「あんたたちねぇ……自分がしたことわかってるの?」
リビングにて私は怒気のこもった声を出していた。
相手は咲や和といった後輩たち。
二人とも正座して、落ち込んだ様子で私の説教を聞いていた。
昨晩、美穂子が珍しく自分から頼みごとをしてきたと思えば愛弟の看病だった。同じ連絡を受けた東横さんと共に京太郎君の世話をする予定だった私がここへ来たときには時すでに遅し。
中は惨状だった。
泡をふいていた国広さん。汚れたキッチン。
混乱した私の耳に届いた悲鳴をたどれば、ベッドから転げ落ちた京太郎君と涙目の咲たちがいた。
彼女たちから説明を受け、今に至る。
「とにかく。後は私が面倒を見ます。あなたたちは家に帰りなさい」
「「はい……」」
二人も反省しているようで、素直に返事をして家を出た。
和はともかく咲は真面目にやっていたので心苦しいけど、ここにいてもやらせることがない。今回のことで反省して普段から女を磨くようになればいいんだけど。
「……さてと」
色々としたいことはあるけど、まずは京太郎君だ。
私は美穂子に事前に聞いていた場所を探して、看病の準備を始めた。
「……部長?」
「ええ、そうよ。無理に喋らなくてもいいわ。あなたは寝ていなさい」
「……すみません。迷惑かけちゃって」
「いいの。後輩は先輩に迷惑をかける義務があるんだから。それに私、こういうのに憧れていたのよ」
実は嘘はついていなかったりする。まこはしっかり者で後輩というより友人感覚だったし、そういう意味では二年間も先輩風を吹かしたことはなかった。
だから、京太郎君にはもうこれでもか、というくらいに頼ってほしい。それに彼も普段面倒見の良いタイプだから人に甘えるところも見てみたいしね。
口に出したら『それが目的か』と突っ込まれそうだからもちろん内緒だけど。
「じゃあ、お言葉に甘えます……」
「そうそう。ところで、改めてご飯はどうする?」
「……うーん。お願いします」
「OK。なら、ゆっくりしていてね。作ってくるから」
◆◇◆◇◆◇◆
「京太郎君、出来たわよ~」
どれくらい時間が経過しただろうか。思考がうまくまとまらないおかげで体感がよくわからない。廊下から部長の声が聞こえたと思うと彼女はお粥を盆に乗せて、部屋に来ていた。
……そういえばさっき頼んでたっけ。口直しもしたかったから。
「……ありがとうございます」
「起き上がれる?」
「それくらいは」
見栄を張って言ってみたものの全身に力が入らず、起き上がるのにも一苦労だ。
俺が四苦八苦していると様子をじっと隣で見ていた部長は何かいたずらを思いついたようで、いつもの小悪魔的な笑みを浮かべた。
「……食べさせてあげよっか」
「さ、流石にそこまでは……」
「遠慮しないで。ほら、あーん」
「え、えと……」
遠慮するが部長は止めようとしない。……この人、反応を面白がってからかってるな。しかし、看病してもらっているのも事実。
……ここは病人らしく、甘んじて受け入れよう。
抵抗する気力もほとんどなかったこともあり、諦めて彼女の言う通りに口を開けようとした。だが、その時、部長は俺が拒否する理由を別の方向で受け取ったらしくさらなる恥ずかしい行為を付け加える。
「あ、そうよね。熱いものね。ふぅ、ふぅ」
耳にかかった髪をかきあげて、レンゲで救ったとろとろの白米に息を吹きかける。さらに、熱さを確かめるために端っこの部分を口に含んだ。
え、え? 部長? それ……この後、俺が使うんですよね?
いいの? そんなことしちゃっていいの?
「……うん。あーん、して?」
踏ん切りとか覚悟とか決まる前に差し出されるレンゲ。もう俺に逃げ道はなかった。
「……あ、あーん」
「美味しい?」
「……すごくさっぱりしていて食べやすいし、美味しいです」
「なら、よかった。じゃあ、次ね。あーん」
「も、もう自分で食べれます!」
これ以上、こんなことされたら余計に熱が高くなる。おかげさまで、さっきから心音が速い。
熱のせいだ。きっと熱のせいに違いない。
「あら、残念。なら、私は服を取ってくるから。しっかり食べててね」
バタンとドアが閉まる音がすると同時に部長の姿が見えなくなる。
廊下から足音が聞こえなくなったのを確認してから枕に口を当てて思い切り叫んだ。
惚れてまうやろー!!
……あー、スッキリした。
死ぬかと思った。萌え死ぬかと思った。
風邪のせいで普段より心が弱くなっているのか、もうヤバかった。
あーんされた時なんて、部長の唇に目がいってしまって、頭の中はもうグルグルと回って、味なんて全然わからなかった。
「はぁ……天使かよ」
俺の周りに天使が多すぎる件。
美穂姉、東横さん、部長……。
一般男子から見たら、嫉妬されて罵られるレベルのラインナップ。
そう考えたら俺は幸福者だと改めて感じる。
「ふわぁ……」
……飯食ったら眠くなってきた。
少しだけ気も楽になったからだろうか。
でも、部長が着替えを持ってきてくれるみたいだし……。
うぅ、でも、睡魔が……押し寄せ……。
「……そういえば昔にもこんなことがあったような……」
小さい頃に一度、俺が同じように倒れた時に……っと、やばい。眠い。
閉じそうになる瞼を必死に開けようとする。
しかし、そんなやり取りも数回を経て、呆気なく俺は夢の国へと旅立った。
◆◇◆◇◆◇◆
「えっと、ここにパジャマがあって、下着も……いるわよね」
美穂子に教えてもらった場所から必要なものを手に取っていく。
は、恥ずかしいことじゃないわ。必要だもの。
……京太郎君はトランクス……。
「ていうか、美穂子はなんでこんなこと知っているのよ……」
姉弟ってお互いの下着の場所まで把握してるものなのかしら?
でも、美穂子は家事をしているみたいだし……きっとなにもないわよね。深い意味なんてないわよね。
また階段を上り、ドアをノックする。
だけど、返事はない。
嫌な予感がする。
「京太郎君? 大丈夫――って、なんだ、寝ているだけかぁ」
急いで扉を開けた私の視界に入ったのは、寝息を立てている京太郎君の姿があった。
あらら、寝ちゃった……。
苦し気な様子はなく、呼吸も整っている。
汗もかいているようだ。
「うーん、やっぱり着替えさせた方がいいわよね……。変な意味はなくて」
そうと決まれば早い。
毛布をそっとめくり、上着のボタンを一つずつ外していく。
はだける少し焼けた肌。
露わになる引き締まった筋肉。
……ゴクリ。
「……はっ」
なんで興奮しているのよ、私。違うでしょ、それじゃあ和と一緒じゃない。
ダメよ、ダメ、ダメ! ブンブンと首を左右に振る。
と、とりあえず、汗を拭きましょうか。
持ってきていたタオルで上からなぞるように拭いていく。
布越しにわかるゴツゴツとした隆起。
す、すごい……。
京太郎君って外見もスポーツマンだけど、やっぱり鍛えてあるのね。
たくましくて、素敵……じゃなくて!
「……ふぅ。こんなものかしら」
首筋。腕。脇下。男性特有の匂いに気分がそわそわと高揚するのを感じながらも終える。
上は。
ええ、上は。
「し、下もやらないといけないわよね……」
うん……。
だ、大丈夫。これは京太郎君が寝ているからであって、別に私が見たいとかそういうことじゃなくて。
世話を頼まれている身として当然のこと。
ちゃんと、ちゃんと頑張らなくちゃ。
「ご、ごめんね、京太郎君。私、ちゃんとやるから」
手は京太郎君のズボンへ。
はぁ……と深呼吸を挟む。
他意はない。
ええ、決して他意はないから。速攻で終わらせる。
「大丈夫! 京太郎君のがデカいのは前に知っている!」
そう自分に何故か言い聞かせて、私は手を引き下ろした。
「……ふぅ。これで完了ね」
初めての汗拭きを終わった私はある種の達成感に満ち溢れていた。
京太郎君は右曲がりとか、かなり大きいとか、そんなことは全然わからないけど。目を閉じてたし。目を閉じてたし!
「流石に着替えさせることはできなかったけど……」
寝ているのを起こしても悪いし、後で自分で着替えてもらおう。
ぶっちゃけると私の理性が持たない。
もう今も変な気持ちがまだ収まっていない。
「……ひとまずはこれで終わりかしら?」
食事、片付け、着替えもすべて済ませた。
国広さんは龍門渕の執事さんが回収してくれたから問題ない。
うーんと背を伸ばし、一息つく。
「……ふふっ。寝顔は可愛いのね」
顔が整っているのは周知の事実だが、キュート系ではない。
……普段見れない一面ってこういうことを言うのかしら。
「……ね、京太郎君」
ぷにっと頬をつつく。形が変化するパーツ。
「……なんだか変に緊張してきちゃった……」
この小さな空間に響くのは京太郎君の寝息だけだ。それが改めて二人だけの空間であることを意識させる。
恋する乙女にとってこの一瞬がどれだけ貴重で価値のあるものかは計り知れない。
私のキャラ的にも直接的なアピールは難しいし、彼の倍率も高いからなおさらね。
「…………」
わかっているのにキョロキョロと辺りを見回し無人を確認する。
京太郎君も寝ている。今、彼に何をしてもわからない。残るのは私の記憶にだけ。
だから、だから、ちょっとだけ。
「……わがまましても、いいかしら」
ぐっと身を乗り出す。
近づくと距離に比例して大きくなる吐息。
温かな空気がわかるほどに接近して、私の胸は緊張で張り裂けそうだ。
柄にもなく真っ赤になっているに違いない。
でも、それでも……。
「…………好きよ、京太郎君」
意を決するように目を閉じて、唇を重ねる――
「……いやだよ……!」
――手前に京太郎君の口から発せられる大きな声。
私はビックリして身をのけぞらせる
起きてる!? ていうか、私、拒絶された!?
おそるおそる彼の顔を覗き込む。
「……すぅ……すぅ」
……どうやら寝言のようだ。
よかった……。嫌われたわけではないようね。
それに変な雰囲気にのまれておかしい行動を達成しなくてよかった。
……うん、そうよね。ああいうのはお互いの気持ちが大切なんだから。
「……さて、用件もすませたことだし。私もそろそろ帰ろうかしら」
この様子なら悪化することもないでしょう。
そう思って立ち上がろうとした私だったが、ぐいっと手を引っ張られた。
見れば京太郎君の手に掴まれている。離さないように、力強く。
「……ちゃん……」
「ん? どうかした?」
「……一緒にいて……お姉ちゃん……」
「――っ!?」
やばい、やばい、やばい。
今、何かすごいのがきた。
形容できない感覚が胸に到来する。絶対脳から変な汁分泌しちゃってる……!
「そ、そうよね。一人じゃ寂しいわよね……」
再び腰を下ろして、握り返す。
お姉ちゃんが誰を指すのか理解していても、あの破壊力。
……まずいわね。どんどん深みにはまっている。抜け出せなくなっている。
「……私ってこんなにチョロい女だったのかしら」
えいえいっと、またほっぺをつつく。
ふわぁ……。寝ている京太郎君を見てたら私まで眠たくなってきちゃった。
……少しだけなら、いいかしら。
「……おやすみなさい、京太郎君」
◆◇◆『お返し』◆◇◆
「――で、長い時間同じ部屋に居たら今度は久が熱を出しちゃったわけね」
「……情けないったらありゃしないわね。お見舞い、ありがとう、美穂子」
「いえいえ。先日は弟がお世話になりましたから」
そう。この前の京太郎君の看病をした私は見事にその風邪をもらい、寝込んでいたのだ。
美穂子は心配して様子を伺いにきてくれたわけ。
「あれから京太郎君はどうなの?」
「おかげさまで元気になったわ。今日は休んでいた分の勉強を咲ちゃんに教えた貰うみたいよ」
「そう。なら、よかった」
「はい、りんご。切っておいたから適当に食べておいてね?」
「ええ。ありがとう、美穂子」
「気にしないで。じゃあ、私も失礼するわね。この後、個人戦へ向けての練習があるの」
「ここからしか見送れないけど、頑張ってね」
「うん。それじゃあ、また今度」
フリフリと手を振って美穂子は部屋を出ようとして、なにかを思い出したようにこちらを向いた。
「あ、そうそう。勉強の後、京太郎もお見舞いに来るって言っていたわ」
「っ!」
「きっと謝り倒すと思うから、流しておいてあげてね」
「わ、わかったわ。美穂子はフォローの出来るいいお姉さんね」
「心がけているもの。またね」
得意気に言って、彼女は部屋を出ていく。
そ、そっか。
「京太郎君……来てくれるんだ」
じゃあ、私の部屋にもあがってきて……パジャマ姿も見られて、あ、あーんとかされちゃうのかしら。
……スンスン。
い、一応、着替えよっと。
京美穂じゃないとかツッコミなしな?