三月も下旬。年度がわりが近づき、書類仕事がいつもより一層増えてきたこの頃、思うところがあり、天津風に相談する。
「ねえ、天津風。最近、司令からの扱いが雑になっている気がするんだ」
「何よ突然に」
そんな怪訝な目でみないでよ、天津風。
ふと気付いたのはついさっきのこと。司令にお茶を渡した時のことだ。
「司令、お茶持ってきたよ」
「お、サンキュー」
仕事をしている司令は返事をするものの、こちらには顔を向けもしない。仕事の書類によほど集中しているようだ。
なんとなく疎外感を感じ、司令に話しかける。
「ねえ司令、何してるの?」
「ん? 仕事だよ。年度がわりだから増えていてな」
「ふーん」
今度の返事は多少こちらに意識を向けてくれたが、それでもなお視線は書類のままだ。
「ねえ司令、暇なんだけど。渡された仕事も終わったし。なんかやることないの?」
「特にないな。天津風達のところにでも行って遊んできていいぞ。何かあったら呼ぶから」
「ふーん。じゃあいいや」
司令の気を引こうとしてみるがどうにもうまくいかない。
結局あきらめてみんなのいるであろう部屋に来たわけだ。
来てみたら天津風しか居なかったが。他の二人は出払っているらしい。
「それに、最近は夜の分の仕事が終わったらすぐに寝ちゃうし」
不満に思って部屋にたまたまいた天津風に相談するが、反応には面倒くささが滲みでている。
「それ、単に仕事が忙しくなってきただけなんじゃ…」
「そんなことないよ、なんかそういうのとは違う。…たぶんね」
「根拠はあるのかしら?」
「女の勘…的な?」
「あんた元男でしょうが。…まあいいわ。それで、結局のところあんたは司令にどうして欲しいのよ」
嫌々ながらも相談に乗ってくれる天津風、やっぱり優しい。さっさと言いなさいよと促してくる。
「とりあえず、なんかかまってほしい」
「そうねぇ…例えば、いつもと違う格好をしてみるとかどうかしら。いまあんた司令と毎晩寝ているでしょ? 寝巻きを新しいのに変えてみるとかどうかしら。しかもとびきり魅力的なやつに」
「魅力的なやつって?」
そう天津風に聞いたとたん、天津風の目が輝き始めた。
どうやら天津風の仕掛けた何かにはまってしまったらしい。
「まず、今のあんたは自分の魅力を引き出しきれていないのよ。いつも無難なパジャマばっかり着て。もうちょっと司令をその気にさせようとしなさいよ」
天津風の気迫に若干押されぎみになる。
「いや、だって今まではこれでうまくいってたし…」
「それは新婚だからよ。しばらくたてば男はすぐに飽きるわ。そういうのはあんたが一番わかっているでしょうに」
天津風の熱弁はまだ続く。
「いい? 一番やり易いのはギャップを使うの。今のあんたの見た目はロリっ娘よロリっ娘。世の中のロリコンどもがもろ手をあげて飛び込んで来るような可愛いロリっ娘なのよ。それを使うの。つまり、不自然にならない範囲で大人っぽいネグリジェとか、そういうのを着るのよ」
「で、でも、ネグリジェなら天津風にもらったあのドピンクなやつをもう着たし…」
「あれはあんたに完璧に似合っていなかったからノーカンよ。私もネタで渡したし」
今さらネタとか言いやがりますかこの女は。
天津風にムッとすることは山ほどあるが、今はアドバイスを聞くのが最優先。ぐっとこらえる。
「そ、それで、何を着ればいいのさ?」
「黒よ。黒のベビードールを着るの! スケスケのやつ! それでいくら司令といえども一発よ」
「なっ!?」
天津風のことだから何かぶっこんでくるとは思っていたが、予想以上の提案に思わず驚く。
「なによ、司令の気を引きたいんでしょ?このくらいの事はやりなさいよ。べつに下着を着けるななんて言ってないんだから。第一、どうせ司令は散々裸を見られているんでしょ?」
なにか探るような目付きで話す天津風。どうせばれているだろうとは思っていたが、直接聞くと結構心にクるものがある。
「そ、そんなこと言ったって、さすがにちょっと恥ずかしすぎるって。もっとこう、なにか他にないの?」
「無いわよ。ほら、決まったらさっさと買い物に行くわよ」
すでに天津風のなかでは決まったようで、天津風は財布を握ると時津風の手を引いて出発しようとする。
「ちょっ、まだ決まっていないんだけど…」
「なにか言った?」
天津風に意見しようとするが、一睨みで黙らされる。
「……なんでもないです」
天津風、恐ろしい娘…。
天津風につれられて歩くこと数十分、鎮守府と普通の都市の境にある艦娘専用の服屋についた。
鎮守府に着任してからまともに服を買いに外出したためしがほとんどない時津風にとってはなかなか緊張する。ましてや今回案内された女性の服専門のお店は初めてだ。
入り口から見える店内は未だに男の感性が僅かながら残っている時津風にはあまりにもまぶしいものだ。店じゅうにかわいらしい服が並んでいる。
「何しているのよ、入るわよ」
入口で立っていると、天津風に店内に連れ込まれる。
それからは、それはもう大変だった。お目当てのベビードールを
ベビードールはそれはそれで名前のくせして巨乳用がほとんどで選ぶのに苦労したとか。
さらに、今度はベビードールに関係のないミニスカートやら丈の短いワンピースやら、それはもう色々買った。もちろんその前段階には着せ替え人形にされたわけで。
「つ、つかれた…」
店に入ったのがお昼過ぎなのに、今はもうおやつ時だ。
「このくらいで疲れるなんてあんたもまだまだね」
「まだまだって…、と言うか、これってもしかしなくても司令を
天津風に問うと、少し驚いたような顔をするがあっさりと言う。
「あ、ばれた?」
「『ばれた?』 じゃないよ! 私が言ったのは司令に構ってほしいだけ! その、性的な意味ではないから!」
「いや、でも性的に構ってもらえば普段からも構ってもらえるでしょ?」
「その理論はおかしいよ…」
その後も天津風を説得して買った商品を返品しようとするが、あの手この手ですり抜けられ、諦めるはめになった。
鎮守府に帰ってからも休みはやってこない。
部屋に戻るなり買ってきた服をあけ、着させられる。
「早速今日から試すんだから、早く下着まで合わせて見せなさいよ」
妙に楽しそうな天津風は服を突きつけて催促をする。
「今日から!? いや、せめて心の準備をさ…」
「そんなこと言ったってどうせ最後まで準備できないんだからいつまでたっても同じよ。ほら、さっさと着替えた。それでもまだ言うなら…」
「言うなら?」
「今来ている服を無理矢理脱がせて素っ裸にした後服を隠して、このベビードールを着る以外の選択肢を無くしてやるわ」
「喜んで着させていただきます」
「こ、これはなかなか…」
「どうよ。やっぱり私の目は間違っていなかったわね」
鏡に映っているのはベビードールを着て顔をほんのりの赤らめ、伏し目がちに観ている時津風。
胸もそれほどなく幼い姿なのに、どこか妖艶な印象がある。
「よし。これなら大丈夫ね。今日の夜が楽しみだわ」
天津風、これでうまくいかなかったら恨むからね?
その日の夜、「そろそろ寝るわ」といつものように司令が言ったところで部屋に服を取りに戻る。いつもは司令の寝室の片隅に設えた時津風用の小さなタンスに入っているパジャマを着て寝るが、今日は違う。司令には少し不思議な顔をされたが、後であっと言わせてやると考えて放っておく。
部屋に戻ると天津風が満面の笑みで服を渡してきた。後ろには雪風や初風もいる。
「時津風、頑張ってね」
「何があったか知らないけど、まあ、せいぜい頑張りなさいよ」
雪風と初風の励ましのなか着替え、ガウンを羽織る。
部屋を出ようとした時、後ろから誰かに両肩を掴まれた。首だけ振り替えるとそれは天津風だった。
「何かあったらこっちに戻ってきていいんだからね」
「…ありがと」
執務室に戻ると、すでに司令はベッドに入り、入り口とは反対を向いていた。
特にする必要はないが、音を殺して司令背後まで進み、ガウンを脱ぐ。ただでさえまだ肌寒い季節なのに加えて薄着をしているので肌寒い。身に付けているものが下着とスケスケのベビードールのみになり羞恥で体はほてってきて、余計に寒く感じる。その寒さが自らの格好を再確認させ、さらに恥ずかしくなり…と悪循環に陥る。
そのせいか、静かに置こうと思っていたガウンを落としてしまった。ガウンが床に落ちる音で司令が気づいたようで、司令がこちらを向くとそのままの姿勢で固まる。
「……!?」
「えっと、その、司令…」
司令の気を引くという目的は無事達成された。
されたのだが、その後を考えていなかったがためにお互い固まってしまう。
部屋の電気は消されていてすでに暗いが、入ってきたドアから光が入ってきているので、司令の視線が体を駆け巡っているのがわかる。
目線が体を一周して再び顔に戻ってきたとき、思いきって訳を説明することにした。
「その、最近司令があんまり構ってくれないから、その、気を引きたいなって天津風に聞いたらこうなって、で、その、えっと……ど、どうかな?」
口に任せて言った言葉がどれほど司令に伝わったかは怪しいが、大まかに思うところは理解してくれたようで、体を起こして対面してくれる。
「あー、その、なんだ。まずは、すまなかった。最近は確かに構ってあげられてなかったな。そして、そこまでしてくれてありがとう。本当に嬉しいよ」
すまなそうな顔をして頭をかきながら謝る司令。
そしてまたお互いやることが無くなりかけたところで、司令が時津風の手をを引き寄せてベッドに座らせ、後ろから抱きしめる。
「えっ、ちょ、司令っ…」
「俺だってさ、ちょっとは寂しかったりするんだぞ?」
左手で肩から抱き、右手で頭をなで始める司令。最近ご無沙汰だったこともあってとてもくすぐったく感じるが、それを上回る嬉しさが溢れる。
しばらく司令にされるがままにされていたが、ふと思い立ってベッドから立ち上がり、司令の方を向く。
「ねえ司令、今さらだけど、この格好どう?」
司令の顔をみながら問うと、司令が生唾を飲むのが聞こえた。
「その、これがギャップ萌えってやつか。正直やばい」
そう言ったあと、一呼吸入れてから続けて言う。
「時津風、その格好でここに来るってことはわかってるよな?」
司令の問いに無言で頷く。
そして、くつを脱いでベッドにあがる。
「時津風、好きだぞ」
「そんな言葉ではぐらかされたりしないんだからね?」
「で、うまくいったわけね」
翌朝、朝一番の出撃のために執務室にきた天津風はあきれ半分で言った。
昨日の萎れていた時津風はどこへやら、すっかり定位置の司令の膝の上に乗っていた。
「まあ、うん。そうだね。それにここなら司令の邪魔にもならないし」
時津風の呑気な言葉に天津風と司令は目を合わせる。
(提督はそれでいいの? 集中できないでしょうに。)
(まあ、時津風が良いなら俺はいいんだ。)
司令も司令で呑気な顔をしていて、天津風は思わずタメ息をつく。
「なにさ天津風、何かあったの? 相談のってあげようか?」
呆れから出たタメ息を時津風は天津風がなにか悩んでいると受けとったようで、少し得意気な顔で聞く。
もちろん、それを聞いて天津風は更に呆れることになる。
「あのねあんた……、いや、やっぱりいいわ」
「なになに? 遠慮しなくていいんだよ?」
「何て言うか、お幸せにね」
「ん? もちろん! ね、司令」
いまいち話の繋がりが見えていないが、とりあえずは返事をしておき、司令にも話を振る。首だけ振り替えって司令に言うと、頭を撫でられる。
すっかりお気に入りになったそれに目を細めるのをみて、また天津風は呆れるのだった。
「それじゃ、行ってくるわね」
「気を付けてねー!」
天津風に手を振って送り出す。司令の手はまだ時津風の頭を撫でたままだ。
鎮守府は今日も平和だ。