angel beats : music of the girls, by the dead, for the monster   作:カリー屋すぱいしー

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Chapter.1_7

『すまないあとちょっと練習していいか。もう少しで昼食の時間だから』

 

 岩沢にそう言われ俺は教室から追い出された。

 壁に背を預け昼食の時間まで待ち続ける。

 ただ教室から響いてくる音色はとても新鮮で暇をもてあます事はなかった。

 

 ●

 

「わるい、またせたな」

 

 練習を終え岩沢たちが教室から出てくる・

 片付けは済んでいるようで、ドラム以外の楽器はケースへとしまわれ各で担ぎシールドやアンプの類は一カ所にかためられていた。

 

「アンプとか放置しといて大丈夫なのか?」

 

 盗まれる心配はないと思うが授業をサボって練習しているのだから教師に見つかったら没収されてしまうのではないだろうか。

 話に聞く生徒会長も相当規則に厳しそうだし、ほっといたら無くなってしまう気がする。

 

「それなら戦線の人たちにあとで回収してもらうように頼みますよ」

「どうせこの人数じゃどうにもなんないし、ていうかゆりに頼んどいてくれない?」

「それが最初の仕事ッすか」

 

 へいへいと言いながら俺はトランシーバーを取り出す。

 

「わざわざ出向いて頼まなくても今連絡すればいいだけだろう」

「そうかじゃあ今頼む」

 

 しかし、俺はトランシーバーを操作するが、周波数をセットして繋いでも反応がない。

 電源が入ってるかすら怪しい。

 

「そういや、落としたんだった」

 

 驚いて落とし壊したことを思い出す。

 顔を上げると哀れんだ眼で俺を見ている8つの瞳があった。

 

「つかえねーパシリだな」 

「じゃあ直接ゆりに頼んどいてね。あとそれの修理も自分で言うんだよ」

「ドンマイです」

「が、がんばってください」

 

 その同情は大変心にしみた。

 眼から汗が出そうだ。

 

 ●

 

 食堂へと向かうために学習棟の廊下を歩く。 

 戦線の本部がある教員棟は洋館をモチーフにしているらしく、床は木材と趣があった。

 しかしこちらの廊下はリノリウムで壁はコンクリートにペンキを塗った無機質ない。いかにも学校だ。

 時折、一定間隔であらわれる掲示板やおそらく無許可であろう落書きじみた同窓会の勧誘のチラシが無機質な廊下に人の営みの匂いを漂わせていた。

 

「それにしても遠いな、普通食堂って教室と同じ建物にあるんじゃないのか?不便だろ」

 

 窓から見える食堂を眺めながぼやいていると、律儀にもドラムの少女が反応をしてくれた。

 

「せ、生徒数が多すぎるんですよ。そもそも寮制なので自炊できませんから食堂で取るしか無いんです。そのため学習棟では2000人も食事を取るなんてキャパシティが持たないんじゃないですか?」

「にしてもここから離れすぎだろ。下手すると休み時間内に食いそこねる奴もでるんじゃないか?」

「それは寮との距離を考えてでしょう。どっちかに寄ると片方から遠くなりすぎてしまいますし、遠すぎると行くのも帰るのも億劫で食事を抜いていまう生徒が出てしまったら困るんじゃないですか」

「なるほどなー。必要な不便利ってやつかー」

 

 遠いのは仕方ないにしろ、せめてあれだけ大きい建物なのだからメニューも豊富なことを祈ろう。

 定食3種類程度とかだったら悲しい。

 

「ところでさ、そういえば君の名前まだ聞いてなかったわ」

 

 窓から視線を外し、横を歩くドラムの少女に顔を向ける。

 向けた途端視線が合うといきなりビクつかれた。

 ……俺は怯えるほど凶悪な面だったのだろうか。なんか泣ける。

 

「え、あ、すいません、自己紹介がまだでしたね。あたしは入江っていいます。ガルデモでドラムスを担当しています」

 

 ビクつきながらも丁寧にお辞儀をされたのでこちらもよろしくとお辞儀を返す。

 とって食うわけでもないのだから、そんなに怖がらなくても大丈夫なのだが。

 どうもこの子は叩いてる時と通常時とのギャップがありすぎる。

 

「みゆきちは怖がりだからねー。あんまり泣かせちゃだめだぞ」

「しおりん!」

 

  前方を後ろ向きに歩くベースの少女に入江が抗議の声を上げる。

 

「あたしは関根だよ!ベースやってるぜい!ところでお兄さんの名前は?」

 

 俺は最初に名乗ったろと呆れながらも関根に答えてやる。

 

「星川だよ。よろしくな」

「何年生?」

「たぶん3年」

「じゃあ先輩さんかー」

 

 よろしくーとハイタッチを要求してきたので華麗に無視する。

 関根は弾いている時の印象と全く変わらないようで安心した。

 現実でもあのアドリブのように無茶なイタズラをしてほしくはないけれど。

 入江もここまでとは言わなくてももう少し堂々としても良いともう。

 これから顔を合わせるたびにビクつかれたら困るし。

 

「あ、あの。私なにかおかしなところありますか?」

 

 つい気になってジロジロと見てしまっていた。

 入江はさらに深刻そうな顔をしてしまう。

 

「いや、そんなことない……ちょっとあるか?」

「ひええええ」

 

 怪しげな声を上げながら入江は顔を青くする。

 このままだと髪の色と同化しそうな勢いだ。比喩だけど。

 

「みゆきち困らせないほうがいいよ、泣いちゃうから」

「しおりん!」

 

 今度は関根の頭をポカポカと可愛らしく叩いて直接抗議をする入江。

 目尻に若干光るものがあるから本当に泣きそうだったのかもしれない。

 

「わるいわるい、あんまりにも印象が違ったからさ」

「え?」

「ドラム叩いている時と今の入江さん、別人かよって思うくらい違うから」

「あー、たしかに。叩いてる時のみゆきちのはしゃぎっぷりったらすごいもんね。ファンの中でも素の性格勘違いしちゃってる人いるみたいだし」

 

 どう効いたのかはわからないが確かにダメージは受けたようで、入江の表情は青くはなくなったが暗くはなりうむいてブツブツと愚痴りはじめた。

 

「そうですよね。はしゃぎすぎですよね。わかっているんですよ、自分でも。でもバチ握ってあそこに座るとなんか気分上がっちゃうんですよ。止められないんですよ。止まらないんですよ。ついつい楽しくなっちゃうんですよ。嫌ですよねこんな女。周りからも変だってことはわかってんですよ。でもやっぱり止まらないんですよ」

「いや、俺は好きだよ。かなり」

「へ?」

「だから好きだよ」

 

 さっきまでこの世の終わりだといわんばかりに沈んでいた顔が虚を衝かれたように呆ける。

 岩沢といいなんで俺は女の子のこんな顔を良く見るのだろう。

 笑顔が見たいよ笑顔が。ゆりの笑顔は裏がありそうで怖いから遠慮するが。

 

 停止したままの入江に言葉を続ける。

 

「ああやって楽しそうにドラム叩く人結構好きだよ?見ているこっちまで楽しくなってきそうだし。まあ好きだったバンドの初代ドラマーがそういうタイプだったんだけどね」

「は、はぁ」

「それに感情ってやっぱ音やリズムにもノるもんだと思うんだよね。ドラマーが楽しそうにビートを刻んでくれるとさ、それは広がって他のメンバーにも観客にも伝わっていくんだよ。だから入江さんのあの姿結構好きだよ俺」

 

 好きだったバンドのドラマーがライブ映像ですごいにこやかに叩いている姿を思い出す。

 坊主にサングラスとヘッドフォンが印象的だった彼はで途中で脱退してしまうけれど、俺にとってそのバンドのライブと言われて思い浮かぶのはやはり彼だった。

 入江にも同じようなシンパシィを感じた。

 

 一応ほめたからさすがにネガティヴな表情から脱出はしてくれたかなと入江の顔をみる。

 当の本人は青くもなく暗くもなかったが、なぜか真っ赤な顔をしていた。

 そしてまた目が若干潤んでいる。

 どうした俺ミスったか?さすがに男と同じ扱いにしたのがまずかったか?怒ってるのかな?

 

「あー、やっちまいましたな星川先輩。こりゃ困った困った」

 

 ニシシと意地の悪い笑いをする関根。

 大変ウザったいが今はこいつにかまっている場合じゃない。

 どうする?やはり土下座か?

 ちゃんとダッシュで下がってやるべきか?

 

「まったく、みゆきちを困らせちゃいけないとは言いましたけどね。これじゃ別の意味で困ってるよ」

「し、しおりん」

 

 入江は顔を真っ赤にしたまま再び可愛らしい武力抗議を関根に行った。

 やっぱ怒ってたのかな。

 

「ごめんね。怒らせたかったわけじゃないんだけど」

「いえいえいえいえいえ、大丈夫ですよ!?」わかってますよ!?」

 

 大きくかぶりをふりながら入江は謝る俺をたしなめた。

 

「う、嬉しかったんです、少し。今まで楽しそうだねとは言われたけど褒められたことはなかったから」

 

 そう言って入江は微笑んだ。

 その笑顔は岩沢やゆりに劣らず可愛らしかった。

 

「おいこらパシリ、なに勝手にうちのドラマー口説いてんだ。しばくぞ」

「口説いてねえよ。てかお前俺に対して厳しすぎね?」

 

 再び顔を真っ赤にしてかぶりを振って否定する入江の横で、俺は関根の前を岩沢と並んで歩くギターの子に怒鳴った。

 

「お前じゃない。人を呼ぶときはちゃんと名前で呼べと教わらなかったのかパシリ」

「名乗られた覚えがない!そして俺の名前はパシリではない!」

 

 そうだっけとギターの子は首をかしげた。

 関根といいこいつといい、横暴すぎないだろうか。

 

「もう、まったく。彼女はひさ子先輩です。バンドのリードギターですよ。それとご存知かも知れませんが、そちらが岩沢さんです。バンドのリーダーです」

 

 落ち着きを取り戻した入江が丁寧に教えてくれた。

 

「ちなみにひさ子先輩は巨乳だよ」

「おいこら関根!」

「ほう」

 

 彼女の胸部を見つめる。

 着痩せなのか、制服の上からだとあんまりわからない。

 背伸びでもしてくれればわかるのだが。

 

 俺のまじまじとした視線に気づいたのか、ひさ子はそのつり目を更につり上がらせて鋭い目付きで睨んできた。

 

「見てんじゃねえよ変態」

「安心しろ、顔や足もセットで全体を見ているから。うん、エロくていいな」

「どこが安心だ!やっぱ変態だ!」

「ちょっとそのギターケースたすき掛けにしてくんない?そのほうがわかりやすい。あと変態じゃないから」

「なんの弁解にもなってないですよそれ」

 

 呆れられながら入江に冷静にツッコミを入れられた。

 だいぶ自然に接してくれている。

 どうやら緊張はなくなったらしい。安心した。

 

 ●

 

 なんやかんや会話をしながら学習棟から出て少し歩き食堂へと着く。

 外から見てもその大きさには驚いたが、中の空間の広さもまた圧巻だった。

 

「広いなあ」

「すごいでしょ。私たちがやるライブもここが多いんだ。ほら、あそこをステージにするんだよ」

 

 関根が指さす方向を見るとそこには巨大な階段が鎮座していた。

 その幅広い階段の踊り場でライブはやるのだろうか。

 確かにここなら時間帯次第ではほとんどの生徒を集客させることが可能だろう。

 まさに陽動にはうってつけの場所だ。

 

「人が来ないうちにすませちゃおうか。早く行こう」

 

 岩沢が急かし歩調を速める。

 今はちょうど正午になろうとしているところだが、一般生徒は13時手前まで授業があるため居ない。

 ここの席がすべて埋まる光景には多少興味があるが、人混みになるのも嫌なので素直に従う。

 

「あれ、食券販売機あれだろ?」

 

 前を歩いていた彼女たちが販売機を通り過ぎて、そのままカウンターへ直接向かおうとしていたので呼び止める。

 食券も買わずにどうやって食べるつもりなんだ。まさか銃で脅すのか?

 

「ああ?何いってんだ?」

 

 ひさ子が怪訝そうな顔をして振り返り、他のメンバーも立ち止まった。

 

「あの、星川先輩初めてだから知らないんじゃないでしょうか?」

「あちゃー、じゃあ食券持ってないんじゃないの?」

「……あたしはもう渡せるほど残ってないよ」

「すみません、あたしも余裕ありません」

「あたしもー」

「ひさ子、麻雀で取り上げた分あるだろう?」

「なんであたしが!」

「可哀そうじゃないですか一人だけご飯ないなんて」

 

 一同の視線を浴びてひさ子はため息をついてからこちらに近づいてきた。

 

「いいかパシリ、ここでは食券を買わずに食べるのが戦線のしきたりなんだ。理由はよくわからんが、消えないためらしい」

 

 消えないため、ということはこれも授業と同じ日常の行為に反する行動ということなのだろうか。

 

「でも食券買わずにどうやって食うんだよ」

「それはもちろん食券を使う」

「買わないのにどうやって手に入れるんだ」

「それ……まあおいおいのお楽しみってことで」

 

 ひさ子は笑った。

 またお楽しみか。どうしようもなくきな臭い匂いしかしない。

 

「俺は食券ないんだが」

「仕方がないから今回はあたしのをくれてやる。ちょっと色々あって人より多めに持っているからな」

 

 ひさ子はスカートのポケットの中に手を入れて探る。

 

「……そこは巨乳の魅力を使って谷間から出すとかよ、色気Please」

「うるさい変態黙ってろ。食券やらないぞ」

「スミマセンデシタ」

 

 取り出された食券を見る。

 紙切れが4枚あったがすべて真っ白だ。

 

「何も書いてないぞ」

「裏返してんだよ。クジ引きだクジ引き」

 

 まためんどくさいことを。

 ひさ子の顔が楽しそうにニヤニヤしているので恐らくこの中にジョーカーなるものがあるのだろう。

 どんなゲテモノ料理を食わされるかわからないから慎重にならざる得ない。

 しかし、ここでウジウジ悩む姿を見せるのもこいつをつけ上がらせそうだ。

 それもまた癪なので、さっさと右端の食券に決めてひったくる。

 

「麻婆豆腐だ」

 

 よかった普通の料理だ。

 

「あちゃーそれ引いちゃいましたか」

 

 となりから関根が食券を覗き込んでくる。

 ちょうど顔の下に頭が来て女の子特有のいい香りがした。

 

「な、何かまずいんだコレ」

 

 照れをごまかすように俺はたずねる。

 

「不味いと言いますかなんといいます、ひさ子さん他にないんですか?初めてでこれはつらいと思いますよ」

 

 入江が問うとひさ子は手のひらにあった残りの食券をひっくり返す。

 『麻婆豆腐』『麻婆豆腐』『麻婆豆腐』

 

「・・・・・・おいこら何がクジ引きだ」

「誰が変態なんかにそうやすやすと食券やるかよ。ま、これはあたしからの入隊の洗礼だと思いな」

 

 そう吐き捨ててニヤニヤ顔でカウンターへと向かった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 入江が心配そうにたずねてくる。

 

「何がまずくてどうヤバイのかわからんが、さすがに食べられないもんじゃないだろう」

 

 それに実は麻婆豆腐は結構好きな料理だったりする。

 それでも入江は不安そうな顔のままだ。

 

「あの、これあげます。小盛りですけど」

 

 入江がくれた食券には『ごはん(小)』と書かれていた。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 好きだけれどさすがに麻婆豆腐だけではもの足りない。

 礼を言うと入江は少し不安が減ったようで微笑んだ。

 

「じゃああたしもあげましょう!はい」

 

 関根が渡してきた食券には『サラダ(つま)』と書いてある。

 

「え?なに?つまってサラダか?」

「一応野菜じゃないですか?」

 

 絶対こいつ自分で頼むの怖いから渡してきたんだろ。

 半眼で関根を睨むもニヤリと笑うだけだった。

 

「・・・・・・一応、ありがとう」

「一応は余計だろー」

 

 ふと制服が引っ張られる。

 今までずっと黙っていた岩沢が俺の袖を引っ張っていた。

 

「何?」

「はい、あたしもあげる」

 

 岩沢はもっていた食券を手に握らせてきた。

 その細い手が自分の手に触れ、その柔らかさに驚く。

 

「あ、ありがとう」

 

 あまりにも唐突すぎて恥ずかしくなるが、内心もっと触りたいという不純な感情も抱くが顔には出さないように努力した。

 しかしそんな心情とは裏腹に渡し終えると岩沢はすぐ手を離しさっさとカウンターへ向かっていった。

 その感触が残る手に握られた食券を見てみる。

 

 『セロリゼリー』

 

「一番ゲテモノじゃねえか!」

 

 ●

 

「おかしい、絶対におかしい」

 

 俺は目の前に置かれたブツを見て言う。

 

「だから言ったじゃないですか」

「がんばれー」

 

 心配そうな入江と完全に他人事で楽しむ関根。

 岩沢は横目で見ながらもやはり関心はないようでオムライスをもくもくと食べている。

 そしてすべての元凶はニヤニヤしながらうどんをすすっていた。クソが。

 

 どうなっているんだ、なんなんだこれは、おかしいだろ。

 カウンターでサラダが本当につま(大根)に醤油かけただけだったり、セロリゼリーが何故か青色をしていて、ごはんはごはんだったときはまだよかった。

 ツッコミ満載だったけど許容範囲内だった。正直楽しかった。

 だけどこいつが厨房の奥からやってきた途端、空気が変わり妙なプレッシャーが襲ってきた。

 そいつはすでに見た目、味わう前の段階からその危険性を禍々と示していた。

 

 赤い、ひたすらに赤い。

 

 そいつは赤色の絵の具ぶちまけてみましたと言わんばかりに真っ赤だった。

 

「こんなの絶対おかしいよ、これ麻婆豆腐じゃねえよ」

 

 その赤を見ながら悪態をつく。

 

 本来、麻婆豆腐の『麻』とは山椒のことを示す。

 正しい麻婆豆腐における辛さとは、痺れるような感覚の辛味を持つ山椒が大半を占めるはずなのである。

 本場風の辛口ならば山椒(正しくは花椒)がふんだんに使用されてこいつは黒いはずだ。そうでないならばどっちかというと茶色っぽい赤であろう。

 しかしこいつは赤い。

 この麻婆豆腐には全くもって黒い要素が見当たらなかった。

 よく目を凝らせば申し訳程度に点々と小さな黒が見える。もはや焦げと見分けがつかない。

 豆腐以外は赤、どこまでも赤。

 その色は中華料理における『麻』とは違う意味での辛味。

 刺すような、焼けるような痛みでもってその辛さを訴える、あの赤い食材をよくあらわしている。

 

 『辣』……即ち唐辛子。

 たしかかに麻婆豆腐にも唐辛子は使わなければならない食材だ。

 しかし、両方を上手く配分してこそ麻婆豆腐である。

 だが、この麻婆豆腐は本来あるべき『麻』の面影を一切排除しもうひとつの辛味『辣』が圧倒的に場を支配していた。

 もはや麻婆豆腐ではない、辣婆豆腐だ

 

「邪道だこんなもん。認めるか。てか絶対腹壊すだろ」

「いいからさっさと食えよ、男だろ」

 

 腹と肛門の心配をしていると、しびれを切らした元凶が対男用飛び道具①『男だろ』で覚悟を決めろと急かす。

 その言葉は現代だとセクハラ扱いできるから変態と罵倒してやろうかと思った。

 全くもって今の状況を打開できるわけではない。

 そしてこのまま眺めているだけでも意味はない。

 

 よし。

 

「いただきます」

 

 俺は覚悟を決めてレンゲを構えた。

 

 ●

 

 

 腫れる唇と腹の具合を気にしながら道を歩く。

 食事を終えると周りにチラホラと一般生徒が現れはじめた。

 混雑する前に出てしまおうと言われ、水をおかわりするのを断念せざるおえなかったからまだ少し口の中が辛い。

 

「辛かったなあ」

 

 今は口が一番痛いが、のちのち腹痛が襲ってくるであろうことを予想して欝になる。

 下手すると便所と一夜過ごしかねない、それほそ強烈な辛さだった。

 

「でもよく食べきりましたね。食べ終わるまであまりお水も飲んでいませんでしたし」

 

 関根と並んで前を歩く入江が振り返りながら言う。

 

「まあ、男の子ですから」

 

 このぐらいなんともないと胸をはる。

 本当は途中でやめてしまいたかったし、水を飲まなかったのは辛すぎて麻痺した舌をリセットしなおすより、このまま食べ続けたほうが辛さを感じにくくて楽だ考えたからだ。

 汗かきまくったし、最後の方なんか半分くらい感覚なかったけど。

 

「あれは男とか関係なくお世話になりたくはないよねえ」

「次は勘弁被るよ」

 

 関根の意見に同意する。

 今日は食券を持っていなかったから仕方ないが、できればもう一生食べたくない。

 

「でも関根や入江も女の子にしては結構な量食べてなかったか?」

 

 二人共普通に揚げ系の丼物を一人前完食していた。

 女の子ってそれなんの拷問だよって量の少ない食事をとっているのが大半だった気がする。

 体型維持のためにサラダ1つとかフルーツだけとか。

 

「星川先輩、それセクハラですよ?」

「エロいと思ってないからセクハラじゃないです」

「横暴すぎですよ……」

「でも普通の女の子の学生って基準で考えたら世間一般からは外れてるかもね。私たちもさ、生きていた頃は星川先輩が想像しているような食事だったよ普通に」

「そうなの?」

「でもこちらの世界では死にませんから、体型自体もそれほど変化があるわけではないんですよ。むしろ食べないとお腹へって動けなくなっちゃいます。最初はそのへん考えてなくて大変でした」

 

 なるほど、この世界では体型維持について気を使わなくても良いのか。

 死んだらそもそも歳すらとらないもんな。どーりで綺麗な子が多いわけだ。

 一部の人たちが聞いたら歓喜して来たがるだろうに。

 ただし死ぬことが条件という無理ゲーだけど。

 

 ついて行きながら歩くと学習棟とは別の方向に曲がった。

 

「もどらないのか?」

 

 岩沢が振り返る。

 

「練習はおわり。小テストとかなんかやるクラスが多いみたいで、音を出すのは控えろって今朝ゆりに忠告された。こちらとしても天使がやってきたら厄介だからね。今日は素直に大人しくしてるよ」

 

 なんだ今日はこれでおわりか。

 結局仕事らしいことってパシリしかやってないな。

 

「ふーん、あっそ。じゃ俺も帰って寝るか」

「……頼んだ仕事忘れてないよね」

 

 岩沢が半眼で睨みながら淡々といった。

 

「は?仕事?なんの……ワスレテナイヨ」

「いやいや、今なんのことだって言いかけてましたよ」

「何を言うんだ関根さん。忘れてなんかいない。ちょっと思い出せなかっただけだ」

「人はそれを忘れたと言います」

 

 入江に冷静につっこまれた。むぅ。

 

「じゃあちょっとひさ子さんのおぱいが気になって思い出せなかった」

「じゃあってなんだよ!人を巻き込むな変態!結局忘れてたんじゃねえか!」

「それなら仕方がないな。今度から忘れないでくれよ」

「Yes mam」

「いわさわあー!!」

「まあなんでもいいからさっさとゆりに伝えてくれよ。じゃあな」

 

 岩沢たちと別れ俺は教員棟へと向かった。


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