王道と邪道   作:ふぁるねる

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咎人は輪廻を彷徨いて

 再び目が覚めた時、またもやあの女が視界に入った。

 

 もういいよ。何もかも。

 

 あんたのこともーー。

 

 クルシュ・カルステン。

 

 そんな言葉を口にした。

 

 

 ーーーー

 

 

 見たことのない天井だ。

 

「目が覚めたか」

 

 頭上から声が降ってくる。

 開き切らない目で右側を見ると、見たことのある人物がいた。

 長い深緑の髪が目に入る。

 クルシュ・カルステン。

 もはや、どんな感慨も湧いてこない。

 

 どうやら、寝かされていたらしい。

 矢鱈とフカフカしたベッドに沈み込む感覚がある。

 

 今に至る経緯がわからず、最後の記憶を探る。

 鮮明に思い出せるのは、桃色の髪をしたメイドの少女に腹を切られるところまで。

 

 掛けられている布団の中で、パックリと裂かれているはずの腹をさする。

 裂け目がないことに違和感を覚えながら、血の付いていない手のひらを眺める。

 

 あの後、夜闇が覆う王都の裏路地に腹から血を大量に吐き出しながら横たわるスバルを、死ぬ前に保護して万全の状態まで回復させた人物が面識のあるクルシュだったのだろうか。

 

 否だろう。

 その可能性を思い描いている間に、あり得ないという結論は出ていた。

 

 闇に包まれつつある王都の裏路地は街灯もなく、視界が悪い。それに、気を失う前にすでに大量の血を流していたスバルの命は、残り数分もなかったはずだ。瀕死の状態から、すぐに動き出せるほどの状態まで回復できる手段があるとも思えない。

 そして、そんな手段があったとして、スバルのことを魔女教徒だと断定したクルシュが、スバルにそんな治療を施すとは到底思えなかった。

 

 ーーーー死に戻りを、したのだ。

 

 死ぬことで、過去の地点まで自身を戻す力。

 スバルの精神だけを過去に飛ばしているのか。世界そのものを巻き戻しているのか。原理は不明だが、人の力を超越したその現象が起きたのだろう。

 

「ーーーー」

 

 気が付けば、目から涙が溢れていた。

 喉からは嗚咽が漏れ、手足の震えが始まった。

 一度溢れ出た感情は止まることを知らないかのように、流れ続けた。

 

「……どうした?」

 

 困惑した表情のクルシュが声を投げかける。

 心ここに在らずといった様子でボーッとしていた少年が突然、まるで童子のように泣き出したのだから、困惑して当然だ。

 

 クルシュは王国や領内の問題に、快刀乱麻を断つという言葉通りに解決してきた。その手腕があるからこその、この歳での公爵だ。

 そんな辣腕で知られるクルシュの狼狽える姿を政敵の貴族たちが見れば、珍しいものを見たと喜ぶかもしれない。

 

 

 

 そんなクルシュの様子など構わずに、スバルは声を出さずに泣き続ける。

 

 期待をしていた。

 自堕落な生活が唐突に終わりを告げた。

 夢にまで見た異世界だ。

 意気揚々と冒険に繰り出す自らの姿を幻視した。

 この場所が、この世界こそが、本当の自分の人生の始まりなのだと思っていた。

 今まで生きてきた十七年という人生は、この世界に来るための準備期間だったのだと受け入れた。

 これからの輝かしい未来が容易に想像できた。

 

 何の苦労もなく魔法を使えて、適当な金策で金を稼いで、生きているだけで美女に囲まれる。

 そのうち、偉業を成し遂げて貴族になったり、魔王なんかを倒してしまったりして伝説的な存在となり、老後は田舎に移住して悠々自適に隠居生活。

 

 そんな未来を思い描いていた。

 

 

 だが、現実はどうだ?

 望んでいた異世界に飛ばされたというのに魔法は使えず、右も左も分からないのに冤罪で牢屋に入れられて、頭のおかしい狂信者でもないのに殺される。

 

 極め付けは、死で終わることのできない救いなき輪廻。

 死ぬことで過去に戻って、どれだけ頑張ったとしてもやはり死ぬという運命は避けようがない。延々と続く死のループ。

 死に戻りという事象は、やり直しの機会を与えるものではなく、終わることのない絶望をスバルに与えた。

 

 二日後に死ぬという運命は回避のしようがなく、形を変えて必ずやってくる。

 

 何もしなければ土石流に流され、脱獄しようとすれば爺さんに首を刎ねられる。捕まる前に何とかもがいても、街中でメイドに殺される。

 恐らく、他にどんな策を講じようとも、スバルは運命に殺される。

 

 ならば、もう、()()のではないか。

 

 死んで戻って、また死ぬだけ。

 

 山の川を下る水が海に流れ、雲になり雨となってまた山に降り注ぐように。

 

 スバルは、永遠の牢獄(死のループ)に囚われた囚人だ。

 脱獄など叶わない。

 王都の牢獄と比べるまでもないほど、残酷な刑罰だ。

 

 

 ーーこれは、人生を無為に送ってきたツケなのだろうか。

 十七年という長い時間の中、何も為し得なかった報いが今になって目の前に現れたのだろうか。

 そもそも、十七年もの時間を無為に過ごしてきた男が、何かを為そうだなんておこがましい話だ。

 この世界は、スバルのための世界ではない。スバルの都合の良いように作られた世界は、所詮スバルの妄想の中にしか存在しない。

 この世界には、スバルのように十七年生きてきた者もいて、スバル以上に努力してきた者が多くいる。

 クルシュ・カルステンがその良い例だ。

 それほど歳の離れていない彼女は、上流貴族にして次期国王の候補者らしい。実に羨ましい限りだが、その裏には積み重ねてきた相応の過去があったはずだ。

 スバルには英雄になるような大層な過去はないし、努力や研鑽を積み重ねてもこなかった。

 何もしてこなかったという過去が、今の悲惨な状況を招いているのだ。

 

 しかし、おそらくそれは違う。

 スバル以上に堕落した人間は、他にもいるはずだ。たまたまスバルがこのような仕打ちを受けているだけなのだ。

 

 だが、それだけのことをしてきた。いや()()()()()()()という自覚がある以上、この報いが正当なものだと感じてしまっている。

 

 後悔など無意味だ。

 懺悔など許されない。

 生きることが苦として存在するこの無限のループにおいて、それらは意味をなさない。むしろ罰の一つとしてスバルの心に返ってくる。

 

 ならば、何もせずに受け続けよう。

 心を無にして報いよう。

 いつか助かるなどという希望は捨てて、諦めと共に死のループを甘んじて受け入れよう。

 

 それは辛いことだと思う。

 でもどうせ死ぬのなら、初めから諦めていた方が失望がない分、辛くない。

 何度も死を繰り返せば、何千回か何万回かは分からないがそのうち痛みにも慣れるだろう。

 

 

 それが、三度の死を遂げたナツキ・スバルの辿り着いた結論だった。

 

 

 ーーーー

 

 

「いったいどうしたというのだ……」

 

 少年は唐突に泣き止んだ。

 瞳から涙が零れなくなると、今度は感情が無くなったように天井を見つめるばかりだ。その目から、光は無くなっていた。

 

 クルシュと賢人会の会合に堂々と割入った侵入者。

 会合の内容が内容だけに、盗聴されていたならばまずいことになっていたが、当人がこの様子ではどうしようもない。

 

 とりあえずのところは、治療のスペシャリストであるフェリスの到着を待つしか他に手はない。

 クルシュの言葉は届かないようで、たとえ体の内外問わず傷があったとしても、門外漢のクルシュでは手の施しようがない。

 

「こういうことは、フェリスに任せきりだったからな……」

 

 目の前に救うべき人間がいるにも関わらず、救う手段を知らず、フェリスという親友にすべて任せていたことに気がつく。

 クルシュの心の奥に生き続ける殿下は、人々の心さえも救っていたと思う。

 クルシュは幾度となく、殿下の言葉に鼓吹された。フェリスは人生を救われたと言っても良いほどだ。

 

 言葉には、力がある。

 どんな攻撃魔法よりも強く人を傷つける言葉もあれば、どんな治癒魔法よりも優しく人を癒す言葉もある。

 クルシュは弁は立つが、いくらか堅いところがある。貴族社会で生き残るために身につけた話術は、人を癒すものではなかった。これからは、人心を癒す話術を身につけていくことも必要だろう。

 

「……ん」

 

 王へと続く道は長く、まだまだ学ぶべきことは多いと考えていると、部屋の扉をコンコンとノックする音が響いた。

 

「入れ」

「失礼します」

 

 開けられた扉を見れば、スラッとした手足を男性用の簡素な衣服に身を包んだ人物が立っていた。肩にかからないほどの頭髪から飛び出る猫のような耳が特徴的だ。目鼻立ちは、クルシュが見ても綺麗だと思うほどに整っている。

 

「またそんな服装を……。それに急ぐ必要はないと伝えただろう?」

「今日は非番でしたので。それに、クルシュ様の命令は至上です」

 

 じんわりと湿っているシャツと荒い息遣いに気づいて指摘するも、あまり意味がなかった。

 前髪が額に汗で張り付いて乱れている。せっかくの綺麗な顔が台無しだ。

 

 フェリス・アーガイル。

 

 フェリスを保護して以降、細々とカルステン領に住んでいるアーガイル家の()()だ。

 

 男装とすらりと伸びた手足、言葉使いで初見の相手には男性だと勘違いされるが、彼女はれっきとした女性だ。

 しかし勘違いされるといっても、フェリス自身が男性としての振る舞いをしている以上、勘違いした者に悪気はない。

 

 クルシュはフェリス本人の事情と意向を尊重しているため、()()の思う()()()を受け入れている。

 そもそも、クルシュも男装に身を包む事が多い。親友だという自負もある。全てとは言わないまでも、互いに分かり合っているつもりだ。

 

「対話鏡で話した通りだ。この者の悪い箇所を調べて欲しい」

「はい」

 

 言うが早いか、すでにフェリスは少年の額に手を当てていた。

 世界で最も優しい手は、どれだけ重い傷や病だろうと必ず癒してきた。身に宿るありとあらゆる呪詛であれ解いてみせる。

 例外は半年前、王族が揃って冒された不治の病くらいだ。未だ原因のはっきりしないかつての厄災に対し、当時解決に最も期待されたのがフェリスだった。王国最高の治癒魔法の使い手。『青』の称号を持つ者として当然の重荷だった。

 だが『青』の腕を以てしても、病の進行を気休め程度に抑えることしかできなかった。

 そのことを未だ引きずっていることを、クルシュは知っていた。

 

「外傷は一切ありません。健康体そのものです。目は見えてるようですけど、精神に異常をきたしてるみたいで、無理やり治すよりも安静にしている方が良いですね」

 

 寝台を挟んでクルシュの向こう側に立つフェリスは、横たわる少年の額から手を離した。フェリスの手元で光っていた水のマナが燐光を放ちながら消える。

 

「……」

「クルシュ様、この男は……」

 

 クルシュの一番の従者、そして親友であることを自負しているフェリスにも、今回のクルシュの行動には首を傾げた。

 

 

 

 街に出て、今日の分の「予約」と「急患」を消化していたフェリスは、不意に懐で光る対話鏡に気が付いた。

 対になっている対話鏡を持つ人物は、フェリスの仕える主のクルシュだ。

 文字通り、何よりも優先する主からの緊急連絡。フェリスは急病患者のみを治療後、命ぜられるがままに王城近くの貴族街、カルステン公爵領にある本邸よりも少し小さな、カルステン別邸の客間へと足を運んだ。

 

 寝台に横たわり天井を見つめる少年と、それを少しだけ困惑した表情で見つめるクルシュの構図からは、クルシュの真意は読み取れなかったが、与えられた使命を忘れるようではクルシュの一の従者は名乗れない。

 フェリスはすぐに少年の容体を調べ、命の危険はないと悟った。

 

 

 ……見たことのない少年だ。

 

 フェリスとクルシュの関係は長い。

 十年にも及ぼうかという間柄であり、それだけの時間、フェリスはクルシュと一緒にいた。

 その時間の中に、このような珍しい黒髪に素材のよくわからない衣服を纏う少年の姿は無い。顔が平凡すぎて忘れたという可能性も捨てがたいが、それならば天然混じりのクルシュの方が忘れている可能性は高い。

 治療ついでにマナを探ってみたが、魔法の素養がほぼ皆無であることは確認済みである。ペタペタと触診した身体も鍛えてはいたが、普段から剣を振っているクルシュの方が鍛えられている。

 

 記憶に残るような存在でもなければ、クルシュの目に留まる価値もない。

 一体、どこから拾ってきたのだろうか。

 

「突然王城内に現れ、賢人会を含む王都の主要人物の集まる会議室にノックもせずに侵入した男だ」

 

 フェリスの疑問をすくい取ったかの様にクルシュは答える。

 

「……そ、それって、大犯罪じゃ!? もしかして、犯罪者を匿ったんですか!」

 

「フェリスに見せる名目で預からせてもらった」

 

「うっ……。でも、そういうことは先に言ってください!」

 

「私が頼めば、フェリスは治してくれるだろう?」

 

「……否定出来ないのが悔しいです!」

 

 生来より生えている猫耳がプルプルと震える。

 この主人はどこまでも実直で、決めたことを曲げたりはしない。分かっていたつもりでも、予想できないことをしでかすことが多い。従者として気が休まらないのは、フェリスの小さな悩みでもあった。

 

「で、でも、なんでそんな大胆な男が、さっきまで子どもみたいにぶるぶる震えていたんですか?」

 

「会議室に入るや否や倒れたんだ。ついさっきまでは呆けた顔をしていたというのに、瞬きの間に顔色が変わってな。そしてこの通りだ」

 

「へぇ。でもどうせ、助けを乞われたりしたんでしょう?」

 

「いや、彼の目は既に死んでいた。しかし、倒れながら小さく私の名前を呼んでいたのが、風に乗って聞こえたよ」

 

「ホント、厄介な加護ですよ」

 

「まったくだ」

 

 二人してため息をつく。

 あくまで立場を弁えた範囲内での話だが、クルシュはあまりに人が良すぎる。助けを求める声があれば手を差し伸べる。

 それはフェリスのことも例外ではなく、だからこそフェリスはクルシュの行き過ぎた善意を咎めることはできない。それどころか、フェリスは主人のそのような点を好んでいた。

 なぜならその善意に、フェリスは人生を救われたのだから。

 

「まったく。クルシュ様は……」

 

 フェリスは急いで来たために乱れた男性服を正しながら、クルシュのことを複雑な目で見つめていた。

 


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