片翼の天使(笑)で剣をふるうのは間違っている   作:御伽草子

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 新年あけましておめでとございます!


第九話【凶狼は迷宮で吼える】 ①

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男が強さを追い求めるのに理由などいらない。

 

 誰よりも強く思い描いた、誰よりも強く理想を追い求めた。愚直なまでに、不器用なまでに、それしか生き方を知らないとばかりに、ただ強くなることだけを目指した。

 

 しかし高すぎた克己心は、やがてそれを持たぬ他者への苛立ちへと変わった。

 

 なぜ頑張れない?

 

 なぜそこで諦める?

 

 悔しく無いのか?

 

 止まることが辛くないのか?

 

 ――止めろよ……ッ、見ているだけでムカツクんだよお前等……。

 

 弱い事が許せなくなった。

 

 弱いままで満足している連中が嫌いだった。

 

 もしかしたら……だからこそ……、自分もうらやむほどに強さを渇望していた【剣姫(アイズ)】の意思の光に惹かれたのかもしれない。

 

 かつて憧れた男がいた。

 

 その男は誰よりも強かった。

 

 それは自分の意思を本当の意味で押し通せるほどの強さだった。

 

 理想そのものだった。

 

 だが、だからこそ許せなかった。

 

 俺がその背中に見た理想は、誰よりも俺の信条を否定する生き方をしていた。

 

 助けが欲しいと、自分では何も成さずただ泣き喚いているだけの雑魚共のために、身を挺して力を振るうなんて馬鹿げている。

 

 …………そんなのは、マヌケのすることだろうが……。

 

 アンタを見ていると雑魚共以上にイライラするんだよ。

 

 だから俺は、アンタが……セフィロスが嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【――間もなく、焔は放たれる】

 

 【忍び寄る戦火、免れえぬ破滅】

 

 【開戦の角笛は高らかに鳴り響き、暴虐なる争乱が全てを包み込む】

 

 【至れ、紅蓮の炎、無慈悲な猛火】

 

 【汝は業火の化身なり】

 

 【ことごとくを一掃し、大いなる戦乱に幕引きを――】

 

 

 

 

 

 怪物は悪魔のような姿だった。

 

 三(メドル)を超える巨躯。歪に積みあがった筋肉の層は、巌のように重々しくて鋭い。上半身は被毛が真っ黒な山羊のようだった。ねじくれた二本の角に、ぎょろぎょろとした赤い目玉。膨れ上がった鼻梁からは、ぬらぬらとした鼻息が絶え間なく吐き出されていた。

 

 人型を醜悪に歪めたような外観は本能的な恐怖を呼び起こす。手にした棍棒はそれその物が人間(ヒューマン)の身丈もある巨大な凶器だった。

 

 怪物――『フォモール』は一匹、二匹では無い。大地を埋め尽くすような大群が、猛々しい咆哮を幾重にも重ねながら犇めき合っていた。

 

 大地が鳴動する。

 

 夥しいフォモールの群れが地面を踏み鳴らして進軍する。いや、怪物には軍隊のような纏まった規律など存在しない。あるのは己が領土に足を踏み入れた異物を排除するという本能。振りかざすのは、侵入者を踏みにじり、打ち砕き、食い散らすという剥き出しの暴虐である。

 

 獰猛に血走った眼球が〝獲物達〟を捉えている。

 

 黒い津波となったフォモールの大群が飲み込もうとしているのは冒険者の一団だった。

 

「盾構えぇ――ッ!!」

 

 地下迷宮(ダンジョン)49階層、〝大荒野(モイトラ)〟に【ロキ・ファミリア】団長であるフィン・ディムナの鋭い号令が響いた。

 

 大盾を構えた部隊の最前衛で、突撃してきたフォモールの第一波は防がれる事となった。体の芯まで響くような破鐘のような打撃音が折り重なる。盾を構えた冒険者達の顔が苦悶に歪む。盾を伝った重い衝撃は、腕を痺らせ、肋骨にまで響く。体全体がひび割れたような痛みに、気を抜けば膝から崩れ落ちそうになった。しかし負けるものかと歯を食いしばり、どっしりと腰を据える。

 

「ブオォオオオオオオオオォッ!!」

 

 大盾の上から身を乗り出したフォモールは、冒険者の鼻先にまで顔を近づけていた。咆哮が弾ける。開いた口は冒険者の頭を噛み砕くように大きい。ねっとりとした唾液が撒き散らされ、吐きかけられた息は鼻が曲がりそうなほど生臭い。

 

 目を背けたくなるほど、おぞましい。

 

 しかし冒険者達は怯むことなく怪物達を正面からひたと睨み据えていた。彼等の背後には仲間達がいる。自分達の役割は壁だ。怪物共の進撃を阻む、堅固な鉄壁なのだと己を鼓舞する。

 

 フォモールが棍棒を振り上げた。腕を引き絞る。

 

 真上から叩き潰す気だ。

 

 ドス、と鈍い衝撃と共に、怪物の視界が揺れた。

 

 前のめりになった面貌。咆哮を重ねようと開かれた口の、上顎と下顎の間をすり抜けるように、槍が突き入れられていた。

 

 鋭い穂先は口蓋に突き刺さっている。

 

 今まさに殺されかけているフォモールは焦りと憎悪が迸る目で、槍を突き出した冒険者を見下ろした。まだ絶命には至っていない。渾身の力で棍棒を振り下ろそうとする。

 

 冒険者は槍を更に押し込んだ。穂先は鼻腔と脳を貫き、まるで角が一本新しく生えたように脳天に刃が貫通した。

 

 怪物は血を巻き散らしながら断末魔の悲鳴を上げた。

 

 仲間の死骸を邪魔だと押し退けて棍棒を振りかぶったフォモールに、何本もの矢が突き刺さる。密集したフォモールの群れの中に魔法の光芒が炸裂する。胴体に大穴を空けられた怪物、手足がばらばらに弾け飛んだ怪物、顎から上が消失した怪物共の躯が弾けた。

 

「前衛、密集陣形(たいけい)を崩すな! 後衛組は攻撃を続行!!」

 

 矢と魔法が飛び交い、怒号と戦塵が撒き散らされる苛烈な戦場に、矢継ぎ早に飛ぶ団長(フィン)の指示は鋭く、短く、的確だった。部隊が戦いを切り抜け、勝利を手繰り寄せるための最良の未来が彼の言葉の中に息づいていた。

 

 フィン・ディムナ。

 

勇者(ブレイバー)】の二つ名を持つ【ロキ・ファミリア】の団長。

 

 小人族(パルゥム)の特徴である小柄な体躯を生かした槍術の使い手であり、迷宮都市最高峰であるLv.6の冒険者である。

 

 しかし彼の真価はその頭脳にこそある。

 

 複雑かつ広大な地下迷宮(ダンジョン)を隅々まで把握する記憶力。常に最善的確な指示を下す事ができる経験値。ダンジョンにおいて命の危機はどんな形になって降りかかるか分からない。時に一歩先の未来ですら見えないダンジョンを行軍する中で、フィンは向かうべき光明を指し示す。心が燃え上がるような激励には生き抜こうと発奮させる力があった。彼こそが、誰もが認める勇者であり、都市最大規模の派閥である【ロキ・ファミリア】を束ねる統率者である。

 

「やはり、すんなりとは通らせてもらえんか」

 

 【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロックは、立派な髭を扱きながら呟いた。【ロキ・ファミリア】でも屈指の力と耐久の持ち主であり、超前衛特化型のガレスは今回の作戦を成功させるための要である〝盾〟としての職務を遂行すべく気合を入れ直すと共に、「お主等、しっかりと根性すえるんじゃぞ!」と同じく盾を構えた仲間に激励を飛ばした。

 

 団員達が己に与えられた役割をこなしていた。

 

 その中でも戦場を縦横無尽に駆け回り、崩れそうになる陣形を立て直すのは第一級冒険者に名を連ねる強者達である。

 

「とぉりゃああああああ――ッ!!」

 

 【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ。

 

 武器は握り手の両方から計二本の長大な刃が伸びる巨剣だ。超重量、超威力の大双刃(ウルガ)を振り回し、並み居る怪物を紙切れのように斬り飛ばす姿はまるで極縮の竜巻である。

 

「出すぎよティオナ! ちょっとは連携するこっちの身にもなりなさい!」

 

 【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ。

 

 ククリナイフを両手に構えて舞うように戦う姿は、肌の露出面積の多い女戦士(アマゾネス)の民族的な衣装も相まって、艶麗な踊り子のようだった。

 

「ティオナ、ティオネ! 左翼支援急げっ!!」

 

 頭上から降り注ぐように届いた、高らかな団長(フィン)の指示。

 

「あーん、体がいくつあっても足らなーいっ!」

「ごちゃごちゃ言ってないで働きなさい!」

 

 辟易したようにぼやくティオナを、叱咤するティオネ。

 

 敵は無尽蔵に生み出されるモンスターの大群。戦況は徐々に悪い方向に傾いていた。

 

「うああぁ!?」

 

 フォモールが振るった棍棒に、盾兵が弾き飛ばされた。こじ開けられた陣形の壁に、滑りこむように斬り込んできた人影があった。 

 

「――――ッ」

 

 呼気が鋭く吐きだされると共に翻った銀閃に、陣中にその身をねじ込んできたフォモールが瞬く間に切り刻まれる。

 

 鋭くも重い一撃は、見上げるような怪物の巨躯をバターのように寸断していた。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 愛剣はデスペレート。攻防共に強力無比な魔法(エアリアル)を纏い、卓越した剣技に耐え得るその武器の特性は『不壊属性(デュランダル)』。  

 

 アイズは連なるフォモール達の頭上を風車のように旋転しながら跳んだ。金の髪が舞い、銀の剣閃が踊る。地面に着地した瞬間には、すでにフォモール達の胸から上部が磨り潰されたように弾け飛んでいた。

 

「――ハッ、なかなか景気いいじゃねえかアイズのヤツ」

 

 ベート・ローガは獰猛に口角を上げた。最初にこじ開けられた防衛線を埋めろとフィンに命じられたベートは、結果的にアイズに先を越される形となった。しかし悔しがるどころか、彼はむしろ愉しそうに笑いながら、目の前の敵の駆逐に戻った。

 

「オラァッ!!」

 

 ベートの武器はフロスヴィルト。魔法効果を吸収して特性攻撃に変えるミスリルブーツである。目の前にいたフォモールに飛びかかったベートは跳躍すると同時に、怪物の首を蹴り飛ばした。文字通り、蹴り()()()()のである。胴体と首が泣き別れしたフォモールは痛みを感じる間もなく絶命した。

 

 敵から、敵へ。

 

 ベートは次から次へとフォモールに躍り掛かる。全て一撃で仕留めた。首を撥ね、胴体を穿ち、頭を潰す。獲物を食い散らすように暴れる姿は、まさに二つ名である【凶狼(ヴァナルガンド)】そのものであった。

 

 しかし足りない。

 

 こんな連中じゃ……こんな雑魚どもじゃ幾ら喰ったって喰い足らねぇッ!

 

「……負けねえ」

 

 呟いた言葉は戦場の怒号にまぎれて消えた。

 

 ベートの脳裏によぎるのは一人の剣士。

 

 アイズでは無い。今ここにいる誰でも無い。

 

 ――俺が俺でいるために……

 

「あの野郎には負けられねえんだよ!!」

 

 踏み締めた地面が陥没するほどの力が込められた脚技は、フォモールの一体を後方に大きく跳ね飛ばし、その後ろにいたフォモールの一団も纏めて打ち砕いた。彼の剣士を除けば、【ロキ・ファミリア】一の俊足であるベートの脚力は、それそのものが強力な武器であった。 彼等の武功はまさに一騎当千のごとくである。しかし【ロキ・ファミリア】全体としては戦況は極めて不利だった。

 

 土煙に霞む彼方まで埋め尽くすようなフォモールの大群に、【ロキ・ファミリア】は押されていた。押し寄せるモンスターの密度に、徐々に磨り潰されるように円陣は狭まっている。

 

 3(メドル)を超える怪物達が連なる黒い津波は、容赦なく彼等を飲み込もうとしている。フォモールの身の丈を超える槍やハルバードなどの長物の武器だけが、黒い津波の中で天に向かってか細く突き出ていた。それは消えかけた蝋燭の灯火が儚げに揺らめいているようだった。

 

 しかし、【ロキ・ファミリア】にはこのジリ貧の戦況を覆すに足る切り札があった。

 

 彼等の陣形の中心。

 

 膨大な魔力が高まり、横溢していた。

 

 紡がれた言葉は固定された韻文で、超常の事象を引き起こすための魔法の『詠唱』だった。

 

 魔法の詠唱は、その時間が短ければその分すぐに発動できる。逆に長ければ長いほどその威力は増す。

 

 【ロキ・ファミリア】の精鋭達が戦いの勝敗を決する切り札として、その一撃に絶大な信頼を寄せ、総出で時間を稼ぐ価値があるほどの威力の魔法が完成しようとしていた。

 

 身震いするほど高まる魔力の中央には、エルフの麗人がいた。

 

 祈るように杖を掲げている。

 

 翡翠色の長い髪。絶世の美貌を持った彼女が紡ぐ詠唱は神籟の音色だった。

 

「アイズ、戻りなさい! ベートもよ!」

 

 敵中深くに切り込んでいたアイズが、名を呼ばれるとフォモールの背を蹴り、大きく後方に跳躍した。一足速く戦線を離脱したアイズを追いかけるように、ベートもその場から離れようとする。

 

「チッ、時間切れみたいだな。あばよ、化け物共」

 

 最後に置き土産とばかりに一体のフォモールの首をへし折った。

 

 ちょうどその瞬間、『詠唱』が完成した。

 

『【焼きつくせ、スルトの剣――我が名はアールヴ】!』

 

 術者の足元の魔法円(マジックサークル)が、閃くようにフォモールの大群の足元にまで広がった。

 

 戦場にいる全てのモンスターが、標的だった。

 

『【レア・ラーヴァテイン】!』

 

 魔法円(マジックサークル)から無数の炎柱が立ち昇り、その場にいたフォモールを悉く焼き尽くした。灰すらも燃やし、絶叫も炎の海に飲み込み、魂すらも焼き滅ぼすようなすさまじい劫火。

 

 目に見える光景全てが煌々と燃え上がっていた。

 

 熱波に弄ばれた髪をかき上げながら、勝利を確信したフィンが武器を下ろした。今しがた特大の殲滅魔法を単独で放った、この戦闘最大の功労者に声をかける。

 

「お疲れ様、リヴェリア」

「すまなかった、詠唱に手間取った。皆には負担をかけたな」

「なに、想定の範囲内さ」 

 

 犠牲者もいないしね、と付けたして朗らかに笑うフィン。

 

 【九魔姫】リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 【ロキ・ファミリア】の副団長で、彼女こそ迷宮都市オラリオ最強の魔法使いである。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 49階層の激闘を終え、【ロキ・ファミリア】の面々は50階層へと降りていた。

 

 灰色の大樹林が眼下に広がる、10(メドル)ほどの大きな一枚岩の上を野営地と定めた。彼方には壁が屹立しており、空には蓋があった。

 

 オラリオの地下深く、ここ50階層はダンジョンの中でも、モンスターが生まれない数少ない安全階層(セーフティポイント)である。だからこそ腰を据えて本格的な野営が出来る貴重な休息地帯(レスト・エリア)でもあった。

 

 数多くの団員が、役割を分担しながら野営の準備をしていた。

 

 荷物が嵩張らず設置と撤去が楽なワンポール形のテントがいくつも並んでいる。どのテントにも一番高い所に、彼等の象徴である道化師を象った団旗がひらめいていた。

 

「いつもいつも足を引っ張ってしまって……その……すみません!」

 

 先の戦闘でアイズに助けられたレフィーヤは、すみません、すみません! と何度も何度も、頭を水飲み鳥のようにペコペコと下げていた。

 

 レフィーヤ・ウィリディス。

 

 長く尖った耳が特徴的なエルフの少女で、二つ名は【千の妖精(サウザンド・エルフ)】 まだステイタスはアイズ達より低く、Lv.3ではあるが魔法特化型であり、瞬間的な攻撃力ならアイズ達をも凌ぐ。リヴェリアの後釜と目されている有望株であるが、そんな彼女も未熟な部分はまだまだあるため、こうして頭を下げることは多々あった。

 

 アイズは困ったように言葉を詰まらせていた。

 

 今でこそオラリオの女性冒険者の最強候補筆頭であるアイズとて、昔はたくさんミスもしたし、無茶は……今もしている。仲間の役に立てないともどかしく思う気持ちは痛いほど分かるし、失敗を申し訳無いと思ってしまうのも十分理解できる。

 

 しかし誰だって最初はそうなのだ。失敗もするし、間違うことだってある。死んでしまったら元も子もないが、少なくとも今レフィーヤが感じている〝居た堪れなさ〟は見当違いというものだ。

 

 アイズはどうしたらレフィーヤを元気づけられるか分からず「怪我は平気?」と聞いてみる。しかしレフィーヤは返って恐縮したようで、頭を下げる角度が幾分か深くなった。

 

 本当に困った、どうしよう……とアイズは黙考する。

 自分は本当に気にしていない。どうすればそれを分かってもらえるのだろうか。

 

「止めろ、見ていて鬱陶しいんだよ」

 

 割り込んできたのはベートだった。

 

 蔑むような目でレフィーヤを見下ろした。

 

「……そう、ですよね……」

 

 気落ちしていたところに追い討ちをかけられる形になったレフィーヤは肩を落として項垂れた。

 

 は、励まさなきゃ……! と慌てふためきながら、何と声をかけるべきかオロオロと迷うアイズ。口下手な自分がこういう時こそもどかしかった。

 

「自分の身も守れず、助けてもらってばかりか? 泣くほど悔しいならさっさと――」

「コラァ!」

「ふん!」

「な……て、テメエらッ」

 

 ヒリュテ姉妹のコンビネーションがベートを襲った。ティオナが首を抱え込み、ティオネが右手を反り返らせるような間接技を極めていた。

 

「あんた……言っていい事と悪い事の区別もつかないの?」

「レフィーヤにあ、や、ま、れ!」

 

 ギリギリと力を強めていく二人。

 

「や、止めろ! 骨折る気か暴力アマゾネス共!」

「泣くほど悔しいなら何? 冒険者止めろとでもいうつもりだったのかぁ――ッ!」

「口の悪いアホにはちょ~とお仕置きが必要かしらね~」

「や、止めてくださいお二人とも!」

 

 二人がベートに制裁を加えているのを止めようとレフィーヤが頑張っている中、アイズが叫んだ。

 

「レフィーヤは――っ!」

 

 思いの他声が大きかった。必要以上に周囲の視線を集めてしまった事に、恥ずかしげに頬を染めたアイズは、やや声量を落とした。

 

「……レフィーヤは……頑張ってるよ」

 

 胸の前で拳を握って、アイズは真っ直ぐレフィーヤを見つめた。言葉が足りないならせめて目で伝えたかった。

 

「……あ、アイズさん……ありがとうございます」

 

 レフィーヤにも想いはしっかり伝わった。後頭部を見せるくらい大きく腰を折って、お辞儀をする。

 

 ちっ、と大きく舌打ちしたベートは力任せにヒリュテ姉妹を振り払うと、踵を返しその場を立ち去る。その間際に、こう言い放った。

 

「……泣くほど悔しいなら、さっさと()()()()()みやがれ」

 

 それはいっそ笑ってしまうくらい不器用な激励だった。

 

「……あ…………は、ハイ! 頑張ります!」

 

 ベートの後ろ姿が見えるまでレフィーヤは頭を何度も下げた。

 

「相変わらず面倒くさいわねベートって」とティオネが笑い、「だねー。つい勘違いしちゃったね」とティオナが相槌を打った。アイズがジト目で二人を見つめ「二人とも……本当は、分かってたでしょ?」と告げると、ティオネとティオナは意味ありげに笑みを深めるだけだった。相変わらずベート相手には当たりの強い二人だった。遠慮が無いとも言う。

 

「でもベートったら、相変わらず機嫌が悪いわね」

「そうだよね、前からつんけんしてたけど最近は前よりも嫌な感じ~」

 

 そんな風に言いあっていると、ティオナは笑顔を浮かべたままアイズに振り向き、話を切り出した。

 

「ところでさ、さっきの戦いでフォモールの群れのド真ん中に突っ込んで行ったよね、アイズ」

 

 防衛線を維持するだけで突っ込む必要の無かった敵陣のド真ん中で意気揚々と剣を振るっていたアイズはさっと目を逸らした。

 

 覚えがありません、と言いたかったが、今の静かに怒っているティオナにその言葉を発する勇気は持てなかった。

 

「……つ」と、言うと隙間なく追求すると言わんばかりに「つ?」とオウム返しで返された。

 

 アイズは観念したように呟いた。 

 

「…………つい」

 

 ティオナは盛大に溜息をついた。

 

「なぁんであんな無茶するかなぁ。突っ込む必要なかったよあれ」

「体に、染みついているのかもしれない……」

「厄介な習慣だね、それ」

 

 ティオナの言葉を引き継ぐように、ティオネがアイズの頭を軽く小突いた。

 

「セフィロスと戦った後、ある程度吹っ切れたんじゃないの? 危なっかしいと思うような気配がちょっとは薄れたと思ったら……」

 

 ティオネの言葉にアイズは「うーん」と唸った。

「吹っ切ったとは……ちょっと違うかな。でも」

「でも?」

「あんまり……自分を追い込んじゃ、駄目だとは思った……かな?」

「……そっか。うん、今はそれで十分! 困ったらばんばん頼ってよ!」

 

 ティオナはうれしそうに頷いてから、アイズの背中を叩いた。同じようにティオネも背中を叩いた。

 

「ま、アンタは元々無茶しすぎなのよ、助けが欲しいならいつでも声をかけなさい」

 

 アイズの背中を叩くことは大それて出来なかったレフィーヤもここでは声高らかに告げた。

 

「も、もちろん私なんかが助けになるならいつでも声をかけてください!」

 

 アイズは皆の言葉を噛み締めるようにまぶたを一度閉じた。

 

「…………うん、ありがとう」

 

 アイズも微笑みながら返した。

 

 ――どうやら、アイズにお説教は必要ないみたいだね。

 

 その光景を物陰からそっと見つめていたフィンはこれ以上は無粋と思い、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ今後の事を確認しよう」

 

 野営地の中央にメンバーは揃っていた。円陣を組むように座り、用意された料理に舌鼓を打った後、一息ついた彼等にフィンが今後の概要について話し始めた。

 

「遠征の目的は〝未到達階層の開拓〟 これは変わらない。けど今回は59階層を目指す前に『冒険者依頼(クエスト)』をこなしておく」

 

「『冒険者依頼(クエスト)』……確か【ディアンケヒト・ファミリア】からのものですか?」

 

 ティオネの問いかけに、フィンは「ああ」と頷いた。

 

 冒険者依頼(クエスト)とは字のごとく冒険者に出される依頼の事である。依頼人は個人から業者など多岐に渡り、受注した依頼の達成条件をクリアした場合、依頼主より報酬を受け取るシステムである。

 

 今回の依頼人は【ディアンケヒト・ファミリア】 治療と製薬の商業系ファミリアである。依頼の内容は、51階層の『カドモスの泉』から要求量の泉水を採取するというものだ。

 

「『カドモスの泉』……うえー、面倒くさー」

 

 ティオナが心底嫌そうな顔で舌を出した。

 

 『カドモスの泉』とは、強竜(カドモス)が番人のように守っている泉である。強竜(カドモス)とは現在確認されている中でも階層主(ボスモンスター)を除けば、最強クラスと呼ばれているモンスターである。

 

 今回の依頼を達成するには、強竜(カドモス)を撃破してから泉水を確保しなければならない。しかし泉水は湧いた先から強竜(カドモス)が飲み干してしまうため、掬い取れるのは微量である。今回依頼を出された泉水の量を確保するには、一箇所では足りず、少なくとも同時に二つの泉に赴かねばならない。一箇所の泉で要求量の泉水が溜まるのを待っているような時間的余裕は無く、物資の問題もあるため、あまりに大人数の移動は難しい。そのため二つのチームに分けた少数精鋭の選抜部隊で『カドモスの泉』を二箇所同時に攻略する。

 

「それに『カドモスの泉』は大人数で移動できないところにあるからね。戦力の分散は痛いけど、小回りは利いた方がいい」

 

 団長(フィン)の判断なら、それはこの遠征部隊の総意である。

 

 チーム編成もおおむね滞り無く決まった。

 

 一班 アイズ、ティオネ、ティオナ、レフィーヤ

 

 二班 フィン、ガレス、ベート、ラウル

 

 副団長であるリヴェリアは拠点の防衛とそこに残ったメンバーを束ねるため、そして大荒野(モイトラ)の戦闘で大量に消費した精神力(マインド)を回復させるために、キャンプに残る事になった。

 

 ――その後、数時間ほど仮眠した一班と二班のメンバーは、51階層の『カドモスの泉』に向けてキャンプを後にした。

 

「おい、フィン。カドモスとは俺一人でやらせろ」

「…………君までアイズみたいなこと言わないでくれよ」

 

 ベートの要求に、心労が増える一方だとフィンは重い溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 異変は突然起きた。

 

 ダンジョンでは何が起こるか分からない。気を張り、警戒を怠ってはいなかった。しかし心のどこかで油断していたのではないかと問われれば、断言する事は出来ない。

 

 そうだ、確かに油断していた、とリヴェリアは自分の迂闊さを忌々しく思った。

 

 モンスターが発生しない安全階層(セーフティポイント)だからと、気を抜いていた部分は少なからずあった。ダンジョンに絶対は無い。50階層と同じく安全階層(セーフティポイント)である18階層の『リヴィラの街』でさえ、長い歴史の中で三百回以上破壊され、その度に再建してきたのだ。この50階層でも同じ事が起こらないとどうして言えようか。

 

 ――騒乱の一幕は、悲鳴により開幕した。

 

 その時、リヴェリアはキャンプの中央の一際大きな天幕の中にいた。遠くから聞こえた悲鳴の主が男か、女だったかは分からない。妙に金属的な甲高い悲鳴だったというのが印象だった。

 

「リヴェリア様!」

 

 天幕に団員の一人が飛び込んできた。血相を変えた様子で、荒い息遣いから焦りが見て取れた。

 

「どうした、今の悲鳴は何だ?」

 

 リヴェリアが問いかけると、団員は一度大きく吸って呼吸を整え、踵を揃え背筋を伸ばした。

 

「ご報告します! モンスターの大群がこのキャンプを目指して岩壁を昇って来ています。十や二十どころではありません、百は下らないほどの大群です!」

「何だと!? 種類は?」

「分かりません!」

「何?」

「見た事がありません! あんなモンスター初めてです!」

「……そうかっ」

 

 報告に来た団員もずいぶん混乱していた。

 

 こうしていても埒があかない。

 

 状況を確認で出来る場所に移動するため、リヴェリアは天幕の外へと出た。その瞬間、リヴェリアの鼻に異臭が届いた。顔をしかめる。髪を焼いたような不快な匂いだ。

 

「なんだ……アレは……?」

 

 リヴェリアの声色には、普段冷静沈着な彼女らしからぬ深い動揺が混じっていた。

 

 50階層と51階層を繋ぐ急傾斜の岩壁の向こうから黄緑の物体が蠢きながら、こちらに向かってきていた。まるで壁一面に蛆がびっしりと張り付いているような、おぞましい光景だ。よく観察してみると、それは芋虫のように見えた。黄緑色の体には所々に毒々しい極彩色の色が混じっており、それが異様さを際立たせていた。人一人くらいなら丸のみに出来そうなほど大きい。ぶよぶよとした体からは魚のヒレを思わせるような腕のような器官が伸びている。

 

 その芋虫のようなモンスターは列を成し、犇き合いながら、すでに先頭はキャンプの目と鼻の先にまでやって来ていた。ヒレをはためかせ跳ねるように体を動かして移動している。その速度は鈍重な外見には不釣合いなほど速い。

 

 ――迂闊! いくら異常事態とは言え、キャンプにここまで接近を許すとは……ッ

 

「全隊に通達! 現在キャンプに正体不明のモンスターが接近している。全団員装備を整えろ、敵を迎え撃つぞ!」

 

 リヴェリアの号令が打ち上がる。

 

 芋虫形のモンスターはすぐそこまで近づいて来ていた。

 

 もはや時間的な猶予は無い。リヴェリアはキャンプからいくらか離れた場所を防衛線と定めた。キャンプへの被害は最小限に抑えなければならない。大荒野(モイトラ)を抜けた時と同じく、最前面に盾兵を連ねた密集陣形である。

 

「これより先に一歩も通すな!」

 

 リヴェリアの鋭い指示が全隊に届く。モンスターの大群は、もはやすぐそこまで迫っていた。不安は拭いきれずにいる。初めて見る新種のモンスター。生態は不明であり、どんな攻撃手段を持っているかも不明である。

 

 団員が揃い踏み、陣形が完成するのと、展開した部隊と芋虫形のモンスターが接触したのはほぼ同時だった。

 

「盾構え!!」

 

 敵の突撃に備え、盾を押し出すようにどっしりと構える。しかしモンスターの群れは盾に衝突する瞬間、速度を緩めた。すると口から粘着性のある液体を吐きかけた。その液体が大盾に触れた瞬間、ジュウッとまるで熱したフライパンに冷水を注いだような音がした。

 

「う、うわぁあああああああああ――ッ!」

 

 盾を構えていた冒険者の絶叫が響いた。彼の腕は持っていた盾ごと溶かされていた。モンスターが吐きだした腐食液にふれた金属の盾は飴細工のようにどろりと溶け落ち、それを持っていた冒険者の腕は手首から先が消失していた。腐食液が触れた脚からは肉が焦げる匂いがした。

 

 それと同時にモンスターの胴体に槍を突き刺した冒険者にも同様に腐食液が降りかかった。頭から腐食液を浴びた冒険者はその場で崩れ落ち、半分溶け落ちた顔を抑えてこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。

 

 動揺は一瞬にして部隊に広がった。

 

 ――マズいっ! 

 

「負傷者を後方へ運べ! ヤツ等の吐きだした体液には触れるな!」

 

 超硬度の武装を易々と溶かし、おまけにあの芋虫形のモンスターそのものが腐食液でパンパンに膨れ上がった爆弾のようなものだ。

 

 魔法を使えば一掃できる。しかしこの至近距離では味方を巻き込みかねない上、返り血ならぬ大量の腐食液が降りかかってくる。

 

 なにより奴等の厄介極まりない腐食液の前では防衛線はまともに機能しておらず、詠唱の時間すら稼げない。予備の防具をありったけ投入して、腐食液を防いでいるが、こんな使い捨てのような方法ではそう長くは持たない。

 

「今は連中を押さえ込む事に注力しろ! フィン達が戻ってくるまで耐え抜くんだ!」

 

 反撃の糸口すら掴めない危機的状況では、それしか手は無い。いや……それしか心が折れかかっている味方を鼓舞する文言が無かった。

 

 このモンスター達はフィン達が向かった51階層から湧き出てきたのだ。あちらにも不測の事態が起こっている可能性が高い。だがリヴェリアは今、部隊を指揮する立場である。不安は伝播する。焦燥など噯にも出すわけにはいかない。

 

 ……すでに矢はありったけ放っていた。防具も底をつき、今はまな板や鍋の蓋でも使えそうな物を端から使っていた。

 

 後方には負傷者があふれ、ポーションのストックも危うい。

 

 ――このままでは……ッ

 

 リヴェリアの表情に隠しきれ無い焦りが浮かんだ。

 

 その瞬間。

 

 頭上から一条の銀光がモンスターと冒険者の一団の間に境界線を引くように閃いた。

 

 一瞬、何が起こったか分からなかった。気づくと1(メドル)はあるクレバスが突如として自分達の目の前の地面に刻まれていた。

 

 衝撃でモンスターはたたらを踏むように後退した。

 

「な……ッ」

 

 黒いコートに、長い銀の髪を靡かせ、一人の男が戦場に舞い降りた。

 

「セフィロス!?」

 

 【ロキ・ファミリア】に所属するLv.9の冒険者。【片翼の天使】の二つ名を持つ最強の剣士。

 

「無事……とはいかない様子だな。もう少し早く来れれば良かったが」

「それよりも……お前、なぜここに!?」

 

 しかしその返答を聞くより早く、モンスターの群れがまるで雪崩が覆いかぶさるように、跳躍してセフィロス目掛け襲い掛かった。

 

 セフィロスが正宗を構え、渾身の力を持って一閃させる。

 

 閃光。そして耳を劈くような爆音と残響が入り混じり、モンスターの群れがなぎ払われた。野営地の一枚岩ごと断ち切るのではないかと思えるような斬撃。剣圧に捲れ上がった岩盤が砲弾のようにモンスターを押しつぶし、飛礫は弾丸のように体に風穴を穿った。まるで濁流が全てを押し流すように、モンスターもその腐食液も全て一閃の元に斬り払われた。

 

 ――なんというデタラメだ……。

 

 もはや理解が追いつかない。ここまでくると呆れる他無い。

 

 セフィロスが投げてきた精神回復薬をリヴェリアは受け取った。

 

「リヴェリア・リヨス・アールヴ副団長! 部隊の指揮権を一時的に譲渡してもらいたい!」

 

 口の端を笑みの形に吊り上げた。

 

「……()()()()()()()()。リヴェリア」

「……………………ああ」

 

 色々問いただしたいことはあるが、今はそれより優先させることがある。

 

 ――礼を言うぞ、セフィロス。

 

「魔導師部隊は私に続け、その他の者はこれよりセフィロスの指揮下に入れ!」

 

 回復薬を一気に煽り、空瓶を放り投げ、口の端を袖で拭った。彼女らしからぬ荒々しい所作が、今の心情を現しているようだった。

 

 ――さあ、たっぷりお返ししてやるぞ……化け物共!

 

「【――終末の前触れよ、白き雪よ】」

 

 玲瓏と紡がれる詠唱。

 

 もはや心を覆っていた暗雲は取り払われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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