その日の夜、七花は信奈の部屋にいた。
信奈に呼ばれて、ここに来たのだ。
本当は今日の今頃、出発する予定なのだが、よく考えてみると昨晩の宴会では信澄と勝家、犬千代と主に話し、勝家に勝った事に対してお祝いを述べる知らない兵達との会話で信奈と話していない事を思い出し、信奈の誘いにのったのだ。
信奈は、はやりの謡曲の歌詞を呟き、七花はそれを立って見ていた。
「人間二十年か、それを聞くと俺は島の中で人生を終えたように思えるな」
七花が己の人生をしみじみと呟いた。
「七花」
「何だ?」
「あんたの夢は惚れた女の借り物だって言っていたわね」
「ああ、言ったな」
「どんな人だったの?」
「【チェスト】の事を【ちぇりお】と間違って覚えていて、最後の最後まで、自分勝手に、わがままに俺に好きに生きろと言って、…………死んだ」
「……そう」
「でも、俺はそんな女に惚れたんだ」
懐かしむように月を眺める七花の表情はとがめとの出会いから別れまでを思い出しているのだろう。
そこからは信奈の話だった。
七花に見せてきた地球儀は信奈の宝物であること、宣教師から色々教わっている内に日本を統一して治めたら、鋼鉄製の大きな船を造り世界中を自分の目で見てまわりたいという夢の原点の話。そして――信奈が好きになって頼りにした人物はみんなすぐに死んでしまうこと。
「ねえ、七花。あんたは本当に私の兄なの? 徹尾家の記録は本物だとしても、あんたが偽名を使っているかもしれないし、それに今まであんたが何をしていたのか、教えて貰ってないのに」
「悪いが秘密だ。信奈が俺を兄なのか判らないように、こっちも信奈が妹なのか判らないからな。そう簡単に何をしていたのかは教えられねえよ。ただ言えるのは、俺は二十年くらい、島で親父と姉ちゃんと三人で暮らしてた事くらいだ」
「そう、私の事をいっぱい聞いておいて自分だけは秘密にするのね」
「いずれ言うときがくるから待ってろ。今はまだ無理だ」
「教える前に逃げたり、死んだりしたら許さないから」
「安心しろ、あいつがここにいる限り逃げたりしないし、死のうと思っても死ななかったんだ。今回も大丈夫だろ。じゃあ、俺は今から美濃で情報を集めるから、しばらく留守にする。あいつの事を任せるな」
「こんな夜更けに?」
「まにわにみたいで楽しみだ」
ふざけて陽気にいう七花はさながら遊び人のようだ。
「まにわに? よくわかんないけど、あんたって本当に服装も考え方も変わってるわね。だから、あんたは【尾張のかぶき者】とか呼ばれるんじゃないの?」
「いいじゃないか、尾張のかぶき者」
そう言って七花は信奈の頭に右手をのせる。
「信奈が【尾張のうつけ者】なら、俺は【尾張のかぶき者】でいいよ。今はそれで十分だ」
そう言いながら、笑顔で信奈の頭を撫でる七花の顔は本当に妹を持った兄のような顔だった。
「じゃあ、言ってくるよ」
七花は信奈の部屋をあとにした。
「勝手に死ぬんじゃないわよ…………馬鹿」
七花が部屋からいなくなり、代わりに月を見て呟く信奈の姿は兄の事を心配する妹のようであった。
本当は月曜までに今川との戦いを終わらせたかったのですが、無理でした。
ちなみにとがめさんの最後のセリフは「好きに生きろ」ではありません。
最後のセリフは七花さんのためのセリフですから、信奈さんには言わなかったということでお願いします。