俺が鎮守府にやって来てはや一週間、初日に司令から貰った冊子もおおよそこなし、暇な時間が増えてきた。今日も朝からやった仕事と言えば、司令に朝のお茶を渡し、たまに頼まれた書類を探して渡すくらいで、すでに時刻はお昼をまわっている。
暇だ。
執務室のソファーにうつ伏せになって司令をボーッと眺める、それくらいしかやることがないのだ。司令は朝から書類仕事、聞くところによると鎮守府の設備の管理やら資材の調整やらをしているらしい。
「なあ時津風、そんなにジッと見られると集中できないんだが」
「暇なんだからしょうがないでしょー。嫌なら何か仕事ちょうだいよ」
「だから今はないって。何でそんなに社蓄根性出してるんだよ。艦娘、しかも駆逐艦なのに。誰か暇なやつと遊んでくればいいんじゃないか?」
「大学生とのミックスだし変に現実見てるんだよきっと。あと、天津風たちは遠征に出掛けたばっかだし、他に仲の良い艦娘もあんまいないんだよねー。って司令も知ってるでしょ?ここで見送ったんだし」
「…じゃあ寝てれば?」
「いやー、それはないでしょ」
机の上の書類から目を話さずに耳だけこっちに向けて俺と話す司令。もうちょっと愛想良くしてくれたってバチは当たらないと思うんだけどなー。まあ、この他愛もない会話に居心地のよさを見つけている俺としては別にいいんだけどさ。
会話が途切れたのでしばらくボーッとして、足をパタパタさせていると、不意に司令が顔をあげこちらを向いた。
「時津風、あったぞ。仕事」
司令にもらった仕事は今月末にあるハロウィンパーティーの準備だ。日本海軍の俺たちが外国の催し物を行うのはどうなのかと思ったが、司令いわく今は国境を越えて深海棲艦と戦っているため、他国文化も容認されているのだそうだ。
ハロウィンパーティーの準備として最初にしなくてはならない事は、参加者に仮装の希望を訊いてまわることだ。司令としては内容が被るのは好ましくないらしい。つまり、俺はこの横須賀鎮守府の艦娘全員の希望を調査した上でダブりがないようにすり合わせを行わなくてはならないのだ。
確かに仕事をくれとは言ったが、なにもここまで重労働なものじゃなくてもいいじゃないか…。パーティーまで半月ほどあるので期間的には多少余裕があるものの、仮装の衣装を作ったり調達することを考えるとあまり時間はない。どうしてこんな時期になるまで準備を始めなかったのかと聞いたところ、俺の前任の秘書艦は真面目すぎて、司令の催し物の案を殆ど却下してきたのだそうな。司令より力の強い秘書艦とは誰なのか気になったが教えてくれなかった。
ぶつぶつ文句を言っていても始まらない。まずは手始めに鎮守府にいる艦娘の部屋を片っ端から訪問して希望の聞き取りを行うことにする。
まずは駆逐艦のフロアから。手始めに第六駆逐隊の部屋を訪ねる。扉をノックし、中に問いかける。
「誰かいるー? ちょっと聞きたいことがあるんだけどー!」
「ちょっと待っててくださいなのです!今行くのです!」
この語尾は電だな?
返事が返ってきてから暫くして扉が空いた。
「どうぞ入ってくださいなのです」
扉を開けてくれたのはやはり電だった。流石艦娘のなかでも特に幼い見た目をしているだけあって、全体で見たら身長が低い方の俺でも電の頭のてっぺんが胸の辺りに来る。
中に入るとそこはなんというか、まさに子供部屋だった。ベッドの周りのたくさんのぬいぐるみ、可愛い柄のカーテン、何かのキャラものっぽい布団などなど。明らかに場違いな装備が部屋の片隅に纏められているのは、やはり艦娘ということか。しかし流石は暫定最年少。辺りをみると雷や暁、響も同室に居たので、いっぺんに希望をとる。
「今度ハロウィンパーティーをやるんだけど、仮装って何かやりたいのある?」
聞くと、四人で輪になって相談をはじめた。暫くこそこそと話した後、何か結論ができたようでこちらを向いた。
雷がすまなそうな顔をして、頭を掻きながら俺に言った。
「えっと、ハロウィンって何…?」
そこからかよ。
ハロウィンを「お菓子がもらえる仮装パーティー」と説明し、各々の一先ずの希望を聞いた。お菓子がもらえると聞いたとたん目を輝かせたのはやはりお子様だからなのだろうか。某漫画では時津風もお菓子で釣られていたが、俺は違う…と思いたい。
次に向かうのは戦艦の先輩(?)達が居るフロアだ。第六駆逐隊以外の駆逐艦逹は出払っていたので、その隣の戦艦のフロアで調査をすることにした。まず見つけたのは金剛さんの部屋だ。この鎮守府ではなんと戦艦には個室があたっている。駆逐艦よりかは数が少ないのが一応の理由のようだが、なんだか複雑な気分だ。
ドアには「金剛部屋に居マース!」の看板が。
ノックすると中から間延びした返事が帰ってきた。
「扉は開いてるから入ってきてくだサーイ」
「失礼しまーす、今度やるハロウィンパーティーの仮装の希望を取りに来ましたー」
扉を閉めて部屋の中にはいると、そこにはベッドに突っ伏す金剛さんが。声をかけると、顔だけをこちらに向けてきた。
「金剛さん、いまお時間大丈夫ですか…?」
明らかに疲れた顔をしている金剛さん、これは出直した方が良さそうだ。
「お疲れのようなのでまた今度来ますね」
調査は遅れるがしょうがない、そう思い足を扉に向けると金剛さんが俺を呼び止めた。
「Hey,待つのデース、私は大丈夫だけどちょっとお願いがあるのデース」
お願い? 一体なんだろうか。答えてくれるのならそれ以上のことはないので、取り敢えず受け入れる。
「いいですけど、なんですか?」
俺が了承すると、疲れ顔の金剛さんが少しだけ笑った。
あ、これやばいやつかもしれない。もしかして、なにかはめられたか?
嫌な予感がするが言ってしまったものはしょうがない、金剛さんの続きを待つと、とんでもないお願いが飛んできた。
「こないだお風呂に持ってきてたベビードールを着てくれたら答えてあげマース!」
「なにいってるんですか貴方は!」
バカじゃないのかこの人! あんなものを人前で着れと?却下だ却下! もうこの人の相手はしていられない。さっさと部屋を出よう。
「おっとベビードールちゃん、そうはさせないのデース。その扉は、外からは開くけど中からはこの鍵が無いと開けられないのでーす!」
いままでの疲れ顔は演技だったのか、ベットから起き上がり、手に持った鍵を揺らしながら俺に歩み寄ってくる金剛さん。対して俺は扉の方に追い詰められてゆく。これは詰んだな。無念。てか俺をベビードールちゃんと呼ぶなこのロリコン戦艦め。
結局、金剛さんを連れてベビードールを取りに自室に戻り、再び金剛さんの部屋にやって来た。天津風達が出払っていたのが幸いして、俺がベビードールを持ち出し、脇に抱えて金剛さんの部屋に入るのを他人に見られることはなかったのは本当によかった。廊下を歩いている最中の緊張感といったらもう、大変なものだったのだから。金剛さんが袋にいれるななどと言うから、こんなものを裸で持ち歩く羽目になったのだ。誰かに見られでもしたら、明日から俺のあだ名は「ベビードールわんこ痴女」とでもなっていたかもしれない。
「それで、これを着ろ、と…」
手にしているのは俺が鎮守府に来た日に提督から貰った(と言うか押し付けられた)ベビードール。透け透けである。
「あ、下着は着けてていいデスよ!」
「当たり前ですよ! いくら女の前とはいえ、下着も脱げるわけ無いでしょう!?」
全く、本当に変態戦艦だなこいつめ。
結局、着ました。ええ、着てやりましたとも。もう二度と着るまい。帰ったら即燃やしてやる、こんな服。
「ね、ねえ金剛さん、まだですか?」
現在おれは金剛さんの目の前に立たされて、にやにやした目で見られている。イヤらしい視線ではないからロリコン疑惑は晴れたが…。靴も脱いでいるため、いま俺が着ているのは下着とベビードールのみ。金剛さんの視線が爪先から頭のてっぺんまで移動してゆく。なるほど、女の人が良く言う視線云々とはこう言うことか。
暫くすると金剛さんがベッドに腰かけた。漸く地獄の時間が終わった、そう思った矢先だった。軽く太ももを叩いてこう言った。
「次は私の膝の上に座るのネ!」
えっ
しぶしぶ膝の上に座ると背中になにか当たるものが。元男としてめっちゃドキドキするんですがそれは。太股も柔らかいし…。
最初からは到底予想できない事態に頭が真っ白になっていると、抱き締められる。
「やっぱり思った通り、時津風は抱っこするとjust fitするネ!」
はあ、そうですか金剛さん。俺としては嬉しいやら恥ずかしいやらで大変なので早く離してください。
一人悶えていると、金剛さんが耳元で話しかけてきた。くすぐったいんですがやめてください。
「そういえば時津風は気付いていないみたいだけど、走ったりしゃがんだりするときに結構パンツ見えてるヨ? 女の子的には気を付けた方がいいと思うネ!」
え、まじで? ということは今まで約一週間、痴女だったということか…!? この服はすごく股がスースーするものの、不思議な力で中は隠れていると思ったのに…!
気づかされたとたん、あまりの羞恥に顔が一気に赤くなる。
「Oh,顔が真っ赤になって可愛いネ!」
金剛さん、もう勘弁してください。
終わった…。漸く金剛さんが終わった…。長い戦いであった。あの後なんとか勘弁してもらい調査を終えて、そそくさと部屋から逃げてきた。もう二度と金剛さんのところには往くまい。ベビードール? あれ以上脱ぐのも嫌だったからベビードールを着たまま上から普段着を着た。丈が長くはみ出してしまったので、見えないように上手く手繰ったままにするのは少し苦労したな。
もうすでに時刻は3時をまわっている。金剛さんのところで時間を食い過ぎてしまったのは明らかだ。まだまだ調査対象は残っている。なんとか今日中に終わらせるべく、次の部屋へと足早に向かう。
お、終わった…。我が横須賀鎮守府全五十数人のうち、いま居る約半数の艦娘への調査が延べ五時間をかけて漸く終わった。これからは結果をもとにすり合わせか…。今日は寝られるかな…。あれ、何でこんなに苦労してるんだ? おっかしいなー、暇だから仕事くれって言っただけなのに。今度からは自分から言い出さないようにするか…。
すっかり疲労した俺は、重い足取りで執務室に向かう。
「しれー、おわりましたよー…」
中に入ると、司令はまだ書類に向かって仕事を続けていた。横には高く積み上げられた紙の山が。もしかしてこれ全部やったのか、うーわお疲れさん…。
「お、お疲れ。今日はこれで終わりにしとこう、調査書は机の上に置いておいてくれ」
「あーい…。しれーも無理しないでねー」
入り口から一番近い机に紙束を放り投げ、執務室を後にする。
部屋に戻ると、まだだれも帰ってきていないようだった。丁度いいので、ベビードールを脱ぐことにする。まず上着を脱ぎベビードールと下着になってから、ベビードールを脱ごうとしたとき、ふと思い立ち、入り口の反対側にある姿見の前に立った。
「うわぁ、エロい…。こんなんを金剛に見せてたのか…」
姿見の中にはベビードール姿の時津風がこちらを向いて立っている。顔はほんのり赤く、それがまた妖艶さを増し、腰のくびれや鎖骨などが服によって強調されている。これを司令に見せたらどうなるだろうか。驚いて目を背けるだろうか。それともじろじろ舐め回すように見てくるだろうか。どうせなら可愛いとか言って欲しいな…。
ありもしない妄想に浸っていた俺は、廊下から聞こえる足音に気がつかなかった。
「ただいまー。時津風、帰ってきたわよー! ってあんた、なんちゅー格好してるのよ…」
声が聞こえた瞬間、体がビクッと縮こまる。姿見の奥には見知った姿が。恐る恐る振り返るとそこには天津風達が扉を開けた状態で固まっていた。
み、見られた…!?
直ぐに体を隠そうとしゃがむ。
「あ、天津風! ちょっと待って! 一旦出て! 早く!」
俺が叫ぶと、天津風は逆再生のようにゆっくりと部屋から後ろ歩きで出ていき、扉を閉める。
扉が閉まったのを確認すると、過去最高に急いでベビードールを脱ぎ、自分のタンスの奥深くに突っ込んで普段着を着た。
驚きのあまり荒くなった呼吸を整え、何もなかった風に深呼吸をして気持ちを落ち着け、扉を開ける。
「おかえりなさーい!」
思いきって扉を開けると、天津風が俺の肩に手を当てて諭すように言った。
「時津風、この部屋には鍵がついているんだからちゃんと掛けなさいよね。その、私はそういうのには何も言わないから…」
「違うんだよ天津風、誤解なんだ! 俺はただ着替えていただけで!」
「そ、そう…」
言い訳をしようとするが、はっきりと見られた以上どうしようもない。
俺が鎮守府に来て一週間の頃の出来事。これは今後もずっと天津風が俺を弄るネタとして、頼み事をする方便として、使われ続けるのであった…。