今回の話は、少しだけ前向きになれた澪と、自分の気持ちに悩み始める一夏を中心に描きました。
あとあれです。ちゃんと兄貴している弾と、ちょっとお姉さんな鈴が書きたかったんだ……
といっても、まだまだ力不足ですが(汗
因みに、これでも描写を結構削っています。もっと詳しく書こうとも思ったのですが、内容がくどくなりそうだったので、とりあえずこの形に落ち着けることにしました。
感想、指摘等お待ちしております。
※ネタバレ要素がありますのでご注意を
次回はこれまであまりスポットが当たっていなかったキャラを登場させる予定。
詳しくは伏せますが、某世界最強の姉と、某天才ウサギさんの二人です。
◆
澪に「今後弁当は作らない」と言われてから既に一ヵ月ほど経過している。
あの日、澪は体調を崩し早退。大事を取り翌日も休みを取るということを、弾から伝えられた。当然心配した俺は見舞いにいこうとしたのだが、鈴、シホ、メグの三人から頑として止められた。
『今一夏が会いにいくのはあまり良くない』。遠回しにそう言われた俺は、頭をガツンと殴られるような思いだった。
その後、澪は無事に回復。普段通りに登校してきた。が、俺との距離感だけが、どこか不自然なものへと変わっていた。一応必要最低限の会話こそするものの、登下校は別々になり、ギクシャクとした関係が今日(こんにち)まで続いている。
どうにかしたい。けれど、澪があの時今まで見せたこともない、どこか焦るような、不安を感じた様な表情が、俺を躊躇わせる。そんな状態をズルズルと引き摺り、けれど解決策の浮かばなかった俺は、いつもの様に剣道部の朝練に参加していた。しかし、当然と言うべきか。俺は練習に集中することが出来なかった。
「おい織斑。お前何かあったのか?」
「だよなぁ。なんつーかここ最近、何時もの”キレ”がねぇっていうか」
そういって心配そうに声をかけてくれたのは部活の先輩達だ。練習に集中出来ていない後輩を怒鳴りつけるのではなく、何かあったのかと心配してくれる辺りから、この人達が如何に優しく心が真直ぐな人達であるという事が窺える。
どうやら今の俺は他人から見てもハッキリと分かってしまうくらい調子が出ていないらしい。理由は言わずもがな、澪の突然の言葉に他ならない。
「いえ、大丈夫っす。多分今日の朝飯を食い損ねたからだと思うんですけど」
しかしこれは俺個人の問題であり、先輩や部活の皆を巻き込む様な事では無い。俺は苦しい言い訳をすることしか出来ず、そんな俺を見た先輩達は察してくれたのか、それ以上追及してくることはなかった。そんな先輩達の心遣いが、今は有難い。
そうして気の入らないまま朝練を終えた俺は、重い足取りで教室を目指す。
正直、何故澪が突然あんな事を言い出したのか、皆目見当もつかない。弁当を作らないと言った事は大した問題では無い。……いや、やっぱり俺にとっては大した問題だが、論点はそこではない。重要なのは『何故今になって突き放すような行動に出たのか』、その一点に限る。
確かにそれらしい説明も受けた。だがそれでも、『何故今になって』という疑問は晴れない。
(やっぱり、俺が原因なのか……?)
そう考えるのが妥当だ。しかし、思い当たる節が無い。それに、何故今になってそんな事を言い出したのか。それもサッパリ分からないのだ。
まるで無限に続く迷路の様に、俺の思考は同じ所をグルグルと回り続け、しかし答えに辿り着く事が出来ない。そしてそれは、俺を苛立たせる。
そんな時、ふと、何の前触れもなく一つの疑問が胸の内に浮かんできた。
(そもそも俺はどうしてここまで苛立っているんだ?)
その原因を担っているのは澪だ。それはまず間違い無いと言っていいだろう。では、何故俺はこうまで澪に固執しているのだろうか?
織斑一夏という人間にとって、五反田澪という存在は大切な存在だ。それは、かけがえのない友人として、という言葉が真っ先に浮かんでくる。では、彼女という存在は俺の中で弾や鈴といった他の親友達と同じ位大切な存在か?と考えれば、それはどこか違う気がする。
(確かに弾や鈴達は大切な親友だ。でも――……)
五反田澪という少女の存在は、彼等と一括りにするのはどこか違う気がするのだ。
彼女は俺が困っている時、それとなく手を差し伸べてくれる。ただ手を差し伸べるのではなく、自分の力でどうにか問題を解決へと導いていけるようにする。そんな、それとなく支えてくれる様な助け方だ。
そんな彼女は俺にとって、弾や鈴達と同じ位大切で、けれど彼等以上に大切な存在。心の内を占める割合が大きな存在。叶うのならば、これからも道に迷いそうな時、俺を隣で支えて欲しいと思える存在。同時に、彼女が悩む事があるのなら、隣にいて支えてあげたいと思う存在。
同じ喜びを、痛みを、悲しみを、様々な事を共有したいとさえ思える、そんな存在――……
教室へと向けて進めていた歩みが、知らず止まる。竹刀袋を持たぬ空いた右手で、胸の辺りをギュッと握る。
彼女を――澪の事を考えれば考えるほど、胸の奥が疼き、痛みを覚える。時にそれは、言葉に出来ぬほどの高揚感を伴って。時に、そして今は、泣き出してしまいそうな胸を締め付ける様な痛みを伴って。
「っ、何だよこれ……」
呟かれた言葉は、周りの喧騒に掻き消される。
以前にも感じた事のある胸の痛み。しかし俺はまだ、自身の内に芽生え始めたこの感情の名前を知らない――
◇
『澪、大丈夫?』
「少しは良くなったけど……まだダルいかな」
『そう……今はゆっくりと休んでなさい』
「ありがとう、母さん」
扉越しに聞こえてくる母さんの声に、オレは気怠さを出来るだけださない様に返事を返す。
オレは、約一ヵ月ぶりに再び訪れた生理痛に耐えることが出来ず、休みを取ってしまった。最初の生理痛と比べればまだマシと言えるが、それでもかなり辛い。何より問題なのが、肉体よりも精神的に参ってしまっている事だ。
ベッドの中で横になるオレは、随分と鈍くなった頭で状況を整理する。まず、オレの此処最近の体調不良及び精神不調の原因は、初潮にあったとみて間違いないだろう。
これは学校での授業や万が一を想定して事前に得ていた知識。そしてオレよりも先に経験のあったシホやメグの話によると、初潮や生理前後は肉体的にも精神的にも非常に不安定な状況になるらしい。勿論それは人によって状態は異なるが、それでもある程度は似通ってくるという。
比較的症状が軽い人は多少精神的に荒れる程度だったり、腹痛などもそれほどキツイものではないそうだ。反面症状が重い人は、それこそ物にあたったり腹痛などで寝込んでしまうという。そしてオレは母さん曰く、後者の比較的重い方に入るらしい。それでも何かに喚き散らしたりしないのは、恐らく精神的に同年代の少女よりも逞しいからなのだろう。
(そうはいっても、正直洒落にならないな……)
腹痛と共に頭痛までしてきた為に、思考が纏まらなくなってくる。何かを考えておかしくなりそうなテンションを必死に押さえ込もうとしているのに、それが上手くいかない。しかしそれでも、頭の中に残る理性的な部分がどうにか思考を展開しようとする。
(そうだ。まずは最近の事辺りを振り返ってみよう)
もしかしたら今回の前兆として何か迷惑をかけてきた可能性がある。もしそうだったら謝らなくてはいけない。
生徒会における業務では、これといったミスを犯した覚えは……多分無い。部活に関しても、今の所大きな活動がある訳でもないので大丈夫……だろう。家の手伝いだってこれまで通りちゃんと出来ている……はず。
グルグル回り出す思考に、思わず舌打ちする。今考えた事、そのどれもにはっきりと断言出来るだけの自信を、どうしても持つ事が出来ない。こんな事はこれまでの新しい人生では一度もなかった。
どんな時も結果を残すべく万全の体制と対策を施し、事態に臨む。そうやって不安要素を潰して、これまでどんな事態も乗り越えて来たではないか。それがどうだ、ちょっと精神的に参っているからという理由だけで、足元が揺らいでしまうなんて。何と情けないことか。
しかし同時に思う。世の女性はこんな辛い事を経験して、それでも尚普通に暮らしていけるのだ。それは女性が強いという事の証明だ。母は強し、などという言葉があるくらいだが、なるほど言い得て妙だろう。こんな辛い経験を経て、更に子を産むのだ。これで強くならない筈が――……
「……何を考えているんだ、オレは」
本当に思考が纏まらない。昨日今日はそれが特に顕著だ。
「だからきっと、あの時もあんな変な気持ちになったんだ……」
そう。一ヵ月前のやり取りも、この体調不良からくるもので、決してオレの本心から来るものではない。
そうして自己完結したところで、急に眠気が襲ってくる。気分も体調も悪い状態で色々考えすぎたせいだろう。これ以上アレコレ考えられるほどの余裕もなかったオレは、あっさりと眠気に身を委ねた。
◆
「こんにちは、澪。調子はどう?」
「ありがとう、鈴。今は大分落ち着いてきたかな。しかし、最初は何事かと驚いたよ」
アタシの言葉に、寝巻き姿の澪は肩を竦めながら苦笑した。
アタシは今、一ヵ月ぶりに学校を休んだ澪のお見舞いに来ている。一夏もお見舞いに来たいと言ったのだが、いつもの面々でやんわりと止める事にした。少し個人的に話したい事もあった為に、弾やシホ、メグに協力してもらったのだが、正直数馬も率先して一夏を諌める側に回るとは思わなかった。アイツには何も伝えていなかったのだが、それとなく察したのだろう。普段の馬鹿っぷりが嘘のようだ。
そんな事を頭の片隅で思い出しながらも、澪との会話を続ける。話を聞く限り、澪の症状は比較的”重い”みたいなので心配したのだが、今は大分落ち着いてきたらしい。今日休んだのは、肉体面よりも精神面的に参ってしまった事が理由の大部分を占めているから、とは本人の言だ。
「――とりあえず、こんな所かしら」
「ありがとう、助かるよ」
「別にこれ位どうってことないわよ。寧ろいつも世話になっているのは私達の方だしね」
「うん」
そして今は、学校での出来事や授業の進み具合などを一通り説明し終えた所だ。
そんな何気ない会話をしながら澪の様子に気を配って見たが……どうやら落ち着いたというのは嘘では無いようだ。どうやら今の澪ならば話をしても問題ないだろう。
そこでアタシは
「ねぇ、澪。一つ聞いてもいい?」
「急に改まってどうしたの? オレに答えられることであれば答えるけど……」
「じゃあ質問。――どうしてあぁも露骨に一夏を避ける様な行動に出たの?」
お見舞いともう一つの”本題”を尋ねるべく口を開く。
◇
「――っ」
澪は表情を殆ど変えないまま、しかし僅かに息を呑んだ。
澪にとって、これはまだ触れて欲しくない問題だったのかもしれない。だがそれでも、一人の親友として尋ねずにはいられない大切な事だ。傷口を抉るような行為だと理解していても、それでも私は聞かなくてはならない。
「……どうもこうも。理由なら一ヵ月前の昼休みに話しただろう? それ以上でも、以下でもないよ」
ややあって、澪は何時も通りの様子で答えた。が、アタシにはその、余りにも”何時も通りで居ようとする姿”に嘗てない違和感を覚えた。だからこそ、再度の確認。
「……澪。今のアンタにこんな事聞くのはどうかしてるって分かってる。けどね、本当に大事な事なの。だからアンタの本音を聞かせて」
「随分としつこいね。何度聞かれても答えは変わらな――」
「――アンタ、アタシを舐めてんの?」
澪が言い終わる前に言葉を遮る。本来であれば再三の確認をするべきなのだ。が、それをする前にアタシの中のメーターが振り切れた。
別にどうでも良い事ならば、はぐらかされたとしても構わない。笑い話にでも変わっていき、最後はそんな事すら忘れて楽しくお喋りするのだから。しかし今回ばかりはそうもいかない。睨み付けるようにベッドで上半身だけ起こしている澪へと視線を向ける。
「アンタが一夏を避ける理由。確かに前に言った事は事実なんでしょうね。けど、それが全て、って訳でもないでしょ?」
「っ、何を――」
「これでもアンタとの付き合いは長いんだから。アンタは自分で上手く誤魔化せたと思ってたんでしょうけど――そんな泣きそうな顔しておきながら、何も無い訳ないでしょう?」
◇
今の澪を見ていて、鈴音は胸が締め付けられる思いだった。
普段の自信に溢れた様なクールな笑み。どんなことが起きても動じないと思わせる凛とした出で立ち。そして何か起こったとき、それがどれだけの難問であろうとも容易く解決してしまうのだろうと思わせる立ち振る舞い。凡そ同年代とは思えないほどの頼もしさを持つ少女であるが、そんな彼女も近しい者にしか見せない優しさや笑顔というものがある。
ちょっと素直じゃなくて、けれども時折見せる少女らしい姿がとても可愛らしい。それが、鈴音を含めた近しい友人達の共通の見解だ。
しかしそれがどうだ。今の彼女は、普段の面影などないと思わせるほどに弱々しい。触れればすぐに壊れてしまう、そんなか弱く儚い印象を受ける。それが悪いとは言わない。寧ろ、普段弱みを見せることなど滅多にない彼女の振る舞いを考えれば、不謹慎であると分かっていても、逆に新しい一面を見れたことによる、嬉しさにも似た感情を覚える。
けれどそれが、五反田澪という少女が常の状態であればこそ。今の彼女は、とても放っておける状態ではない。このまま自身の内で問題を抱え込み、完結してしまうことはきっと、自分たちにとって良くないことに繋がるだろう。何より彼女自身の決定的な”何か”を崩壊させてしまうのではないか。
そんな、確信にも似た思いが、鈴音にはあった。
鈴音の言葉に唖然とした表情を浮かべた澪は、キュッと唇を固く結びながら俯く。徐々に変わっていくその表情から、意識的にしろ無意識的にしろ、やはり彼女が自分の感情から目を背けていたのだと鈴音は確信を得る。
こうして考え込んでいるうちは、無理矢理話を聞き出すのではなく、自然と本人が語りだすのを待つべきだと、鈴音は判断した。今の自分がするべき事は、澪が自分から話してくれるのを待つこと。そして、困っているときには、そっと背中を押してやるのだ。彼女が自分達にそうしてくれたように。
「……正直、自分の感情が解らないんだ」
やがて澪は、俯いたまま語りだす。それは常の凛々しく毅然とした彼女とは違い、とてもか細く弱々しい。
「オレにとっての織斑一夏という存在。始めのうちはさ。鈍感で、唐変木で、フラグ乱立しまくっておきながら無自覚の内にそれを容赦なく叩き潰していく女の敵みたいな男だったんだ。どこの漫画の主人公だよって言いたい位にはた迷惑なヤツって、何度も思った」
「それ、本人の前で言ったら凹むわよ。……まぁ全部当てはまってるだけに性質が悪いけど」
澪の言葉に、自分で聞いておきながらも鈴音は頬を引きつらせる。一夏に対してかなり酷いことをボロクソに語っているが、悲しいかな。彼女の言うことがどれも間違いではないだけに、鈴音もフォローする事ができない。
「じゃあさ。”今”はどうなの?」
しかし、そんな中でも鈴音は気付いていた。澪の言葉は過去形で締めくくられている。つまりそれは、多少なりとも今は違う印象も持っているのだということに。
「決定的に違いが表れ始めたのは、きっとモンド・グロッソ大会の後だと思う。アイツは自分の無力を嘆いて、喚いて。……でも、最後には自分の弱さを認めて、それすら受け入れて強くなろうとしている。
オレは、そんなアイツを見て、少しでも力になれたらって思ったんだ。……勿論、千冬さんに一夏を助けてやってくれって言われたことも理由の一つではある。でも、間違いなくアイツの為に何か力になりたいと思ったのは、オレ自身の想いなんだ。それはハッキリと断言できるよ」
どこか懐かしむように自身の心の内を明かしてく澪。そんな彼女の言葉を、鈴音はただ黙って聞き入れる。
「それに最近は……何て言うのかな。――そう、楽しいんだ。
一夏が自分の目標に向かって直向きに、真っ直ぐに努力していく手助けが出来ることが。まぁ、オレがしている事なんて、ほんの些細な事だけれど」
(些細な事、ねぇ……)
澪は些細な事といった。けれど鈴音や一夏達にとってそれはとても些細な事とは言えない、とても大きな変化だ。
転校してからほどなくして起こったイジメ。確かに一夏も助けてくれたが、あの場に澪がいなかったら、何度かちょっかいは続いていたはずだ。そうなっていたら、きっと心は荒れ、性格は歪んでしまっただろう。もしあの時澪が助けてくれなかったら、きっと今の私はなかったのだろうと、鈴音は思っている。
けれど、その事を自分がどうこう言うのも如何なものか、という思いもある。言葉にして礼をするのは簡単だ。けれど、それだけでは”足りない”。確かに言葉にして感謝を伝えるのは大切なことだ。けれど、それ以上に今必要とされているのは、言葉ではなく行動。澪がそうしてくれたように、自分もまた、行動でもってその恩を返していくべきなのだ。
そして、きっと、今がその時なのだろう。
「澪は些細な事だと思っているのかもしれないけど、きっと一夏はそうじゃないと思うわ。
アイツが変わったのには、多かれ少なかれ、澪の言うその”些細な事”が関係しているもの。でなきゃ、あの朴念仁がそう簡単に変わるものですか」
「鈴もなかなか酷い事を言うね」
「澪ほどじゃないわよ。……後悔している?」
鈴音の言葉に、澪は少しだけ間をおいて首を横に振る。
「後悔は、していないと思う。でも、少しだけ責任のようなものを感じてはいるんだ」
「一夏を変えてしまったかもしれないこと? だとしたら澪……アンタ一々気にしすぎよ。バカと言ってもいいわね」
苦悩の表情を浮かべる澪に、鈴音は小さく溜息をつき、言い放つ。
呆れた様に言われた一言に、澪は思わず呆然としてしまう。しかし、そんな彼女に構わず、鈴音は言葉を捲し立てる。
「確かに、今アンタが感じているのは責任感に近いものかもしれない。後悔の念に近いものかもしれない。けどね、アタシから言わせてみれば、そんなのどうだっていいのよ」
「ど、どうだっていいって……!」
「だってそうでしょ? そんな感情だって、少なからず一夏に好意を持ってなきゃ湧かない感情なんだから」
狼狽える澪に、鈴音はキッパリと言い放つ。
思いもよらなかったその言葉に、澪は今日何度目になるだろう。呆然とした表情を浮かべる事となる。
「その感情が何なのか。それはアタシには分からないし、アタシがそうだと決められるものじゃない。結局最後に答えを見つけるのは――澪、アンタ自身よ。
まぁ、アンタの反応を見ている限り、答えはもう出てるんじゃないかしら? 後はその感情を受け入れるかどうかってところかしらね。アタシに言えるのはこれだけよ。
さて、今日はもう帰るわ。長々と説教じみた話しちゃってゴメンね」
言いたい事は全ていったと言わんばかりに、鈴音は立ち上り帰り支度を整える。
「鈴!」
そのまま部屋を出ようとドアノブに手をかけたその時、澪が鈴音を呼び止めた。
鈴音は少しだけ振り返り、澪を見る。未だ顔色は優れないようだが、その表情は今日部屋を訪れた時よりも、どこかスッキリとしていた。
「ありがとう。まだこの気持ちに名前を付けるのは難しいけれど……オレなりに付き合ってみるよ」
「――そう。何かあったら相談に乗るわ。一応、恋愛に関してはアタシの方が先輩だしね」
「まだ付き合ってからそれほど経ってないだろう?」
「それでも、アタシの方が先輩である事には変わりないわ」
互いに軽口を叩き合った後、鈴音はプッと吹きだす。
「少しは調子を取り戻せた様ね。安心した」
「お節介が過ぎる親友のお蔭でね。……ありがとう、鈴」
「どういたしまして。それじゃあ今度こそ失礼するわ。お大事に」
◇
「よ。お疲れさん」
「女の子同士の会話を盗み聞きするなんて、趣味がいいとは言えないわよ?」
「ひでぇ言い草だな、おい」
澪の部屋を出ると、向かい側の部屋の住人である弾が立っていた。どうやら鈴音が出てくるのをまっていたようだ。軽口を叩き合った二人。こんな風に言い合えるのは、友人から恋人へと関係が変わった今でも変わらない。
送っていくよ、と弾は鈴音と共に自宅を出る。少しの間、無言のまま並んで歩く。そうして家からそこそこ距離を取ったところで、弾が話題を切り出した。
「どうだった、澪のやつ」
「とりあえずは大丈夫そうよ。多分、自分の中に抱え込んでいる”もの”を、自分一人じゃ吐き出しにくかっただけなんじゃないかしら。……正直、よくもまぁ一ヵ月近くも一人で抱え込んでいられたなぁって、呆れ半分関心半分っていったところよ」
「……そうか」
もしかしたら、アタシじゃなくても良かったかも。そういっておどけた様に振る舞う鈴音の頭を、弾は優しく撫でる。
「でも俺は、鈴が相手だったから、アイツも素直に話す気になったんだと思うぜ」
ありがとな、鈴。そう言って笑う弾に、少しの気恥ずかしさを感じた鈴音は、赤くなった顔を隠すようにそっぽを向く。
「と、当然よ! なんたってアタシは、澪の一番の親友だもの。仮にアタシ以外の誰かにも出来たとしても、アタシは絶対に譲らないわ」
「流石は俺の彼女。頼りになるねぇ」
「う、うっさい! 恥ずかしいこと言うな、バカ!」
からかう弾に、鈴音は弾を殴る。といっても照れ隠しなのでそれほど痛くはない。また、そんな彼女を見て可愛いなコイツと思うあたり、この二人はバカップルと言っていいほどにうまくいっているようだ。
そうやってじゃれ合ってから少しして、鈴音が落ち着いてきた頃を見計らい、弾は再び口を開く。しかし、その表情は先ほどまでとは違い、真剣なものだった。
「さて。澪の方は……まぁアイツの事だ。何とかなるだろうな」
「アンタと違ってしっかりしているものね」
「ウッセ! 冗談はさておき、問題は……」
「一夏の方ね」
『はぁ……』
一夏の事を考えた二人は、思わず溜息を零す。
二人には懸念があった。澪の方は、先ほどの会話から、何れ自分の感情の行く先に決着を着けるだろう。しかし、問題はその想いが向くだろう一夏の方だ。
一夏自身、澪の事を少なからず想っているだろうことは、普段の態度から察しが付く。けれど、一夏は大勢の人間が認めるほどの朴念仁であり、超が付くほどの鈍感だ。そんな彼が、果たして自分の感情に気付いているのだろうか? よしんば気付いたとして、そして澪が告白をしたとして。一夏はそれにどう答えるのだろうか?
澪と一夏の関係は、とても近くて遠い。そんな表現がしっくりとくるほど、あの二人の関係というものは酷く曖昧で、危うい。そんな距離感を保っている為に、一夏がその関係を壊してしまうことを恐れてしまうのではないか。
澪の方は、悩むことはあれども、一度決めたことは完全な形で決着をつける性格だ。対する一夏は、感情で動く部分が多い為、悩むことは少ない。反面、物事に決着を着けるのが苦手な、優柔不断な性格も持ち合わせている。そんな一夏に、澪という特別な存在が告白をした時、果たして一夏は答えることが出来るのだろうか。そんな懸念が二人にはあった。
「まぁ……」
「なるようにしかならない、か……」
この問題の鍵を握るのは、間違いなく一夏だろう。そして、一筋縄ではいかないだろうことも、二人には予測できた。
少し距離の離れた二人の関係。そしてその修復。それよりも更に一波乱起こりそうだと、夕暮れに染まりつつある街並みを歩きながら、二人は再び重い溜息を零すのだった。
◇
「……」
鈴音が部屋を出て、弾と共に階下へと降りて行った気配を感じた澪は、ベッドに体を預け、鈴音との会話を反芻する。
鈴音と弾が付き合い始めてから数ヵ月。それからの日々は澪にとって少なからず苦痛を感じさせる日々であった。二人が恋仲に発展した。それは素直に喜ばしい事だ。反面、澪の知識にない出来事は彼女の不安を掻き立てるには十分過ぎた。
この世界は自分の知っている物語の中ではない。頭の中ではそう理解しているし、何より澪自身の感情が否定している。けれど、なまじ中途半端な知識を保有しているために、少し違う未来を辿るだけで不安を感じてしまうのも、また事実であった。
しかし、このままではいられない。自分が物語に介入するイレギュラーという役割ではないと感じる様に、一夏達もまた、ただの登場人物などという”キャラクター”、”記号”ではない。確固たる一人の人間なのだ。そう思ったからこそ、一夏が誰かを好きになった時、或いは一夏に身を焦がすほどの好意を寄せる人物が現れたその時、男女の仲という訳でもないのに、甲斐甲斐しく世話を焼くような自分がいてはいけない。そう結論付けた――筈だった。
澪は目を閉じ、あの時の一夏の言葉を思い出す。
『……だったら、俺はこれまで通り澪に色々と世話を焼いてもらいたい。これまで通り弁当だって作ってもらいたい。俺は澪が側にいる事が迷惑だなんて、これっぽっちも思ってねぇんだから』
今でも耳に残る言葉。それを思い出すと、心臓が僅かに早く脈打ち鼓動を刻む。
あの言葉をかけられた時澪が感じたのは、体の内から湧き上がる熱と、反対に心を凍えさせる様な、言い知れぬ不安という、矛盾したものだった。
しかし、鈴音と言葉を交わし、自身の胸の内に巣くった不安や迷いを打ち明けた今、少しの心境の変化が現れていた。完全に未来への不安や、自身の行動、言動で近しい友人たちの未来を変えてしまうのではないかという恐怖は残っている。同時に、澪自身が変わってしまうことも。
何事にも変化というものは付きまとう。それはどうしようもなく唐突で、予測不可能なもの。
変わることに不安を感じるのは、人間である以上、避けようがない。けれど問題は、そこから逃げてしまうこと。そして、変化を恐れてしまうことだ。
澪は、再び一夏の言葉を思い出しながら、右手を自身の左胸へ当てる。
女性特有の膨らみをおびてきた胸の奥底から、トクントクンと心臓の刻む鼓動が掌に伝わる。同時に、胸の内から湧き上がってくるのは、少しの不安と、それを遥かに超える熱。それは、心を、体を満たす、甘さを含みながらもどこかほろ苦い想い。
「でも、悪くない」
そう、悪くないと澪は思えていた。そして同時に思った。少しばかり、前に踏み出してみようと。
この感情に色や名前を付けるのはまだ難しい。けれど、決して悪くはないものだ。大切なのは変わらないことではない。変化を恐れず、受け入れ、自分自身がどうあるべきかという事なのだ。
「自分から言っておいて虫のいい話だけれど……」
でも、変わると決めたのならば、躊躇っている暇などない。
この気持ちがなんであるのか。それを確かめる為にも、兎に角今は行動すべきだろう。
携帯電話の電話帳から、目的の人物のデータを選ぶ。後は通話ボタンを押せば、それだけで相手と会話が出来る。たったそれだけの動作だというのに、澪の心臓は高鳴り、今までに感じたことのない高揚感を感じていた。
けれど思うのだ。嗚呼、やはり悪くない、と――
前書き
更新が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
今回の話は、前回から少しだけ時間が飛んでいますが、あまり気にせずに読んでいただけると、思います。
……そうだといいなぁ
※ 誤字修正
※2013.9/25 誤字修正