夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第十二話 マテリアル娘

 

 ユーリと融合(ユニゾン)した颯輔は、感覚が研ぎ澄まされていることに気が付いた。そうして、認識を改める。()()()()の力が、如何に凄まじいものであるのかを思い知らされた。

 管理局の基準に従って魔力量をランク付けをすれば、ディアーチェはSSランク、シュテルとレヴィはSランクとなるだろう。しかしそれは、単なる数値の話だ。実際にリンカーコアで感じる魔力には、数値以上に底知れなさがあった。

 深淵の闇を思わせる、どこまでも深い魔力を纏うディアーチェ。静粛でありながら、焼け付くような魔力を放つシュテル。荒々しくも、刃のように鋭い魔力を迸らせるレヴィ。

 敵に回したときは、一切の勝機が見いだせなかった。だが、こうして並び立ってくれた今、何と心強いことか。できないことなど何もない、そう錯覚させられるほどの安心感があった。

 

(……なんて、安心してたらダメだよなぁ)

 

 同時に覚えるのは不安。それは、果たして彼女達を守れるような存在になれるのか、ということだ。

 いくら頼もしくとも、ディアーチェ達の見た目は十歳の少女。その背に守られ安堵するなど、一人の男として恥ずかし過ぎる。何よりそれは、今までの闇の書の主と同じということだ。

 そうではない。

 颯輔が目指すのは、そんな姿ではない。

 

『ダメですよぅ。背中に庇って俺が守るなんて、そんなの許してあげません』

 

 なんて、未来の姿を思い描いただけで、僅かに膨れた声が返ってくる。ディアーチェ達にまでは伝わらなかったようだが、文字通りに一心同体となっているユーリは別だった。

 融合騎(ユニゾンデバイス)とは、術者を魔導の極限へと導く存在。そのため、一挙一動、思考に意思から心の機微まで、融合(ユニゾン)中は互いの情報が手に取るように分かってしまう。タイムラグなど存在しない正確無比な魔力の管制と補助には、そこまでのことが必要なのだ。

 ただでさえ深い繋がりの精神リンクに加え、そのような状態にあるのだ。颯輔が抱いた密かな決意など、ユーリに隠し通せるはずがなかった。

 

『どんな状況だとしても、わたしが颯輔を一人になんかさせません。いつの日かディアーチェ達よりも強くなったとしても、わたしだけは、颯輔の背中に庇われたりなんてしてあげません。だってわたしは、颯輔の融合騎なんですから。あなたの力はわたしの力。わたしの力はあなたの力。颯輔と共に在ることが、わたしの役目です。だから颯輔、わたしを守るというのなら、絶対に傷ついてはいけませんよ?』

『い、いきなり難しいなぁ』

『ふふっ、何も難しく何てありませんよぅ。わたしが()()にいる限り、颯輔が傷つくことなんて、絶対にあり得ないんですから』

 

 見た目とは裏腹の強かな言葉。しかしそこには、隠す気など毛頭ない愛情と好意が乗せられていた。そうまでされては、それに応えないわけにはいかなくなってしまう。

 背中から広がった炎のように揺らめく翼が、ふわりと颯輔の体を包み込む。温かく柔らかな感触。頬をくすぐるそれを、そっと撫で返した。

 術者が負った傷は、融合騎(ユニゾンデバイス)にも反映される。ユーリに離れる気がないのならば、颯輔も傷つくわけにはいかないだろう。ユーリが傷つき倒れている姿など――いや、ユーリだけではなく、家族の傷ついた姿など、とてもではないが直視できない。

 

「な・に・を・しておるかユーリぃぃぃいいいっ!!」

「うわぁっ!?」

 

 小さな掌が魄翼を押し広げ、憤怒に歪んだ顔がぬっと現れる。真っ赤になったディアーチェが、颯輔の胸に向かって叫びをあげた。

 

「隙をついてはいちゃこらとっ、これみよがしに精神リンクに己が感情を駄々漏らしにしおってっ! ええい妬ましいっ! 貴様っ、作戦行動中だとわかっておるのかっ!?」

『その作戦行動中に敵に背中を見せてるディアーチェには言われたくないです。それに、ここはわたしの定位置ですよ? 戦闘準備はとっくに終わってますよー』

「隙あらば媚びを売るような融合騎だけに、兄上を任せてなどおられんわっ!」

『あっ、ちょっ、無理矢理入って来ないでくださいぃ~!』

「うわぁ……」

 

 言い争いをしていたディアーチェが、躯体を解いて融合(ユニゾン)を始める。はやる気持ちがそうさせるのか、体を颯輔へと押し付けるため、まるでそのまま潜り込んでいくかのようだ。その異様な光景に、当の颯輔は言葉にならない声をあげることしかできなかった。

 厳密に言えば違うのだが、マテリアル同士でも融合(ユニゾン)は可能だ。マテリアル(構築体)とは紫天の書の機構を分割した存在なのだから、それが本来の形に戻るだけの話である。

 ただし、青年が少女を体に取り込んでいく――正確には少女が進んで青年に取り込まれていく――という光景は、その意味を知っていても絵的に拙いものがあった。事実、遠目にとはいえ一部始終を目撃してしまっているゼスト達は、言葉を失いその場に立ち尽くしてしまっていた。

 

『融合完了! さぁ兄上、このディアーチェが兄上とい、い、ぃ、ぃい一体となったからにはっ、次元世界に敵などおりませぬ! そこの塵芥共も言葉を失っておる様子。くくく、ようやく我らの偉大さに気が付いたと見た』

「いや、絶対ドン引きしてるよね? もうなんか頭痛い……」

『ディアーチェ、融合(ユニゾン)するならちゃんとバランスとってくださいよぅっ! 融合事故起こしかけてますってば!』

『む、そんなはずは……。兄上、お加減はいかがですか?』

「うん、大丈夫……大丈夫、うん……」

 

 がっくりと項垂れた颯輔の髪色が、色素の薄い金へと変わり始めた。純白だった戦装束にも、漆黒の紋様が浮かび上がる。それらは、ディアーチェの魔力による影響だった。

 二重融合。本来ならば融合事故必至のそれは、マテリアルである颯輔達にのみ許された権利だ。シュテルとレヴィも加わることで完成形となるのだが、どうやら今の二人にその気はないらしい。シュテルは目を鋭くしつつもその場を動かず、レヴィに至っては興味の欠片もなさそうだった。

 

「で、遊びは終わりましたか? あまり相手を待たせては失礼ですよ、颯輔」

「いや、遊んでるつもりは――」

「遊びは、終わり、ましたか?」

「はい」

『シュテルが怖いです……』

『ぬ、何やら怖気が……』

「……さて、本来ならば私が解説につくところなのですが、今回は他に役に立ちそうのないディアーチェへと譲ることにしましょう。広域型のディアーチェに暴れられては、颯輔の訓練どころではありませんからね。仕方がありません。ええ、仕方がないのです」

「シュ、シュテル……?」

「……ダメだよ、そーすけ。今のシュテるんをこれ以上刺激したら、すっごいおしおきされちゃうよ」

 

 ただでさえ感情が読み取り難い表情を、さらに虚ろにしていくシュテル。なにかフォローを入れなければと思った颯輔だが、いつの間にやら傍に寄っていたレヴィによって止められてしまう。耳元で囁くレヴィは、体どころか声すらも震えてしまっていた。

 レヴィはそれだけを告げると、そそくさと離れていってしまう。それを見たシュテルが、上げかけていた腕をだらんと落としていた。

 

「レヴィ、分かっていますね? 今回のあなたの役目は、颯輔達のサポートです。颯輔達が捌ききれないときは、カバーに入ってください。それから、いくら非殺傷設定だからといって、勝手に相手を斬り捨ててはいけませんよ、いいですね?」

「はいっ!」

「ユーリとディアーチェは、颯輔に戦闘というものを教えてあげて下さい。くれぐれも、ふざけたりしないように。いいですね……!」

『は、はいっ』

『お、応とも』

「最後に颯輔、あなたは目を瞑らずにいればそれでいいです。細かい動きはユーリとディアーチェがリードしますから、それに合わせて下さい」

「……わかった」

「今回は慣れることが目的ですよ。それから、言いつけは守りますし、レヴィにも守らせますのでご安心を」

「……ん、ありがと」

「いえ。……さて、長らくお待たせしてしまいましたね。そろそろ始めましょうか」

 

 両隣に並び立ったシュテルとレヴィが、それぞれのデバイスを構える。見据える先で、ゼスト達が動き出した。

 

 

 

 

 三角形の中央に剣十字を配した、ベルカ式の魔法陣。漆黒、緋色、水色のそれらが輝きを放ち、溢れ出る魔力が空気を震撼させた。

 シュテルは十二の魔弾を従え、レヴィは体に雷光を纏う。二人は自ら前に出ることはせず、数メートルの距離を開けて颯輔達の傍に控えていた。

 

『それでは、魄翼の力を見せちゃいますよ~』

 

 意気込む幼い声があがると同時、魄翼が揺らめき一部が分かれ、颯輔の両腕を包み込んだ。脈動し、肥大する赤黒い肌。形を成したそれは、鋭い大爪を作り上げた。

 魄翼の武装形態――魄爪。高濃度の魔力の塊である魄翼は、任意の形へと造り替えることができる。颯輔達マテリアルならば、躯体の一部とすることも可能だ。もともと強固なところに集束結合の稀少技能が合わさり、魄爪の武威は凶悪なまでに高められていた。

 もっとも、魄爪は相手に警戒を抱かせるためのフェイクだ。無論、ユーリ達には近接戦闘への不安などはないが、颯輔は違う。ましてや今回の模擬戦は、言うならば見稽古。その点から考えれば、魄爪は見せ札としてでも十分な役目を果たしてくれるだろう。

 

『ならば、ナハトの制御は我が受け持ちましょうぞ』

《Anfang.》

 

 左手の魄爪の甲に魔法陣が浮かび上がり、そこから八条の鎖が出現した。鎖は静かに地を這い、そこに暴走を始める気配はない。ナハトヴァールは、完全にディアーチェの制御下に置かれたようだった。

 先の戦闘でナハトヴァールが暴走を始めたのは、現状を維持すれば颯輔が危険にさらされると判断したためだ。ユーリにディアーチェと融合(ユニゾン)し、シュテルにレヴィの守りがあるのならば、颯輔の安全は確約されたも同然である。ディアーチェの制御力もあるが、この状況で自動防御に移るほど、聞き分けのないデバイスではなかった。

 一方で、ゼスト達も行動を開始していた。

 相手はゼスト、リーゼロッテ、メガーヌの三人編成。ゼストとメガーヌは地上本部の中でも同じ隊の所属のようだが、リーゼロッテは本局所属――さらに言うならば、元帥直属の部下だ。しかし、リーゼロッテとメガーヌには面識がある様子。問題はゼストとリーゼロッテの相性だが、生憎と悪くはなかったらしい。

 全身に身体強化の術式を施したらしいゼストとリーゼロッテ。赤紫の魔力光を背景にし、近接型の二人が向かってきた。

 高速機動を得意とするゼストと、短距離瞬間移動を駆使するリーゼロッテ。融合(ユニゾン)前の颯輔ならば、確実に見失っていたであろう機動だ。しかし、今はその全てが視えていた。

 

『颯輔、まずはあの騎士に集中しましょう。使い魔の相手は、まだ難しいと思います』

『短距離瞬間移動者の動きは複雑ゆえ、あれはレヴィにくれてやりましょうぞ。レヴィ、よいな?』

「ん、おっけー」

「では、私も露払いに徹しましょう」

 

 シュテルが杖を振り、十二の魔弾を解き放つ。シュテルの魔力変換資質によって変質した魔力の炎が、火の粉を撒き散らしながら発射された。

 ゼストもリーゼロッテも危なげなく魔弾を躱し、また、シュテルも牽制以上の深追いはせずに、魔弾を直進させる。シュテルの射撃は、メガーヌが形成していた魔力弾を一つ残らず打ち消していた。

 知らずの内にシュテルの魔弾を目で追っていた颯輔の視界に、山吹色の光が強く瞬いた。正面から迫るゼストの槍が、込められた魔力に輝きを放っている。それを迎え撃つように魄翼が広がり、ナハトヴァールの鎖が動いた。

 

『ナハト、まだ追わずともよい。その場で待ち構えろ』

『レヴィ、使い魔をお願いします』

 

 魄翼が半円を描き、空いた正面の空間には、鎖が蜘蛛の巣のように張り巡らされる。となれば隙となるのは頭上と背後だが、そこには飛行魔法を発動したレヴィがカバーに入っていた。

 レヴィの纏う雷光により、ちりちりとした感覚が伝わってくる。颯輔は身を斬り裂かれる度にそれを感じていたため、どうしても気が散ってしまう。そんな颯輔に、叱責の声がかけられた。

 

「颯輔、集中を」

「来るよ」

 

 シュテルとレヴィの声。それに示し合わせたかのように、二つの魔力が颯輔達を挟む。正面からは、槍を構えたゼスト。背後に突如として出現した気配は、リーゼロッテのものだった。

 そして、高まる魔力がもう一つ。メガーヌの正面で、召喚魔法陣が赤紫に輝いていた。

 

「錬鉄召喚――アルケミックチェーンッ!」

 

 メガーヌの声に合わせたかのような同時攻撃。前後から迫るそれらは、しかし颯輔の身に届くことはなかった。

 張り巡らされていた鎖が蠢動し、形を変えた。網のように広がった鎖が、槍を振りかぶるゼストの動きを遮る。先ほどは斬り払って強引に進んできたはずのゼストは、今度は眉をしかめて鎖を払い除け、距離をとった。

 颯輔の背後では、機械の駆動音の後に激突音が上がった。ちらりと目を向ければ、バルニフィカスを鎌へと変形させたレヴィが、リーゼロッテの攻撃を器用に柄でいなしていた。

 反撃にと雷刃が閃くも、直前にリーゼロッテの姿が消失する。それでもレヴィは迷うことなく一点に向けて砲撃を放ち、上空から放たれた砲撃を相殺した。

 砲撃を放ったリーゼロッテに向け、炎の魔弾が迫る。その間にレヴィは飛翔し、シュテルの下へ。シュテルに肉薄していたゼストへと鎌を振りかぶり、光刃で斬り結んでいた。

 シュテルは魔弾でリーゼロッテの動きを止め、レヴィがゼストの相手をする。シュテルは努めて冷静に。レヴィは目を爛々と輝かせながら。そこに緊迫した様子はなく、二人にはまだまだ余裕が見られた。

 

『兄上、あやつらの心配は要りませぬよ』

『魔導師がフリーになりました。わたし達で押さえますよ』

「うん」

 

 ゼストとリーゼロッテを封じた今、残る相手はメガーヌだ。見れば、召喚魔法陣から同じく八条の鎖が向かってきていた。

 そして、輝きがもう一つ。メガーヌの足元に浮かぶのは、ベルカ式の魔法陣。新たに従えたのは、二十の魔弾だった。全ての赤紫の魔弾が、颯輔達を目掛けて放たれる。

 複雑な動きはなくとも鎖の操作に淀みなく、魔弾の弾道にはフェイントさえ入れられている。両手にはめられた手袋状のデバイスの演算力もあるのか、単体での魔法行使にしてはそれなりのものだ。

 しかしこちらには、ユーリとディアーチェがいる。ユーリは魄翼をはためかせ、全く同数で同程度の魔力が込められた魔弾を生み出し、鏡合わせのような弾道でそれらを放った。

 ディアーチェはナハトヴァールへと命令を下し、相手の鎖を絡め取る。絡み合った鎖は余丁を失い、颯輔達とメガーヌとの間で綱引きのようにピンと張られた。

 射撃魔法を潰し、召喚された鎖も拘束。逆に言えば、注意を惹きつけられ、ナハトヴァールの鎖も封じられたということ。ただし、かといって隙が生まれたかと言えばそうではない。ユーリの手は空いているし、ディアーチェの演算能力もほとんど使っていない。ゼストとリーゼロッテの二人は完全に縫い止めており、状況は完全にこちらへと傾いたと断言してもよかった。

 もっとも、勝敗などは戦う前から決まっていたのだが。

 

『それでは兄上、まずはあれを釣り上げ封じましょうぞ』

『身体強化を施します。ナハトの鎖を思いっきり引っ張っちゃってください』

「わかった。せーのっ」

「っ、きゃあっ!?」

 

 魄爪で鎖の束を掴みとり、漲る力でぐいと引く。身体強化を施された今、力比べでメガーヌに劣るはずもない。召喚した鎖を放棄する暇も与えず、メガーヌをその場から引っこ抜いた。

 魔法陣の消失に合わせ、召喚された鎖も消えていく。飛行魔法を発動して体勢を整えようとしているメガーヌへと、先ほどとは比べ物にならない動きでナハトヴァールの鎖が迫る。

 だが、メガーヌを拘束するには至らなかった。

 鎖がメガーヌを捕える瞬間、リーゼロッテが姿を現す。八条の鎖が触れる前に、リーゼロッテは短距離瞬間移動でメガーヌを救出してしまった。

 

『ちっ、面倒な能力だ。シュテル、レヴィ、何をしておる』

「これで終わっては、何の経験にもなりません。というわけで、レヴィ、あとはお任せしますよ」

「はいよっ、と!」

 

 レヴィが斬り結んだゼストを力任せに振り払い、シュテルが新たに魔法陣を描く。生み出された魔弾は総数三十六。ゼスト、リーゼロッテ、メガーヌにそれぞれ十二発ずつ射撃を見舞うと、その隙を利用して颯輔達の傍に降り立った。

 「それでは、私も失礼します」と一声かけ、躯体を解いてしまうシュテル。緋色のリンカーコアは、威風堂々と瞬きながら直進し、颯輔の胸へと入り込んだ。

 シュテルも融合(ユニゾン)し、颯輔の髪色が赤みを帯びた栗色に変化する。魄翼の揺らめきが大きくなり、戦装束の金属部が緋色に染まった。

 魔力量は増したが、事前の取り決めもなく侵入してきたシュテルの存在に、颯輔の中が一気に騒がしくなる。しかし、言い争いはしつつもバランスには気を付けているようで、融合(ユニゾン)自体は安定していた。

 

『さぁ、今度はこちらから攻めますよ、颯輔』

「えっと、どうすればいい?」

『射撃で縫い止めて、ナハトで拘束しちゃいましょう』

『魔法行使は我らで行いますゆえ、兄上をその感覚を覚え、戦況の把握に努めてください。レヴィは好きにさせておきましょう。あれはあれで判断し、こちらに合わせるはず』

『では、いきますよ』

 

 言葉の裏で飛び交う思考。三人は瞬時に作戦を練り上げ、それぞれを役割を決めていた。

 颯輔の足元に漆黒と緋色の魔法陣が二重に現れ、光を放って回転を始める。魄翼が広がり、ナハトヴァールの鎖が鎌首をもたげた。

 魄翼を制御しているのはシュテルだ。渦巻く魔力が二対の球体を作り上げ、両翼の上に固定される。残存魔力の限りに魔弾を形成して吐き出し続ける、二門の砲台だった。

 シュテルが狙うのは、線の機動しか持たないゼストとメガーヌの二人。砲台が魔力を高め、二人に向けて無数の魔弾を掃射し始めた。

 ゼストは高速機動を使って絶えず動きまわり、一方のメガーヌは足を止めて三重の防壁を敷く。どちらが悪手かといえば、それはもちろん後者。しかし、メガーヌの判断を責めることはできないだろう。ゼストでさえ危うい回避となってしまう魔弾の暴雨では、メガーヌに回避できるはずもないのだから。

 額に汗を滲ませているメガーヌ。鮮血の雨は一枚目の防壁を食い破り、二枚目も見る見るうちに削り取っていた。

 

「くっ、このっ!」

「いかせないよ。キミには、ボクの相手をしてもらわないとね」

 

 またもフォローに回ろうとしたリーゼロッテの前に、レヴィが立ち塞がる。レヴィの反応速度をもってすれば、短距離瞬間移動の使い手であるリーゼロッテの機動にも対応が可能だ。リーゼロッテは、レヴィを振り切れずに歯噛みしていた。

 ゼストもリーゼロッテも手一杯。メガーヌの防壁も残り一枚となり、それですら辛うじて形を残している程度だ。肉片も残らないほどに穿つこともできるが、それは颯輔の望むところではない。それを理解しているシュテルは、メガーヌが耐えられる限界を見極めつつ魔弾を撃ち出していた。

 完全に足が止まったメガーヌに、ユーリが操るナハトヴァールの鎖が迫る。蛇のように地を這い進んだ二条の鎖は、メガーヌを引きずり倒して全身に巻きつき拘束した。

 

『まずは一人です。次、いきますよぉ~!』

 

 残る六条の鎖は、辛うじてシュテルの射撃を回避しているゼストに殺到していた。

 シュテルの射撃とユーリの捕縛を逃れながらも、槍に魔力を集中させているゼスト。最後に一矢報いるつもりらしいが、その機を見いだせずにいるようだった。

 そこで動きを見せたのが、リーゼロッテだ。追い縋るレヴィに痛烈な一撃を見舞って離脱。照準がメガーヌから移り変わったシュテルの射撃を、より一層複雑な機動で掻い潜り、ゼストの下を目指す。

 しかし、シュテルの射撃によって機動を限定されたゼストの足に、ついにナハトヴァールの鎖が触れ――

 

「手ぇ伸ばせッ!」

「――ッ!」

 

 完全に拘束する前に、リーゼロッテの手が届いた。

 次の瞬間、姿を消した二人が出現したのは、颯輔達の正面。ゼストの槍は眩い魔力光を纏い、リーゼロッテの右足にも青の魔力光が宿った。

 

「ここらで一発――」

「――喰らってもらうッ!」

 

 ユーリの鎖よりも、どころかシュテルの照準よりもなお早く繰り出される、渾身の刺突と蹴撃。管理局トップクラスの実力を持つ二人の痛撃が炸裂し、巻き起こった衝撃波が隔離施設全域を揺らした。

 

『残念だったな、塵芥共』

 

 ディアーチェの静かな声が響く。ゼストの槍とリーゼロッテの脚は、漆黒の衝撃に阻まれている。二人の攻撃は颯輔達には届かず、ディアーチェが展開した複合障壁の一層を破るに止まっていた。

 ゼストとリーゼロッテに、これ以上動く気配はない。二人の首筋には、背後に迫ったレヴィによって、水色の鎌がぴたりと添えられていた。

 

 

 

 

 ゼスト達との模擬戦は、合間に休憩を挟みつつ、都合三度も行われた。颯輔に経験を積ませるという目的もあったが、レヴィが一戦では満足しなかったのだ。

 ようやく起動できたかと思いきや、そこから約一ヶ月も待機状態の時間があった。これまでの時間に比べれば刹那のようなものだが、それでも、自身の躯体を動かすという経験を得たレヴィにとっては、耐え難い時間だったらしい。羽目を外しすぎて暴走、などということはなかったが、二戦目からは手加減なしで臨み、存分にストレスを発散していたようだった。

 ゼストとリーゼロッテも納得はしていなかったようで、再戦には積極的だった。二人ほどの実力者ではないメガーヌは、表に出すことはなかったが、渋々といった様子で付き合わされていた。

 結局、三戦とも結果が変わることはなかった。そして、怪我人もなし。拘束、あるいは寸止めによって、全ての勝敗がつけられた。颯輔は、シュテルの言葉通りに紫天の書の力を再認識させられたのである。

 そして同時に、自身の無力さを。

 颯輔はただ魔力を分け与え、融合(ユニゾン)の基点となっていただけだ。その場に突っ立って、戦闘の様子を見ていただけ。ユーリのおかげで目で追うことはできたが、同じような立ち回りができるようになれるとは思えなかった。

 

「はぁ…………」

 

 ベッドに座り、天上を見上げて溜息をつく。真っ白な天井にはシミの一つもなく、汚濁が許されない空間のように感じられた。

 模擬戦が終わり、ゼストは隔離施設を後にした。リーゼロッテの気配はリフレッシュルームの方から感じられるが、メガーヌは施設のどこかにいるということしかわからない。隔離された区画にいるのは、颯輔達とリーゼロッテだけだった。

 メガーヌは施設に泊まり込んでいるらしいが、必要以上の干渉はない。連絡用の端末を渡され、何か用があれば呼び出して欲しいとだけ告げられていた。

 リーゼロッテは監視のために同じ区画に留まっているようが、やはり、慣れ合うつもりはないらしい。区画内の施設は自由に使ってもいいらしいが、問題だけは起こすなとのことだった。

 とても犯罪者への対応とは思えないが、それだけ管理局も慎重になっているのだろう。特定魔力の無限連環機構であるエグザミアについては伝えてあるし、今日の模擬戦でこちらの戦力も測られたはずだ。ならばなるほど、気を遣わずにはいられないのかもしれない。

 要するに、ご機嫌取りということだ。それなりの待遇でもてなしてやっているのだから、こちらの言い分には従え。暗にそう言われているのだろう。

 正直、気分が悪い。贅沢を言っているのだとは理解しているが、腫物のような扱いに不満がないはずがなかった。はやて達にもこのような経験をさせてしまっただろうことが、申し訳なく思ってしまう。他にやりようがなかったのかと、今更ながらに思い悩んでしまった。

 

「颯輔」

「ん?」

 

 悪目立ちする受刑者服をくいくいと引かれ、名前を呼ばれる。いつのまにか、ユーリが隣で女の子座りをしていた。一緒に遊んでいたはずのディアーチェ達は、まだベッドで飛び跳ねたりしている真っ最中だ。

 

「ユーリか。どうかした?」

「……あの、晩御飯まではまだ時間がありますから、一緒にお風呂にいきませんか? わたし一人だと、この髪は洗えないです」

 

 小声で言われ、困り顔のユーリを見る。確かに、波打つ長い金の髪は、ユーリ一人では洗えないだろう。後ろ髪は腰を越えるほどで、毛量も多い。ヴィータも洗ってもらっていたのだから、さらに小さなユーリではなおさらだ。

 ふと辺りを見回し、この場にはシグナムもシャマルもいないことに気が付く。はやてやヴィータは二人に任せていたが、今は頼ることなど不可能だ。リーゼロッテに、とも思ったが、それはどちらも嫌がるだろうし、そこまであてにすべきではないと、すぐに結論が出てしまった。

 

「えっと、ディアーチェ達じゃダメ?」

「やぁです。慣れてる颯輔がいいです」

 

 なんだかんだと仲のいい三人ならばと提案するが、やはり小声で拒否され、腰に縋りつかれる始末。ユーリに他の選択肢はないようだった。

 颯輔の脳裏に、リンディの黒い笑顔が浮かびあがる。また何か言われそうだとは思ったが、よくよく考えれば、ユーリは小さな女の子。家族ならば特に問題はないだろうと思い直した。

 ユーリの頭をぽんぽんと撫で、それを返事とする。ぱっと表情を輝かせたユーリを抱えて立たせると、颯輔もベッドから立ち上がった。

 

「ユーリとお風呂入ってくるから、大人しくしてるんだぞー」

「んー、わかったー」

「はい…………はい?」

「む、ならば我もお供を」

「え?」

「えっ? い、いけませぬか……?」

「いや、いけなくはないけど、うーん……?」

 

 にこにこと満面の笑みのユーリと手を繋いで立ち尽くす颯輔と、瞳を濡らして座りこむディアーチェ。シュテルは石のように固まり、レヴィはベッドをゴロゴロと転がっていた。

 ディアーチェの躯体は、はやてを素体としている。髪色やら目の色やらは違うが、その体はほぼ同一と言ってもいい。そのはやてとは、一年前まで一緒に風呂に入っていたのだから、大きな問題はないような気もする。

 しかし、本当にそうかと問われれば首を傾げざるを得ない。石田にも美由希にもあまりいい顔はされていなかったし、颯輔自身も介護のためにしていたのだ。シグナム達が現れてからは、彼女達に任せてしまっていた。

 一応、人並みの倫理観は持ち合わせているつもりの颯輔だが、それでもはやてと入浴することはそれまで当たり前のことで、ならばディアーチェとも大丈夫なのではないか、いやいやしかし、と思考が深みにはまり始める。

 

「まっ、待ってくださいっ。私も一緒に入りますっ」

「えっ、シュテるんもいっちゃうの? じゃあボクも行くー」

 

 なぜか頭の中で響き始めたリンディの笑い声を止めたのは、そんなシュテルとレヴィの声だった。

 

「いや、シュテルとレヴィはダメでしょ」

「何故ですかっ!?」

「仲間ハズレはんたーいっ!」

「いやだって君ら、素体がなのはちゃんとフェイトちゃんじゃん。ディアーチェはともかく、二人はダメ。絶対ダメ」

 

 なんとなく引き合いに出してしまった名前を肯定と受け取ったのか、立ち直ったディアーチェが素早く颯輔の隣について、空いた手をとる。ディアーチェの行動により、シュテルとレヴィとは向かい合う構図となってしまった。あたかも、お風呂入るチームと入らないチームの結成である。

 

「颯輔、よく見てください。私のどこが高町なのはだというのですか。髪型だって違いますし、目の色だって違いますし、そして何より、高町なのはとは比較するまでもなく落ち着きがあります」

「いやいや、落ち着いてないよね? 詰め寄って来てるよね?」

「ボクもオリジナルとは違うよっ! ボクの方がカッコイイし、えーと、強いし……うんっ、ボクの方が強いもんっ!」

「レヴィのは言い訳にすらなってないよ……」

「はっ、見苦しいぞ貴様ら。兄上との湯浴みは、我とユーリにのみ与えられた特権よ」

「えー、ディアーチェもダメだと思います。わたしが颯輔と入るのは、わたし一人じゃ髪が洗えないからですもん」

「あっ、じゃあボクはそっちだねっ! ほらほら、ボクの髪も長いよ、っていうかボクの髪が一番長いしっ!」

「レヴィくらい大きい子は、自分で自分のことができないとダメだと思います」

「言いましたね、ユーリ。ならばあなたも同じはずです。今年でいったいいくつになったと思ってるのですか。その歳になってまで甘えん坊など、紫天の融合騎として恥ずかしくないのですか」

「ま、待てぃシュテルっ! その論は我らにも当てはまってしまう諸刃の剣っ!」

「はぁ……」

 

 互いに互いの足を引っ張り合う、醜い争いが颯輔の周りで繰り広げられていた。

 どうしたものかと悩み、再び天井を見上げる。そして、ふと気が付いた。さっきまでの暗い気持ちが、どこかへ吹き飛ばされてしまったことに。前向きな気持ちになったというわけではないのだが、心が軽く感じられる。この喧騒も、シグナムとヴィータの言い争いを見ているようで懐かしく感じられた。

 視線を下げれば、絶えず微笑むユーリの顔があった。まるで、「隠し事はダメですよー」と言わんばかりの表情。つまりは、またも颯輔の胸の内が見透かされてしまったということか。

 ユーリ達の誰かに気持ちが漏れてしまえば、精神リンクを介してなし崩し的に全員へと伝わってしまう。ならばこの喧騒も、つまりはそういことなのだろう。欲が見えないわけではないが、それはそれで可愛らしいものだ。

 ユーリ達は、永遠の孤独に囚われていた。与えられた使命を果たすために機能し、そして、狂い続けていたのだ。

 そこから解放されて求めたのが、一緒にお風呂に入りたいというささやかなもの。ただでさえおんぶに抱っこなのだから、そのくらいは叶えてやらねばならないだろう。最後の一線を踏み越えるつもりなど毛頭ないが、求めには可能な限り応えたい。モラルに欠けるのは重々承知の上だが、そんなものは二の次である。

 なぜなら、ユーリ達とは長い付き合いとなるのだ。どうせなら、仲よく楽しくやっていきたい。颯輔の精神衛生上あまりよろしくないのは、この際ご愛嬌だ。本来自由であるべきユーリ達には多大な不自由を強いているのだから、譲歩は必要だろう。

 それに、どうせ互いの生体情報などは筒抜けなのだ。心のプライバシーも何もないのだから、今更裸程度でどうこう言うのもおかしな話である。ましてや相手は家族で、颯輔にとっては子供のような存在だ。保護者が子供の面倒を見るのに、恥じる必要などどこにもないではないか。

 理論武装を終えた颯輔は、新たな汚名を背負う覚悟を決めた。

 

「あー、もー、わかったわかった。わかったから喧嘩しないの。喧嘩してる子は置いてっちゃうぞー」

 

 溜息混じりに言えば、途端に収まる喧騒。それにクスリと笑いを漏らし、颯輔は寝室に備えられたタンスを漁った。

 タンスには、着替えやタオルなどの必要なものが用意されていた。颯輔のものだけでなく、ディアーチェ達の分も入っている。未だに騎士甲冑姿だったが、これからは同じものを着てもらうことになるだろう。出所後は服を買いに行かなきゃなと、颯輔は心のメモ帳に記した。

 それぞれに各自の着替えを持たせ、寝室を出る。施設のバスルームは、共同浴場のような造りとなっていた。脱衣所には籠が入った棚と、洗面台があった。洗面台にはドライヤーや歯ブラシなどが置かれており、アメニティグッズは完備されているようだった。

 颯輔が籠に着替えを入れた途端、周囲で輝く四色の魔力光。まさかと思いきや、そこには騎士甲冑を解除した四人の姿があった。一糸纏わぬ状態のくせに、恥じらいなどどこにもない堂々とした立ち姿である。

 

「こらこらこら、タオルくらいは巻きなさい。シュテルとレヴィは特に」

「颯輔はこの方が悦ぶかと思いまして」

「喜びません」

「えー。別にいいじゃん、めんどくさいし」

「レヴィはもうちょっと女の子らしくなろうか」

 

 無駄に妖艶な流し目を送ってくるシュテルと、子供っぽく膨れるレヴィ。なのはにフェイト、美由希とリンディにも合わせる顔がないと、颯輔は項垂れて目頭を揉み解す。その隙を突いて、ディアーチェはそそくさと体にタオルを巻きつけていた。

 

「下品なやつらめ。貴様らには嗜みというものが足りんのだ」

「う~、颯輔、上手く巻けないです」

「どれどれ、こっちおいで」

「なん……だと……!?」

 

 ふふんとふんぞり返るディアーチェと、長いタオルと髪に手こずるユーリ。見かねた颯輔がユーリにタオルを巻く姿を見て、ディアーチェの得意顔が驚愕に歪んだ。

 

「さすがユーリ、あざといですね」

「あっ、そーすけ、ボクのもお願い」

「――はっ。ちょっと待て貴様レヴィっ! ええい、シュテルっ!」

「はいはいわかっていますとも。レヴィはこちらへ。私が巻いてあげますから」

「えー、なんでさー」

 

 飛び出しかけたレヴィをディアーチェが捕まえ、いつの間にやらタオルを巻いていたシュテルが、レヴィにもタオルを巻いていく。ディアーチェ達の中ではもっとも発育のよいレヴィだ。ディアーチェもシュテルも、無邪気さにかこつけられて出し抜かれるわけにはいかなかったらしい。

 もっとも、言葉は悪いが少女の裸など見慣れている颯輔である。これがシグナムやシャマルにリインフォースであるならいざ知らず、ディアーチェ達くらいならば何も問題はない。事実、颯輔の胸中に劣情などあろうはずもなく、素体となった少女達への罪悪感と、新たなレッテルへの諦観でいっぱいになっていた。

 集まる視線に気が付いた颯輔は、四人を先に浴場へと追いやり、きゃっきゃとはしゃぐ声をBGMにしながらそそくさと準備を終える。これでもう後戻りはできないのだと何かを諦め捨て去り、どんよりと暗い背景を背負って浴場に踏み込んだ。

 五人全員が浸かってもまだ余裕がありそうな大きなバスタブに、五台のシャワーと座椅子に桶。広い浴場はしかし、ディアーチェとレヴィによるシャワーの掛け合いで混沌とした空気に包まれていた。隅っこでユーリを庇うシュテルの姿に、なけなしの良心はやはりシュテルかと溜息をもらす颯輔である。

 

「はいはい遊ばないの。転んだりしたら危ないってば」

「だってだってディアーチェがっ」

「先に仕掛けてきたのはレヴィではないかっ」

「言うこと聞かない子は洗ってあげません。……っていうか、俺が全員洗うの?」

「代わりに私達で颯輔を洗ってさしあげますよ?」

「俺はいいからレヴィを頼みたいよ……」

「颯輔、先にわたしが背中流してあげます」

 

 なんやかんやと引っ掻き回しはするものの、物分りはいいユーリ達である。颯輔が一度の入浴で洗うのは二人の髪まで、洗われるのは背中だけという取り決めがなされたところで落ち着いた。

 シュテルとレヴィがペアを組み、先にシュテルがレヴィの髪を洗う。その隣では座椅子を三つ並べ、ディアーチェ、颯輔、ユーリの順に並んで座った。颯輔がディアーチェの髪を洗い、その間にユーリが颯輔の背中を流すという洗いっこスタイルの完成である。

 

「ついにこの時が……ああ、あにうえぇ……」

「まだ何もしてないのに変な声出さないでくれよ……。ほら、目と口閉じる」

 

 ディアーチェの前髪をかき上げ、額に手を当て防波堤とする。桶を使って黒銀の髪を濡らすとシャンプーを手に取り、久しぶりに自分以外の髪を洗い始めた。

 改めて触れたディアーチェの髪質は、やはりはやてと同じもの。後ろから見える耳の形までそっくりそのままなのだから、シャンプーが泡立ち髪色が隠れれば、後ろ姿はもはや同一人物だ。違いと言えば、はやてよりも赤みが差した肌色くらいか。ふるふると震えて声を漏らす様子から、どうにもディアーチェは緊張しているらしい。そういえばこうしてこちらからじっくり触れるのは初めてかと笑いを堪えていると、颯輔の背中に小さな手が触れた。

 

「ユーリ、届くところだけでいいからな?」

「むっ、わたしそこまでちっちゃくないですよぅ。背中くらいは全部届きます」

 

 小さな手を大きく動かし、懸命に背中を流し始めるユーリ。颯輔の気分はまさしく父親のそれだった。

 胸に感動を覚えながらもシャンプーとトリートメントを終え、頭にもタオルを巻いてやれば、ディアーチェの番は終了である。このまま体もなどと言い出される前に、ご満悦のディアーチェを置いて、背中を流してもらったユーリへと向き直った。

 さてこれはなかなかの大仕事だぞと颯輔が意気込んでいると、視界の端に飛び込んできたのは水色の毛束。濡れた髪とタオルをぴたりと肌に張り付けて困り顔をしているレヴィが、シュテルを伴い傍まで来ていた。

 

「うぅ~、そーすけ~」

「すみません、颯輔。レヴィの髪もまとめてもらえませんか?」

「あぁ、もう……わかったから向こう向いて」

 

 レヴィどころかシュテルも体のタオルが濡れており、隠すどころか体型を際立たせている始末である。それでも恥じらいのはの字もない二人に、颯輔は心の中でなのは達に土下座をした。

 長髪の扱いは、ヴィータの髪を結ったりとしていたためにそれなりの心得がある。颯輔は手早くレヴィの髪を拭いて水気を抜き、長い毛束をお団子にまとめて上からタオルを巻いた。

 二人には体を洗ったら先に風呂に浸かっているよう指示を出し、ついでに未だ夢見心地だったディアーチェも覚醒させる。これから毎日これかと早くも挫折を覚えつつ、颯輔はようやくユーリのシャンプーに取り掛かった。

 

「颯輔、やっぱり迷惑でしたか?」

 

 汚れなど皆無な様子の髪に関心していると、疑問にしては明るい声が飛んでくる。精神リンクを介して伝わるユーリの心には、暗いものなど一切感じられない。この時間を楽しんでいる様子が、手に取るようにわかった。

 ユーリ自身、颯輔の胸中など見透かしているのだろう。なんだかんだと文句を言いつつも、颯輔だってこの時間を楽しんでいる。そんなことは、言うまでもなくわかっているはずなのだ。

 しかし、それでもこうして尋ねてくるのは、ユーリが颯輔の性格を理解しきっているためだ。だからこうして甘えながら、颯輔が溜め込んだものを外へと出そうとする。これではどちらが保護者なのか、分からなくなってしまいそうだった。

 

「迷惑じゃないよ。それはユーリもわかってるだろ?」

「はい。でも、せっかくこうして話せるようになったんですから、ちゃんと颯輔の口から聞きたかったんです」

「なるほどね。でも、あんまり我がままばっかりの子はなぁ」

「ぶぅ、颯輔、いじわるです。颯輔だって、わたし達の気持ちなんて、ちゃんとわかってるくせに」

「わかってはいるけど、やっぱりね……」

「ダメですよ。ディアーチェ達の見た目は同じでも、中身は違うんですから。颯輔は気にし過ぎなんです。融合(ユニゾン)までしたんですから、裸くらいでびっくりしないでください。颯輔は王様なんですから、もっと堂々としないとダメですよ。少しは夜天の王を見習ったらどうです?」

「はやてはほら、女の子同士だから。男の俺じゃ、やったらダメなことだってあるよ」

「わたし達は気にしませんよ?」

「俺が気にするの。あと、周りの人もね」

「……他の生物なんて――」

「ほら、髪流すよ」

 

 おかしな方向に向かい始めた話を嫌い、颯輔はお湯で満たした桶を傾けた。ユーリの髪も丁寧に拭き、タオルを巻きながら思考を埋めていく。

 紫天の書の穢れは確かに雪いだ。ユーリ達は多少の歪みを残しつつも、元に戻ったはずなのだ。

 しかし、それでもこの言動。他者など路傍の石ころで、大切なのは身内だけ。判断基準ですら、颯輔がどう思うかに因るのだ。

 つまりは、最初からこうだったということ。不老不死の技術を完成させるために生み出され、副次的な役割として、夜天の守護騎士の抑止力足り得る力を与えられた存在。他者を見る目は人を見るそれとは遠く、辛うじて認識できているのも、颯輔という異物が加えられたためだ。

 逆に言えば、他者をないがしろにし続けているのも、颯輔が胸中ではそういう判断を許してしまっているから。極端に言ってしまえば、颯輔にとっては家族とそれに近しい人達だけが大切で、それ以外はどうなろうとも構わない。他人にいい顔をしているのは、そうしなければ居場所がなくなってしまうためだ。

 ましてや、はやてのためならば他人や世界どころか自分自身でさえ切り捨てられるのが、八神颯輔という人間なのだ。そんな颯輔の影響を受けているのだから、ユーリ達に真人間の感性を期待する方が間違っている。

 ユーリ達を通して見せつけられたのは、自分自身の深い闇。特に、幼いユーリの口から語られたのは、ダメージが大きかった。

 

「ユーリ、あまり颯輔を困らせるものではありませんよ」

 

 平坦な声と共に、突然颯輔へと降り注いだお湯。鏡には、桶を逆さまにしたシュテルが映っていた。

 

「わっ、ちょっ、シュテル、いきなりなにを――」

「湯船で話そうと思っていたのですが、颯輔が遅いのでこちらから来ました。それから、あまり悪感情を精神リンクに流さないでください。あなたのそれは、夜天の王達にも――はやて達にも伝わってしまいますよ。ああ、頭は動かさないでくださいね」

 

 シャコシャコとシャンプーの音がしたと思いきや、シュテルがわしゃわしゃと颯輔の頭を洗い始める。颯輔はシュテルの言葉に固まってしまい、抵抗もできずにいた。

 

「頭は私が洗ってあげますから、さっさと体を洗ってしまってください」

「あ、うん……」

「ユーリ、体くらいは自分で洗えるはずですよ」

「む、仕方がないですね」

「それからレヴィ、まだ思考がどこかに飛んでしまっているディアーチェを湯船に」

「おっけー。ほら、ディアーチェいくよ」

「……にうぇ……あぁ……」

 

 颯輔が大人しく従うと、ユーリもそれに倣って一人で体を洗い始める。再びふわふわと夢見心地になりながら延々と体を洗っていたディアーチェは、レヴィにそれを流され引っ張られていった。

 

「颯輔、思うところもあるのでしょうが、どうか焦らず気持ちを抑えてください。私達にも、できることとできないことはありますよ」

「それは……うん、ごめん……」

「……私達にとって、他の生物は資料だったのです。颯輔の言葉がなければ、今日もあれらを殺していました。はっきり言いましょう。私達が起動して、未だに死者がないということは、あなたがもたらした奇跡なんです。ああ、私達は元々そういう風に造り出されたのですから、気負う必要はありませんよ。そのあたりはご理解いただけるとありがたいのですが」

「わかってる……わかってるよ……」

「では、今しばらく時間をください。私達にも、自身を変革するための時間は必要なのです。そしてそれは、颯輔にも言えることですよ」

「俺にも……?」

「ええ。融合(ユニゾン)してはっきりと分かりました。ああ、目を閉じてください。流しますよ」

 

 言われて目を閉じると、今度は丁寧にシャンプーが流されていく。誰かにこうしてシャンプーをされるのなど、随分と久しぶりだった。

 古い記憶がフラッシュバックする。こうなる未来など、想像もつかなかった。むしろ、想像がつく方がおかしいだろう。

 現実感の欠乏による浮遊感。足場のないそれを繋ぎとめたのは、後ろから首元に回された腕と、頭に感じた重みだった。鏡には、体を預け、颯輔の頭に頬を置くシュテルの姿が映っている。隣にいるユーリは、それを見ても何も言わなかった。

 シュテルの静かな水面のような瞳が、鏡越しに颯輔の姿を映している。寂しげな視線を向けてくるシュテルには、全てを見透かされている気がした。

 

「あなたに戦闘は向きません。傷つけるのを恐れていては、あなたが傷つくばかりではないですか」

「…………」

「わかっています。見られたくないのでしょう? 自分の汚い部分を、八神はやてに、守護騎士達に、そして、私達に。あなたが真に恐れているのは、他者を傷つけることではありません。その事実を知った守るべき者達から忌避されることこそを、この世の何よりも、それこそ死よりも恐れているのです」

「…………」

「ならば、いいではありませんか。あなたが強くならなくとも、あなたが矢面に立たなくとも。魔法技術が世の主流である限り、私達に敗北はありません。あなたが戦わなくとも、露払いは私達だけで十分可能なのですよ」

「シュテル、それは――」

「ええ、ええ、わかっていますとも。これ以上私達の手を穢したくはないのでしょう? 困った人です。穢れたくない、穢したくない、清廉なままでいたい、清廉なままでいてほしい。しかしそれは二律背反の関係です。ふふっ、強欲ですね、颯輔は。私達ですら叶えられない願いを抱くのですから」

「…………」

「私達はすでに穢れきっていますし、これからも穢れずに生きていくことなんてできませんよ。特に、この世界で生きるのならば。私達の力がある以上、必ずそれを狙う者が現れます。……いえ、もうすでに現れているでしょう。その者らを排除し尽くさない限り、私達に平穏はありません。揃って行方を暗ますという選択肢もありますが、それはあなたの望むところではありませんからね。そんなことをしては、八神はやての世界が閉じてしまう。八神はやての幸福を第一に願うあなたが、そんな限られた世界を許すはずがありません」

「…………」

「自身の幸福よりも彼女の幸福を優先するあなたの在り方は、わからないでもないのです。なぜなら、私達も同じなのですから。紫天の書を完成させた今、私達の存在理由は、八神颯輔に幸福をもたらすことだけと言ってもいいでしょう。だからこそ見ていられないのですよ、あなたが傷つき悲しむ姿など」

「……それでも、俺は――」

「戦おうとするのでしょう? 大丈夫です、あなたがそういう人だということだけは、十分に理解していますとも。ですから、時間が必要だと言ったのです。私達とは違って元々人間だったあなたは、私達のように戦うことなど一朝一夕ではできません。躯体にはそれだけの能力が備わっているのですが、それを動かすあなたが、そこまでの領域に達していないのです。これまでの常識を壊して意識を変えていくのですから、時間がかかるに決まっています。時間をかけなければいけないのです。颯輔が颯輔のままであり続けるためには、急ぐべきではありません。自ら心を削る必要など、どこにもないのですよ」

「……歯痒いな、それは。それに、相手が待ってくれるかなんて、わからないじゃないか」

「そのための私達です。私達の力は、今日の模擬戦で理解したはずですよ。それまでの間は、私達の力を頼りにしていただくほかありません。……もっとも、あなたが紫天の王の呼び名に相応しいほど強くなったとしても、あなた一人を戦わせることなどあり得ませんが。ユーリになにやら吹き込まれたようですが、それはきっぱり諦めてください」

「……だそうです。残念でしたね、颯輔。それからシュテル、もう離れた方がいいですよ。そろそろディアーチェが再起動しそうです」

「おっと、それは大変です。見つかったら、何を言われるかわかりませんからね」

 

 悪戯に笑うユーリと、名残り惜しげに離れるシュテル。ようやく解放された颯輔は、溜息と共に項垂れた。

 理詰めで攻めてくるシュテルには、反論すら許されなかった。心の内を理解されているのだから、その言葉はレヴィの魔導剣並に切れ味が鋭い。それでいてどれもこれもが正論なのだから、颯輔に対抗する術など元からなかったのだ。

 しかし、言い負かされ、重い現実を突きつけられても、颯輔の心は晴れていた。清々しい敗北とでも言うべきか。見た目十歳の少女に負けるのは情けなくもあるが、全ては颯輔を想ってのこと。そうと理解できれば、耳に痛い言葉もすとんと落ちてくるものだ。

 問題があるとすれば、こうも簡単に見透かされてしまうことか。颯輔とは違い、シュテル達は精神リンクをフル活用してくるのだから、少々性質が悪い。だがそれも人間性の獲得のためなのだから、颯輔としても断るに断れないでいた。もっとも、歪な自身をお手本にさせていいものか、そのあたりは悩むところなのだが。

 

「ほらほら颯輔、行きましょう」

「待ちに待った混浴ですよ」

「せめて家族風呂って言おうね、誤解されるからさ」

「大丈夫ですよ、さすがにここにまで監視の目はないみたいですから」

「さぁ颯輔、湯船に浸かるのならば、まずはタオルを取りましょうか」

「もうちょっと女の子らしくできないかなぁ……」

「なにを今更。それに、高町なのははユーノ・スクライアと混浴するような人間ですよ」

「……えっ?」

「レヴィなんてもうすっぽんぽんで泳いじゃってますよ。わたし、まだ一人だと泳げないと思うので、颯輔に教えてもらいたいです」

「またあなたはそうやって。ダメですよ、ユーリ。颯輔には今日の模擬戦の復習をしてもらわなければなりません。それから、今後の計画についても話し合わなければならないのですから、これ以上ユーリを甘やかしている暇はありませんよ」

「えっ、ちょっと待ってシュテル、さらっと流したけど今とんでもないこと言ったよね?」

「ああ、混浴の件ですか。しかしそれは高町なのはのプライバシーにもかかわるので……。どうしても気になるならば、高町なのはの記憶を覗いてみることですね」

「いやそれはダメでしょ……。っていうか君ら、プライバシー言うわりに俺のプライバシーは守ってくれないよね? 覗き放題だよね?」

「ちっ。この期に及んでうだうだと……ユーリ、今です」

「えいっ」

「あっ、こらユーリっ、タオル返しなさいっ!」

「颯輔、日本人なら入浴マナーは守るべきです。ほら、なかなかいい湯加減ですよ」

「だからもうちょっと恥じらいを……」

 

 颯輔の腰のタオルを奪い、自分も体に巻いたタオルを脱ぎ捨て、颯輔から逃げるように湯船に突撃していくユーリ。シュテルはユーリのタオルを折りたたんで浴槽の縁に置くと、自身のタオルも同じようにして湯船に浸かり、ほぅと息を吐いている。レヴィに至っては裸で潜水をしながら遊んでいるため、颯輔の言う恥じらいを保っているのは、縁に腰掛けているディアーチェのみであった。

 とにかく、颯輔もいつまでも股間を隠して立ち尽くしてはいられない。こちらを見ては真っ赤になって目を回しているディアーチェを介抱し、レヴィを叱ってはしゃぐユーリを大人しくさせ、シュテルの話に付き合わなければならないのだ。言い訳をするどころかもはや現行犯な颯輔は、大事ななにかを失くして深い深い溜息を吐き出した。

 

「ああ、それから、言い忘れていましたが――」

 

 湯船に浮かんだタオルを手繰りよせ、それを再び腰に巻く颯輔。そこに、さも大したことでもないように、シュテルの言葉が告げられる。

 

「私達は、あなたのことなら何でも知っています。それこそ、美しいところも、汚らわしいところも、その全てをです。それでいてこれなのですから、何も遠慮することなんてないのですよ。我らが王――八神颯輔。我らに与えられた心は、いついかなるときでもあなたと共にあります。その点については、ゆめゆめお忘れなきよう」

 

 理のマテリアル――八神シュテルは、儚い微笑を浮かべてそう言った。

 


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