小谷城の大広間で鑢七花は浅井久政と相対していた。周囲に人は誰も居らず、部屋には七花と久政の二人だけ、七花の格好はいつも通りの【尾張のかぶき者】姿の派手な格好で落ち着いており、対する久政は七花に比べると地味だが、趣のある落ち着いた小奇麗な格好をしており、七花に比べて冷静を装ってはいるが額に汗が浮かんでいる。
さて、何故このような状況が生まれたというと、一時間ほど前にいつもの目立つ格好に着替えた七花が堂々と肩に気絶した美濃への連絡を託した兵士を担いで、小谷城へとやって来たのが原因だ。
「えーと、信奈に仕えている七花だ。浅井久政と二人っきりで話がしたい。妙な真似をすると長政の命はないと思え。そうだな。とりあえず、半刻は待ってやるよ。それまでに決めなかったら、先にこいつの命はないと思え」
七花の宣言に小谷城は大混乱。「何故、小谷城の付近までこんな目立つ大男の接近を許したのか」「関所付近の兵達は何をしていたのか」「長政様は本当に無事なのか」「やはり久政様では状況を打破することはできないのか」等はあったが、とりあえず、要求を受けることにした。
七花に掴まった者の命はどうでもいいのだが、今は尾張と美濃の情報が一切ないのだ。ささいな情報でも欲しい。七花についても一刻が三十分だとして、要求が通った後は制限時間がないため、久正が七花との会話を長引かせれば家臣達が相談しあって代案がだせる。
まぁ、七花を取り押さえようとする動きもあったのだが、男一人を気付かれずにここまで連れてきたということは七花の他にも仲間がいる可能性が高く、その仲間が尾張に知らせに戻り長政が死ぬ可能性や確保する最中に七花に死なれてしまう可能性がある。そうなっては最終的に何もわからないまま、ただ事が起こるのを待つしかなくなってしまう。結局は七花の要求を呑むしかないのだ。
そして冒頭に戻る。
自分の要求がそのまま通り後は久政と話し合いをするだけの余裕がある七花と何も情報がなく家臣達の代案のために七花の機嫌をそこねずに会話を長引かせなければいけないプレッシャーを感じて余裕がない久政の構図ができてしまった。
「いやー、しかし悪かったな。急に押しかけて、美濃と戦をするらしいからさっさと終わらせたかったんだよ」
「そうであったか、で如何様な用件でこちらに?」
久政は何を終わらせるのか、知りたくもあり知りたくもなかった。知ってしまえば浅井家は終わってしまう。七花の言葉は久政にはそう感じさせた。例えば、長政の死。もしくは目の前にいる男は死ぬ覚悟でここに自分を殺しにきたのかもしれない。いつ代案が思い浮かばれるかわからないこの状況に久政の心は沈む一方だ。そんな久政の心情を気にせず七花は話しかけてくる。
「長政の事だ」
久政の額から汗が一粒流れ落ちる。長政は無事だろうか、いや、そもそも戻ってきた兵達の話からすれば長政が女だという事がばれている。もしかして慰み者にでもされているのだろうか。いや、今は美濃との戦で織田は我々に邪魔をされたくないはず、しかし、私は美濃へと手紙を出し、その兵を捕らえられて、あまつさえ小谷城へと連れてきた。つまり、我らが美濃に同盟を結ぼうとしていることを知っている。そこまで考えてから久政は息苦しさと心臓の鼓動が早く脈打つのを感じていた。
「なんで、あんた。長政に男の格好をさせていたんだ?」
七花の言葉に久政は頭が真っ白になった。もし、ここで七花の言葉が『美濃との戦にかかわるな』等の要求であるなら久政はまだ対応できていただろう。しかし、七花が発した言葉は単純な疑問だ。久政にとって予想の中にはあったが、まさか尋ねてくることはないだろうという質問がきたのだ。何故なら、長政からすでに聞いていると思っていたからだ。
久政が何も喋らないので続けて七花は口を開く。
「小さい頃から男として育てれば大丈夫と思っていたんだろうけど、今は動きに少し違和感を覚えるほど無茶な動きだ。これからも続けていけばいつかは長政の体は壊れていたかもしれねぇ。なぁ、それなのに何で長政に男の格好をさせていたんだ?」
「体が……壊れる?」
今度は理由をつけて尋ねる七花に久政は呆けた表情で七花を見た。体が壊れる、久政は最初肉体の衰えを思ったが、すぐに腰の骨を折ってから歩けなくなった者のことに変わった。想像が飛躍しすぎかもしれないが久政は負け戦の常習により自分にとって、もっとも最悪な状況を考えてしまう癖があった。自身も体験すればそんな事を考えなかったかもしれなかっただろうが、男に生まれて女として生きよと言われたことも体が壊れて動けなくなったことも久政にはなかった。だからこそ、ぞっとした。自分のしてきた事が長政を危険に晒し続けていた事を改めて思い出した。始めは六角承禎の博打によって長政を奪われ、長政が六角承禎に襲われないように男の格好をさせた。自分が手を拱いている内に長政は必死で頑張って六角家から独立をした。多分、そこから歪んでしまったのだろう。長政が戻ってきたら男装を解かせ、愛娘として過ごさせ、相手を見つけて婚姻を挙げさせるはずだったのに、そのまま男装を続けさせ家督を譲ってしまった。つまり男装している長政が自分にはできなかったことを可能にする理想の自分に変わってしまったのだ。
長政の手柄を自分の手柄と勘違いし、長政の戦略を自分の戦略だとも無意識の内に思った。そして、長政が自分の意に染まないと自ら口を出して長政を操ろうとしていた。
長政がこのまま男装で過ごしたらどうなるか、一度も考えたことがなかった。長政が壊れるなんて思ってもみなかった。何故なら理想の自分だからだ。病気や怪我など物ともしないと自分勝手に思っていた。もし、長政の体が耐え切れず壊れてしまったらどうするつもりだったのだろう。今のように正気に戻って後悔するのだろうか? それとも……
久政の顔が真っ青になり、体感温度が一気に低下して体が震えだし、それを抑えようと両手をクロスさせて両肩を掴み抑えようとした。発狂して大声をあげそうになったが、自分にそんなことをする資格はないとして必死に口を噤み。乾いた口の中でも自分が落ち着くように無理やり唾を飲み込むように嚥下した。
――それとも幻滅して、長政をゴミのように見下ろしているのか。
自分の子供を物のように使えなくなったら捨ててしまう自分を想像してしまい発狂寸前で自分を取り戻し、久政は静かに七花を見た。
「やっぱり、そんなこと考えてなかったのか」
久政の反応を見て、七花はそう呟いた。
「恥ずかしながら、長政を失うなど一度も考えてもみなかった。愚かなものだ。長政を理想のわれだと押し付け無理をさせ失うなど考えもしなんだ」
憑き物が落ちたように疲れきった笑みを浮かべながら久政は答えた。
「浅井家復興だの、天下統一だの。わが本当の願いはそんな夢物語ではなかったはずだ。妻と二人、恙無く長政の幸せを願っておったはずなのに、いやはや、どこで間違ってしまったのやら」
自身の野望が大きな溜息となって消えてなくなり、思いなおした久政の言動には一人の父としての望みがあった。
「七花殿。お頼み申す、長政を幸せにしてやってはいただけないだろうか、何卒、何卒お頼み申す」
七花に頭を下げる久政に対して七花は
「無理だ」
拒絶した。
久政は驚いた様子で七花を見ると
「俺は誰かのために何かをするなんて事を人には無理じゃないかと思っている。まぁ、長政を幸せにすることは俺にはできねえけど、長政が自分の幸せを見つける場所や時間くらいは作ってやれる。長政を幸せにできるのは長政だけだ。俺じゃねえよ」
「またわれは勝手なことを決め付けていた。長政のこと、お頼み申す」
久政は七花の答えに満足しながら、手紙を書いて、その手紙を七花に託した。
七花は小谷城を後にした。五右衛門が待っているからだ。七花に対して浅井の家臣達は七花を捕らえなくてよいのかと久政に尋ねるが、久政は「その必要はない」と兵達を制止させた。
その後、久政は家臣達を集めて、「猿夜叉丸は死んだ。われは今から喪に服す。喪に服している間、美濃と尾張の戦にいついかなるときも一切介入せぬよう申し付ける。よいな」と宣言した。
この日、猿夜叉丸は死んだ。
大変、お待たせしました。
いやー、この話かこうと思っても、なかなか話が書けませんでした。スランプです。
期間を置いて書いてみたら、一気に書けたました。多分、必要な知識が足りなかったんでしょう。
お待たせしてしまって申し訳ない。
しかし、久政を説得するさい、実は七花が二十年後、南蛮がここに攻めてきて全てを奪われる的なセリフを出して、久政が織田信奈がよく、人生二十年の唄をうたっていたのは南蛮が攻めてくることを予言して忘れないための唄だったのかという自滅させようとしていたのですが、このような形で収まりました。
これは多分、コロせんせーと下ネタという概念が存在(ry
から得たものだと思います。ありがとうコロせんせー、しかし下ネタは普通の書店でレジに持っていったときの女性店員の表情とぎこちない作業が忘れられませんでした(遠い目)
※後日、他の店を探すのが面倒だったのでそこで下ネタを買い続けたので下ネタ専門店になってしまったのは致し方ないですよね(遠い目)
没ネタ
さて、近江兵達が大男を見逃している最中に久政がやってしまった愚策を紹介しよう。
「しかし、あんなに上手くいくとは思わなかったな」
大男はとなりにいる小柄な女旅人に話しかける。
「うまい具合に引っかかったでござるな」
女旅人も言葉を返す。この二人、尾張を出発して小谷城に向かっている鑢七花と蜂須賀五右衛門である。
この二人の会話の意味は美濃の旅籠で起こった事である。
この時はまだ七花と五右衛門はこんな風に並んで歩いておらず、五右衛門が拗ねて七花に見られないように屋根裏に隠れていた。例えるなら普通の主と忍の関係性。
七花がふと宿泊している部屋の中から窓の外を見ると背中に浅井家の紋章が書かれていた旗を背負った目立つ鎧を着た兵士が全速力で走り疲れている馬に乗って、ウロウロしていた。新しい馬を買うつもりなのだろう。
「んー」
七花は少し考える素振りをしてから行動を起こすことにした。
「なぁ、あんた」
七花が兵士に話しかける。
「誰だ、貴様!!」
重要な密書を持っている事を知らせるような対応だった。
「まぁまぁ、あんた馬を買いたいんだろ。この道を真っ直ぐ進むと売ってる場所がある。旅籠でさっき聞いたんだ」
七花は両手を挙げて自分は無害ですよというポーズをとってから、旅籠で聞いた情報をそのまま兵士に伝えた。
「信じられん」
「なら、そこの旅籠で聞けよ」
「いや、貴様が案内しろ、嘘ならば叩ききるまで」
兵士は刀を抜くと七花を脅す。
「わかったよ」
面倒そうにしながら、七花はおどけて言った。兵士は無事に馬を買えた。その間に七花は自分の自己紹介をしていた。旅をしていて、戦の気配がしたから避難をしている最中だという情報を兵士に与えた。
「あんた、少し臭いな」
七花は眉を顰めながら言う。
「そうか?」
兵士は自分の臭いを確かめようと嗅ぐがわからない。
「あんまり、言いたくないが、次の町で風呂に入った方が良い」
「それは何故だ?」
「この国が商人の国だからだよ」
何、当たり前な事を言っているんだという表情で兵士は七花を見つめるが、七花はやれやれと言ったふうに説明する。
「あんた、結構な速さでここまで来ただろ。しかも休まずに」
「それがどうした」
「急がなければいけないほどの事なら、商人は足元を見る。あんたが予想している以上にな。どんな条件を突きつけられるか、わかったもんじゃない」
「彼らには悪い条件じゃないはず、普通なら向こうがお願いするほどのものだぞ」
「じゃあ、何故、向こうが動かずにあんたが動いているんだ?」
七花の言葉に兵士は黙る。
「知ってるんだよ。商人はあんたがどんな弱みを持っているかをさ。なら動かなくても向こうからやって来てくれる。しかも、損をせずに更に利益を得られる。まさに濡れ手に粟だな」
これは二話くらい前の話で、もう七花くん策士になっちゃってるよね。しかも、敵の秘密をなぜか知っているというドジっ子も発生しちゃってるし、こうなると否定姫がいらなくなってくるので没になりました。
次の更新は未定です。申し訳ない