遥か意識は灰燼に   作:バナナ暴徒

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遅れました。
次も遅れます。


曖昧な日

 いつものように夢が始まる。

 弾けるような眩しい笑顔。そして楽しそうに市場へ向かう後ろ姿。あの惨劇を見ないために市場へ行かないという選択肢は存在しない。あったとしても夢の中では俺の体はいうことを聞いてくれないのだから仕方がない。何ヵ月か前にもう試して諦めた。市場に近くなって、さらに楽しそうになる彼女の背中を見て多少憂鬱になる。人が無惨に死ぬのは何回見ても多少はショックを受けるものだ。憂鬱になった俺はいつもと同じ事を頭に浮かべる。嗚呼、何も変わらない。

 

 市場で彼女はやはり、死の時間が近づいてもいつも通り店主と話している。しかし、同じ夢を何回も見続けるとは、何かを俺に伝えようとしているのだろうかとか思ってしまう。そのような超常的なものは信じない主義なのだかと、己の考えを否定しつつも俺は周囲を注意深く見回す。この短い時間の中で少しでも多くの情報を得ようとして。まず目に留まるのは、店の並び方。自分達が高台から降りてきた所の他に、脇道に逸れる道はどうやら見える範囲で一つだけ。そして、同じジャンルの店が全く無い。八百屋っぽいのも一つだけ。酒屋らしき店も一つだけ。後は占いの店が多少場違いなことくらいか。見回している間にさりげなく探したが、日付のわかるものはない。夢だからだろうか。

 

 そんなこんなで色々な所に目を凝らしていると、あの男が来た。あの、謎の模様が描かれた覆面をかぶった男だ。今日も元気に鉈を振り回している。そういえばこの夢で具体的に表現されているのはあの模様だけではないか。夢というのは一般的に自らの記憶を基に構築されるという。だが、俺はあのような模様に見覚えはない。これは何かしらの手掛かりになる可能性が高い。模様を必死に頭に叩き込む。何度も見ているせいか、案外するりと頭に入ってきてくれた。これが今日できる最大限のことか。ふと、昨日思い出した石造りの家が目の前の女と重なる。どういうことだろうか。何が関係があるのだろうか。確かに建築様式的には目の前の城と酷似している。彼女の家?そんなことを考えているうちに夢の終焉が訪れた。

 

 目の前に、見惚れる程鮮やかな赤が散る。俺はその赤の元に目を移す。彼女が二つに別れていた。いつものように。そろそろ男が駆け寄ってきて、叫び声をあげて夢が終わるだろう。いつものように。しかし、いつものようにはならなかった。一瞬俺の三半規管が蘇る。

 

「たすけて」

 

 微かなその声を聞いた俺は、突如として覚醒する。最後の言葉の内容だけを忘却して。

 

 

 ボーっとする頭を顔を洗って少しでもハッキリさせようとする。彼女が最後に何かを言っていたのは覚えている。だが、内容を思い出せない。俺は溜め息をついて思い出すのを諦める。これはもう思い出せるものでは無いだろう。所詮夢なのだから。

 忘れてしまうのはいけない気がする、そんな不安定な気持ちを抱えながら、耳にイヤホンを捩じ込んで学校に向かう準備を整えようと、タオルを顔に叩きつける。準備すると言っても、制服を着て久しく開けていない鞄を持って家を出るだけなのだが。

 5分で終わるような準備を終え、家を出る。梅雨らしく小雨が降っていた。俺は小雨という天気があまり好きではない。中途半端だからだと思う。降るなら降れと、降らないなら止めと、そう思う。ふと思い立って、嫌いなものを頭の中で列挙してみると、どうやら俺ははっきりしないことが嫌いらしい。どろどろの愛憎劇とかは一番嫌いな部類に入る。特に昼ドラみたいなものは無理で、陰湿なことをしあうくらいなら、いっそのこと相手を殺してしまえばいいのではないかと、正直思う。まぁ、この考えを人に言う気は無いし、この事柄を考えようと思わなきゃこんなことを考えもしないから、俺の中では大した事でもない。我に帰り溜め息をつく。朝から陰気臭いものだ。

 

 校門の挨拶の嵐をくぐり抜けて、昼寝場所へとたどり着く。しかし俺はその日は寝なかった。全時間ぶっ続けで夢で見た謎の模様の復元を試みていた。かなりはっきりと覚えている夢だとは言っても、所詮は夢だ。少し前に見た遥か遠くの景色と同じくらい、曖昧な記憶を紙に復元しようとしているようなものだ。珍しく起きている俺は周りからの好奇の視線に耐えながら復元を続けた。正直かなりの数を描いては没にしていて疲れた。俺は気分転換をしようと席を立ち、トイレへと向かった。授業中の教師の罵声が背中を突き刺してきたが、特に痛くもなかった。

 

 外に出ると芸術の教室の方が何か騒がしかった。ちらりと見るとどうやら溶いた赤い絵の具をこぼしてしまったようだ。それを認識した瞬間、鋭い頭痛と共に俺の世界の時間が一瞬止まった。その一瞬の内に夢で見た全てがフラッシュバックしてくる。あの模様も鮮明に頭の中に浮かび上がってきた。そして彼女の最期も。何を言っているのかはわからないが、明らかに俺に向けて放たれた一つの言葉。息を吸うとヒュウと音がなった。ものすごい汗を自分が流しているのに気が付いた。もうこの時間は教室に戻らない方がいいかもしれない。そう思った時、突然目の前から声がかけられた。

 

「大丈夫?唇の色ヤバいし、凄い汗だけど。」

 

「会長?何故ここに?いやまぁ愛しの俺は平気だけど。」

 

 突然話しかけられた俺は柄にもなく慌てて張れる限りの虚勢を張って、ぎこちなく笑った。

 

「授業が早めに終わったのよ。そんな冗談が言えるなら平気そうね。放課後楽しみにしてるわよ。」

 

 会長を軽く受け流せたことに少し安心して溜め息をついて教室に向かう。あの模様を再び忘れないうちに模写しないといけない。記憶の鮮度が落ちるとそのコピーのクオリティも落ちる。当たり前の話だ。

 

 

 調度完成した辺りで放課後になった。そういえば今日は会長を部活に案内する日だったか。会長の方をちらりと見ると、何やら忙しそうに書類を書いている。こちらに気づいた会長はジェスチャーで待って、という風にしてくる。仕方ないから少し待つことにした。

 改めて紙に描いた模様を眺める。何かしらの宗教的な意匠のように感じる。こういうのは後輩の方が詳しそうだ。部活に行ったら訊いてみようか。そう思っていたら、会長に声をかけられた。俺はゆっくりと腰をあげ、会長を促して部室へと向かう。軽く溜め息をついて気づく。今日はそこまで溜め息をしていないのでは?


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