夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第二話 願いの欠片

 

 魔法を行使する魔導師や騎士は、相手の発する魔力波長によってその存在を認識することができる。聴覚が音を感知するように、リンカーコアによって魔力を感じ取るのだ。この魔力波長は個々によって異なり、それが完全に一致することはない。

一卵性双生児の容姿が似通うように、魔力波長が似通っているというケースは過去にも報告されてはいる。しかし、例え一卵性双生児であろうとも、どれほど精巧なクローンを生み出したとしても、指紋や声紋のように、それが完全に一致することなどあり得ない。

 だが、似通った魔力波長を持つ者達が存在することもまた事実。そういった場合、魔力波長を由来とする魔力光も似通った色となる。魔力波長が近ければ近いほど、魔力光も同色に近づくのである。

 例えば、ギル・グレアムの使い魔であるリーゼロッテとリーゼアリアの双子の姉妹。彼女達の魔力光はほとんど遜色のない青色同士で、目視によってその差を見分けることは不可能だった。

 当然、容姿の似通った赤の他人が存在するように、まったくの別人でも魔力光が似通うケースはある。シャマルにリンディ・ハラオウン、そしてユーノ・スクライアと、同系統の魔力光を持つ者が三人も集うという非常に稀有な出来事もあった。

 これまでの体験から考えれば、似通った魔力光を持つ者と出会うことなどさして珍しいことではないのかもしれない。しかし、それはあくまでも魔力光が似通っているというだけの話だ。デバイスなどの機器によって分析をすれば、その差異は明確な数値となって現れる。

 目視ではどれほど同じ色に視えても、魔力波長の違いを誤魔化すことなどできない。永きに渡って魔法の収集を続けてきた夜天の書の記録にも、完全に同一の魔力波長を持つ存在は確認されなかった。

 だが、リインフォースとはやての目の前に現れた少女はどうだ。

 リインフォースの視覚が捉えるのは、忘れる事などあろうはずもない漆黒の魔力光。

 そして、壊れたリンカーコアが告げる事実がもう一つ。

 例え躯体を保つことが精一杯でも、それだけは間違えることはない。

 なぜならその魔力波長は、かつてリインフォースと共にあったはずのものなのだから。

 

「はやてっ! リインフォースっ!」

「何事だっ!」

 

 部屋の扉が勢いよく開かれ、騎士甲冑を展開したヴィータとシグナムの二人が飛び込んできた。しかし、デバイスを構える二人は、部屋の状況に険しかった顔を困惑のものへと変える。突然の来訪者には、敵意どころか意識すらなかったためだ。

 転移魔法陣が消失した途端、少女の身体がぐらりと傾いた。シグナムが飛び出し、咄嗟にその小さな体を支える。シグナムの腕の中でぐったりとしている少女は、死んだように眠っていた。

 混迷する状況の中、リインフォースは腕の中に微かな震えを感じた。見れば、はやてが少女に視線をやったまま、リインフォースの服を握った拳を小さく震わせていた。

 

「いったい何があった?」

「転移してきたのはその子? いったいどうやって……」

 

 人間形態となって騎士甲冑を展開したザフィーラと、同じく騎士甲冑を展開したシャマルが顔を出す。敷地内を覆い隠すように常時発動型の防御結界を張っているシャマルは、特に険しい顔をしていた。

 はやて達の情報は特秘事項として扱われているが、闇の書に恨みを持つ者達の襲撃を警戒し、自宅を守る防御結界だけは張り直している。それを壊さずに抜いて転移できるのは、結界に設定された暗証コードを知っているはやて達のみ。そのはずが、少女は難なく屋内へ――それも、結界の深奥であるはやての部屋まで――転移してきたのだ。意識を失っているとはいえ、警戒を解けるはずがない。

 

「はやてから魔力供給を受けていたとき、突然その少女が転移してきたのだ。見てのとおり、私達は無事だが……」

「どっかの誰かが仇討ちに来たってわけでもねーみてーだな」

「後続はなく、この子も意識を失ったままだ。その可能性は低いだろう」

「だが、どうやってシャマルの結界を抜いた? ギル・グレアムや聖王教会の者であろうとも、破壊せずに直接転移することは不可能なはずだ」

「暗証コードは管理局にも伝えていないし……。それに、その子の魔力波長は……」

「ああ、間違いない。これは、ナハトの……闇の書そのものの魔力波長だ」

 

 そう。少女から感じる魔力波長は、もうこの世には存在しないはずのナハトヴァールのもの――正確には、ナハトヴァールが取り込んだ夜天の書の動力部が供給する魔力の波長と同一のものだったのだ。

 シグナム達が息を飲み、はやてが身を固くする。

 それものそのはず。夜天の書の動力部を取り込んで暴走したナハトヴァールは、颯輔と共に対艦反応消滅砲――アルカンシェルによって蒸発したはずなのだから。その後一月に渡って消滅地点および周辺世界を警戒したが、暴走体の再生は確認されず、二次災害なしに事件は終息したはずだった。

 そのはずが、これだ。

 今になって現れた少女の存在が新しい生活を始める自分達を否定し、それによって足場が崩れ落ちるような感覚に襲われた。

 

「リインフォース……」

「はい」

 

 名を呼ばれ、リインフォースははやてを見る。そこにあったのは、リインフォースのよく知る目だった。

 内に悩みを抱えながら、心に迷いを秘めながら、それでも前へと進もうとする目。優柔不断で弱さを孕んだ、しかし、強い決意を宿した目だ。

 漆黒の魔力光。

 それがはやてに連想させるのは、たった一人の人物だ。未だに心から求めて止まないその人物のためならば、はやてはきっと、どんなことでもしてみせるだろう。

 だが、はやてが下そうとしている決断は、きっと今のリインフォースにとっては負担となってしまうこと。はやてから十分な魔力供給が受けられなくなれば、それはイコールで死に繋がってしまうのだから。

 それ故の、迷い。

 その弱さと優しさは、やはり、よく似ている。

 はやての机の上に目を向けてみれば、そこには、はやてとリインフォース達に多大な影響を与えた人物の写真があった。ナハトヴァールに適合する魔力資質を持っていた人物――八神颯輔。はやてとリインフォース達を救った、そして、はやてとリインフォース達が救うことのできなかった、もう一人の(家族)

 

「あんな……」

「……はやて。私はまだ大丈夫です。貴女に授かった命が、この胸に宿っていますから」

 

 はやてに供給された魔力は、その大半を霧散させながらも、確かにリインフォースのリンカーコアに蓄えられている。もしも限界が訪れたとしても、ただ黙って消滅するつもりなど、リインフォースにはさらさらなかった。

 二人の主によって与えられた自由を、一秒でも長く生きていたい。

 

「はやて。私はもう貴女の翼となることは叶いませんが、夜天に吹く風は、そして、夜天を揺蕩(たゆた)う雲は、常に貴女と共にあります。貴女の信ずる道ならば、我らに迷いなどありません。もしも貴女が道を違えたそのときは、我らが正してみせましょう。ですから貴女は、貴女の心の赴くままにお進みください」

 

 しかし、足枷にだけはなりたくない。自身の存在によってはやてが歩みを止めるなど、あってはならないのだ。

 はやての人生は、まだまだ始まったばかり。その先には、無限の可能性が広がっているのだから。

 

「……おおきにな、リインフォース」

 

 リインフォースの言葉を噛み締めるように、ゆっくりと目を閉じたはやて。そして、開いたその目には、強い光が灯っていた。

 はやてが服の下、胸元から取り出したのは、チェーンの取り付けられた黄金の剣十字。夜天の書(リインフォース)の代わりとなってその歩みを支える、蒼天の書(新たなるデバイス)だ。

 

「蒼天の書、起動」

《Anfang.》

 

 はやての姿が白銀の魔力光に包まれる。光が解けた中には、騎士甲冑に身を包んだ凛々しい姿があった。はやて達が考えたシグナム達の騎士甲冑を基に、リインフォースが意匠を施したものだ。その手には、夜天の書が収集した魔法をコピーした、新たな魔導書があった。

 夜天を淡く照らし出す、清廉な白。その身に宿した強大な魔力が、はやてを地に縛る鎖を解いていく。リインフォースの腕から抜け出すと、はやてはゆっくりと立ち上がった。

 はやてが蒼天の書を開き、探知魔法を発動させる。少女の転移魔法の痕跡から、転移元の世界を割り出しているようだった。少女が話をできる状態にない以上、危険を伴いはしてもそうすることでしか情報は得られない。

 

「シャマルはリンディさんに連絡して、その子は一旦アースラに預けよか。それまでは、私のベッドに寝かしといてええからな」

「わかりました」

「シグナムはシャマルと一緒にその子に付いとってな。目覚ましたときにもし暴れても、怪我だけはさせんように無力化すること」

「はい」

「ヴィータとザフィーラは、私と一緒。その子の転移元割り出して、様子見に行くよ。あんまいいことちゃうけど、緊急事態っちゅうことにしよか」

「うん」

「心得ました」

 

 はやての出す指示に、シャマル達が頷き了承を示していく。その年齢にそぐわぬ姿は、夜天の書が与えた知識によるものだ。

 主たる姿を見られるのが嬉しく、同時に、主たる姿をさせてしまうのが心苦しくもある。はやてを見守るリインフォースの心境は、複雑なものだった。

 もしも自分達の存在がなければ、はやては年齢どおりの子供のままでいられたはずで――

 

「リインフォース」

「――はい」

「リインフォースは一応、シグナムにシャマルと一緒に行動してな。一人でここにおったら、何かあったとき危ないから」

「はい。シグナム達と共に、はやて達の帰りを待っていましょう。どうか、お気をつけて」

「ん。ヴィータとザフィーラおるし、それに、あんま危ないことはせんから、そんな心配あらへんよ」

「そうそう、あたしらが付いてっから大丈夫だって」

「ヴィータ、はやての傍から離れるなよ。ザフィーラ、何かあったときは……」

「わかっている。手に負えんようならば、すぐに離脱させよう」

「こっちも事情を説明し終えたら、武装隊を出してもらえるようお願いしてみますね」

「ん。悪いけど、それまで先に怒られといてな」

 

 違う。そうではない。

 過去の改変など、どのような魔法を使ったところで起こり得ない。

 

「……解析完了、と。転移元の座標は――」

 

 だから、過去(これまで)にも勝る未来(これから)を求めるのだ。

 

「――第76無人世界……エルトリア」

 

 それにあたって、まずは過去の清算が必要なようだった。

 

 

 

 

 転移魔法陣が消失する。視界に広がっているのは、荒れ果てた大地と暗い空。吹きつける風が身体を叩き、乾いた空気が喉を干上がらせる。ここは、終わってしまった世界――エルトリア。

 以前にこの場を訪れたのは、去年のクリスマス・イヴのこと。闇の書の暴走体との決戦によって崩れてしまった地形は、無人世界故にそのままにされていた。

 思い起こすのは、初めて見た涙を流す兄の顔。そのときの光景が、はやての心を絞めつけ苦しめた。

 

「はやて、大丈夫……?」

「ん、何でもないよ」

 

 気遣い顔を覗き込んできたヴィータに笑顔を見せ、帽子の上から頭を撫でつける。辛いのはヴィータもザフィーラも同じこと。この選択をしたはやてが迷っていては、示しがつかない。

 ヴィータを撫でつけることで心を落ち着かせたはやては、黄金の杖(シュベルトクロイツ)を展開してから蒼天の書を開いた。

 

「ほな、ちゃちゃっと調べてみよか。ヴィータ、ザフィーラ、警戒お願いな?」

「うん!」

「お任せを」

 

 二人が構えるのを見てから、はやては広域探査魔法を発動させる。その探査領域に合わせたかのように、足元に白銀の大規模魔法陣が展開された。

 はやての部屋に突然現れた少女は、颯輔と同じ漆黒の魔力光を持っていた。同色の魔力光を持つ者はいるにはいるらしいが、シャマルの結界を抜いて現れたのだから、十中八九、闇の書事件に関係する者だろう。その魔力波長にまで覚えがあれば、尚更だ。

 もしかしたら。

 その可能性を未だに捨て切れずにいるはやては、心が求めるがままに探査領域を広げていく。

 少女の転移元の座標は間違いなくこの場所で、実際に同一魔力の残滓もあった。ならば、何か必ず手がかりとなるものが見つかるはずだ。人間どころか魔法生物すら存在しないこの世界ならば、それを見逃すことはないだろう。

 数キロ、数十キロと、何も見えない暗がりに感覚の手を伸ばす。魔力を制限するリミッターを課せられているためか、本調子ではない広がりの遅さがもどかしかった。

 五感を閉じて極限までリンカーコアを研ぎ澄ませ、やがて、それを見つけた。

 

「下……?」

 

 魔力反応が一つ、まるで転移でもしてきたかのように、地中深くに突然現れた。

 探査魔法が示す限りでは、その場所に開けた空間などないはずだ。だが、始めは小さかったその反応は、次第に大きくなっていく。

 はやてが疑問を口に出したとき、静まり返っていた大地が急激に暴れ出した。立ってなどいられないほどの揺れが、はやて達を襲う。

 突如発生した大地震の中、褐色の肌の逞しい腕に持ち上げられ、はやての体がふわりと宙に浮いた。

 

「おおきに、ザフィーラ」

「いえ。それよりも、飛行魔法を発動して警戒を。何か、来ます」

「うん。……スレイプニール、羽ばたいて」

 

 はやては三対六枚の純白の翼を展開し、人間形態となったザフィーラの腕から飛び立った。

 眼下の大地がひび割れ、所々が隆起していく。その下から感じる魔力反応は、それほど大きくはない。一般の武装局員を多少上回る程度で、はやて達には遠く及ばないだろう。

 だが、はやては警戒を緩めない。一騎当千の騎士であるヴィータとザフィーラが傍にいようと、いくら大きな魔力を持っていようと、所詮はやては素人。隔離施設で魔法を学び、少しだけ訓練を積んだとはいえ、実戦の経験など一度しかないのだ。

 それに今は、はやてを支えるリインフォースがいない。つまるところ、はやてにとってはこれが初の実戦になると言ってもよかった。

 微かに震える掌で、シュベルトクロイツを握り直す。大丈夫、ヴィータとザフィーラがいる、と自分に言い聞かせた。

 そして、はやての見つめる先、岩盤を押しのけて、それは現れた。

 

「何だ、こいつ……?」 

 

 大きな棘の生えた、赤銅の鱗。その胴体は大型バスどころかビルのように太く、地中にも隠れているだろう全長は、もはや計り知れない。蛇のようにのたうつ体の所々から、先端に鋭い爪を伴った触手が伸びていた。

 

「随分と大きな個体だな……」

 

 地中に潜む竜種の魔法生物――赤竜。

 間接的にだが、はやてもその存在は知っていた。なぜなら、ヴィータ達がリンカーコアを蒐集していた魔法生物の一種だからだ。

 だが、赤竜は砂漠地帯に生息する生物だ。このような固い地層には、ましてや汚染されたエルトリアになど生息しているはずがない。そして、はやて達が目にしているような巨体にまで成長するなど、夜天の書の記録には載っていなかった。

 転移するように現れたことといい、存在しないはずの場所に存在することといい、異常な巨体といい、何かがあることに間違いはない。言葉の通じる相手ならば良かったが、意思疎通の図れない生物から情報を得ることは、なかなかに骨が折れそうだった。

 そして、どうやら相手方にも、はやて達を逃がす気はないようだった。鎌首をもたげ、その濁った目ではやて達の姿を捉えている。てらてらとした粘液に濡れたその咢からは、生々しい湯気が上がっていた。

 

「ちょう大変かもしれへんけど、何とか拘束して解析かけるで。二人とも、行くよ!」

「わかった! あたしが撹乱すっから、はやてとザフィーラで捕まえて!」

《Explosion.》

 

 炸裂音が響いて空の薬莢が吐き出されると、ハンマーフォルムだったヴィータのグラーフアイゼンが変形を始めた。衝角が迫り出し、三つの噴射口からなる推進ユニットが形成される。煌々と燃える噴射口から、紅の魔力光が漏れ出していた。

 

「任せておけ――鋼の軛ッ!」

 

 炎の尾を引いて、ロケットのように飛び出すヴィータ。それと同時にザフィーラが咆哮を上げると、中空に圧縮魔力のスパイクが現れる。対象が大型であるほど静止と無力化に効果を発揮する、ザフィーラの拘束魔法だ。

 赤竜の周囲を飛び交って撹乱するヴィータの姿を視界の端に捉えながら、はやても行動に移っていた。シュベルトクロイツで大まかな目標を指し示しつつ、蒼天の書の頁を捲る。選択したのは、ミッドチルダ式のスタンダードな拘束魔法をベルカ式へと変換したものだ。

 

「チェーンバインド!」

 

 浮かび上がった白銀のベルカ式魔法陣から、十二本の鎖が伸びる。ザフィーラが形成したスパイクも、後を追うようにしてヴィータを狙う赤竜へと降り注いだ。

 鎖が胴に巻きついて赤竜を締め上げ、その動きを制限する。ダメ押しとばかりにスパイクが突き刺さり、赤竜を地面に縫い止め拘束した。

 赤竜にはやて達の魔法から抜け出すほどの力はない。特に抵抗されることもなく、拘束はあっけなく成功した。あとは解析にかけ、何かしらの情報を得るだけ。

 それだけのはずだった。

 

「そんな……!」

 

 突如として捕えていた赤竜の体が霞み、鎖は解けてスパイクからはするりと抜け出される。まるで、実体を持たない幽霊やホログラムのようだ。

 赤流の淀んだ瞳が、真っ直ぐにはやてを捉えた。

 難なく拘束から逃れた赤竜が、今度はこちらの番と蠢く。その巨体からは想像もつかない俊敏な動きを見せて一度地中へと潜り、そして、地表を割って飛び出してきた。

 

「ちっ――このッ!」

 

 真っ直ぐにはやてを狙う赤竜の眼前に躍り出たヴィータが、瞬時にギガントフォルムへ変形させたグラーフアイゼンをその横っ面に叩き込む。赤銅の鱗が砕けて宙を舞い、その進路を変更させることには成功した。

 しかし、それでも勢いを殺すことはできなかった。弾かれた赤竜はすぐさま軌道を修正し、触手も伸ばして執拗にはやてを狙ってくる。その前に立ち塞がったのは、大きな背中を見せるザフィーラだった。

 

「通さんッ!」

 

 両手を大きく広げたザフィーラが、群青色の防壁を展開する。構わず突き進んできた赤竜が激突するも、ザフィーラはほんの少しだけ後退しただけで、その巨体を防壁で受け止めて見せた。遅れて伸びてきた触手が防壁を叩くも、砕ける様子は微塵もない。

 進撃の止まった赤竜に、グラーフアイゼンを大きく振りかぶったヴィータが迫る。轟と風を斬って振るわれた戦鎚が、今度こそ赤竜を地表へと叩き落した。

 非殺傷設定とはいえ、ギガントフォルムのグラーフアイゼンを二度も頭部に受けたのだ。異常な巨体を誇る赤竜であろうとも、一溜まりもないだろう。現に赤竜はその巨体を地に横たえ、びくびくと痙攣していた。

 ところが、またしても異常が現れた。

 大気に満ちる魔力素が赤竜に集中し、砕けたはずの鱗が再生されていく。地に横たわっていた巨体が、ゆっくりと持ち上げられた。

 

「何なんだよあいつっ!?」

「拘束を抜けたときといい、どうやら突然変異というわけでもないようだな」

「あんな高速再生、生き物かすら怪しいじゃねーか!」

「魔力によって構成された肉体、か……」

 

 ヴィータとザフィーラの言葉によってはやてが思い出すのは、初めての戦いだ。闇の書の暴走体も、生体部分が破壊されても瞬時に再生させていた。再生速度は暴走体の方が遥かに速かったが、その特徴には通じるところがある。

 あのとき暴走体に通った攻撃は、魔力ダメージによるものだった。闇の書が関係しているのならば、あるいは、今回もそうかもしれない。

 明確な証拠などない。だが、はやては確信を持って蒼天の書の頁を捲った。

 

「今度は、私がやるよ」

 

 すっと腕を伸ばし、はやてはシュベルトクロイツ(砲身)を再びこちらに狙いを定めている赤竜へと向ける。展開された魔法陣が輝き、圧縮された大魔力が砲弾を成した。

 長い戦乱の歴史を経て、ベルカの魔法は近接戦闘へと特化していった。だが、夜天の書が造り出されたのはベルカ史における最初期のことだ。加えて、別世界の魔法技術をも収集していた夜天の書には、古今東西のあらゆる魔法が記録されている。

 すなわち、夜天の王たるはやての力とは、幾星霜と積み重ねられてきた魔法史そのものに他ならない。

 一度体を縮ませた赤竜が、伸び上がって牙を剥く。それに向けて、はやては白銀の砲弾を解き放った。

 

「クラウ・ソラス!」

 

 白銀の魔力粒子を振り撒きながら、赤竜へと砲弾が迫る。砲弾は赤竜の頭部へと激突し、圧縮させていた魔力を炸裂させた。

 大規模魔力爆発により、視界が白銀に染まる。発生した魔力風にはやての髪が揺れ、スカートがバタバタと鳴った。

 ようやく光が薄れて赤竜が姿を現すが、しかし、そこにはあるはずの頭部がなかった。

 頭部を失い動きの止まった赤竜の体が、漆黒の魔力粒子となって解けていく。首、胴、尾と消失していき、撒き散らした魔力粒子が魔力素へと還元されると、そこには何も残っていなかった。まるで、最初から何も存在してなどいなかったかのように。

 

「むぅ……」

「はやて……その、もうちょっと、手加減とかした方が……」

「え? いや、あの、手加減っちゅうか、ちゃんと非殺傷設定にはしてたはずなんやけど……」 

 

 腕組みをして唸るザフィーラと、傷つけないようにとやんわり進言してくるヴィータ。尻すぼみで返したはやてにも、何が原因でこのような結果となったのかはわからなかった。

 掘り返された大地を、乾いた風が翔けていく。巻き上げられた砂埃と変化した地形だけが、消え去った赤竜の存在を物語っていた。

 

 

 

 

 白銀の転移魔法陣が輝き、はやて達と、そして、管理局の武装隊員達の姿が消え去る。後に残ったのは、赤竜の出現によってさらに荒れてしまった大地だけだった。

 ところが、不意に空中の景色がぐにゃりと歪み、小さな緋色の球体が現れる。球体は状況を観察するように周囲を一度だけ旋回すると、離れた位置にある岩場の影へと真っ直ぐに飛んで行った。

 その場所にいたのは、一人の少女。闇色のバリアジャケットを着込んだ少女が、影のように佇んでいた。

 

「どうやら、夜天の王達は無事に帰還したようですね……」

 

 少女を周りを一回りした緋色の球体が崩れ、魔力素へと還元される。それは、少女の放った探索魔法の端末(サーチャー)。少女は岩場の影に潜み、最初からはやて達の様子を観察していたのだ。

 はやての探査魔法によって、その存在を感知されることもなく。

 本来ならば、探査魔法から逃れる術はない。探査防壁などを展開していれば話は変わってくるが、しかし、はやての探査魔法はそれさえも見透かし、隠れた存在を感知してしまうのだ。

 だが、少女は例外だ。

 なぜなら、元来より()()()()からは存在を感知されないように造り出されているのだから。

 はやてのデバイスは夜天の書の劣化品。ならば、尚更見つかる道理などない。

 

『――――』

「はい、シュテルです。どうかなさいましたか?」

 

 不意に、少女――シュテルに思念通話が入る。相手の声音には焦燥が窺えるが、一方のシュテルに動揺した様子は見られない。波立つことのない静かな水面のような、一切の感情が込められていない淡々とした声音だった。

 

『――――』

「ええ、はい。夜天の王達に怪我はありませんでしたよ。大した個体ではなかったとはいえ、夜天の王達の手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 魔力が制限され、融合(ユニゾン)することもできなくなってしまったためか、はやての魔法と戦術にはまだまだ改善すべきところがあった。だが、その程度の実力でも、闇の書の残滓である赤竜では相手にすらならない。傍らに守護騎士が控えているのならば、夜天の王の力は万軍にも匹敵するのだ。

 事実、はやて達は負傷もなく、余裕を持って赤竜を消滅させた。はやて達を墜としたいのならば、それこそ万の軍勢を用意するか、それに匹敵する強力な個体が必要だっただろう。

 

『――――』

「いえ、落ち度は私にあります。ユーリを守りきれませんでしたから」

『――――』

「そうですね……。おそらくは、本能的に分かっていたのでしょう。どこに向かえば安全であるのかを。それに、あそこには夜天の書がありますからね」

 

 夜天の王と守護騎士の住む場所。そこは危険を伴う場所でありながら、ある意味では次元世界の中で最も安全な場所である。そして何より、そこには夜天の書(リインフォース)がいる。別たれたとしても、深層に残った帰巣本能が、その場所を選んだのだと予想できた。

 

『――――』

「はい。可能な限り、接触は避けたかったのですが……――!」

 

 眉一つ動かさずに念話を続けていたシュテルの目が、不意に鋭くなった。

 スカートの下、細い脚の踝の辺りから緋色の翼が伸び、宙を叩いて火の粉を飛ばす。ふわりと空に舞い上がったシュテルは、その手に持った魔導の杖(ルシフェリオン)を構えた。

 

『――――』

「ええ、どうやら嗅ぎつけられてしまったようです」

 

 シュテルの眼下、干乾びた風の運ぶ魔力素が集束し、結合を始める。その集束点は、一、五、十、二十と、急激に数を増やしていた。

 漆黒の魔力が形を成す。

 現れたのは、多種多様な魔法生物の形を模したモノ。

 離反者を追う、闇の軍勢。

 

『――――』

「いえ、この程度、我が炎で焼き尽くして御覧に入れましょう。それよりも、私の心配をしている余裕があるのならば、少しでも早くリンカーコアを修復させてください。今後どう動くにしても、話はまずそれからです」

 

 素っ気なく言い放ち、シュテルは杖で宙を斬った。

 輝くは、緋色のミッドチルダ式魔法陣。

 燃え盛る炎が形を成し、十二の魔弾となる。

 それは、シュテルに従う忠実な兵士達だ。

 炎熱の魔力を渦巻かせ、号令が下りるのを今か今かと待ち構えている。

 周囲を取り囲む敵軍を貫き、内部から焼滅させるために。

 

『――――』

「……ええ、お任せを」

 

 素っ気ない態度を気にも留めず、その声の主はシュテルの身を案じてくる。それに短く返したシュテルの口角が、ほんの少しだけ持ち上がった。

 

 

 

 

「君はっ! 今の自分の立場をっ! 正確に理解しているのかっ!?」

 

 時空管理局が所有する次元航行船、巡航L級8番艦『アースラ』。そのブリッジに、甲高い少年の声が響き渡った。

 声の主は、クロノ・ハラオウン執務官。第97管理外世界『地球』で立て続けに起こったジュエルシード事件と闇の書事件の解決に貢献した、若き管理局員である。

 

「や、その、緊急事態やったし……」

 

 腕を組んだクロノの前で身を小さくしているのは、エルトリアでの調査を終え、アースラへと乗り込んだはやてである。はやての後ろに控えるヴィータは辟易した様子で溜息をついており、その隣のザフィーラは狼形態に戻ってお座りをしていた。

 コッコッコッと床が鳴る。苛立つクロノが床を踏み鳴らしていた。それもそのはず。クロノは隔離施設で、はやて達の指導官だったのだ。

 三ヶ月の間、はやて達は特に問題行動を起こすこともなかった。だが、更生プログラムを終えた翌日にこの有様だ。上の判断を扇がず、現場での独断行動。信じて送り出したクロノからすれば、裏切られたような気分だった。

 

「しばらくの間、君たちの行動は逐一報告を上げることになっている。それは何度も何度も説明したはずだ。……あまりこういったことは言いたくないが、君達の評判は決してよくはないんだ。そこに今回のようなことが重なれば、どうなるかは想像がつくだろう。裁判の時に散々言われたことを忘れたのか?」

「すみません……」

 

 闇の書と管理局の因縁は深い。闇の書の暴走は、十年単位でもたらされる天災のようなものだったのだ。事件の担当となった友を亡くした局員、また、その家族は少なくない。

 はやて達の管理局入りを聞き、抗議の声を上げた者は多かった。歳を重ねた局員の多い高官など、特にだ。

 また暴走するのではないか。

 守護騎士など信用できるはずがない。

 局へ刃向うに決まっている。

 法廷の場に立ったはやてへと放たれた言葉の数々は、鋭い矢となって心に突き刺さった。その痛みを忘れることなど、できるはずがない。

 リインフォース達は、はやてにとって誰よりも信頼できる家族だ。だが、管理局にとっては憎むべき外敵であり、そこに信頼などあるはずがない。信頼を得て良好な関係を築くには、多くの時間とそれ相応の行動が必要となるだろう。

 

「そもそも――」

「――まあまあクロノ執務官、怪我もなく無事に帰って来たことだし、はやてさん達も反省しているようだし、そろそろ許してあげてもいいのではないかしら?」

「艦長っ!」

 

 なおも続くクロノの声を止めたのは、アースラの指揮を預かるリンディ・ハラオウン提督だ。リンディの発言にクロノが声を大きくし、その横で、はやてが俯き拳を握った。

 闇の書事件の際、アルカンシェルを発射したのはリンディだった。つまり、止む得なかったとはいえ、颯輔の命を奪った相手。闇の書の主だったはやてにもよくしてくれてはいるが、しかし、心を許すことはできなかった。

 何より、その笑顔が自分によく似ていたから。

 

「あの、リンディさん。勝手に行動してもうて、すみませんでした」

「はい、次からは気を付けるようにね。それより、エルトリアで何があったのか、詳しく聞かせてもらえるかしら?」

「それはもちろんええですけど……」

「ああ、リインフォースさん達なら、あなた達が保護した子と一緒にいるわ。まだ目を覚ましてはいないのだけれど、魔法も使えるようだし、念のために付いていてもらっているの」

「そうですか……」

 

 はやてがこの場にはいないリインフォース達の所在をそれとなく視線で訪ねてみると、その意図を汲み取ったリンディが、望む答えを返してきた。

 はやて達の保護者であるグレアムは、闇の書事件を解決に導いた管理局の将官である。以前にグレアムの部下であったのがリンディ、そして、はやて達の所属する部隊の指揮官であるレティ・ロウランだ。

 本来ならば今回の案件も直属の上司となるレティに上げなければならないのだが、隊の稼働、そして、はやて達の正式な所属は翌週からとなる。それまでの間、はやて達はリンディに預けられているのだ。こういった非常時における行動を指示できるだけの権限が、リンディにはあった。

 先立って肩身の狭い思いをしていただろうリインフォース達にはもう一度謝らなければと心に決め、はやてはヴィータとザフィーラを交えてエルトリアで起こった一部始終を語った。

 少女の転移反応を辿り、エルトリアへと向かったこと。

 広域探査の最中に、突然赤竜が現れたこと。

 赤竜は通常では考えられないほどの巨体を誇っており、そして、異常な特性を備えていたこと。

 魔力ダメージを与えたら、最初から存在などしていなかったかのように霧散してしまったことを。

 

「実体を持たない魔法生命体の話は聞いたことがあるが……」

「赤竜のような魔法生物と同一の存在とは、ちょっと、考え難いわね……。はやてさん、それに、ヴィータさんにザフィーラ。何か心当たりはないかしら?」

「んー……」

「普通の生き物じゃねーってことくらいしかわかんねーです」

「……思い過ごしかもしれませんが、はやてを狙っていたようだったのが気になりました」

「はやてさんを?」

「そう言われると、そうだったような……?」

「そんなの、はやての魔力がでかかったからじゃねーのか?」

「故に、思い過ごしかもしれぬと言ったのだ。俺にも確証はない。だが、あれがナハトに……闇の書に関係しているのならば、話は変わってくる」

 

 ザフィーラの言葉に、はやては深く考え込んだ。

 赤竜は、はやて達がエルトリアに着いてからほどなくして現れた。そしてそこは、件の少女が転移してきた場所だ。

 ナハトヴァールと同一の魔力波長、すなわち、闇の書と同一の魔力波長を持つ少女。元々はその少女が狙われていたのならば、夜天の王であるはやてが狙われたことも頷ける。

 闇の書の最たる特徴は、防衛プログラムであるナハトヴァールが組み上げた無限転生機能だ。あの赤竜もそれに近い再生能力を持っており、そして、その体を構成する魔力粒子は、ナハトヴァールの魔力光と同じ漆黒だった。

 暴走したナハトヴァールは、闇の書の動力部と共に確かに消滅したはずだ。

 だが、もしもあのとき、停止していたはずの無限転生機能が生きていたのだとしたら。

 それはつまり、あのとき消滅したはずの全てが再生されるということで――

 

「――闇の、欠片……」

 

 はやては拳を固く握り締める。

 速くなる心臓の鼓動が、やけにうるさかった。

 

 

 

 

 アースラの医務室に満ちるのは、ミントグリーンの魔力光。目を閉じたシャマルの指輪(クラールヴィント)から伸びた魔力紐(ワイヤー)が、ベッドに横たわる少女を覆うように円を描いていた。

 シャマルの後方、壁に背を預けて腕を組んでいるのはシグナムだ。面倒を持ち込んだ手前、未だ眠り続ける少女の監視を買って出たのである。アースラの乗組員では有事に対応できないであろうことも、シグナムが控えている理由の一つだった。

 日付が変わってしまったほどの夜更け、アースラに残っているのは、シグナムとシャマルのみ。エルトリアから戻ったはやて達とリインフォースにはしばらく前に帰ってもらい、先に休んでもらっていた。

 静かだった医務室に音が生じる。扉が開き、現在の指揮を任されているクロノが入ってきた。

 視線を向けてくるクロノに、シグナムは黙って首を横に振る。少しだけ肩を落としたクロノはそのまま進み、奥の椅子に腰かけた。

 やがて、床に描かれていたベルカ式魔法陣が消失し、照らされていた部屋の光量が元に戻る。シャマルの解析が終わったようだった。

 

「どうだ?」

「その、何て言ったらいいのか……」

 

 シグナムの問いに、シャマルは言葉を濁して答える。思い詰めたように眉根を寄せるその表情から、少女が何か問題を抱えているだろうことは容易に想像ができた。

 

「やはり、君達に関係していたのか?」

「はい……」

 

 肩を狭めてクロノに返したシャマルが、助けを求めるようにシグナムへと視線を送ってきた。シグナムは静かに頷き、躊躇するシャマルに答えを促す。

 

「……まず、この子は人間ではありません。()()()()()()()()()()()なんです」

「……なるほど。だからアースラの設備では調べられなかったのか」

 

 現代に確認されている人間を模した魔法生命体は、守護騎士プログラム(シグナム達)のみだ。夜天の書は現代の魔法技術では再現不可能な製法によって造り出された古代遺失物(ロストロギア)。その構造を理解できるのは、同じ構造を持つ者のみである。

 シャマルがアースラに残って解析を行っていたのは、シャマルにしか少女の身体を調べることができなかったためだった。ベルカ式の魔法を専門としていること以上に、夜天の書のプログラム体であるが故に。

 

「この少女も我らのようなプログラム体ということか?」

「そうなんだけど……一番近いのは、リインフォースなの」

「それは……」

「はい。この子は、融合騎(ユニゾンデバイス)です」

 

 三人の視線が、ベッドの上の少女に向けられる。

 穏やかな寝息を立てる少女に、目を覚ます気配はまだなかった。

 

 


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