夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第一章 砕けし欠片は再び集い
第一話 再起動


 

 南に面した窓から差し込む朝日が、リビングから続く台所をも明るく照らしている。家に響くのは、一日の始まりを告げる二種類の音だった。熱せられた鍋のふたが、蒸気でコトコトと鳴る音。そして、小気味いいリズムでまな板を叩く包丁の音だ。腕の動きに合わせ、車椅子に座る少女の髪がゆらゆらと揺れていた。

 刻む度にあふれるネギの香りが鼻腔を刺激し、わずかに残っていた眠気が頭から追い出される。約三ヶ月ぶりに行う料理だが、以前と比べて少女の腕が衰えているというようなことはなかった。以前から続けてきた料理は少女の生活スキルとして確立されており、また、三ヶ月の間に台所に立つ機会が一度としてなくとも、その勉強は毎日欠かさず続けてきたためである。その腕前は、少女が十歳になるかならないかの年齢だとは思えないほどだった。

 

「……ん、こんなもんやろ。リインフォース、お願いな」

「はい、お任せを」

 

 ネギを刻み終えて満足そうに頷いた少女――八神はやては、後ろを振り返って笑顔を見せた。

 はやての後ろで車椅子の操縦を預かっているのは、浮世離れした美貌を持つ銀髪の女性――リインフォースだ。紅玉のような目を柔らかく細め、微笑を返してそっと車椅子を押す。ハンドルを握る手は、まるで雪のように白い。歩みに合わせて揺れる一房のくせ毛は、はやての赤とは色違いの黄色い十字の髪留めで束ねられていた。

 鍋の前まで運ばれたはやては、ふたを開けて味噌汁に刻んだネギを加える。これで朝食の準備は完了。あとは、家族が揃うのを待つだけだ。

 今のうちに料理に使った用具を洗っておこうかと思案しつつ、はやてはリインフォースに声をかける。

 

「あとはもう大丈夫やから、シグナム達起こしてきてもらえるか?」

「ご心配には及びません。シグナムもシャマルも、身支度を終えて降りてくるところですよ」

「ほな、ヴィータとザフィーラが帰ってくるの待つだけやね」

「ええ……――噂をすれば、ですね。二人共、帰宅したようです」

 

 リインフォースが頷いた矢先、玄関から、「ただいまー!」と少女の元気な声が上がる。ほどなくしてリビングの扉が開き、朝の散歩に繰り出していた赤毛の少女と蒼い毛並をした大型の狼が姿を見せた。

 赤毛を三つ編みおさげに結わえているのはヴィータ。そのつり目が与える印象のとおり、勝気で活発な少女だ。それでも兎の小物に目がないという少女趣味も持ち合わせており、可愛げも十二分にある。背丈は小柄なはやてよりもなお小さい、八神家の末っ子である。

 整った蒼い毛並の中に真っ白なたてがみを誇っているのはザフィーラ。その堂々とした足取りには余裕があり、ヴィータとは打って変わって落ち着いた雰囲気を漂わせている。獣の範疇(はんちゅう)には収まらない――具体的には人語を解すどころではないほどの――知能を持ち、八神家のセキリュティも預かる大切な家族の一員だった。

 

「ただいま、はやて!」

「ただいま戻りました」

「おかえり、ヴィータ、ザフィーラ。なんや、帰んの遅かったなぁ?」

「じーちゃんばーちゃん達と会ったの久しぶりだったからな、ちょっと喋ってきたんだ。リインフォース、牛乳くれ」

朝餉(あさげ)の前ですが……よろしいのでしょうか?」

「うーん……コップ一杯だけやで」

「わかりました。ヴィータ、先に手洗いうがいを済ませてくるといい。その間に用意をしておこう」

「はいよー」

 

 リインフォースに促され、ヴィータはリビングを出て洗面所へと向かって行く。ザフィーラはリビングのテーブルにあったテレビのリモコンを前足で器用に押し、ニュース番組をつけていた。

 ヴィータがリビングを出て間を置かず、新たに二人の女性が扉を開いた。六人家族の最後の二人、シグナムとシャマルだった。

 

「おはようございます、はやて」

「はやてちゃん、おはよう」

「ん、おはよう。二人共、よう眠れた?」

「ええ。やはり、我が家とはいいものです」

「施設のベッドはちょっと固かったですからね。それに、私達はこのお家が一番落ち着けますし」

 

 桃色の長髪をポニーテールに結わえている凛々しい女性――シグナムは、ザフィーラから新聞を受け取りつつはやての問いに答え、リビングのソファに腰を下ろした。

 一方、金髪でボブヘアーのおっとりとした女性――シャマルは、一度懐かしそうに部屋を見回してから、ダイニングのテーブルに箸や茶碗を並べ始める。

 三ヶ月の時を過ごした施設の環境が悪かったわけではないが、それでも、住み慣れた我が家には敵わないのだろう。かつての日常を思い起こさせる行動をとる二人も、どこか楽しそうにしているように感じられた。

 はやて、リインフォース、シャマルの三人が朝食を盛り付けてテーブルに運んでいると、洗面所からヴィータが戻ってきた。ヴィータは並ぶはやての手料理に目を輝かせつつ、リインフォースから牛乳を受け取る。次いで、リビングにて新聞を広げているシグナムを見つけた。

 

「おい、もうご飯食うんだから、新聞読むのやめろよ」

「お前も朝食の前に牛乳を飲むのはやめたらどうだ? 腹を壊しても知らんぞ」

「あたしゃあそんな軟にできてねーよ。つーか、牛乳も含めて朝ご飯だっつーの」

「屁理屈を語りおって……」

「あん? 屁理屈じゃ――」

「――オホンっ!」

「……すまん」

「…………悪かった」

 

 シグナムとヴィータの応酬が白熱し始めるのを止めたのは、シャマルの咳払いだった。途端、水をかけられたように勢いがなくなる。シグナムは渋々と新聞をたたみ、ヴィータは一瞬悩んでからいそいそと牛乳を飲み干した。ザフィーラがそんな二人の様子を一瞥し、のそりと立ち上がってダイニングへと足を運んでいた。

 ザフィーラの態度にシグナムとヴィータの二人が再び口を開きかけるも、シャマルの視線に気が付いて慌てて閉じる。一連の行動を黙って見守っていたはやてとリインフォースは、顔を見合わせて笑いを堪えていた。

 

「ふふ……さて、今日からはやては学校だ。あまり時間を無駄にさせぬよう。特に、シグナム?」

「ああ、わかっている。付き添いの件だろう? さっきのは挨拶のようなものだ、許せ」

「そうそう、あんくらいは喧嘩の内に入んねーよ」

「まったく、リインフォースは心配性ね」

「シャ、シャマル?」

「こらこら三人共、あんまリインフォースのこと虐めたらアカンよ」

「は、はやて……!」

「リインフォースのこと虐めてええのは私だけなんやから」

「は、はやて……」

 

 からかう対象が次々と変わり、それに合わせて一喜一憂するリインフォース。その表情の変化をはやて達四人が内心で楽しんでいると、一人冷静に時計を見ていたザフィーラの声が上がった。

 

「あまり遊んでいると、本当に遅刻してしまいますよ?」

「ああっ、アカンっ! 皆、はよいただきますするよっ!」

 

 時計に目をやったはやては、そろそろ落としどころと見たのか、慌てた声を作って皆を席に着かせる。皆が椅子に座ると手を合わせ、「いただきます」と声を揃えた。

 それは、かつてと同じような、しかし決定的な違いのある、とある家族の朝の光景だった。

 

 

 

 

 アクセントとなる胸元の赤いリボンを締め、純白のセーラーワンピースに身を包む。はやてが着ているのは、私立聖祥大学付属小学校指定の制服だ。

 これまでは市内にある別の小学校を諸事情から休学していたはやてだったが、復学を機に友人の通う聖祥小学校へと転入する運びとなっていた。前の学校では制服などなかったため、はやては新鮮な気分を味わっていた。

 

「どや、リインフォース? どこもおかしくない?」

「おかしくなどありませんよ。その色合いも相まって、よくお似合いです。ああ、少々、じっとしていてくださいね」

「ん、おおきに」

 

 リインフォースの手が伸びてきて、襟元のずれを直していく。着替えた際に乱れたらしいはやての髪に手櫛を入れると、満足そうに頷いていた。

 はやては礼を言いながらスカートの皺を伸ばし、煉瓦色の鞄を受け取って膝の上に置く。身支度が整うと、リインフォースに車椅子を押されて自室を出た。

 リビングに出ると、はやての着替えを待っていたシグナム達が、制服姿に次々と称賛の声を上げた。これまでシグナム達といる間は、学校に通うことも、もちろん制服に身を包むこともなかった。シグナム達の気持ちはわからないでもないが、嬉しくは思いつつも気恥ずかしさの勝るはやてだった。

 保護者として同行するシグナムが紺色のスカートスーツ姿であったため、はやてはからかう対象を何とかそちらに移そうとするが、話題はなかなかそれてはくれない。五人が裏で結託していることを悟り、小さく頬を膨らませた。

 

「あーあ、はやて怒っちゃった」

「別に。怒ってなんかあらへんもん」

「そうですよね、はやてちゃんは照れてるだけですもんね?」

「照れてもないっ! もうっ、はよ行くよ、シグナム!」

「ふふ、わかりました。どれ、リインフォース、代わろう」

「ああ、頼む。道中、お気をつけて」

「はやて。何かあれば、すぐに我らをお呼びください」

「ザフィーラは心配しすぎや。学校で危ないことなんてあらへんよ。すずかちゃん達もおるし、大丈夫。……こっそり付いて来たりしたらアカンよ?」

「ええ、迷惑になるようなことはしませんとも」

 

 シグナムがリインフォースから車椅子のハンドルを受け取っている横で、すっかり過保護になってしまったザフィーラが身を案じてくる。はやてはザフィーラの頭を撫でながら、心配ないと言い聞かせた。

 ザフィーラに一言釘を刺し終えると、シグナムが車椅子を押し始める。外に出れば、まだ肌寒い風が吹いてはいるが、春の暖かい日差しを感じられた。

 はやてが後ろを振り返れば、家族全員が玄関先で見送りをしてくれている。はやてが学校に行っている間、昨日のうちに終わらなかった残りの掃除やら買い出しやらを任せることになるが、何も心配は要らないだろう。最初の頃に比べれば、誰もが驚くほどに成長しているのだから。

 

「ほな、いってきます」

 

 懐かしさを感じつつはやてが言うと、手を振りながら、声を揃えて「いってらっしゃい」と返された。はやては手を振り返し、前を向く。随分と久しぶりの登校に、少なからず緊張を覚えた。

 はやては緊張を紛らわすように、ゆっくりと進む景色を眺めた。

 約三ヶ月の間、海鳴市を離れていたわけだが、住宅街である中丘町にはあまり大きな変化は見られない。街に出ればまた変わってくるのだろうが、少なくとも、はやての地元は元のままだった。

 はやてを取り巻く環境は、驚くほど変わってしまったというのに。

 

「これが桜の花ですか。話に聞いていたとおり、風情があって美しい」

「ん、ああ、シグナムらは見るの初めてやったね。春に花咲く、出会いと別れの花なんよ」

 

 公園に八分咲きの花をつける桜を見止めたのか、それとも明るい話題が欲しかったのか、シグナムが話を振ってくる。悪いと思いつつもその心を探ると、後者であることがわかった。

 生活環境のまったく違う間はそうでもなかったが、この街では、どうしても思い出してしまうのだ。

 光り輝いていたあの日々を。

 愛しい人の優しげな笑顔を。

 今朝、誰もが普段よりも明るい振る舞いを装っていたのは、久しぶりの我が家だからだけではなく、その場所が最も記憶を刺激するからだろう。我が家は、最も長い時間を彼と過ごした場所なのだ。

 目を閉じずとも在りし日を思い出し、その姿を幻視できるほどに。

 はやてやシグナムよりも背が高く、細くは見えるが頼り甲斐のある大きな身体。はやてと同じ栗色の髪に、一目でお人好しとわかる顔立ち。優柔不断に見えて、けれども、誰よりも強い意志を内に秘めていた青年。

 はやての従兄にあたる、兄妹も同然に育った人物――八神(やがみ)颯輔(そうすけ)

 シグナム達が現れる前まで、足の不自由なはやては颯輔と二人暮らしだった。颯輔は両親を事故で亡くし、はやての両親に引き取られることとなる。その後間もなくしてはやてが生まれ、そして、物心がついたあたりではやての両親も事故で亡くなってしまう。間に現在の保護者であるギル・グレアムとの短い生活を挟むものの、以降は、颯輔と二人きりだった。最初の頃はヘルパーを雇っていたが、他人が生活圏に入ってくるのをはやてが嫌い、颯輔一人きりではやての面倒を見てきたのだ。

 その環境が変わったのは、去年の6月4日、はやての九回目の誕生日のことだった。インテリアとして飾っていた鎖で厳重に封がされた茶色のハードカバー、闇の書。その封が解け、深紫の光と共にシグナム達が現れたのである。

 『剣の騎士』シグナム。

 『鉄槌の騎士』ヴィータ。

 『湖の騎士』シャマル。

 『盾の守護獣』ザフィーラ。

 主の命令に従順で、命を投げ出すことすらいとわない僕。かつてベルカの世界にその名を轟かせた、無双の戦士。次元の海に広がる世界の魔法と呼ばれる技術で、プログラムが人の形をとった者。それが、シグナム達――守護騎士(ヴォルケンリッター)だった。

 シグナム達によれば、はやてと颯輔の二人共が、彼女達の仕えるべき闇の書の主だという。魔導師と呼ばれる人間の持つ器官――リンカーコアから魔力の蒐集を行い、白紙である闇の書の頁を全て埋めれば、絶大な力を得られるというのだ。

 だが、はやても颯輔も力を望まなかった。望んだのはただ一つ、温かな家族だった。

 それからは、奇妙な構成の家族生活が始まった。はやてと颯輔は戦うことしか知らなかったシグナム達にこの世界の常識を教え、そして何より温もりを与えた。まるで奴隷のように感情を忘れてしまっていたシグナム達も、徐々に人間性を取り戻していった。

 寝食を共にした。

 一緒に街に出た。

 皆で花火を観に行った。

 温泉地へ家族旅行もした。

 それは、これまではやてが生きてきた中で、最も楽しい時間だった。

 しかし、不幸というものは突然襲ってくる。闇の書がはやてと颯輔に与えたのは、温かな家族だけではなかった。幸福の代償を求めたのだ。

 闇の書は、その内に致命的な欠陥を抱えていた。長期間魔力の蒐集がなければ、魔力を求めて主のリンカーコアを侵し始める。それは、放置すれば死に至る病も同然のもの。そして、はやての下肢麻痺の原因でもあった。

 最初に侵食に気が付いたのは、颯輔の方。後にはやても侵食を受けていることが判明し、颯輔達は蒐集を決意した。望まぬ死を回避するため、罪を犯すことを選んだのだ。はやてにだけは、何も告げぬまま。

 罪を犯す者がいれば、裁く者もいる。蒐集を進めるうちに、次元世界の法を守る時空管理局を呼び寄せてしまう。できるだけ交戦は避け、それでも時にぶつかり合い、颯輔達は蒐集を続けた。

 そんな中、闇の書の管制人格である融合騎が起動する。管制人格が颯輔に語ったのは、衝撃の真実だった。

 闇の書が完成しても、その先に未来はないこと。完成した闇の書は主をその内に取り込み、魔力が尽きるまで破壊を続けてしまうとのことだった。そして、魔力が尽きれば新たな主を求めて転生してしまう。未来永劫に渡って破壊と再生を繰り返す、呪いと称すべきもの。シグナム達は知らなかったが、その呪いこそが、闇の書と呼ばれる所以だったのだ。

 真実を知った颯輔達は、足掻いた。闇の書の記憶を暴き、その構造を調べ、呪いの原因と解決方法を探った。そして、一つの答えに至ったのだ。

 呪いの原因は、闇の書の防衛プログラムであるナハトヴァールの暴走。解決方法は、ナハトヴァールを制御して暴走を抑えるというもの。制御できる可能性があるのは、ナハトヴァールに同調するほどに近しい魔力資質を持つ、颯輔ただ一人だった。

 ついに全ての頁が埋まり、管理局と対峙する中、闇の書の封印が完全に解かれる。颯輔がナハトヴァールを制御しようとしたが、しかし、待っていたのは残酷な結末だった。

 颯輔はナハトヴァールの制御に失敗し、生体融合を果たしてしまう。侵食対象が完全に颯輔に移ったことではやては救われたが、颯輔を身代りにしてしまったのだ。

 呪いが解けて本来の姿を取り戻した魔導書――夜天の書を手に、はやてはシグナム達と共に運命に立ち向かった。その隣には、はやての友人であり管理局員でもあった少女達の姿もあった。底の見えない強大な魔力を振るう闇の書の暴走体との戦闘は、熾烈を極めた。

 遂に暴走体の核を発見し、それを砕いたとき、小さな奇跡は起きた。颯輔の意識が戻り、人の姿を取り戻したのだ。五分にも満たない、一時の間だけ。

 颯輔は語った。今は一時的に暴走が停止しているだけにすぎないこと。核の修復が終われば、また暴走を始めてしまうこと。核を破壊しない限り、永遠に暴走を続けてしまうこと。そして、完全に融合を果たしてしまった颯輔と闇の書の核を切り離すことは、不可能であること。

 はやて達と約束を交わし、颯輔は闇の書の呪いを一身に引き受けてこの世から消滅してしまった。それが、去年のクリスマス・イヴの出来事。

 その後、颯輔との約束を果たすため、はやてはシグナム達と共に罪を償うことを選んだ。裁判の結果、事情を鑑みられて重い罪には問われなかったが、それでも、向こう十年は管理局に奉仕活動をすることとなった。

 第1管理世界ミッドチルダにある隔離施設で更生プログラムを受講し、それを終えて地球に帰って来たのは、つい先日のこと。はやて達は、ようやく未来への一歩を踏み出したのだ。

 

「なんや、あっという間やったね。あと二ヶ月もしたら、シグナム達と()うて一年かぁ」

「ええ、まったくです。そうしたら、はやての誕生日も祝わなければなりません」

「家族記念日もな。今年はすずかちゃんにアリサちゃん、フェイトちゃんになのはちゃん、それから石田先生も! 皆のこと呼んで、ご馳走作らなアカンね」

「賑やかになりそうですね。……しかし、レティ提督に休暇を出してもらえるでしょうか? 正式に配属されたら、息をつく暇もなくなりそうです。さらには、聖王教会や本局の技術部も訪ねなければなりません」

「うー……そやっ、どうしてもダメやったら、グレアムおじさんにお願いしてみよ?」

「これはまた強引な……。おそらく対応はしてもらえるでしょうが、あまり迷惑をかけてはいけませんよ。あの方も今はお忙しいでしょうし、何より、こちらの心象が余計に悪くなってしまいます。皆でケーキを作ったりは難しいかもしれませんが、食事を共にすることは可能でしょう」

「そやけど……」

「大丈夫ですよ。そう焦らずとも、きっとまだ時間はあるはずです」

「…………うん」

 

 上から降ってくる諭す様な物言いに、はやては力なく言葉を返した。はやてがこれまでに経験した別れは、両親と兄の二度。三度目の別れは、そう遠くない未来にまで迫っているはずだった。

 落とした視線の先には、鞄の上で握られている小さな拳がある。ふと想像してしまったその時に、緩くなった涙腺から涙が零れ落ちそうになった。

 弱気になってはいけない。

 はやては固く目を瞑り、薄らと溜まった涙を外に追い出す。制服の袖で涙を拭うと、努めて明るい笑顔を作った。

 

「うん、そやね。何だったら、別な日にお祝いすればええだけやもんね」

「はい。……それに、もうしばらくはゆっくりとしていられます。正式配属は来週からですから」

「うん……。でも、まだ小学生やのにお仕事かぁ。どっちつかずで家のことも疎かになりそうや」

「私達はともかく、はやてはそこまで心配せずとも大丈夫ですよ。テスタロッサ達も、基本は週末に出勤しているようですから。稀に平日にも急な呼び出しはあるようですが、それでも、大抵は放課後まで待ってもらえるそうです」

「そういやビデオメールでそんなん言うてたなぁ……。はぁ、そやけど、どっちみち忙しくなりそうやね」

「無論、できる限りは私達でカバーしますとも。はやてはリハビリもありますからね」

「嬉しいけど、あんま無理したらアカンよ?」

「できる限り、です。ですから、まずは本日の学業に専念するよう。さぁ、学校が見えてきましたよ」

 

 言われて前を見れば、三階建てでライトイエローの建物が目に付いた。聖祥小学校である。新しく大きな校舎が、スロープを登った先に堂々と構えている。決して古くはなかった前の学校が見劣りしてしまうほど、立派な外観を誇っていた。

 不安と期待が入り混じった心境のはやてを余所に、シグナムはずんずんと車椅子を押して行く。登校時間とは被っていないため、道中に児童の姿は見られなかった。

 児童用の昇降口を通り過ぎ、その奥の職員玄関へ。シグナムに車椅子のタイヤを拭いてもらい、内履きに履き替えると、いよいよ校舎内へと踏み入れた。

 職員玄関のすぐ隣、事務室に控えていた事務員の案内に従い、十分に広い廊下を進む。教室が遠くて喧騒が聞こえないためか、はやては海鳴大学病院の廊下を思い出していた。

 職員室に着くと廊下で待たされ、事務員が教員を呼びに行った。ほどなくして現れたのは、色素の薄い黒髪の女性。声を聞くと、電話口で話したはやての担任となる教員だとわかった。

 シグナムも含めて軽い挨拶を交わし、事前に説明を受けていた諸注意を再度確認する。私立大の付属だけあって設備は整っているのだが、向こうも車椅子利用者を受け入れるのは初めてのことらしい。もっとも、はやての教室や主要な実習室は一階にあり、また、少しだけなら自力で歩き回ることもできるため、はやての方はその辺りに関してそれほど心配していないのだが。

 

「――ええ、はい。では、よろしくお願い致します。はやて、下校の際は連絡を入れるよう」

「ん、了解や。ほんなら、ここまでありがとな、シグナム」

 

 担任との話を終えてこちらに向き直ったシグナムに礼を言う。シグナムは微笑を返し、再度担任に向かって頭を下げると、事務員に付き添われて来た廊下を戻っていった。

 車椅子の押し手を買って出る担任の申し出をやんわりと断り、手元のリモコンを操作して担任に付いて行く。純粋な厚意からとはいえ、慣れない人物にハンドルを任せるのは憚られた。任せてもいいと思える人物は何人かいるのだが、今のところ、はやてが車椅子の押し手を許しているのは、家族とはやての担当医のみである。

 軽い談笑を交わしながら進み、四年A組の教室の前で止まる。担任が先に入っていき、はやては少しだけ廊下で待たされることとなった。

 鼓動が速くなる。教室からは、児童達の歓声が聞こえてきた。

 教室の扉が開き、笑顔の担任に入室を促される。はやては一度深呼吸をすると、意を決してリモコンを前へと倒した。

 教室は水を打ったように静まりかえり、車椅子のモーターの駆動音がはっきりと耳に入ってくる。ちらりと右を見ると、黒板に書かれた『八神はやて』の文字が目に付いた。

 教卓の傍まで行って車椅子を回転させ、向きを変える。おおよそ六十の瞳が、はやてへと向けられていた。

 当たり障りのない笑顔を浮かべ、はやては口を開く。

 

「今日からこのクラスにお世話んなります、八神はやていいます。ちょう変な話し方やったり、車椅子やったりしますけど、どうぞよろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げると、大きな歓声と拍手が巻き起こった。照れ笑いと共に見回した明るい教室の中に、はやては三ヶ月振りの再開を果たす四人の少女達の姿を見つけたのだった。

 

 

 

 

 四時間の授業を終えれば昼休み。授業合間の休憩のほぼ全てを質問攻めで費やされたはやてにとっては、ようやくの真面な休憩時間だ。聖祥小学校の昼食は給食ではなく弁当で、周りを見ると、仲のいいグループで机を寄せ合い集まっている。車椅子故に最後列となったはやての所では、四人の少女が弁当を広げていた。

 

「さすがに、お昼休みにまで取り囲む連中はいないみたいね」

 

 質問攻めをされた本人よりも疲れたように言うのは、色素の濃い金髪の勝気そうな少女。委員長気質というよりかは頼れる姉御分と称した方が正しい気がする、アリサ・バニングスだ。転校生が囲まれる度に助けに入っているらしく、はやても今日は随分と助けられた。

 

「うーん、でも、お弁当食べ終わったらまた来ちゃうかも?」

 

 アリサの物言いに苦笑いで応じたのは、艶のある紫の長髪にヘアバンドが印象的な少女。聖祥小学校では初めての友達である、月村すずかだ。もっとも、はやてとすずかの出会いは転校よりも前のことで、去年の十二月からの付き合いだった。

 

「やっぱり目立っちゃうからかな、いっぱい質問されてたね」

 

 あれは大変だよね、と言いたげに頷いているのは、金の長髪を黒いリボンでツインテールに束ねている少女。はやてよりも先、去年の内にクラスに転校してきた、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンだ。地球ではイタリア人という設定にしているため、当時は車椅子のはやて同様、席を立つこともままならなかったそうだ。

 

「でも、転校生が来たら、誰だってお話聞きたくなっちゃうよ」

 

 クラスメイトのフォローに回っているのは、明るい茶髪を白いリボンでツインテールに束ねている少女。すずか達よりも少しだけ遅れて友達となった、高町なのはだ。直接交わした言葉は少ないが、施設にいる間にフェイトと交換していたビデオメールでは四人揃って映っていたため、今ではもう気兼ねなく話すことができる。

 

「賑やかなのは大歓迎やけど、車椅子いじられるのには困ったなぁ。皆が近くにおってくれてホンマに助かったわ。皆、おおきにな」

「お礼なんていいわよ。それくらい当然のことなんだから」

「にゃはは、アリサちゃん照れ隠ししてるー」

「うっ、うっさいわね、そんなんじゃないわよ! あれもクラス委員の仕事なんだから!」

「そうだよね、アリサちゃんはお仕事しただけなんだもんね」

「何か言いたそうね、すずか……」

「そうだ、あの時はありがとう、アリサ。私も助かったし……うん、嬉しかったよ」

「い、いいい今更何言ってんのよフェイト!」

「アリサちゃんはかわええなぁ」

「あんたらは可愛くないわね!!」

 

 真っ赤になってしまったアリサは、黙々と箸を動かし始める。少々からかいすぎたか、とも思ったが、他の三人の様子を見るとそうでもないらしかった。

 すずかとなのはは微笑ましく見守っており、フェイトだけはきょとんと首を傾げている。仲良し四人組の輪に入れたことが嬉しくもあり、また、少しだけ申し訳なく思うはやてだった。

 今のはやては、まだ誰かの介助を必要としなければならない。家ならばまだ家族がいるが、学校ではそうではない。四人共が思いやりのある心の持ち主とはいえ、そこまで迷惑はかけられないだろう。今現在にしても、いつもは屋上で摂るらしい昼食の場所を教室にしてもらっているのだ。五年生になる頃には自力で走ることも可能となるらしいが、なるべくその時期を早めたかった。

 

「そういえば、はやてちゃん、髪伸ばしてる? ビデオだとよくわからなかったけど、去年よりも長くなってるよね?」

「ん、ちょう伸びたかな。後ろの方、しばらく伸ばそうかと思っとるんよ」

「えー、ショートも可愛いかったのに」

「なんか、大人っぽくなったね。でも、どうして伸ばそうと思ったの?」

「んー、皆伸ばしてるし、それに、願掛けっちゅうか、なんちゅうか……」

「お願い事?」

「うん。でも、ごめんな、内容は誰にも秘密なんよ」

 

 フェイトの問いに、はやては襟足を撫でつけながら答えた。

 古来より、長い髪には神秘的な力――魔力や霊力が宿るという。もちろんそれは地球のオカルトで、科学の一系統でいう魔法から見れば、何の意味も成さない。

 もう一つだけ心掛けている、魔力の節約ならば大きな意味を持つのだろうが。

 はやてがベルカ式魔法の真骨頂――魔力による身体強化を日常生活では使わず、未だに車椅子に頼っているのも、その願い事の成就のためだった。

 何かを察してくれたのか、あっさりと退いてくれたフェイト達に感謝しながら、はやてもおかずの卵焼きを口に運ぶ。すると、今まで黙々と食事に集中していたアリサが箸を置き、咳払いをしてから宣言するように言った。

 

「あー、おほん。今週末、お花見を開催したいと思います。はやて、あんたはまだお仕事始まってないんでしょ? なのはにフェイトんとこも空いてるらしいから、はやてにシグナムさん達も呼んで、大勢で集まろうって話してたんだけど……」

「五家族揃って賑やかに楽しみたいなって。土曜日がいいなって思ってるんだけど、都合つくかな?」

「ホンマにっ? あー、うー……うん、大丈夫! 細々とした用事は日曜日に後回しや!」

「ひょっとして忙しかったかな……? ごめんね、翠屋のお休み、土曜日にしちゃってたから……」

「うちも、来週から配属される新人さんの研修準備で日曜は忙しいらしくて……」

「ああ、心配せんでもええよ。元々、土日のどっちか顔出せばええって話やったから」

 

 申し訳なさそうに眉根を寄せるなのはとフェイトの二人に、問題ないと告げる。聖王教会や管理局の技術部に所用があったが、どちらもこちらの都合のつく時に訪ねてくれればいいとのことだった。花見をしたことのないシグナム達も楽しめるだろうし、はやてに断る理由などなかった。

 何気なく仕事の話をしたが、四人共が、はやて達の事情を知ってはいた。すずかとアリサは一般人だが、なのはとフェイトに至ってははやて達の先輩である。二人共が時空管理局に所属する魔導師で、去年の『闇の書事件』にも立ち会っていた。

 地球は魔法文化のない管理外世界。そのため管理局の存在も科学としての魔法も知られていないはずだが、すずかとアリサの二人になのはの家族、それからはやての担当医にだけは、その存在を明かしていた。

 

「よし。じゃあ、詳しい内容は夜にでも連絡するから……あ、携帯はもう使えるのよね?」

「うん、昨日のうちにお店行ってきたから、大丈夫やで」

「ビデオメールだと直接お話しできなかったもんね……」

「外出もできひんかったし……ここだけの話、ちょう退屈やったかも。向こういる言うても、フェイトちゃんにもなのはちゃんにも会えへんし」

「さすがに施設までは連れて行ってもらえなかったんだ……ごめんね、はやて」

「ええよええよ、リインフォース達もおったし、それに、やらなアカンことはいっぱいあったから」

「魔法の勉強とかしてたんだよね? どんなことしてたか、聞いても大丈夫?」

「うーんと、最初は向こうの法律とかで――」

 

 弁当を食べ進めながら、施設で体験した話せる限りのことを話していく。登校初日の昼休みは、緩やかに過ぎていった。

 

 

 

 

 学校を終えて帰宅し、家族との夕食の時間を楽しんだはやては、リインフォースと共に一階にある自室にいた。ベッドの上に向かい合って座り、リインフォースと両手を繋いでいる。二人の足元には、白銀の光を放つ中央に剣十字を配した三角形――ベルカ式の魔法陣が展開されていた。

 はやては一日を通して蓄えていた魔力を、夜天の書の融合騎(ユニゾンデバイス)であるリインフォースへと供給する。胸の奥にあるリンカーコアが静かに脈打ち、魔力がはやての腕を伝っていった。

 しかし、流れ込んだ魔力はリインフォースのリンカーコアへと貯蓄されつつも、その大半を供給の過程で損失してしまっていた。はやての技術不足ではない。リインフォースのリンカーコアがすでに満たされているわけでもない。それは、リインフォースの負っている致命的なダメージによるものだった。

 リインフォースは夜天の書の管制人格であり、魔導書そのものと言ってもいい存在だ。致命的なダメージとは、魔導書の構造的欠陥のことだった。

 闇の書事件の際、リインフォースは暴走を始めるナハトヴァールを自身から切り離した。ナハトヴァールは夜天の書の防衛プログラム。ナハトヴァールを切り離すことは、半身を裂くにも等しい行為だった。

 しかし、それだけならば、新たな防衛プログラムを作り出せばいいだけのこと。それができないでいるのは、切り離す際、ナハトヴァールに夜天の書の動力部を奪われてしまったためだ。

 動力部を失えば、夜天の書が消滅するのも時間の問題だ。リインフォースが未だにその躯体を保っていられるのは、はやてが魔力を供給しているためだった。

 しかし、それでも徐々に限界は近づいてきている。リインフォースが貯蓄できる魔力は、時が経つにつれて少なくなっていった。今のリインフォースには魔法の力などほとんど皆無で、主であるはやてと融合(ユニゾン)することはおろか、初歩の初歩である思念通話すらもできない。躯体を維持することだけが、リインフォースに許された精一杯のことだった。

 

「…………っ」

「あっ、ごめん、リインフォース! 大丈夫やったっ!?」

「ええ、大丈夫ですよ。少々、痛みを感じてしまっただけです」

 

 魔法陣が消失する。底の抜けた桶を満たそうとするかのような感覚に焦れてしまったらしい。一度に流す魔力量を増やしすぎて、リインフォースの身体が耐えられなかったようだった。

 はやての貯蓄できる総魔力量は、管理局員の中でも最上位に食い込むほどだ。しかし、それほどの魔力を持っていても、主となって手に入れた夜天の書の膨大な知識を持ってしても、リインフォースの消滅を覆すことはできない。

 夜天の書は、失われた技術で造り出された古代遺失物(ロストロギア)。動力部の構造はリインフォースすら把握できていなかった完全なブラックボックスであり、代替を探すことさえできなかった。

 

「ごめんな、リインフォース……ほんまに、ごめんな……」

「いいえ、お気になさらず。はやての温かい心は、十分に伝わっていますから」

 

 頬を伝い落ちた涙が、繋いだ手を濡らす。そこから離れたリインフォースの手が、はやてをそっと引き寄せた。はやてはそれに従い、リインフォースの背中へと腕を回す。リインフォースの胸からは、静かに刻まれる鼓動が聞こえた。

 リインフォースの細い指先が手櫛となり、はやての髪を梳かしていく。その手つきは、今はもう感じることのできない颯輔の手櫛によく似ていた。

 兄の温もりが恋しくて、何もできない自分が情けなくて、はやては唇を強く噛み締め、声を押し殺して涙を流した。

 以前は体を杭で打たれるような痛みにも耐えることができたのに、笑顔の仮面を被り続けることができたのに、今のはやてにはそれができない。はやてのすすり泣く声が、夜の静寂に響いていた。

 

「大丈夫ですよ。はやてには、シグナム達がいます。心を許せる友人もできたではありませんか」

「リインフォースもおらんといやや……」

「ええ、いつでもお傍に控えておりますとも。躯体が消えても、私のリンカーコアは貴女に融けてゆくのですから」

「いやや……!」

「困りましたね……。空が泣いては、雲が黒く染まってしまいます。そうなっては、せっかくの美しい夜天が台無しですよ」

「そんなんちゃう、わたしは……!」

 

 家族も救えない力などいらない。

 家族も救えない者には、他者を救う資格すらない。

 足りないのだ。

 夜天の王の魔力では。

 夜天の王の知識では。

 弱いはやてが望むのは、王をも超える魔力と知識。

 大切なものを護り抜くことのできる、運命さえも覆すことのできる力。

 幼き王の渇望が、世界と世界を繋いだとき――

 

「――っ!?」

 

 リインフォースの、驚愕に息を飲む音が聞こえた。

 しかし、はやては何もしていない。

 はやても同様に、その光景に目を奪われているのだから。

 

「この魔力は……!」

 

 部屋の床に描かれているのは、ベルカ式の魔法陣――漆黒の光を放つ、転移魔法陣。

 それは、在りし日に見た光景。

 王と騎士とが出逢った、はやてが掛け替えのない家族を得た、あの日の光景(デジャヴ)

 波打つ金の長髪に、西洋人形のように整った、しかし幼い顔立ち。純白の装束に、揺らめく炎のような紋様の入った馬乗袴。

 八神颯輔と同じ魔力光を放つ魔法陣と共に、その少女は現れた。

 

 


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