俺ガイル短編集   作:さくたろう

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背中のぬくもり、二人だけの世界

「今日はこの辺にしておきましょうか」

 

「そうだねー、今日も依頼来なかったね」

 

 下校時刻を告げるチャイムがなるとそれまで携帯を弄っていた由比ヶ浜が雪ノ下の呼びかけに応じる。二人の声に頷き、読んでいたラノベを鞄にしまい帰り支度を始めたところで、奉仕部の扉が勢いよく開かれた。

 

「こんにちはです、結衣先輩、雪ノ下先輩!」

 

「やっはろー、いろはちゃん!」

 

「あら、一色さん。いらっしゃい、今日は遅かったのね」

 

「そうなんですよー、生徒会の仕事が思ったより長引いちゃいまして……。一応は、なんとか終わりましたけど」

 

「そう、お疲れ様」

 

「いろはちゃん、おつかれー!」

 

 一色は軽く頬を膨らませながら雪ノ下に愚痴るように言うと、俺たちが帰るところだとわかったらしく、こちらに笑顔を向けてくる。

 

「じゃあ、せんぱい、一緒に帰りましょっか」

 

「……おう」

 

「まったく……、本当に仲がいいのね」

 

「ほんとっ! なんか羨ましいし!」

 

「別に普通だろ、じゃあ帰るわ」

 

 なんか視線が怖いんだけど……気のせいだよね? 気のせいって言ってよバーニー。

 気まずくなった俺は先に廊下にでる。

 

「えへへ……、それじゃ雪ノ下先輩、結衣先輩。さようならです!」

 

「ええ、またね、一色さん」

 

「ばいばい、いろはちゃん!」

 

 挨拶をする一色に優しく返す先輩二人。そんな光景が若干微笑ましくて、自然と口元が緩みながらも廊下を歩き始めた。

 

「もー、せんぱい待ってくださいよー」

 

 あとから部室を出た一色がぱたぱたと駆け足で追いかけてくる。

 

「別に廊下で待ってただけだぞ」

 

「先に廊下に出る必要ないじゃないですか」

 

「……まあ、そうだな」

 

 二人で放課後の校舎を歩き駐輪場につくと、俺の自転車の荷台に一色がぽんと座る。

 少し前から俺と一色は付き合い始めた。それからいつの間にか自転車の後ろは一色の指定席になっていて、放課後、一緒に帰るときはこうして後ろに乗せて家まで送るのが日課になっている。

 なんというか、昔の俺ならこんなことめんどくさいと言って絶対にしなかったはずなわけだが……。まあ、かわ……あざとい彼女の頼みとあらば断る訳にもいかんだろ。俺としてもこいつと二人でいたいと思ったりするしな、うん。

 っべーわ、……恥ずかしくなってきた。

 

「せんぱい、はやく、はやく」

 

 そんなことを考えていると、一色は両手でサドルをぽんぽんと叩き急かし始めた。何だそれ可愛いなお前。

 

「あいよ、お姫様」

 

「なっ……、い、いきなり何言い出すんですか! ……むぅ」

 

 そう言うと、先程までぽんぽんと叩いていたサドルに人差し指でのの字を書きながら照れる一色を見て、こいつ本当に可愛いななんて思いながら一色の手をどかしてサドルに腰掛けると、後ろからギュッと抱きしめられる。

 

「あの、一色さん? くっつきすぎじゃないですかね?」

 

「せんぱいが悪いんですよ……? ほら、ごーです!」

 

「はあ……」

 

 まったくこいつは……。

 

 それから二人で自転車に乗って帰り道を進んでいく。後ろから伝わる温もりを感じつつも会話をしながらペダルを回していると、あっと言う間に一色の家の前に到着する。

 

「今日もありがとうございます、せんぱい」

 

「おう」

 

 自転車から降りて玄関に向かっていく一色を眺めていると、一色は玄関の前で立ち止まりひと呼吸して口を開いた。

 

「先輩、今日は泊まっていきませんか……?」

 

「へっ?」

 

 えっと……この子はいきなり何を言い出すんですかね? 確かに、もうちょっと一緒にいたいなーとか後ろ姿を眺めながら思ったりはしたけどさ? いきなり彼女の家にお邪魔するとかぼっち歴の長かった俺にとって難易度ベリーハードなわけなんだが。それにあれだ、いきなり娘が彼氏連れてきたってなったらお父さん発狂しちゃうかもしれないだろ。小町が彼氏連れてきたら発狂しちゃうし。あ、俺は親ではないな。

 

「大丈夫ですよ、今日は家に誰もいないんで」

 

 ……どうやら俺の心は完全にこいつに読まれているらしい。言われて家を見てみると明かりはなく、真っ暗だった。っつーかそっちの方がいろいろとまずくねえか? ほら、年頃の男女が二人きりとか、さ。

 

「……せんぱい、何かいやらしいこと考えてませんか?」

 

「い、いやそんなことないぞ?」

 

 心を読まれて動揺していると、いつの間にかおちゃらけていた一色の表情は消えていて、

 

「私はただ……、今日、今日だけでいいんで、先輩と一緒にすごしたいんです」

 

 そう告げた一色の言葉はいつになく真剣で、俺はその提案に同意せざるを得なかった。

 

 玄関を開けた一色の後に続き家にあがると、家の中は何もなかった。……いや、多少のものはある。あるんだが、それはまるで今日一日だけ過ごすために置いてあるだけのように思えた。

 

「一色、どうしたんだこれ?」

 

 それが明らかに普通とは言えない光景で、気になった俺は聞かずにはいられなかった。

 俺の問いに悲しげな表情を浮かべながらも、一色は真っ直ぐ俺を見据えて話し始めた。

 

「……わたし、明日引っ越すんです」

 

時間の流れが、ぴたりと止まった。

 

「朝一の新幹線でここを発つことになってます」

 

一色の言葉がゆっくりと自分の頭を素通りしていく。

 

「わたしの最後のわがまま、聞いてもらえませんか?」

 

「――ちょっ、ちょっと……」

 

――待ってくれ。今、何て言ったんだ……?

 一色の言葉があまりにも唐突過ぎて俺の思考が停止する。

 急にそんなことを言われても俺はどうしたらいい、何をしたらいい。

 動揺した俺の頭はまともに働いてはくれなかった。

 一色の言葉が冗談であってくれと思っても、その言葉を裏付けるように、この家にはおおよそ人の住む環境が整っていない。まるで、もうこの家には誰も住まないような……。

 

「……そういう冗談はやめないか?」

 

 いや違う。この話が冗談じゃないことは、こいつと過ごしてきた俺ならわかってるはずで。だからこいつは今にも泣きだしそうな顔で俺を見つめてて……。

 

「…………なんでだ? なんでこんな急に……」

 

「あまり家のこと話すのは好きじゃないんですけど、せんぱいにはちゃんと説明しないとですよね」

 

 そう言うと、ゆっくりと語り始める。

 

「わたしの家ってお母さんがいないんですよ。わたしを産んだ時に死んじゃったみたいで。それで、今までお父さんが男手一つでわたしのことを育ててくれたんです」

 

 でも、と言葉を繋ぐ一色の声が震えた。

 

「……最近体調がよくないみたいで……。それでお祖父ちゃんのいる広島の方に引っ越すことになって……黙っていたことは本当にごめんなさい」

 

 何か、何か言わなければいけないと思っても言葉がでない。

 どうにかしてやりたい、なんて思っても、今の俺にこの問題をどうにかする手立てがあるわけでもなくて。

 ……俺はなんて無力なのだろうか。

 

「そんな落ち込まないでくださいよ、せんぱい。せんぱいと過ごすためにわたしは、一日だけここに残ったんですから。笑ってくださいせんぱい……わたしまで悲しくなりますから、ね?」

 

「……ああ」

 

 涙を浮かべながらも、笑顔を向けてくれる一色が今の俺には眩しすぎた。

 

 それから二人で近くのコンビニまで行き、夕飯を購入する。

 

「本当ならせんぱいにはわたしの手料理ご馳走したかったんですけどね」

 

「ん、まあ、それは食べてみたかったな。でも、お前と一緒に食う飯ならなんでも美味いぞ」

 

 本心だった。

 

「なんですか、もー。……あざとい通り越してチャラいですよ……せんぱい、ずるいです」

 

「チャラいってなんだよ……」

 

「チャラいはチャラいですよ!」

 

 そんな言い合いをしながらも食べる夕食は楽しくてその時間はあっという間に過ぎていた。 

 明日に備え二人とも寝る準備をする。寝袋を引いて二人ならんで横になる。

 

「せんぱい」

 

「どうした?」

 

「そのですね、……手、繋いでもいいですか?」

 

「……おう」

 

 右手を一色の方に差し出すと、一色の指がゆっくりと自分の指に絡んでくる。弱々しく、まるで躊躇っているかのように弱々しく握ってきた彼女の手は、やっぱり離したくなくて──。

俺は繋ぎとめるように、一色の手を少しだけ強く握る。すると、それに応えるように彼女が俺の手を、今度は力強く、ぎゅっと握り返してきた。そんな彼女の温かさに包まれながら、感慨に耽るように目を閉じる。

しばらくすると一色の静かな寝息が聞こえてきたので、顔を横に向け彼女の寝顔を眺めてみる。その頬には、一筋伝うものが見えた気がした。

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

 翌朝、重い瞼を開くと目の前には一色の顔があって、

 

「あ、せんぱい、おはようございますー」

 

 挨拶する一色の表情は、昨日涙を流していた女の子の面影はどこにもなく、素の笑顔だったと思う。というか近い近い近い。めちゃくちゃ心臓にわりーよ。何これ、なんかのドッキリなの? うっかり見惚れちまったじゃねえか!

「もう少し先輩の寝顔を見ながら準備したかったんですけど起きちゃいましたね」

 

 こいつ、よくもまあそんな恥ずかしいこと言えちゃうな、おい。まあ俺も逆の立場なら寝顔を眺めていたかもしれんけど。

 

「何? 起きちゃまずかった? なんならずっと寝てようか今日」

 

「わー、わー! 今のなしで! じゃあ少し待っててくださいね、すぐに準備終わらせるんで」

 

 こいつとこんなやり取りをするのも今日が最後かもしれないと思うと、寂しく思う俺がいた。

 

「まだ時間あるし慌てなくていいぞ」

 

 少しでも一緒にいれる時間を作りたいと思って、柄にもなくそんなことを言ってしまう。

 

「はーい」

 

 一色が身支度を整え、二人で家を出る。一色の荷物を入れた大きな鞄を自転車の前カゴに入れ、いつものように後ろに一色が座る。

 

「じゃあいきましょうか、せんぱい」

 

「……あいよ」

 

 一色の掛け声とともに自転車のペダルを漕ぎ始める。年期のはいった自転車には大きな鞄と二人乗りは厳しいらしく、悲鳴を上げ始める。……まるで俺たち二人の心の声のように。

 昨日よりも重く感じるペダルを漕いでいると、不意に背中に一色が寄りかかってきた。背中から伝わる彼女の温もりを感じながら、さらに前に進むために重いペダルを漕ぐ。もうこうやって温もりを感じることができないのかと考えると、視界が少しぼやけた気がした。

 

 線路沿いの上り坂を立ち漕ぎで一気に駆け上る。日頃から自転車通学している俺にとっては朝飯前だ。といってもこれは一人の場合での話なわけで、今の状況は違う。一色を後ろに乗せ、前には大きな鞄、挙句、俺の気分はよろしくない。いつもよりもペダルの回転は遅く、一旦地面に足をつけようとした時だった。

 

「せんぱい、もうちょっとですよー! あと少しなんですから頑張ってください!」

 

 後ろから楽しそうな声でそう言い放つ一色。

 まったくこいつは……、もうちょい俺を労わってもいいんじゃないんですかね? ただ、それを聞いて少しだけペダルが軽くなった気がした。なんというか俺もつくずく単純というか……。もうすぐ受験だしあれだな。一色の応援ボイスとかあったら合格間違いなしだな。頑張っちゃうわ、俺。

 

 朝方の町は、いつも自分が知っているの光景とは違い、とても静かで、まるでこの世界に今いるのは、俺と一色の二人だけのような気さえしてくる。

 

「……二人だけの世界みたいだな」

 

「えー? せんぱい、何か言いました?」

 

「なんでもねーよ」

 

 どうやら考えていたことを口に出していたようだ。はっきりとは聞こえなかったようなので、その場をごまかそうとして、何か言葉を探していると、ちょうど坂を上りきった。

 一度も足をつかずに上りきったご褒美だろうか、俺たちを迎えてくれた朝焼けがあまりにも綺麗すぎて、今まで我慢してたものが急に溢れ出してきた。

 

「……すごい、綺麗ですね。早起きは三文の得ってこのことですかね、せんぱいっ」

 

 その言葉から一色は今笑顔なのだろうと思い、その笑顔を見たいと振り返ろうとして思いとどまる。

 だって俺は今、泣いているんだから……。こんな顔は見せられない。

 

 

 

 駅に着くと、一色が新幹線のある駅までの切符を購入する。俺も一番安い切符を購入して二人で改札を通ろうとすると、一色は自分の大きな鞄の紐を改札に引っかけて通れずにいた。一瞬ちらっとこっちを見た一色の表情は、さっきまでのものとは違っていて、察した俺は引っかかっていた鞄の紐を外した。

 

 改札を通ると一色の乗る電車のベルが鳴り響き、ちょうど一色の立っている真ん前でドアが開いた。まるで一色のためのドアのように……。

 ……一色がゆっくりと、今いる場所からドアに向かって一歩踏みだす。何万歩より距離のある一歩だ……、一体どれだけの距離になるのだろうか。一色の向かう町をよく知らない俺にはそれがわからなかった。

 

「せーんぱいっ」

 

 一色に呼ばれていつの間にか俯いていた頭をあげようとするが、自分の意思とは反対に頭が上がらない。

 

「せんぱい、約束してくれますか? ……いつか、いつか必ず……せんぱいに、また会いに行きます……。その時は、会ってくれますか……?」

 

 一色のこの言葉の意味を俺はわかってるはずだ。……はずなのに、その問いに答えられずに俯いたまま、片手でゆっくりと手を振るしかできなかった……。

 一色がどんな表情でさっきの言葉を俺に告げたのか、間違うはずもないのに。

 

 何故俺はこんな時まで捻くれてる。せめて今だけでも自分の気持ちを曝け出せよ、比企谷八幡。

 

 まだ電車は駅を出発していない。一色の乗っている号車は覚えている。

 俺は急いで駐輪場まで走った。いつも楽に生きようとしてんだ、今日くらい全力でいって何が悪い。

 駐輪場に着くと、ちょうど一色の乗っている電車が走りだす。さっき走った線路沿いの上り坂は今度は下り坂になっていて、全力で風よりも早く飛ばしていく……、あの電車に追いつけと。

 自転車が悲鳴をあげながらもギリギリ電車と並ぶことができた。できたが、それはほんの一瞬で、少しずつ、ゆっくりと電車との距離が離されていく……。

 

 一色の乗った号車が俺を追い抜いて行って、一瞬、一色の姿が見えた気がした。今、一色はどんな表情をしているのだろうか……、泣いているのだろうか。あの時、俺に「約束してくれますか」と聞いてきた時の一色の声は震えていた。だとしたら今も、もしかしたら泣いてるのかもしてない。

 

 何のために俺は今ここにいるんだ? あいつと悲しい別れがしたかったのか? 違う、そうじゃない、俺はまたあいつと会う。いつか必ず……。だから約束だ、一色……さっきはちゃんと答えられなかったけれど。これが俺の答えだから……。これが俺の本物の気持ちだから……。 

 また会おうという気持ちを込めて、一色の乗る電車に向かって大きく手を振った。

 

 

 帰り道、町はいつものように賑わいだし、俺の知っている光景が広がる。だがいつも隣にいてくれた一色の姿はもうない……。それがとても切なくて、賑わいだした町とは裏腹に、今、俺は世界中に一人しかいないような錯覚に陥った。

 

 それでも俺の足はペダルを漕ぎ、自転車は前に進む。

 

 来る時とは違い、今は俺一人を自転車が運んでいく。

 

 一人で乗っているときは悲鳴を上げない自転車が、さっきから悲鳴を上げている。

 

 まるで俺の感情を代わりに曝け出すように……

 

 それでも、俺はあいつの言った「また会いにいきます」という言葉を信じてペダルを漕ぐ。

 

 背中には微かに彼女の温もりを感じた。

 


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