Fate/Grand Order 正義の味方の物語   作:なんでさ

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皆さまお久しぶりです。何でさです。約一年と半年ぶりの更新となります。
・・・・・いや、本当に申し訳ないです。2018年の4月中には更新するつもりだったのが、上手く執筆が進まず、気がつけば新年どころか元号すら変わってしまいました。もうなんか、一話更新する度に更新速度が大きく落ちてきて、情けない限りです。自分、詰まるときは大抵地の文とかで上手く繋げられれず四苦八苦するんですが、そもそも大して才能も経験もないんだから軽く纏めてさっさと次に進めばいいんですかね・・・・・。
とはいえ、最新話もなんとか完成して漸く投稿できます。昨今のコロナ騒動で外出自粛を強いられている中、拙作が無聊の慰めとなれば幸いです。


咆哮は止まず、されど意思は潰えず

「--何か、言い分はありますか?」

「・・・・・」

 

 静かな、しかし強制力すら伴った重圧を<プレッシャー>を放つ声が室内に響く。

 声の主たる少女--ジャンヌ・ダルクはその顔に笑みを浮かべながら、一人の少年を見下ろす。

 人類最後のマスターにして錬鉄の魔術師こと衛宮士郎である。

 彼は全身に冷や汗を流し、一言も発することなくジャンヌの言葉に耳を傾けている。

 その背後ではマシュがオロオロとその様子を見守っている。

 

・・・・・どうしてこうなった・・・・・?

 

 事の始まりは、つい二十分ほど前だ。

 竜の魔女たちとの戦闘を終えリヨンに到着した士郎は、リヨンのサーヴァントが借り受けているという宿屋の一室に向かった。なんでも、マシュたちはそこで待機しているとか。

 ちなみに、ライダーはラ・シャリテの人達の様子を見て来ると言って、この時点で別行動になった。

 

--で、だ。

 

 向かった一室でマシュたちと合流を果たした。

 果たしたまではよかったのだが--

 

「--シロウ。帰還して早々ですが、そこに直りなさい」

 

 入室した瞬間、自身のオワリを悟った。

 背中に氷でも詰め込まれたみたいに強烈な悪寒が走り、目に見えるくらい全身が震え上がる。

 知っている感覚だった。何度も経験した恐怖だった。

 この世界に来る前、まだ遠坂や桜といた頃、彼女たちを怒らせてしまった時に感じたモノ。

 待ち受けていたジャンヌが発するのはそれと同質のモノだ。

 長年の経験が告げている。ここで選択を誤れば、待っているのは死<DEAD END>だと・・・・・!

 

・・・・・下手な行動をとればそこで詰みだ。まずは慎重に彼女の意思に従おう。

 

 足取りはゆっくりと、薄氷を踏むかのような繊細さでジャンヌの前に座る。

 無論、正座だ。胡座なんてかこうものなら、どんな未来が待ち受けているかわからない。

 

「まずは一言、労いの言葉を告げておきます。よくたった()()()竜の魔女たちを退けました」

 

 字面こそこちらへの賞賛に映るが、実際は俺への余りある怒りが滲み出ている。

 特に、一人という言葉をやたらと強調しているあたり、迂闊に触れてはならない事柄のようだ。

 

・・・・・落ち着いて、当たり障りのない言葉を選べば問題ない。

 

 座らせた後、相手を労わるだけの理性を彼女はまだ残している。一度爆発したが最後、問答無用でガンドを乱射するあかいあくまとは違うのだ。

 冷静に返答すれば大事には至らない。その冷静さすら危ういのだが、なんとか努めなければならない。

 

「あ、ああ。少し危なかったけど、ライダーたちのおかげでなんとかなったよ」

「--それはつまり、死にかけたということですね」

「・・・・・まあ、噛み砕いて言えばそうだな」

「ではシロウ。貴方は先日、人類史の敗北条件はなんと言いましたか?」

「それは、俺が死ぬこと、だけど・・・・・」

 

 言いかけて、今更ながらに思い出す。思い出してしまった。つい忘れていたが、俺って死んじゃいけないんだった。

 えーと、つまり。

 

・・・・・もしかして、選択肢ミスった?

 

「覚えているのでしたら話が早い。昨夜の話し合いで私、言いましたよね? 一人で行動するのは危険だと。それに、敵と遭遇した時は全力で逃げるって、言ってましたよね? それなのに--」

「待った! そりゃ俺だって逃げようとしたさ。けど、そこまで余裕がなかったというか多勢に無勢だったというか--」

「だから、一人で行動するなという話でしょう? 少なくともマシュを連れていれば、こうはならなかった。違いますか?」

「・・・・・おっしゃるとおりです」

 

 にこり、と笑みを浮かべるジャンヌに震えるしかない。

 無論、ジャンヌみたいな美少女の微笑みに恐怖を感じる要素など本来なら皆無だ。

 俺だって平時であれば見惚れていたことだろう。だが、それは無理だ。不可能というものである。

 だって彼女の背後には、竜の魔女もびっくりな真っ黒い魔力<オーラ>が立ち上っているのだから。

 

・・・・・一応、聖職者のはずなんだけど。

 

 神に仕える身でその黒さは如何なものか。

 だいたいなんだ、黒色の魔力って。聖杯の泥か。この世全ての悪か。

 あまりの重圧に耐えきれず現実逃避気味にそんなことを考える。

 だが現実は非情なもので、目の前の少女は既に鎧を纏い、手にする聖旗に光を集わせていて--って。

 

「待て待て待て待て! そんなものをここでぶっ放す気か!? 下手しなくとも部屋が吹き飛ぶぞ!」

「大丈夫。私とて加減の仕方は心得ています。--きっちりと、貴方にだけ当てますから」

 

 そういう問題ではないと、声を大にして言いたい。

 だが、もはや聞く耳持たぬと魔力を滾らせるジャンヌにはいかなる言葉も意味を成さない。暖簾に腕押し、馬の耳に念仏である。

 というか、こっちはまだ先の戦闘で受けた傷が癒えていないのだが。

 死ぬ。あんなの喰らったら間違いなく死んでしまう。確信できる。

 だって、さっきから手招きしているトラとブルマが見えているんだもの--!

 

「では--覚悟はよろしいですね」

「できてない! そんな覚悟できてない!分かった、俺が悪かった、謝るから--」

「問答無用」

 

 振り下ろされる威光。

 神罰の如き輝きに対し、どうやら俺には抵抗する術が無いらしい。

 もはや万策尽きたと、一秒先の激痛に歯を食いしばり、

 

「すまないが、そこまでにしてくれないか、聖女よ」

 

 光が弾ける直前、玄関から紡がれた男の声が静止をかけた。

 意表を突かれ二人揃って声の方を見やる。

 褐色の肌に灰色の長髪、端正な顔立ちをした190cmはあろう長身の男だ。胸元が大きく開いた鎧を纏い、身の丈近くもある大剣を背負っている。

 尋常の存在ではない。議論の余地もなく、サーヴァントだろう。

 そう考えている内に男は歩を進め、二人の間に割って入ってきた。

 

「この部屋はここの主人の厚意で借り受けた場所だ。それを無下にする様な真似はやめてもらいたい。それに、彼も傷ついている。これ以上の負荷をかけるのは危険だろう」

「・・・・・そうですね。私も少し度が過ぎたようです。すみませんでした、セイバー」

「いや。分かってくれたのであればそれで構わない」

 

 男の冷静な言葉で我に返ったらしく、ジャンヌは収束させた魔力を霧散させ武装を解除した。

 それを見て胸をなで下ろす。

 仮にジャンヌが止まらず、あの魔力を叩き込まれていたら。

 その時は間違いなく、妙に既視感のある道場に送られていたことだろう。

 

「助かったよ。えっと、セイバー、でいいのか?」

「ああ。召喚の招きに従い参上した、サーヴァント・セイバーだ。今は縁あってこの街を守護している」

 

 その容姿に相応しく、いかにも騎士然とした男はそう名乗った。

 剣の英霊<セイバー>。

 サーヴァントに与えられる七クラス中、最優と称されるのがこのクラスだ。

 剣使い・剣にまつわる逸話を有するのはもとより、選ばれるには一定以上のステータスを保有している必要がある。

 以前の世界においては、過去五回繰り返された聖杯戦争で唯一度の例外もなく、セイバークラスは最後の一騎まで残っている。

 目の前の彼もそうしたサーヴァント達に負けず劣らず、並の英霊を凌駕した大英雄なのだと、一目で理解できた。

 

「それなら、改めてお礼を言っておかないと。ラ・シャリテに宝具を撃ったのはアンタだろ? お陰でなんとか逃げおおせることができた」

 

 彼が背に背負う大剣。

 それに秘められた神秘が、竜の魔女達を撃ち抜いた魔力と同質であることは一目見た時点で気づいていた。

 ならばその担い手である彼は、まさに命の恩人だ。礼など、それこそ言葉では言い尽くせないだけの恩義がある。

 

「いや。俺はそちらの策に乗っただけだ。感謝なら、仲間達に告げるといい」

 

 けれど、彼はそれを受け取ろうとはしなかった。

 恐らくは、高潔な人物なのだろう。騎士として、英雄としてあの程度の事は当然の義務であり、そこに返礼を求める意思はない、と。

 まさに英雄と呼ぶに相応しい在り方。それは、かつての“剣”を想起させて--

 

「--そうか。なら、ここからは未来<これから>について話そう」

 

 感謝は必要ないと、彼がそう言うのなら、さらに言葉を重ねる事はしない。

 思考を切り替え、今はただ遍く世界を救うために行動しよう。

 

「今回は済し崩し的に協力してもらったが、私はまだそちらの条件を満たしていない。実際に契約するのはライダーの判断次第、ということで構わないか?」

「ああ。彼の人を見る目は本物だ。彼が貴方達を助けると言えば、俺も全力で協力しよう」

 

 不測の事態こそあったが、状況はドクター・ロマンから伝えられた時と何ら変わらない。

 士郎は自らの在り方を包み隠さず示し、彼らはその是非を判断する。全てはそこからだ。

 

「もっとも、答えはもう決まっているだろうが」

「え・・・・・?」

 

 セイバーのつぶやきは、おかしなものだ。

 士郎はまだ、例のライダーとほとんど会話していない。助けられた時に二言三言、話しただけだ。

 それも別段、お互いに特別なことを言ったわけではない。

 何らかのスキルや宝具、或いは魔術を使用したならともかく、たったそれだけの事で他者の性質を推し量ったとも考えづらい。

 ならば、彼の発言はいったい--

 

「たっだいまー!」

 

 そんな思考を一息で吹き飛ばすような、溌剌とした声が通る。

 なんとも場違いな、それでいてそんな事は関係ないと言わんばかりの明朗さだった。

 士郎にとっても、聞き覚えのある声だ。

 ラ・シャリテからの撤退の際、空から現れ士郎を救った人物、ライダー。

 勢いよく扉を開いて入ってきた彼は、勢いそのままにセイバーに話しかける。

 ラ・シャリテの人々の様子や、街の状況、或いは今日の天気。その内容は玉石混交、重要な情報もあり益体のない話題もある。

 ただ思いついたまま、気分のままに彼は言葉を連ねている。

 

「・・・・・ライダー。あまり騒いでは他の宿泊客に迷惑がかかる」

「ごめんごめん。次からは気をつけるよ」

 

 少し度が過ぎると、セイバーから竦められる。

 しかし、彼は出会った時と同じように気楽なまま言葉を返す。

 諫言を流しているわけではなく、気負うことのない彼の性質がそのように捉えさせているのだ。

 セイバーも彼の性格を既に把握しているのか、それ以上に咎めることはなかった。

 

「それよりも、彼らのことはもう決まったのか?」

「へ? 決まったって、なにが?」

 

 気分を切り替え本題へと移るセイバーだが、ライダーはその意図をまるで理解できていないようだった。

 彼らが、提示した条件を何の相談もなしに決めるはずもない。間違いなくライダーもこの話は了解しているはずだ。

 にもかかわらず、彼の表情はまさに寝耳に水といった様子だ。

 

・・・・・忘れてるわけじゃない、よな・・・・・?

 

 竜の魔女を打倒すべく、その一歩ともなる重要な契機を忘却するなんて、そんな馬鹿なことがあるのか。

 そもそも彼は、その契約のためにラ・シャリテに向かっていたわけで。

 何日も前の会話ならともかく、ほんの数時間ほど前の出来事を忘れるなんてありえないだろう。というか、そうであって欲しい。

 

「彼らとの契約について、見極めるという話だっただろう」

「ああ! そういえばそんな話だったね。いやー、すっかり忘れてたよ」

 

 そんな士郎の切願も虚しく、やはりライダーは何もかも忘れていたのだった。

 言われて気づく分にはいいのだが、こうも綺麗さっぱり忘れているといっそ清々しい。

 

「・・・・・本当に大丈夫なんでしょうか、先輩」

「・・・・・まあ、思い出してくれたみたいだし大丈夫だろう・・・・・多分」

 

 大いに不安ではあるが、彼の力の一端を既に士郎は見ている。

 対軍宝具が迫る中、巻き込まれる一瞬の間隙を縫って対象を救出した手際は見事と言うほかなく。

 味方に殺されるかもしれないという恐怖を微塵も感じさせない様は、彼もまた偉大な英雄なのだと理解するには十分だった。

 士郎たちがライダーを拒む理由はなく、後は彼が頷けばそれで万事解決だ。

 とはいえ、こればかりは判断を待つしかない。

 

「それで。どうするんだ?」

 

 セイバーが再度の問いを発する。

 ライダーが話の内容を理解した以上、もはや後戻りはできない。彼の気分次第で全てが決まる。

 言葉一つでも違えれば人理が崩壊する、それぐらいの気概で望まねばならない状況だ。

 故に士郎は、如何なる問いかけにも答えられるように、考えうる限りの状況を想定し--

 

「そんなの決まってるだろ。--味方だ。誰が何と言おうと、ボクは彼らの味方だ」

 

 そんな士郎の緊張など御構い無しに、僅かな逡巡も見せずその力を奮うとライダーは断言した。

 

「え・・・・・?」

 

 思いもよらぬ即答に、背後で様子を見守っていたマシュが間の抜けた声を漏らす。

 ジャンヌもまた驚いた様子を見せており、顔には出さないけどその気持ちは士郎も同じ、三人が三人ともライダーの答えに戸惑いを隠せない。

 唯一の例外はライダーの隣に佇んでいるセイバーで、彼だけはこの状況を予見していたように見える。

 

「あの、ライダーさん、本当に、いいのですか? もう少しお考えになったほうがいいのでは・・・・・」

 

 あまりの即決ぶりに、マシュが思わず熟考を促す。

 戦力の増強は必要だが、それでもなんの考えもなしに決めていいモノではない、彼女の考えはそんなところだろう。

 それに対しライダーは少し不満げな表情で言葉を返した。

 

「失礼な。確かにボクは()()()()()してるけど、だからって馬鹿なわけじゃないさ」

 

 気になる言葉があったが、全くもって彼の言う通り、初対面の人物に対しいささか礼に欠ける発言ではあった。

 とはいえ、今みたいに何の理由も話さず全幅の信頼を寄せられても、それはそれで対応に困るというものだ。

 

「こちらの浅慮は謝罪する。しかし、君が何を以って私達に協力してくれるのか、その根拠を明かしてくれないか?」

 

 これは、あくまで交渉だ。

 士郎たちが彼らにとって信頼するに値する人間か、それを見極めるための場。

 それは同時に、士郎側が二騎のサーヴァントの性質を把握するための場でもある。

 ただ状況の解決のために一時的な協力関係を結ぶだけならそれでも構わないが、マスターとサーヴァントの関係はそれほど簡単なものでもない。

 彼らが何を信じるのか。何を守るためにその生涯をかけたのか。

 お互いがお互いの在り方や信念を理解し尊重せねばならず、それを放置したままただ共闘するのでは、いずれ空中分解を起こしかねない。

 マスターが、そしてサーヴァントが互いを裏切り悲惨な結末に至る、そんな事態は絶対に避けなくてはならない。

 故に、この場で彼らの真意を理解することは、士郎にとって絶対に欠かせない必須事項だ。

 それを受けてライダーは、そういうことか、と一つの納得を得て--

 

「だってキミたちは、街のみんなを守るために命がけで戦ってくれただろ。留守にしていたボクの代わりにみんなを救ってくれた。なら、ボクはキミたちの味方だ」

 

 まるで気負うことなく、その胸の内を告げたのだった。

 

「そんなことでいいのか・・・・・?」

「もちろん! そもそも、僕には難しい理由は必要ないしね!」

 

 気軽に言ってのけるライダーに、問いかけた士郎自身が誰よりも困惑していた。

 当然だ。士郎にとって、あの場で人々を守る事は当然の行為だった。

 力を持った人間が、出来ることをやっただけだ。仮に他の誰かが同じだけの力を有していれば、その人物も同様の行動に出ただろう。

 何を誇るでもない、他者に賞賛されるものでもない。

 その程度のことで歴史に名だたる英雄のお眼鏡に適うとは到底、考えられなかった。

 しかし、それはあくまで士郎の所感であり--ライダー、そしてセイバーにとっては決して無視すべき事ではなかった。

 

「確かに、力を持つ者が力を持たない者を救うのは一つの道理だろう。だが同時に、危機的状況において自らの身を最優先に守ることも人として当然の行動だ。敵が強大であればなおさらだ」

 

 セイバーの言い分で考えれば、大抵の人間は自己の保存を優先するだろう。

 本来、誰かを助けるという事は、自己に余裕を持てるからこそ為せる行為だ。後にも先にも、自身のリスクが低いことを前提としている。

 それは決して非難されるものでもなく、人として真っ当な思考だろう。誰だって、我が身が可愛いものだ。

 故にこそ、士郎がとった行動は、少なくとも彼らの目には好意的に映った。

 

「それでも、俺がやったのは普通のことだよ」

 

 無論、全ての人間がそういった思考になるかと言われれば、答えは否だろう。

 善良な、一般的な人間ほど困っている誰かを手助けしたくなるのが人情だ。

 特に珍しくもない、普通の事。

 それ故に。士郎は当然の事をしただけなのに、と困惑し--

 

「ああ普通の事だ。--そんな普通の事を当たり前のようにできた貴方だからこそ、我らの剣を預けたい」

 

 士郎の疑問に、ほんの少し微笑みながらセイバーは返答した。

 彼は言う。

 普通の事を当たり前に選択する。助けを求める人間に救いの手を差し伸べる。

 一見、矛盾に見えるこの事柄を成立させることが、何より難しいのだと。

 

「----」

 

 僅かに、士郎が口を噤む。

 一点の曇りもない二騎のサーヴァントの言葉は、士郎の心を揺さぶるには十分すぎる威力を有していた。

 目を見開き驚愕の表情を浮かべる彼は、まるで忘却したナニカを目の当たりにしたかのようで--

 

「無論、そちらが我々を必要としてくれていれば、の話だが・・・・・」

 

 士郎の沈黙を彼の不満によるものかと思ったのか、セイバーは少し遅れてそう付け加えた。

 それでようやく自分の状態を自覚したのか、士郎は慌てて取り繕った。

 

「いや、それはこっちから頼みたいことだ。セイバー達さえ良ければ力を貸して欲しい」

「そうか。いや、よもや余計な事をしているのかと心配だったが、杞憂でよかった」

 

 セイバーはそう言うが、余計な世話であるはずがない。

 士郎が一矢報いることすら困難を極めた巨竜と三騎のサーヴァントを、ただ一撃で瀕死に追い込むだけの力を彼は有している。

 それが不要であると、言えるわけがない。

 それはセイバーも察せそうなものだが、それを抑えての発言とすれば、存外にこのサーヴァントは謙虚な性格であるようだった。

 様々な英霊達の中で、最初に出会ったのがこの人当たりのいい二騎のサーヴァントであったことは僥倖と言えるだろう。

 そんなことを考えながら、背後の二人に振り返る。

 マシュは首肯し、ジャンヌはその視線を以って返答とし、二人の英雄との共闘に賛同を示した。

 それを最終確認として、士郎は正面を見据える。

 

「ライダー、セイバー、改めて頼む--俺たちに、力を貸してくれ」

 

 飾ることのない士郎の言葉に、果たして二騎のサーヴァントは、僅かな逡巡もなく返答した。

 

「無論だ。この身は全霊を以って貴方の剣となろう」

「さっきも言ったけど、ボクはキミたちを助けるって決めてるから、安心して泥舟に乗ったつもりでいてくれ!」

 

 変わらず騎士然としたセイバー。まるで頼りない言葉でその胸を張るライダー。

 両者は正反対の態度で、しかして同じ意思を告げたのだった。

 

「--ありがとう。ふたりとも、これからよろしく頼む」

 

 二騎の信頼を受けて自然、士郎は感謝を告げていた。まるで飾り気のない、あまりに朴訥な言葉だった。

 伝説の英雄にかけるべき言葉としては似つかわしいものではない。

 されど、それが好ましい、と言うように、彼らはその顔を綻ばせた。

 

 

 

 

 マシュ・キリエライトは二騎のサーヴァントとの契約成立を見届け、ほ、と息を漏らした。

 何しろこの契約の是非は、フランス特異点を修復する大きな分岐だ。仮に彼らが彼女のマスターを拒絶したならば、それだけで作戦の成功率は大きく低下しただろう。

 しかしそんな事態が訪れることはなく、二騎のサーヴァントは信頼を以ってこの契約に応えた。

 彼女が安堵の息を漏らすのも当然と言えた。

 後は少しずつ聖杯確保への道を切り拓いていくだけ。きっと、作戦は成功するだろう。

 そんな楽観を彼女は抱いていて--

 

「マシュ、顔色が優れないようですが、何かありましたか」

「え・・・・・?」

 

 すぐ隣にいるジャンヌからかけられた言葉に、少女は間の抜けた声を上げていた。

 突然、話しかけられたから、ではない。自分が怪訝に思われるほどの表情をしている、という事実に驚きを隠せなかったからだ。

 

「そんなに、可笑しな顔をしていましたか・・・・・?」

「可笑しい、というよりは、何か思いつめているように見えましたが・・・・・気付いていなかったのですか?」

 

 問われて、自身の頬を撫ぜる。

 なるほど確かに、自分の表情筋は平時のそれではなく、それが良い表情でないことは明白だった。

 

「・・・・・無自覚でした」

 

 そう、無自覚だ。

 彼女はその事実を指摘されるまで、なんの変化も不調も感じていなかったのだ。それどころか、新たな協力者を得て、少なからず喜びを感じていた。

 だというのに、今しがた彼らの間で行われたやりとりが、どうしてこんなにも胸を掻き乱すのか。

 

「--大丈夫です。何の問題もありませんから」

「それなら、いいのですが・・・・・」

 

 努めて平静に、ジャンヌの心配を杞憂だと告げる。

 事実として、マシュに身体的な異常は存在しない。

 これは飽くまで心の話であり、それ以上に、彼女にはこの違和感の出所が分からない。そして正体の掴めない悩みを他者に相談するという思考をこの少女は持ち合わせていなかった。

 

「二人とも、どうかしたのか?」

 

 声に反応し、視線を向ける。

 マシュ達の様子を気にかけた士郎が、いつも通りの仏頂面で振り返っていた。

 

「いえ、少しジャンヌさんとお話ししていただけですか」

 

 マシュの返答に隣にいたジャンヌが何か言いたげだったが、実際に口に出すことはなかった。

 士郎も多少その様子を訝しんだが、特段気にすることではないと判断した。

 

「それより、何かご用でしょうか?」

「ああ。今からカルデアとの通信も交えてセイバー達とこれからの話をしようと思ってな。話してるところを邪魔して悪いけど、二人とも参加してくれるか」

 

 そう言って視線を向けた先では既にカルデアとの通信が開かれており、ドクター・ロマンが二騎のサーヴァントに事前の紹介をしているようだった。・・・・・なにやら項垂れている表情のドクターと無邪気そのものといった笑顔を浮かべるライダーが気になるが。

 

「分かりました。ジャンヌさん、わたしたちも行きましょう」

「・・・・・ええ」

 

 平時と変わない態度のマシュに、少なからず違和感を感じるジャンヌ。

 されど、それを深く追求しているような時間は彼女にはなく。

 

--竜の咆哮は、未だ鳴り止まないのだから。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 士郎と二騎のサーヴァントが協力を約束した直後、彼らは部屋の卓を囲みそれぞれに向き合っていた。

 

「早速、これからついて話し合いたいんだけど・・・・・いいか、ドクター?」

『こっちも準備はできてる。始めてくれ、士郎くん』

 

 ドクター・ロマンからの確認を取った士郎が一度全員を見回した後、問題ないと判断し話し始める。

 

「それじゃ始めさせてもらう。先ずは先刻対峙した竜の魔女とその戦力の確認をしたい。ドクター、データを」

『了解だ。--いま画面に映っているのがさっき士郎くんが戦った竜の魔女達だ』

 

 空中に投影されるのは竜の魔女とその一行のさまざまなデータ。

 彼女らの容姿、武装、宝具、観測された魔力値。衛宮士郎が相対してからカルデアで分析を続けることで得られた情報だ。

 

「これが、もう一人のジャンヌ・ダルク(わたし)・・・・・」

 

 データ上に記録された竜の魔女を見たジャンヌは複雑な表情を浮かべる。

 自身と同じ顔、同じ肉体を持つ別人が自身とは正反対の振る舞いをしている、それを見た彼女は如何なる心境か。

 少なくとも心中穏やかでないことは確かだろう。

 

『君が竜の魔女を見るのはこれが初めてになるけど。どうだろう、何か感じることはあるかい』

「--いえ、直接言葉を交わした訳でもありませんから。やはり、実際に会ってみるまではなんとも言えません」

『確かに、それもそうだね・・・・・』

 

 ロマンがなんらかの情報を期待してジャンヌに問いかけるが、彼女にも分かる事は無かったようだ。

 所詮、映像上の記録でしかないため無理からぬことだろう。

 

「黒いジャンヌは勿論だけど、まずあのランサーを倒さないとこっちが不利になる」

 

 そう言って士郎はランサーのデータを拡大させる。

 

「純粋な戦闘力もそうだが、一番厄介なのは彼の戦闘スタイルだ」

 

 先の戦闘において士郎が最も苦心したのはこのランサーだ。

 攻防一体の杭の宝具、明らかに戦慣れした戦術、近距離戦においても一定の戦闘技術を有している。

 しかし、これら一つ一つであればそれほど脅威ではない。ランサーが真に難敵と言えるのはそれらが一体となった結果だ。

 

「彼との戦いは個人を相手にしているというより、一つの軍勢を相手取っているようだった」

 

 膨大な物量が優れた指揮者によって正確に繰られ、相手を陥れるべく敵を誘導させる動きを見せるなど、攻防一体という一言で済ませられないほどの柔軟さを発揮していた。

 

「ホントめちゃくちゃな動きするよね、彼の宝具。前にバーサーカーを捕まえた時も凄かったし」

 

 ライダーが士郎の意見に賛同するかのように、ランサーの宝具を評する。その隣にいたセイバーも同じ意見だというように頷きを見せる。

 しかし、そこに混ざるおかしな言葉を耳聡く聞き取ったマシュは彼に疑問を投げかけた。

 

「あの、ライダーさん。“前”というのはいつのことなのでしょうか? それにいま、バーサーカーって・・・・・」

「あれ、言ってなかったっけ? 実はボクとそこのセイバーは前に召喚された時にこのランサーと会ってるんだ」

「ちょっと待った。まさか前回の召喚の記録が残ってるのか・・・・・?」

 

 なんでもない事のように言い放つライダーに対し、士郎は信じられないとでも言うような表情を浮かべる。

 サーヴァントとは英霊の座に存在する英霊をダウンサイジングした写し身でしかない。

 彼らが保有する記憶は生前に経験したものしかなく、仮にこことは違うどこかの並行世界で彼らが召喚されていたとしても、そこでの記憶は座に還ればただの“記録”になり再び別の場所で召喚されればその記録を保持していることすらない。

 彼らにとって、召喚時の経験や記憶とは実感のない一つの物語のようなものなのだ。人類が存続する限り永劫存在し続ける彼らがふと微睡んだ時に見る泡沫の夢。

 だからこそ、ライダーの発言は異常というほかないのだ。

 

「確かに、特殊な事例はあるのかもしれないけど・・・・・」

「その時の召喚は俺たちにとっても特殊なものだったんだ。その分、座に還元された影響も大きかった」

 

 困惑する士郎に、ライダーに変わってセイバーが答えた。

 サーヴァントの記憶は座に還ればただの記録になる。それは一つの真実だ。

 座に存在する英霊本体が経験した事象でない以上、それは彼らにとって単なる情報でしかない。

 

--だが、もしも。

 

 もしも仮に、その時の経験がサーヴァントのみならず英霊そのものに大きな衝撃を与えるものであったなら?

 一つの音楽や絵画が多くの人々の人生を変えられるように--唯一つの物語が未来永劫存在し続ける事もあるのだろう。

 

『特異点というのは一種の異空間。通常の時間軸からは逸脱した、何処にも属さない世界だ。ある意味で英霊の座に近しいと言ってもいい。ここでなら普通は起こりえない英霊の記録や記憶の持ち込みが可能なのかもしれない』

「どちらにせよこれはまたとない幸運だ。もし本当に覚えているなら、あのランサーの真名を教えてくれないか」

 

 サーヴァントやそのマスターは余程の例外でない限り、その真名を隠し通そうとし、また相手のソレを探る。

 それは真名の判明が対サーヴァント戦において大きな強みとなるからだ。

 真名が判れば過去の歴史から能力や宝具の解明だけでなく、彼らの弱点や死因も判明する。

 そうなれば真名を知られたサーヴァントは不利な戦いを強いられる。初めから手の内を知られるというのだから彼らにとっては致命的だ。

 本来なら予測と敵宝具の発動を待つことでしか真名の開示には至らないが、彼らがすでに知っていると言うのなら話は早い。

 

「こちらの記録に間違いがないのであれば、彼のランサーはワラキア公--ヴラド三世だ」

 

 セイバーより告げられた真名に士郎は、やはりか、と納得を得る。

 件のサーヴァントには当初より目を引く特徴があった。それらを総合的に判断して、最も近しい英霊は一人しかいないだろうと予測していた。

 そして今、セイバーの言葉によってその予想は断定へと変わった。

 

『しかし、ルーマニアが誇る護国の英雄とは。これまたなかなかの大物が召喚されているようだね』

 

 ワラキア公国の公王、ヴラド三世。

 前ワラキア公にして父であるヴラド二世の次男として生まれた彼は、貴族諸侯の権力が強力であったかつてにおいて、恐怖政治をもってこれを統治し中央集権を推し進めた人物。

 ワラキア公国の流れを汲むルーマニアで彼の名を知らぬ者はいない。何故ならば、ダ・ヴィンチの言う通り彼はルーマニアにおいては故国を侵略者の手から護る為に戦った護国の英雄だからだ。

 殊更、1462年に起きた侵略国家オスマントルコとの戦いは、彼の名を後世に大きく残す一因となった。

 とあるトルコ人の遊牧民部族長が率いた軍事集団が起源とされるオスマントルコだが、その出自に違わず強力な武力で諸外国を次々と侵略していった。その勢いはとどまることを知らず、1460年にはギリシャ全土を領地としていた。

 この時、オスマントルコを治めていたのはメフメト二世。三重城壁によって当時最も堅牢な守りを誇ったコンスタンティノープル--後のイスタンブール--を陥落せしめた人物だ。

 その勇猛さ、豪傑さは幾たびの侵略を繰り返したオスマントルコにおいて尚、“征服者”と呼ばれ恐れられた。

 その後、彼はワラキア公国に侵攻の手を伸ばし、十五万の軍勢を以ってこれを攻めた。

 対するワラキア軍はたったの一万。実に十五倍の戦力差である。

 

--結果は火を見るより明らか。

 

 恐らく、当時の人々は誰もがそう思っただろう。

 オスマントルコは判り切った結末に楽観し、ワラキア軍は覆し難い戦力差に絶望しただろう。

 

-ーただ、ヴラド三世だけが、それを由とはしなかった。

 

 圧倒的な物量に対し、彼は徹底したゲリラ戦法と焦土作戦を仕掛け、オスマントルコ側の戦力・物資を削っていった。

 敵が近い村があれば住民や家畜を避難させた上で火を放ち、井戸があれば毒を投じ、手薄になった補給基地があれば徹底的に破壊し尽くし、森があればこれを焼いて禿山にし現地での食料調達を封じる。大軍勢による火力戦を主な戦術としていたオスマントルコにとって物資の損失は大きな打撃だった。

 しかしこの程度はまだ序の口に過ぎず、苛烈極まるヴラド三世の戦術・戦略は時に非道なものでもあった。

 彼は自国領内からペストや結核、梅毒といった当時においては不治の病を患った者を掻き集め、これを敵陣に夜間突撃させた。人間が持つ病への根源的な恐怖はトルコ軍の士気を大きく下げ、ペストに至っては実際にトルコ軍内で感染し広まった。

 ヴラド三世の策はオスマントルコを確かに疲弊させたのだ。

 

--それでも彼らの戦力は強大であった。

 

 この戦いはオスマントルコにとっては異教徒を殲滅する聖戦という側面を持っていた事も、彼らの闘志を保つ要因だったはずだ。或いは、単なる勢力争いであればこの時点でワラキア側は勝利を収めていたかもしれない。

 軍全体の士気はどん底とも言えるものだったが、メフメト二世は進軍を命じ続けた。

 実際のところ、この時点でワラキア南部の主要都市はほぼ全てが陥落させられており、残すは首都のみであった。

 ここまで漕ぎ着ければ鉄壁のコンスタンティノープルを落とした彼らには造作もないことだっただろう。

 

--相手がヴラド三世でなければ。

 

 首都に到着したメフメト二世らは、程なくしてその門が開け放たれている事に気付いた。

 予想に反した無血開城に彼らは歓声をあげた筈だ。

 そうして彼らは喜び勇んで入場し--決して忘れることのできない地獄を見た。

 

--大地に居並ぶ無数の杭。串刺された二万のトルコ軍捕虜が、その屍を晒していた。

 

 当時これを見てしまった人間の中に、平静を保てた者はいなかっただろう。

 数えることも馬鹿馬鹿しい無数の串刺し死体は視界に収めた者の精神を恐怖で染め上げ、周囲に満ちた腐臭はそれだけで吐き気を催す。

 死体から聞こえるはずのない絶叫さえ、幻聴として彼らの脳髄に響いたかもしれない。

 当時の誰もが考えなかっただろう。首都に辿り着いたことこそが彼の策略であったと。

 

『上げてから叩き落とすっていうのは心身ともに最も応えることの一つだ。疲弊したオスマントルコの精神を折るには十分な策だっただろうさ』

 

 まさに天国から地獄への急転直下。

 強大な戦力を前にヴラド三世が取った戦略は敵軍の戦意喪失だった。

 その余りの惨状は、どんな敵にも恐れを抱かなかったメフメト二世でさえ戦慄させた。

 二万人の人間をただ見せしめにするために串刺しにするという思考、それを実行に移す悪魔<ドラクル>の如き所業をただただ恐れたのだ。

 この一件で直接ワラキア公国を攻略することは不可能と判断したメフメト二世は全軍を引き上げさせ、自身の領地へと撤退した。

 

『最終的にはワラキア公国もオスマントルコに支配されるが、それは政治的な奸計によるもので、メフメト二世自身はこれっきりワラキアに足を踏み入れることはなかった』

 

 その後の彼は裏切りによる領主からの追い落とし、謂れのない罪による12年間もの幽閉、民衆からの人心の喪失など、およそ護国の英雄とは思えぬほどの仕打ちを受け零落していった。

 そして1476年、様々な苦難を乗り越え再び公位に着いたヴラド三世だったが、現在のヴカレストで起きたオスマントルコとの戦いで戦死する。

 生涯において10万人以上の人間を串刺し刑に処した彼の冷酷さは死後も人々の心に恐怖を刻みつけ、その存在は一つの名と共に現在に至るまで残り続けている。

 

--即ち、串刺し公<カズィクル・ベイ>

 

『でも、それだけならば彼の存在は世界中に広まることはなかった。小国の英雄として故国の人々が胸にとどめる程度だっただろう』

 

 ヴラド三世はあくまで現実に根ざした英雄であり、神話や伝説の登場人物(キャラクター)ではない。

 存在強度という点においては実在の不確かな英雄を遥かに凌ぐが、向けられる信仰においてはその限りではない。

 人間の世界において、個人が成す偉業は時代を経るごとに重みを失くしていく。

 ヴラド三世が生きたのは中世のヨーロッパで個人の名も現代に比べればまだ残りやすい時代ではあったが、如何せん彼の所業は規模が小さかった。

 当然ながら、世界にその名を轟かせるほどの衝撃はない。

 

「では何故、彼の存在は世界中に認知されるようになったのですか?」

『ああ、君は召喚に不備があったからその辺りの知識が備わっていないんだね』

 

 ヴラド三世という英雄が抱える矛盾に対し、疑問の声をあげたのはジャンヌ。

 詳細は不明だが、彼女の召喚は完璧ではなかった。ルーラーとしての特権の欠如、聖杯からの予備知識の不受など。

 そのため、彼女は多くの英霊についての知識を有していないのだ。

 

「ジャンヌさん、それについてはわたしがご説明します」

 

 ダ・ヴィンチに変わって、マシュが説明役を買って出た。

 

「彼が現在に至るまで多くの人々に知られているのは、ある一人の小説家が原因なんです」

 

 ブラム・ストーカー。本名エイブラハム・ストーカーは19世紀に生きたアイルランド人の小説家である。

 学生の頃から演劇などに強い関心を抱き、新聞や雑誌に劇評を投稿し、時には小説を執筆するほどの教養を有していた。

 殊更、怪奇物語は彼が最も好む所の一つだった。

 彼は43歳の頃、とある図書館で『ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語』という一つの歴史書を手に取り、その中で一人の人物を知った。

 ワラキア公、ヴラド三世である。

 以前より、トランシルヴァニア地方に伝わる吸血鬼伝説に強い関心を抱いていた彼は、ヴラド公の串刺し系の伝承より着想を得て新たな小説を執筆した。

 そうして生まれたのが一つの怪物。闇夜を統べ、美女の血を啜り、太陽光や神に由来する品を忌避する新たな吸血鬼<ヴァンパイア>。

 後世に生み出された多くの怪物の源流となったモノ--それこそがドラキュラ伯爵である。

 

「ブラム・ストーカーは小説の執筆にあたり、モデルとしたトランシルヴァニアの生活や文化、民族伝承まで事細かに調べました。それが現地に実在した吸血鬼伝説と相まって物語にリアリティを与え、人々に強い恐怖を覚えさせたようです」

 

 その後、この物語は演劇や映画など様々な媒体で人々に伝わり、多くの国に広まった。

 ドラキュラ伯爵の名は物語が広がるごとにその強度を増し、遂には吸血鬼という概念そのもの表すほどの印象を植え付けた。

 

『しかしブラム・ストーカーが成功した一方で、モデルとなったヴラド公は自身とは全く関係ないおぞましい怪物の側面を付与されてしまった。恐らく、サーヴァントである彼にも吸血鬼に関する何らかの能力が備わっているだろうね』

 

 英霊とは、人々の信仰によって成立する。ここでの信仰とは額面通りの意味でなく、知名度という意味も持っている。

 そのため事実とは異なる事柄でも、人々がそれを強く広く信じていれば英雄の一側面として英霊の座に登録されうるのだ。

 

「・・・・・なるほど。つまり彼自身の名声は大きく変わらず、生前の行いが全く関係のない事柄に結び付けられた結果、彼の存在は怪物として世界中に広まったということですか」

「端的に言えば、そういうことになります」

「・・・・・それは、辛いことですね」

 

 生前のヴラド公が行なった多くの戦いも政治も、全ては自らの国を領主として護り安定させるためのものだった。どれ程の畏怖、恐怖を向けられようと、そこにあるのはただ祖国への愛であったはずだ。

 だというのに、彼は自身の全くあずかり知らぬところで脚色され怪物に貶められている。それはきっと、到底許容できるものではないだろう。

 かつて誰かの為にあった行動を全く違う形で貶される、ジャンヌにはそれが少し悲しくあった。

 

「ランサーに対して思うところがあるのはわかるけど、どうあれ今は人類史の敵で無視出来ない障害だ。彼と戦えば加減や雑念んを抱えている暇はないぞ」

「・・・・・無論、分かっています。もし彼と相対したとしても、私は決して手を抜いたりしませんよ、シロウ」

「なら話を戻そう。ランサー--ヴラド三世に関する情報は現時点でこれが全てだ。まだ彼が使用していないスキルや宝具に関しては、実際にこの目で見ない事には判断のしようがない。彼と一緒にいたアサシンのサーヴァントも手の内をほとんど晒していないのがイタイな」

 

 さほど長い時間ではなかったにしろ、人類唯一の生命線とも言える士郎の命を担保にした戦闘にしては、得られた情報は決して多いとはいえない。

 

「ですが、敵性サーヴァントが全力を出していなかったからこそ先輩が生還できたと考えれば、これは非常に幸運な事ではないでしょうか」

『マシュの言う通りだ。僅かとはいえ、誰の犠牲もなく敵の情報を得られたのは大きい』

「・・・・・ああ。確かに、今は判る範囲の事に意識を向けなきゃな」

 

 ドクター・ロマンとマシュの言葉を聞き、士郎は後ろ向きな思考を早々に放棄した。

 自身が生還できたことに代わりはなく、その上で得るものは確かにあった。反省を次に活かす事はあっても、己の情けなさを嘆いている暇など微塵もないだから。

 

「ランサー、アサシンは置いておくとして、やはり目下最大の障害はあの巨竜でしょうか」

『ホント、凄まじいの一言に尽きるね。仮にサーヴァントのステータスに当てはめるなら軒並みAランク以上の能力値を叩き出してると思うよ。特に魔力量に関しては流石の竜種だ。実質無限なんじゃない、コレ』

 

 ロマンの背後から顔を見せるダ・ヴィンチが感心半分呆れ半分といった様子で、巨竜の力を評する。

 サーヴァントの基礎ステータスは筋力・耐久・俊敏・魔力・幸運・宝具の六つから構成されており、Bランク以上の能力を複数有していれば高水準と言える。

 それを踏まえれば先の竜がいかに強大かは語るまでもない。

 加えて竜種はその生命そのものが魔力の塊だ。

 彼らは呼吸をするだけで膨大な魔力を生成できる。生存していればそれだけで魔力が尽きることはないのだから、ダ・ヴィンチの無限という言葉もあながち間違いではない。

 

「正直、まともに戦って勝てる相手じゃない。魔力もそうだけど、甲殻の硬度が明らかに異常だった。最低でもAランク以上の攻撃でないと傷を与えられる気がしない」

 

 実際に対決し、その力を経験した士郎が補足する。

 彼が先の戦闘においてこの竜に与えたダメージはほぼ皆無と言っていい。なにせ斬撃にしろ魔力の暴発にしろ、その甲殻に触れた瞬間弾かれたのだ。

 一見、無敵にも思える竜の甲殻だが--その一方で、一つだけ致命傷を与えた存在がある。

 

「あの竜にまともなダメージを与えたのはセイバーの宝具だけだ。だから確認させてほしい。セイバーの宝具の能力を」

 

 難しく問いかける気はない。

 この場において衛宮士郎が求めるものはただ一つ。

 

「--その宝具は、竜殺しの剣じゃないか」

 

 士郎の言葉は字面では疑問形だが、実際には確信に近い。

 目の当たりにした巨竜へのダメージ。ラ・シャリテからの撤退時にライダーが言いかけて真名。さらに解析こそ意図的に止めたものの鞘越しでも感じる膨大な魔力。

 これらの情報から判断して、セイバーの宝具が竜殺しに類するものである事は容易に推察できた。

 最後に必要なのは、保有者からの肯定だった。

 

「--貴方の言う通りだ。俺の宝具には竜殺しの概念が宿っている」

 

 セイバーからの返答は力強く、士郎が期待した通りのものだった。

 

・・・・・魔力・身体共に万全とは程遠い。けど--

 

 与えられた情報<カード>を元に衛宮士郎は思考する。己が選択し得る最良の一手を。

 竜殺しのセイバー、串刺し公ヴラド三世、竜の魔女、黒い巨竜、戦闘による疲弊、直撃した宝具。

 

「一つ、提案がある」

 

 そうして結論する。

 この戦いを有利なものとし--或いは、決着をつけるための方法、それは、

 

『士郎君、すまないが会議は中断してくれ!』

「ドクター?」

 

 出かかった言葉は、切迫したロマンの声に遮られた。

 その様子は、少し前に士郎がラ・シャリテで聞いたものと同じで--

 

『無数のワイバーン及びスケルトンの侵攻を感知した。すぐに迎撃の準備を整えるんだ!』

 

 齎された凶報により、室内には一瞬にして緊張が走り、

 

「・・・・・先手を、打たれたか」

 

 ただ一人、衛宮士郎だけが苦虫を噛み潰したように、その顔を歪めた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ラ・シャリテの街は崩壊し、そのほとんどが瓦礫と化していた。

 生者の痕跡は一切が消え去り、侵略者への怨念を紡ぐが如く黒煙が空へと立ち上る。

 もはやかつての面影など欠片も残らず、ただただ死の残滓のみが燻る世界。

 その中に一つの集団があった。

 かつての街にも現在の廃墟にも馴染めぬ、しかし恐らくは何よりも相応しい者達であった。

 

「あの男・・・・・っ!」

 

 黒いジャンヌが払拭しようのない憤懣に、その拳を瓦礫に打ち付ける。ただの瓦礫がサーヴァントの膂力を正面から受け切れるはずもなく、盛大な音を立てて崩壊する。

 サーヴァント三騎と邪竜。たかが魔術師一人を殺すには過剰に過ぎる戦力を投じながら、みすみす相手を取り逃がしたのだ。

 どうしよもうなく、言い訳のしようもなく、完膚なきまでの敗北だった。

 ただでさえ腹立たしい相手に煮え湯を飲まされた。それがどれだけ彼女の怒りに拍車をかけたか、語るまでもないだろう。

 当然、瓦礫を吹き飛ばした程度で彼女の気が鎮まるわけもなく、その激情のままに手当たり次第八つ当たりをしてやろうと腕を振りかぶり--

 

「これはまた手酷くやられた様だな、マスター」

 

 怒り心頭の黒いジャンヌとはまるで正反対の落ち着き払った男の声に、彼女は明確に怒りの矛先を定めた。

 

「・・・・・ええ、真名も明かさないどこぞのサーヴァントがチンタラしてるからこっちは無用な被害を被ったわ」

「それはすまない。何しろこちらは君の竜程の速度はないのでな。猪突猛進なマスターに追いつくのは容易ではないのだよ」

 

 現れたのは黒いライトアーマーを纏った褐色の男

 黒いジャンヌはその男に対する不平不満を隠そうともせず、存分に毒を吐く。

 対して男は涼しい顔を崩さず皮肉すら返していく始末。

 ランサーも彼女に対して殺意を向ける程の嫌悪を抱いていたが、それとはまた別の慇懃無礼さだった。唯一、共通する事があるとすれば双方ともにマスターへの忠誠など微塵も持ち合わせていないという事だろう。

 

「それで、あの“二騎のサーヴァント”は仕留めたのですか」

「いや、上手く逃げられたよ。あちらもそれなりのアシを持っていたようでね、割り当てられたワイバーンでは追い付けなかった」

「--呆れた。サーヴァントの役割もロクに果たせない癖に、口だけは達者のようね」

「サーヴァントとしての役目は最低限こなしているつもりだがね。少なくとも、私が警告しなければ先の一撃で消し飛んでいたぞ、君は」

 

 先刻、放たれた黄昏の斬撃。それはまさに必殺と呼べるものであった。

 威力はもとより、黒いジャンヌ達が一人の魔術師に意識を集中し無防備になっていた瞬間を狙った、そのタイミングこそが絶妙であった。

 その直前に警告を飛ばした人間こそがこの男であり、仮に男からの念話が届いていなければ黄昏の斬撃は過たず彼女らの仮初めの命を消滅させていたことだろう。

 

「敵対者を打ち倒すことばかりがサーヴァントの能ではない。マスターの守護もまた、我々の仕事だろう」

 

 故に自身に非はない、と言外に彼は言う。

 敵方の戦力を見誤り、挙句に窮地に立たされたのはそちらの責任であり、こちらはその尻拭いをしているのだと。

 

「馬鹿も休み休み言いなさい、両方こなしてこその英霊でしょう。どちらか一方しかこなせない時点で不合格です」

 

 そんな男に対して黒いジャンヌは冷たく言い放つ。

 彼女が彼らサーヴァントを召喚したのはフランスという国を、ひいては人類を滅ぼすための尖兵としてであり、ただの自衛手段であればそこらのワイバーンだけで事足りる。

 戦闘に遅れた上に主人の危機に対して行うことが警告だけなど論外である。

 そんな黒いジャンヌの言葉に男は、ふむ、と一つ頷きを入れて、

 

「我がマスターは存外に完璧主義なのだな」

「ホンットに話を聞かないわねアンタは・・・・・!』

 

 反省どころかまるでズレた事を口走る従者に思わず叫ぶ。

 あまりの声量にそこらの瓦礫の上で休息していたランサーとアサシンが、煩い傷に響く、とでも言いたげな視線を投げかけるがそんなことは知ったことではないと無視(スルー)

 てかアンタたちマスターに対して図々しすぎない? もっと敬意とか持てないわけ?などと、怒りのあまり無関係かつ今更なことに疑問が上がってしまう彼女。

 

--コイツと話してると調子狂うわ、ホント

 

 目の前のサーヴァントを召喚してからというもの、事あるごとに揶揄われている気がする。

 ランサーのように突っかかって来るのではなく、常に皮肉った言葉とニヒルな笑みで翻弄されるのだ。

 とりあえずこのまま弄られるのは癪なので、一度冷静になろうと頭を振り、少しばかり気分が落ち着いたところで--

 

「・・・・・いや、そもそも。私の護衛はアンタの役割でしょう“アサシン”」

 

 アサシン、と呼びかけたのは先ほど受けた傷を回復させている女アサシンの方向ではなく、黒いジャンヌの背後であった。

 それと同時に、彼女が視線を向けた先に青白い光子が集い、やがて一つの形を得ていく。

 そうして現出したのは、一人の男。

 その身に纏った品の良い陣羽織と背に帯びた長大な刀が目を惹く美丈夫だった。

 

「私に何か御用かな、マスター殿?」

「ええ、用ならあるわ。何故、護衛役を任されていながらその役目を果たさなかったのと聞いてるのよ。納得できる理由があるんでしょうね」

 

 現れた男に、彼女は殺意と呼べるほどの怒りを込めた視線を叩きつける。

 仮に視線だけで生物を殺せるなら、今の彼女に殺せない存在はいないだろう。

 

 しかしそんな彼女の怒気などどこ吹く風、といった様子の男は飄々とした態度を崩さない。

 

「マスター殿の怒りは御尤もだがな。所詮は一介の農民に過ぎぬ分際、剣や槍であればこの身を盾とするのも吝かではないが、あの様な強大な剣光は私の手には余る。いやはや、門番か農作業であれば多少の覚えはあるのだが、護衛などという職は終ぞ経験しなかったのでな」

 

 成る程これは勝手が違う、と一人納得する男は、自身が主人を守らなかった理由を不向きという理由のみで済ませた。

 その上、己に適した役目を与えろと、言外に伝えてくる。その慇懃無礼さはどこかもう一人の男に通ずるものがある。

 無論、そのような態度の従者を黒いジャンヌが許容するはずもなく、先よりまして怒りをあらわにする--と思われたが、

 

「・・・・・ああ、もういいわ。叫ぶだけこっちが疲れる』

 

 心底疲れた、といった声色で彼女はその場に座り込んだ。敵の一撃を防ぎきれずに負った傷と度重なる従者の無礼さにもはや怒る気力すら無くしたようだ。

 その姿はとてもフランスを恐怖に貶める魔女とは思えぬほど憔悴しきっている。

 

「マスターもようやく落ち着いたところで、これからの話に移りいのだが、問題ないかね?」

「ええ、どうぞ、好きにして」

 

 もはや喋ることすら億劫、といった様子で項垂れる黒いジャンヌ。

 そんな黒い彼女を尻目に男は話し出す。

 

「では始めさせてもらおう。まずはマスター、君とそこの竜は直ちにオルレアンへ帰還したまえ」

 

 まず最初に出たのは黒いジャンヌとその竜への迅速な帰還を提案するものだった。

 それに反応したのは、先程沈黙したはずの彼女。

 

「・・・・・アンタ、私はともかく、“彼”が動けると思ってんの? その眼は飾りなわけ?」

 

 一見して巨竜の状態は瀕死だ。

 黄昏の斬撃は他のナニよりもこの竜に対して如実な効果を発揮していた。

 攻撃を受けてから既にそれなりの時間が経過しているにもかかわらず、未だに魔力が巨竜の肉体を焼いており、飛行どころか歩くことすら困難を極める。

 無理に移動させれば、それこそ寿命を縮めるというもの。とても許容できることではない。

 

「マスター、それは本気で言っているのか?」

「は? どういう意味よ」

 

 現状を鑑みたごく自然な思考は、されど呆れすら混じって男に問い返される。

 巨竜の移動は困難。そもそも移動の必要性は皆無なのだから、無理に動かそうとする意図が、彼女にはまるで理解できない。

 

「あの魔術師とその仲間が再び攻めてくると、そう言っているのだ」

「なんですって・・・・・?」

 

 返答は目の前の男からではなく、ランサーより発せられた。

 ある程度ダメージを回復させていた彼は既に立ち上がっており、彼の言葉に呆けた様子の黒いジャンヌを見下ろしていた。

 

「我々にとってその邪竜が最大の戦力であると同時に、奴らにとっては最大の障壁だ。そんなモノが瀕死の重体である時にむざむざ見逃すはずもなかろう」

「察しが良くて助かるよ、ランサー。彼の言う通り、あの小僧が他のサーヴァントを引き連れて再び攻め込んでくる可能性は高い。戦いが長引けば長引くほど連中は不利になるからな。可能な限り早急に決着を付けたいというのが向こうの本音だろう」

 

 故に、さっさと戻れ、と男は言う。傷付き死に体そのものの邪竜など単なるマトでしかない。

 ここで退かねばフランス全土を滅ぼし尽くすという彼女の目的は大幅に遠ざかるのだから。

 

「・・・・・分かったわよ、ここは大人しく帰還します。でも、最低限回復するのにある程度の時間は必要よ」

 

 巨竜の負った傷はとても無視できるものではない。移動するにも、僅かでも傷を傷を癒す必要がある。

 本来、この竜ほどの力であれば多少の傷であればものの数秒で完治できるのかもしれない。或いは致命的な重傷ですら時間を置けばある程度回復できるのかもしれない。

 だが、あの黄昏の斬撃だけは例外だ。あれはこの竜にとって、正に天敵と呼べるものであり、それを受けた竜には僅かばかりの余力もない。

 ラ・シャリテからオルレアンへの帰還にすら、幾らかの時間を置き体力を回復した上で死力を尽くさねばならないのが現状。男やランサーの言う通り、あの魔術師に再び攻め込まれれば今度こそこの竜は死を迎えるだろう。

 詰まる所、いま彼女らに最も必要なのは時間ということだ。

 

「なに、その辺りはこちらで引き受けるさ。そのための策も用意してあることだしな」

 

 それを男も理解しているのか、黒いジャンヌの懸念に男は問題ないと言いきった。

 竜がその傷を癒す間、彼女らを守り、オルレアンへ帰還するだけの時間を稼ぐことができると。

 そんな男に驚いた様子を見せたのは他でもない黒いジャンヌだった。

 

「・・・・・意外ね。少しはサーヴァントらしい事ができるようになったじゃない」

 

 はっきり言ってしまえば、彼女は男に対して何かを期待しているわけではなかった。

 それは彼の能力に依るものではなく、そのスタンスにあった。

 彼女と男、或いは彼女と契約するサーヴァント全騎に言えることだが、彼女らの関係はおよそ真っ当な主従と呼べるものではない。

 ランサーの様に己の願いのために彼女に付き従っている者もいれば、アサシンのように主従という契約に固執しない者もいる。マスターへの忠誠を持たないのは何も彼らに限った話ではなく、“彼女に召喚されたサーヴァント”全てに共通する事柄なのだ。

 だからこそ、マスターへの忠義を持たず、その守護も重視していない男が、この局面で自ら殿につくと言ったことに彼女は驚きを隠せなかった。

 

「私もいつまでも役立たずの誹りを受けたくはないのでね。サーヴァントとしての仕事は熟すよ」

 

 相も変わらず嫌味たらしい言葉。普段なら腹立たしいだけの言い回しが、今は頼もしく思える。

 男が初めてサーヴァントらしい行動を取ろうとしているからか、その声にいつにない力を感じられたからか。

 理由は分からないが、少なくとも彼女は男に任せてもいいと思えたのだ。

 

「そう。なら後は任せるわ。--せいぜい期待に応えなさい、“アーチャー”」

 

 故に彼女は告げる。

 従者らしくない男が初めて見せたサーヴァントらしさに、自身もまた初めて抱いた信頼を。

 

「--ああ。承知した、我がマスター」

 

 返答は確かな自信とともに。

 黒いジャンヌが殿を任せた男--アーチャーは不敵に笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「全員、武器を持って持ち場につけ! 連中は待ってくれないぞ!」

「市民と負傷者は誰であれ区別せず退避させろ。少しでも動ける奴には非難を手伝ってもらえ」

 

 街のいたるところから、無数の怒声、悲鳴が鳴り響く。

 現在、リヨンは未だ嘗てない危機に見舞われていた

 事の発端は数分前。異形の軍勢に備えて急遽建造された見張り小屋で街の周辺を監視していた物見からの報告によるものだった。

 その人物は自らに課せられた役目通り、ワイバーンをはじめとした軍勢がリヨンに接近しつつあることを発見した。

 それ自体はさして異常ではない。これまでにも怪物の侵攻は行われてきたし、現在のフランスにおいてそれは日常的な出来事だ。

 無数のワイバーンをものともしない騎士を擁し、彼を中心とした防衛隊をリヨンという街は築き上げた。

 騎士も、兵士も、果ては戦闘経験のない農民すら加わったその部隊は戦い続けた。

 既に異形の軍勢を打ち斃すこと五度。少なくない死線をくぐり抜けてきた彼らが、ただの侵攻で取り乱す事はない。

 しかし、だからこそ。

 今回の侵攻は--何度も街を護ってきた彼らですら己が目を疑わずにはいられなかった。

 

「300、400--信じられん、まだ増えるのか」

 

 草原の上空、果てしない蒼空を覆う無数の緑色。それが何であるか、いまさら問うまでもない。

 空の向こう側に見える、数えるのも馬鹿馬鹿しい数の竜の群れこそ、リヨンに接近する存在の正体である。

 

「そりゃ、今までだって連中が攻め込んでくる事はあったが、せいぜい100かそこらだぞ」

 

 街の防衛に従事する一人の若い男が呟く。

 彼の言う通り、これまで行われたリヨンへの侵攻は小規模なものだった。敵の構成も大半はスケルトンであり、ワイバーンは十数体。

 されど、今回は今までとまるで違う。

 少し目を凝らせば白いもやのようなものも見えて--それが遠方ゆえにボヤけて見る骸骨の軍勢だと彼らが気づくのに、そう時間はかからなかった。

 その光景を見て、誰も彼もが顔を青ざめる。今度こそ終わりだと。

 あの、世界全てを喰らい尽くさんとする大群の前ではいかなる剣も矢も意味を成さない。

 これまで彼らを護り続けてくれた偉大な騎士であっても、全ての敵を撃ち落とす事はできない。

 残る物はあるだろう、彼の騎士は、戦いの後でもきっと健在だろう。

 だけど、たとえそうであったとしても--リヨンは滅びを迎える。

 もはや、趨勢は変わらない。どれだけ彼らが死力を尽くそうと、戦力差は覆らない。

 ここで大波に飲み込まれる飛沫の如く消えていくのが、この街の人間の結末となる。

 

「--それは、絶対に違うはずだ」

 

 けれど、一人の男の声が、その失意を否定した。

 彼らは視線だけを力のないまま声の方に向ける

 瞳に映るのは、大剣を背に負い、銀の長髪をたなびかせる一人の男。これまで幾度も彼らを守り、励ましてきた騎士--剣の英霊、セイバー。

 彼の騎士はこの場においても、今までと変わりなく、人々を守らんと最前線に馳せ参じた。

 

「貴方たちは、決してこんな場所で諦める人間ではなかったはずだ」

 

 彼は言う。

 ここで死を待つ事が、リヨンの人々の終着ではないと。

 

「でも、あの数は・・・・・」

 

 消沈した--否、色の抜け落ちた声で、誰かが騎士の言葉を否定する。

 だって、もうどうしようもない。

 大嵐や大洪水が形を持ったかのような軍勢など止めようがない。人間に自然の災害を制する力が無い以上、滅亡は避けることのできない確定事項だ。

 仮に何らかの抵抗をしたところで、彼らの死がより悲惨なものに彩られるだけ。

 ・・・・・だから、このまま。

 何もせず、何も考えず、あの災害が通り過ぎるのを傍観した方が、ずっと楽で--

 

「ならば何故、貴方たちは今日まで戦ってきたんだ」

「--え?」

 

 それは余りにも単純で--だからこそ考えるまでもない、分かりきった問いかけだった。

 ただ死にたくないのであれば、彼らは戦場になど出る必要はない。生き延びたければ、どこか遠い場所に逃げればよかった。

 けれど、彼らはそれをよしとせず、今日まで戦い続けてきた。

 それは果たして、何のためだったか。

 

「貴方たちには、どうしても護りたいモノがあったからこそ、その手に剣を執ると決めたはずだ」

 

 俯いていた人々の顔が持ち上げられる。その心にあるのはそれぞれ全く別のモノだ。

 ある者は両親を思い出し。

 ある者は恋人の顔を思い浮かべ。

 ある者は子の未来に想いを馳せた。

 誰一人として共通している者はおらず--その意思だけは、同一だった。

 そう。彼らは死にたくないわけでも、生き延びたかったわけでもない。

 彼らはただ、自らの愛した者の未来が失われることをこそ恐れたのだ。

 

「諦める必要はない。絶望する必要はない。貴方たちは決して、あのような獣風情に敗けはしない」

 

 だからこそ、騎士は断言する。

 幾度も共に戦い、人々の願いを見続けたからこそ、彼は告げる--貴方たちの願いが奪われる事はないと。

 その通りだ、と誰かが立ち上がる。

 自分達は愛するものを守るために、自らの意思で戦う事を選んだ。最初から敗北はあり得ず、その願いを最後まで貫き通すだけの事。

 そうだ。彼らは決して悲観する必要はなかった。

 何故ならば、彼らが誰より信頼する騎士が、彼らは敗けはしないと言ってくれたのだから。

 守りたいものを守れるというのなら--たとえその果てに自身が死を迎えるのだとしても、何一つとして恐れることなどない。

 

「この剣にかけて誓おう。この身は最後まで貴方達と共に戦い抜き、必ずや街の人々を守り抜くと!」

 

 宣誓は高らかに響き渡り、今度こそ前線に駆けて行く。

 その背を追って人々も咆哮と共に自らの戦場に向かう。己の信念をその手に握る刃に変えて。

 戦いはまだ始まっておらず、絶望的な状況である事は何一つとして変わっていない。

 

--されど、希望は潰えず。滅びに抗う人々の戦い、その戦端が開かれる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

『観測が完了した。敵性エネミーはワイバーンとスケルトンの二種。総数は1000体以上だ』

「たいした数だけ。これだけの戦力を揃えているあたり、向こうも必死なんだろう」

 

 リヨン西壁。その頂上で衛宮士郎は己が愛弓を構え、街に接近しつつある異形の軍勢を見据えていた。

 先程、カルデアから送られた襲撃の報せを受け、士郎を始め全サーヴァントは街の防衛に向かった。

 既にセイバー、ライダーはそれぞれの持ち場に向かい、マシュやジャンヌも前線へと赴いた。

 対して士郎は今まで自ら戦いの矢面に立っていたにもかかわらず、今回に限っては後方に下がった

 彼の性格を考えれば、それは実に"らしくない"対応だが--

 

「流石に、今回ばかりは意地を張っていられないからな。少しでも手を誤れば戦線はすぐに崩壊する」

 

 敵戦力の膨大さは一見して明らかだ。

 千を超える無数の異形、それも半数以上はワイバーン。

 たとえ亜種とはいえ歴とした竜。ただの人間が戦うには困難を極める。

 それ故にこの位置--自らの能力を十全に活かせる高所に陣取った。

 

『一応、最後にもう一度確認しておくけど、本当にこれでいいんだね?』

「悪い、ドクター。こればかりは譲れないんだ」

『・・・・・うんまぁ、君のそういった所も込みでサポートするのがこっちの役目なんだけど』

 

 真剣な様子で放たれたロマンの問いは、どこまでも本気な士郎の答えによって相殺された。

 この場所で街の防衛を再び行う。

 衛宮士郎の在り方、二騎のサーヴァントとの契約を鑑みれば、これは自然な状況だ。

 けど、今回に限って、ロマンは再考を促さずにはいられなかった。

 それは今から五分ほど前。

 室内の誰もが襲撃に身を硬くする中、衛宮士郎は別の感情を浮かべていた。

 

『マスター、先手を打たれた、とはどういうことでしょうか』

 

 その苦渋に満ちた表情をとても無視できなかったのか、マシュは士郎の呟きを拾い、そんな事を問いかけた。

 問われた本人はまだ表情を和らげる事はできず、それでも律儀に質問に答えた。

 

『あの黒い巨竜はセイバーの宝具で致命傷を受けていた。戦闘や飛行はおろか、歩行すらできないほどに』

『はい。それはわたしも先ほどドクターから聞きました。件の竜は瀕死の重傷だと』

 

 そもそもマスターとサーヴァントは契約<パス>で繋がっているため、大まかな感情の機微は互いに伝達される。

 視覚をはじめとした五感の共有は意図的に行う必要があるが、それ以外の感覚的な情報は存外簡単に分かるのだ。

 無論、本人がそれを由としないのであれば、その情報は認識しない事もできるが、緊急時においては例外だろう。

 そのため、マシュは巨竜がどれほどのダメージを受けたか、士郎の驚愕を通して間接的に理解していた。

 つまり、件の竜は一歩も動けず傷の修復すら不可能だろう、と。

 

『だからこそ、俺たちにとっては最大の好機だった。今すぐラ・シャリテに戻れば、敵の首魁ごと一番の障害を排除出来たんだ』

『っ! 確かに、巨竜だけでなく他のサーヴァント達も重傷でした。もう一度戦えば、こちらが断然有利な状況です』

 

 傷を負った三騎のサーヴァント及び巨竜と、消耗はあれどほぼ万全な状態の士郎たち。

 双方が戦った場合どちらが優勢かなど、考えるまでもない。

 だからこそ士郎は、その考えを提案しようとして--敵の襲撃は、正にその瞬間に訪れた。

 

『きっと、向こうもこちらの思考を読んでの行動なはずだ。そうでないとこのタイミングでの襲撃は不自然過ぎる』

 

 自分たちのマスターが危機的状況にある中、それを無視してたかだか街一つを襲うようなサーヴァントはいないだろう。

 士郎は現状をその様に判断し、それは的を得た思考だった。

 リヨンへの襲撃はただの時間稼ぎ、黒いジャンヌのサーヴァントが全力で殿についた結果だ。

 

『どうする、士郎くん。君の言う通りなら、これはまたとないチャンスだ』

 

 ロマンはあくまで冷静に、士郎の判断を問うた。

 それが、二騎のサーヴァントの前で行うにはどれほど高いリスクを持っているかを理解しながら。

 

『なにを馬鹿なことを言ってるんだ!そんなの駄目に決まってるだろ!』

 

 ロマンの言に真っ先に食いついたのはライダーだった。

 自らの英雄としての在り方を誇り、人々の平穏を願う彼にしてみれば、街の住民を切り捨てて敵を討ち取るなど到底容認できない方法だ。

 理性より本能、論理より自らの感情を優先する彼は、決してリヨンから離れる事はない。

 少し前に自らがラ・シャリテを離れた事が原因で、街を壊滅させてしまったためにその自責と使命感は大きい。

 だが、たとえ彼に論理的思考の余地がないのだとしても、この場においてはそれを押して考える必要がある。

 もし仮に、ここで竜の魔女とその配下を倒すことができたのなら。それは実質、この特異点での戦いに勝利するということでもある。

 魔女は斃れ、巨竜は生き絶え、主人を失ったサーヴァントは消滅する。

 最後に残るのは、所有者のいない聖杯のみ。

 疑う余地もない、完膚なきまでの決着である。

 ライダーが人々の生存を願うというのなら、これこそが最善と言えるのではないか。

 加えて、ここは特異点。

 正常ではない時間軸で起きたあり得ざる出来事であるがゆえに、特異点が修復されれば全ての出来事は"無かった"事になる、というのがロマンの言である。

 それを信じるのであればどれだけの被害--極端な話、全ての人間が死亡しようと、それは特異点の修復と共に元通りになる、ということだ。

 ならば、ここは真っ先に竜の魔女を仕留める事が最も有効な行動ではないか。

 

『セイバー、君はどう思う』

 

 ロマンがここまでの思考をライダーに語る事はない。仮に伝えたところでそれがどうした、と返されるのがオチである。

 それが確信できる程度には、ライダーという英霊の性質は把握している。

 故に、この場で問うべきはセイバーの考えだ。

 最悪、士郎たちと彼さえいれば竜の魔女と巨竜は殺せるのだ。

 ライダーが街の放棄を認めないというのなら、それは捨て置けばいい。

 或いは、彼に敵の目を引いてもらって、その隙により容易く竜の魔女に迫るという手もある。

 

『・・・・・俺は彼に剣を預けた身だ。どうするかは彼に任せる』

 

 そうして告げられたセイバーの言葉は、理想通りのものだった。

 先ほど、彼はすでに士郎を信頼し、共に戦うと誓った。

 正式な契約こそ行われていないが、彼はサーヴァントとして士郎をマスターと認めているのだろう。

 ならばこそ、彼は士郎の意思を尊重する。たとえそれが自らの意思に背くものだったとしても。

 

『あまり時間はかけられない。君の判断を聞かせてくれ、士郎くん』

 

 かくして、全ては衛宮士郎に委ねられる。

 追撃か、防衛か。

 その答えは聞くまでもない、とロマンは考えている。

 結果は追撃。衛宮士郎はリヨンを切り捨て、竜の魔女を討ち取り、この特異点を修復する。

 衛宮士郎という人間はとても優しく、お人好しで、誰一人傷ついて欲しくなくて--だからこそ、誰よりも冷酷に冷徹に行動する。

 理想を目指し、現実を理解するが故に、"次善"の手を取る

 それがロマニ・アーキマンという人間が知る、衛宮士郎の在り方だ。

 その根拠は彼がこれまでに見てきた士郎の立ち振る舞いや、彼らが二人だけで行った"話し合い"の結果だが、それは余人の知るところではない。

 いま重視すべきは、その決まりきった解答を士郎が言葉にする事であり、

 

「--ここでリヨンの人々を守る。竜の魔女の討伐は、今は後回しだ」

「え?・・・・・えぇええええええ!?」

 

 けれど、出てきたのは正反対の言葉で、ドクター・ロマンの予想は木っ端微塵に砕かれた。

 通信機越しに響く叫びは、そのまま彼の驚愕度合いを示している。

 何故なら、その選択は愚策に過ぎる。

 特異点が修復されればあらゆる出来事は無かった事になり、現状以上の竜の魔女打倒の好機は二度と訪れない。

 ならばこそ、街の防衛がどれほど無益な行動か、彼には分かっているはずなのだ。

 

『セイバーは宝具で正面から迎撃、マシュとジャンヌも前線で敵を抑えてくれ。ライダーは空から撹乱及び全体の支援を頼む』

 

 しかし、そんなロマンの驚愕など気にも留めず、士郎は的確に指示を出す。

 追撃の機会は失われ、敵の規模は膨大だというのに、彼からは一切の焦りというものを感じられなかった。

 

『さすがボクらのマスター!君なら絶対に皆を守るって信じてたよ!』

 

 言うが早いか、ライダーは一足先に部屋を飛び出す。

 その後に続いて士郎たちも戦いへと赴き、そうして現在に至る。

 

『士郎くん。しつこいようだけど、特異点は修復されれば無かった事になる。そこでの防衛はあまり意味がない。それでもやるのかい?』

 

 ロマンが士郎にこの話をするのは二回目だ。

 一度目はカルデアで、特異点等の基礎的な知識を伝えた時、そして今回は無意味かつ危険な行動を諌めるため。

 無論、カルデアに残ったレイシフト適正者が衛宮士郎ただ一人である以上、特異点での行動は基本的に彼の意思を尊重しなくてはならない。

 だがそれにも限度はある。こんな絶好の機会を逃すというのは、カルデア臨時代表を務めるロマンには見過ごせない。

 何とか説得して、この行動の無意味さを改めて貰う必要があるのだ。

 

「違うよ、ドクター。これは決して無意味なことなんかじゃない」

 

 ある意味必死とも言えるロマンとは対照的に、士郎は冷静に返答する。

 告げられたのは拒否ではなく否定。

 カルデアの特異点に対する認識そのものを否と断じる。

 

「死んだ人間、起きた出来事は戻らない。ここがまともな空間じゃないとしても世界の一部なのは確かだ」

 

 仮に独立し逸脱しただけの世界なら、人類史に影響を与える事はない。それはもはや異なる道程を歩む別世界と言っていい。

 ここは正常から外れ狂い果てた時代。過去確かに存在した地であるからこそ特異点は特異点たりうる。故に--

 

「世界は"修正"はしても"修復"はしない。特異点が消えた後、ここで失われたモノは別のナニカで補填されるだけで、元通りにはならない」

 

 異常を正したからといって、全てが元通りになるほど世界は融通の利くものではない。

 損失は損失のまま、他のもので穴埋めされるだけだ。

 

「仮に何もかもが元通りになるんだとしても、その時に感じる苦痛や恐怖は本物だ。俺はそれが、どうしても見過ごせない」

『・・・・・・・・・・』

 

 士郎が告げた考えに、ロマンが応じることはなかった。何も言えることはないのか、それとも何も言う気がないのか。

 どちらにせよこの場での無言は士郎の行動を容認するのと同義だ。

 

「それに、今から追撃しても向こうは既に相当の戦力を集めてる。あれを突破して竜の魔女たちを倒すのは相当困難になる」

 

 あれだけの軍勢を用意しておいて、まさか雑兵だけだとは考えづらい。最低でも一騎--より現実的に考えれば三騎以上のサーヴァントが来ている筈だ。

 強引に攻勢に出る代償が、こちらの全滅となっては元も子もない。

 この場は大人しく相手の出方に合わせるのが得策だろう。

 

『・・・・・分かった。これ以上は何も言わない。確かにチャンスを逃すのは痛いけど、それ以上に君の生存が最優先事項だ。最終的に特異点を修復して無事に帰還してくれればそれでいい』

「ああ、必ず成功させる。けど今は--目の前の敵を退けることが先決だ」

 

 弓に矢<ツルギ>を番え、魔力を充填する。

 竜の群れを狙うは幾つもの細い刃が巻き付きながら外側に反り出し螺旋を描いた黒塗りの剣。

 英文学最古の叙事詩において、竜殺しにして巨人殺しとされる英雄ベオウルフが所持した魔剣。

 担い手が健在である限り標的を追い続ける緋の猟犬。

 

「--暴虐の徒を喰らい尽くせ、赤原猟犬<フルンディング>」

 

 真名の解放を合図とし、主の魔力を糧として猟犬が疾走する。

 それは瞬きの間も無く音の壁を突き破り--竜の軍勢、その第一陣を消しとばした。

 矢<ツルギ>は標的に到達してなお止まらず、敵陣を縦横無尽に駆け回りながら次々と竜を屠っていく。

 本来、一度放たれた矢がその標的を変える事はない。どれほどの技量、如何な性能の弓であろうとその摂理は覆らない。

 されど、この赤き猟犬はその摂理を正面から喰い破る。

 猟犬が狙うは、担い手が敵と定めたモノ。故に、敵対者が存在する限りその数がどれほど多かろうと、力尽きるまで疾走は止まらない。

 

「壊れた幻想<ブロークン・ファンタズム>」

 

 言霊が紡がれ、猟犬は残った魔力を己ごと周囲に撒き散らす。

 宝具という規格外の武装を自壊させる事で内包する魔力を叩きつけるこの戦法は、こと対軍戦闘においては非常に有効だ。

 ここまでの一連の流れで赤原猟犬は実に83体の敵を絶命させた。

 これだけの戦果、通常なら敵の戦力を大幅に減少させるものであり--今回に限っては僅かな痛手にもならない。

 敵の数は膨大であり、千を超えてなお増加し続ける軍勢は被った損失を容易く塗り潰す。

 

「残り1km、連中なら数十秒とかからず詰められる距離だが--」

 

 第一射目の赤原猟犬は速度を重視してもので、魔力充填にかけられた時間はおよそ15秒。

 このままのペースで撃ち続けたとしても、敵を全滅させるには至らない。その前に、竜の牙が街に突き立てられる。

 故に、この場で衛宮士郎に求められるのは更に強力かつ広範囲の殲滅を可能とする宝具だが--

 

「--まあ、とくに心配する必要はないか」

 

 視線の先、遠方の竜の群れを赤原猟犬と同等--否、それ以上の火力を以って薙ぎ払う黄昏の残光。

 無数の竜が消し飛び、群の一角が丸ごと消滅する。

 それが誰による一撃かなど、考えるまでもない。リヨンの守護者、竜殺しの騎士。

 セイバーはその異名に相応しい戦果を叩き出した。

 

「こうして直に見るのは初めてだけど、やっぱり凄まじいな」

 

 セイバーの一撃によって撃ち落とされた竜の数は実に200以上。

 決して全力ではなかったとはいえ、壊れた幻想まで用いた赤原猟犬が倒した数をただの一振りで上回った威力は流石の一言に尽きる。

 士郎は心底、セイバーが敵でなかったことに安堵した。

 仮にあんなものが自分に撃ち込まれてはただでは済まない。

 

「シロウ殿、我々の配置は完了しました。連中を射程に収め次第、いつでも撃てます」

「分かりました。俺はこのまま竜の数を減らすので、撃ち漏らしたやつを中心に狙ってください」

 

 セイバーの力に感嘆の声を漏らす士郎に、若い男の声がかけられる。

 今回の戦いにおいて、戦場に出たのはなにも士郎やサーヴァントたちだけではない。

 兼ねてから結成されていた防衛隊もまた、それぞれが戦うことを選んだ。彼もまたその一人だ。

 こうして壁上に登り、ラ・シャリテの人々を守り、二人の騎士が認めたという少年と共に空の敵と戦おうとする。

 壁上には計十門の大砲が設置されている。既に発射準備は整っており、各砲台に就く人は砲撃の時を今か今かと待っている。

 眼下にはその手に剣や槍を構えた兵士がいて、彼らも侵略者である骸の軍勢を迎え撃たんとする。

 

「・・・・・あの数の敵を凌ぎきれるのでしょうか」

 

 そんな中、男は今さらになって不安を口にする。

 士郎の赤原猟犬、セイバーの黄昏の斬光。

 その二つの成果を認識してなお彼は不安でならない。本当に勝てるのか、自分の家族を守れるのか、と。

 街が保有する戦力は以前よりさらに増強された。

 竜殺しの騎士に加え、ラ・シャリテのライダーや士郎たち三人も加わって、守りに徹するのなら余程のことではリヨンは堕ちない。

 だが、それでも、今回の数には絶望しかねない。

 騎士の言葉に励まされ自身を奮い立たせてみたが、こうして高所から敵を視認するとその決意が揺れそうになる。

 それは、彼以外の兵士も例外ではない。

 一言も発さずただ砲撃の時を待っているのは、そうでもしないと一目散に逃げ出してしまいそうだから。

 不幸な事に、壁の上で砲撃を任された人員は士郎に声をかけた一人を除き、全員がただの一般人で戦に駆り出された事もない者ばかりだった。

 今までだって彼らにしてみれば恐怖に震えながら必死の思いでの戦いだったのに、今回はその十倍以上だ。

 せめて空だけであれば彼らも幾分気が休まっただろうが、地上の戦力も同じくらい膨大なのだ。

 むしろ、懸命に敵を睨み持ち場を離れないでいられることの方が奇跡だろう。

 

「問題ない、なんて簡単には言えません。--それでも、俺は何があってもこの街を守り通します」

「シロウ殿・・・・・」

 

 士郎は人々の苦悩を痛いほどに分かっていた。

 きっと、心の中は不安と恐怖でいっぱいで。何もかも諦めてしまいたくて。

 それでも譲れないモノのためになけなしの勇気を振り絞ってこの場に立っている。

 いつだってそうだ。

 衛宮士郎の周りには常にそんな人々がいて、懸命に戦っている--だからこそ、その想いに応えるために全霊で戦うのだ。

 

「それに、彼女たちもいてくれてますから」

 

 そう言って視線を向ける先は広大な草原。

 緑色の絨毯を蹂躙する白色の骸の前に立ちはだかる二人の少女だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 二つの影が、骸の軍勢を真っ向から迎え撃つ。

 片や白銀の鎧装束に身を包み手にする聖旗を槍の如く繰り出し。

 片や黒の軽鎧を纏い身の丈を超える大盾を振るう。

 どちらも可憐な少女そのものだが、その力は双方共に有象無象の骸に遅れを取るものではない。

 

「マシュさん、あまり無理はなさらず。敵の数は多い、ここで私たちが尽き果てれば防衛線は維持できなくなります」

「わかりました。マシュ・キリエライト、余力を残しつつ敵性エネミーを討伐します」

 

 衛宮士郎が後方支援、セイバーが街正面に就いたように、マシュとジャンヌは最前線にて地上の敵を迎え撃った。

 空の敵に意識の大半を注がなければならない士郎やセイバーと違い、彼女たちには遠距離攻撃手段がない。

 そのため、二人は敢えて無数の骸達と衝突する事で街に到達させないようにした。

 

「常に互いの距離を意識して、決して分断されないように心がけて下さい。これだけの数、囲まれると厄介です」

「はい!」

 

 人数差において圧倒的不利でありながら、ジャンヌは欠片も焦りを見せない。

 どこまでも冷静に敵を捌き、戦いそのものに不慣れであろうもう一人の少女に助言を投げかける。

 マシュもまた懸命に戦っている。

 デミ・サーヴァントと化して幾度かの戦闘を経験した彼女は、しかして今回のような大軍勢を相手取る事は初めてであった。

 戦闘開始から五分。誰よりも早く近く敵を迎え撃った彼女たちが倒した敵の数はとうに百を超えている。

 しかし、そんな事をまるで感じさせないような物量が、彼女の精神を圧迫する。

 士郎やジャンヌに出会う前の彼女であれば、恐らくはとっくの昔に諦めているであろう状況だ。

 だが幸か不幸か、士郎に出会ってからこれまでの経験によるものか、彼女は現状に絶望を感じてはいなかった。

 既に、一番恐ろしい出来事は体験している。

 かつての黒く蒼い騎士との戦いや、自身のマスターが死に瀕した時を思えば、この程度はまだ耐えられる。

 今なお戦闘を恐れながら。不慣れながら。

 何があっても倒れないように、と自身を奮い立たせる。

 

「やぁ--ッ!!」

 

 振るう心を声に乗せ、骸達を粉砕する、

 その様はさながら、黒い旋風のようだ。

 デミとはいえマシュは確かにサーヴァントである。

 彼女の力は、知能もなく技巧も信念もない骸の人形風情が抵抗できるものではない。

 

「はっ!」

 

 無論のこと、それは傍らの少女にも言える事だ。

 ジャンヌもまたサーヴァントとしては完全とはいえないが、たかが雑兵に遅れをとる事はない。

 無論、これだけの数をたった一人で全て相手にするのは如何な彼女とて不可能だが、今回は幸運な事に多くの仲間がいる。

 彼女だけでは決して勝てない戦いでも、側にいる誰かがその背を支えてくれる。

 表情にこそ出さないが、こうして戦っているこの時にも彼女の心は安堵と歓喜に満ちている。

 

 ・・・・・本当は、一人きりでも戦い抜くつもりでしたが。

 

 勝機は少なく、敗北の未来の方が圧倒的に高い確率の戦いだった。

 味方は誰一人としておらず、孤独なまま、主の啓示もないまま強大な敵に挑む。

 別に、それ自体は構わなかった。

 生前も、その死後も。彼女は自らの信念を決して曲げずに戦ってきた。

 多くの人間が彼女を糾弾し、その身を炎で焼かれた時ですら、彼女は自らの信仰に殉じた。

 だから、今回もかつてと同じように在るだけだと思っていて--思いもよらない出会いが彼女に手を差し伸べた。

 それは救いではなく、共に在ろうとする意志で、きっと何より彼女が安心できるものだった。

 その歩みは決して一人のものではなく、たとえ自分が失敗しても後を継いでくれる者がいる。

 一人きりでも使命を果たすと誓っていた彼女だが、それでも同じ志を持った誰かが隣にいてくれるという事実が彼女を勇気付けた。

 本当はこの想いを言葉にしてもっと伝えたいのだが、そんな暇はないし、きっと彼らも望まない。

 故に、彼女がすべき事は変わらない。

 

 --街を守り抜く。

 

 衛宮士郎がリヨンの人間に宣言したように、ジャンヌもまた同じ意思を心に宿す。

 この場に彼女たちが在る限り、骸が街を堕とす事は叶わない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「存外に早かったな。もう少し迷うものかと思ったが・・・・・」

 

 竜の魔女から殿を命じられ、竜の群れを指揮する男--黒いアーチャーは意外そうな声で敵の対応を評する。

 6:4の割合で追撃に傾く、と彼は予測していたのだが、実際は彼らは街の守護を選択した。

 予定であれば追撃に向かって来たところを包囲して一網打尽にするというのが当初の予定だったが、それも失敗に終わった。

 

「キミの話だと、彼らは二手に分かれてでも攻勢に出るようだったけど、どうやら当てが外れたようだね」

「全くもって君の言う通りだ。返す言葉もないよ、"セイバー"」

 

 戦局を見据えるアーチャーに声をかける者が一人。

 金の髪を揺らし美しくも中性的な容姿を持つその人物は、アーチャーの失態を言外に指摘する。

 指摘された当人も特に異論は無いのか、反論する事もなかった。

 

「潔いね。失敗を素直に受け止る姿勢には好感を持てるよ」

「事実だからな。特に取り繕うつもりも無し、言い訳したところでどうにもならん」

「確かにそれは道理だ--それで、そんな君はこの状況でどうするんだい?

「暫くは静観だろう。思惑が外れたとはいえ我々の目的は時間稼ぎだ。連中が街を離れないと言うのなら好都合だ」

 

 そもそも彼らがこの場にいる理由は、自分たちの主が無事に撤退するまで敵の足止めを行うためだ。

 アーチャー、セイバーがそれぞれ預けられているワイバーン400頭、更にオルレアンや他の地から掻き集めたのが800頭ほど、合わせておよそ1600頭ほどの竜の軍勢が揃う。

 加えてスケルトンの軍勢が1000体。本来数で圧倒するためのスケルトンがワイバーンに比べ少数なのは地上で行動するが故に移動速度が低いためだ。

 スケルトンの総数が少しばかり心許ないことを除けば、足止めには十分な数が揃った。

 

「それなりの数なのは認めるけれど、複数のサーヴァントを長時間拘束するには不十分じゃないかい?」

 

 セイバーの言葉通り、先述の話は相手が真っ当な存在であればの話だ。

 ただの人間であれば過剰にすぎる戦力でも、かつて数多の偉業を成し伝説となった英霊相手では些か分が悪い。

 加えて、その内の一騎は竜殺しに特化した対軍宝具を有している。ワイバーンだけではどうあっても敵わない。

 

「もっともな意見だが今回はそれで十分だ。下手に相手の対応を上回って街に被害を出せば、あの小僧が防衛を諦めて攻勢に出かねんからな」

「私としてはあの少年がそういった手合いには見えないんだが・・・・・まあ、用心に越した事はない」

「とはいえ、このままではこちらの手持ちが先に尽きるのも事実」

 

 既に敵セイバーの宝具が三度発動し、撃ち落とされたワイバーンは500にも及ぶ。

 そもそも本気で攻め落とす気はないためワイバーンには回避行動を優先させているが、それでも躱しきれないものがある。

 

「頃合いだ、こちらも動くとしよう。いい加減、君らも焦れてきたところだろう」

「・・・・・不本意ながら、ね。目の前で見せ付けられると、どうにも抑えが効かなくなる。それで、私は向こうのセイバーを相手にすればいいのかな?」

「いや。如何な君とて、真っ向からアレと斬り合うのは骨だろう。あの英雄は正真正銘の大英雄だからな。全霊で挑むにはまだ早い。君は後陣に陣取っている敵マスターを相手にしてくれ」

「了解した」

「盾の娘と本来の聖女は君に任せるよ、"ライダー"」

「・・・・・・・・・・」

 

 アーチャーとセイバーのやり取りを聴きながら一歩身を引く一人の女性。

 ライダーと呼ばれた彼女はアーチャーの言葉には応じず、彼に一睨みくれてやると、そのまま戦場へと向かった。

 

「彼女も随分と強情なものだ。マスターが付与した狂化は彼の串刺し公すら歪ませるというのに、ギリギリのところで押しとどめている」

「まったくもって感服するよ。流石は"祈りだけで竜を鎮めた聖女"だ」

 

 批判的な対応を受けたにもかかわらずアーチャーはまるで気にも留めない。むしろ、感心すら伴ってライダーを見送る。

 

「さて。私もそろそろ行ってくるよ。マスターが煩いだろうから殺しはしないけど、腕の一本は貰ってこよう」

 

 ライダーに続いて、セイバーが飛び出す。

 直前に見えたその表情は優美で穏やかに感じられたが、その瞳はどこか濁っていた。

 本来清いはずの湖に、汚泥を混ぜ合わせたような、そんなアンバランスさを内包していたと言っていい。

 その瞳が如実に語っている--楽しみだ、と。

 これから始まる闘争、互いの命を奪い合う殺し合い、という行為に高揚していたのだ。

 

「やはり我慢の限界だったか。予想通り・・・・・ではあるが、セイバーもアレで冷静だからな。羽目を外しすぎる、なんて事はないだろう」

 

 去り際にセイバーが告げたように、人類最後のマスターは竜の魔女たるジャンヌ・ダルクが仕留めるべき相手だ。

 復讐者たる彼女が自らに傷をつけた相手を見逃すはずがない。

 故に、彼女の旗下である彼らサーヴァントが主の獲物を横取りするようなことなど、あってはならない。

 

「もしそんな心配をすべきだとしたら、それはお前の手によるものだろう、"バーサーカー"」

 

 呼びかけに応えるように、一人の男が現れる。

 それを一言で表現するならば野人、とでも言うべきか。

 無造作に振り乱された金髪。屈強な肉体の殆どが露わになっており、身を隠すものは僅かに腰巻だけだ。

 

「果たしてマスターでもない私の指示が届いているか甚だ疑問だが・・・・・まあいい。お前の相手はあの剣士だ。強大な海魔すら素手で引き裂いてみせたその剛力、存分に奮え」

「----」

 

 アーチャーが言い終わると同時、バーサーカーが疾走する。

 その行く先は指示通り、竜殺しのセイバーのもとのようだ。

 

「ひとまず成功、か。アレを制御できるのか少々疑問だったが、杞憂に終わったな」

 

 サーヴァントのクラス中、バーサーカーほどコントロールが困難なものはない。

 常人が正常と捉える事柄はバーサーカークラスには適応されない。彼らは彼らだけの理で動くか、そもそも思考する能力を失っているのが常だ。

 故に、アーチャーにとってバーサーカーの投入は一種の賭けだった。

 制御出来ればそのまま活用し、失敗すれば適当に誘導して敵陣にぶつける。

 後者であれば彼らも相応の被害を被る可能性があったと言うわけだ。

 

「こちらの首尾は上々。後は連中次第だが・・・・・」

 

 鷹の如き瞳が映すは、カルデアのマスター。

 ワイバーンを撃ち落とし続ける少年を、彼はまるで何かを見定めるように睨み。

 

「--貴様が何者か。ここで見極めるとしよう、衛宮士郎」

 

 そう、怨敵の名を口にした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「これで四射目。このままいけば町に被害が出る事はないだろうが・・・・・」

 

 赤原猟犬による爆撃、セイバーの宝具。

 この二つによってワイバーンの群れは目に見えてその数を減じている。群れを保った上で街に接近できる集団は存在しない。

 幸運にも二つの脅威を免れた個体がいたとしても、その先に待っているのは壁上に設置された砲台による各個撃破だ。

 地上の戦況もまた同様である。

 マシュとジャンヌによってすり減らされた軍勢は街の人間にも対処可能となり、残存戦力でリヨンを陥落させる事は不可能だろう。

 故に、敵がこの状況を看過するはずがなく--

 

「っ・・・・・!?」

 

 反応は一秒と満たぬ間に。

 上体を僅かに仰け反らせるのとほぼ同時、銀閃がそれまで首があった空間を穿った。

 

「--驚いた。戯れたとはいえ、手傷はあたえるつもりだったんだけど」

 

 いつの間に現れたのか。

 壁上には見知らぬ騎士が佇んでいた。

 羽帽子を被り上品な騎士服を纏ったその人物は、実に愉しそうな眼で士郎を見据える。

 感じる魔力、気配共にこの人物がサーヴァントである事は間違いない。

 

「シロウ殿!?」

「俺は大丈夫です。そちらはワイバーンに集中してください--アレは俺が相手をします」

 

 空の手に愛剣を握り、驚愕と危惧で動揺する兵士に僅かな逡巡もなく指示を出す。

 もとより命令などする立場にないが、この場においては余分な思考に意識を割く余裕はない。

 

「加えて対応も迅速。成る程、あのランサーが手こずったという話もあながち嘘じゃないみたいだ」

「・・・・・アンタは、何者だ」

「わざわざ口にするまでもないだろう? 竜の魔女に使えるサーヴァントの一騎、バーサーク・セイバーだ」

 

 答える必要がないと言いながら、律儀にその存在を明かす騎士。

 昨夜、アロワより齎された情報の中でその存在が確認された人物。リヨンの竜殺しと同じ、剣士<セイバー>

 ラ・シャリテのランサー・ヴラド三世に続く、三騎士の一角だ。

 

「よもや七クラス中最優のサーヴァントが一介の魔術師相手に不意打ちか。暗殺者<アサシン>の真似事をするにはその剣は少々不向きではないかね」

「さて、それはどうだろう。確かに私はセイバーのクラスに収まっているけど、そもそもサーヴァントは座に在る本体の一側面を切り落とした存在だ。ならば、生前の私が暗殺者を兼ねていても不思議はないだろう?」

 

 セイバーの言は間違ってはいない。

 人の手には余る英霊を制御するために特定の方向性に限定するものが筐<クラス>なら、宝具やスキルに残らずとも純粋な技巧として何かしらの名残が残っている可能性は十分に考えられる。

 先ほどの発言は裏を返せばこちらへの戒め、或いは挑発とも取れる。

 

「ご忠告痛み入る。しかし、仮にも敵である私に助言とは、ずいぶん余裕があると見える」

「ふふ。侮っているかどうかこれから君の目で判断してくれ」

 

 曖昧な言葉で、どちらか判断しずらい笑みを返すセイバー。

 だが、言葉や仕草がどうあれ、侮っているはずがない。そうでなければ、このサーヴァントがわざわざ俺の前に出向くはずがない。

 会話の流れから、ラ・シャリテでの戦闘の様子は伝わっていると見受けられる。

 ならば、油断や慢心で剣を鈍らせる、などというのは希望的観測に過ぎる。

 

・・・・・拙いな。

 

 サーヴァントを目の前にしている以上、ワイバーンの狙撃は中断せざるを得ない。

 それは、他の戦場でも同じだ。

 セイバーが現れてすぐ、マシュから敵性サーヴァントとの交戦開始が伝えられた。

 恐らく、こちらのセイバーのもとにも刺客が差し向けられているだろう。

 唯一救いなのは、空を駆るライダーだけは、いまだに誰の標的にもなっていない事だ。

 現状、彼がいれば最低限の防衛は果たせる。

 

・・・・・問題は、どうやってこの騎士を退けるかだが。

 

 当然、援護は期待できないし、残存魔力もそう多くはない。

 愛用する干将莫耶を除けば宝具の投影は三度が限界。真名の解放は一度出来れば御の字だろう。

 さらに言えば、戦闘の規模も極力抑えなければ、同じく壁上で戦う兵士達を巻き込んでしまう。

 つまり、衛宮士郎は純粋な剣技のみで、最優の英霊を打倒しなければならないということだ。

 

「安心するといい。私の仕事はマスターが撤退する為の時間稼ぎ、この場で君を足止めする事だ。他の人間には興味は無いし、君の命は奪らないように言われている」

 

 追い詰められた思考に助け舟を出したのは、意外にも敵のサーヴァントだった。

 

「・・・・・どういうつもりだ」

「言葉のままだよ。私達のマスターは相当に執念深い。恥をかかせた君を自分の手で葬らない限りは腹の虫が収まらないだろうからね」

「それで大将首を見逃すと? 私もずいぶん甘く見られたものだな」

 

 強がりを言ってみせるが、実際の所これは好都合だ。

 自身の死が人類史の敗北という条件がある以上、リスクは可能な限り避けなくてはならない。

 もっとも、だからといって気を抜く事は微塵もできないが。

 

「お互い、言うべき事は言い終えたし、そろそろ始めるとしよう」

 

 話は終わりだ、と言うようにその手に握った細身のサーベルをセイバーが構える。

 それを見て、張り詰めていた意識をより鋭く研ぎ澄ます。

 これから来る敵の行動に対応できるよう、脳内であらゆる予測を立て--

 

「ッ--!」

「っ・・・・・!」

 

 思考する間もなく、セイバーの刃が閃く。

 袈裟、薙ぎ、切り上げ、刺突。

 一息の間に行われた攻撃は全てこちらの急所を狙ったもの。一手でも受け損なえば即死の連撃だ。

 

「----っ」

 

 しかし、応じる事はできる。

 敵の一撃はどれも重く、鋭く、疾い。

 だが、決して対処できないほどのものではない。

 強化を施した視覚は敵が振るう剣の軌跡を確かに捉えており、疲弊した肉体は迫る凶刃になんとか食いついている。

 先ほど宣言した通り、セイバーには俺を殺そうとする意思がない。

 

「く・・・・・!」

 

 だが、そこまで。

 斬撃を防ぐ事はできても、そこから反撃に出ることができない。

 その名に恥じずセイバーの剣技は洗練されている。刺突を要とし、流れる様に繰り出される剣閃はいっそ美的ですらある。

 凡夫でしかない衛宮士郎が真っ当に打ち合って打倒出来るものではない。

 

・・・・・命拾い、したな。

 

 竜の魔女が復讐者<アヴェンジャー>に類似する性質であったことが幸いした。

 彼女が直接下した命令か或いは気を利かせただけか。どちらかはわからないが、そのお陰で衛宮士郎は今も生き永らえている。

 仮に竜の魔女が面目などまるで気にしない、目的の達成のみを追求する様な人物であったなら。

 少なくとも、こうして余分な考察をする暇は無かっただろう。

 

「これで五十二合目。これだけ打ち込んでもまだ痛手を負わせることができない・・・・・まったく、本当に大したものだよ、君は」

 

 自身の攻撃を防ぎ続けられている膠着を嫌ってか、セイバーは仕切り直し、とばかりに後退した。

 

「お褒めに預かり光栄だが、所詮は凡夫の剣。君のような一流の剣士を相手にするには少しばかり力不足だ」

 

 セイバーと言葉を交わしながら呼吸を整える。

 両者の間はおよそ5m。この程度の距離は目の前の騎士にとって存在しないも同然だろう。

 だが同時に、仮に敵が何の前触れもなく踏み込んだとしても、現在の衛宮士郎がギリギリで対応できる間合いでもある。

 

「よく言うよ。たかだか魔術師が振るうその凡夫の剣が英霊の剣を悉く防いでいるんじゃないか」

「それは君が手を抜いているからだろう」

「それでも、だ。少なくとも、そこらの剣士が相手なら70人以上の首を落としている」

 

 両者が打ち合った回数は五十二合。しかしこの騎士は、それ以上の人間を殺せると言う。

 それも当然か。

 ただの人間が英霊を相手にして真っ当な戦いに持ち込めるはずがない。それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙劇。

 刃の一振り、一突きが何人もの人間を絶命させる兵器なのだから。

 

「それに。私が加減をしていると言うのなら、それは君も同じだろう」

「・・・・・心外だな。私はこれでも必死なのだが」

 

 セイバーはそう言うが、それはありえない。

 剣の英霊相手に半端な心持ちで挑めるわけがない。もしそんな愚行を犯せば、無様な醜態を晒した人間の死体が出来上がるだけだ。

 だからこその本気。今こうしている時も、敵が隙を見せればその瞬間にその首を落とそうとしている。

 

「ああ。確かに君は本気を出だ。セイバーの間合いで戦い、敵わないと言いながら虎視眈々と私を討ち取る機会を伺っている--けれど、例えそうであったとしても、君は全力を出していない」

「・・・・・・・・・・」

 

 紡がれた言葉は予測でも、直感でもなく断定--信じ難い事に、それは衛宮士郎が手負いであるという事実以上に、何らかの策を隠し持っていると暴き立てる言葉だった。

 戦闘を開始してから経過した時間はほんの数分。

 五分にも満たない僅かな時間の中、この騎士はこちらの内情を把握したと、そう言うのか。

 

「言っただろう。見た目通りの騎士ではないと。生前の私にとって、腹の探り合いというのは日常茶飯事だったんだ」

 

 暗殺者という表現はあながち的外れではない。

 この英雄の生前とは、輝かしいものばかりではなく、誰もが目を逸らしたくなるような暗がりに身を沈めるものでもあったのだ。

 無論、赤の他人でしかない衛宮士郎がその事実を知る事はない。

 しかし、だからこそ彼は理解できない。

 

「・・・・・何故、敵である私にそんな情報を与える」

 

 数分前に発したものと同種の問いを投げかける。

 セイバーが衛宮士郎に忠告紛いの言葉を漏らしたのはこれで二度目。

 いかにこの場で殺す気が無くとも、両者は対立する敵同士。自身の能力や正体が漏れるかもしれない危険をわざわざ冒す必要はない。

 騎士の発言を鑑みれば少なくとも、慢心や戯心で口を滑らせるような人物でない事は確かだ。

 

「何故か、と言われれば--それは困るからだ」

「なに--?」

 

--その瞳を。

 

 衛宮士郎は、はじめて直視した。

 

「あんた--」

 

 濁っていた。淀んでいた。沈んでいた。

 死んだような眼をしながら、それでもナニカを求めて彷徨っている。

 

「私たち竜の魔女に招び出されたサーヴァントはただ一騎の例外もなく狂化されているんだ」

 

 ずっと疑問ではあった。

 ラ・シャリテで遭遇したランサーもこの騎士もクラス名にバーサーク、という一字を加えていた。

 その意味を、ようやく理解する。

 

 --狂い果てる<バーサーク>

 

 言葉のままだったのだ。

 彼らはそれぞれのクラスを持ちながら、狂戦士<バーサーカー>の性質を付与されている。

 

「狂化されたサーヴァントがどうなるか。君もマスターなら判るだろうだろう?」

 

 考えるまでもない。

 狂化とは文字通り英霊を狂わせるモノ。

 何を以って狂っているとするか、それは平時から逸脱しているか否かで別れる。

 初めから狂った者はいない。どれほど常識からかけ離れて誕生しようと、生まれ持った性質であるならそれは当人にとっては正常だ。

 それ故の狂化。生前、狂気に囚われた経験のある英霊を対象に、その理性を奪い暴走させる。

 

「だから、困るんだ。君にはもっと頑張ってもらわないといけない。そうでないと--」

「っ・・・・・!?」

 

 再び振るわれる剣。

 同じ人物から放たれたそれは--

 

「私は、眼に映る全てを殺戮してしまう!」

 

 されど、今まで以上の膂力を以って衛宮士郎を押しつぶさんとする。

 狂乱の叫びは、喜悦と懇願に満ちていて。

 

「だからどうか、この昂りを晴らさせてくれてくれ!!」

 

--解き放たれた狂気のもと、白百合の騎士が舞い乱れる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

--リヨン西部草原地帯。

 

 数分前、夥しいまでの数で大地を埋め尽くしていた骸だが、その姿は以前ほどの威容を保っていない。

 街の正面から侵攻したその軍勢はその大部分が分断され、散り散りになっている。

 それを成したのは盾の乙女と救国の聖女か。

 それは間違いではない。

 二人の少女が排除した敵の数は優に400は超えており、骸による街への被害は最小限に留められている。

 しかし現状は、英雄が異形を退けた、というような分かりやすいものではない。

 

「よく防ぐものね。"彼"の腕は軽いものでははないでしょうに」

「はっ--は--!」

 

 その声はマシュ・キリエライトのものでも、ジャンヌ・ダルクのものでもなかった。

 青みがかった黒の長髪を揺らす女性。

 十字架を象った長大な杖を携えたその人物こそ、フランスを滅ぼす竜の魔女の尖兵が一騎--バーサーク・ライダー。

 骸の軍勢を屠る二人の少女の前に現れた彼女は、その役目通りに戦いを仕掛けた。

 

「けれどそれも時間の問題でしょう。貴方たちの力では、どうやっても"彼"を打ち倒せない」

 

 そして、ライダー以上にその目を引くのは、彼女の背後に存在する巨大な影。

 体長10mにも及ぶ、六本の足をもながら二本の足で大地に立つ、亀の如き甲羅を背負う竜。

 ライダーに付き従うそれはワイバーンの様な亜竜ではなく--正真正銘、人々の恐怖の象徴たる竜<ドラゴン>である。

 

「マシュ、まだ戦えますか?」

「無論です。まだ、倒れるわけにはいきません!」

 

 数的有利もあってマシュは当初、ライダーとの戦闘は自分達が有利であると考えていた。

 二対一を承知で挑んできた相手の思考を訝しんだ。

 だが蓋を開けてみれば苦戦を強いられているのはマシュたちであった。

 

『■■■■■■----ッ!!!』

「っ・・・・・!」

 

 亀竜の咆哮が響き渡ると同時、巨大なナニかが空間を薙ぎ払う。

 それに一歩遅れる形でマシュが踏み込み、盾を掲げる。

 

「ぅ--く--!」

 

 次いで衝撃。

 構えられた大盾は巨大なナニか--亀竜の腕を受け止めていた。

 自身の全身より遥かに大きな竜の腕を相手に、マシュはその華奢な体で拮抗している。

 だが、拮抗していると言ってもそれはギリギリで、辛うじて張り合えていると言う方が正しい。

 膂力の差は明白だ。

 マシュがいかにサーヴァントとはいえ、相手は竜。英雄<ニンゲン>と竜<バケモノ>の力比べでは、そもそも勝ち目がない。

 本来なら勝負にすらならないが--曲がりなりにも渡り合えているのは彼女が盾の英霊<シールダー>であるが故か。

 

『■■■■■----ッ!』

 

 しかし、竜にはそんな少女の奮闘は関係ない。

 受け止められたなら相手が根を上げるまで押し込む。

 竜種という存在が人々にとって恐怖の象徴であり、挑み掛かる勇者の身も心も粉砕し尽くすものなら、現状はまさに亀竜の本領発揮だ。

 その儚くも強固な盾を少女の想いごと圧し潰す。

 

--されど、この戦いは英雄と竜の一騎打ちではない。

 

「マシュ、そのまま抑えて--!!」

 

 黒の盾の影から、もう一人の少女が跳躍する。

 本来、味方を鼓舞する為の聖旗を、ジャンヌは槍のように振り上げ竜の顔面めがけて飛び込んだ。

 

『----ッ!』

 

 迫る驚異を亀竜が視認する。

 このままではまずい、と叫びをあげ--それ以上動く事はできない。

 さしもの亀竜にも、サーヴァントを相手にしながら別の敵を迎え撃つような対応力はない。

 故に、ジャンヌはその絶対の隙を逃すまいとし。

 

「っ----!?」

 

--瞬間、少女が光に包まれる。

 

 何の前触れも予兆もなく、ジャンヌの肉体で爆ぜる魔力。

 亀竜に意識を集中させていた彼女に抗う事はできず、その衝撃のままに吹き飛ばされる。

 

「ジャンヌさんっ・・・・・!」

「私は大丈夫です!それより彼から目を離さないで!」

 

 マシュは亀竜の剛腕を流すことで後退し、落下したジャンヌのもとに駆け付ける。

 ジャンヌはルーラー故の高ステータスのおかげか、大きな傷を負ってはいなかったが--

 

「やはり駄目です。彼女がいる限り、わたし達ではあの竜を退ける事はできませんっ!」

 

 ライダーとの交戦以降、今のような光景が何度も繰り返されている。

 マシュがどんなに竜と拮抗しようと。ジャンヌがどれほど疾く竜を狙おうと。亀竜が隙を晒したとしても、傍のライダーがそれをすぐに埋めてしまう。

 そうして逆に隙を見せた自分達に再び竜の腕が落とされる。

 

・・・・・然もありなん。

 

 強大なる超越者。英雄に匹敵する、或いはそれ以上の存在。

 幾多の神話や伝承においてその存在が記される竜種--それだけが相手であったのなら、マシュ達がこれほど苦戦する事はない。

 竜<バケモノ>は英雄<ニンゲン>の天敵だが、これを逆転させるのもまた英雄が英雄たる所以である。

 多くの物語において竜は英雄に討たれる定めにある。ならば亀竜との戦いにおいて、英雄たるマシュ達が敗ける事はない。

 

--だが違う。

 

 英雄による悪しき竜の討伐。この戦いは決してそのような物語ではない。

 打倒すべきはあくまで”ライダー"なのだ。

 英雄と同等以上の力を誇る存在--それを己が力として自在に扱う"英雄"こそが、彼女達の真の敵である。

 

「確かに、彼女を倒すには私達ではどうあっても手が足りない」

「せめて、先輩やセイバーさん、ライダーさんが居てくれれば話は別なのですが・・・・・」

 

 マシュもジャンヌも守りにおいては鉄壁を誇るが、攻勢においてはその限りではない。

 防御力の高さが攻撃力の高さに通じる事はあるが、これはそのような数値上の理論ではなく、在り方の問題。

 他者の守護に重きを置く彼女達にとって、それ以外の事柄は不得手と言える。

 護り手<ディフェンダー>がその真価を発揮するには、頼りになる前衛<アタッカー>が必要なのだ。

 

「竜の一撃が骸ごと蹴散らしてくれているのが、唯一の救いですね」

 

 亀竜が振るう腕は、豪快の一言に尽きる。

 少女達を圧壊せんとするそれは、味方であるはずのスケルトンすら巻き込んで叩き込まれる。

 盾と腕の激突は途方も無い衝撃を発生させ、骸達は骸骨故の軽量さで吹き飛ばされる。

 マシュ達が削った400体のスケルトンに対し、ライダーと亀竜はその暴風のごとき破壊を以って500近い数を木っ端微塵にした。

 それがどのような意図で行われたのかは定かではない。

 スケルトンは戦力として何の足しにもならないため同士討ちを考慮しなかったのか。マシュ達との戦いにおいて邪魔だったから諸共に破壊したのか。

 一つ確かな事は、地上からの侵攻による街の陥落は完全に御破算となったという事だ。

 

「ですが、やはりこのまま膠着状況が続くのも拙い。ライダーがどうやって攻撃しているのか。せめてその仕組みもわからないままでは、私達は余りにも無防備過ぎる」

 

 ライダーが発しているであろう魔力は、およそ前兆というものがまるで無い。気付いた時には攻撃されていて、無様に吹き飛ばされる。

 防御も回避も許さない、不可避の閃光。

 亀竜とライダーの連携を崩し、竜の守りを突破した上で、正体不明の攻撃を加えるライダーを討ち取る・・・・・とてもではないが、不可能と言わざるを得ない。

 無論、このまま耐え忍ぶという事も、また出来ない。

 サーヴァントとしての実力はライダーが圧倒的に優れている。

 宿した英霊の真名も分からず、宝具を扱えないマシュ。サーヴァントとしての能力の殆どを失っているジャンヌ。

 どちらが勝っているかなど、考えるまでもない。

 このまま戦い続ければ、そう遠くない内に二人が先に潰れる。

 

『二人とも、聞こえるかい? 先程、ライダーの解析が完了した』

「ダ・ヴィンチちゃん!?」

 

 窮地へ追いやられたマシュ達へ通信をよこしてきたのは、カルデア所属サーヴァントにして技術顧問のレオナルド・ダ・ヴィンチ。

 平時においてはその突拍子も無い立ち振る舞いで周囲を振り回す彼女だが、この場においてはその性質の鳴りを潜めている。

 

「それで、どのような解析結果だったのですか」

『うん、結論から言うと、ライダーのあの魔術は彼女の杖を起点として発生している』

「杖、ですか・・・・・?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に従い、マシュは改めて敵の得物を視る。

 全長で言えば自身が振るう盾にも匹敵する、大きな杖。十字架をモチーフとしたであろうそれは英霊の所有する武具として確かに相応しいだろう。

 だが、今しがた聞いたように、魔術を行使出来るような代物には到底思えない。

 

『だからアレはあくまで起点だ。彼女の魔術行使、その本質は--』

「--祈り、ですか?」

「おっと、ジャンヌ君に台詞を取られてしまったね。--その通り。あれは彼女の祈りを一切の過程無く、魔術という形に変えて放っているものだ」

「そうですか・・・・・」

 

 腑に落ちない様子のマシュと違い、ジャンヌは納得を得ていた。

 

「ジャンヌさんは予想していたのですか?」

「あの魔力が祈りによるもの--それも、私が信仰する主と同じ神へ向けられたものだという事は、なんとなくですが予感していました」

 

 マシュが想像していた以上に、ジャンヌがライダーから感じ取っていたものは多かった。

 殊更、その祈りの向かう先まで予見していたことに、彼女は驚きを隠せない。

 

『そこまで直感しているなら、あのライダーの真名、君にはもう分かっているんじゃないか?』

 

 カルデアでは既に、解析から得られた情報を元に敵ライダーの真名を絞り込んでいる。

 だから、ダ・ヴィンチの問いかけは予想ではなく確信。

 客観的な情報からカルデアが敵の正体に当たりを付ける事が出来たのなら、より根源的な部分でライダーの性質に気づいたジャンヌが同じ解答に辿り着かないわけがない、という断言。

 

「・・・・・初めから、記録に該当する要素は見られました。十字を象った杖。亀のような外見の竜。それらを兼ね備えた上で主への祈りを力に変えられるほど信仰篤い人物となれば思い当たるのはただ一人--聖女マルタ。それが彼女の真名でしょう」

 

 聖女マルタ。

 新約聖書にその名が記される女性。世界最大宗教において"神の子"と称される者と出会い、それをきっかけに生涯を信仰に生きた人物。

 殊更、タラスコンにおける竜退治は、彼女の名をより確かなものとする。

 

--曰く、聖女マルタは祈りだけで竜を鎮めたという。

 

「では、彼女の宝具らしきあの竜がタラスク・・・・・」

 

 旧約聖書に記される天地創造において神が五日目に産み出した海の魔物、レヴィアタン、或いはリヴァイアサンの仔。

 それが亀竜タラスク。レーヌ川に潜み、多くの人間を喰らった恐るべき怪物である。

 

「自ら名を明かしたわけではないというのに、目の前で真名を暴かれるのは、存外に不愉快ね--ですが、ええ。私の真名はマルタ。かつて主の教えを広め竜を鎮めた女の現し身にして、今は憎悪に狂う竜の魔女の使いっ走りです」

 

 自らの正体をつまびらかにされた彼女は、改めて己が真名を明かす。

 

「やはり、そうでしたか。ですが何故--何故、貴女ほどの英霊が竜の魔女などに加担しているのですか!」

 

 告げられた名を聞き、しかしてジャンヌは一切の油断も喜びも見せない。むしろ、その名を知ったからこそ彼女は問わずにはいられない。

 マルタは聖女としてその名を残した女性だ。その行いも、生涯も、在り方も高潔であり、彼女の魂の美しさは彼女と同じ神を信ずる者の多くが尊敬の念を抱くものだ。

 そんな彼女が、このような非道な虐殺を容認していると言う事実は、ジャンヌにとっては認めがたいものだった。

 

「・・・・・確かにこんな事、私の望むものではありません。けれど、今の私はサーヴァント。所詮はマスターがいなければ現界する事もできない、かつての影法師。おまけに狂化を付与されたとあっては、決して彼女に抗う事はできない。同じサーヴァントなら分かっていると思うのけど--それとも、貴女は少し違うのかしら」

「それ、は・・・・・」

「--ああ、なるほど。貴女も彼女と同じく、欠落を抱えているのね」

「っ・・・・・!」

 

 世界の滅び。かつての故郷で行われる虐殺。そして、復讐に狂う私竜の魔女

 この地において、サーヴァントとして召喚された彼女の役目は決まりきっている。

 世界を救うこと。より多くの命を守ること。竜の魔女などという"存在しない"誤りを正すこと。

 他の誰が望まずとも、他のナニかが指示せずとも、それだけは変わらない。ジャンヌ・ダルクはどうあっても戦いを選ぶ。

 

--果たして、本当に?

 

 彼女は理不尽な死を許さない。それは間違いではないだろう。

 だが、彼女は本当に、戦い抜くことができるのか。

 昨日、彼女は共に戦うと決心した士郎達に告げた。

 一人で戦うのは不安だった、仲間ができて心強い、と。

 この言葉の意味するところとは即ち、勝算が上がったことへの喜びだ。

 サーヴァントとして不完全な彼女は、自らが失敗することによる被害を危惧していた。それが士郎たちが仲間になった事で幾らか解消された。

 彼女の安堵は、ただそれだけの事。ジャンヌは、自身の心をそのように考えた。

 けれど、或いは、彼女の考えとは裏腹に

 勝利への不安ではなく、サーヴァントとしての不完全性でもなく--ただ自分に寄り添ってくれる誰かがいることに、安堵した事はなかったか。

 

「--呆れた。そんな様で、貴女は本当にこのフランスを救えるつもりなの?」

 

 投げかけられる問いかけは、今のジャンヌにとって毒そのものだ。

 少女が今まで封殺してきたナニか。それが致命的なまでに自分を歪ませると心の何処かで分かっているから、彼女は見て見ぬ振りをしてきた。

 だというのに、ライダーの言葉はその欠陥を暴き立てる。

 眼前に突きつけられたそれを無視する事はできず、正体不明の違和感と少女は否応なしに相対しなくてはならない。

 

「答えを出せないと言うのならこれ以上話すべき事もない。何もできないまま、この国の滅亡を眺めていなさい--ッ!」

『■■■■■■■■--------ッ!!!!』

 

 ライダーの意思に応え、竜の咆哮が轟く。

 タラスクはその巨体を以って、再び少女達を押し潰そうとする。

 

「させません--ッ!!」

 

 即座に反応したマシュが、竜の吶喊を受け止める。全身を貫く大衝撃に呻きをげながら、それでも少女は倒れない。

 その姿を見て、ジャンヌもまた己の役割を思い出す。

 彼女の悩みも欠落も、この戦いには関係のない事だ。どうあれ彼女が今すべきは、目の前の敵を退ける事。

 得体の知れない不安の対処など、この場で考えることではないのだから。

 

--かくして、二人の未完成な英雄と堕ちた聖女の戦いが再開される。

 

 それぞれ果たすべき役目があり、互いに譲れぬものがある。

 片や、世界を救うため。片や、ナニかの到来を待ち続けるため。

 どちらか一方を斃し、己が願いを貫くために--戦いは激しさを増していく

 

 

 

 

 




一年以上も時間をかけておきながら内容自体はあまり進んでいないのが何とも言えません。前話のように一人だけの戦いなら良いのですが、同じシーンで複数人描写しようとするとどうしても二話ほど跨いでしまいます。リヨンはオルレアン編全体で考えればまだまだ序盤なので、あんまり激しく盛り上げられないので余計に難しく感じます。次話もいつ投稿できるかわかりませんが、どうか長い目で見守って頂ければと。

以下、恒例と化してきた弊カルデア新規召喚サーヴァントの紹介です。

クー・フーリン・オルタ(実装当初から幾年、ようやくお迎えできた黒化アルスターの大英雄。これで後はアーチャーのオルタを召喚すれば、SN勢の三騎士が通常・オルタ共に勢揃いします)

『両儀式』(とある雪の日にただ一人の男の前に現れた泡沫のごとき女性。一歩間違えればビースト化やら世界滅亡やらが起きる可能性があるが、いつかの誰かのように、ありふれた人間だったためその心配は今のところない模様)

紅閻魔(現状、調理技術においてはカルデアに召喚されたサーヴァントの中で頂点におわすであろう小さな女将さん。遂にアーチャー/エミヤもお株を奪われたか、と思いきや総合力や台所での統括力では上回っていそうな上に、女将には板長と呼ばれて一目置かれてる辺り、流石の一言です)

ナポレオン(実は第二部実装組ではトップクラスに好きなサーヴァント。人々に斯く在れと望まれた、故に斯く在る、という英霊という存在そのものを体現したような彼がとにかく格好良くて、北欧で見せた活躍とヒトへの信頼が胸を穿ちました)

項羽(山ちゃんこと山寺宏一さんという神域のお声をお持ちの超大物声優さんが、ついにTYPE-MOON作品に出演という事で、当時は心底驚きました。演じる英雄も中国きっての大英雄が一人。異聞帯の姿で召喚されているが、実際中身は汎人類史側の模様。個人的には汎人類史での姿も見たいです。無論、順当に考えればストーリーで使われた姿で実装されるのは当然ですが、それでもせっかくですから再臨や霊衣でお披露目してくれてもいいと思うのです)

ナイチンゲール(婦長の愛称でお馴染み更迭の看護婦にしてクリミアの天使。生前の逸話が過激過ぎてバーサーカー化に一切の疑問や違和感を感じさせないのがすごいところ。弊カルデアではフランちゃんと共にQパで活躍してくれており、彼女のスキルで本来スタンが入る磔刑の雷樹を連発できるのです。もともとフランの宝具レベルが4と結構高めなので、スカスカシステムによって最終フェーズでは平均14、5万のダメージを叩き出してくれます)

老李書文(若い方と同じく、何故かクラスが入れ替わっている老師。閻魔亭で唐突に按摩師やりだした挙句、ぐっちゃんパイセンを悶絶させてたのは余りにも面白過ぎた)

"山の翁"(セイバー/アルトリアさんがFateの顔なら、TYPE-MOONの顔である中田譲治さんvoiceサーヴァント。ゲームにおけるティアマト戦ではこれでもかと言うぐらい格好良い 姿を見せてくれましたが、アニメでは微妙と言うか、想像していたものとは別物でした。ネガ・ジェネシス内の描写は冠位も失って本来動けない筈の領域での戦闘な上に、概ね設定通りの描写でしたからまだ許容できるんですけど、11のラフムとの戦いでなら、もっと剣戟の極致みたいな戦いを見せてくれても良かったと思う。やはり、TYPE-MOON作品の戦闘シーンにおいて、UFOは頭一つ飛び出ているのでしょうか)

水着武蔵(何をどうやったら聖杯うどんなんていうぶっ飛んだ発想にたどり着くのか、これでセイバーさんまで聖杯ご飯とかやらかしたら目も当てられませんよ)

水着槍アルトリア(プレイ4年目にしてようやくお迎えできた水着の騎士王。自分、水着の騎士王とは滅法相性が悪く、アーチャーのセイバーや、ライダーのセイバーオルタの召喚にことごとく失敗しておりまして、ベガスも武蔵ちゃんや復刻マーリンに目移りしてしまったため彼女に回せる石が減り、自力での召喚は出来ませんでした。ですが、5000円程課金して最後の10連でおいでくださいました。年々新しいセイバーさんの系譜が実装されるため、その度に士郎に引き合わせたい欲が強くなってしかたありません。自分、ランサーアルトリアが準ぐだラブ勢っぽい描写されてるのが心底気に食わない面倒くさい輩なので、余計にその想いが強まります。たとえどんな姿で、別のクラスで、神霊寄りになっていようと、アルトリア・ペンドラゴンにとって最高のパートナーは創造神から魂の双子とまで称される衛宮士郎だけなのです!!!!!)

アーサー(本家セイバーさんを召喚する前に何故か召喚できた、プロト騎士王。彼がいるせいでいずれあのお姉ちゃんが現れるのではないか、と不安になります。同じ根源接続者や快楽天ビーストなどの前例があるから余計に心配です)

紫式部(泰山解説とか言うおっそろしい呪術を悪気なく行使しちゃう妖艶ながら可愛い歌人。彼女にあんな悪趣味なもんを教えた安倍晴明はキャス狐の言う通り、本当に性悪イケメンかもしれない)

セイバー/騎士王アルトリア・ペンドラゴン(遂に!! 2020年1月12日に!!ようやくお迎え出来ました!!!
もうほんと嬉しくて、速攻霊基再臨レベルマにし、あるだけ金フォウぶち込んでパーフェクトセイバーにしようと意気込みましたが、素材不足でスキルマは出来ず、カリスマのスキルランクが未だ低いまま。おのれ、英雄の証め・・・・・。コロナ騒動のせいで風王結界の簡易霊衣の実装も長引いて残念です。けど召喚できたのでこっちのもんです!)

オデュッセウス(キルケー敗北拳の原因となった天然ジゴロ。イベントやマイルームボイスを聞いてわかったのですが、彼はあれだ、士郎とか志貴とかと同じタイプで、無自覚に女性を落としていく男だ。そのくせ惚れた相手には一筋なあたり、本当に士郎たちと一緒なんですよね)

ロード・エルメロイ二世/諸葛亮孔明(玉藻、スカディに続く三人目の人権サーヴァント。二世のキャラ自体が好きな上に、サポート最高位の性能なおかげでパーティ編成の幅が大幅に広まりました)

今回は星5だけを載せましたが、実際には9騎ほどの新規星4サーヴァントも召喚しています。流石にその全てを乗せると長すぎるので今回は割愛です








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