空には宝石のような星々が散りばめられていた。
雲一つなく、微小だが、無限にある輝きを遮るものはない。
それらの中でも異彩を放つ一等星。形を永遠と保つ星座。どこまでも続いていく乳白色の銀河系。
見る者の心と、時の感覚を忘れさせるであろう美観。
その下に、一組の男女がいた。
彼等のために用意されたと言ってもいいほど、二人は歓喜に満ち溢れた好一対であった。
しかし、二人は天を覆う幻想には見向きもしない。互いに、星の煌めきすらも足元にも及ばないと思わせるような、相手の瞳から目を離せないでいた。
「―――美影さん……」
不意に少女は相手の名を呼ぶ。
彼女は絹のように滑らかな金の髪を風に揺らせ、詠歎とした笑顔で彼を見つめ続ける。
「―――操祈……」
少年も名を呼び、応える。
彼は、少女の腰に左手を回し、抱き寄せ、右手で肩を抑えて距離をゼロへと変える。
少女は抵抗することなく、瞼を閉じて彼の胸の中で愉悦に浸る。
少年も、目を閉じた。
何秒経ったのか、または何分経ったのか。
心を融け合わせている彼らに、時という概念はなんの意味も持たない。あるとすれば、彼らはこの瞬間を永遠に感じていたいという願いのみだ。
そして二人の間に僅かな距離を創る。
再び、その瞳を見つめあい、少年は少女の顔に手を添えた。
二人の背には差があった。
少女は背伸びをし、少年は少女を覆うように背を丸めた。
徐々に徐々に顔が近づく。
二人は目をつぶり、相手の体温で距離を測り、心を整えてその刹那を待ちわび、
そして――――――
<ピピピピピピピピピピピ>
「……………………」
無機質な機械音が部屋に響いた。
少女は目を開けた。
彼女の瞳には、カーテンの隙間から差し込む陽のような明るみは皆無であり、生命力と呼べるものは感じ取れない。
「ふぅ、……」
寝起きではあるのに過去に例のないほど目は冴えており、頭の回転も正常と呼べよう。
数をこなすごとに高音になる目覚まし時計の頭のてっぺんを無駄のない力で押し、黙らせる。
そして、
「なんで!? なんでなんでぇ!! もう少しだったのにぃ!! もう少しでいけたのにどうしてこんなところで終わってしまうのよぉおおおお!!」
ここは常盤台中学の女子寮。
学園都市が誇る、超能力者の一人、食蜂操祈は、持ちうる脚力をフルに生かして地団駄を踏み、ぶつける相手が不明な憤りを発散させていた。
「じょ、女王!? どうなされたんですか!?」
「あ、いえ! なんでもないわよぉ?」
部屋の扉の向こうから自身の派閥の一員の懸念の声が聞こえてきたため、我を取り戻して気を静めることに努力する。
今は夏休み。
付け加えるなら八月三十一日、夏休みの最終日。
長期休暇中でも朝の生活リズムは崩させない学校であるため、身だしなみを整えるべく鏡を見る。
「…………」
自分では結構イケてると思っていても、この姿は彼の心をつかめないのか、と消極的な思いが浮かんでしまう。
先日の盛夏祭で彼と遭遇し、少ない時間だが行動を共にした。
しかし手ごたえはなかった。
能力を使ってはいないが、彼の意識のどこかに自分の能力を恐れているかのような警戒が見て取れた。
『頭ん中を見られたくないから』
彼は確かにそう云った。
初めてこの力を不便だと感じた。
他人の好意を自由に操作できるこの力が、彼の中に『壁』を作ってしまった。
能力なしで彼の心を掴んでみようと意気込んだが、もしかしたら永久に不可能なのかもしれない。
「…………、」
それでも、彼を自分に夢中させるためにも、暗い気持ちをぬぐい捨てようとする。
◆
「……………………」
今世紀稀にみる凄い夢を見た。
それが御坂美影の夏休み最終日の最初めの感想である。
一日中エアコンが稼働している寝室の中、カラダは起こしたが瞼の間にはミクロン単位での隙間もなく、瞼を閉じる力は五百円玉を挟んで固定できそうである。
今は朝の八時。
彼にとってはまだ睡眠に適した時間帯であり、気分的にも二度寝への突入は五分とかからないであろう。
しかし、ここでまた別世界へと意識を飛ばし、先ほどの続きを体感してしまうのは少々恐れ多く感じてしまったため、仕方なくベッドから降りる。
その時、携帯のバイブが作動した。
着信音量は年中無休でゼロに設定しているため、聞こえる音は携帯がベッドの傍に置いてある小テーブルを小刻みに叩く音だけだ。
「……?」
左目だけミリ単位で開け、携帯を手に取る。
画面を見たところ、そこには『土御門元春』と映し出されていた。
手に取り細く開けた左目も閉じて通話のボタンを押す。
「…………あい、」
歯切れ悪い声で出る。
『やーカゲやん、おはようだにゃー!』
耳触りと毛嫌いするほどではないが、物憂げに陽気な声で頭を次第に起こすことになった。
◆
先述のとおり、常盤台中学の女子寮では夏休み中でも朝のリズムは一定であり異端は許されない。
常盤台が誇る、もう一人の超能力者、御坂美琴は朝食を摂っていた。
優雅に紅茶をすすり、夏休み最終日の予定を立てている。
「御坂御坂ー。相変わらずヒマそうだなー」
後ろから声をかけてきたのはメイド服姿の土御門舞夏だ。
「まあね。一応アンタはメイドさん見習いなんだからタメ口はマズイっしょ」
表向きは尤もなことを言っているが彼女自身言葉遣いに気を配ることなんてほとんどない。高校生ほどの年の差なら迷わずタメ口だ。
「もしコンビニに行くなら漫画を買ってきてほしい。十八禁ではないものの、妙に艶めかしいやつ」
立ち上がってどこかへ立ち去ろうとする美琴に、土御門はもはやメイドという主従関係的なものは一切排除して要求した。
注文された美琴は、眉を逆への字に曲げる。
「アンタって、ボーイズラブとか好きなんだっけ?」
土御門は迷うことなく恥じらうことなく笑顔ではっきりと言い切る。
「私はあれだよあれ。兄と妹でドロドロになるやつが好きー」
「ハイハイ」
適当に返事をして美琴は食堂から出る。
朝のリズムは定められてもその後のルーティンは個人の自由であり、風紀委員でもない美琴は門限時間までは丸一日好き勝手出来るのだ。
寮の出口へと向かう途中、美琴は土御門の趣味について一人考えていた。
(兄と妹でドロドロって……ナニがいいのかしら……)
自分も兄を持ってはいるが、彼女の趣味は理解出来ない、と呆れるように彼女の趣味を評価する。
確かに、学園都市に来る前などは自分も兄のことは自他ともに認めるほど好いてはいて、どこに行くときでも一緒にいるのが何よりも安心することが出来て嬉しく――――
(…………て、私は一体何を考えているのやら……)
想起するのにブレーキをかけたところで丁度寮から出る。
最寄りのコンビニに行くのか、それともちょっと時間がかかるところまで行くかそれとも商品不足の少ない本屋に行くのか、と計画を立てつつ、
(そもそも、今はアイツのことは兄というよりはむしろ―――)
横断歩道に差し掛かった時、またもや美琴の頭には美影の姿が浮かんだが、それは矢庭に横槍を入れられることで中止された。
「おや、御坂さんではありませんか」
「(ゲッ!!)」
その衝動を表に出たか隠せたかは定かではないが、出来る限りポーカーフェイスを貫いたつもりだった。
爽やかに声をかけ、清潔感のある服装で姿を現した男の名は、海原光貴。
常盤台中学の理事長の実の孫にあたる、学園都市において社会的にはかなりの勝ち組に位置する青少年だ。
「これからどちらへ? 宜しければ、自分もご一緒してもよろしいですか?」
貴公子のような笑みを崩さずに美琴に近寄り、もう二、三歩進む前に足を固定してもいいんじゃないかという塩梅で立ち止まった。
「あれ、もしかして気分でも優れませんか?」
美琴の毛嫌いの気持ちがちょっとばかり顔に出てしまったのか、それを彼は体調不良と捉えた。
本気で心配そうに言葉を選んでいるところが美琴の衝動をさらに制限させている。
「あ、あー。いや、そんなことは、ないわよ?」
「そうですか、それは何より」
女子なら頬を染めてお近づきを願いたくなるような笑顔を絶やさない彼を美琴が避けたいと思っている理由は他にもあった。
(コイツ、……ここ一週間は毎日毎日……)
いつもはすれ違うたびに軽く声をかける程度だったのだが、最近はかなり親密になろうと努力しているのか、店へ施設へと誘ってアプローチをかけるほどになってしまっている。
「もしよければ、近所においしい魚料理を出す店があるのですが」
(朝食の直後に食事に誘うんかい)
と、不満を正直にいえないほど彼は誠実である。
兄や某ウニ頭の少年のように能力でどうこう相手できない、まさに彼女が一番相手しづらいタイプに属しているのだ。
そこで美琴は閃いた。
「あー、えーと、誘ってくれるのは嬉しいんだけど、私にも用事があるというか」
「ご一緒しますよ」
それでも彼はペースを崩さない。
「ぁ……、そう! デパートの下着売り場まで出かけようかと。ほら、男の人には辛い場所でしょ?」
「ご一緒しますよ」
声の音程も変わらず。
善意、誠実さ、思いやり等で錬成された彼の笑顔や心遣いはそう易々とは崩れない。
(え、ええ~~~……)
手札はすべて出し尽くした、といった具合に積み重ねる戦略はもうない。
ならばどうするか。
答えは簡単、カードを拾うしかない。出来れば早く、効果持続がなるべく長いやつを。
(こ、こうなったら、適当な奴を捕まえて、「ごめ~ん、待ったぁ?」とか言って用事を作るしかない!)
と視覚だけではなく、学園都市最強の電撃使いとして常時出している電磁波センサーをフルに稼働させて通行人を探し出す。
今の彼女には、三百六十度、死角は存在しえない。
しかし、穴があるとすればその考えそのものであった。
今は八月三十一日。夏休み最終日。
飛び切り優秀な彼女には当てはまらないが、大抵の学生は自宅で残りに残った夏休みの宿題という長期休暇最大の関門の突破を達成させなければならない一日なのだ。
(う、うわぁ~~、万時休すなの!?)
厳かに前に組んでいる彼女の両手は、心のうちでは頭を掻き毟っている。
横断歩道が通行可能になればそこでタイムアウト。進みだせば待ち合わせっぽくは見えない。
諦めかけたその時、彼女が立ち尽くしている通路の先から、天使が舞い降りた。
◆
「だからにゃー、カゲやん。この世において最強なのはロリであり、男において最も身近な年下女子は妹。つまり妹こそ至高のジャンル、それはもう芸術の域だぜい」
この三段論法もどきに基づいてお気楽口調で熱弁しているのは、土御門の兄の方である土御門元春。
「あのなー、土御門。妹に憧れる奴の前提条件は妹がいないことであって、妹がいる俺にとっては妹は妹にしか成んねーよ」
一言でも賛成を含有した瞬間に社会的に危なくなってしまうことを意識しつつ彼と対峙しているのは御坂の兄の方である御坂美影。
「そうかそうか。何でカゲやんに魅力が解ってもらえねーのかと不思議だったんだが、カゲやんの『イモウト』には『義』という偉大な一文字が付いていないからにゃー」
「その一文字、大して万能じゃねえだろ。ちょっとは義妹離れしねーと女も寄ってこねーぞ」
「はっ! 俺には舞夏がいるだけで充分潤っているんだぜい。カゲやんだって今フリーなんだろ? 俺らは大して変わんないにゃー!」
「俺だってちょっと昔は……」
美影は何かを言いかけた時、先日の盛夏祭でのとあることを思い出した。
「そういやこの前、お前の義妹に『お兄ちゃん』って呼ばれたぞ」
「なん、……だとぉ……!? この俺以外をそう呼ぶなんて……!?」
驚愕のあまり土御門は足を止め、立ち尽くしてしまった。その目は信じられない、と疑惑により構成されている。
「ていうかお前、あの子には『兄貴』って呼ばれているんじゃないのか?」
「い、いや……確かにそう呼ばれてはいるが……しかし、だが……いや……まさか!?」
謎思考に我を奪われ目を閉じ頭を抱え混乱期に突入し、美影はどう対処したら帰りの切符を手に入れさせられるのかと顔を引き攣らせているところから数十メートル。
御坂美琴はこの夏休みにおいて、これほど兄の存在を頼もしく感じたことはないだろう。
(あれは……! 夏休みなのにこんな朝早くに……。まさか私の思いが届いて!?)
科学の街の頂点の一人である彼女は、少々ファンタジー的な要素に感謝している。
兎にも角にも、これを利用しない手は彼女は持ち合わせていない。
あれは兄。自分は妹。待ち合わせていても何ら違和感はない。
そして普段は悩ましく感じるほど良い彼の勘は、今回のアドリブにも当意即妙に生かしてくれるに違いない、と疑いもなく美琴は確信した。
「そういや何で俺を呼び出したんだ? まさかこんな話をするためじゃあないだろうな?」
「こんな話とは失礼だにゃー。俺にとってはこの上なく重要事項だぜい?」
隣にいる謎の金髪男と話している内容は聞こえはしないが今はまるっきり関係ない。
着々と近づいている彼に助けを求めるのはたったのワンチャンス。美琴はタイミングを見計らい、
「ごめ~ん、待ったぁ~?」
普段向けることのない笑顔とかけることのないよい子を気取ったような甘い声。
手をあげながら何としても気づいてもらおうと御坂美琴はチャレンジする。
しかし、
「まあ、これは後々話すとして、ちょっとカゲやんに報告しておかないといけない事があるんだが」
「何を?」
「実はな、」
「…………、」
意図的にさけているようには見えない。
しかし、このままではエア待ち合わせをしている痛い少女にしか見えない。
そこでとった彼女の行動とは、
「―――待ったー? って言ってんでしょうが無視すんなコラーっ!!」
美影の腰辺りに全速力でタックルをかまそうと全体重をかけて飛び込もうとした。
既に彼女の横を通り過ぎた美影はこのままでは背で受けとめることになるはずだが、流石に見覚えのないことでも街中で叫ばれては振り向いてしまうため、彼は正面で受けとめることになった。
しかし、美影といえど、飛び込んだのが比較的軽い女子中学生といえど、全体重をかけた一撃は甚大であり、彼は後ろに倒れ、勢いを殺す過程がスライディングとなってしまった。
「…………おい」
咄嗟に腹筋に力をいれたから大きなダメージは免れた。
彼のこの声は無言の圧力というよりは放心によって穏やかなものとなっている。
「(ゴメンお願いだから話を合わせて!!)」
「は?」
訳が分からずも状況を確認をするため美琴から視点をあげ、漂わせる。
「な!? か、カゲやんもやっぱり……!?」
この意味不明な暴走思考をしているシスコン軍曹は完全に無視無視。
美琴といたであろう少年を見ようとするが、唐突に道路とは逆に位置する常盤台就学の女子寮の窓が一斉に開けられる。
「あ、あれは御坂様のお兄様!」「またお目にかかれるなんてっ」「あらぁ! 御兄妹で中がいいことですわぁ!」「お、お兄様ッ!? 羨まし――!!」
みるみる美琴の顔が赤く染まっていき、美影を掴む手の握力が上昇していく。
そして窓の一つにいる、寮の責任者と思える眼鏡をかけた大人の女性が美琴に壮絶な言葉を叩き込む。
「ほう、あれが今寮内で話題の御坂の兄か。……面白い、夏休み最後に羽目を外さない程度に兄と戯れるといいぞ御坂」
可笑しな誤解をされているのかも判断できない美影は、美琴と先ほどからいたのであろう爽やかな青少年の顔を見た。
(……あれ、コイツ……?)
何か美影が言葉を発するよりも早く、
「あ、ははははっはは――っ! うわ――――ん!!」
やけくそ気味に笑いながら血が頭に回りすぎてオーバーヒートしそうな妹に手を握られ、そのままものすごいスピードで引っ張られて走り出された。
常盤台女子寮の前に残されてしまった海原に、同じく残された土御門は言う。
「相変わらずみたいだにゃー、海原」
◆
小一時間ほど通行の少ない街中を走らされた後、とある木陰で涼をとる美影は、前方で両手で抱えた頭をブンブン振り回している妹に声をかける。
「なあ、美琴」
どこから声をかけようかと迷いに迷って出た言葉は、
「…………何て言って欲しい?」
全てをゆだねる質問だった。
「うるさい、黙って! ちょっと黙って! お願いだから気持ちの整理をさせて!!」
ちょっと黙ることにした美影は今いる場所がどこに位置するのか見当つけるため、辺りを見回す。
四方を高いビルに囲まれ、一つだけ背の低い量のような建物がある。
興奮した肉食動物のように音をたてて大きく深呼吸をした美琴はどうやら落ち着いたらしい。
「ふー、ごめん、ちょっと取り乱したわ」
「ちょっとじゃねーよ」
「色々説明するからどっか座れるところに行きましょう。アンタ、朝ごはんは食べたの?」
「ここ二、三年ほど朝食を摂ったことがない」
「相変わらずな生活ぶりね……。なら適当にホットドックでも買いましょ」
◆
「…………、」
「何よ、食べないの?」
美琴の言う通りにホットドックを購入した二人は。とある公園のベンチに腰を下ろした。
一個二〇〇〇円。
それが彼らが手に持つ軽食のお値段だ。
そのお値段を美影が払わされたことが気に食わないのではなく、見た感じ遊園地などで売られているものとの違いが見つからないからである。
催促されて一口齧ったが材料をケチっていないだけで値段ほどの価値が見いだせない。
「で、どうすんのよ」
「何が?」
「海原光貴のことよ!」
「んー……、そうだねぇ……」
聞いたことを要約すれば、ストーカーを何とかして欲しいということである。
「んなこと言われてもねぇ、電撃の一つでも浴びせればいいんじゃないの?」
「あっちは
その限定はおかしい、と反論したかったが裏目に出て電撃を浴びせられるかもしれないと美影はホットドックを齧る。
やはり悪くはない味だが、別段旨い領域には達していない気がする。
「まあとりあえず、鼻についているマスタードは拭いておけよ?」
「え?」
思わぬ指摘に美琴はホットドックをベンチに置き、後ろを向いて手でふき取ろうとするが、
「ッ!! ~~~~!!」
鼻の粘膜にでも付着してしまったのだろうか、下手に触れず手足をじたばたさせているため、美影もホットドックを置き、ポケットティッシュを取り出し一枚掴む。
「……はいチーンして」
「鼻水じゃないっていうか子ども扱いすんな!!」
そのティッシュをぶん捕り処置をとり、ティッシュを丸めてポケットにしまい、ホットドックを手に取ろうとしたがその手は固まってしまった。
その手の先には、同じ量だけ齧られ、似たような形で残り、包装紙が似たような分だけ捲られた二つのホットドックだった。
「アンタ、どっち食べたか覚えている?」
残りのポケットティッシュをしまった美影はその二つを見る。
「え? あー、こっちじゃない?」
美影から見て左側に手を伸ばしたが、美琴がその腕を素早くつかみ、行動を制限させた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。よく確かめさせて」
二つ手にとり食べ口を凝視する美琴だが、細かい差には気づいてもそれがどちらに当てはまるのかは見当がつかない。
面倒くさそうにに美影は腕時計をみる。
「分かったかー?」
「…………」
「ワカッタカー?」
「ああ、もう! じゃあこっちがアンタのでこっちが私の!」
美琴は片方を怒ったように大口で齧り、顔に押し付ける勢いで前に出された一つを受け取った美影は、それをよく見る。そして気づいた。
「美琴、………………………………逆だ」
「ブフッ!? な、なななに気づいていたのに黙っていたの!?」
まだ呑み込み切れていないものを吹き出しそうになるが、何とか堪えて美琴は反論する。
「マスタードに変に角が出来ているのがお前の。因みに今気づいた」
ホイップクリームの出来具合の判断材料のような形を見つけて軽い推理をして美影は気にすることなく齧る。
やはり味に対して値段が高いな、と思うが購入してしまったあとでは仕方がない。
美琴はなぜか顔を赤くして今度は小動物のように小さく齧っていく。
「そういうやり取りは彼氏とやれ」
「う、うるさいわよ! 彼女もいないアンタに言われたくもないわ!」
「俺の女関係についてなーんにも知らないくせに~」
「ッ~~~! ちょっと飲み物買ってくる!!」
「なら俺のも頼む。あ、お小遣いあげようか?」
「こ、子ども扱いすんなぁ!!」
捨て台詞のようにそう言ってダッシュでこの場から離脱した。
微笑ましくホットドックの残りを食べきり、ボーっと公園で遊んでいる子供たちを眺める。
暑い中よく元気でいられる、と敬意のような感情を抱く美影は老人のようだがまだまだ彼はピチピチで需要の多い男子高校生だ。
また時計を見て現在時刻を確かめたとき、不意に背後から声をかけられた。
「すいません」
「ん?」
振り向いたところ、そこにいたのは先ほどまで美琴とした海原光貴だった。
「始めまして。もしかして、アナタは御坂さんのお兄さんですか?」
「ああ、そうだが」
「申し遅れました、自分は海原光貴と申します。……隣、よろしいでしょうか?」
若いのに礼儀正しいなあ、と老人のような思考回路を持つが美影はまだまだ運動能力も衰えていない男子高校生だ。
先ほどまで美琴がいた席に座り、紳士的な笑顔を美影に向ける。
それに対して、美影は、
「美琴になんの用なんだ? ここ一週間付きまとっているらしいが」
早くも本題に入った美影の目はまだ元気に遊んでいる子供たちの方に向いている。
「ああ、すいません。彼女を意識しているあまり、少々迷惑をかけてしまったようですね。心から、謝罪します」
「好きなのか? アイツのこと」
「ええ、勿論」
一分一厘の迷いもない即答だった。
そこで初めて美影は海原の目を正面から見る。
「なら回りくどいことなんてしないで正面から言ったらどうなんだ?」
「それが出来れば苦労はしません。ですが、恥ずかしいことに怖いんですよ」
「美琴の口から『否』という答えを聞くことがか」
「ええ」
小さく返事をした海原はどこか悲しそうである。
美影は次の言葉を選んでいるうちに、横合いから足音が聞こえた。そちらに顔を向けてみるとペットボトルを二本持った美琴が、驚いたようにこちらを見ていた。
「ちょ、っと……アンタ……」
「あ、買ってきてくれた?」
言葉を詰まらせた美琴はとりあえずジュースを一本美影に渡した。
文句を幾つか言おうをしたが、それよりも早く美影は美琴に告げる。
「ちょっと美琴、お兄ちゃんこの人と話の途中だからどこかにいっておいで」
「え? えぇ……わかったわ」
兄なりに考えが浮かんだのであろう、と美琴は再びその場から離れていった。
美影と海原の二人は美琴が見えなくなるまで見送り、美影は受け取ったジュースを見る。
それはコーラであった。
「…………、」
ここでそれを開けないのは、美影はコーラが飲めないからである。
口に含む以前に、匂いから体が拒否反応を示してしまうためである。今となっては美琴は少々感謝の気持ちを抱いているのかもしれないが、この飲料の選択は明らかに嫌がらせであった。
「よろしかったのですか?」
「ん? ああ、いいんだよ別に」
一拍おき、美影はまた海原を見て、
「ところでさぁ、」
話題を一時的に変えようとする。
「
ハトが豆鉄砲を喰らったかのように海原は目を点にする。
「はい? ですから自分は海原―――」
「海原光貴は昨日、何者かに腕の皮膚をはがされて手足を縛られて監禁されていた。俺が助けるよう命令されたからな。因みに精神系の能力者によってその記憶は消されたから安心しろ」
昨晩、美影は風紀委員になる前のように再び殺し以外の特例の事件を依頼され、これを引き受けた。
美影はそれを要約して説明したところ、海原は今までの爽やかなオーラを消し去り、視線を美影から外して前を向き、鋭い目つきへと変えた。狂喜にも似た笑みが助長して、『海原』の不気味さが増していく。
「ハハハッ、残念ですよ。もう少しアナタに探りを入れようとしたんですが、前もって気づかれていたのでは真実を語ってくれそうもない」
「何で俺に探りを入れる?」
「上の者が調査した結果、アナタはレベル5全員と接点がある。それも悪い形ではない。危険人物と断定するのは至極当然と思いませんか?」
「俺がほかの六人の力を利用するとでも? バカバカしい。魔術側はそんなことに人員を割くのか?」
ここまで深く話しても互いに手は出さず、冷戦状態だ。
人目もある公園での目立つ行為が御法度であると暗黙に理解しあっているからなのだろうか。
「私が魔術師ということも知っているのですか?」
「俺にもそれなりの情報網はあるさ」
「なら改めて自己紹介しましょう」
海原は腰を上げ、美影の正面に立つ。
「この度、『グループ』に所属することになった、名をエツァリと言います」
「……土御門が俺に報告しようとしてたのはお前のことか」
「はい。先ほど彼とも話をしましたが、私から直接言うことにしました。あと先ほど言ったことは訂正します。自分は単に御坂さんの兄であったからこそアナタに近づいただけで、上の者からは何も言われていません」
「そっか。なら俺がお前に言いたいことは一つ」
美影は腰を上げ、海原はその邪魔にならないよう一歩後ろに下がる。
「美琴には近づくな。アイツの恋愛関係について関与する気はないが、魔術師とか暗部とかになったら話は別だ」
海原は小さくため息をし、また爽やかな笑みに戻った。
「……仕方ないですね。万が一アナタと敵対したら私の力では到底太刀打ちできませんから、大人しく引き下がりますよ」
「そう、」
話は終わった、とベンチに置いてあったコーラを美影は手に取る。
「折角だから、これやる。俺は飲めないから」
「そうですか。なら、正直にいただきますよ。あともう一つよろしいでしょうか?」
「何?」
ニセ海原は唾を飲み込み喉を整え、揺らぎのない意志を保持して正面から真剣な眼差しを向け、心身ともに意気込む。
「今度から、あなたのことを『お兄さん』と呼んでも構いませんか?」
「失せろ」
ニセ海原はとあるの二次創作においては完全にネタキャラとして定着している気がするのは私だけでしょうか?