梅雨は厚い雲に覆われやすく、さらに夜ともなると空を見るものを暗鬱としてしまう。
第13学区。
小学校や幼稚園が多いこの学区は、日の当たる時間帯は明るい笑顔、快活な声に包まれているが、比較的早い睡眠時間に近づくにつれ、静まり返ってしまう。
美影は、心を暖かくしてくれる子供たちが一人もいない時間帯に歩いていた。
アナログ時計の短針が上半分に入ったばかり。
光源となる街灯を頼りに美影は歩いていた。
「――――――……、」
立ち止まり、ゆっくりと顔を上げる。
視線の先にあるのは光のドットが隠れた大空ではなく、灰色の壁に覆われ要塞にも見える研究所だ。
名義上は、年少の児童に課す超能力開発を如何に安全で確実に行うかを研究する施設。
実際にその社交的研究は進めている。
しかし、本来の目的は、全く異なる非人道的研究。
扉無き壁で二分割された、施設の表の玄関とは反対側。
地下通路を利用しなければ入ることすらできない、裏の実験場。
親に捨てられた子供たちが
今回の美影の『仕事場』だ。
仕事内容は、裏の研究所だけを再生不能になるまで破壊し、生存者の子供たちを
さらに、遮る研究者たちは完全に『消滅』させるという命令だ。
仕事目的は子供たちを保護することだと『電話相手』に伝えられているが、それは『裏』での隠語に過ぎず、その意味は『見合った研究成果が得られないことに対する処罰』である。
実際に教え込まれた言外ではないのだが、光から隠れすぎれば自然と理解してしまう旨だ。
(――――さて、)
美影は研究所の表の玄関へと進む。
もちろん鍵はかけられ、監視カメラは24時間作動するものが採用されている。
しかし美影は、重力を感知することにより光源に照らされていなくても監視カメラの位置を正確に掴み取り、活動域には身を入れない。
重力の感知域を拡大させ、施設全体を視渡す。これにより、施設に入ることなく地下への入り口をとらえた。
そしてそれよりも遥かに高度な演算を行い、自分のすぐ前にワームホールを形成し、進んだ。
空間の洞窟の出口は地下への入り口。
昼に『アイテム』に巻き込まれた研究所と同じように一本道が続いており、その先は左右に分かれている。
薄暗い通路の天井には闇の中でも使用可能な赤外線監視カメラはあるが、ここからは迷わず前進し続ける。
昼と同じく、むしろ潜入を見せつけるように。
◆
男は走っていた。
己を守り、逃げることだけを考えて。
着ている白衣には赤黒い血がかぶっており、汗を流して血眼に走る彼の姿は実に醜い。
血の持ち主は彼ではない。
まして、モルモットとなった子供たちのものではない。
それは、彼の同僚のものだ。
悪夢のようだった。
警備システムに引っかかったニンゲンが、対処の準備に取り掛かる前に監視画面から消え、数秒後には通路から悲鳴が木霊してきたのだ。
その時、悟った。―――ついに来てしまった、と。
繋がりのあるが顔も名前も居場所も分からない格上の何某に、次はないと宣告されたその末路。
手と背は冷や汗でぐっしょりと濡れ、ハイエナに睨まれた小鹿のように命を重視し足で床を蹴りだした。
通路の角を曲がったとき、何かに躓き、大きな音を立てて床に倒れた。衝撃を顔で受けないよう出した両の手はジンジンを痛んだが、足元に転がる
共に過ごした同僚の、上半身と下半身が真っ二つに分かれて転がっていたのだ。
転んだ拍子に白衣が血を吸い込み、涙を浮かべ顔をゆがめながら立ち上がった。
そしてただひたすら走っている。
「―――ハッ、ハッ、ァ、……ックソォ!!」
悔しみと怒りで叫ぶ。
いつも使う通路が焦りにより迷路のように感じた。
どちらが出口に近づける道なのか。今どこを走っているのか。
追い込まれ、苛まれる最中、前方の床に血の池が見えた。
「―――ンッ!!」
ぐるりと回ってし元の場所へ戻ってしまったのかと思ったが、それは錯覚であった。
目の前の死体は、先ほどとは別の人物。
確実に一人ずつ消されていると確信した刹那、目の前の死体が消えた。
「!!」
そして、死体に向けられていた視線が、その傍へと動き、一人の少年の姿を捕えた。
無表情で、無関心にも見えるソレが、同僚を次々と消していったのだ。
「ッ!!」
すぐさま反射的に後ろに逃げようと踏み込んだが、その勢いで倒れこんでしまった。
「!?」
不思議と動かぬ足に目を向けると、そこにあるはずのモノが無い。
足が、消えていたのだ。
鵜呑みにできない光景を再確認するよりも早く、その激痛は信号となって脊髄から脳に大打撃を与える。
「がぁぁぁぁあああああアアアア!!」
のどが切り裂けるほどの悲鳴を上げ、骨格が歪むほど顔を強張らせる。
既に彼以外の研究者はいなくなってしまった今、少年が近づく足音は不思議なほど明瞭に耳へと届いた。
「ヒィィィイッ!!」
情けない声を上げてしまうが少年は微動だにしない。
感情のない人形のように、ゆっくりと男へ手を掲げる。
「頼むから、止―――」
ソレの前では、命乞いすら許されず。
生の証拠をこの世に刻むこともできず。
血一滴、毛一本、皮膚の一欠けらも残さず黒い流動体に呑み込まれた。
「―――……、」
美影は、
命乞いが羽虫の羽音と同価値になってしまった。
光と闇を混同させることは決してない。
―――いつからこうなってしまったのかは、彼も忘れてしまった。
多重人格者と呼ぶほうがふさわしいほどの不可思議に支配される彼は、命令に従うしかなかった。
邪魔者は消えた。
仕事はもう一つ。
場所はここに入る前に視付けた。
「―――……、」
美影の前には重厚な扉がそびえている。
4つもの南京錠で閉ざされたその鉄塊を、ブラックホールで消し去る。
歩きだし、廊下に足音が響いた途端、小さな悲鳴が聞こえた。子供のものだ。
迷わず美影は進み、目的地で立ち止まる。
そこには鉄格子があった。いくつもあるその中には、均等に子供たちが収容されていた。
怯える子供たちは美影の姿を見ない。恐怖で視線を向けられない。研究者と勘違いしているのだ。
「―――もう大丈夫だよ」
穏やかに、優しく。
『表』の声で話しかけた。
子供たちは耳を疑い、振り向いた。そこには、母のように暖かい笑顔を浮かべた少年がいたのだ。
美影は鉄格子を壊し、牢の中へと入る。
僅かに腰を落とし、一番近くにいた小学生ほどの少女の頭を優しくなでた。
「もう、終わりだから」
「―――ぇ……?」
少女は小さく声を漏らし、涙を流しだした。
「……もう、お外に出られるの?」
「うん。そうだよ」
「……ほん、とうに?」
「もう、大丈夫だよ」
恐る恐る尋ねた少女は、この部屋の外をほとんど知らない。
好奇心があふれる年になる前に親に手放されたこの少女は、笑顔の作り方を忘れてしまった。
しかし。
美影に優しく抱きしめられたとき。
冷たい研究所では得られない、『温もり』を、思い出した。
―――いつからだろうか。
―――人の命を奪ったあとでも、笑顔をつくれるようになってしまったのは。
子供たちの感謝の言葉を、彼は受けとめられない。
喜びの涙も、悲鳴のように見えてしまう。
それほどまでに、『裏』にいる間は心が穢れてしまっている。
一日前にここに来れば、あと何人死ぬことがなかったのか。
一週間前にここに来れば、あと何人死ぬことがなかったのか。
目の前で涙を流す子供よりも、研究者の前で血を流した子供のほうが遥かに多く。
今、命を救ったことよりも、今まで命を逃してしまったことが彼の頭の中で叫ばれていた。
◆
警護員がこの研究所に到着するとき、美影は既に第7学区へと戻っていた。
既にあの研究所のことは頭にないと言ってもいい。思い出すカギとなりうる殺害時の手ごたえ、服の汚れ、血の匂いなどは一切残っていない。
明日をどう過ごすか、という呑気なことが頭をよぎる。
今日は土曜日。明日は日曜日。
学生としては貴重な時間であり、無駄にはできない。
一人暮らしの美影は生活に不可欠で今切らしているものを頭の中で捜索し始める。
半分自分の世界に入りつつも歩き続けるのは若干危険なのかもしれない。
しかし、彼の意識を完全に取り戻される事態が引き起った。
「不幸ぉぉぉぉぉおおおおだぁぁぁアアア!!」
(…………え?)
最終下校時刻などとうに過ぎて学生の姿などほとんどない街路に、突如ジェットコースターの搭乗者ばりの絶叫が響き渡った。
音源である後方を振り向いたところ、ツンツン頭の高校生の全力疾走が眺望できる。
近所迷惑を考慮する余裕など丸めて捨ててしまった彼のさらに後方には厳つく目つきが汚い不良どもが7名、親の敵のように追いかけている。
(…………)
この光景をみて前方の走者を悪役と判断する人間はおそらくいない。
いるとすれば後方の走者の仲間ぐらいだろう。美影はそれに含まれないためごく普通の感想を得る。
(……元気だなあ)
ほんの少し手助けしてやろう、という気まぐれに苛まれた美影は後方一帯にかかる重力すべてを感知することで状況を正確に把握し、不良たちに手を掲げ、彼らにかかる重力を手中に治める。
重力の操作においてもっとも単純と呼べるであろう操作、重力の強弱の調節を行った。
走るという行為はカラダの重心を前方にずらすことにより可能になる。そこで、重心にかかる力を強めればどうなるのか。
答えは簡単、転倒する。
「いいぃッ!?」「何――」「がっッ!」
喧嘩慣れしている彼らは勿論走ることも熟練しているため、未曽有のバランス崩壊を訝る。
疾走が全力であったため、対処しきれず野球部も真っ青なヘッドスライディングを決めてしまった。致命傷を避けることは成功したが体が重く、起き上がれない。
先頭走者であった少年は不良がオカシな声を上げたため振り向いたところ、全員がアスファルトにキスをしていたことを不思議に思うのと同時に下半身の疲労が襲ってきたため停止し、膝に手を突き荒い息を吐く。
「大丈夫か?」
鬼ごっこを見ているのも飽きないかもしれないが、困ったときは何とやら。
何とやらした美影は安否を確かめてみる。
「ハァ、ハァ、あ、あなたがたずけてくれたのでしょうか?」
「ん、そうだけど」
一難去った少年は息を整え、腰を真っ直ぐにして美影を見る。
「あ、ありがとうございます。ハハ、不良に絡まれていた女の子と助けようとしてまさかこんなことになるとは……。あ、俺、名前は上条当麻。ヨロシク」
「御坂美影。こっちもよろしくー」
お礼と挨拶のつもりで上条は右手で握手を求めた。
それに美影は迷わず応える。
が、しかし。美影が手を握ったその時。
ガラスが砕けるような音が響いた。
「……え?」
上条が呆気にとられた声をあげた瞬間。
美影は目を細めていた。
「……面白い手だね」
どこか納得したような顔をする美影へかける言葉を上条は見つけられなかった。
彼が持つチカラ、
すなわち、今彼は美影の能力をほどいてしまったのだ。
美影が驚愕しない理由は、この握手が実験であったからだ。
先ほど後方を視渡した際に、上条の右手だけ感知することが不可能であったのだ。美影の能力を通じて感知した光景は、ちょうど上条の右手の形をした空間が真空のようになっていた。
そこで美影が思い出したのは、都市伝説の一つ。『どんな能力も効かない能力者』だ。
火のない所に煙は立たず、未知に溢れるこの街では中途半端な常識で対象を判断しないことを美影は信条としている。そして、火元が目の前に現れた。
美影は今、重力をまったく感知できない。
「あ、いや俺は……」
「ああ、気にしないで。俺が勝手に試したことだから」
「え……? 御坂はこの手のことを知っていたのか……?」
上条は強張らせた顔を戻せない。
それほどまでに美影はこの上条自身でさえ理解不能な手に対して冷静なのだ。
「いや、噂程度だよ。都市伝説とかに興味があったから」と言って、握った右手をポケットに入れ、「とりあえず、夜も遅いし帰ったほうが良いんじゃない? 俺もずっとコイツ等を押さえておくのも難しいから」
実際は上条の右手により不良たちにかかった美影の能力も解かれたため、不良たちがうずくまっている理由は転倒による激痛なのだ。時がたてば自然と鬼ごっこの再スタートとなる。
「ああ、そうだな。改めて言うが、本当にありがとうな。このお返しはいつか必ずするよ」
「そんなに気にすることないよ。んじゃ」
こうして二人は別々に帰路に着いた。
いい人と知り合えたとばかりに上条の表情はにこやかに。面白いものを
いつの間にか雲は流され星々が輝き、淡く街を照らしていた。
表と裏の二度の往復。都市伝説の一つとの会合。週末としてこれほど慌ただしく超現実的な一日を過ごせる高校生はこの街中を探しても両の手の指を全て曲げることはできないだろう。
ぼんやりと。
思考することを放棄し、外部からの衝撃からしか頭のスイッチを入れられない状態で美影は歩み続ける。
石橋をたたき割るほどの用心を描くほどの思考を働かせることもあるが学校での授業は今の状態でいることが多い。
時間が過ぎていくことの楽しみを彼は身に着けている。
そんな不自然なほど不思議と不用心になっている美影に、一つの情報が飛び込んでいた。
(………………あ、満月)
薄気味悪かった空に顔を出した輝く円は、ひと際美しく見えた。
新生活が始まって約二週間。
親のありがたさが身に染みります。
そして地震は怖いと再認識しました。
◆
オリキャラ募集をしつつも今のところ使わせていただいたのはたったの一名。
いえ、嫌がらせではありませんよ?
二次創作でオリキャラをバンバン出していたら分かりにくいと思うので、まず皆さんにこの駄作に慣れていただくための配慮のつもりです。
予定では十人ほどのオリキャラが出てきます。その内数名はモブで一度きりの登場になってしまうと思いますがご了承願います。
今でもオリキャラの名前は募集中です。
かっこよくてもかわいくてもそうじゃなくても大歓迎ですので。はい。