夏休み最終日。
時計の短針がまだ辛うじて左半分にいる頃合いに、一方通行は部屋に差し込む日光の眩しさで目を覚ました。
細く開いた目には毛布に包まれた打ち止めの姿が入り込んだ。
「おおー、人の寝顔って素直なものになるものどすえ~、ってミサカはミサカは似非京都弁を使ってみたり。ていうかもう朝だよ朝朝ー! ってミサカはミサカは小刻みに飛びながら報告してみたり!」
「…………毛布毛布」
鳩時計の如く音と動きで知らせようと先ほどから虎視眈々としていた打ち止めの努力もかなわず、一方通行の寝ぼけた意識では彼女が毛布としか視認できないらしい。
「え? ちょ、ちょっとうわああ!? ってミサカはミサカの宝物の毛布がああ!」
「…………ねむ、」
寝具を手にした学園都市最強は毛布で体をくるんで夢の世界へリターンしていく。
◆
一方通行が二度寝に及んだのとほぼ同時刻。
とある公園、とあるベンチの前に立っているのは御坂美影と爽やかな顔に森厳さを纏わせた青少年。
大勢の上司の前でプレゼンテーションをするような念いで意気込む海原は息を整え思い切る。
「今度から、あなたのことを『お兄さん』と呼んでも構いませんか?」
「失せろ」
心機一転、美影の青少年に対する薄れた興味を補うかのように冷冷たるストレスと嫌厭が上昇していく。
瞼の開きが若干肥大化しても眼球の光は曇り、自重しようとゆっくりと息を吐く美影のことなどニセ海原はいざ知らず。
「ですからお兄さん」
「消えろ」
言葉を続けることも許されず、思いを打ち明けることもできないニセ海原は口を閉じて黙考することほんの数秒、
「あの、お義兄さあああアイアンクローは!! や、やめ止めてくださあああああいッ!!」
顔面を鷲掴みにされ火事場の馬鹿力のような外見を超越した筋力に苦しむ海原は、全身を強張らせながら激痛を命がけで堪えている。
「あのねぇ、俺こと御坂美影くんはさぁ、仏じゃぁないんだから三回も我慢できないんだよなぁ!」
「わ、わわわ分かりました!! お義兄―――」
「さぁーいきんゲーセンで握力測ってねえからちょーっとどんなもんか体験して計測しろやコラ」
「ぐゃがあああああああぁぁあああアアアアアアアアア!!」
爽やかとは対極に位置する悲鳴は公園で遊ぶ子供たちが逃げ出すのには十分すぎた。
あり得ないと信じたいが、この肉体技により本物の海原から借りている容姿の上皮が剥がされてしまいそうな錯覚を誘発するほどだった。
鬼人と化した美影に疲労は狂気により打ち消され、ニセ海原が両手を用いて抵抗をし続けるも、美影の気が晴れるまでは頭蓋に指がめり込んでいく以外で動くことはなかった。
◆
一方通行は外的影響は完全無視で、空腹により目が覚めた。
部屋にかけられた時計も粉砕されたが現在は一四時を超えている。
ふと視線を自分の腹のあたりに向けると薄汚い毛布が乗せられていて、さらに部屋を見渡すと下手なかくれんぼのようにカーテンで身を包ませている打ち止めが涙目で彼を見つめていた。
「なァにしてンだ、テメエは」
「ううう、一方通行がミサカの宝物の毛布を奪ったからこうしているの! ってミサカはミサカはカーテンで涙を拭いてみたり……」
小動物のような彼女に一方通行は毛布を乱雑に投げてベッドから降りた。
もそもそと毛布を装備する打ち止めは腹の音がならないようにと腹を抑える。
「お腹がすいたってミサカはミサカはカロリータンパク質ビタミンなどなどを要求してみたり」
口の減らないこの少女をさっさと研究所に放り込もう、と一方通行は玄関に向かう。序でに自分の空腹もどこかで満たしておこう、と予定を巡らせながら。
「あれ? そっちはキッチンじゃないよってミサカはミサカは正しい方向へ指をさしてみたり」
「なンで俺が料理なンてしねェといけねェんだっつゥの」
その気になれば、彼の能力を駆使して高位の品を作り上げることは可能だが、冷蔵庫は故障中。というかもともと食材なんて溜められていない。
そして所々に破壊の手が及んだこの部屋のコンロは果たして正常に青い火を出してくれるのかはリスク覚悟で挑戦しないと分からない。
何にせよ、待てば欲しいものが出てくる店はとても楽なので、一方通行は利用するに決まっている。
◆
適当に入ったファミレスで、メニュー表を隔てて一方通行の身体的特徴を見て打ち止めは疑問を呈する。
「アナタの髪って天然さん? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
「あン?」
「だからその真っ白な髪ってミサカはミサカは指をさしてみたり。完全に真っ白って他に見たことがないなってミサカはミサカは思い出してみる」
今まで培養器に入れられていたこの少女と触れ合ってきた人々なんてたかが知れている気がするが、
相槌だけで相手をしていてはまた打ち止めは騒ぎ出すに違いない。
それに、
『――――――お前の髪の毛ってなんでそんなに真っ白なの?』
同じ論点における質問を、一方通行は随分前にも聴いた覚えがあった。
この少女と似た顔を持つ、とある少年から。
その時返した言葉を一字一句記憶しているわけではないが、おそらくこんな感じで説明したのだろう、と一方通行は目の前の少女に言う。
「オレにも詳しいことは分っかンねェけどよ。体の『色素』ってなァ紫外線から身を守るためにあるもんだろォが。俺は余計な紫外線は全部『反射』してっから、体が『色素』を必要としてねェってわけだ」
「へぇ~、ってミサカはミサカはハンバーグかエビフライかの究極の二択に挑んでみたり」
会話が成立しているのか成立していないのかすら一方通行は分からず心の内で舌打ちをする。
悩んでいるのか、違和感を感じるのか、首を左右に動かし続ける打ち止めはハンバーグセットに決定し、一方通行は適当にステーキセットを注文した。
それから十分とかからず二人の目の前に料理が届けられた。
打ち止めはフォークだけでハンバーグを切り分け、口に運んでもぐもぐと味わっていく。
「おいしいおいしいってミサカはミサカは食べ進めてみたり」
「こんなモン、冷凍やフリーズドライのオンパレードじゃねェか。科学に頼って長期保存された食いモンのナニがいいんだか」
「それでもおいしいものはおいしいの、ってミサカはミサカはまた一口」
淡泊に相槌をうった一方通行はぼんやりと窓の外を眺めた。
そこにいたのは背を丸めて歩く白衣の男。
一方通行はその人物に見覚えがあった。
「あ? ……アイツ、天井亜雄……?」
席を立ちあがって一方通行は男の全身を視界に収める。
こちらの視線に気づいたその男は電撃が走ったかのように怯えだし、そそくさと駐車してあったスポーツカーに乗り込み、碌に安全確認しないまま公道に出て全速力で逃げるように走り出した。
「どうしたの? ってミサカはミサカは聞いてみたり」
「……あのなァ、」一方通行は席に腰を下ろして「今更聞くのもなンだが、オマエは一体どういう神経してンだ? オレがテメエらにやろうとしたことをまさか忘れてンじゃァねェだろォな?」
疑うようでもなく、確かめるようでもなく、想起と思慮を誘い込むように一方通行は言う。
そして彼自身も、決して消えることない、決して消えてはいけない記憶を思い起こしていた。
学園都市最強の能力者と呼ばれる一方通行を
その内容は、目の前の打ち止めと同じ顔を持ち、同じ御坂美琴の遺伝子から生み出されたクローンである『
「ミサカは他のミサカと精神的にリンクしているし、記憶も共有しているから勿論
「だったらナンで――――」
ならば一方通行がしたことが、いかに打ち止めを心理的に引き離すものかも自覚しているはずだった。
あの実験を悲劇に繋げないために、命を懸けたのはあの少年たった一人。
それは他でもなく―――
「知っているからこそ、あなたを敵と見なすのはお兄様の意志に反することだってミサカは分かっている。ミサカの命を救ってくれたお兄様は、今だってあなたとの仲を壊したくないっていつも願っている、ってミサカはミサカは確信している」
「…………、」
一方通行は半開きになっていた口を閉じた。
この少女が言いたいことは、ずれなく理解している。
だが、一方通行がこの場で聞きたいことはそれではなかった。
結局、この少女が今語ったのはあの少年の意志であり、この少女のモノでも、あの少女達のモノでもない。
一方通行を突き放したいなら、迷わず立ち去る用意はできていた。罵倒を受ける耳も持っていた。異議を唱える口は当の昔に捨てていた。
――――――あの時のように、
「―――――はッ……」
それでも、あの少年は真っ直ぐこちらを見続けていた。
手を差し伸べてくれた。
――――――だからこそ一方通行の『今』がある。
――――――だからこそ一方通行の『過去』を捨てることが出来た。
――――――だからこそ一方通行にも『未来』を望めた。
天井を見上げて息を吐いた一方通行は、彼の髪のように心が真っ白になりつつあった。
考えることから逃げ出したくなり、孤独を望むように意識を己だけに収束させていく。
そして最後に目を閉じようとしたとき、ごとん、という鈍い音が聞こえた。
目を開けたまま首ごと戻したところ、打ち止めがテーブルに突っ伏している。熱された鉄板に顔を置くことは免れたようだが顔とテーブルの間にはフォークが挟まれていた。
「オイ、」
疲れたとか、眠たくなったとか、そういう人間味のある脱力ではなかった。
機械の電池が切れかかっているかのように、生命そのものの危険が垣間見れた。打ち止めの顔は火照ったように赤いが、血流が鈍ったように体中がゆるくなっているようだった。
「あ、あははは。ミサカは体がまだ未熟なままで、まだまだ専用の培養器から出ちゃいけないはずなんだ、ってミサカはミサカはため息をついてみたり」
閉ざされた目はもう開かないようで、地に伸びた腕はもう上がらないようだった。
一方通行は黙ったまま立ち上がり、伝票を掴んで立ち去ろうとする。
それを音で感知した打ち止めは残った力で、
「あれ、……まだ料理がのこっているよ、ってミサカは、ミサカは……」
「食欲無くなっちまったァ」
「……そっか。……でも、ごちそうさま、っていうのもやってみたかったなぁ、ってミサカは……みさか、は……」
短い蝋燭に付いた炎のように、限られた生命を助ける術を一方通行は持っていない。
ただ、たった一言、
「――――――オイ、このガキ見ておけ」
近くを歩いていたウエイトレスに告げ、ファミレスから出た一方通行は後ろを見返すことなく、歩き続けた。
一人、打ち止めを残して。
◆
あの場に一方通行がいてもできることはなかっただろう。
彼は漫画のヒーローのように自分の力だけで大勢の人間を救うことなんてできない。あのたった一人の少女の救助だけでも及ばない。
だから彼は今は歩き続ける。
そもそも、『妹達』をこの世から消し去ろうとした一方通行が、あの少女を助ける『資格』があるのかすら疑問だった。
握った拳は破壊することでしか語れない。
開いた掌は一掃することでしか証明できない。
落ちるはずの命を掬い取る、なんて至妙な真似はできるはずがない。
学園都市最強は、森羅万象をひれ伏せる力であり、背負う力ではない。
それが、一方通行の自己投影であった。
「ンで、なァーンでこンな所に来ちまったンだァ?」
彼が見上げた先にそびえたつのは一つの研究所。
かつて、『妹達』を大量に製造した研究所。ここなら、あの少女を安静にさせる培養器もあるかもしれない。
一人では何もできないとしても、誰かを呼ぶことはできる。
きまり悪いとしても、これしかないのだ。
――――――あの少年に、ほんのわずかなことでも恩返しができるならば、
◇
御坂美影は学園都市に来て、ごく普通の小学校に通っていた。
まだ十歳にも満たない彼は能力開発もされていない。後に『常盤台の超電磁砲』と呼ばれる彼の妹も同じだ。
正真正銘、無能力な彼は新しい学校に転入して、それほど経たないうちに馴染みつつあった。
頭も比較的良かった彼は、クラスメイトに勉強を教えたりもしている。
そして明日、美影も能力開発を行うことになっている。
この街に来たばかりで知り合った学園都市最強である一方通行に少しでも近づければ、と軽い気持ちで願っていた。
この小学校にも能力者はたくさんいて、流石に超能力者はいないものの大能力者は何人かいるらしい。
学園都市について、超能力について、何も知らないに等しい彼は一方通行の苦しみもこの時は身に染みるように感じているわけもなかった。
◇
「ん? 一方通行」
「あン? なンだ御坂か」
帰宅途中、美影は先日と同じ公園で一方通行に出くわした。
美影は自動販売機の前で飲料を購入していた。
本名は聞いたのだが、一方通行が気に食わなかったらしく、美影も能力名で彼を呼ぶことになってしまった。
一種の渾名と捉えればなんてことないと思った美影がそれを受け入れるのに苦労することもない。
「散歩でもしているの?」
「そンなところだ。訳の分かンねェ実験の休み時間だってよ」
「へえ~、なんか凄そうだね」
素直に美影は感心した。
別世界の住人のような一方通行がちょっと羨ましくなった。
「そういうテメエはなァに飲ンでンだ?」
「ああ、これ?」
美影は今さっき購入した缶を一方通行にも見やすいように傾ける。
そこには『Black Coffee』と書かれた黒を基調としたラベルが貼られていた。
「なんかこの街にきてから無性にコーヒーが飲みたくなったんだよね。あ、一方通行も飲んでみる?」
そう誘われた一方通行は自動販売機に小銭を入れ、ボタンを押して同じものを購入した。
プルタブを開け、口に付けずにちょっと傾けると、一方通行とは真逆の色の液体を開いた穴から覗くことが出来た。
そして、それを一方通行は口に含んだ。
「…………にげェ、」
口に合わなかったらしく、舌を出して口を横に広げている。
「一方通行はまだまだ子供だってことだな」
「ンなモンが飲めるかどうかで大人を語るテメエの方が子供だろ」
「何言ってんだよ。同い年だろ?」
「オマエがなァに言ってンだよ。俺を子ども扱いしやがって」
ふと、一方通行は思う。
邪気もなく会話をしたことなんて何時ぶりだっただろうか、と。
目の前の少年はまだ何の能力も持っていない、何の能力がどれだけ秘められているのかすら誰も分からない、正しく無邪気な少年だ。
一方通行にとって、手にある缶のように、投げ飛ばし傷つけるのはたやすい。
「……前も行ったかもしンねェが、何でテメエは俺に近づいてンだ? 他の奴らは俺を見るだけで逃げ出すンだが」
「……友達だから?」
間を開けてからの疑問形なのは質問の意味がつかみ切れていないからか。
美影は一方通行に好奇心は抱いても警戒心なんて空の彼方へ飛ばしている。
「早い内に俺の前からいなくなンねェと、オマエも
一方通行は顎でその方角を示す。
そこには白い壁が広がる、大きな病院がある。
彼に関わった者たちは粗方そこへ送られ治療を受ける。まだ出てこれない者も大勢いることに一方通行は疑いを持たない。
ほんの少しでも知り合った同年代の者には傷ついてほしくなかった。
厄難を生み出すくらいなら一方通行は喜んで接触を拒絶し、拒絶されるつもりだった。
「例えそうなったとしても、俺はお前を恨んだりしないよ」
「ナンでだ?」
「友達だから」
今度は迷うことなく断言した。
曇りない眼で一方通行と正面から向かい合う子供は、恐らくこの少年だけだろう。
否、大人こそ一方通行の脅威を理解しているためもしかしたら目線を合わせる人間なんて他にはいないかもしれない。
「…………チッ、」
一方通行は舌を打つ。
否定するのも飽きた、というように。
まだ缶に残っている苦い液体を口に含んで意地でも誤魔化す。
誤魔化す相手がこの少年なのか、それとも自分自身なのかは一方通行も分からない。
◇
「では、ここに横になってくれ」
美影はとある研究所に来ていた。
ついに彼の能力開発が行われるのだ。
彼の期待は膨らむが、つい先ほど学園都市の能力者の割合を大まかに聞かされたため、大きすぎる望みは後々自分を苦しめるかもしれない。
興奮していても、秘められた力が微小なもので自分を落胆させてしまうよりも、あらかじめどんな結論でも受け入れるだけの器量を持ち心を落ち着かせていたほうがいいのかもしれない。
指定された位置に横になった美影は天井の染みでも数えようか、と見上げているとすぐに彼に電極が接続された。
先ほどは注射で何らかの薬を血管に流されたり、また苦い飲み薬を飲まされるなど関連性が見えない前菜がいくつもあった。
研究者と思われる白衣の大人たちに尋ねたところで返ってくる専門用語は到底理解できないものであろうから美影は為されるがままに身を任せていた。
そして、
「少々痛みがあるかもしれないが、我慢してくれ」
一人の初老の研究者が忠告してきた。
直後。
「――――――ッッ!?」
美影の全身に激痛が走った。
少々なんてものではない。全身に廻る血液が沸騰したように熱く、全身の骨が砕けるように鋭く、全身の筋肉が千切れるかのように荒々しい。
悲鳴を上げようとしても、肺の空気が驚きで吐き出されたようで口からは何も出てこない。
拒絶しようにも指一本にも自由は無い。
その痛みは彼から時間の概念を奪い、どちらが上でどちらが下なのかすらも憶えさせない。
彼の光景は過去見たことが無いらしく、研究者たちも慌てだした。
部屋の壁際にあるモニターにはいくつもの荒々しい波が走り、また無数の数字やアルファベットが更新されていく。
そして美影の全身に響く激痛が次第に退いて行ったとき、
「これは…………!?」
初老の研究者は目を全開し、口を閉じれないほど吃驚する。
――――――御坂美影に目覚めた、その結果とは
ニセ海原のせいでシリアス指数が30ほどダウン。
でも間に挟んでしまったのはすいません。衝動書きです。
いずれどこかで言わせようとしましたが、感想で、SAKULOVEさんにも勧められたので。
あ、序でに言っておきますけど要望全てに対応できるほどの構成力はないので。
面白そうだったらやるかもしれませんが。
何にせよ、感想等は歓迎です。