されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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 ミッドチルダというか管理世界の貨幣の正式名称が、どこを読みあさっても解らないので『ガル』にしておきました。
 もし解る方がいらっしゃれば教えて頂けるとありがたいです。


14話 日常を蝕む悪意は

 「ふむ……」

 

 スカリエッティは立体映像を隈無く観察していく。

 測定した各観測記録が、数十と空中に投影された画面上を流れ続けた。異常な数値が発見される度に該当箇所を再分析。小数点以下の桁が百を超える数字の羅列を修正。再構築することでより鮮明なデータを叩き出す。

 

 指の動きが精密な機械のように一瞬でも止まる事なく稼働し続ける。

 頭に描いていた仮説を訂正。新たな仕組みを練り上げ、実験的に数式を組み上げていくも失敗。戦闘記録を読み解きながらその作業を絶え間なく何百、何千回と繰り返す。

 研究室内では時間の流れが感じとりにくい。もっとも、彼は時間などに囚われる気はなかったが、既に一日という時間が過ぎ去っていた。

 

 欲望に滾った目は何度もヒルダの姿と咒式。そして彼女の咒式発動記録と観測記録を絶え間なく行き交っている。

 入力装置を叩く音が止むことはない。数値の世界で揺れ動く奇跡を捉えるべく、演算された計算結果と睨み合いながら再度組成式と計算式を作り上げていく。

 

 立体映像が消えては現れ、仮説が生み出されては否定され、法式が作られては破棄されていく。

 彼が無用と判断して切り捨てた仮説や法式の中には、世界を変える革新的なものがいくつも存在した。それ一つで一生遊んで暮らせるだけの金と、歴史に残る名声を得られる代物だ。

 しかし彼にとってはその全てが出来損ないで、不要なものに変わりがない。鼻をかんだ後のちり紙のようなものだ。

 

 歴史に刻まれる名声、数世代に残る金銭など価値がない。咒式と呼ばれる奇跡の価値は計り知れない。それに比べればその程度の価値、塵屑に等しい。

 数多の人間が欲して止まない代物を幾つも作り上げては削除。世の科学者達が見れば意識を何度も失うであろう光景。しかしスカリエッティの顔には狂気めいた笑みがあった。

 

 スカリエッティは天才だ。彼を知るものであれば、十人中十人が口を揃えて彼の才能を賛美するに違いない。彼自身を称賛するかは別としてだが。

 天才は天才を知る。異端は異端の道を進むが故に、同じ匂いを持つモノに極めて敏感だ。特に彼らは大衆一般から外れる上、並々ならぬ好奇心を持つ為に同族に高い興味を示す。

 スカリエッティはヒルダの巻き起こす奇跡の嵐を読み解いていくにつれて確信していった。この咒式は間違いなく、己と同じ天才から生まれ出た狂気の産物であると。

 

 同じ形体、系統であるにも関わらず多様性に富んでいる。なんと独自性の高い方式であろうか。

 魔法とは全く別物だ。いや、ある部分においては完全に魔法を凌駕しているといっても過言ではない。

 

 例えるのであれば植物の根のようなものだ。

 魔法は双子葉植物、咒式は単子葉植物だと考えれば解りやすい。

 

 主根から側根が生えるように、魔法は大本が揺らぐことはない。一つの理論や構想から派生する形で魔法の形式が分裂していく。

 だが咒式はひげ根のように、どれが主であるというものはない。もちろん咒式を発現する理論は始めこそ同じではあるが、そこから爆発的に分類が分かれていく。

 

 これがあまりにも極端過ぎて曲者だ。

 魔法は基本的にAからBへ、BからCへという順序を順守する。細分化されるとしてもBのaやBのbのように、ある一定のツリーから外れることはない。

 

 だが咒式はAからB、AからCへと魔法と比べてあまりにも常識外な分化を遂げている。果てはAからBのaやCのaに飛ぶのだから面白い。

 魔法という常識に毒された状態では、咒式の持つ恐るべき根底式にたどり着くどころか。表面を僅かに理解することすら叶わないだろう。

 まず私自身が築き上げた常識を。いや、アルハザードの寵児という存在自体に関わる根底すら覆さなければならない。そうでもしない限りは、この咒式というものを理解する事はできない。

 

 故に、私は楽しい。あまりにも楽しいのだ。

 魔法とは比べ物にならないほどの多様性、これには目を見張るものがある。

 

 魔法における生体技術には限界があることは周知の事実だ。当然だろう、生体技術は所詮一本の枝を突き進むだけのものに過ぎない。多少別の枝で添え木をしようとも、存在自体は変容しようがないのだ。

 だがこの咒式には限界が見えない。魔法では他の種別と人間の融合、鉱物と人間の生存的融合を可能にしない。しかし咒式はそれを可能とするだろう。何故ならば生物としての根底を書き換えるだけの力があるからだ。

 魔力という存在を弄るのではなく、細胞の一つ一つを変異させ作用する咒式。それは魔力にもたらされた不老不死ではなく、人体自体がもたらす不老不死すら可能とする。

 いわば咒式は本来的な能力を補正する魔法とは違い、能力自体を作り変えて強化するものなのだ。まさに生体技術操作に無限の可能性を開示する救世主だ。

 

 むろん、どちらがどちらより優れているという盲目的宗教思想をここで持ち出すつもりはない。

 魔法にも咒式にも優れるところがあれば、劣るところもある。ただ魔法という常識のみで生きてきた存在。つまり私のような人間にとって、咒式との出会いはあまりにも衝撃的であり革命であった。

 魔法と咒式を突き詰めていけば、それら二つを融合させた第三の超科学も夢ではない。もしそれが完成すれば、咒式世界や魔法世界すらも霞む新たな境地へと到達できるだろう。

 

 異様な空気に包まれる中。スカリエッティは静かな熱気に包まれていた。咒式という存在の虜になっているといってもいい。

 

 この存在を老人共に知らせる気は無い。ましてや影でひっそりとこの咒式を独占して研究するつもりもない。

 奴らはこれを自分のためだけに用いるだろう。やはり私は奴らとの繋がりを完全に断ち切るべきだ。

 

 この咒式はそれこそ万来の人間に開示されるべき奇跡だ。咒式は個々の人間の影響を受けて強く変化する可能性が、魔法のそれと比べて非常に高い。

 私の能力が極めて高いといっても、この咒式という存在を想像もせず、魔法という枠組みに囚われていたように所詮は個の存在なのだ。どこかで自己を完結させている。

 ならばこの咒式を開示することによって、多くの人間によりこの技術を発展させたほうが良い。彼らは私の想像もつかない可能性を生み出してくれるはずだ。高町なのはやプロジェクトFの因子、夜天の書の主のように。

 

 そうだ。無限に広がる可能性は、私の無限に等しい欲望を絶えず満たし続けてくれるだろう。

 

 喜悦に歪む顔をそのままに、スカリエッティは生物欲を捨てて知識欲を優先させる。

 食べることも、寝ることも忘れて流動する数字の羅列を注視する。空中に投影された立体映像を同時にいくつも操作しながら、スカリエッティはただひたすらに咒式に魅せられていた。

 

 だが、彼の夢の空間が裂けるようにして研究室のドアが自動で開かれる。スカリエッティは思わず目を細めた。

 同時に素晴らしい環境を壊されたと、侵入者の無粋な行動に怒りを抱く自分自身に驚かされる。

 

 「ドクター、失礼します」

 

 「どうかしたのかね、ウーノ」

 

 ウーノはスカリエッティの声の加減から、彼の機嫌があまりよろしくないことに気がつく。長年秘書のような役割をしてきた彼女でさえ、このようなことは滅多に見られるようなものでは無い。

 よって体調や食事などの気遣いの挨拶を並べる予定であったが、本来伝えるべき用件を優先させることにした。

 

 「ヒルダと戦闘を行ったナンバーズの近況報告。加えてヒルダの新たな情報に関してお伝えに参りました」

 

 「続けて構わないよ」

 

 声に僅かばかり荒々しさが混じっている。

 それはウーノにしか解らないような微細なものであったが、それだけに彼女は戸惑いを覚えた。

 ウーノは「研究があまり進んでいないのだろうか?それともナンバーズの損傷が予定していた計画に影響を及ぼしたのでは?」などと的外れな事を考えながらも口を開く。

 

 「ウェンディ、クアットロ両名は既に完全に回復しております。しかしチンク、トーレの両名に関しては損傷率が高く、急いでも二週間はかかるかと。ウェンディ、クアットロの両名の戦闘レポートはお読みになられたましたか?」

 

 ああ、とだけ呟いて映像からまったく視線を動かさないスカリエッティ。

 ウーノは微かに首を傾げながらも「次にヒルダの動きに関してですが……」と述べる。スカリエッティの顔がここで初めて動き、ウーノの目線を受け止めた。

 

 「あの戦闘以降、目立った動きはありません。ですが民間人に対する殺人は収める様子もないようです。つい先日も年齢、性別問わず十三人を殺害しております。犯行声明文をいくつか残している事から、ヒルダは自身の犯行を隠す素振りがないことが解っています。現地の政府もヒルダ個人に対してそろそろ大きな動きを行う可能性があります」

 

 「管理局はどうかね……?」

 

 「潜入しているドゥーエの情報によれば、現地政府に対する配慮により直接的な介入は行われておりません。依然交渉は行われているようですが」

 

 「あまりよろしくはない、そういうことだね?」

 

 「はい。加えてヒルダが我々の情報を探っていることも解りました。もちろん、我々の隠匿は高度なものであり、一世界の情報屋程度に存在を掴ませるようなものはありません」

 

 スカリエッティはやや考える素振りを見せた。指の動きが止まる。目には深い思考の色。ウーノはスカリエッティの返答を待ちながらも、ヒルダという魔法世界の異分子を考える。

 

 ウーノはスカリエッティがヒルダに入れ込むことを、言葉にはしないがあまり好ましく感じていない。

 

 まず彼女の行動があまりにも苛烈極まり無い。無差別的な殺人を無計画的に行う相手というのは、手を組むどころか関わるだけで害を振りまくということを知っていたからだ。

 彼女の行動が何かしらの利益に結びつくものならまだしも、リスクが高い殺人を利益も無しに繰り返すなど愚かしい。もっと効果的な手段があるというのに、あえて殺人という選択を好むヒルダと関わりたいとは思えない。

 

 さらに問題なのは、彼女が試験的な段階とはいえトーレを撃破したという点にある。

 トーレはナンバーズで最大の戦力であり、個で軍すら圧倒する戦力だ。トーレを撃破したとなれば、単独ではナンバーズはヒルダに勝てない事になる。

 

 確かにこちらも手の内を全て晒したわけでは無い。だがそれはヒルダも同じ事。例えドクターがヒルダの咒式を解読し、ナンバーズが現段階で手に入れたエミレオの書の情報全てに対抗する手段を生み出したとして。

 最終決戦でヒルダが新たなエミレオの書を使う可能性はゼロではない。まず彼女が所有する切り札の数すら此方は把握していないのだ。ゼスト殿が語った赤い革表紙の書というのも気にかかる。

 

 相手は管理局のように、非殺傷設定ではない。確実に敵対者を殺しにかかってくる。

 今回はトーレが辛うじて戦場から帰還できたものの、次のナンバーズがここへ帰ってこられるという確証を得たわけではない。貴重な戦力がヒルダとの情報収集において失われる可能性はゼロではない。むしろ高い数値を示している。

 ヒルダにドクターが敗北するとは考えていない。ただ時空管理局との来るべき時へむけて作り上げた戦力を、このようなところで失うことはあまりにも惜しい。

 

 ウーノはヒルダの危険性を承知しながらも、それをスカリエッティに言い出せないでいた。

 ウーノ程度が考えうることなど、創造者でもあるスカリエッティはヒルダに関わったその時から認識していたはずだ。これはあくまで杞憂に過ぎない、しかしこの身に生まれた焦りは……。

 

 再びスカリエッティの指先が入力装置を叩き始める音。ウーノは考える事へ向けていた集中を、再度スカリエッティへと向ける。

 気がつけば既に十秒の時間が経過していた。

 

 「ヒルダくんへの干渉はしばらく監視に留めよう。予想外の戦闘であったが、咒式に関して素晴らしい量の情報をウェンディ、クアットロ、チンク、トーレの四人は集めてくれた。まだ完全とはいえないが、おかげで糸口が掴めてきたところだよ。そしてあまり彼女に目をつけられることは好ましくない。しばらくは管理局や現地の国家と遊んでもらうとしよう」

 

 「レリックの収集に関してはどうなさいますか?」

 

 「ガジェット中心に行うべきだろうね。他のナンバーズの完成もやや早めるべきだろう。四人のナンバーズがここまでやられるとは流石の私も想像していなかったよ。あの子達は私の最高傑作であると自負していたからね」

 

 やれやれと笑う割には、特に気負った様子は見受けられない。

 即時撤退をチンクに対して命令しなかったことから、ある程度の戦力の低下は視野に入れていたことは間違いない。流石にトーレという戦力の消耗は予想外だったようだが。

 

 「では、引き続きレリックの収集とヒルダの監視を行っていきたいと思います」

 

 「あぁ、頼むよ。収集の遅れに関しては、ゼストとルーテシアに私の代わりとして伝えておいてくれ」

 

 最後に付け加えられた一言に、ウーノは内心で吐息を吐き出した。いや、解っていたことだが難儀することは間違いない。

 こちらに協力的ではあるものの、ルーテシア様はともかくゼスト殿が我々を毛嫌いしていることは解っている。今回の話を告げられれば、彼は間違いなく殺気を放ちながら此方を睨むに違いない。

 

 外のヒルダに内のゼスト殿。今後大きく私たちに関わってくることは間違いないこの二人を、ドクターはどう処理するおつもりなのでしょうか。

 一瞬の戸惑いを飲み込みながら、ウーノは一礼して研究室から立ち去っていく。その足取りは妙に重いものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 真っ赤な果実を手に取る。口元に果実を手で持っていき、皮を剥くことなくそのまま丸かじりにした。

 歯が果肉をそぎ落とすと同時に、口の中に広がる歯ごたえ抜群のジューシーな食感。クエン酸と糖分が味覚を刺激し、知らず知らずのうちに顔で笑みが生まれる。

 さらに果実を囓る、囓る、囓る。何度も口へ運び、何度も果肉を噛み締める。その度に口内に果汁が溢れ出し、何とも言えない幸福感が彼女の食欲を満たしていった。

 

 お客の顔色を窺っていた果物売りの店主が、そんな少女を見て売り込み時であると判断した。

 いそいそと頭の中で商売の売り文句を考えながら、目の前の少女に話しかける。

 

 「お嬢ちゃん、もう一つどうだい?一つ九十七ガルだよ?」

 

 少女は店主の声を聞いて、初めて彼の存在を思い出したかのように振り向いた。

 

 改めて少女の顔を見た店主は、感動に近い吐息を吐き出す。

 今まで商売柄、様々な人間を観察してきたがここまでの別嬪はそう見たことが無い。流れるような金髪と艶のある肌、整った顔は幼さと同時に蠱惑的的な魅力を放っている。まだあどけなさを残す顔立ちだが、将来は絶対に美人になること間違いない。

 

 少女は店主の言葉が気に触ったのか、眉を僅かに顰める。そんな顔もまた品がある少女に、商人は一つおまけしてやろうと笑った。

 

 「だけどお嬢ちゃんは可愛いからね、特別に九十ガルだ」

 

 「私の可愛さはたった七ガルのおまけと同じなの?」

 

 不満げに顔をしかめた少女に、商人は思わず声を出して笑ってしまった。

 

 「ははは、そりゃ確かにお嬢ちゃんに悪い。でもこっちも悲しい事に妻がいてね。お嬢ちゃんの魅力にやられて、タダで商品くれてやったとあっちゃ翌日には俺の尻がぱんぱんに腫れ上がっちまう。今お嬢ちゃんが食った林檎の代金はただでいいから、ここは一つそれを買っていかないかい?」

 

 その言葉に思わず周りの商人達が笑いながら野次を飛ばし始める。うるせぇとそれに応じながら無骨な顔を綻ばせる店主に、少女は苦笑しながら財布を取り出す。

 

 「そこまで言われたらしょうがないわね、買ってあげなくもないわ。三つ頂戴できる?」

 

 「おう、ありがとよ」

 

 店主は朗らかに笑いながら、ふと少女の財布に目を奪われた。黒く飾り気のない革細工の財布であった。

 こんな子供が持つにしては、随分と可愛げがない財布だと疑問に思いながらも、ちらりと覗いた財布の中身に驚く。

 何十枚と重なってつまった札束、その全てが高級紙幣であることに思わず目を疑ってしまう。周りの商人には立ち位置からしてこの財布の中身が解らないだろう。一人驚きに顔を強ばらせながらも、商人はこの少女の正体を危ぶみ始めた。

 

 いいとこのお嬢さんが、護衛を連れずにこんな市場のマーケットに現れるはずがない。戦争が終わったとはいえ、まだまだ治安は良くない。この前だって名高い裏組織の一つが、抗争で全滅したと聞いた。あれ以来、ここらの身振りが悪い連中が荒立っていることは周知の事実だ。

 一人で抜け出してきたのだろうかとも考えたが、それにしては行動に迷いが無い。歩く姿も随分と凜としていた。

 

 となると残るは盗んだか、どこかの組織の高い椅子に座っている奴の娘か。身なりが悪く無い上、顔も良いことから幼い娼婦であることも考えられる。

 通報していちゃもんを付けられても堪らない、ここは見なかったことにするのが一番だ。

 

 店主は笑みを浮かべながら、少女が差しだした硬貨を数えつつ林檎を紙袋に入れて手渡す。

 笑顔で手を振りながら去っていく少女の姿を、店主は複雑な気持ちで見送った。そんな店主に先程の会話を面白がった商人仲間の一人が、わざわざ此方へにやけながら歩いてきた。

 未だ目を離さない店主を、一つからかってやろうと息巻いているのだろう。

 

 「おいおいリーガル、あんな若い子に興味を持ったのか?お前の奥さんが黙っちゃいないぞ?」

 

 肘で体を揺らす男に、周囲は思わず笑い出す。だが店主は神妙な顔つきで少女の背を眺めながら呟いた。

 

 「馬鹿言っちゃいけない。アルバ、お前は起きたドラゴンの口の中に挟まった金貨に手を伸ばすか?」

 

 「お前こそ何を馬鹿な事いってやがる。そんな見るからに危ないもんに手を出すもんかね」

 

 「その通りだ。俺もお前とまったく同じ答えだよ」

 

 男を押しのけながら、敷いた布の上に座り込む。

 よくよく考えればおかしな少女であった。風琴のような楽器を腰にぶら下げながら、店を巡るやつなんざそうはいない。頼むから自分のことをすぐに忘れてくれるとありがたい、俺自身もあの少女のことは忘れようと彼は心に決めた。

 未だ強ばった顔で困ったように頭をかく店主に、周りの商人達は互いに顔を見合わせてそんな彼を不思議がった。

 

 一方、しばらく店先を歩いて巡る少女は、林檎を囓り歩きながら物思いに耽っていた。

 簡単な作りの様々な出店を眺めながら、少女はまた林檎を囓る。ときたま、すれ違う夫婦や子供達を見つめる。玩具を買って欲しいと強請る子供をしかる母親、商品を値切る老人、買い物中に知り合いと遭遇し話し込む青年達。そんな日常の風景を観察しながら、少女はゆっくりと人の間を抜けていく。

 

 「くっだらない」

 

 少女が吐き捨てた言葉を聞き取れた者は誰もいない。もしこの美しい少女がそんな荒々しい言葉を放ったと知れば、皆一様に驚いただろう。

 少女自身も何事もなかったように歩き続ける。何人、何十人、何百人とすれ違う間に人々を横目で盗み見てはいるものの、彼女の琴線に触れる存在は見受けられない。もうそろそろ、このマーケットは抜けて別の所に向かおうか。

 

 「ミリアって可愛いよね」

 

 少女はとっさにその場で立ち止まった。突然止まった少女にぶつかった青年が、その背に悪態をつきながら遠ざかっていく。だがそんな青年を見ることなく、少女は声の主を行き交う人の中から探す。

 

 「そ、そうかな?」

 

 「もぅ、ミリアはもっと自信を持って良いと思うよ!」

 

 少女の目が二人の女性の姿を捉えた。年齢は十六、七歳程の女性のペア。買い物帰りなのか、彩り豊かな花束を持った女性に、もう一人の眼鏡の女性が楽しそうに話しかけていた。

 少女は方向を変えると、静かにその女性達を追うように歩き出す。

 

 そんな少女のことなど露知らず、眼鏡の女性は笑顔で花束を持つ友人と一緒に歩きながら談話を楽しむ。

 

 「ミリアの事が気になっている男の子ってたくさんいるんだよ?知らないの?」

 

 「わ、私なんかが……そんな」

 

 「ミリアが私なんかがっていったら、私はいったいどうなるのよ」

 

 「さ、サーシャは可愛いよ?料理だってうまいし、話も上手だし」

 

 「駄目駄目、男共にとっての印象は一に胸、二に顔なんだから。ミリアが言ったのって、結局その後の話じゃないの」

 

 呆れながら自分を見つめる友人の視線が、眼鏡越しに豊満な胸からミリアの顔へと移っていく。羞恥に顔を朱く染めたミリアは、つい顔を俯けた。

 そんなミリアが放つ優しげな雰囲気に、サーシャの頬は膨れあがった。天は何故友人に一つも二つも女性的な魅力を与えたもうたのか。一つぐらい私にくれたって良いじゃないか、と理不尽めいた怒りがミリアへ募っていく。

 

 「サーシャだって、胸は平均よりあるじゃない……」

 

 「少しね、でも隣にミリアがいるとやっぱり視線は独り占めにされるわけよ」

 

 およよ、と妙な声を上げて目元を拭う仕草を見せる友人に、ミリアはあたふたと慌て始める。もっとも、サーシャは涙を流しておらず、そんなミリアの姿にくすりと笑っていたのだが。

 焦る友人の姿を堪能した後。サーシャはまるで大根役者のような口ぶりで、わざとらしく空を眺めて手をあげた。

 

 「ミリアに彼氏ができれば、何人かが諦めてこっちに来てくれそうな気がするんだけどな~」

 

 その言葉に吹き出したミリアを、サーシャは意地悪げな顔で笑った。

 

 「さ、サーシャ?」

 

 「ぶっちゃけさ、ミリアは好きな人いるんじゃない?ほれほれ、私に教えてくれない?」

 

 お調子者めいたサーシャの声に、ミリアの表情はさらに赤く染まっていく。

 口を開いては閉じることを繰り返す。言葉が見つからないのか、それとも話せないのかは解らないが、ここまで来たら逃がすつもりはない。問い詰めるサーシャの言葉一つ一つが、ミリアの迷いをかいくぐっていく。

 

 「なんとなーく、ミリアからはそういう匂いがするんだよね」

 

 「えと、あの」

 

 「誰?誰よ?ここはいっちょお姉さんに言ってみなさいな?」

 

 「お、同じ年齢だよね私たち」

 

 「そんなくだらない事はどうでもいいの、今はミリアが好きな人の話!」

 

 女性は恋愛話を好む傾向が強いが、この幼馴染みな眼鏡の友人もその類に漏れることは無かったらしい。

 早く、ね、教えてよと口早にミリアを捲し立てるサーシャに、ついぞ頭の中が何も考えられなくなってしまったのだろう。ついついぽろりと一人の男の子の名前を教えてしまった。

 

 「え?ミリアあんな地味な子が気になってるの?」

 

 「じ、地味じゃないよ」

 

 庇うようにその一人の男子が如何に優しくて、自分の心を温かくしてくれたかを彼女にしては珍しく口早に語る。変な目で自分を見ないこと、重くて持てない物を代わりに持ってくれたこと、辛い時に励ましの言葉をかけてくれたこと。たまに呂律が回らなくなるほどの入れ込みようである。流石にここまで言われれば友人の本気が十分に解った。

 取り合えず、まぁまぁと犬を落ち着かせるように宥めながら、やや斜めにずれた眼鏡をかけ直す。

 

 「じゃあさ、告白しようよ。うん」

 

 「え、えぇ?」

 

 「うん、そういうのはいいから。だってあんたが良いって言った男だよ?他の子にもしかしたら持って行かれちゃうかもしれないね。そういう耐性無さそうだもん、あいつ」

 

 「そんなこと……」

 

 「無いって言える?」

 

 こう言ってはなんだが、彼女が伝えた男は目立つタイプでもなければ顔が良いというわけではない。彼が好きだという奇特な女の話は耳に入ってこないし、恐らく彼のことが好きなのはミリアだけだろう。

 だがこうも煮え切らないのは流石に困る。お節介感情なのは解るが、長年連れ添った友人には勇気を出してもらいたい。幸せになって欲しいというのは、身勝手すぎるものだろうか。

 

 ……割合としては、幼馴染みの幸せよりも恋愛の興味八割の説得であったが、思い悩んでいた事に加えて混乱していた彼女には効果的であった。

 最初は消極的であったものの、しつこく言葉を投げかけていくうちに本気になりつつある。それでも最後は渋っていたが、「彼が他の女の子と手を繋いでいる姿、見たい?」の一言で没落。

 落とした堅牢な城の上に旗を立てる妄想をしながら、決心を決めた友人を生温かく見守った。

 

 「わ、解った。じゃ、じゃぁいつか」

 

 「いつか?」

 

 「え、うん、一週間後」

 

 「一週間後?」

 

 「だ、駄目?」

 

 「駄目に決まってるじゃない。ここまで来たらもう明日には告白しないと」

 

 「明日っ!?」

 

 驚いて顔を固めてしまったミリア。サーシャはそんな友人を笑いながら声を弾ませた。

 ここまで来たのだから、一気にいってしまった方が良いだろう。下手に猶予を与えてしまっては、折角の自信が鈍ってしまうかもしれない。

 大丈夫だ、可愛いのだからもっと自信を持て、綺麗な女に男は弱いから押せばいける。そう勇気付けていく。心配そうに胸へ手を当てる友人に笑いかける。しばし迷っていたようだが、心に決めたのだろう。

 振り返ったミリアの顔は、言葉に例えられない魅力に溢れていた。

 

 「うん、解った。サーシャの言う通りだね」

 

 「それじゃ、もちろん?」

 

 互いに笑い合う。

 やがて、決意を新たにしたミリアはゆっくりと潤んだ瞳で口を開く。

 

 「私、明日にでもあの人に――――」

 

 彼女の言葉は続かなかった。

 とたんに俯いて体を震わせるミリアに、サーシャは不審がった。身を案じるように肩に手をやる。

 その時であった。ミリアの体が一際大きく震えると、ゆっくり傾斜していく。ついには片膝をついた後、体を丸めるようにして人の波の中に倒れ伏した。晒された土の表面が、ミリアの激突により土埃を発生させる。

 

 「ミリアッ!?」

 

 悲鳴を上げながらも慌てて体を抱え起こす。顔には凄まじい苦悶の表情。

 異常に気がついた人々が悲鳴を上げた。ミリアとサーシャの周囲がひらいていく。

 胸を両手で押さえつけたミリアの様子は尋常ではない。ただどうしたらいいのか解らない。いったい優しい友人の身に何が起こってしまったのか。

 

 「い、医者を。医者をお願いします、誰か、誰か彼女を助けてッ!」

 

 混乱する人波をかきわけて、魔導師らしいデバイスを握りしめた眼鏡の男性が進み出る。落ち着いて、まずはこの子を土の上に、と指示されたサーシャの目が理性を取り戻した。

 サーシャは彼女の体が傷つかないようにゆっくりと地面に降ろす。後は祈ることしかできない。

 勇気ある魔導師はミリアの状態を緊迫した表情で確認していく。魔導師の顔が強ばった。

 

 「心筋梗塞かッ!」

 

 魔導師は魔法を発動し治療を試みる。だが一向に彼女の顔が和らぐことがない。

 周囲の人間が既に通話を行って病院へと金切り声で連絡している姿が目に飛び込んできた。しかし間に合う可能性は全くと言っていいほど無いだろう。

 最寄りの小さな病院からの距離でも十数分はかかる。人が沸くこのマーケットから自分達の姿を見つけ、運び出すとなればさらに時間がかかるだろう。

 

 胸元を開いて心臓に手を当てた。心音が異常な速さで刻まれている。治療を続けていても正常に戻る様子は無い。焦りが募る。効果が見受けられない魔法から人工呼吸に切り替えるべきかもしれない。

 

 だが思い至った瞬間。まるで胸元が槍にでも貫かれたような錯覚を覚えた。伸ばした手が止まる。唖然としたサーシャが怪訝な様子で友の容態を尋ねるも、魔導師の男はそれどころではなかった。

 何故だ、どうして私までもが。魔導師はまるで意図して引き起こされたような、そんな悪意ある異常に目を見張る。

 体中を挽肉にされるような激痛。声を上げようにも声がでないのだ。散漫した注意力では魔法を維持できない。苦痛に身をよじらせて、心筋梗塞を起こした少女の横に魔導師は倒れ込んだ。

 

 サーシャは訳が解らないと頭を抱えた。ミリアを助けてくれる存在が現れたと思いきや、ミリアと同じように胸元の服を握りしめながら苦しげに倒れ込んでいる。

 恐怖に涙が流れる。歯が小刻みに噛み合わさり、自分の頭を抱える手が震える。さ迷う視線が倒れたミリアの目と交差する。

 助けを求めるミリアの目から熱が徐々に奪われていく様子に、サーシャは思わずミリアの手を握りしめた。周囲の人混みの喧騒がさらに跳ね上がる中、ミリアの手から伝わる脈が徐々に失われていくの感じて気が狂いそうになる。

 

 ミリアは最後にサーシャへ何かを伝えようとしたのか、口を開けるもそれまでであった。

 目が裏返ると共にミリアの全身から力が抜ける。手の甲が土の上に力なく落ちていった。サーシャはそれでもミリアの体を絶え間なく揺すっていたが、彼女の瞳に空を飛んでいた蠅が留まったのを見て全てを悟った。

 蠅が手を擦る先にあったミリアの目は、あの決心を固めた彼女の目とは別物であった。意志が感じられない胡乱な瞳は、ただ空を眺めていた。

 

 人垣を超えてサーシャの絶叫がマーケットに響き渡る。

 遠くを歩いていた人々が、異常に気がついたのか。何事かとサーシャの叫びに惹き付けられて円が広がっていく。そしてサーシャに連なるように悲鳴を上げていく中、ただ一人その流れに逆らって円の中心から遠ざかる人影があった。

 金色の髪を靡かせて去っていく少女。片手で風琴を握りしめ、もう片腕で革表紙の本を抱えている。緊迫した空気が市場を駆け抜ける中で、ただ一人彼女は楽しそうに鼻歌を口ずさんでいた。

 

 その数メートル先に店を構えていた肉売りの男は顔を上げる。客が来ずに居眠りをしていた男は、様子がおかしいことに気がついただろう。

 店から身を乗り出して通りをよくよく眺める。すると何やら人が一方へ向かっているではないか。見ればその先には大きな人混みが生まれ始めている。このようなことは珍しい、何かあったのだろうか。

 疑念を抱いた男は多くの人々がそちらに進む中で、ただ一人逆方向に歩く美しい少女へ声をかけた。

 何やら気分が高揚しているらしい少女へ、何が起こったのかと呑気に尋ねる。少女は肉売りの言葉を受けて、機嫌良さげに疑問を問いかけた。

 

 「ねぇおじさん、私って可愛いでしょう?」

 

 「ん、まぁそうだなぁ」

 

 「世界一、可愛いでしょう?」

 

 どうして逆にこっちが質問攻めに遭っているのか。肉売りは首を傾げた。

 だがにこにこと微笑む少女は、確かにこれまで肉売りが見た中で一番可愛かった。もしかしたら世界の中で一番可愛いという彼女の言葉も嘘ではないのかもしれない。そう思って頷くと、少女は満足げに首肯する。

 

 「なのに勘違いしたブサイクが調子に乗っていたから罰が当たった、それだけの話」

 

 彼女の言葉の意図をとらえあぐねた肉売りが顔を顰める。

 少女はそんな肉売りの反応など、本当にどうでもいいとばかりに再び歩き始めた。去っていく少女の後ろ姿を見送りながら、肉売りの男は頬をかき商売に戻る。

 

 少女は何があったのだろうかと疑問符を上げる観衆を後目に、悠々と土を踏みしめて歩いて行く。

 やがてマーケットが終わり、街に変わった景色の中で一つの細い人気のない裏路地を見つけると、ゆっくりとそこへ入り込んでいく。

 

 「私以外に可愛いやつなんているわけ無いじゃない、本当に馬鹿ばっかなんだから」

 

 革表紙の本を優しく撫で上げる少女の頬は朱く上気している。

 少女――――ヒルダは桃色の原色から金色に染めた髪を指で弄びながら、狭く細い路地の暗闇へと消えていった。




 ヒルダが普通に生活している姿が不足していたので。
 物語に進展はありませんが、ザッハドの使徒が行う殺人は無差別であり無区別であり、人々の生活を脅かすものであることを題材としました。

 最近何かこの二次の題材となるものはないだろうか、と思いサイコパス関係やら犯罪関係の本を読んだところ。中々面白く、興味深い本がいくつかありましたので紹介させて頂きます。今後はこの本を読んで勉強した事を、ヒルダという原作の描写の薄い存在に加味していくかもしれません。

★PHP新書『現代殺人論』
★アスキー新書『死体の罪心理学』
★早川書房『診断名サイコパス-身近にひそむ異常人格者たち』

 次回は管理局の視点から始めるつもりです。
 あとプロローグの全面改正を行いました。加えて一話目の冒頭にも、不足していた文章等を入れさせて貰いました。
 今後も既存の話を修正していくつもりです。

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