されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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5話 死んでいろ、ずっと

 ヒルダは込み上げる欠伸を噛み締めながら、自らの髪を指で絡め取る。

 

 目の前でヨーロピアンアンティーク調に仕上げた重厚なデスク、そこに両肘をついてヒルダを睨む片メガネをかけた男。

 ただでさえ細くてミミズみたいな目を、さらに糸ミミズのようにして睨む姿は、ヒルダから見れば実に滑稽極まりないものであった。

 

 「……まずは、礼を言わせてもらおう。よくぞアルタイルを壊滅させてくれた。感謝する」

 

 男は絞り出したかのような声でヒルダを功績を称えるが、ヒルダはそれを鼻で笑って受け止めた。

 そのヒルダを姿を見るやいなや、ヒルダを囲んでいた黒服の男たちから殺気が放たれるが、ヒルダはその余裕を崩さない。

 

 ヒルダは長く透き通った桃色の髪を細く陶磁器のように白い指で巻き取りながら、片メガネの男へ胡乱な瞳を向けた。

 

 「その割には、リカルドさんは随分とご機嫌斜めっぽい?せっかく頑張って殺したのに酷い、私は殺したくなんか無かったのに……」

 

 「つまらない冗談はよせ」

 

 リカルド・カエストス。

 黒社会の一角、『カエストス魔法商会』の頂点に座る男。

 だがその男の顔には隠し切れないほどの嫌悪感に満ち溢れていた。

 

 「ヒルダ、俺は『アルタイル』をお前に完膚なきまでに叩き潰せ、殺せと命じた。そしてそれに対するあらゆる手段を問わない、徹底的に潰せと確かに伝えた」

 

 自らの組織を上に押し上げるために自らの師と仲間を裏切り、殺し、悪魔と呼ばれながらも『カエストス魔法会』を裏組織で不動のものへと変えたリカルド。

 女子供も利益のためならば関係なく殺す、力無き者達を犠牲にすることに関して一切の躊躇いはない。

 

 「だがな、この世界にはルール、踏み込んだら許されない領域というやつがある。そこに『アルタイル』の馬鹿共は調子に乗って踏み込んだ。だからあいつらは世界に殺された」

 

 リカルドは力で組織を導くのではなく、理性の計算された下で組織を主導してきた。

 力だけでは管理世界を生きられない。力に任せた統制では、得られる利益に限界がある。

 いかに表の社会の裏側として共存し、生きていくか。

 

 「そう、この世界にはルールがあるんだよ。それを破ったら周囲が容赦しない。世界が俺たちを殺しにかかる」

 

 リカルドは広い視野を持ち、管理世界という構造を理解している。

 だからこそ彼は幾多もの謀略と裏切りを切り抜けてこれたのだ。

 

 壮年の男の顔には怒り。

 普段冷静なリカルドの見せる激しい怒りに、部屋全体の温度が急激に低下していく。

 

 「二十八人、この数が解るか?お前が殺した表の連中の数だ」

 

 「あれ、それっぽっちしか殺してなかっけ?」

 

 ヒルダの言葉にリカルドを囲む護衛の魔導士の顔が怒りに染まる。

 激昂して一歩踏み出した魔導士達であったが、リカルドが右手を挙げてそれらを制す。

 

 「誰一人、木の根から生まれたわけじゃない。殺した人間の情報操作にも限度がある。今回お前が殺した数はその限度を超えていた。この意味が解るかヒルダ?」

 

 「ヒルダ、全然解らな~い♪」

 

 「最悪、管理局が動いた可能性があった。いや、動きかけた。何とか間に合ったがな」

 

 時空管理局の存在は脅威だ。

 

 優秀な魔導士達を大勢懐に抱え持ち、執念深く敵と見なした者達を追い詰める。

 百年以上も数百の管理世界に幅を利かせているだけあって、その行動力と情報能力、そして戦闘能力は馬鹿げている。

 

 その時空管理局相手に情報戦を制し、ヒルダが残した痕跡を抹消した『カエストス魔法商会』の手腕たるや、鬼気迫るものがあった。

 

 なんせ時空管理局にたかが裏組織程度が群れをなして挑もうと、到底勝てるわけがないのだ。武装も人員も影響力も桁が違う。同じ土俵に立つことすら叶わない。

 時空管理局が一度腰を上げてしまえば、敵対組織に待つのは身の破滅のみである。

 

 いや。時空管理局が出動する前に、他の裏社会組織が『カエストス魔法商会』を全力で潰しにかかるだろう。

 下手をすれば他の裏組織までも巻き添えを食らいかねない、そうなる前に彼らは『リカルド魔法商会』を切り捨て、潰しにかかる。トカゲの尻尾切りのようなものだ。彼らにとって己の組織は、あくまでこの社会の一端に過ぎない。指先が一つかけようと、体裁は問題無く維持できる。

 

 実際ヒルダの行動でいくつかの裏組織が、『アルタイル』ではなく『カエストス魔法商会』に対して警告を行っていた。

 

 「お前が殺した連中の中には『アルタイル』への示威行為に影響がない者もいた。オルコット夫婦は料理屋を営業していたが、いずれの構成員とも繋がりが無い。お前が腹を開腹して殺した九歳の女児、メリー・ソリティアも同様だ」

 

 「誰だっけそいつら?」

 

 リカルドはついに我慢の限界を迎えたのか、砕かんばかりに両手で机を叩き付けた。

 映像が展開された情報端末をヒルダに向かって投げつける。

 

 「二十八人中、九人の表社会に生きる連中が『アルタイル』との繋がりが無い!そして殺した中には管理局に通じる民間人が確認された!下手を打てば我々が管理局に喧嘩を売る羽目になっていたのだ!いったい何を考えてお前は九人もの無関係な連中を惨殺した!?」

 

 ヒルダは床に転がった情報端末を面倒くさげに掴み取る。気だるげそうに映像を展開。

 映像と睨み合い、しばらく首をかしげていたヒルダであったが、「あっ」と小さな声で納得がいったかのように顎を僅かに引いた。

 

 空中に固定された映像に表示されたのは、金髪をポニーテールにまとめた可愛らしいあどけなさが残る少女。

 太陽のような笑みを浮かべているが、既に彼女はこの世にいない。

 

 「このガキがメリー?」

 

 「そうだっ!『アルタイル』の構成員達の親類でなければ、交友関係を調査しても彼女の姿は無い!何故お前はこの娘を――――」

 

 ヒルダは笑った。

 

 「『アルタイル』の馬鹿の一人が、このガキが落としたボールを拾っていたんだっけ。それでたまたま目についたから殺したの」

 

 「――――は?」

 

 予想だにしない言葉に、リカルドの思考が停止する。

 

 何度もヒルダの言葉を脳で咀嚼するが、彼の脳がそれを理解することを拒絶した。

 ヒルダを囲むようにリカルドを護衛していた魔導士達も、リカルド同様に意味が解らなかった。

 ヒルダは呆然と自らを見つめる男たちを一切無視しながら、映像をさらに展開していく。

 

 「このブッサイクな夫婦は『アルタイル』の一人が通いつめていた料理屋だって情報屋から知ったから。この老害はいつも構成員の馬鹿に毎朝挨拶していたから殺した。こっちのイケメンは学生時代の同級生の一人だったから、まぁいっかっておまけで殺したんだっけ?それでこっちが『アルタイル』の一人がよく行って指名していた娼館の腐れ女で……え~と、こいつはかつての恋人だらしいし、なんかムカついたからチョコレートでその顔を潰しちゃったんだ」

 

 「何を言って……」

 

 「どう、これで納得できた?」

 

 ヒルダは楽しげに言葉を並べ立てるが、部屋にいるヒルダ以外の全員が彼女の言葉を理解できなかった。

 

 自分がすれ違う人々、言葉を交わす人々がヒルダによって殺されていく。

 それはどれほどの恐怖をアルタイルに与えていたのか、想像も出来ない。

 

 そして最後の映像一枚、そこには老夫婦が仲睦まじく手をつないでいる姿があった。幸せそうに微笑んでいる老夫婦を見ながら、ヒルダは腕を組んで唸る。

 しばらく思考に耽っていたヒルダであったが、やがて「ああもうっ!」と叫んで情報端末を床に叩き付けた。

 

 しばらく肩で息をしていたが、周囲が唖然としながら自分を見ていることが解ると、可愛らしく舌をだしながら軽く頭を叩いた。

 

 「こいつら殺したっけ?……まぁいいや、かわいいヒルダちゃんに殺されたら本望だよね♪」

 

 その最後の一声で護衛の魔導士達の硬直が解放、目に宿すは激しい怒りの炎。

 抑えきれなくなった魔導士達が、次々とヒルダへ向かって怒声をまき散らす。

 

 「てめぇッ!たったそれだけの理由でこいつらを殺したのかッ!?」

 

 「イカレているとは思ってたが、何のために殺しやがったッ!?」

 

 「俺らがどれだけ尻拭いした思ってやがる!」

 

 男達の怒りがヒルダへ向かう。だがヒルダは気に止めている様子はない。耳元で蝉に鳴かれるかのような鬱陶しさを顔に表す。

 

 「え、なんで貴方達そんなに怒ってるわけ?もっと殺したほうが良かった?実は私もちょっと思っててね」

 

 「ふざけるなッ!」

 

 「……だからさぁ、何をふざけてるっていうの?」

 

 ヒルダの氷のように冷たい視線と声に、歴戦の魔導士達の熱が一瞬にして冷却。

 まるで肉と血の詰まった袋を見るように、ヒルダは周囲を見渡して鼻で笑う。

 

 「どいつもこいつも馬鹿ばっか。それだけの理由?……お前たちはいったい何を言っているわけ?」

 

 顔を歪めて見下す端正で整ったヒルダの顔は愉悦に歪んでいた。

 見るものすべてが恐怖に陥るような、『ザッハドの使徒』としての狂気がその顔に張り付いていた。

 

 かつて感じた事のない狂気にあてられた魔導師達の輪が、ヒルダから一歩ほど広がる。。

 

 「袖振り合うのも多生の縁っていうのは東方のことわざだったっけ?まぁともかく私は『アルタイル』に関わる連中を命令通りにぶち殺していただけ。ボールを拾った、行きつけの料理店を経営していた、挨拶した、元恋人だった、股を開きまくった、十分な理由じゃない。だから仕方がなく殺す事にしたけれど」

 

 舌なめずりをしたヒルダの唇が、三日月のような弧を描いた。

 

 「それだけじゃ、つまらないじゃない」

 

 護衛の魔導士達はようやく気が付いた。

 目の前でニタニタと嗤う美しい少女は、常識では一切量ることの出来ない人の皮を被った何かであることを理解した。

 

 「だから楽しんで殺したのよ。有象無象の愚かで存在価値のない馬鹿共にも、私を楽しませる甲斐性ぐらいは残ってるしね。というかそれしか価値がないし」

 

 魔導師達は悍ましいヒルダの微笑みに声を発する事が出来なかった。

 

 彼らは仕事上何人も彼女のような人間を見てきた。

 殺し、殺される世界に身を置き過ぎた結果、ヒルダのように歪んで壊れていった者達を多く見てきた。

 

 だがそれを差し置いてもヒルダは異常であった。

 ヒルダにはアルタイルを滅ぼす事が出来る狡猾な知性、魔法や強大な力を扱えるだけの能力が備わっているのだ。決して理性の欠如や知能指数が低いわけではない。

 ヒルダは理性を持ちながら、倫理観や道徳観が欠如しているのである。

 

 衝動的な殺人ではなく、計画的な作戦を立案が出来る分析に長けた頭脳。

 先に待つのは破滅だと十分ヒルダは理解できるはず。だがそれを知ってなお彼女は喜んで殺し続けている。

 解らない、理解できない。

 

 「生きたまま顔を抉って、目玉をほじくり返して、鼻と耳をそぎ落として、顔の皮膚を綺麗に綺麗に剥がしていって。最初は『助けて』って騒いでいたのが、だんだん『殺して』って無様に懇願していく過程は本当に面白いの♪」

 

 「い、いったい何がお前をそうさせる?」

 

 耐えられず、自らの理性を保つために発せられた魔導師の言葉は、この場にいるヒルダ以外の全員の総意であった。

 恐怖に包まれた魔導士達をあざ笑うかのように、ヒルダはくつくつと忍び笑いをこぼす。

 

 「……はぁ。ほとんどの殺人者は歪んだ性的妄想が、十年か十五年も続いて熟成して生まれる。だから私みたいな女で少女の殺人鬼は珍しい」

 

 「な、何を言っている」

 

 「平凡で古くさい分析ね」

 

 ヒルダは耐えられないとばかりに笑い出した。

 心から理解できない馬鹿共が哀れだと哄笑する。

 

 ヒルダは魔導師達へ向けて指を横に振った。可愛らしい微笑みを振りまきながら、少女はゆっくりと真っ赤な口を開く。

 

 「今は違うのよ。オシャレで楽しい最先端の娯楽として殺人があるの♪」

 

 誰も動く事が出来ない。声が口から出ず、舌が所在なせげに口内で上下する。

 背筋が凍り、咽が狂おしいほどに渇き、目は飛び出んばかりに見開かれる。

 

 異常者だと思っていたが、ヒルダは異常の桁が違う。

 目の前の少女には、これまで培ってきた経験や一切の常識と会話が通用しない。

 

 恐れおののく魔導師をよそに、沈黙を保ち続けて来たリカルドが鋭い視線をヒルダに向けた。

 

 「報酬は既に既にお前の部屋に置いてある。行け」

 

 「はいは~い。最高につっまらない馬鹿共の相手を押しつけてくれてありがとう!それじゃ、ばいば~い♪」

 

 手を振りながら靴の音を響かせて扉を出て行くヒルダ。

 そしてそれを青い顔で見送る魔導師達と、苦渋に顔を歪めたリカルド。

 

 声を弾ませてヒルダが退室した後も、長い沈黙が続いた。

 耐えきれなくなった護衛の一人が、リカルドに声をかけようとしたその時。

 

 「俺はこの世界に入って二十年。殺し殺される世界を生きてきた」

 

 リカルドの視線はヒルダが去った扉に固定されていた。

 

 「裏切り、拷問、殺人、奴隷売買、人の道を外れたことはあらかたやり尽くした。故に殺す事を命じて後悔したことは一度も無い。いや、無かったはずだった」

 

 リカルドの鬼気迫る独白に、周囲の魔導師達の顔が強ばっていく。

 

 「だが、俺は生まれて初めて俺が下した命令に後悔した。俺は確かに『アルタイル』を潰せといった。殺せと命じた。手段は問わないとヒルダに判断を任せた。何故だか解るか?」

 

 問う相手がいない問い。

 だがリカルドの言葉は止まらない。

 

 「俺はヒルダを初めて見た瞬間、あいつは人ではないと実感出来た。俺がこの糞ったれた裏社会で生き残れたのはこの『頭』と『目』があったからだ。性格、言葉遣い、化粧の仕方、目の動き、呼吸、口の動かし方、眉の動き、顔のしわ。百を超える人格形成要素と外見を分析すれば、育ちから生き方まで判断できる。俺は千人を越える社会の碌でなし共を観察してきた」

 

 リカルドの顔には自信があった。

 

 これまで高い観察能力と分析能力を駆使することで、いくつもの綱渡り的な状況を生き残ってきた。一つでもしくじっていれば、己の身は川に浮かんでいただろう。

 観察することを止め、頭を使うことを諦めた時が自分の死ぬ時だとリカルドは確信している。

 

 「新入りが部下を殺したと聞いて、ヒルダに出会った。今まで観察してきたどの人間にも当てはまらない化け物。俺の目は確かにヒルダを捉えた。だが俺の頭はあいつを理解することを拒絶した。生まれて初めての経験だった」

 

 次第にリカルドの様相は曇っていく。自信に満ち溢れた顔には疲労が浮かび上がり、眉間には皺がよっていく。

 裏社会で生き延び、一角を占める長となった男が苦笑する。

 

 「だから俺はヒルダを組織に引き込んだ。あの化け物が他の組織に行くことに、強い危機感を感じたからだ。そしていくつか仕事を任せ、ヒルダが実力を伴う化け物だと理解したその時、『アルタイル』の相手を任せることに決めた」

 

 「り、リカルドさん」

 

 「たまにあいつみたいな化け物がこの裏社会に入ってくる。大抵そういうやつはすぐに死ぬ。化け物は化け物であるが故に、衝動を抑えきれなくって周りを巻き込んで盛大に傍迷惑な死を遂げていく」

 

 護衛が戸惑いのあまりにリカルドの名を呼ぶが、リカルドは止まらない。

 止まることが出来ないのだ。常に冷静で感情を見せないリカルドの顔は恐怖で染まっていた。

 

 「『アルタイル』にヒルダを当てたのは死に場所を与えるためだ。ヒルダと与えた戦力ではどうやっても『アルタイル』には勝つことが出来ない。爆発して多大な被害が出る前に、少ない犠牲と被害で抑えるべきだと考えた。被った損もヒルダが稼いだ利益で賄える。だが――――」

 

 ――――最悪な結末を迎えてしまった。

 

 「俺は見誤った」

 

 『アルタイル』は崩壊し、狡猾なヒルダは生き残った。

 決して相容れる事が出来ない殺人者の存在が、裏だけでなく表にまで晒されてしまった。

 

 「冷酷な戦術思考と単独で強大な力を持つヒルダは、化け物という言葉すら生温い魔導師だ。『アルタイル』如きではあの女は止められない。障害にすらならない」

 

 「……このままヒルダを思うがままにさせると?」

 

 リカルドは首を横に振った。

 

 「ヒルダはやがて『カエストス魔法商会』を滅ぼす。そう遠くないうちにな」

 

 「なッ!?」

 

 リカルドの目は既に未来を捉えていた。

 材料を元に計算された未来の姿。カエストス魔法商会が、ヒルデによって滅ぼされる結末。あれは関わるもの全てを殺していく、理性と高度な知性をもつやっかいな化け物だ。

 リカルドの歯は砕かんばかりに噛み締められる。

 

 「あれは誰にも制御できない、利益を求めぬ以上いかなる交渉もヒルダには通用しない。今は何らかの理由で組織に身を置いているだけだ。問題が解決次第、『アルタイル』を崩壊させた死の嵐が俺達を殺すだろうな」

 

 「では、先んじてヒルダを我々がッ!」

 

 「無駄だ。暗殺・奇襲を仕掛けようと、無詠唱で召喚される魔法生物には適わない。『アルタイル』の刺客は毒殺を仕掛けたが、ヒルダが新たに召喚した魔法生物によって完全に治療され、逆に殺された事が解っている。ましてや正面から殺し合うなど論外だ」

 

 「なら他の組織と協力して――――」

 

 「他の連中の手は借りることは出来ない。ここまで恥を晒した今、つけいる隙を与えれば『アルタイル』の二の舞だ」

 

 リカルドの爪が握りしめられた手の皮を突き破り、流れ出た血が腕を伝っていく。

 

 状況は最悪の一途を辿っている。

 ここまでの失態を犯した『カエストス魔法商会』に対し、いくつかの裏組織が既に動き出していた。敵はヒルダだけではないのだ。

 ここまで傷を大きくした以上、流れ出る血を啜る連中が群がり始める。そうして弱った組織はこれまでにいくつも潰され、リカルド自身も潰して来た。

 血を啜る者が、吸われる者に変わってしまった状況だ。

 

 リカルドが隙を見せた者達を追い落として組織を発展させたように、また他の者達もこの機会を雄飛の時とばかりに動き出しているのだ。

 

 仮にこの管理世界の裏組織が結託したとしても、功名と利益に引きずられて結束出来ない。各々が己の欲望と利益を追求する、裏組織の形態故の弊害だ。

 

 強大かつ狡猾、手段を選ばない魔導師であるヒルダには勝てない。むしろ付け入る隙を与え、各個撃破されていく。

 ヒルダに勝つには彼女を上回る圧倒的な力、そして組織力が必要不可欠だ。

 

 「だが、手は残っている」

 

 リカルドの重く静かな声に護衛達は息をのむ。

 最早彼に恐怖はなかった。動かなければ死ぬ、ならば足掻かなければならない。

 

 「自身の腕を引き千切るようなものだ。惨めで無様で恥さらしな策だ。そもそもこれを策と呼ぶことすら馬鹿らしい。だが例えそうであろうと、既にそんな手しか俺達には残されていない」

 

 時間が無い。

 ヒルダが行動を起こす方が先か、首を握られている『カエストス魔法商会』が行動を起こす方が先か。

 

 「グリバス、アルンペオル兄弟を呼べ」

 

 「は、はい!」

 

 魔導師の一人が慌ただしく部屋から飛び出して行く。

 

 リカルドには覚悟があった。

 裏組織の一角、自らの家名を冠する『カエストス魔法商会』をここで終わらせるわけにはいかない。

 リカルドは既に自らの死を厭わぬ悲壮な覚悟を決めていた。

 

 「確かにヒルダは強大な魔導師ではあるが、殺害手法は限られている。巨大な菓子の射出、超音波による耳の破壊、窒息を招く即死結界魔法。どれも未知の魔法ではあるが、集団戦闘においては限定される。だが裏社会の連中をいくら集めてもヒルダには及ばない。何より時間が無い」

 

 「では、一体……」

 

 「ちょうど手頃なところにあるじゃないか、集団での戦闘を得意とする組織が。それも凄まじい練度と戦闘力を誇る組織が、な」

 

 「ま、まさかリカルドさん。貴方は……」

 

 「ああ。幾多もの世界を管理統制し、優秀な魔導師を何百人も統制する次元組織」

 

 リカルドの考えを読み取った魔導師達は驚愕。

 確かに彼らであればヒルダと対抗しうる最高の札となるだろう。だがそれは同時に――――

 

 「時空管理局を動かす」

 

 ――――最大の鬼札である。

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 真っ黒で黒猫のアプローチがついた特注の靴をこつこつと鳴らしながら、ヒルダは無言で廊下を歩いていく。

 その後ろを二人の体格の良い魔導士達が同じく無言で続いていく。

 

 「ヒルダ様、よろしいのでしょうか?」

 

 一人の無精髭を生やした魔導士が、やや神妙な面持ちでヒルダに話しかけた。

 ヒルダは立ち止まると、何故そんなことを言うのか解らないといったような表情で魔導士を睨み付ける。

 

 殺人者の目をまともに受けた魔導士は、一瞬体を大きく震わせた。

 傍にいた相方の若い魔導士がすぐに止めるよう目で制すが、無精髭の魔導士は自らの主を案じるべく決死の覚悟で言葉を紡ぐ。

 

 「申し訳ありません、部屋の外での待機中に室内の喧騒を耳にしまして」

 

 「で?」

 

 「ヒルダ様の強さは、傍で戦った私達がよく理解しております。しかし――――」

 

 そう、無謀すぎる。

 

 ヒルダは強い。戦術ではヒルダに勝る者はいるであろうが、戦法にかけてヒルダの横に並ぶ者は例え管理局にもいないだろう。

 敵を欺く術に、容赦なく関わった人間を殺していく姿は、まるで地獄から湧き出た悪鬼の様である。

 さらにヒルダは恐らく、まだ何か手を残している。彼女の奥の手は、さらなる地獄の顕現を促すものであろう。

 

 だがそれでもヒルダは一人なのだ。

 

 裏社会全てを相手にすることは、あまりにも無謀すぎる。

 悪名高きヒルダを匿おうという酔狂な組織は、既にこの世界には無い。ヒルダが活動出来るのは、残るところ『カエストス魔法商会』しか存在しないのだ。

 

 「そろそろご自重なさるべきかと思います。このままでは『カエストス魔法商会』どころか、他の裏組織までがヒルダ様を――――」

 

 口早に懇願するかの如く叫ぶ魔導士。

 

 言葉を遮るようにヒルダの手が男の顔に飛来。ヒルダの細い手が伸び、一瞬で髭面の魔導士の顔を掴み取る。

 

 ヒルダの色鮮やかに装飾された爪が男の額、頬をえぐり突き刺さった。

 さらに力に任せてヒルダは顔を掴んだまま、勢いを付けて後頭部から床に叩き付ける。木製の床が魔導士の男の頭部を中心に、激しい音と木片をまき散らして陥没。

 痙攣する魔導師の体を鼻で笑い飛ばしながら、ヒルダは口を開く。

 

 「え~と、一つ勘違いをしているようだから訂正してあげる♪」

 

 まだ微かに息がある魔導士の顔を、ヒルダは足を振りかぶって盛大に蹴飛ばす。

 カエルが潰れるような音と共に、いくつもの歯が宙を舞った。

 

 「私はね、今まで四百七十九人を殺した。この世界に来るまでに殺した数は三百三十三人。解る?当然懸賞金も掛けられて、腕に覚えがある咒式士共が大勢私を殺しに来た。その全てを殺し返してきたからこそ、私はここにいるの」

 

 ヒルダはあまりの激痛に沈んだ床で蹲る男を笑いながら、何度も何度も心から楽しそうな顔で蹴り飛ばす。

 

 「当然、裏社会の連中からも賞金はかけられるわ。金庫を襲撃したり調子に乗った馬鹿共をぶち殺したら、いつのまにかかかっていたんだけれどね。でも私はエリダナに来るまで決して敗北したことは無かった。そして同様に殺すことを止めるつもりもなかった」

 

 苦痛に唸る魔導士を最後に一発蹴り飛ばす。体重がヒルダの倍以上ある魔導士が、まるでボールのように床を転がった。

 

 「お前みたいな価値の無い連中に、どうしてかわいくて本物の私が指図されなくちゃいけないわけ?次言ったら殺すから」

 

 重傷を負った無精髭の魔導士を横目に、再び長い廊下を歩き出す。

 残された若い魔導士は、怯えた目でヒルダを見送った後、力が抜けたように壁に寄り掛かると、静かに床に腰を下ろした。

 

 「ふ、ふざけてやがる。逃げたい、だが逃げれば組織の追手としてヒルダ様は嬉々として俺を殺しに来る。くそったれ、どうして俺がこんな目に……」

 

 涙を流しながらはっとして床に沈んだ魔導士を担ぎ上げると、何かに怯えるように医療魔導士を探しに歩き出す。

 

 ただ「どうして」と壊れた蓄音機のように何度も何度も同じ言葉を並べながら。


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