真剣で恋について語りなさい   作:コモド

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川神学園 一年生編
限りなく変態に近い普通


 川神学園の制服に袖を通しての感想は、汚れが目立ちそう、だった。

 真っ白の制服は陽光にきらめく無駄に爽やかなデザインをしており、私立っぽい自由な印象を受けた。

 洗面台の鏡に映る自分はそれとなく気障っぽい。眉にも髪型にも田舎臭さ、芋っぽさもない。血の繋がったがり勉時代の女子高生だった実姉は顔立ちはともかく、容姿は垢抜けていなかったのに、これが都会で育った影響なのか。

 そういえば川神育ちのおれは当然として田舎で育った実姉も方言が話せなかったりするが、これはネット世代と教育が影響しているのかも。兄はバリバリ訛っているが、あれは育ちが悪いからだろうし。

 川神では神奈川弁を話している人もあまり見ない。というかおれには神奈川弁と若者言葉の区別がつかない。~べ、はともかく~じゃんとか、「違う」をちげー、「かったるい」

をたりーとかは若い人ならみんな使っている印象があった。

 人口が多いところの影響力は怖い。

 

 おれが身なりを整えてリビングにいくと、既に制服を着こんだ姉さんがだらしない恰好で寝そべりながらテレビのニュースを観ていた。

 

「ずいぶん着替えるの遅かったな。なにしてたんだ?」

「鏡に映った自分に見惚れてた」

「うわ、ナルシストだなこいつー」

 

 と言葉では蔑みつつも姉さんは満更でもなさそうだった。制服姿のおれを気に入ったのだろう。

 昨夜、姉さんとワン子がおれのマンションに遊びに来て泊まっていった。一夜にして冷蔵庫を空にしていった。夕食後、おれは調味料だけが残された冷蔵庫を前に立ち尽くした。

 姉さんがおれの一人暮らしに反対しなかった理由は、予想がついていたが、川神院とちがって人の目を気にすることなくおれと二人きりになれるからだった。小うるさいジジイとルーさんの目が届かない空間がよほどお気に召したらしく、姉さんはおれが越してからほぼ毎日のように遊びにきていた。

 ファミリーの連中も冷やかしにちょくちょく来ていたのだが、姉さんの頻度は抜けている。おまけに姉さんに随伴してワン子までやってくるため、先月の我が家のエンゲル係数は一人暮らしとは思えない高さを記録した。

 この二人は細いわりに健啖家だから食べる量が半端じゃないのである。そして出さなきゃいいのにおれは喜んで食べる顔が見たくて料理を奮発してしまうのであった。

 いい加減自重しなきゃならないか。

 

「しかし良い部屋借りたよな、高校生の身分で2LDKのマンションとか、お姉さん憧れちゃうなー。特に壁が厚くて多少は大声あげても平気そうなのがいい」

「でもここ事故物件だよ」

「うわわ、朝っぱらからそういう冗談やめろよー!」

 

 ジジイの紹介で引っ越した今の住居は、川神院にほど近く和洋五畳ほどの居室と八畳のリビングがある賃貸マンションだった。立地と設備のわりに格安だったので、おれは事故物件だろうと勝手に思っている。さすがにジジイもそんな物件を紹介しないだろうが、こう言っておけば姉さんの足がこっちを向く頻度が低くなるかもしれないから。

 実家がそこそこ裕福なので仕送りも潤沢なのに加えてキャップの伝手で奇妙なバイトもしているため、家賃は気にしていなかったが助かった。

 

「あいつらも家出てる時間だろ。ほら、行くぞ」

 

 事故物件の話にビビったのか、おれの腕をひいてそそくさと家を出る。オートロックって便利。実家、川神院と和風の家で育ったおれは引っ越した時、ちょっとばかしカルチャーショックを受けた。

 おれたちは早朝の朝練をこなしてからマンションに戻ったのだが、ワン子は体操服でタイヤを引いて走り込みにいったので二人で登校だ。

 

「やっとファミリー全員で同じ学校に通えるな」

「そうだね」

 

 おれの首に腕を回してぐでっとぶら下がっている姉さんを引きずりながら道を歩く。すれ違う人に見られているが気にしない。

 姉さんは学年がちがうし、京に至っては住んでる都道府県までちがった。そのファミリーがまた同じ学校に集うのは感慨深いものがある。

 姉さんは一人だったし、なんだかんだ寂しかったんだろうな。

 

「あれー、三河君にモモ先輩。おはよー、二人そろって登校?」

「おはよ、そだよ」

「おお、制服カワイイなチカリン。ふふ、そうだぞー。最近の私は健気な通い妻なんだ。今日も千のマンションから朝帰りして、家で制服に着替えてからわざわざ迎えにいってあげたんだ」

「健気な通い妻は男に朝起こしてもらった上に料理まで作ってもらうんだね。えらいなー」

「あははは……はぁ、ずっとべったりだなぁ」

 

 仲見世通りにある老舗和菓子屋の看板娘、小笠原千花さんが挨拶をしてから、少し悩ましげな顔をして先にいった。

 近所なので仲見世通りにはしばしば足を運んだことがある。その際に何度か話した程度の、顔見知りという表現がしっくりくる女の子。売り子姿しか見たことがなかったが、女子制服に身を包むとそこらの女学生から抜きんでた高めの女って感じのオーラがあった。

 あのコは人気出るだろうなぁ。容姿で京やワン子にひけをとってないし。なんて考えながら姉さんを引きずっていると、河川敷で島津寮組とモロと合流した。

 

「おーす、お前ら。今日から正式に私がお前らの先輩だ。敬い傅きひれ伏すがいい」

「普段と何も変わらねえじゃねえか!」

「機嫌いいなー、モモ先輩」

 

 ツッコミ役をこなせるようになったガクトとモロが上機嫌な姉さんに言う。そのセリフおれに言ってほしいんだけどな。

 

「あれ? キャップは?」

 

 鍛錬から戻ってきてないワン子はともかくキャップの姿もなかったので尋ねると大和が言った。

 

「昨日入学式が終わったあと寮に帰ってから『なめろうが食いたい』って言っていなくなった」

「まだ旬じゃないのになぜこの時期に……」

「日帰りで帰って来るって言ってたから大丈夫だろ」

 

 このキャップへの妙な信頼は何なのだろうか。まあ、キャップだし深く考えるだけ無駄か。姉さんは制服姿の京に興奮してちょっかいをかけていたので、おれはモロに声をかけた。

 

「モロ、このあいだはありがとう。パソコンのことわかんなかったから助かった」

「ああ、あれくらい全然いいよ。千にはおじいちゃんのことで世話になってるし。今度はボクおすすめの設定にしてあげるよ。千が良ければPCの弄り方も教えてあげるし」

「おい、モロロが暴走する前に止めろよ」

「千の家の無駄グッズまた増えたの?」

 

 姉さんに後ろから抱き着かれている京が言った。おれは越してから必要家電を買うついでに目についた必要かと言われれば決して必要ではない便利グッズのような家電やらを買いあさっていた。

 理由の半分は楽したいから。そしてもう半分は衝動買いである。その中のひとつにノートパソコンがあり、モロに相談したところコストパフォーマンスが優れているらしい一品を探して設定やらなにやら手取り足取り教えてくれた。

 なお用途はもっぱらエロサイト巡りである。胸を揉もうと伸ばした手を京に掴まれている姉さんが言う。

 

「うちに住んでたときは殺風景な部屋だったのに一人暮らし始めた途端にこれだもんな。まあ多機能シャワーヘッドやアロマは私も気に入っているから良いが、マンションでスピーカーとかいるか?」

「さあ。実家から一人暮らしに必要なものをこれで揃えろって送られてきたお金で手当たり次第買い込んだだけだし。まあロマンはあるよね」

「うーん、この小金持ち」

 

 京と姉さんがおれに白い目をむけた。むしろ今までが倹約してきただけなのに、集団生活から解放され自由の身となってから、好きに買い物して何が悪いのだろう。

 あと姉さんがシャワーヘッドを気に入ってるのってあれでしょ。オナニーに使えるからでしょ? 水圧を変えられるから刺激の強弱しやすいし、それにお風呂長いもんね。

 

「あとはワン子か」

 

 おれはブルマ姿で川神院から遠ざかっていったワン子の小振りな尻を思った。

 

 

 

 春はあけぼのと清少納言が言った。

 春は出会いと別れの季節と誰かが言った。

 また別の誰かが言った。春は変質者が増える。

 木の芽が芽吹くように。クマが冬眠から目覚めるように。彼らは桜前線より正確に日本に春の訪れを告げてくれる。

 多馬大橋、通称変態の橋を前におれは感慨深いものがこみ上げ、目を閉じた。

 かつてここで散っていった兵たちへ黙祷を捧げ、二度とシャバに出てくんなよと語りかけた。

 捕まる変態は二流だ。おれはもっと上手くやる。こんな公衆の面前でカミングアウトしてぶっ飛ばされる奴らとはちがう。奴らは変態の恥さらしだ。

 捕まる変態は悪い変態だ。捕まらない変態はもっと悪い変態だ。死んだ変態だけが良い変態だ。変態死すべし、慈悲はない。ただし、おれだけは除く。

 

「みんなー! おっはよーっ!」

 

 快活な声がして振り向くとタイヤを引いて走って来るワン子がいた。汗がきらめいている。修行って素敵。

 

「おはようワン子」と、モロが言った。

「高校の登校初日からよくやるぜ」と、ガクトが感心しながらも茶化した。

「カラダ動かし続けてないと鈍っちゃうのよ。あ、そうだ大和、小腹すいたから何か食べられるもの寄こしなさいよ」

 

ワン子は調子に乗っていた。大和はぎろりとにらんだ。

 

「まだ餌の時間じゃないでしょ」

「ひいっ」

「これ、甘やかされるのに慣れて増長しちゃってるよ。再調教が必要だね」

 

 京の冷ややかな視線がおれに刺さる。ワン子は大切に厳しく育ててきたつもりです。

 

「しっかし、みごとにバラけたな」

 

 ガクトが両手を頭の後ろで組みながら言う。クラス分けのことだろう。風間ファミリーは誰一人クラスメートになることなく一年生が始まった。

 

「千がSクラスだからガクトとモロ、ワン子は三年間千と同じクラスにならないね」

「あっ! そっか、毎朝千に宿題写させてもらえなくなっちゃうのね……」

「甘やかしすぎだろ」

 

 京がさらりとつぶやき、それを聞いたワン子がしゅんと肩を落とし、大和がおれをじろりと見た。こらワン子さん、あなたがしゃべるたびに私が怒られていますよ。

 京の発言が癪に障ったのかガクトが反論した。

 

「失礼なこと言うんじゃねえよ京。千が試験で五十位以内に入れなくて落ちてくるかもしれないだろ」

「自分が実力でSクラスに入ると言わないあたり謙虚だよね、ガクト」

 

 まあそれは二十五メートルのプールに時計の部品投げ込んでかき混ぜるだけで組み立てるくらい低い確率だろう。

 おれがSクラスになったのはジジイの意向によるもので、闘争心やら競争心が足りないから選民思想の強いエリートに囲まれて向上心を磨いてこいと、半ば強制で入らされた。

 あのジジイは若者の自由意志を尊重すると言っておきながら、おれや姉さんのやることには御小言と説法をかますダブルスタンダードなところがある。

 おれたちにも問題があるので何も言えないが、ああして叱りつける教育が前時代的な川神院らしい。無論、川神院の方針にケチをつける気はないが、おれや姉さん、釈迦堂さんが正道を進めないあたりに全体を底上げすることに重点を置く川神院の指導の欠陥が垣間見えていた。

 

 足並みをそろえて歩いていると橋の中腹にさしかかった。道も賑やかになり、おれらと同じ川神学園の生徒もいれば主婦や児童、通勤中のリーマンもいた。

 その大勢のすれちがう人々の一人であるダークブラウンのスーツを着た立派な口髭をたくわえた紳士はおれたちを見て目を細めた。

 

「おはようございます」

「おはようございまーす!」

 

 紳士は落ち着いた声で挨拶をした。ワン子が元気に返した。他のみんなは身構えた。紳士は朗らかに笑って言った。

 

「ははは、元気があっていいですね。ところでお嬢さん、私はこう見えて学生時代は野球部で腕を鳴らしていましてね。丈夫さに自信があるのですが、どうです。私をタイヤの代わりに引いてみてはくれませんか?」

「ぎゃーっ!」

 

 変質者だった。ワン子が涙目になって悲鳴をあげた。

 

「そぉいッ!」

 

 姉さんがアッパーで紳士を星にした。

 その発想はなかった。おれは感心していた。歳をくっているだけはある。おれが知らない世界をたくさん知っているのだろう。

先人の知恵と発想に敬意を表しながら車田飛びで星屑になった変質者が塀の中で改心することを祈った。

 

「まったく、相変わらずこの橋は変態が多いな」

「外見は人がよさそうなおじさんだったのに中身がアレ」

 

 姉さんとモロがぼやいた。この橋はまるでゲームのフィールド上を歩いているときのように際限なく変質者とエンカウントするのである。

 百四十万人も人がいれば変質者もそれなりにいるだろうが、それがこの橋に集まるのはハッテン場のような存在として変態界隈で有名だったり、彼らを惹きつける何かがあるとしか思えないのだが原因は何なのだろう。

 おれはこの先にある川神学園の学長を勤めているジジイが原因だと睨んでいるのだが、誰か科学的に証明してもらえないだろうか。

 多馬大橋の磁場が歪んでいて抑圧されていた性癖が解放されるというオカルトな電波が飛んできたとき、おれの後ろから親しげな男女の声が聞こえた。

 

「おーおー。人が飛んだぜ。治安悪いなぁ。ユキ、知らない人に声かけられてもついていくなよ」

「その理屈だと準と一緒にいられなくなるのだ」

「それなりに長い付き合いでしょうが! ったく……」

 

 おれは男の声に既視感を抱いていた。水の中に落とした石が底の泥を舞い上げる感覚。自分が物事を始めるきっかけになったコンテンツに再会したときの懐かしさ。それに近いものを感じた。

 おれが振り返る。男と目が合う。男はハゲだった。おれの目は一度つるっぱげの頭部に行き、再び目が合った。

 

「ん?」

 

 男は前にいるおれが急に振り返ったのできょとんとしていた。おれは叫んだ。

 

「うわあ! ロリコンだぁ!」

「なんだァ!?」

「おや、準の性癖が一目で看破されましたよ」

「きっと類は友を呼ぶってやつだよ。こいつもきっとロリコンに違いないのだ」

 

 スキンヘッドの横にいる浅黒い肌をした色男と色素の薄いかわいこちゃんが何か言っていた。

 おれは自分が何を言っているのかわからなくて困惑していた。

 

「ちょっとちょっと、人聞きのわるいこと言わないでもらえます? あんたとどこかで会ったっけ?」

「いや、夢の中で会ったような気がして……」

「電波くんかよ」

 

 スキンヘッドことハゲは怪訝な顔をした。おれはもっと当惑していた。だいぶ前に夢で見たかもしれない。だが夢なんていちいち覚えていないのに咄嗟に口から出たのだ。

 正夢……予知夢の類を見たのかも知れぬ。お互いにどんな顔をすればいいのかわからないおれとハゲに不思議ちゃんっぽい少女が言った。

 

「あー! 準ー、この人同じクラスの人だよ。お金みたいな名前の」

「三河千くんですね。高名な武神と負けず劣らずの腕前の達人で有名な」

 

 色男は柔和に微笑みながらおれに近づくと腰に手を回してきた。

 

「葵冬馬です。クラスメートとして、一年間よろしくお願いします」

「ん? ああ、どうも」

 

 おれはそっけなく返事をしてハゲをみた。

 

「ところで君、ロリコンってわけじゃないの?」

「いや、ロリコンだけど?」

「胸張って言うことじゃないのだ」

 

 失言だと思い念のため確認したが、合っていた。マジかよ通報しなきゃ。

 

「そちらの性癖をカミングアウトした方が井上準。かわいい女の子が榊原小雪です。私の親友です。二人もよろしくお願いします」

「よろしくなのだー」

「あ、ああ」

 

 おれの腰を抱き寄せながら微笑みかけてくる葵冬馬とかいうどっちが名前でどっちが苗字なのかわからない男は、抵抗しないおれに気をよくしたのか尻に手を伸ばしてきた。

 おれは、なんだこいつ馴れ馴れしいな、と思いながらも無視して井上準と呼ばれていたハゲに話しかけた。

 

「今のご時世、ロリコンって肩身狭くて大変でしょ。オカズの調達も一苦労なんじゃないの?」

「そうでもないぜ。外に出るだけで愛くるしい少女の無邪気な姿はいくらでも転がってるしな」

 

 やっぱりこいつ通報しよう。ほかの性的嗜好に理解がありながらも常識も兼ね備えているおれは良識に従おうとした。

 その前に井上はおれから視線を外して罰が悪そうにおれの尻を揉む葵冬馬を見た。

 

「つーかお前、さっきから若にケツさわられてるけど何で平気なんだ?」

 

 若とは葵冬馬のことかな。おれは平然と答えた。

 

「別に男にさわられたって減るもんじゃないし、どうでもよくね?」

「そうか。お前すげーな」

「おや、良いんですか? なら失礼して……」

 

 葵は手つきを怪しくいやらしいものに変えた。ぞわっと臀部から怖気が走り、得も言われぬ快感が葵の指から迸る。

 あれ、こいつ……巧いぞ……!?

 身震いするおれを助けようと、今まで静観していた姉さんがおれと葵のあいだに割って入り突き飛ばした。

 

「おっと」

「コラ、よくも人の弟に好き勝手セクハラしてくれたな。その尻は私のだぞ」

 

 なに言ってんだろう、この人。おれは姉さんの背中を見て呆れた。そしておれの尻に執着する姉さんに、昔日の出来事を思い出していた。

 

 小学生のとき、姉さんはおれの尻を枕にしてくつろぐのが好きだった。おれは尻枕が子供心に嫌で仕方なく、ある日姉さんが尻に顔を埋めた瞬間を狙って屁をかまし大乱闘に発展した過去がある。

 それは屁が微粒子状のうんこであることを考慮すれば、一時とはいえ姉さんの顔におれのうんこが付着していたということであり、疑似的なスカトロと取れないこともなくはないのではないか。

 なお、この回想と姉さんの尻に執着していることに関連性はまったくない。ただ思い出しただけである。

 

 突き飛ばされてよろめいた葵は、姉さんのセリフをきいておれに視線を送った。

 

「そうなのですか?」

「違うよ」

 

 おれは即答した。葵はしたり顔になり、姉さんは心外そうに眉をひそめた。

 

「でしたら私がさわっても問題ありませんよね?」

「あるに決まってるだろ。だいたい何だお前。男の尻さわって嬉しいのか?」

「ええ。私はどっちでもイケますので」

「うわ! 気持ち悪ッ!」

 

 おれは言い争いを始めた二人を無視して井上に話しかけた。

 

「話を戻すけどさ」

「え、この状況で!? 俺は武神に絡まれてる若を助けたいんだが」

 

 親友らしい葵が口より先に無双正拳突きが飛んでくることで有名な姉さんにイチャモンつけられているのが心配で仕方ないらしい。

 おれは二人を一瞥し、ヒートアップしている姉さんに言った。

 

「姉さん、手出しちゃダメだからね」

「なにぃー!? なんでだよー! 変質者に甘いぞー!」

「ふふ、どうやら彼は私の味方をしてくれるようです」

 

 安全が保障された途端に葵は姉さんを煽っていた。にっこりと微笑む葵に姉さんは頬を引き攣らせた。

 井上の懸念を取り除いたおれは再び井上に向き直った。

 

「気を取り直して……ロリコンってやっぱり無垢な少女が好みなんだよな?」

「どうなってんだこれはよ……ついていけねえぜ。んー、まあそうだな。それも重要な要素のひとつだが、小さいこと。起伏のない体をしていること。かよわいこと。かわいいこと。それが大事だぜ」

 

 井上は戸惑いながらも神妙な顔つきで口を開いた。

 

「無垢なことが必須でないならロリビッチはあり?」

「二次元ならありじゃね? 現実なら許せないが、妄想の世界ならロリというだけですべて許せる」

 

 はじめは状況に理解が追いついていけなかった井上も途端に饒舌になった。おれも持論を展開した。

 

「でもロリの魅力って無垢であることが最も大切だとおれは思うんだ。

 男はみんな、綺麗なものがいずれ時間と人の手によって汚されていくのを知っているから、せめて自分の色に染めようとする。その優越感と征服感こそが、若さに嫉妬する年増がロリに勝てない絶対的な要素だと思うんだけど」

「おいおい、ロリコン嘗めんな。俺たちは現実で手を出してしまう犯罪者たちとはちがう……無邪気で可憐な幼女をやさしく見守り続けたい……そういう父性愛がロリコンの源にあるんだぜ」

 

 まるで高尚な使命だとでもいうような口ぶり。ニュースで非難される奴とはちがうと訴える眼差し。

自己の正当化を感じ、おれはばっさり言った。

 

「それっておかしくねえ? だってお前さっき幼女をオカズにしてるって自白してたじゃん。性欲じゃん。それって性欲じゃん」

「いや、それはケースバイケースだろ? 児ポを取り締まる政治家や警察だって性欲が高まったとき、目の前に裸の少女がいたら手を出すさ。

 それと同じで、昂った俺はだらしない肢体じゃイケないから幼女で抜く。何がおかしいんだ?」

「だってお前、幼女で勃起するんだろ?」

 

 おれは社会的に軽蔑されるひとつの要素を一身に煮詰めたような男を見た。

 その男――井上準はきまりが悪い様相で答えあぐねていた。おれは畳みかけた。

 

「幼女見て欲情する、幼女を性愛対象として見ている奴が父性愛だなんて耳障りの良い言葉でごまかそうったって、そうは問屋が卸さないぞ。

 認めろよ。お前はペドフィリアじゃないか。心の中ではエッチしたいって思ってるんだろう?」

「人聞きのわるいこと言うなよ! 俺は精々いっしょにお風呂入ったり、『お兄たま、大好き~』って抱き着かれたり、『眠れないから今夜だけはいっしょに寝て……?』なんて言っちゃう涙目の幼女と添い寝したりしたいだけだっつーの!」

 

 ロリコンはね、決して悪いことではないんだよ。男はみんな本心では若い子がいいと思っているから。

 三十代、四十代の女は絶対に十代の少女に勝てない。十代の少女に欲情する男性を、若さを失った女性は声高に異常者と糾弾するが、彼女たちは十代のときにちやほやされて若さの恩恵を得ていたにも関わらず、その恩恵が自分の魅力によるものではなく若さ所以のものであったと認めたくないから、若さに惹かれる男を批難するのだ。

 つまり、若さに嫉妬しているのである。

 性癖・性的嗜好は生まれながらに十人十色なのであって環境によっても左右されるのだから他人がとやかく言う問題ではないのであるが、おれは俗物的人間なので、年増の女性がロリコンを口汚く罵るように、世間で蔑視される人を同じように罵倒したくなるのであった。

 加えておれはマゾヒストであるが、井上のように他人に迷惑は(まだ)かけていないために、幼い娘をもつ全国のお母さんお父さんを不安に陥れているロリコンを見ると道徳観が正義を果たせと轟き叫ぶのだった。

 

 おれは本性をあらわにしたロリコンから目を離し、姉さんと葵を見た。

 

「だーかーらー! あれは私のものなんだよ。十年前から契約してるんだぞこっちは」

「ですが、彼は違うと言いました。これは口頭で果たされた口約束に過ぎず、また彼はその契約を不服に思っているのではないですか?

 彼が否定しているのですから、彼のお尻は誰のものでもないシュレディンガーの尻であり、実際にさわってみないと彼の尻が誰の尻かわからない状態にあると言えるでしょう」

「あはははは! ごめんなに言ってるか全然わかんない」

 

 男の尻の所有権をめぐって言い争う男女がそこにいた。恥ずかしい。みにくい。気持ち悪い。

 変態ってああいうものなんだ。おれは肩をすくめて視線を外して――数多の視線がおれにも向いていることに気づいた。

 その視線はまるでおれが井上や姉さん、葵を見ているものと全く同一のもので、冷たく、けがらわしいものを見るような目をしていた。

 

 世間が、おれたちを見ていた。

 

 道行く人はじっと見ていた。変態の橋の真ん中でロリコンについて語り合う男たちと男の尻を取り合う男女の言い争いを見ていた。

 幼馴染たちはじっと見ていた。初対面の男とロリコンについて造詣が深い口ぶりで話す幼馴染を見ていた。

 おれはふと幼女と目が合った。幼女は指を口にくわえておれを見ていた。おれは控えめに手を振った。

 するとお母さんが幼女を抱きかかえて去っていった。おれは居た堪れなくなった。

 顔が熱くなり、冷や汗が背中を滝のように流れた。汗といっしょに血の気が引いて、正気に戻ったおれは空を跳んで変態の橋を立ち去った。

 

 この一連の出来事を目撃した人は、おれを救いようのない変態と思うだろう。けれども覚えておいてほしい。

おれもまた、変態の橋に踊らされただけの犠牲者のひとりに過ぎないってことを。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 Sクラスの教室に着き、席に座るとおれは長く嘆息した。おれは悔やんでいた。変態の橋でやらかしたことを思い出し、顔を覆っていた。

 莫大な羞恥心と傷つけられた自尊心がおれの心を苛み追い込んでいた。

 あれではおれがロリコンでかつ処女厨だと勘違いされてしまう。それは看過できない。

 だが人の口に戸が立てられぬように、たちまち校内で周知の事実になるだろう。井上の同類、もしくは処女厨をこじらせたさらにおぞましい何かと思われる可能性もある。

 ああ、なんてこった……高校デビューに失敗した気持ちは、こんな感じなのか。

 

「おい、そこのお前」

 

 絶望に打ちひしがれていると近くで女の声がした。首をめぐらすと華美な着物をきたツインテールと目が合った。

 怪獣の方ではないツインテールの少女は、整った童顔を意地悪く歪めた。

 

「風の噂で聞いたが、登校中に派手にやらかしたらしいのう。程度の低い連中と付き合っていると言うし、華麗な此方の入学早々にSクラスの品位を下げられても困るのじゃ。

 自分が選ばれた存在である自覚をもって行動することじゃな。でないと嘗められるぞ」

「はぁ……」

 

 私服で登校していることから金持ちなのは想像がつく。今のは居丈高な物言いだったが、好意的な見方をすればクラスメートへの忠告なのだろうか。

 他人に口出しされることでもないし、おれが変態だからといって同級生の評価が下がる意味がわからなかったが、周りの連中はクスクス笑っていた。

 もう噂になってやんの。しかし笑い方も悪意に塗れてて小学生のいじめみたいな空気が蔓延してる。嫌なクラス。

 感情を露骨に顔に出していたら話しかけてきた少女が不機嫌になった。

 

「なんじゃ、その顔は。せっかく高貴な此方が忠告してやったというに」

 

 面倒くさいのに絡まれた。どうしてやりすごそうか考えていると、少女は悪戯を閃いた童子みたいな含み笑いをした。

 

「ふむ……お前、ちと手を見せてみい」

「?」

 

 腰から上をじろじろと見られてからの一言に首をかしげながらも右手を差し出した。

 少女は手にとって裏返したりしてじっくり観察してから、つまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「ふーむ……きれいな手をしておるな。つまらん」

「なに?」

 

 おれが尋ねると少女は不遜に言った。

 

「なに、農家の倅と聞いていたからの。土が爪の間に挟まっていたり、指先がボロボロだったりしないか確認したかったのじゃ」

「……」

 

 イラっとしたおれはデコピンの要領で指弾を放ってデコを狙い撃ちした。

 

「にょわっ!? な、なにをする!」

 

 威力は普通のデコピンと大差ないので食らった少女は怒気をにじませて睨んできた。おれは鼻くそを飛ばす感覚で指弾を連射した。

 

「にょわぁぁぁっ!? や、やめい! やめるのじゃ! やめ……やめぇ!」

 

 ぺしぺしぺしぺしと連打をデコに食らった少女は両手でデコを抑えながら涙目になって懇願してきた。

 可哀想になってきたので止めると、少女はまたキッと睨んできた。

 

「よくもやってくれたな! 此方を誰と心得る! 恐れ多くも名門不死川の娘じゃぞ! それを貴様のような輩が――」

 

 反省していなかったのでまた指弾連打した。泣くまで連打した。泣いてからも連打した。不死川さんは泣き出して逃げ出した。

 

「うぐっ……ひぐっ……お、覚えておれこのバカァァ! うわああああああ!」

 

 捨て台詞を吐いて教室を飛び出した不死川さんの背中を視界からきって、おれは再びため息を吐いた。

 この人とあの三人組と同じクラスか……面倒な。

 先を思い悲観に暮れていると、近くの席の男が声をかけてきた。

 

「少し腕っぷしが優れているからっていい気にならない方がいい。ここはSクラス。不死川や九鬼のような名家、大企業の社長の子息たち。日本の未来を支えるエリートが集まっている選抜クラスさ。

 底辺とバカ騒ぎしたいならやめてもらってけっこうだよ。騒がしい人が消えて僕らは助かるからね」

 

 嫌味たっぷりにケレン味皆無の歓迎の言葉をかけてくれた。

 なんだか嫌な人ばっかりだ。

 おれは長くデカいため息を吐いて応えてやった。

 


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