意を突いてようやく、土俵に立つことを許されるのです。それほどまでにあなたは、亜人(私たち)にとって脅威の象徴なのですよ」

 

「…………」

 

 約40年前、亜人による死体の山を文字通り数え切れないほど築いた剣の鬼。

 

 人間にとっては、英雄譚なのだ。

 只人でありながら、剣聖と並び称されるほどの栄誉は、誰もが目を輝かせた。

 

 しかし、亜人からしてみればまさに、鬼。

 蹂躙し、虐殺し、破壊し尽くす殲滅兵器。

 悪夢だったに違いない。

 

 今でこそ、亜人は問題無くルグニカ王都で生活することができているが、一部には彼のように深い禍根を残している者も少なくないはずだ。

 

「戦争は終われど、私の憎しみは終わりません。しかしこの身の内に渦巻く激情は、押し留めておくつもりでした。ルグニカ王国は亜人の私共を排斥するのではなく、共生の道を選んだ。今なお差別の名残はあるものの、不自由や不満はありません」

 

 そこに偽りはないのだろう。

 事実、すでに何十年も彼はこの王国に尽くしている。

 憎き仇がいると知っていながらその憎しみを押し留めて、勤勉に働いてきた。

 だがそれがむしろ、積年の恨みとなって肥大化していた可能性もある。

 

「…………」

 

 仇を前にして饒舌な看守長とは対照的に、ヴィルヘルムは終始無言だ。

 目の前に突如として現れた、己に向けられる憎しみに彼はどのような感情を抱いているのだろうか。

 皺が深く刻まれたその顔からは、心の内は読み取れなかった。

 

「覚悟!」

 

 依然として憎しみに満ちている看守長は、両手を前に突き出す。

 ヴィルヘルムとの距離は保ったままだ。

 この状況と今までのループにおける攻防から察するに、近接戦闘は得意とせず、距離を取って魔法が主体の遠距離戦を仕掛けるつもりなのだろう。

 

「ドーナァ!」

 

 ヴィルヘルムの足元の地面が隆起する。

 動き出しこそ遅かったものの、そのまま勢いを増しながら、盛り上った地面は高度を上げようとする。

 

「ヴィルヘルムさんっ!」

 

 繋がってはいるものの片腕が使い物にならなくなったヴィルヘルムは、その痛みからか微動だにしなかった。

 このままでは天井に圧し潰されてしまう。

 その結末を予想したスバルは思わず声を上げた。

 その声と同時に、ヴィルヘルムは両眼を大きく見開いた。

 

「むんっ!」

 

 掛け声とともに、鈍い音が監獄中にこだまする。

 一瞬のうちに、視界が極端に悪くなる。

 土埃だ。

 目を細め、ケホケホと咳き込み、視界を確保するために手で空を仰ぐ。

 

「ゴホッ、ヴィル、ヘルムさん……」

 

 土埃の向こうに老爺のシルエットがだんだんと見えてくる。

 

「スバル殿。どうやらもっと下がっていただく必要があるようです」

 

 次第に視界が確保されてきた。

 ヴィルヘルムを見ると、変わらずに腕はだらんと下がっているが、その他の外傷は全く見当たらない。

 あの魔法攻撃をどのように凌いだというのか。

 

「まさかただの足踏みでかき消されるとは……」

 

 こちらも同じ位置に立ち続けていた看守長が呟く。

 

「踏みしめただけで……?」

 

 看守長の言葉を信じるのであれば、ヴィルヘルムは地形を変化させるほどの魔法を、気合を入れた踏み込みだけで相殺したことになる。

 遠距離攻撃というメリットを持つ魔法攻撃に対して、そのメリットを無かったもののように物理攻撃のみで封殺するパワー型ゴリラというキャラクターは、バトル系ファンタジーではありがちだ。

 

「つっても、現役過ぎた達人系じいさんがやることじゃねえだろ……。渋○剛気より渋いよ……」

 

 思わずフィクションを引き合いに出してしまうが、比べ合ったとしても多くの達人たちも、この鬼の前では尻尾を巻いて逃げ出してしまうのではないだろうか。

 

 文字通りの人外バトルに巻き込まれでもしたらたまったもんじゃねえ、とそそくさとさらに距離をとる。

 

「なるほど。石に囲まれた地下の監獄であれば、あなたのドーナ()系魔法もあらゆる応用が効くというわけか」

 

「まさかズルいなどとは言いますまいな?」

 

「否。死んだ時の言い訳を聞かずに済むのだ。もっと有利な状況でも構わない。いや、死んでからでは言い訳を宣う口も持たないですな」

 

「小癪な……!」

 

 あからさまに煽るヴィルヘルムと挑発に乗る看守長。

 これまでのヴィルヘルムを見ていると、このような見え透いた挑発はしないように思えるが、何か意図を持ってやっているのだろうか。

 

「エルドーナ!!」

 

 看守長が掌をこちらに向け、叫ぶ。

 先程よりも大きな規模の地面の隆起が起こる。

 しかし、今度はヴィルヘルムの目の前ではなく、両サイドの地面からだ。

 

 ぐねーんと曲線を描き、またしてもヴィルヘルムを潰そうと狙いを定める。

 

 先ほどは足元のみの攻撃だったから足のみで対処できたが、今度は胴体の位置に二方向からの攻撃だ。それに、速い。魔法の格のようなものが上がったのか、発生速度が比にならないレベルで上がっている。

 片腕が使い物にならないヴィルヘルムはどう対処するつもりなのだろうか。

 

「ほっ」

 

 と、思っていたらまたしても土埃が大きく舞い上がった。

 

「なっ……」

 

 視界が開ける前に、驚きを含んだ看守長の声が聞こえてきた。

 何が起きたのかと目を細める。

 するとそこには、アーチ状に繋がった地面の上に悠々と立つ老爺の姿があったのだ。

 

「児戯ですな」

 

 地面に落とすように呟く。

 言葉にするまでもない、圧倒的な実力の差。

 鬼退治に犬のみで挑んだとて望むべくもないのだ。

 

「……知っている。ええ、知っていますとも。あなたは絶望の権化です。私では足元にすら及ばないことなど、わかりきっていました。腕一本を落とした程度で渡り合えるなど、思い上がりも甚だしい」

 

「では、諦めますか」

 

「いえ。傷一つ付けることすら叶わずとも、この命尽き果てるまであなたを憎しみ(攻撃し)続けます」

 

 ヴィルヘルムの身を包む異常なオーラは、その勢いを落とすことなく依然として燃え続けているが、看守長の身の内から湧き出る憎しみという感情の凄まじさも、周囲の空気を歪めて揺らめいているように錯覚してしまうほどに昂っているのがわかる。

 

「遖」

 

 ヴィルヘルムは口元をニヤリと歪め、これまで見たことのないような怪しい笑みを湛えた。

 

「第二ラウンド、か」

 

 看守長は命を賭してヴィルヘルムを襲い、それを迎え撃つため、かつての鬼に戻らんとするヴィルヘルム。

 どちらが上なのか。

 先刻までのヴィルヘルムの優位は揺るがないのか。スバルには到底予想できなかった。

 

 ──────

 

 一段大きく舞い上がった土埃に包まれて、スバルは尻餅をついていた。

 

 見誤っていた。

 

 看守長は先般見せたエルドーナよりも強力な魔法を何度も何度も連発した。

 この世界に魔力やMPという概念があるのであれば、常人であれば既にからっけつだろうという状態からさらに、それまで撃っていた三倍の数の魔法を繰り出してきた。

 RPGの魔法系の中ボスとして、中盤から終盤にかけに配置しても良いほどのスペックだったと思う。

 

 看守長とヴィルヘルムをぶつけ、何かしらの反応が起これば良いと考えていたが、ヴィルヘルムが殺されてしまうのではないかと思ったほどだ。

 

 しかし、それを()()()()()()のだ。

 

 土埃が落ち着けば、多少の変形はあるものの、そこには変わらぬ監獄のままだった。

 

 鬼は仁王立ちし、無表情のまま看守長を見据えていた。

 

 予想以上の魔法の連撃。

 しかしヴィルヘルムはそれを悉く、丁寧に、余すことなく潰していたのだ。

 

 頭上から降る岩を殴り砕き、背後から迫る石柱を蹴り上げ、正面から襲い掛かる礫を全て叩き落とす。

 

 周囲へのダメージを最小限に抑えて、全ての攻撃をいなしたのは、無防備だったスバルへの配慮なのだろうか。それとも────。

 

「実力差の誇示……ですか」

 

 どちらも、だ。

 今になって思うと、初撃を受けたのもわざとだったのだろう。

 いくら虚をついた攻撃だったとしても、これだけの攻防を見せられてしまうとあの攻撃をヴィルヘルムが避けられなかったとは思えない。

 

「……これ以上は死にますよ」

「鬼の目はごまかせませんか……」

「ええ」

 

 看守長は数多の魔法を撃ち続けたが、未だに息が上がっているわけでもない。これ以上撃ち込み続けても意味はないと思うが、それが死に直結するとは思えない。

 

「私はあなたの兄弟を殺した」

「ええ。私の兄も、まだ成人しない弟も」

「ではなぜ、あなたは死んでいないのか」

 

 兄や弟が殺されていながら、看守長はなぜ殺されていないのか。そこまで考えてようやく合点がいく。彼は戦闘に駆り出されていなかったのだ。

 理由は色々と考えられる。参謀役だったり、回復役だったり、後方支援の役割を与えられている場合だ。

 

「でも奴はあれだけの魔法を……」

「ええ。彼は極めて攻撃的な魔法を行使できます。そして近接攻撃は一向に仕掛けてきません」

 

 剣や槍を用いた近接戦闘は不向きなのは分かっていたが、魔法に関する説明がつかない。魔法の才があるのならば、最前線ではないとはいえ危険な戦場に駆り出され、ヴィルヘルムと対峙していたはずだ。

 

「マナの量が極端に少ない。というより、ほぼ無いに等しいということ」

「マナ?」

「魔法を行使する際に消費する精神力のようなものです」

 

 マナ=MPという図式が頭の中で組み立てられる。

 

「……流石ですね」

「……オドを消費していれば、いやでも分かります」

「オド?」

 

 続けて聞き慣れない異世界用語が出現した。そのオドとやらを使えば、マナが無くとも魔法が打てるのだろうか。

 

「オドとは、その者の生まれ持った生命力のようなものです。絶対量が決まっていて、増やしたり回復したりすることはできません」

「それって、つまり……?」

 

 それだけ説明されてしまえばバカでもわかる。

 これまでに撃った魔法の数を指折り数えながら、背筋に汗が伝うのを感じる。

 

「あとほんの数発打つだけで、彼は絶命するでしょう」

「元より承知の上です」

 

 文字通り命を削っていた看守長からは、その命尽き果てようとも必ずや鬼を討ち取るという覚悟が伝わってくる。

 命を落としても良いと思うほどの憎悪、それを子どもの悪戯のようにいなしてしまうという現実(地獄)

 日本にいた頃、人同士の身体的な差はそこまで大きくなかった。身近な体力測定では僅かな差を点数化し、スポーツでは細かなルールを設けて勝敗を分けた。速さにしろ、力にしろ、そういったほんの少しの差を争うものだったのだ。

 

 狂気にも似た感情を持っていても、遥か高みから見下ろす存在から見れば棒立ちしているのと変わらない。

 残酷なまでの戦闘力の差がこの戦場にはあった。

 竹槍を構えて戦闘機に突撃するようなものだ。

 

「……もう良いでしょう」

「まだまだ……! ドーナ!」

 

 死力を尽くして、看守長は魔法を行使する。

 心なしか発生速度が遅くなった気がするのは、看守長の陥っている状況を知ってしまったからか。いや、確実に遅くなってきている。生命力そのものであるオドには限りがあるという、可能な限り燃費を気にして使い続ける必要があるのだろう。

 

 しかし、そんなものはお構いなしにヴィルヘルムは魔法を砕く。

 

「そうまでして死にたいのであれば、せめて私の手で下して差し上げましょう」

「あなたを殺すまで死ぬつもりなど毛頭ありませんよ」

 

 ヴィルヘルムはそう言うと、鞘に収まったままの剣に手をかけた。

 これまで一度も抜かなかった剣がついに姿を表すのだ。思わずゴクリと唾を飲む。

 

 キイィンと甲高い音を立てて鞘を滑り、美しい刀身が姿を見せる。

 

 スバルは思わず首筋を撫でてしまっていることに気がつく、サーっと血の気がひいてしまう。

 

「ようやく剣鬼の登場ですか」

「無駄口がお好きですね。もう落ちてますよ」

 

 チン、と剣を鞘に収める音と、ボトッと何かが地面に落ちる音が重なって聞こえた。

 

「う、ううう、う……!?」

「ッ、ゲェ」

 

 続いて、ビシャビシャと液体が地面に落ちる音が続く。

 看守長の腕から溢れる大量の血液と、スバルの口腔から漏れ出す吐瀉物だ。

 

 意識と意識の合間。

 目にも止まらぬ速さでヴィルヘルムは看守長の両腕を切り通したのだ。

 抜刀、接近、切断、納刀の一連の動作を瞬きの間に済ませ、斬ったことを悟らせないその技量。剣に全てを捧げたことに偽り無し。

 

 そして、一度嗅いだ死の香りが鼻腔をつき、スバルはまたしても嘔吐を繰り返していた。嫌な匂いなだけではない。死屍累々の光景がフラッシュバックし、脳をガツンと殴られたような酷い目眩によって混乱していた。

 

「魔法の起点にしていた腕を落とされては、どうしようもないでしょう」

「こ、この、鬼、がっ……」

「どうとでも」

 

 嘔吐が落ち着き、口許を拭って血に染まる戦場を見やる。

 命を奪わなかったのはヴィルヘルムなりの優しさなのか。いやしかし、このまま放置していれば、そのうち出血多量で死に至ってしまう。それとも苦しんで殺すことがヴィルヘルムの望みなのだろうか。そこまで残酷な男だとは思えないのだが……。

 

「フェリス。いるのだろう」

「……なぁんだ。気付いていたんですね」

 

 ヴィルヘルムがそう呟くと、物陰から高い男の声が聞こえてくる。

 聞き覚えのある声だ。

 

 やがて暗い物陰から姿を現したのは、猫耳の美青年だった。クルシュお抱えの治癒術師フェリスだ。

 

「クルシュ様は良いのか?」

「そのクルシュ様からの指示ですよ。その代わりに護衛を十人付けてきました」

 

 フェリスがこの場にいるのはクルシュの指示だと言う。どういった意図があるにせよ、この場に凄腕の治癒術師がいることは願ってもない。

 

「治していただけますかな」

「はいはーい。腕、見せてください」

 

 フェリスは迷うことなく血溜まりから看守長の腕を拾い上げ、傷口と見比べる。

 

「あーらら、こりゃすごい」

「まずいのか?」

「は? ボク、すごいって言ったんだけど。いつまずいって言ったの? 君、頭のついでに耳も悪いのかな? 治療しようか?」

「……お前、本当に俺のこと嫌いだよな」

「当たり前じゃん」

 

 ぷいっとそっぽを向いてしまう。

 それだけ見れば可愛いだけだが、態度からしてフェリスは明らかにスバルを嫌悪している。

 

「それで、すごいってのは?」

「切り口だよ。完璧。すぐ治療すれば繋がるようにできてる。始めるから君は腕持ってて」

「あ、ああ」

 

 一刻を争うのだろう。有無を言わせずに指示に従えと言外に伝えてくる。

 

「敵の、施しなど……」

 

 スバルが近づこうとすると、看守長はモゾモゾと動こうとした。

 確かに、腕を切り落とされたというのにその直後にまた敵に治療されてしまったのでは、せっかく賭けた命に格好がつかない。計り知れないほどの屈辱だろう。

 

「動くな」

 

 フェリスはそれだけ言うと、看守長の頭に手をかざした。フェリスの両手が青色の光を発し、看守長の頭部を包む。

 

「お、おい。なにして」

「体内のマナ操作。うるさいから気絶させて治療させる」

「そんなこともできんのかよ……。馬鹿げてんな……」

 

 まもなく、看守長はカクンと首を曲げまるで寝ているかのように目を閉じた。

 ヴィルヘルムの純粋な肉体のみの戦闘に圧倒され、フェリスの魔法の柔軟な扱い方とその容赦の無さに引いてしまう。

 

「はい。腕ついた。出血量がちょっと多いけど、このタイプの亜人なら回復も早いし、心配いらないかな」

 

 ほんの数秒、フェリスが手をかざすだけで切断されていた腕は元通りだ。すぐに残りの腕も治療し、看守長をその場で横に寝させる。

 

「すげえな……。そ、そうだ。ヴィルヘルムさんもっ!」

「爺さんも怪我を……? 見せてください」

「無用です」

 

 すぐ駆け寄ろうとするフェリスをヴィルヘルムは左手で押し止めた。

 

「けじめです」

「うるさい。怪我してる人は全員助ける。そいつが望まなくとも、それがボクの仕事だ」

「……」

 

 有無を言わさず、フェリスはヴィルヘルムの右腕を掴み上げ、すぐに治癒魔法をかける。

 変な方向に折れ曲がっていた右腕は継ぎ直され、すぐに出血も止まった。

 

「……ありがとうございます」

「いーえ」

 

 一度は断ったものの、治してもらったことは事実であるからだろうか、気まずそうに感謝するヴィルヘルムと全く意に介していないフェリスは対照的だ。

 

「さて、と……君」

「……あ、おれ?」

 

 フェリスがこちらに声をかけていたが、全く気がつかなかった。

 決死の覚悟で魔法を駆使する看守長、それを簡単にいなすヴィルヘルム、場を収めてしまったフェリス。全員がスバルの想像の範疇を超えており、まるでその場にいないかのような感覚を覚えてしまっていた。

 

「他に誰がいるんだ」

「……そうだな」

「なぜ、こんなことを仕掛けた? クルシュ様が君に自由行動を許しているのは知っている。けど、彼が爺さんと接触しないように注意していたんだ。そこを君が……! んうぅぅぅぁぁああ、もういい! ボクはもう一切面倒見ないぞ!」

 

 フェリスは最初は理性的に詰めてきていたが、喋り続けるにつれてだんだんと口調を荒げていく。

 最後には栗色の髪をわしゃわしゃと掴みながら、そっぽを向いてしまった。

 

「でも必要なことかもしれないんだ。こいつは魔女教徒になるかもしれなくて」

「魔女教徒だって? なんで君にそんなことがわかるんだ? まさか」

「いやいやいやいやいやいやいや! 違う違う! もう二度とあんな連中に間違われてたまるかってんだ!」

 

 あんな頭のおかしい奴らと一緒にしないでほしい。それだけではなく、間違えられると殺されかねない。

 

「と、とにかくだな、魔女教徒うんぬんは置いとけ。あのおっさんはヴィルヘルムさんをずーっと憎んでたんだよ。戦後ずっとだ。そんな状態で勤務し続ければストレスも溜まるだろ? 地下での勤務ってのも、精神衛生上よろしくない。たまにはガス抜きさせてやらないとダメだ。職場環境の改善ってやつだよ。王ってのは言っちまえば国っつー会社の経営者だ。職場の風土を良い方に変えていくのも経営者の仕事、ひいてはその部下、つまりは中間管理職の俺の仕事ってわけでだな」

「よ、よくもそんなにすらすらと薄っぺらいことを……」

 

 なんじゃいっ! 文句あるんかいっ! と言いたくなるのを飲み込む。

 確かに思ってもいないことだが、魔女教と関係があると疑われる方が辛い。嘘でもなんでも、話を逸らせることができればそれで良い。

 

「とにかくだ、こいつのこと起こしてくれねえか?」

「それは構わないけど、大丈夫なのか?」

「万が一ならヴィルヘルムさんが対応してくれるっ!」

 

 元気にサムズアップ。

 治療はフェリスに。戦闘はヴィルヘルムに。

 今のスバルに死角は無いに等しい。

 

「君はどこまでも人任せなことを、なぜそんなにも清々しく言えるんだ……」

「よせやい。褒めるなって」

 

 フェリスはやれやれと肩を竦めて、看守長に再度青い光を当てる。

 今度は体内のマナとやらを乱すのではなく、元に戻しているのだろう。

 じわじわと顔色が良くなっていくのがわかる。

 

「…………?」

 

 何か違和感を感じて、目を凝らす。

 フェリスの両手が発する青い光とは別に、何かが発光しながら揺らめいているのが見える。

 

「……なんだ? おい、フェリス。見えるか?」

「は? 何がだ」

「そこ。お前の光以外に、なんか出てる」

「…………何も見えないが」

 

 そんなやりとりをしている間にも、光は徐々に明度と彩度を増していく。

 それが紫色の光を放っているのだと気づく頃には、光が看守長の体から発光していることが分かった。

 

「だ、大丈夫なのか……?」

「……全く何を言っているのやら……」

 

 フェリスはもう聞き飽きたとばかりに、呆れた表情をしている。

 

 すると、看守長の胸の辺りが一際強く光り、紫色の球体がゆっくりと体内から出てきた。

 

「なんじゃこりゃっ!」

「さっきからなんなんだ君」

「スバル殿。何が見えていますか?」

 

 これまで静観していたヴィルヘルムがスバルに声をかけてきた。

 

「なんか、紫色に光ってる塊がこの辺に浮かんでて……」

 

 ぽわぽわと浮かぶ光球を手で指し示す。

 ヴィルヘルムはそれをじっと見つめるも、どこか焦点がズレているように思える。

 

「どれだけ凝らしても見えませんな……。フェリス?」

「見えない……です」

「本当か? 俺だけ見えてるとかいうドッキリじゃない?」

 

 キョロキョロと辺りを見回して、あるはずもない隠しカメラを探してみる。

 

「俺だけ見えてる……」

 

 得体の知れないものだが、これまで剣技や魔法によって自分がどれだけ凡庸であるかを突きつけられ続けていた故に、少しだけ嬉しくもある。

 

「スバル殿……?」

 

 そんな浮わついた気持ちが出たせいか、気が付けば右手をフラフラとさせながら光球に近づけていた。

 ヴィルヘルムが怪訝な顔でスバルの方を見るが、彼に光球は見えていないため、止めるべきかどうか悩んでいるようだ。

 

 やがてスバルの指先が光球に触れると、パッと少しだけ点滅した。

 

「……ん? お、おいおいおい、おい」

 

 点滅が収まると、今度は接している部分から光がどんどんとスバルの指に吸い込まれ始めた。

 予想外の事態に完全に我に返り、腕を引っ込めようとするも、接着剤でくっついたように離れない。

 

「なん、じゃこりゃあ!」

 

 思いっきり離そうと力を込めてもびくともしない。そのくせ、痛くはない。物理的にくっついているのではなく、魔法的な力が作用しているような気がする。

 そうこうしているうちに、光球はスバルの指へ吸い込まれていくにつれ小さくなっていき、やがて完全にスバルの中へと消えていった。

 

「……えらいこっちゃ」

 

 不思議と不快感や異物感はない。

 先ほどの光球が今、身体のどこにあるかもわからない。

 フェリスとヴィルヘルムは未だ訝しげな顔をしている。

 そんな顔を見てしまうと、さっきまで見えていた光球が実はスバルの錯覚だったのではないかとさえ思えてくる。

 

「スバル殿……異変が?」

「今、指先から光が入っていったんですけど……何も」

「ちょっとこっちを向いてくれ」

 

 フェリスに言われるがまま座り直すと、額に手をかざされた。

 幾度となく見た青い光が、今度はスバルを優しく包む。

 

「…………マナの流れに異常は見当たらない」

「臓器はどうだ?」

「どこも悪くない。健康体そのものだ」

 

 どうやら検査をしてくれたようだ。

 ドキドキして聞いていたが異常が無いのであればそれで良いとも思うのだが……。

 

「どうすべきか……」

「…………あっ」

 

 ヴィルヘルムが難しい顔をして思案していると、スバルの目の端で横たわっていた看守長がぴくりと動いた。

 意識が戻ったのだろうか。

 

 二人に目配せしてモゾモゾと動き始めた看守長を見守っていると、やがて朝の目覚めのようにゆっくりと目を開いた。

 

「…………私、は」

 

 ぽつりと呟く。

 どうしたものかとフェリスと目を合わせる。

 

「……気分はどうだ」

 

 ヴィルヘルムが声をかけた。

 

「……最悪ですよ。復讐は及ばず、あまつさえ手心を加えられた。これほどの屈辱はないです」

 

「それなのに、なにか、清々しい心地がしている自分が最悪です」

 

「そうか……」

 

 看守長からは今までのような狂気は感じられないように思える。

 不倶戴天であるヴィルヘルムに対し、力も感情も全てを出し尽くすことができたからだろうか。

 ヴィルヘルムと看守長をぶつけるという実験的な試みは、どうやら良い方向に転んだようだ。

 

 このまま看守長が魔女教徒として動かないのであれば、牢獄の崩壊及びスバルの誘拐という問題は無視することができる。

 

 残る問題はもう一つ。

 氷の巨獣だ。

 日が完全に落ちてからまもなく、王都の端に突如として現れるヤツの対処法は未だに判明していない。

 

 実のところ、今回は『捨てループ』となることを覚悟している。

 

 看守長にはダメ元でヴィルヘルムをあてがった。たまたま上手くいったが、上手くいく確証は無かった。死の結末が回避できないのであれば、他の方法を思いつく限り試していくのみ。そういった覚悟で臨んでいたのだ。

 

 問題の氷の巨獣についても同じだ。思いつく限りの試みを繰り返す。

 まずは奴についての情報を得ることが肝要だ。そのために二、三ループ使っても良い。

 

「ヴィルヘルムさん」

「……まだ、やることがあるようですな」

「はい。言っちまえばこれは前哨戦で、これからが本番なんです」

「ふむ。良いでしょう」

 

 戦力の確保は依然として必要だ。何かあった時のためにヴィルヘルムは連れて行きたい。

 

「フェリスはこのおっさんを介抱したら、ここで起こったことと俺たちが貧民街に行くことをクルシュに伝えてくれ」

「貧民街に……? なんでまた……」

「でっけえ猫みてえな怪物退治だな」

「君が言っていた、三大魔獣に匹敵するという奴か?」

「……爺さんさえいればなんとかなると思うが、状況次第ではクルシュ様も連れていく。これを持っていけ」

 

 フェリスは懐から小さな板のような物を取り出し、差し出した。

 ひっくり返すと鏡のなっていて、スバルの間抜けな顔が映っている。

 

「対話鏡だ。離れた相手と話ができる」

「うわ……。嫌な記憶が思い出されるぜ……」

 

看守長を嵌めようと愚作を弄した際に、作戦失敗の原因の一つとなったミーティアだ。あの時はタイミングが悪かったとしか言いようがなかった。

 

「高価なミーティアだから大事にしてくれ。ボクの持つ物と繋がるようになっている。非常時には魔力を込めて呼び出してくれ」

「魔力の込め方ってのが分からないけど分かったぜ! ヴィルヘルムさん! 行こうぜ!」

 

 地下のため外の様子が分からず正確な時間は分からないが、そろそろ日没が近いはずだ。

 まだ死の夜までは一日の猶予があるはずだが、制限時間は刻一刻と迫っていることに変わりはなく、少しでも情報を掴むため、早急に貧民街に向かう必要がある。

 

 フェリスとはその場で別れ、ヴィルヘルムを連れてスバルは夕陽の差す王都を駆け出した。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。