遅刻どころではありませんが、あけましておめでとうございます。
外典は五巻まだちょっと読み終えてないので本編に関してはもう少しお待ちください。
カウレス・フィオレッジ・ユグドミレニアの胃は爆発しそうだった。
――いや、爆発はさすがにないとしても、それとほぼ同義のことが起きそうな位に彼は疲弊していた。
何がそこまで彼を追い詰めたのかというと、現代社会に置いては特に珍しいわけでもない、単なるストレスだ。そしてそのストレスの原因はというと、ダーニックに任されたサーヴァントの世話である。それも複数。普通ならば英霊と語り合うような機会、興味のある者ならば率先して行うようなものであるが、如何せん面子が悪かった。
寡黙なセイバー、聡明なアーチャー、王として振る舞うランサーの三人はまだいい。むしろ今のカウレスにとってはたとえ無骨であろうと物騒であろうと清涼剤みたいなものだ。問題はそれ以外のサーヴァントだ。
とにかく悪を滅ぼしたくて堪らないライダー。
城どころか同じ時間軸からすらも消えるキャスター。
そもそも存在してること自体がアウトなバーサーカー。
この三人は最早厄災の種でしかない。
当然、カウレスも当初からダーニックへ『任されても困るどころか無理だ』と声高に反論した。
縦社会である魔術師の世界において当主から下された命令に真っ向から反論するなどあまりよろしくないことではあるが、そもそも一癖も二癖もあるようなサーヴァントの相手を最も未熟なマスターにさせるという無茶振りをしているためか、ダーニックからは痛ましいものから目を逸らす際の憐みや同情染みた感情を向けられただけであった。思えばカウレスにとって、ダーニックからあれほど感情を込められた何かを送られたのは初めてであった。
だからどうしたという話であるが、当主直々にサーヴァントの世話を任されてしまった以上彼らの行動の責任は自分に問われることになる。それが分かっているからカウレスは彼らの行動による被害を少しでも抑えることに尽力し、それゆえに聖杯戦争以前に過労によるストレスで敗退しそうになりつつある。
現状でさえこれであるというのに、極東の地でアサシンのクラスで呂布を呼ぶといっていた同胞が来たらまず間違いなくカウレスは死ぬだろう。そんな色々な意味で変則的な召喚ができるかどうかは別として。
そんな未来を回避するべく、到着するまでの間にどうにかして彼らに手綱をつける方法を自室で試行錯誤しながら模索している。とはいえど、疲れ切った脳はまともな案を出すことなどなく、ただ椅子にもたれ、視線を机の上のPCではなく宙に向けて呆然としているにすぎなかった。カウレスもそんな己に気づいていたがそれはそれでいいとさえ思っていた。矢継ぎ早にやってくる問題に対処するためには疲れた体を休めて癒すこともまた重要だった。
しかしそんな暇はないといわんばかりに、彼の耳に控えめのノックの音が入る。
「今度はどいつが何をやったんだ?」
条件反射で反応し、扉の前にいるであろうホムンクルスに声をかける。
疲れた脳が限界を超えてなお酷使され、休息を求める過労死手前のような体に鞭を入れて倦怠感を伴いながらも、立ち振る舞いに気を遣いながら部屋を出る。如何に相手がホムンクルスであろうと、情けない姿を見せるわけにはいかなかった。
「バーサーカーが供給槽へ……」
「ゴルドおじさんに謝らなきゃな……」
それだけで全容が理解できてしまったことが悲しかった。
言葉を遮るように背の低いメイドホムンクルスの頭に手を乗せて、慰めるように撫でながら移動する。おそらくバーサーカーが向かった供給層のホムンクルスは全員亡くなったとみていいだろう。初めてのことではない。これで都合三度目である。自らのサーヴァントを律することのできないことの申し訳なさで頭が一杯になる。
ゴルドはその都度カウレスに対して気にするな、と寧ろこちらを労わってくれてさえいたが、それとこれは別問題だ。
「なんだかサーヴァントの世話を初めてからみんな優しくなったな」
これが世話をする前のことであればきっとネチネチと文句を言って莫迦にしていただろう。
実際カウレスにとってゴルドという人物はそういった評価をされても仕方のない人間であった。
またロシュであれば彼よりも年上でありながら魔術師として劣ることを笑われたであろう。
しかし今はむしろどこか尊敬の眼差しを持って見られつつある。
黒魔術の使い手で自他ともに認めるドSのセレニケとて優しさを見せて紅茶を入れてさえくれた。
姉のフィオレも聖杯戦争の準備のため、機会こそ少ないが話すときは幼いころのように無邪気に語りあうことができた。
ダーニックもカウレスと会話するときだけは厚い面の皮を剥がして本心から労いの言葉を投げてくれる。
彼らのそういった反応は素直に嬉しいのだが、それならカウレスとしてはこう言いたい。
――頼むから、一日でもいいから代わってくれ。
そう言うと、決まって目線を逸らしてくるのが彼らであった。
フィオレとダーニックはいい。彼らは自分のサーヴァントに掛り切りなのだから。ゴルドもおざなりな扱いをしているがセイバーの面倒を見ているし、ホムンクルスの制作など他の者では代わりの利かない仕事がある。
だがロシュとセレニケ。てめーらはダメだ。
それぞれ言い分はあるだろうが、触媒を選択したのも召喚したのも彼ら自身なのだ。ならば面倒を見るのも当然のはずだ。
例えマスターを悪と断じて切ろうとするサーヴァントであろうとも自慢のゴーレムよりも圧倒的に格上のゴーレムをどこからか持ってきて自尊心を叩き折るようなサーヴァントであろうとも、だ。前者は目の前で悪逆ととられることさえしなければ遮二無二切られることはない。後者に至ってはプライドという点を除けば危害など微塵もないのだ。
それならば――バーサーカーに比べれば遥かに
それこそ恥も外聞もなく懇願してでも交換してもらいたいほどに。
そうして心の中で愚痴を並べているうちに、二人は件の場所へ着いた。
暗い空間だが、鼻に付く鉄臭さと生臭さ、足元から聞こえる水音と少し離れた位置から漏れる咀嚼音の所為ですぐに明かりを点ける気にはならなかった。相変わらずこの臭いには慣れない。顔を顰めながらも意を決して、明かりを点ける。決意と覚悟の重さに反してすぐさま光るそれは、あまりにも無機質な反応だった。
――そこには凄惨な光景が広がっていた。
床は元の色が分からないくらいに血がぶちまけられており、その中に時々砕かれたガラス片と小汚いピンク色の肉片が見えている。水位が半ばまで下がった供給層の中身は酷いもので、器用に頭部を割かれて脳だけを食べられたホムンクルスたちが赤く染まった水槽の中、間抜けにさえ思えるような無表情で転がっていた。魔力供給用のホムンクルスに肉体機能などほとんどない。一切の抵抗の意思を見せることすらできず、無残に食べられたのだろう。
案内をしていたホムンクルスが嘔吐し、吐瀉物が靴にかかる。随分と人間らしい、ホムンクルスらしからぬ反応だ。しかしカウレスの意識が其方に向けられることはなかった。カウレスの意識は明かりを点けてからある一点にのみ向けられていた。
「また随分と派手にやってくれたな。バーサーカー」
視線の先には衣装が濡れることなど気にせず蹲る異形。カウレスの声に振り向いたそれは両肩から黒い鱗の、大型犬ほどのサイズの大蛇を生やした虚ろな眼をした男であった。肩の蛇も噛り付いていた脳を一飲みした後にカウレスへ詰問するかのような視線を向ける。並みの者が睨まれれば蛙のように縮こまるでろうその視線にカウレスは耐えきり、その上でこちらのセリフだと言わんばかりに目を細めて睨みつける。
そんなカウレスに対して邪魔をするな、と何ら反応を見せない男の心情を代弁するかのように、両肩の蛇が紅く濡れた拳ほどの大きさの牙を見せて威嚇する。牙の先端から垂れた血とは別の液体が血塗れた床を穿つ。
これがバーサーカーの厄介なところだ。勝手に実体化しては生者を襲い脳味噌を喰らい、反省の意思を見せず、揚句マスターまでもその手にかけようとする。加えて言葉も通じない。面倒事の多い他のサーヴァントは手間こそかかるがそれでもまだ話の通じる者たちであったし、ある程度譲歩もしてくれた。
しかし、バーサーカーにはそれがない。本来ならばマスターがきつく手綱を握ることで抑えることができるのだが、未熟なマスターであるカウレスにはそれができなかった。いや、例えフィオレやダーニックであろうとも彼の邪性を抑えることは難しいだろう。
未熟であるが故に行った、アインツベルンの
もっとも、そうなる前に同じ方法で召喚されたライダーがどうにかするだろうというのが黒陣営の見解である。扱いの悪さで言えばバーサーカーもライダーも邪性か聖性かというだけで大して違いはないのだ。
ゴルドがカウレスを責めないのはそういった理由もあるからだろう。いくらでも生産できるホムンクルスで鎮めれるならむしろ安いもの。ダーニックも、ロシェも、セレニケも、そして魔術師のフィオレもそう考えている。それは間違っていない。ホムンクルスは人工の生命体。所詮は替えの利く存在に過ぎない。一両日もすれば屍を晒している彼らの代替が何もなかったように、また供給槽を埋めるだろう。
それでも――彼らがこんな残酷な行為をされてもいいという理由にはならない。
人工生命と言っても、例え水槽の中でサーヴァントの魔力消費に使われるだけと言っても彼らは生きているのだ。綺麗ごとに過ぎないことはカウレスにもわかっている。聖杯戦争が始まれば結局彼らが膨大な魔力供給に耐え切れず死ぬのは目に見えている。それでもカウレスにはホムンクルスを作られただけの道具だと、サーヴァントをただの使い魔と見ることができなかった。そうであるように作られた以上、強制せねばならないこともあるがそれ以外までも強いるのは別だとすら考えていた。まして、こんな嗜好染みた行いの犠牲にされることなど。
だから自分は魔術師として未熟なのだろう。魔術師であるならば命に頓着などするべきではないと、そんなことは分かっている。
だがカウレスからしてみればそれこそ『だからどうした』と言いたい。魔術師である以前に
それが魔術師カウレスが選んだ生き方であった。
そこから導き出される結論は至極単純――バーサーカーの行いを許すわけにはいかない。ということだ。
都合三度に渡る蛮行。命令不服従。マスターに対しての反抗行為。
心が広いと自負するカウレスからしてみてもバーサーカーの行為はあまりにも目に余るほどだった。それこそ、令呪の使用も辞さないほどに。むしろ遅すぎたとすら考えていた。
拳を力強く握る。手の甲から発せられる綺麗な蒼き光にバーサーカーと両肩の蛇が驚くように動きが急停止。次いでやめろと言わんばかりに奇声を発しながらのた打ち回り、牙がカウレスに向けられる。
蛇という、それも胴体から下がないにも関わらずそれは全身で地と壁を叩き、城を揺るがしながら彼我の間にあった決して短くない距離を一瞬で走破。目にも止まらぬ俊敏さを持って令呪どころかカウレスそのものを丸呑みする勢いで迫る二匹が顎を大きく開く。
「令呪を持って命ずる」
それに対してカウレスは何も備えず何も身構えず、目前の狂気を前に悠々と構え、淀みも焦りも躊躇いもなく命令を告げる。
「ちょっと待った」
しかし、告げようとしていたその命令は突如として、目と鼻の先まで来ていた牙とともに止められた。
場の雰囲気に反してあまりにも穏やかな声音で声をかけられたに過ぎない。それだけであるが、どういうわけかカウレスにはその言葉に逆らおうという気が起きなかった。魔術を使われたというわけではない。ただその声には逆らい難い何かがあった。その何かを俗な言い方で表すのであれば、さながら『魔力が込められているよう』だった。
そのことに困惑はなかった。カウレスには声の主の検討がついていた。
芸達者で口が巧く、何時の間にか姿を消して大事な時に
まるで未来が見えてるかのように振る舞う雲のように自由な、飄々とした役者染みた振舞の男。
「キャスターか」
「ああ、確かに今の私はキャスターだったね。久しぶりだねカウレス君。もっとも、君にとっては私がいなかったのはたったの一週間程度にすぎないけどね」
口に出して存在を確かめると、あっさりと返事が返ってくる。声はバーサーカーの後ろから。
顔を今まさに飲み込まんと大顎を広げるバーサーカーからずらして視線を向けると、そこにはカウレスが初めて見た召喚時と同様のスカイブルーのスーツを着た、ややふっくらとした体形の男がいつの間にか立っていた。弛み、というほどではない。それは生活のだらしなさではなく、どちらかというと性格の
キャスターは黒の陣営の中では最も歴史の浅い英霊ではあるが、そのまま社交会へ出ても違和感がないほどに現代寄りの恰好と気質をしていた。
そのため、キャスターはバーサーカーとは違い存在の異質さを微塵も発していない。それどころかまるで魔術も何も知らない一般人のようですらある。この気配のなさは戦闘を旨とはしないキャスターであることを鑑みても、とても人を遥かに超えた存在である英霊が発するものではない。
しかしだからと言ってキャスターを軽んじることができるものはユグドミレニアには誰一人としていなかった。
それは彼が
如何に英霊といえど眉唾物の話であったが、実際にダーニックの魂の摩耗に血の濁り、そしてカウレスにとって姉であるフィオレを歩けるようにしたその手腕に、その場のサーヴァントの真名を一切の情報も与えられていないにも関わらず当てたことを持ってキャスターは証明して見せた。
如何なる手よりも強いジョーカー。それが黒陣営におけるキャスターという存在であった。
――強いて問題があるとすれば、彼は優れた役者であるがゆえにそのジョーカーを切ってくれるのは絶体絶命の土壇場でしかありえないということだろう。できればそんな事態には陥ってほしくないところである。
「思案するのは結構だけど、その前に手綱を預けてもいいかな? 元より彼のマスターは君なのだし」
さも自然な動作で近づいてきたキャスターはいつから持っていたのか分からない、膨大なまでの神秘を宿した紐を大したものではないと言わんばかりの軽い扱いでカウレスの手の内へと納めた。
対してカウレスはそうもいかず、紐とキャスターを目で数回往復した後にようやく落ち着き、恐る恐ると言った様子で紐の先をなぞるように視線を移す。
先を辿っていくと、ようやく二匹の大蛇に変な紐が絡み付いていることに気が付いた。大蛇の図体に比べれば絡み付いている紐は比べるまでもないほどに細く、頼りないものですらあった。にも拘らず、一向に切れる気配はない。それどころか縛られた大蛇はまるで動けず小さく震えるだけにあった。
「これは……神代、の。もしかして……グレイプ、ニル?」
「ああ、その通りだよ。もっとも、縛っているのはフェンリルではなくヨルムンガルドだがね」
カウレスの呟きにおめでとう、と褒めるように拍手が送られる。
しかしカウレスは紐の正体を看破したわけではないがゆえに、素直に賞賛を受け取れず苦笑を浮かべた。
カウレスの魔術師としての才覚はどう言い繕おうとも所詮凡夫の域を出ることはない。
その代わり、カウレスは多くの知識を持っている。それは彼が彼なりに姉に追いつこうとした努力と研鑽による代物で、専門的な知識を除けばカウレスの持つそれはダーニックに次ぐほどであった。
そんなカウレスを持ってしても、何一つとして解らない。ならばそれはすでに存在しない、神代の代物だろうと判断し、その中から偶々最初に頭に浮かんだのがグレイプニルだったというだけであり、それが知らぬうちに口からこぼれてしまったというだけ。言ってしまえばまぐれだ。
とはいえど、これがグレイプニルであることに不満はない。むしろ何の対策も講じることも出来ず、令呪を使うしかないと思っていたカウレスにとっては僥倖だ。これで厄介なサーヴァントの一人に文字通り手綱をつけることができたのだ。
カウレスの中に久しく感じていなかった高揚感と安心感が胸に満ちていき、思わず笑みが零れる。これで残るはあと二人――。
「それでは私はフランスへ行ってくるよ。何千年も前から熟成させておいたワインがあるのでね」
相変わらず一か所に留まる気のないキャスターと。
「悪罪滅すべし。罪人死すべし。というわけでカウレス殿、よろしいですね」
『今から斬るぞ』と言わんばかりにバーサーカーへ剣を向けるライダーだ。
胸に満ちたものが真逆のものへと移り変わりゆくのをカウレスは感じた。
作者は外典のマスターだとカウレスが特に好きです。なので多少贔屓してしまうのは許してほしい。
あとセイバーを豊久にしようと思ったが、お豊がアキレウスの口に銃捻じ込んだところまで想像して止めた。
…………うん、妖怪首置いてけパネェ