快適ともいえぬ時間を過ごし、ようやくルーマニアへと着いた獅子劫がまず行ったことは凝り固まった全身を解すことだった。シートの座り心地は悪くはなかったが、周りの面子が明らかに悪すぎた。
その所為か、暢気に寝ていたり快適な時を過ごしていたであろう面々を見ていると、少しばかり腹が立った。特に空気が旨いといわんばかりにいい笑顔を見せる神常に対しての不快感は殊更ひどいものであった。
今の獅子劫の気分はまるでいじめっ子の仕打ちに腹を立てるいじめられっ子である。まさかこの歳になってそんな気分を味わうことになるとは、生まれてこの方顔と身長のおかげで絡まれたことすらない――ただし警官は除く――彼にとって不本意ながらも新鮮な出来事であった。
「ところで俺たち以外に人がいないのだが、人払いでもしてるのか」
そう尋ねてふと周囲を見渡す。個人でチャーターしたものとはいえど荷物検査が一切なく、当たり前のように現界している二人のサーヴァントの服装が当時の物から変えられていないことから薄々予想はしていたが、ここまで大規模な人払いができるとはさすがに思いもよらなかった。少なくともこの規模となれば、単なる魔術的な措置だけでは不可能。クラムベルク家は表にも繋がりがあるといっていたが、政府の高官にまであるということには驚嘆を隠せなかった。
「いや、シンがここに向かってくるからこのあたり一帯に避難命令が出されてるだけだ。あんな猛スピードで走る馬が事故を起こしたら人的被害だけでもすごいことになるしな。まあ、そうしたほうがいいと連絡したのは私だがな」
が、その驚きは呆れに転じた。
そろそろ真面目に考えるのをやめようと獅子劫は決めた。深読みは恥をかくだけだけだ。
「と、噂をすれば、というやつか。来るぞ」
「2時の方角……東からか」
オリアムと神常の言葉につられて、全員が同じ方向を向く。
目に映る風景には何の変化もない。しかし近づいているというのは気配で察することができた。
「到着まで……あと30秒といったところかのう」
「現時点ではシンヴェルがリード。しかしアーチャーの方も壁を利用した跳躍を繰り返し、恐ろしい勢いで距離を詰めているな。とはいえど、これならば……」
朝宮がそういったところで、奥の曲がり角から何かが滑り込んでくる。
馬だ。それもただの馬ではない。八本の足を持つ幻想種でも最上位に位置する神獣だ。そしてやや遅れて少女。速度からして明らかに只人ではなく獣耳のようなものがある。
一頭と一人は空気の壁を突き破りながら疾走を続け、一直線に皆が集まるホールへと向かってくる。両者の顔は見えないが共に真剣そのもの。人によって感じ入った部分は違うが、皆が皆感嘆の息を漏らす。
が、しかしその勝敗は見えていた。
馬はどんどんスピードを上げていき、少女はそれに追いつけず徐々に差が開いていく。
とはいえど、それも仕方がない。
どれだけ速くても少女は所詮二足歩行。
対して相手は八本の足を持つ最高神の騎馬、スレイプニル。
純粋な速力勝負で、速度がほぼ同等となれば物を言うのは単純に地を蹴り加速する足の数となる。
結果は語るまでもないだろう。
※※※
「おいマスター! 見ろよあれ、神馬だぜ! クサントスやバリオスよりすげえ! 乗ってみてぇ!」
「ああ、まったくだ。是非ともあれで野を駆けてみたいものだ」
興奮によりさりげなく情報を零したライダーのセリフをその場にいた者たちは脳の片隅に止めておく。堂々と晒し、それを止めはしないのは昨日の宴で既に言っていたのか、自信があるからか、あるいはただの馬鹿だからなのか。判別はわからないが、覚えておくことに損はないと誰もが判断する。
疾走していた二者はここに来るまでに力を使い果たしたのか、ともに息も切れ切れ、ホールに倒れてグッタリとしている。ただし、片方は先ほどとは違い男性の大人の姿となり、上に布地の厚い大きなタオルをかけられている。
「で、そろそろ本題に入ってもいいか?」
「待て、あと5分……」
まるで寝起きの子供みたいなセリフを荒い吐息混じりに零す。
とはいえど、イギリスからルーマニアまで、それも海を渡りスウェーデンからEUの外周沿いに走るという、フルマラソンなんて目ではないレベルの運動を行ってきたのだ。むしろそれだけ肉体を酷使しておきながら、ものの5分で回復するということの方が驚愕に値するだろう。
「なら私がやるからお前は休んでいろ」
そう言いながらオリアムは倒れたままのシンヴェルの額を軽く押して手を叩き注目を集め、一端間を置いて意識が己に向いたことを確認してから口を開く。
「とりあえずここからは別行動してもらっても構わない。それから、まだサーヴァントを召喚していない獅子劫と朝宮にはできれば今日中にでも召喚してもらいたいが……」
「別に構わない」
「俺も問題ないが、触媒のほうは用意してあるのか?」
他人が、それも同陣営と言えど聖杯戦争参加者が用意した触媒を用いるということはサーヴァントの真名がある程度把握されているということにも繋がる。無論、触媒はあくまで絞り込むための物。複数の英霊が該当する物もあるため偶に予想だにしない英霊が呼び出される、ということもありえるため確実に、というわけでもない。しかしそれは本当に偶然の産物でしかないため、期待するだけ無意味に等しい。
とはいえど、獅子劫は真名に関しては心配していない。彼には予想がついていた。先ほどのライダーの言に反応していたことから察するに。
「あるにはあるが、どうもあいつらは格だけで選んだらしくてな。何の英霊が呼び出されるのか碌に判断がつかんのだ。下手したら既に該当クラスが埋まっているかもしれん」
「やっぱりか……」
やはり
オリアムが差し出した触媒は二つ。何かの木片と古びた小瓶。せめて剣や鏃といったものであればある程度クラスの判別はできたであろうが、これでは何のクラスで召喚されるか見当もつかない。
「(つっても、瓶ってのはなんとなくキャスター臭いな……)」
キャスターのクラスには道具作成のスキルが付くため、ある程度そういった知識経験がある英霊が多い。既にキャスタークラスが召喚されている以上、懸念するべき事態だろう。
獅子劫は一瞬躊躇ってから、木片を手に取った。
「先に選ばせてもらって悪かったな」
「いいや、構わないさ。余りものには福がある、とも言うしな」
朝宮は気にした様子もなく残った瓶を手に取る。獅子劫としては厄介者を押し付けたようで、多少の罪悪感を感じた。が、朝宮が武宝院から来た達人であることを思い出すと無用な感情だと気付く。
武宝院――かつて存在した中国のとある部署を前身としたその組織は表沙汰にされないアジアにあるWHO所属の裏世界の機関。その主な仕事内容は武術の修行法、技や奥義の習得法及び実践法の文書または映像などによる記録化と――要人警護やテロリストといった反社会勢力の駆逐。
それが表の世界ならば武宝院は精々が傭兵組織程度の扱いに過ぎなかっただろう。だが武宝院は裏の組織だ。要人警護の警護対象などは行く先々で人目すら憚ることなく命を狙われる者ばかりだし、反社会勢力の中には魔術関係者は勿論、キメラや死徒といった社会に害悪な類もいる。
加えて言えば、武宝院が定める達人というのは積み重ねた武技が神秘に達したレベルの猛者たちのことを言い、その実力はサーヴァントにも負けず劣らぬ連中でもある。
さらに付け加えると朝宮緋雪は魔術師としても名の知れ渡った存在でもあることからそちらの技量にも期待ができる人材だ。はっきりいって獅子劫よりも段違いに強い存在であり、気にかけることが烏滸がましく思えるほどだった。
俺より若いのに……と、世の理不尽に嘆息せざるを得なかった。
「戦術などについての話は明日、全サーヴァントを交えて話すことにする。以上だが、寝床がない者はいるか?」
「俺は適当にどっか探すさ」
「武宝院から手配されてる」
二人して問題ないと告げ飛行場から去ろうと背を向け――獅子劫はふとあることに気づき、辺りを見渡し一言。
「そういえばいつの間にか神常がいないがあいつは?」
「あいつならキャビンアテンダントのナンパに行ったよ。管制室の人間は当然いるし、従業員も個室に隠れてるだけだからな。『いざCAの園へ向けて……進軍!』とか言ってたぞ」
「ついでにライダーも付いて行ったぞ」
「変質者扱いで捕まらなきゃいいけどな。出すこと自体は楽だが手続きが面倒くさいし」
――胃薬買おう。
男はそう心に固く誓った。
※※※
「ではこれより会議を始めようか」
――いやバッサリカットしすぎじゃね!?
思わずそう口にしそうになるが、ギリギリのところで思いとどまった。
第一今の言葉も突如飛来してきただけで、何がバッサリカットなのかは獅子劫自身にもわかっていなかった。
とはいえど、赤陣営の全員が集まるこの状況下でそんなことを口走らずに済んだことに心の内で安堵する。明らかにまともな面子がいないこの中で、まともであると自負する己が可笑しな奴という評価を受けるのはあまりにも屈辱的すぎる。
おそらく一七二段もある階段を上ってきたことで疲れてるんだろうな、と思い一先ず頭の中を切り替えた。
「その前に一つ聞きたいんだが」
そうした矢先、会議で口火を切ったのは音頭を取るオリアムでもなく、赤陣営の頭というべき存在であるシンヴェルでもなく、昨日まではいなかった魔術師殺し・衛宮切嗣だった。
「聖杯の使用に関してだが、それはどうするつもりだ。返答次第では僕はこの場を去らせてもらう」
見た目の上でのインパクトは集まった者たちの中では最も小さいが、纏う雰囲気とその声には曖昧な答えは許さないという重みがあった。とはいえど、それに関しては皆――朝宮と神常だけは気にした様子もなく、平素のままの振舞いだった――が一様に聞きたがっていた件である。
ここにいる者は金で集められた役割を果たすだけの傭兵ではない。それぞれ願いを持つマスターだ。そして願いのためなら手段は選んでも躊躇するようなものではない。切嗣の言うとおり返答によっては、赤の陣営は黒と一戦も交えることなく分裂することになる。
場に集まったクラムベルクの一族と朝宮、神常以外の全員の視線がシンヴェル一人に向けられて自然、空気も重いものとなる。かかるプレッシャーはもし心臓が弱ければ、心停止しても可笑しくないほどだ。しかし、ことクラムベルクの人間に対してそれはない。
「ああ、願いについては全員叶えられるようにするから安心しておけ」
事実、シンヴェルはそんなもの何ともないと言うように、面々の真剣さに反してあまりにも軽々しい口調で飄々と答えて見せた。
それも、誰もが予想だにしなかった回答で。
『……は?』
だから、全員が呆けたセリフを口にしたのも仕方ない。
何故なら聖杯を使えるのは最後に残ったマスターとそのサーヴァントのみ。それが彼らにとって常識であり、それを覆す発言をさも世間話のように言われたのだ。
「それは本当なのか?」
「もしそうであるなら、根拠を示して貰いたいが」
しかし皆心情は半信半疑、といったところであり疑問を口にする。
根拠も具体案もなく、そのまま信じるような存在はこの場にはいない。
とはいえどシンヴェルの方も計画に自信があるのか、不敵な笑みを浮かべる。
「おいおい、お前らもしかして俺が適当に選んだとでも思ってたのか?」
「ああ、思ってたよ」
「触媒の選別すら適当だったくせに」
「てっきりサイコロか何かで決めたと思っていた」
日頃の行いから出たセリフに苦笑を零す。とはいえど、そんな扱いも仕方がないことだとシンヴェルは割り切った。
「結論を先に述べると聖杯を改造するんだよ。俺たちにとって第一の目標は聖杯を奪還することだ。そしてそのためには聖杯をトゥリファスの地脈から引きはがして掌握する必要がある。その為に雇ったのが朝宮だ」
手が差し伸べるかのように朝宮に向けられ、皆の視線がつられるように朝宮に集中する。が、本人は全く気にした様子はない。あるがままの自然体であった。
「朝宮は『武錬』にも数えられるS級の達人でサーヴァントとも渡り合えるだけの実力を持つ。そして同時に地脈関連のエキスパートでもある。こいつなら聖杯をルーマニアの地脈から引っぺがすことも可能だ」
『武錬』の一人でS級の達人。その事に事情を知る者が息をのむ。達人の中でも頂点に位置する者に対する畏怖が知らず知らず目に宿り始める。
しかしシンヴェルは漂う空気を無視して今度は掌を神常に向ける。自然、皆の視線も移る。
「神常征野は今世最高と言われるほどの魔術師だ。奪い取った聖杯を俺たちクラムベルクが解析した後、こいつとともに聖杯をわざわざ赤陣営で争い合う必要がないように改造する。元々、起動に必要な魔力自体は六騎で充分なんだからな」
「出来るという保証は?」
「ねぇよ、んなもん。出来ないなら出来ないでやり合うだけだ。だが……」
「魔術に関しては俺も最高だという自負がある。不可能はない」
「とのことだ。ここまで言ったからには自信はあるようだし、心配はいらんだろう」
切嗣の鋭い物言いに神常が絶対という自信を込めて断言する。納得したわけではないが、一先ず話を進めることを優先し切嗣も黙る。
「ただこれだとどうしても願いを叶えられるのは一組になってしまう。だから願いを叶えた後、再び黒陣営を作り出してまたぶっ叩く。これを六回やれば都合全員叶えられることになる。このことを広めればアインツベルンも改造に協力するし、願いを叶えるためにお仲間集めて突っかかってくるだろうさ」
「だがそれには膨大な月日が掛かろう。それまで我らの維持はできるのか? そもそも六十年周期で行われるような闘争だ。マスターなど先に死んでおるだろう」
「ああ、それに関しても対応は練ってある。うちの叔父貴は人形師として優れた腕を持っていてな。サーヴァントたちにはそれを器として使ってもらうつもりだ。まあ、霊体化はできなくなるがな。そして周期は朝宮によると多数の地脈を束ねることで6年まで短縮できるそうだ」
「弄る許可もお前たちが
「後から湧いてくる文句は空いたマスターの枠で抑え込めばいい。争って滅亡してくれればなおさらいい」
一通りの説明を終え質問はあるかと尋ねるシンヴェル。
すぐさま問いを投げつけることはせず、各々が自身のサーヴァントと会話を繰り広げる。それでもざわざわと騒がしくなることはなく、精々が視線を交わすなり二言三言程度で終わりを告げる会話ばかりですぐさま終息した。
ほぼ全員が一先ず様子見、不可能または虚言だと判明次第決裂という形で収まった。
もしシンヴェルの言葉通り、全員の願いを叶えることが出来るとしたら無理に戦う必要はない。
逆に戦いになればまず確実にクラムベルクの三人は手を組むのは確実。切嗣はその戦いからして組もうとするものが現れることはなく、神常も野心を隠そうとしないことからおそらく単独で戦うつもりなのは明白。唯一朝宮と獅子劫だけが手を組む可能性があるが、サーヴァントの相性が悪い。そしてそもそも朝宮は獅子劫たちとは違い、正式に雇われた傭兵であり、シンヴェルに与するほうが確率的には高い。
つまり戦争になればクラムベルク一族のほうが明らかに有利なのだ。ならば無闇に戦火を巻き起こすよりも言葉を信じておいたほうが遥かにまし。何より数的不利を覆すならば黒陣営との乱戦の際が一番いい。それで共倒れしたり黒陣営が勝利しては元も子もないが、現時点では判断することはできないと全員が理解した。
「異論はないなら役割分担に移るぞ。まず拠点の構築を朝宮に任せる。叔父貴は人形の作成を。親父は護衛。後は全員、威力偵察だ」
「さくさく進めるのだな」
「小細工したって仕方ないだろ。どうせこの戦何しようと最終的には総力戦になるからな。はい、質問あるやついるー?」
大雑把に説明を終えて早々に終わらせようとかかるシンヴェルの勢いに最早周囲の面々も勝手にしろ、と言いたげに呆れた様子を見せる。
実際、攻める側である以上最も必要なのは相手の情報であり、そこから戦略を構築するのであれば当然他のことは後回しになる。聖杯に関する話も。
「あー、ちょっといいか?」
故に、獅子劫が問いかけたのはそれ以外での理由だ。
控えめに挙手した彼を周りの視線が射貫く。きつい視線、というわけではないがさすがに英霊や人外もどきたちの視線に晒されて自然体を装っていられるほど
「聞いておきたいんだが、何でお前たちはユグドミレニアと戦うんだ? ベルフェバンの爺さんに聞いた限りじゃ当初お前たちは参戦どころか枠にすら入ってなかったんだろう? 対立した原因が何かあるのか?」
そう――ベルフェバンとロード・エルメロイ2世、そしてブラムの三人が選んだマスターたちの中にはクラムベルクの人間は誰一人としていなかった。理由としては如何に彼らが強いといっても英霊に及ぶほどではなく、ならばサポートの巧い者を回すべきだという戦術的な判断と時計塔のロードを死なせるわけにはいかないという事情によるもの。だからこそ彼らが選んだマスターはサポートに長けた時計塔の講師一人を除いて全員が傭兵だった。
そしてクラムベルクは参戦するにあたって前もって選ばれていた傭兵のほとんどを倒し、新たに選考してまでこの戦いに臨んでいる。これまでも横槍を入れるような形で彼らが戦争に介入する事態はあったが、ここまで手の込んだ真似をしたことはない。
これだけのことをしたなら、それだけの理由がある。別に聞いたところで参戦の意思を撤回する気などなく、何の意味もない問いではあったが。彼らがこの戦に掛ける意気込みを知りたかった。
「そうだな……話せば些細なことだ。大体80年ほど昔、ユグドミレニアは、というよりもダーニックは時計塔に名高き新進気鋭であった。それこそ、
「ほう、あの頭の固い連中がか」
獅子劫と神常、朝宮が感嘆の息を漏らす。
時計塔の貴族たちは基本、貴族同士で婚姻を結ぶのが常識である。それは政治的な繋がりは勿論のことだが、それ以上により優れた血統を生み出すためである。言ってしまえば品種改良と同じだ。それこそ、中には近親で交わるような家系も存在する。
そして魔術師というのは貴族でなくても大体が身内で固めるものであるため、外部の魔術師など、よほど優れていなければ声をかけることすらない。
ダーニックとはその
「しかしそんな中、一つの噂が走った。『ユグドミレニアの血は濁っている。五代先まで保つことすらないほどに』という噂がな。これがただの凡百による発言ならばただの嫉妬だと断言できたのだが……」
「なるほど。発信源が
理解した、と言わんばかりに神常が全貌を明かす。
「その通り、当時それを相手に伝えたのは同じロードでクラムベルクの当主である俺の親父だ。当然縁談は破局だ。加えて、一度そんなレッテルが張られた以上貴族になる道は完全に潰えたといってもいい。実際、冬木での聖杯戦争では率先して親父の邪魔をして殺しあったほどだそうだからな」
「当然だろうな。何しろ自分はおろか、一族全体の未来を潰されたようなもんだしな」
獅子劫には分かる。その時のダーニックの考えが。大方零落させぬ方法を全力で模索したのだろう。己の親族たちのように。
同情の念はない。むしろ五代も先のことを信頼できる筋から事前に知れただけ遥かにましだと思っている。少なくとも、可能性から目を逸らし無駄に命を散らしてしまった自分よりは。
「大聖杯を手に入れ、時計塔から離反したならダーニックがまず狙うのは一族の未来を奪った儂とその一族じゃ。未来、なんてことは言わずに即座に殺しにくる」
「とはいえ、我々もただ黙ってやられるつもりはないのでな」
「殺しにくるというのなら、殺される前に殺してやるだけだ」
三者三様。
それぞれ獲物を狙う肉食獣のような、スコープを除く狙撃手のような、災厄を齎す化け物のような顔を見せるクラムベルクの人間。
シンヴェルは勿論、隠居状態であったバルドも研究者のオリアムもやっぱりクラムベルクなんだなと獅子劫らは再認した。
「じゃ、これで終わりだな。なら朝宮と叔父貴と親父以外は全員戦闘準備しとけ。一時間後には出るぞ」
話が終わり、各々が武装を整えるために一旦拠点へ帰ろうと立ち上がる。
「出かける前に、敵対者の扱いをどうするかを聞いておきたいのだが」
しかしそんな矢先に、朝宮が質問を投げる。
向けられる視線は怪訝なものだ。聖杯戦争は基本的に殺し合いだ。なら当然敵マスターは殺すに決まっている。この程度のことを目の前の男が理解していないはずはない。
それは雇ったシンヴェル自身も思ったことであり、意図を測りかねると言わんばかりに顔を歪ませる。
「そういえばお前は基本的には不殺だった。他の者に関してはお前に任せるが、ダーニックだけは何としても殺してもらう。なに、あいつは散々あくどいことをしてきたから良心を痛める必要はない。確か、お前たちの国の言葉では『膝に矢を受けてしまってな……』というのだろう」
「言わないし、聞いたこともない」
「それを言うなら脛に傷を持つではないのか」
「なぜわざわざ日本の言葉にした」
「間違った日本の知識が植えつけられているな」
そんなシンヴェルの代わりにオリアムが意図を明かし、その間違った日本語使いに日本人が総ツッコミを入れる。
それを最後にようやく再び動き始める。気持ちが絞まらないが、まあそんなこともありだな、と獅子劫は心の中で呟いた。思えば戦場でこんな気分になったのは初めてだった。
※オリジナル設定
[武宝院]
分類:組織
現代に置いて武術の失伝を避けるために設立されたWHO所属の表沙汰にされない裏世界の機関である。
その前身は中国の部署の存在であり、今なおこの名がつけられているのは単に自尊心の問題だったりする。おかげで外国人には発音し辛いと不満を言われている。
主な内容は武術ごとにおける修行法や技、奥義の修行や実践法の文書、録画などによる記録化。
また一部には要人警護やテロリストなどの反社会勢力の鎮圧任務などが与えられる。その反社会勢力の中には魔術師や死徒といった類も含まれている。
なお暗殺に関しては武宝院としては一切請け負っていない。
これは権力闘争や冷戦に扱われることを防ぐためである。が、個人で請け負うものもいる。
[武練]
分類:組織・称号
通称[武究の八練]
武宝院が指す現存する最も貢献度が高い八人の武術家のこと。
その八人には様々な特権や保護が与えられている。
全くの余談であるが、現在の武練が原因で最近のWHOは『健全な肉体には健全な精神が宿る』という考えは本当に正しいのか悩んでいるらしい。
そろそろ一作くらいは終わらせたいな。打ちきりじゃなくて完結的な意味で。