遥か意識は灰燼に   作:バナナ暴徒

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今回短いです。


九条陽璃の苦悩

 私は紫先輩と二人で駅のホームのベンチに並んで座っている。どうやら紫先輩は塾の帰りだったようで、私服に肩掛け鞄という格好だ。しばらく無言の時が過ぎ、私がどこか遠くを見ていると、紫先輩がタオルを差し出してきた。

 

「ごめん。気が利かなかったね。取り敢えず体の水分取っちゃえば?特に頭とか。風邪ひいちゃうよ?」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

 実際結構寒くなってきていたので、遠慮せず受け取り水分をとる。すると、どこか人心地がついたのか、また涙が出てきそうになってしまう。歯をギリリと強く噛みしめ、必死に我慢する。どうやら私はかなり参っちゃってるようだ。鼻をすすってタオルは洗って返すと言い、紫先輩の方を向く。紫先輩の目を見たこちらが少し怯む。この上なく真剣な目をしていた。

 

「ねぇ本当にどうしたの?」

 

「っ…」

 

 私は言い淀む。真剣にこちらの話を聞いてくれようとしている。それなのに私は自分の何かが、何かが壊れるのが怖くて言葉を紡ぐことができない。歯を食いしばっていても涙が出てきてしまう。どうすればいいのだろう。働かない頭を必死に回転させる。適当に誤魔化すか。しかしそれはあまりに不自然で、何より紫先輩にとてつもなく失礼な行為だ。他にどのような方法があるだろうか。頭のなかが混乱して何も考えられなくなる。いつの間にか私はまた嗚咽を漏らしていた。すると、頭の上に優しく手が置かれた。置かれた方向を見ると紫先輩が優しげな顔でこちらを見ていた。私は誤魔化そうとした自分を張り倒したくなった。こんなにも真剣に私の痛みを取り除こうとしてくれているのだ。気付くと私は今日1日あった出来事を洗いざらい全てしゃべっていた。紫先輩はその一つ一つを優しく頷きながら受け止めてくれた。

 

「で、九条さんは今でも君の先輩が好きなの?」

 

「好きです。」

 

 私はそう迷わずそう答えた。それ以外の答えは私の中には無い。

 

「あんな奴のどんなところが?」

 

「なんて言うんでしょうか。どうしようもなく不安定だから一緒にいてあげたくなりますし、そんな不安定でも他人のことを常に考えて行動しているところですか。」

 

 私は内に秘める想いを紫先輩に言ったが、正直上手く伝えられているとは思えない。所謂上手く言葉で言い表せないというやつで、私の語彙力と表現力ではこれが限界なのだ。もっと先輩には魅力があると思うし、それを伝えたいとも思うのだけれど。

 

「ねぇ九条さん。」

 

 紫先輩の優しげな声が私に降りかかり、私はいつの間にか下を向いていた顔をあげ、再び紫先輩の顔を見る。

 

「多分あいつは九条さんのこと嫌ったりはしてないと思うよ?」

 

 何をもってそう言っているのか私はわからなかった。今考えてみれば嫌われない理由がなかった。自分の気持ちを隠そうとするあまり、必要以上に冷たくあたり、会話もあまりしなかったから無愛想な奴だと思われていることだろう。そんな女が突然自分に媚を売るように笑いかけてきたらどうだろう。正直反吐がでる。紫先輩に返す言葉も多少なりとも険が入ったものになってしまう。

 

「どうしてそんな風に思えるんですか?」

 

 紫先輩は少し苦笑しながら口を開く。

 

「だってまず嫌いな人とは一緒に帰らないでしょ。相談もしないと思うのよね。」

 

「あ…」

 

「だって彼一人好きそうじゃない。嫌な顔したのも何か理由があるんじゃないかな。」

 

 諭すような優しい口調でそう言われ、私ははっとする。少し考えればわかるような事ばかりだ。動転しすぎていて何も考えれていなかったようだ。一緒に帰ってくれていただけで喜びまくっていた私はどこに行ったのか。そもそも帰る時だって、なんだかんだ傘をさすのを待っていてくれたではないか。それに、今思えばあの時の顔だって嫌な顔というよりは、苦しい顔だったようにも思える。

 

「紫先輩ありがとうございます。なんか元気出てきちゃいました。」

 

「そう?ならよかった。多分途中までは一緒だからもしよければ一緒に帰らない?」

 

「喜んで」

 

 先輩に自分が嫌われていないと思うと、すぐに元気になってしまった。我ながら現金だと思い、苦笑する。しかしかなり遅い時間になってしまった。家に帰ったら大目玉間違いなしだろう。家に帰った時の事を考えて少し憂鬱になるが、気分自体は晴れ晴れしていた。目の前に電車が滑り込んでくる。さほど混んでいる訳ではないが、座れる訳でもない。紫先輩と共に電車に乗り込む。本当に同じ方向だったようだ。

 

「ねぇ九条さん」

 

 紫先輩が唐突に口を開く。

 

「はい?」

 

「九条さんにとって隠秘学部ってどんな場所?」

 

「えっと、どんな場所っていうのは?」

 

「うーん。かけがえの無い場所とか色々あるじゃない?そういうこと。」

 

「ああ、ちょっと待ってください。」

 

 私は思案に耽る。先輩と私二人だけの空間。世界で唯一先輩と二人きりになれた場所。隠秘学部は紛れもなく私にとって、かけがえの無い場所であっただろう。しかし、それだけかと訊かれれば、それだけでは無いようにも思える。部室に先輩といる時のことを思い出す。あそこにいる間の私の胸には、友達と一緒に遊んでいる時のような、『楽しい』という感情とはまた何か違う、暖かな感情が渦巻いていた。あの感情はなんだろう。先輩と話しているとき程暖かく、心を芯から暖めてくれたあの感情。しかし、脆くてすぐに壊れてしまいそうな儚いあの感情。私にこの場所を失いたくないと思わせたあの感情。駅を1つ通過する。私は今日先輩と別れた時のことを思い出す。その時には胸に暖かさとかはなく、ただ切なさだけが胸を痛めつけていた。では紫先輩と会った時はどうだろうか。確かに暖かくはなった。しかし、先輩と部室にいるときとはまた違う暖かさな気がする。紫先輩と会った時の暖かさは、ほっとするような暖かさだったが、先輩といる時の暖かさは手放したくない、ずっと握り締めていたい暖かさだった。また1つ駅を通過する。もう次が私の最寄り駅だ。そろそろ自分の答えを出さなければいけないらしい。私は必死に考えるが、中々答えは出てきてくれない。そんな時、1つの車内広告が目に入った。ああ、そうか。そういうことだったんだ。私の中の全てが暖かさに変わったようだった。案外簡単な答えじゃないか。私は思わず微笑みを浮かべながら、自らの最寄り駅に電車が滑り込んでいくのを見る。そして私は電車を降りながら振り返って紫先輩にこう言った。

 

 

 

「幸せです!」

 

 

 

 紫先輩は優しく笑ってこう言った。

 

 

「また明日ね。」

 

「はい!」


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