されど殺人者は魔法少女と踊る   作:お茶請け

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普段はギャグもの書いてますが、たまにはこういうのも書いてみたいなぁって。
キツイ描写があります。

■ ■ ■

 世界にはきれいでかわいい、本物だけがあればいい。
 そのきれいでかわいい本物の私たちが、バカで間抜けで貧乏で汚い偽物の人間を殺して、なにが悪いわけ?

 ペネロテ姉妹の犯行声明 皇暦四百九十六年

■ ■ ■


序章 ザッハドの使徒
プロローグ


 ――――ある物語が紡がれていた。

 

 「名前を呼んで?はじめはそれだけでいいの」

 

 それは想いを伝える物語であった。

 

 最初は一人だった。寂しくて、苦しくて、日々を思い悩む日々。

 だが彼女はある時、素晴らしい友人を得た。時に笑い、時には喧嘩し、時には共に悲しむ事ができる友人の存在は彼女を変えた。

 勇気と希望を胸に、彼女は孤独で悲しみを背負う運命の者達と戦ってきた。己の想いを伝えるために、こんなはずじゃなかったという今を変えるために。

 想いが通じて解りあい友達となれた少女もいれば、差し伸べた手を振り払われたこともあった。解りあえたけれど、遠くへ行ってしまった人もいる。

 

 多くの決断を迫られた少女は、多くの覚悟を決めてきた。

 

 ハッピーエンドで終わる事なんて一度もなかった。

 彼女の手はあまりにも小さい。苦しむ人達と向き合い、彼女は多くの人々を救ってきた。しかしそれ以上に彼女の力では救えない人々は多すぎた。

 無力感に苛まれたことは一度や二度ではない。何度もっと自分が強かったらと彼女が拳を砕けんばかりに握りしめたか。

 

 しかし彼女の周りには多くの友人と仲間が次第に増えていった。

 そして自分の力では及ばないところを彼らは助けてくれた。自分では助けられなかった人々を彼らは助け、笑顔にしてきた。

 

 一人の力はあまりにも小さい、でもみんなが一つになればそれは大きな力になる。

 希望を胸に、彼女は歩き続ける。彼女とその仲間は多くの人を幸せにしていく。

 そう、彼女の物語は『希望』の物語であった。

 

 ――――ある物語は紡がれた。

 

 「俺にはまだ心が残っているんだよ。小さじに二杯分の心が、な」

 

 それは後悔と苦悩の物語であった。

 

 愛し、愛された。裏切り、裏切られた。殺し、殺された。

 どこまでも彼は人間であった。人間であるが故に、彼には限界が存在した。多くの命が彼の目の前で散っていき、彼は幾度となく絶望に打ちひしがれた。

 そのたびに彼を立ち上がらせたのは希望ではない。ただ立ち上がらないことが許されなかった。それだけだ。

 

 奇跡なんて存在しない、希望なんて存在しない。ただどんなにこの世が地獄だろうと、世界は常に自分を置き去りにして回っていく。自分がいなくても回っていく。

 彼の周りに現れるのはどこまでも人間であり、どこまでも化け物であり、どこまでも愚かであり、どこまでもどこまでも限りがない。

 

 だからこそ彼らは生きている。その物語に触れれば触れるほどに傷つく。吐き気がする。

 だが、どこかそれは私によくにている。当然だろう。私は人間なのだから。

 そう、彼の物語は生々しいまでの『生きる』物語であった。

 

 二つの物語は相反するように見えて、どこかよく似ていた。

 

 そして本来消えて行くはずであった少女は奇跡を起こす。

 与えられなかった機会が与えられる。それは絶望か、希望か。それは誰にも解らない。解らない方が良いのかもしれない。

 

 ――――さぁ、最後の物語を紹介しよう。

 

 彼女は死にかけていた。

 彼女は所謂大量殺人者であった。

 

 三百を超える人々を殺してきた。罪がある人間も、罪がない人間も、人間以外も、彼女は関係なく殺してきた。

 彼女の精神は我々から考えれば理解しようがないものだ。何故理解が及ばないのか。自分達ができないとんでもない事をやるとは思えないからだ。

 私たちには罪の意識がある。罰の意識がある。他の人間には想いや考えがあり、それがまた自分とは違う生き方をしていると知っている。生命の尊さと美しさを知っている。

 

 だが彼女はそれを知っているが理解が出来ない。

 

 だから彼女は取り合えず思い付いたら殺してきたのだ。

 他人の感情を犠牲にすることを楽しまず、ただ自分達にもたらされる興奮に喜んで。他人とは自分を満足させるための遊び道具でしかない。

 そもそも彼女は、他人が自分と同列であるなど考えた事すら無かった。

 

 それは彼女の姉妹も同じであった。ペネロテと名付けられた四姉妹は共に殺しを行って来た。

 しかしその間に家族の情など存在するはずがなかった。彼女らは肉親と位置づけられた存在すら、自分と同列には扱わなかったのだ。

 

 彼女は姉妹の四女を殺した。三女は強大な敵から自分達を逃すために命を散らした。だが彼女は二人に対してまったくなんの感情も抱いてはいなかった。

 あいつらは馬鹿だった、偽物だったのだ。そもそも自分以外はどうなっても良いとさえ考えていた。

 

 だからこそ彼女は死にかけていた。四姉妹の残る次女、自らの妹に殺されかけていた。仮に彼女が自らの妹の立場であったならば、喜んで妹を殺していただろう。

 私たちからすれば彼女は異常であり、信じられないほどに狂っている。しかし彼女達から見れば私たちの方が『おかしい考え』だと嘲笑うだろう。

 

 本来彼女はここで終わるはずであった。

 しかしもしここで、『希望』の物語からの手が彼女に届いていたら。彼女が希望の物語にその身を踊らせるのだとしたら。

 

 

 ――――そう、これはIFの物語だ。

 

 ■ ■ ■ 

 

 生まれたときから、世界は醜くて汚かった。

 いつからそう思ったのかは解らない。でもこれは今でも変わる事のない『気づき』であった。

 

 私は母のお腹から産まれた存在ではない。

 生まれてから母親に抱きしめられたこともないし、愛されることもなかった。そもそも、父親や母親なんて私にはいなかった。

 

 科学者達が気まぐれにお遊びで作った人型。

 容姿から性格まで彼らが遺伝子操作でそうなるよう作った存在。それが『ヒルダ』と名付けられた少女の正体。

 

 生まれながらの道化だと彼らは私を笑った。。

 他の姉妹と殺し殺される運命にあることを彼らに望まれ、私たちはその望み通りに同じ姉妹を憎み、疑い、殺した。

 

 そして殺した事で私は、私達姉妹は世界の真実を知った。

 

 世界は醜いし汚い。だけど、私達は可愛いし綺麗だって。

 だから私と姉妹達は、世界を呪って悲しむ事を止めた。だって世界は元々醜くて汚いものなのだ、何を嘆く必要があるというのだ。

 

 私達はその世界を受け入れた。姉妹に課せられた運命を受け入れた。

 

 美しく、かわいい少女として設定され、造られた姉妹。だから私達は世界で一番かわいいのだ。私たち以上に可愛くて綺麗な存在なんてあるはずがない。

 だって私たちこそは美のヒエラルキーの頂点にあるべき容姿をもって生まれたんだもの。

 遺伝子がもたらした幸運程度の馬鹿共がいう『かわいい』なんてレベルではない。そうあるべきとして生まれた『かわいい』なのだから当たり前の事だ。

 

 私はかわいい、私以外はかわいくなくて醜くて、汚くてブサイクだ。そんな事も解らないような奴らは馬鹿なのだ。

 

 醜いのにお化粧して馬鹿みたい。

 汚いのに飾り付けて馬鹿みたい。

 ブサイクなのに綺麗だと勘違いして馬鹿みたい。

 

 だから私たちは殺す。

 ただ殺すだけじゃつまらないから、楽しんで殺す。

 目を抉り、咽を裂き、鼻を切り落とし、耳を引き千切り、口腔の舌を引き抜き、皮を剥ぐ事で、あいつらが如何にブサイクで馬鹿なのかを思い出させてあげる。

 

 あいつらはそうする度に私たちにいろんな反応を返してきた。

 泣いて叫ぶ馬鹿がいた。怒り狂って何度も「殺す」と繰り返す阿呆もいた。でも最後にはみんな絶望の表情を浮かべて死んでいく。

 それが楽しくて仕方がなかった。だってあまりにもあいつらの顔は不細工だったから。

 

 かわいいのは私たちだけ、本物は私だけ。

 

 「うひゃあ、ヒルダお姉ちゃんが車に轢かれた蛙みたいになってるよ♪」

 

 なのに………どうして………。

 

 「なれ、ほんなほほお?」

 

 声がハッキリと発音できない。激痛に襲われ、目に映る視界は真っ赤に染まっている。

 網膜に焼き付く妹の姿は真っ赤に彩られていた。得意げに、楽しそうに真っ赤な顔で笑う妹に私は正確な言葉を発せられない。

 

 咽の渇きが止まらない。血泡が溢れる口からは、まるで蛙が潰れたような酷いかすれ声。

 

 体は死に瀕しているために私の意志には従わない。逃げなくてはいけないのに、体は私の言う事を聞いてくれない。

 

 理由は私の体にあった。

 

 胴体の腰から下の下半身は、糞眼鏡の咒式で炭化し消し飛んでいた。激しい火傷は胸にまで広がっている。かつて真っ白で綺麗だった肌が、いまや焼け焦げた皮膚と肉に変わっているのだ。醜くて泣きたくなる。

 

 顔は鼻骨ごと鼻梁が陥没。左目の眼球は殴られた際に破裂し、もはや今まで慣れ親しんだ視界は半分しかない。

 

 何故だ、いったいどこで私は間違ってしまったのだ。

 妹を殺した時から?ザッハドの使徒になった時から?まさか生まれたこと自体が間違っていたとでも?

 

 「あははははは、お姉ちゃんすごいぶさいくっ!」

 

 何で、どうして?

 

 意味のない問いかけが頭の中をぐるぐると廻る。廻る。廻る。

 辿り着いた答えは単純なもの。いや、こんなこと考えなくても解る。

 

 私は一つも間違っていない。ただ周りが間違っているのだ。

 

 こんなのは絶対におかしい。私は世界一、綺麗で可愛くて完全なはずなんだ。

 ぶさいくなんかじゃない、私はかわいいんだ。私は、私は。

 

 胸の奥から込み上げる血液に、ヒルダの思考は中断を余儀なくされる。

 食道を逆流して口から溢れる胃液と血痰。破壊された顔の中心から落ちる鼻骨と涙が混じった血液。焼き切れ炭化した下半身の断面からは、黄色い体液が溢れ出る。

 

 口の端から伝う涎。声にならない声を上げながら、ヒルダは顔を妹へ向ける。

 妹へ助け乞うヒルダの顔はすぐに絶望に染まった。彼女の視線の先にあったのは、自分をまるで地を這うナメクジを見るかのように見つめる妹の姿であった。

 

 自らの妹であるヒルデは、無感情な瞳で姉であるヒルダを見つめていたのだ。

 

 肉親を見るような目ではなかった。まるで腐りきった肉の袋を見るような目。目の前の汚物を忌避するかのような差別的な視線。

 死に瀕した姉を見る妹の目は、明らかに侮蔑の意を含んでいた。

 

 故にヒルダは言葉を失った。

 正しくは言葉が見つからなかった。何を言えば自分は死ななくて済む?殺されなくて済むというのだ?

 

 利用する価値があるか、ないかで他人を判断する妹に、今の自分はどんな言葉を投げかければいいのだ?

 

 「え~、だってヒルダお姉ちゃん。眼鏡の咒式で半分になって、あの男前に顔をブッつぶされて、ちょー醜いんだもの。私、醜いの大嫌いだもの♪」

 

 ヒルデが左手に抱え持つ皮の外装で整えられた古めかしい本を満足げに撫で上げる。本の開かれたページから伸びる〇と一の数字の羅列が、妹の肩の上に続いていた。

 

 数字の羅列の先には歪に嗤う丸い毛の固まり。小動物のような小さな手足に三角の耳を持ち、毛むくじゃらのそれは一見して小型の動物のように見える。

 しかしその顔は土気色の老人の顔。ボロボロの歯の奥から、吃音と共に掠れた笑い声を発している。

 

 『菓子屋敷のポコモコ』。人ならざる非情な異貌のものどもであった。

 

 だがこのポコモコの存在、そして何よりもそれを封じる『エミレオの書』こそ彼女達が『ザッハドの使徒』である何よりの証明であった。

 世界の敵とまで称された殺人集団であるザッハドの使徒。彼らにはその殺人を手助けするように、強力な化け物が封じられ、それを使役できる道具が与えられるのだ。

 

 では、ポコモコの持つ恐るべき能力とは?

 

 モコポコの能力はお菓子の生成である。

 お菓子とは何かの隠喩ではない。お菓子とはチョコレート、スポンジケーキなどの砂糖をふんだんに使った趣向品を指す。つまり私たちの理解するお菓子そのものだ。

 一見すれば使いようのない馬鹿げた児戯の能力。脅威などまるで感じる事が無い。

 

 だがその能力は菓子のように甘くは無い。むしろ常識外の破壊と混乱の嵐を起こす。

 

 ヒルダに墓標のように突き立つ黒い数メルトルの板。これこそ彼女の生命を脅かす第一要因となっているが、その正体はとてつもない大きさのチョコレート。

 現在ポコモコによって生成され、ヒルダを大地に押しつぶしているチョコレートの固まりは、実に縦横厚さが通常の二十倍。

 通常の一万八千倍のチョコレートは四百八十キログラムルもの重量を誇る。

 それを上空から高速で放たれれば、その威力は破城槌と変わらない。普通の人間なら即死の一撃。

 

 ヒルダが生きているのは一重に普通の人間ではなく、強化骨格や咒式による臓器の補填と強化を行った攻性咒式士であるからだ。

 苛烈な戦闘を行うヒルダのような攻性咒式士にとって、腕の一本や二本。臓器の一つや二つを戦闘で失うことは決して珍しくはない。

 

 だが生命を存続する肉体の強靱さが、今のヒルダにとっては地獄変わる。

 

 ヒルダの上には、四百八十キログラムルの砲弾が四枚も落とされている。

 鎖骨や肩胛骨、背骨や右腕上腕にかけてはチョコレートの砲弾で全て砕け散った。

 

 さらに圧迫されて肋骨は粉砕、臓器は破裂していた。

 如何に通常の人間よりも衝撃や耐性に優れた攻性咒式士とはいえ、高速で放たれた四百八十キログラムルの一撃をもまともに受けてしまっては耐えられない。

 元々ヒルダは前衛ではなく後衛型。加えて敵対者から受けた瀕死の重傷に追い打ちを受ける形で、妹の奇襲を受け、ポコモコの咒式攻撃を被弾している。

 

 一刻も早い治療が必要だ。このままではすぐに死んでしまう。

 そう、死ぬのだ。いやだ、死にたくない。私はもっともっと生きるべきなんだ。私以外に死んでも良い奴なんていくらでもいるはずだ。なんで私が死ななくてはならないのだ。

 

 死ぬ、死んでしまう。

 

 ヒルダは死の恐怖に涙を流す。

 内臓破裂の出血が、口腔から漏れ落ちていく。ヒルダの焼け焦げた胴体と焼き切れた下半身から、体液と共に大量の真っ赤な血液が流れ出ていく。

 

 そんな哀れな姉の姿を妹であるヒルデは嘲笑った。

 

 「私たちはまだ甘々の甘ちゃんだったの。アンヘリオも言っていたでしょう?使徒が使徒を殺す、それこそが使徒だって」

 

 ヒルデの言葉に、彼女は自らが殺めた妹の姿を思い起こす。

 無様に死んでいった。あまりにも不細工な死に方だった。

 私はそんな死に方をしたくない。そもそも私が殺される事自体がおかしい。私は殺す側であって、殺される側ではないのだ。

 

 先に死んだ姉妹は偽物だったのだ。ペネロテ姉妹の出来損ない。私から派生したコピー製品。

 しかし私は違う、私こそは本物のペネロテなのだ。私は本物だ、私だけが本物だ。

 何故か、何故私が偽物のヒルデなんかに殺されそうになっている。

 

 四女のヒルヅは私たちが殺した。三女であるヒルドはエリダナの魔女に焼き殺された。

 ついに残るは自分と妹であるヒルデだけ。無論、私こそが完成されたペネロテであり、ザッハドの使徒であるはずだ。

 だが現実にはモコポコの咒式により死の淵に追い詰めているのはヒルデなのだ。

 

 ペネロテ姉妹は残り二人。私とヒルデだけ。残り二人のうち、一人が死ねば呪われた運命は終わりを告げる。

 忌まわしき呪いは終わりを告げ、私は真の意味で解放された存在となる。しかしそれは妹たちも同じこと。例え偽物だろうと、私を殺せばあいつらは本物を名乗れる。

 

 そこまで考えが行き着いたが故にヒルダは理解した。笑うヒルデの思考を嫌と言うほどに理解出来た。

 唇が震える。血を失った寒気に加え、押し寄せる恐怖に精神が狂いそうになる。

 

 「だからお姉ちゃんを殺して覚悟を決めるの」

 

 妹は自分を殺すつもりなのだ。

 

「へめ、ええへっ!」

 

 血を口腔と鼻孔から漏らしつつも、ヒルデは己が武器である魔杖風琴の鍵盤に手を伸ばす。

 

 だがヒルデはそれを許さない。

 右手に持つ安っぽい宝石が嵌った、玩具のような桃色の魔杖錫が木漏れ日に反射して光る。鈍く輝く魔杖錫を高く掲げ、すかさずヒルダの手の甲に向けて勢いよく突き立てる。

 

 ヒルダの手の甲の骨が、耳を塞ぎたくなるような音と共に砕け散った。

 

 ヒルデが使役するモコポコのように、ヒルダにもエミレオの書により使役できる異貌のものどもが存在する。

 だが発動するために伸ばした手は、今や肉は抉れて神経が除いている。砕け散った白い骨が、湯気を立てて空気に晒されていた。

 

 「ぐりぐりぐりりん♪」

 

 口ずさむのは陽気な歌。

 さらに未だ突き刺さったままの魔杖錫を、ヒルデは念入りに回し始める。いたぶるように肉と骨をかき混ぜられる激痛。ヒルダは耐えきれず、空気を引き裂くような悲鳴を上げる。

 

 念入りに、念入りに。まるで恋人に送るチョコレートを作るかのように回される魔杖錫。

 ヒルデは完全に姉の手が使い物にならなくなったことを確認。ゆっくりと魔杖錫を引き抜いた。

 

 痙攣し、指一つ動かせなくなった自らの手。ネイルアートで彩ったり、爪を綺麗に整えたり、お洒落に余念無く綺麗を保ち続けた私の手。

 無惨に引き裂かれ、かき混ぜられた手にその面影は一切無い。まるで豚の内臓のような汚らしさをかもし出している。

 

 だが嘆く暇すらヒルダには与えられない。おぞましい殺気を感じ、ヒルデへ視線が動く。

 ヒルダは両手で魔杖錫を抱え上げた妹に恐怖を抱いた。彼女の目には殺気。口の端は歪み、口角筋は限界まで引き上げられている。

 振り上げた魔杖錫の落下地点にはヒルダの頭部。躊躇われることなく砕かれるであろう、凄惨な未来を幻視したヒルダの目は見開かれる。

 

 殺される。私は妹に、ヒルデに殺される。

 何故だ、どうして自分は殺されなければならないのだ?どうして私は殺されなければならないのだッ!?

 

 私は確かにこれまで多くの人間を殺してきた。老人、子供、大人、病人、妊婦、赤ん坊など区別無く殺してきた。

 無抵抗だろうが泣き叫んで助けを求めようが関係ない。無様で汚いと馬鹿にして、笑い飛ばして、楽しんで全員を殺してきた。

 

 それが間違っていたとでもいうのか?

 そいつらを殺してきたから私は今こうして、妹に殺されろとでもいうのか?

 あいつらは全員無価値だ。無価値な馬鹿共と価値ある私は違う。あいつらが例え何億人殺されたって、私一人の命には及ぶはずがない。

 

 「やめへへ」

 

 恐怖に涙がこぼれ落ちる。鼻孔から流れ出る血に透明の液体が混ざり、口からは嗚咽と共に血が混じった涎が地面に飛んだ。

 

 命が失われようとしている姉の声は哀れであった。彼女は最早抵抗することが出来ない。死の運命に抗うことが出来ない。

 結果、彼女が行ったのはこれまで自分が散々馬鹿にしてきた愚か者達と同じ行動。命を救ってくれるよう無様に懇願することであった。

 

 「わたしたち、しみゃいでしょ?」

 

 その問いかけがどれほど無意味なものか。哀願の声がもたらした結果は変わらない。

 だがそれでも縋らずにはいられなかった。己の生存権を握られ、抗う術は失われた今。ヒルダに出来ることはそれだけだった。

 

 無様に地面に芋虫のように這いつくばり、涙と涎と鼻水と血を垂れ流し、ヒルダが一番に大っ嫌いだった汚くて不細工な顔で助けを求めること。

 今のヒルダに出来ることはそれだけだった。今のヒルダはそれが全てだったのだ。

 

 ヒルデはそれに優しげに微笑む。

 ヒルダはその微笑みの意味を知っていた。

 

 ヒルダは常にその笑みを向けてたくさん、たくさん殺してきたのだから。

 

 ヒルデはヒルダの魔杖風琴を遠くへ蹴り飛ばす。もうヒルダがどう足掻こうと、魔杖風琴に彼女の手が届く距離ではない。這って数メルトル移動すれば手に出来るが、それを見逃すヒルデではない。

 

 「メトレヤーヤ実験場から続く長い問い」

 

 死の間際というものは、人を変える大きな機会だ。

 

 己がこれまで行ったきた諸行は走馬燈となって目の前を駆け抜けて行く。今のという時間の中では、現在を生きる人生のほんの一部分しか認識でない。

 だから全体を通した自身の人生を垣間見た時、真の理解を人は感じ取り受け入れることができる。

 かの大魔導師が、最後の最後に己の娘へ言葉を残したように。人は最後の最後に変わる機会が訪れるのだ。

 

 では最後の時。ヒルダいったいその胸の内に何を感じたのか。

 それは絶望ではなく――――

 

 「ペネロテ姉妹の誰が本物で、複製体じゃないか」

 

 ――――激しい怒りだった。

 

 「ここで決める」

 

 そもそもこんな汚らしい姿になっているのが、私であることがまずおかしい。

 

 結局のところは運がたまたま悪かっただけだ。

 地下迷宮の戦場で飛び出していたのがヒルダではなく、今目の前で嗤っているヒルデであったならばこの立場はまったくの真逆になっていた。

 

 ヒルデが顔面にあのドラッケン族の一撃を受けて顔面粉砕。反応が大怪我のせいで間に合わず逃げ遅れて、糞眼鏡の核咒式に下半身を焼かれて無惨に。

 そして無残になったヒルデを私が見下ろす。嗤い、踏みつける。最後には優雅に楽しくエミレオの書で窒息させてぶち殺したはずだ。

 

 そう、それこそが正しいペネロテ姉妹の結末。私が最終的に大勝利して、他の馬鹿共はみんな死ぬ。

 

 だが現実はかわいいわたしがこんなかわいくない姿で必死に妹に懇願している。哀れみを買おうともがいて、不細工な顔になってまで必死になっている。

 

 「(こんなの、ぜったいに、おかしい)」

 

 偽物だとか本物だとか、そんな話はこの際どうでもいい。

 だがヒルデがこの私を殺して、勝ち誇って、自分が本物であるという馬鹿げた妄想に取り憑かれること。これだけは我慢ならない。許せない。絶対に認めない。

 

 私はかわいいペネロテ四姉妹のヒルダ。

 我らが王、ザッハドに願うのはクソ妹共が地獄で永遠に苦しむ事。断じて、断じてゲロ妹であるヒルデに殺されることは我慢ならない……ッ!

 

 「そう、お姉ちゃんの尊い死で」

 

 動け。動くんだ。

 せめてこの愚妹だけはぶち殺してやる。その調子に乗ったツラを絶望に染め上げてやる。

 

 「私はさらに精神的に成長して本物になるの」

 

 破壊された手を必死に伸ばす。

 調子に乗って高揚したヒルデはその動作を見逃してしまった。何せ這って動くなどの大きな動きではない。まるで陸に打ち上げられた魚が、僅かに尾びれを動かすような些細なもの。

 

 ヒルダの指は地面に転がっていた石を挟みとる。掴むことは叶わないが、彼女の指は確かに石に触れていた。

 殺人者としての執念。ヒルダの強靱な精神は、死が自分を襲うその時まで他者への殺意を優先させる。

 

 その時、ヒルダの指に収まった石が僅かに発光。

 あまりにも微細な光を二人は気がつかなかった。

 

 「だからさっさと死んでね♪」

 

 何を言っているのだこいつは。

 

 呆れかえった。ヒルダの指に力が籠もる。

 ヒルダは今この瞬間まで自分が死ぬ事を恐れてはいなかった。

 

 ヒルデが上段構えに掲げられた魔杖錫は、一秒もしないうちに私の頭を打ち砕くだろう。

 強化頭蓋骨を砕き、脳は粉砕され、顔はめちゃくちゃにされる。残っていた右目すらも潰される。

 

 無様で、汚く、不細工な姿で私は息絶えるのだ。そして妹は勝ち誇ったようにして私を足蹴にして笑うのだろう。

 そんなかわいくない最後を迎える、そんなことを私は。

 

 「みとめへたはるは」

 

 願った。

 私はかわいくあるべきだと。私はかわいくない生物を全部、全部殺すのだと。

 私はこんなところで死ぬはずがない。死んで良いはずがないッ!

 

 「ぶっ細工なお姉ちゃんはここでおしま……え?」

 

 瞬間、ヒルデの顔が驚愕に染まる。

 ヒルダの砕け散った手から強烈な光が放たれたのだ。薄暗い路地裏が、まるで陽の光の下にさらされたかのように照らし出される。

 

 「ッ!?」

 

 光があまりにも強すぎて何が起こっているのか把握出来ない。

 彼女が最後に見た光景は、ヒルダが光に包まれる姿。それ以降は知らない、目がやられてしまった。まずい、このままでは殺される。

 

 ヒルデは突然の事態から逃れるようにして飛び退る。目が眩んで使い物にならないものの、なんとか記憶を頼りに物陰に身を隠した。

 ヒルデが身を潜めてからも光は収まらない。ヒルデはヒルダが既に死に体であったが故に、これが外部者からの攻撃であると断定した。

 

 下手に動くわけにもいかない。舌打ちを飛ばしながらヒルダは咒式を構成していく。

 数秒後。ようやく発光が収まった事を見計らって、状況を見定めようと顔を出して窺う。

 

 「……ちょっ!?」

 

 ヒルデはつい驚きの声を上げてしまった。

 そこにはあれ程の醜態を晒し、無様な姿で瀕死に陥っていたヒルダの姿は存在しなかった。まるで何事もなかったかのように跡形もなく消え去っていたのだ。

 

 ただ彼女の存在がついさっきまで残っているかのように、ヒルダがいた位置にはチョコレートの固まりがそびえ立ち、ヒルダから流れ出た大量の血液が大きな血溜まりが残っている。

 しかしその中心に存在していたはずの、ヒルダの姿はどこにも無い。

 

 他者の存在が感知されないと知るやいなや、ヒルデは物陰から飛び出して大量の血溜まりの上を探る。

 引きずるように移動した後も見受けられない。ついでヒルダの武器である魔杖風琴も見あたらない。気配を探るも、周囲に自分以外の存在が感じられない。

 

 「……何よ、これ」

 

 理解ができない出来事に、呆然とその場に佇む。

 この日、この瞬間。ヒルダの体はエリダナの地から消え去った。いや、この世界から消え去った。




資料がまったく集まらないため、nanohawikiなどのサイトの情報を資料として使わせて頂いております。
そこのところをご了承ください。

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