孤高の王と巫女への讃歌   作:grotaka

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大学生活に入っての初投稿!

今回はいわゆるクッション回です。だからタイトルに『王』が入ってないのだよ!嘘じゃないよ!(汗)

さて、それではどうぞ。


第八話 「巫女達の談話」

 

【清秋院恵那】

 

 

 伊織が草薙護堂と会合を行っていた時間より、一時間程前。恵那は東京タワーの程近くにいた。

 

 この一帯には高級ホテルやテレビ局などが立ち並び、そして神社仏閣も多い。恵那もそういった神社の中の一箇所にやって来ていた。

 

 だが、恵那が今いる場所はそれらの中でも一際目立たない、静かな神社だ。

 

 社名を七雄神社。近辺でもごく一部の人しか参拝に訪れない、知る人ぞ知る神社である。

 

 神社の一画にある、平屋造りの社務所。その一室に恵那はいた。この神社に務める親友に会うためだ。

 

「や、祐理ー。久しぶりー、元気してたー?」

 

「はい。恵那さんもお元気そうで、何よりです」

 

 茶色味の強い長髪の、お淑やかな雰囲気のある少女。恵那の修行時代からの親友、万里谷祐理である。

 

 彼女は恵那と同じく媛巫女の位にある巫女であり、今はこの七雄神社にバイトという名目で務めている。まだ16歳だが、ズバ抜けた霊視力を持ち、武蔵の媛巫女達の中でも上位にいる少女だ。

 

 とはいえ、本人はそれを鼻にかける事もなく、むしろ謙遜して自分には過ぎた評価だと言う。正に大和撫子の鏡といえる存在だった。

 

「最近、この辺にずっと居るんだ。今日はちょっと仕事休みが出たから、顔出しに行こうって思ってさ」

 

「ああ……馨さんから聞きました。確か、羅刹の君の監視役として、御側にお仕えしているのでしたね。……あの、軍谷伊織様に」

 

 伊織の名前を出した祐理の表情が、わずかに不安げな色を帯びる。恵那はそれを見逃さなかった。

 

「……まあ、祐理が伊織さんの事怖がるのも仕方ないよね。世間じゃ、東欧にいるっていうあの侯爵様(・・・・・)と同じ位怖がられてる訳だし……」

 

 申し訳無さげに苦笑する。考えてみれば当然か、四年前に祐理を襲った出来事を考えれば、彼女が神殺しを恐れるのは当然なのだ――。

 

「まあ、伊織さんの事知らなかったらそういう反応するのも当然だけどさ。でもね、伊織さんすごく優しいんだよ?恵那が御側でちゃんとお仕え出来るように家の魔道具を改造してくれただけじゃなくて、食べ物飲み物とか、禊祓用の滝とかしっかり考えて用意してくれたし。神がかりの方にも悪影響はほとんど出てないんだ。まだ一ヶ月ちょっとしか一緒に生活してないけど、とっても過ごしやすいよ」

 

「……あら、そうなんですか」

 

 弁明の甲斐あってか、祐理は少し硬かった表情を緩め、ほっとしたように微笑んだ。

 

「恵那さんがそこまで言うのでしたら、そうなんでしょうね。ごめんなさい、偏見で人を見てしまうなんて恥ずかしい……」

 

「いやいや、それも仕方ないでしょ。何せ天下の大魔王様な訳だし」

 

「でも、恵那さんはそんな方に何の恐れもなく従っていらっしゃるのですから、さすがです」

 

「またそんな……。……あれ、でも今、祐理って恵那みたいに神殺しの王様にお仕えしてるんじゃなかったっけ?確か草薙護堂さんっていう」

 

 草薙護堂。恵那も最近聞き知ったばかりの名前を口に出した途端、祐理の態度が豹変した。

 

「ご、護堂さんですか?いえ、私はあくまでお力添えをしたまでで、そんなつもりは……。あくまで、学校での知人といった程度で!先日甘粕さんに妙な資料を見せられた時は、少々迂闊な事を言ってしまいましたが、別に護堂さんと私はそのような関係では――」

 

 これは珍しい、と恵那は目を丸くした。いつも落ち着き払っている祐理が慌てふためいている。

 

 そういえば、自分もそんなような反応をしていた、と他人に言われた覚えがある。確か五日程前、浅草にある撃剣会の師範代や弟子の面々に伊織の事について色々と聞かれた時だったか。

 

 まだ17歳と若いながら、他のカンピオーネ達にも劣らぬ威名を持つ青年王。そんな存在の側にいる以上、色々と勘ぐられたりはするもので、

 

 (もう嫁に行くことが決まってるのかとか、普段は何してるんだとか、新婚生活はどうなんだとか、変な事色々聞かれたなー……)

 

 あの時は、予想外の質問に不覚にも動転してしまって、まともな応答も出来なかった記憶がある。その後は伊織が迎えに来てくれて、場が静まり返ったのをこれ幸いと逃げ出すように帰ったのだったか――。

 

 まあ、恵那自身は、自分が伊織にそういう感情を向けているのかどうかは解らない。憧れているのは確かだ。でもそれは彼の持つ力と途方もない叡智、そして彼が巻き起こすハチャメチャに対してで、果たして伊織本人に惹かれているのか、彼を好いているのかはよく解らなかった。

 

 それに今はそこまで気になる事でもなかった。まだ自分は伊織について知らない事がたくさんあるのだ。今は、それを知りたいという感情が頭を占めていた。

 

 そして、あくまで恵那の予想に過ぎないが、祐理も草薙護堂に対し、理解出来ない感情を抱えているのかもしれない。

 

 聞いた限りでは、まだ会って一ヶ月程との事。一目惚れならまだしも、そんな短期間で、祐理のような奥ゆかしい娘が恋愛感情を持つと考えるのは行き過ぎだと、さすがの恵那でも解る。

 

 それでも、何かを感じる事はあるかもしれない。何せ祐理は霊視の媛巫女なのだから。

 

「ま、まあまあ……。祐理だってその草薙さんと仲良いんでしょ?だったら恵那の気持ち解ると思うよー。この人は、他の人が言うような人じゃないから、私は別にこの人の側にいても苦痛じゃない、って」

 

「……ですね」

 

 はにかむように祐理が笑い、恵那もニヤッと歯を見せて笑う。ある意味似た境遇にある二人の心情は、なかなか似通っているようであった。

 

 

「そういえば今、その草薙さんと伊織さんが会合してるんだよね。知ってた?」

 

「いえ、全く……」

 

「あ、そうだったんだ?……なんかね、同じ国に神殺しが二人いるのはまずいから、自分がこの国にいる間の事を、色々取り決めをしておかなくちゃいけない――だって」

 

 なんか難しい話だよねー、と恵那は肩をすくめる。祐理も曖昧な表情で頷いたが、すぐに恵那を覗き込むように見やり、

 

「……何だか残念そうですね、恵那さん」

 

「……え?」

 

 不意の質問に、恵那はきょとんとして祐理の顔を見つめ直した。

 

「……ええと、恵那、そんな顔してた?」

 

「はい。確かにしてましたよ」

 

 祐理からそんな指摘をされて、恵那は困惑した顔になった。

 

 残念に思わなかったと言えば、嘘になる。だが正直言って、ハッキリと自覚する程でもなかった。ただ胸の内がもやもやするような、そんな感覚を覚えていただけで……。

 

 でも、

 

「……うん。そだね、そうなのかもしれない」

 

 恵那は肩をすくめて、素直に肯定した。

 

「やっぱりさ、恵那は伊織さんの家来になりたいなって思うんだ。そう思ったから、今伊織さんのそばにいる訳で、別に伊織さんが損するような事をしたい訳じゃないし。――でも、伊織さんはそんなつもり、全然ないみたいでさ」

 

『俺はあくまで、日本に滞在する身だ。この国の王になる訳じゃないし、影響力を持ちたいわけでもない。だから、俺がどんなに君に期待を持たせるような事をしても、絶対に勘違いしないでくれ』

 

 病室で監視役の任を任された時言われた言葉。あれは間違いなく、自分を臣下として迎え入れる気はないという意思表示だ。

 

 伊織は昔に何かあった。だから、自分や他の誰かと深い関係になる事を恐れている。

 

 その“何か”を知りたいと思う反面、それを知りたくないと思う自分もいる。それを知った時、自分と伊織の関係はどうなるのか――それが解らないから、怖い。

 

「だから、恵那は今の所はこんな関係でもいいかなって、そう思うんだ。伊織さんは恵那を必要以上に意識しなくて済む。恵那も不安を感じなくて済む。良くはないけど、悪くもない、ってね」

 

「恵那さん……」

 

 祐理の表情は、まだこちらを案じている風だ。優しい子だなあ、と恵那は苦笑いしながら、彼女の言わんとしている事は察していた。

 

 今の自分の選択は、多分逃げだ。前に進むのが怖いから、足を止めて前に進むまいとしている。自分で言った通り、悪い結果には転ばないが、いい結果にも転ぶ事はない。

 

 ただ、恵那とていつまでもこの状態を続けるつもりはない。

 

「いつか、伊織さんの事全部を知る事が出来るような、そんな日が来たら……恵那は絶対退かない。ガンガン押して、伊織さんの隣に居続けるんだ。――今の所の恵那の予定は、こんな所だよ」

 

 自分は難しい事を考えるのが苦手だ。だから、自分の力が発揮出来る状況は力尽くで作り出す。

 

「……恵那さんらしいですね」

 

 祐理がクスクスと笑い声を漏らす。手の甲で口元を押さえる様は何とも淑やかで、大和撫子らしい風情を醸し出していた。

 

「恵那さんならきっと大丈夫です。――頑張って下さいね」

 

「うん、頑張る。頑張って、伊織さんの家来になるよ」

 

 恵那が屈託ない笑顔で笑い、祐理も柔らかく微笑する。魔王に仕え、あるいは交友関係を持つ二人の巫女は、今一番の笑顔で笑い合うのだった。

 

 

 /◯/

 

 

「――おや、何やら女子会の真っ最中でしたか。間が悪かったみたいですねえ」

 

 不意に掛かった声に振り向くと、甘粕が立っていた。

 

「あー、甘粕さん。伊織さんの方は大丈夫なの?」

 

「ええ、問題なく。今頃は会合の真っ最中なんじゃないですかね……ぞっとしませんよ、神殺しの魔王様が二人、食事しながらお話なんて」

 

 軽く手を振って挨拶する恵那に頷きで返しながら、甘粕は提げていた鞄を脇の机に置く。中にはギッシリ書類が詰まっているようだった。

 

「……甘粕さん、今日はどのような御用件で?」

 

「ああいえ、大した事じゃありませんよ。今日は恵那さんがこちらに来ていると聞いたので、祐理さんのご様子を見に伺うついでにお邪魔させてもらったんです」

 

 祐理が控えめに要望を尋ねると、甘粕は軽いノリのまま返答した。その二人の様子に、恵那は「ん?」と首を傾げた。祐理の顔はぎこちなく、甘粕は何やら面白がるような顔だ。一体、この二人に何があったのやら――。

 

「ていうか、恵那に用だったの?なら帰った後でも良かったのに」

 

「生憎と、私も最近は忙しくてですね。時間が取れたのが今くらいの時間帯だけだったんですよ」

 

「馨さんにまた何か指示されたんだ?」

 

「それに近いような、遠いような……。ともかく、楽できそうな内容じゃないのは確かですよ、やれやれです……」

 

 恵那も甘粕も、砕けた調子で本音をポンポンと口に出していく。

 

 正史編纂委員会のエージェントと、媛巫女筆頭。また甘粕の上司である沙耶宮馨が恵那の幼馴染という事もあって、この二人は割と仲の良い間柄であった。

 

「それにしても……恵那も行きたかったんだけどなあ、会談……」

 

「大丈夫ですよ、あっちは馨さんとかが頑張ってるんですから。私らが出張っても大して意味ないですって」

 

 拗ねたように頬を膨らませる恵那を、甘粕は苦笑混じりになだめすかす。

 

「そうじゃなくてさ。ほら、恵那は伊織さん達みたいな王様達が何考えてるか何と無く解るから、伊織さんに監視役として選ばれたんでしょ?なら、恵那が居れば草薙さんって人が何考えてるかも解るかもしれないって思って……」

 

「考え過ぎのような気もしますけど……そうですねえ……あくまで私の推測に過ぎませんが、多分軍谷さんは、そうだからこそ連れていかなかったんじゃないですかね?」

 

「えっ?」

 

「どうも軍谷さん、自分のメリットを極力省いた状況で交渉したいみたいでしたからねぇ。恵那さんが居る事は自分にとってメリットになると解った上でのご指示だと思いますよ」

 

「あー……確かに、そうかも」

 

 甘粕の指摘は、確かに伊織が考えそうなものだった。

 

 飄々として掴み所がない癖に、自分はその洞察力で相手の思考や特徴などを見抜いてくる。さらに忍術を駆使し逃げ足なら恵那をも凌ぐ。これほど諜報活動に適した人材もそういないだろう。なるほど、伊織が甘粕を「気に入った」と絶賛していたのも頷ける。

 

「それはそうと、恵那さんへのご用件ですが……軍谷さんから恵那さんに渡せと預かっているものがあるんですよ。こちらをどうぞ」

 

 そう言って甘粕が差し出したのは、茶色の封筒だった。中には大量の資料が入っているようだ。

 

「……中身は何が書いてあるの?」

 

「――軍谷伊織に関する資料、それも軍谷さん本人から提供された、世間には出回ってない情報入りのです。とはいえこれを送ってきたのは軍谷さん本人じゃなくて、こういう資料を書く専門家からですけどね」

 

 厄介なものを押し付けられた、と言わんばかりの表情で、甘粕は恵那に手渡す。恵那の方も、わずかに緊張した面持ちで受け取った。

 

「伊織さん、何だってこんな物を恵那に?」

 

「そうですね……あの人の考えてる事は、正直よく解りませんけど。その資料の中身は、我々でも知ってる事から知らない事まで細々と書いてありますから、多分驚きは禁じ得ないでしょうね。それを読んだ上で、あなたが何を考えるのか――軍谷さんの狙いはそこでしょう。そういう訳ですので、よろしくお願いしますよ、恵那さん」

 

 何やら難しい事を任されたらしい。難儀だなあ、と恵那は首を捻りながら、妙なものを見るように茶封筒を眺め回した。封を開けて中身を取り出し、軽く眺めたりもしてみる。

 

「……しかしまあ、軍谷伊織ですか……。この仕事についた当時を思い出しますねぇ……」

 

 不意に、嫌な事を思い出したような声色と調子で甘粕がぼやく。その言葉に恵那は書類を読むのを中断して視線をやった。

 

「この仕事……甘粕さんが編纂委員会に来たばっかりの頃って事?」

 

 ええ、と甘粕は緩慢な所作で頷いた。

 

「実を言いますとね。恵那さんは知らないかもですが、委員会(うち)、軍谷さんの事は彼がカンピオーネになる八年も前から目をつけてたんですよ」

 

「えっ、そうだったの?」

 

 それは意外だった。確か伊織は『民』出身の魔術師だったはずだ。いくら『官』が『民』の動きを監視し統制しているとはいえ、そこまでするものなのだろうか?

 

「ええ。……実を言うと、軍谷家が低級呪術師にまで格下げされたのは100年くらい前の話でしてね。安土桃山時代から江戸時代にかけては、『民』の中でもかなり強い権威を誇ったお家なんですよ。『官』程じゃあないですが、『民』でも血統は大切にされます。賢人議会の見方は、軍谷さんの言に従い過ぎてますね」

 

「そ、そうだったんだ……」

 

「で、明治維新後、軍谷家には優秀な魔術師が生まれず、没落の一途を辿るんですが、さすが昔の名家は違いますね。何代か先に再び天才が現れるよう、自分達のような名家と婚姻を結んでその血統を取り入れたり、子供が胎児の頃から呪術的処置を行って魔術を扱い易い体質にしたりと、色々やってたみたいです。で、その結果誕生したのが――」

 

「……伊織さん」

 

 首肯。

 

「確かに賢明な取り組みではありましたが、まさかここまで早く、しかもあんな怪物が生まれるとは思いもしなかったですよ。『民』は愚か『官』でも対抗出来る人材が十人といない、それ以前に神殺しを成し遂げてしまうような化け物が出てこようとは、なんてね」

 

 媛巫女様程じゃなくともかなりのサラブレットです、と甘粕は首を振ってため息をついた。

 

「ともあれ、そんな神童様が生まれたんだから『民』は狂喜乱舞です。軍谷家の一族はおろか、いろんな『民』のエキスパート達がこぞって軍谷さんに己の持てる叡智を授けたそうですよ。しかも、『官』の中でも、将来軍谷さんを自分達の側に引き込もうと目論む派閥もいて、そういう方々に『民』じゃ出回っていない高難度の神道術やら密教呪術やらを教え込まれたそうです」

 

「……そっか、だから伊織さん、東洋系の呪術の方が得意だって言ってたんだ」

 

 以前、伊織の口から直接聞いた言葉だ。正直言って伊織は西洋魔術の方も巧みに操っているので、その差は初めは解らなかったものだが――よくよく考えると、伊織はとてつもない出力の微調整が必要な術の場合は東洋呪術を多用していた気がする。

 

「まあ、軍谷家は何気に西洋の魔術師ともコネクションのあった家ですから、早い内からそっちの魔術は勉強してたとは思いますがね。本格的なものを学んだのは、おそらく賢人議会に潜入してから――彼がカンピオーネになってからでしょうから、何か厄介な制約でもあったんじゃないでしょうか?内包する呪力が多過ぎて調整が効きにくかったとか。あくまで私見ですけど、伊織さん曰くカンピオーネになる前と後では呪力の量が変化し過ぎて、感覚がだいぶ狂うらしいですよ」

 

「そうなんだ……。――うん、ありがとう甘粕さん。勉強になったよ」

 

 いえいえ、と笑って甘粕が首を振る。――そして、実に愉快そうなニヤニヤした顔で祐理の方に振り向いた。恵那と甘粕が話している間、黙って聞き入るだけだった祐理は、突如甘粕がこちらに顔を向けた事にピクッと肩を揺らし、そして彼の表情に思わず身を仰け反らせる。

 

「……あ、あの、甘粕さん」

 

「それで、祐理さんの方は?その後はどうですか?」

 

「ど、どう、とは?」

 

「その後の草薙氏との御関係は、どうです?」

 

「……えっ?え、あの、いっ、いえ、取り立てて挙げるような事は何も……」

 

「何でもいいんですよ。例えば今日の会話の内容とか」

 

「え、ええと……今日はお料理の事についてお話を……」

 

「ほうほう、それはそれは……いいですね。順調ですよ、そのまま突き進んでいって下さい、時にはアドリブなんか加えてみるといいかもしれません」

 

「あの、ですから何を……」

 

 祐理と甘粕のやり取りを、恵那は半目で眺めていた。

 

 祐理と甘粕が妙な会話をしている。甘粕の言葉に祐理は戸惑ったり怒ったりして、それらの反応を甘粕が楽しそうに見ている、という構図だ。

 

 一体いつの間に、この二人はこんなやり取りをするようになったのか……。というか、甘粕の今の笑顔は良からぬ事を考えている顔だ。馨と主従コンビでいる時、稀に見せる悪い顔に近い。というかそれより邪念が強いような気がする。

 

 甘粕がこういう笑顔を見せる時、恵那はまず近づかないようにしている。何となく、下手にちょっかいを出すと誘爆しそうな気がするのだ。というか、こういう笑顔を見せる時、大抵甘粕は意味不明な事を口走るので自然と距離を置きたくなるのだが。

 

 親友を助けたいところだが、恵那に今の甘粕から祐理を救い出す力はない。そんな訳で、しばらく彼女は物言わぬ置物になる事を決め込んだのだった。

 

 

 

   ◯  ◯  ◯

 

 

 

【万里谷祐理】

 

 

 ――そして、一時間後、甘粕と恵那が退室した後で、祐理は深々とため息をついた。

 

 若きカンピオーネ・草薙護堂と出会ってから一ヶ月。知り合ってほんの数日でまつろわぬアテナ襲来という大事件に巻き込まれ、かの魔王と友人として縁を結ぶ事になった訳だが、まさかそれでこんな目に合うとは思わなかった。

 

 

 今、正史編纂委員会は今までにない程慌ただしい。原因は、今日本にいる二人のカンピオーネ――草薙護堂と、軍谷伊織のためだ。

 

 軍谷伊織は既に六年も活動しているベテランのカンピオーネだ。ただ権能を以て猛威を振るうのみならず、優れた魔術の手腕や知恵も有する、厄介だが味方につければこれ以上ない存在である。

 

 だが、彼はこの国の支配者ではない――そういうスタンスを表明した。だから正史編纂委員会は、彼と上手く付き合って、その力が自分達に向かないよう――そして出来れば、一時的でも自分達を護る存在となってくれるよう、良い方向性に持って行こうと模索している。

 

 対して、草薙護堂は一般から出た珍しいカンピオーネだ。魔術やこの世の神秘には一切関わりがない中で成長し、また魔術組織の存在や役割にも疎い。

 

 そして、彼は今この国での立ち位置を明示していない。――そこを利用しようと、編纂委員会は考えた。

 

 草薙護堂は一般の出。それ故策謀とは縁がなく、そういったものへの警戒をしていない。ただ、今彼に付き従っている欧州の魔術師――エリカ・ブランデッリの存在が、それを容易に出来るものではなくしている。

 

 そして、白羽の矢が立ったのが、万里谷祐理であった。

 

 祐理は草薙護堂の同級生だ。彼とはそれなりの縁があったし、顔見知りになる機会を作るのも容易い。その“強み”は、既にまつろわぬアテナの一件で証明されている。

 

 そして今回は、編纂委員会が草薙護堂に取りいる為のきっかけになる、という目的で、祐理が動く事を求められている――。

 

 

 これが、甘粕から聞いた事と自分の推測を加えた上での、祐理の現在の状況である。

 

 正直に言って、祐理は甘粕から告げられた委員会の思惑に辟易していた。

 

 草薙護堂は、まだ縁が浅いとはいえ友人である。彼があの恐ろしいカンピオーネであるという事は承知しているが、彼の人柄は日々生活している中でそれなりに知る事が出来たつもりだ。

 

 そんな彼を、あの手この手で籠絡する――そんな真似はしたくないし、第一出来ない。

 

 だが、甘粕は、自分がそのように動く事で護堂が暴走する可能性を減らす事が出来ると、そう説明した。

 

 確かに、常の彼はともかく、戦いの中での彼はこちらが予想だにしない事をやってのける。その実感は強くあった。だから、甘粕の提示した可能性は捨て切れるものではなかったのだ。

 

 祐理は人一倍責任感が強い少女である。自分以外に出来る人間がいないと言われて、さらにそれが友人の為になると言われては、受諾はしなくとも拒否することも出来なかった。――そして、今のような状況に至る訳だ。

 

 正史編纂委員会の目論見を責めるつもりはない。彼らの心中は理解しているつもりだ。ただでさえ、神を殺めたという時点で常識外なのに、そんな存在が二人もいるのだ。何としてでもコネクションを掴み取り、安全を確保せんとするその行為は、致し方ないものだろう。

 

 だが、その方法が籠絡というのも如何なものか――そう思わずにはいられないのだった。

 

 その点で、祐理には恵那の今置かれている状況と、今日見た彼女の様子があまりに違い過ぎている事がどこか羨ましかった。

 

 今、彼女は軍谷伊織の監視役という任務に就いている。軍谷伊織本人が委員会に要請し、委員会も恵那自身も受諾したとの事だが――恐らく、委員会は伊織の力を恐れての事だろう。しかし、恵那はそうではないようだ。

 

 彼女は、今置かれた状況を楽しんでいる。

 

 聞いた限りでは、軍谷伊織の方が恵那に暮らしやすいようにかなりの配慮をしているらしい。噂に聞いたかの魔王との印象があまりに違うだけに、祐理も未だその話を鵜呑みには出来ていないのだが……恵那の様子を見るに、それを疑う意味もなさそうだった。

 

 だがそれ以上に、恵那は軍谷伊織というイレギュラーの側にいる――その事自体に喜んでいるように、祐理の目には映った。

 

 神々を殺めしカンピオーネ。術者として望外の高みに立つ者。王として崇められし男。軍谷伊織はそんな肩書きを持つ存在だと、かつて教わった記憶がある。そんな存在だからこそ、只人には理解し難いものを持つ存在だからこそ、恵那は惹かれているのだろうか?

 

 軍谷伊織の事を語った後に見せた、どこか残念そうな顔。それが妙に気になって、祐理はあんな問いを投げてしまった。帰ってきた答えは実に恵那らしいもので、祐理は少し安心したのだが、しかし、同時に胸騒ぎもした。

 

 恵那の進む先に、何か良からぬ事が起きそうな、そんな気がして――。

 

 祐理は霊視の媛巫女だ。こういう胸騒ぎも、決して無視する事は出来ない。だが、今回ばかりは気のせいであって欲しかった。

 

「………ふう」

 

 友人が、あれだけ嬉しそうな笑顔を見せたのだ。その幸せが幸福であって欲しいと――そう願うのは、そうおこがましい事ではないと自分は思うのだが……果たしてどうなのだろうか?そんな風に自問して、少しだけ祐理はため息を漏らしたのだった。

 

 

 

   ◯  ◯  ◯

 

 

 

【???】

 

 

「……退屈だわ」

 

 ――目を開けるなり、“彼女”は憂鬱そうな顔をしてそう呟いた。

 

 高級ホテルのスイートルームのような内装の個室。その中心にあるソファに腰掛け、しばらく微睡みにふけっていたが、何故か不意に目が覚めてしまった。

 

 すぐ脇にある鏡を見やる。映るのは一人の女の姿。アップにしたショートカットの銀髪、怜悧さを感じさせる切れ長の双眸、白いコートに編み上げブーツ。白銀の乙女と言うべき美貌――まごうことなき自分の姿だ。とはいえその表情はあまりに暗く、せっかくの美しさも霞んでしまっているが。

 

「ああ……なんて退屈なの。骨の芯まで凍りついてしまいそう。こうも長い事何も起きないと、さすがに考えものね……」

 

 柔らかいソファに深々と腰掛け、肘掛に突いた腕に顎をのせて宙を見つめる。そこにあるのは小さいものの煌びやかなシャンデリアであり、躍動感を感じさせる見事な彫刻であり、見るものを引き込むような美しい絵画。しかし、どれも今の“彼女”には色あせて見えた。

 

 彼女は今、これ以上無く退屈しているのだ。

 

「ああ……こんな事なら、ずっと引き留めておけば良かった。彼を見送らずに、私の下にいさせておけば良かった……。そうすれば、こんな憂いを感じる事はなかったでしょうに。惜しい事をしたものね」

 

 この所、そんな事ばかり考えている。ぼやいても詮無き事とはいえ、口にせざるを得なかった。

 

 刺激が欲しい。己の内に、猛り狂う熱情が欲しい。倒すべき敵への激情でも良いが、それ以上に胸を焼き尽くさんばかりの恋情が欲しい。

 

 “彼”の事を思い浮かべるのみでも、熱情(ほのお)は胸の内に灯るが……それは彼女の胸を焦がすのみ(・・・・・)。彼女が欲するのは、あまりの熱に自分そのものを蕩かし、溶解させかねない程の、灼熱にして濃密な熱情(マグマ)である。それは、彼に逢わねば得られないものだ。

 

 逢いに行こうか。一年以上、どこか彼に遠慮する所があって決断出来ずにいたが……そろそろ我慢の限界だ。感情が爆発するのも時間の問題である。

 

 ――少しだけ、感情がそちらに傾いた。その瞬間に合わせるように、ソファの右脇に老人が進み出る。

 

 細身で白髪、眼鏡を掛けた初老の男性だ。黒い執事服を着ている事から、“彼女”の執事であると察せられた。

 

「お嬢様。お伝えしたい事が御座いますれば、少々お時間を頂けますでしょうか?」

 

「どうしたの、イリダル。何か厄介な事でもあった?……もしかするとまつろわぬ神か同族絡みの内容?」

 

 何気なく投げた問いは、老執事を驚嘆させるに充分なものだった。イリダルと呼ばれた彼は、一瞬眉をピクリと動かした後、何事もなかったかのように表情を引き締め、ゆっくりと低頭する。

 

「……さすがお嬢様。御明答で御座います」

 

「あら、当たったの。ただそんな気がした、それだけの事なのだけど……当たる時は当たるものね、私の勘も。――それで、内容は?」

 

「三点程御座います。まず一つ――二ヶ月前から噂されていた例の件……『九人目の王』の件ですが、確証が取れました」

 

 『九人目の王』――その言葉を聞いて、“彼女”は初めて、視線をイリダルにやった。まだ退屈そうな表情は消えていないが、関心はそちらに向いたらしい。

 

「あら……ついに九人目が現れたのね。ペルシアの軍神ウルスラグナを倒した神殺し……確か、草薙護堂といったかしら」

 

「左様で御座います。聞けば一般の出身、武術も魔術も知らぬ身で神殺しを成し遂げた少年との事で」

 

「……ふうん。確か、東欧の侯爵サマもそういった出自だったわね?じゃあちょっと、期待してみてもいいのかしら」

 

 表情の希薄だった“彼女”の顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。しかしそれは一瞬で消え、退屈そうな表情に塗りつぶされてしまったが。

 

「まあ、私はそういうタイプは好みじゃないし、しばらくは放っておきましょう。――じゃあイリダル、次の報告を」

 

「畏まりました」

 

 会釈したイリダルは、今度は右手の指をパチリと鳴らし、数枚のコピー紙を『召喚』した。それに素早く目を通してから、“彼女”のすぐ前のテーブルに置く。

 

「二つ目の報告――こちらの資料は、日本にいる魔術師から送られてきたものです」

 

「あら、そう……」

 

 ほっそりとした腕を伸ばし、テーブル上の資料を手に取ると、“彼女”はそれを流し見る。――が、二枚目の資料にクリップで留められた写真を見て、すぐに視線を止めた。

 

「……イリダル、これは本当なの」

 

「はい、確かです」

 

 “彼女”の顔が、見る見る内に愉悦の色に染まっていく。頬を赤らめさえするそれは恍惚しているようにも見え、狩りの獲物を捉えた猛獣のようにも見えた。

 

「ふふふ、そう、そうなの……やっと見つけたのね、“彼”を」

 

「はい、お嬢様。――一ヶ月前、日本の首都・東京にて軍谷伊織様の姿が確認されました」

 

 イリダルの言葉を以て、“彼女”の興奮は最高潮に達した。

 

「――ッ、あはッ、あはははは!あはははははははははッ!」

 

 衝動に突き動かされるままに、大声で笑う。

 

 つい先程まで退屈に押し潰されていたとは思えない程の熱情が、自分の中でうねっている。今にも爆発せんばかりに滾っている。それが余りに心地良くて、“彼女”は笑い続けた。

 

「この報告ですが、これは噂だけなら二週間前から入っていたものでした。とはいえ確証が取れるまでお伝えする気になれず、しばらくの間私の方で調査をさせておりました。それで正確な情報を得るのに時間を取ってしまい――申し訳御座いません」

 

「いいの、そんな事はどうでもいい!よくやったわイリダル、さすがは私の執事だわ。日本にいる部下にも恩賞を与えなくてはね。――ああ、やっと、やっと見つけたわ!やっと捉えたわ!我が最愛の宿敵を――伊織!」

 

 写真を取り、書類を机に放り捨てる。そして、うっとりした眼差しで写真に写った青年――軍谷伊織を見つめた。

 

「今でも思い出せるわ……貴方との殺し合いの日々を。私の氷を切り裂く剣を、砕く脚を、溶かす焔を……。今度はどんな方法で私を殺しに来るのかしら?ああ……今から楽しみでならないわ」

 

 写真に写った軍谷伊織の顔を指でなぞり、蕩けるような笑みを浮かべる。先程までの彼女などどこにもいない。赤らむ頬、どこかギラつくような輝きを宿す瞳。熱情が彼女の全身に満ち渡る。

 

 ……だが、その表情もすぐに陰りを見せた。もっとも、それは草薙護堂の場合とはだいぶ異なる。

 

「――彼は、ちゃんとやっていけているのかしらね。あれだけの絶望を得て、なおも勝利を得ようとしているのかしらね」

 

「……お嬢様」

 

 発される声のトーンの低さ、そして哀れむような響きに、イリダルが思わずといった様子で声を掛ける。だが“彼女”は首を振ると写真を裏返し、書類の上に重ねた。

 

「……実に喜ばしい情報をありがとう、イリダル。さて、二つ目にこれを持って来たとなると、三つ目が気になるわね。聞かせて頂戴」

 

「畏まりました。……こちらはつい二日前に入った情報です」

 

 表情を改めて引き締め、イリダルは最後の報告を伝える。今度は、そこまで重みを置かずに淡々と、しかし軽々しくは語らない。何故なら、この情報こそ、最後に持ってくる事で最大の効果を発揮するものだからだ。

 

「――二日前、ウィーン国際空港発成田空港行きの便に、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン侯爵が搭乗しているのが確認されました。今頃は日本に到着しているものと思われます」

 

 そして、“彼女”は再び、歓喜に目を輝かせた。

 

「実に良い知らせだわ。新人の王、伊織と来て、あの御老公まであの島国の、それも東京にいるなんて……ふふ、これは楽しくなりそうだわ」

 

 憂いが消える。彼が絶望しているとしても、今聞いた状態で彼がアクションを起こさないはずがない。なら、何も憂う必要はない。

 

 獰猛さすら感じさせる微笑を浮かべ、“彼女”はついに席を立った。一直線に出口に向かい、ドアを開けて廊下に出る。そのすぐ後をイリダルが続いた。

 

「イリダル、私はしばらく"幻視"に入るわ。その間の事はよろしくね」

 

「承知致しました。今日中には準備を済ませておきます」

 

「あら、そう急がなくともいいわよ?まだ戦は始まらない……そんな予感がするから。――とはいえ、伊織と侯爵、二人が近くにいる以上必ず争いは起こる。そしてそこに八人目が乱入すればさらに激しくなる事は間違いないわ。これを放っておく手はないわね」

 

 いずれ来たるだろう闘争を予感して、“彼女”はわずかに身震いする。久々に湧き上がってきた獣の本性に、自然と息が早くなる。今までに感じた戦場での感覚と、これから感じるであろうそれを想像して、舌なめずりをしたくなる。

 

 “彼女”の気が昂ぶる――それに合わせるようにして、彼女の周囲を銀色の粒子が舞い始めた。一瞬の間に、廊下を氷点下の冷気が立ち込める。

 

 目を疑うような光景の中にあって、しかしイリダルは動揺など見せなかった。それどころか、この変容にわずかではあるが笑みをこぼす。彼は知っているのだ。この現象は、己が主が魂から歓喜している証なのだと。

 

 力強く歩みながら、“彼女”は脳裏に伊織の顔を思い浮かべた。一瞬だけ獣の笑みを消し、穏やかなそれを浮かべ――

 

 そして、瞳を銀色に染め(・・・・・・)、凍てつくような笑顔で前を睨んだ。

 

「待ってなさい、伊織……これから逢いに行くわ。だから貴方は、存分に私を楽しませなさい――この私を、リーリス・ボレツカヤをね」




皆様お久しぶりです(涙)、grotakaでございます。
絶賛大学一回生です。忙し過ぎて辛い……

さて今回の話ですが、非常に時系列がわかりにくい状態となっております……これは私の技量不足ですね。何とも恥ずかしい限りですハイ……。
ここで言うとアレなので細かい説明はしませんが、原作で甘粕さんが祐理さんに例の資料を見せる辺りとそれ以前の状況が、この作品と原作とは違っています。原因はもちろん某ウチの主人公さんです。
そして最後にいきなりのオリカンピ、リーリス・ボレツカヤさん登場。彼女のキャラは……まあ詳細は次回以降に(冷汗)。

細かい近況などは活動報告で説明しますが、とりあえず今は大学生活に慣れるのに神経使ってる状態です。更新速度は……いつも通りになりそうです。
それでは次回、あるいは二作目の方でお会いしましょう!

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