1年生対2、3年生のキャプテンの座を賭けたゲーム。
先取点を取って以来、僕はボールに触れることすらできていなかった。
「ぐ……マークを外せない!?」
高校最強である洛山のダブルチームは、あまりにも鍛え抜かれており、ほんの一瞬ですらパスコースを作らせない。結果、僕はこの試合も中盤に差し掛かった現在において、全くの蚊帳の外だった。
ま、それこそが狙いなんだが。
「いやいや、驚きだわ。アナタ抜きだってのに、得点は互角だなんて。ずいぶんと新入生チームも頑張ってるじゃない」
「このダブルチームのおかげで実質は4対3だがな。僕なんかに構っていない方がいいんじゃないか?」
「ふふっ……あなたに自由に動かれたら、この試合は終わりよ。悔しいけどね」
あえて挑発してみたが、やはり僕のマークを減らすつもりはなさそうだ。計画通り。最初に派手に二人抜きをしてみせたのが効いたようだな。すでに霞みきった視界の僕のことは、1対1ですら容易に止められるにもかかわらず。
「う、うぅ……PGなんてできないって…」
PGの僕が封殺されている現在、代わりのボール運びはディフェンスの専門家、今野玄人が行っていた。シュート精度が限りなく低い玄人には、この展開を予想して事前に代理PGとしての練習をさせてある。オフェンスではボール保持とパス回しに特化した選手に調整されていた。
だが、現在は相手を油断させるために、戸惑った様子でパス回しをさせている。
「やはり慣れないポジションに苦労しているみたいね。この調子ならいずれ崩せるわ」
「マズイな……」
「ほらほら、もうすぐオーバータイムよ」
左右に走り回り、何とかフリーになろうとするが、相手も機敏な動作で追ってくる。必死にマークを外そうと試みる、フリをした。
もちろん、眼が見えない状況でパスをもらっても困るだけだ。マークマンを振り切るように見せ掛けて、玄人が出すであろうパスコースから敵の二人を遠ざける。
「こ、ここかっ……!?」
玄人のパスを受けるのは、PFの城谷代々。読み合いに特化した時間制限付きの矛。しかし、この1Q勝負の短期決戦においては、無制限で新入生最強の攻撃力を発揮できる。
「おらあっ!」
ワンフェイクであっさりと相手をかわし、ゴール下から得点を決めた。これで、得点は10-8。新入生チームの2点リードに戻すことができた。
僕の存在感のおかげであまり認識されていないが、先取点を除いたこの試合の全得点を叩き出しているのがこの城谷代々だ。そして、時間を一杯に使ってオフェンスを行っているため、ロースコアゲームになっている。このペースで確実に点を取っていけば、こちらの勝利だ。3Pだけは撃たせないようにディフェンスも徹底しているし。
だが、そう簡単に事を運ばせないのが『無冠の五将』。
「そろそろ逆転しておきましょうか」
仕掛けたのは、またしても現キャプテンの実渕玲央。ドリブル突破によるカットイン。そのまま自分で決めにいく。
「させるかっ!」
レイアップのモーションを見たセンターが強引にブロックに向かう。しかし、相手の性格からすると、このプレイの目的は――
「待て!罠だ!」
大声で指示を飛ばすが間に合わない。
やられた……ディフェンスファウル。
笛の音が響く。そして、空中でボールを持ち直した玲央は片手であっさりとシュートを決める。
「ディフェンスファウル!バスケットカウント、ワンスロー!」
勝ち誇ったような表情で、玲央が視線を向けてくる。3Pプレイを狙われたか……。さすがに技術は高い。
そして、当然フリースローを決められてしまう。内心を隠しながら、小さく唇を噛む。これで逆転されてしまったというのが痛い。先ほどまでは安全圏にいた仲間達が、浮き足立たなければいいんだが……。
しかし、僕の懸念は的中する。
「あっ……しまった!?」
不用意に放たれた代々へのパスがマークの先輩にカットされてしまう。焦りすぎだ。スマンと震える声音でミスをした仲間が謝罪する。
さすがは高校最強メンバーの威圧感(プレッシャー)と言うべきか……。リードしていた先ほどとは違い、これから逆転しなければならないという段になって、ここまで抑えこまれてきた重圧が噴出したかのようだ。
「さてと、これで逆転ね」
この試合、僕を警戒して目の前のPGにボールを回ってくることはない。ボールを受け取った玲央がゆったりと時間を掛けて歩いてくる。ちらりと横目で時計を見る。残り1分を切った。
「ここまでか……」
小さく息を吐く。速攻だけは何とか防いだが、この一本を止めなければ時間的に逆転は不可能。ここで最後の一手を放つとするか。今か今かと仲間達が作戦の発動を待ち焦がれているだろう。そうだな、ここが分水嶺。ネタばらしの時間だ。
――僕は右手を高く上げる
「待たせたな。――全力でやれ」
これは作戦開始の合図。同時に全員のディフェンスが勝負所のものへと変わる。
この高校に入学するまで、彼らには守備のみに特化した練習を積ませていた。攻撃の練習をしたのは代々のみ。桃井の未来予測データに対しても、反射で動けるほどに動きを身体に染みこませてある。それだけに入学前のディフェンスとは別物の苛烈さのはずだ。
強烈なプレッシャー。ボールを持つ玲央にも近い距離でスティールを狙っていく。まるで読みきったように全てのフェイクを看破し、機敏な動きで迫る1年生。
「なっ……動きがまるで違う!?」
「さっきまでと同じと思わないでくださいよっ!」
「はっ!上等じゃない!また抜いてやるわよ!」
ただの1年にそこまで挑発されては先輩としては黙っていられないだろう。シュートフェイクの後にフルドライブ。先ほど目の前の相手を抜き去ったパターン。それを再度仕掛ける――
「と見せかけて……」
――バックステップからの3P
確実に決めるべきこの場面であえて3Pという、あまりにも強気な選択。しかし、だからこそ確実に裏をかけるはずだったろう。だが――
「そんな……!?」
渾身のシュートは、タイミングを合わせて飛んだ1年にブロックされてしまう。愕然とした表情で声を漏らす玲央。惜しくもブロックして弾かれたボールを奪うことはできなかったが、しかし僕らのチームの士気は最高潮に上がり、相手側には動揺が広がった。
「そんな……ただの1年に初見で止められたっていうの?」
完全にショックを受けて動きに精彩を欠く玲央。誘導するようにパスコースを空けてやり、SGの葉山小太郎へとボールを回させることに成功。
玲央のクセはもう見切っている。3Pシュートというのは過度の繊細さを要求されるものだ。相手を抜くために動くときと違い、シュートを撃つ前提のときに、彼は無意識に指でボールの縫い目を確認しているのだ。
「小太郎!ただの1年と思わないで、本気でやりなさい!」
「ありゃー。レオ姉、ビビッちゃってるね。まあ、でも了解っと」
この試合、初めてボールが小太郎に渡った。マンマークの名手、今野玄人のディフェンスによってシャットアウトできていたのだ。彼がボールに触れなかった理由として、他のぬるいディフェンスのところから確実に攻めたからというのも大きいが。それでも、ようやく出番の回ってきた小太郎の声は楽しげなものだ。
「ふふっ……小太郎のドリブルなら、確実にただの一年程度は抜けるわよ」
「それはどうかな?」
安心した様子の玲央の言葉に、僕は小さくつぶやいた。『無冠の五将』の一人、葉山小太郎は確かに全国屈指のドリブラーだ。だが、彼にはひとつの悪癖がある。
――それは、初見の相手に出し惜しみをすることだ。
「本来ならキミ相手にはもったいないんだけど。出し惜しみせず、特別に3本で見せてあげるよ」
「こ、来い……!」
全国トップクラスのドリブラーを相手に、玄人の集中力が最大限に達する。小太郎、それを出し惜しみと言うんだ。
ドンッと轟音が体育館に響き渡る。あまりにも強烈な小太郎のドリブル。その最大の要因が、この異様なまでの高速で行われるドリブルなのだ。ボールを目で追うことさえ困難。全力でなくともこれなのだ。余裕を見せるのも分かる。
「へー、思ったより落ち着いてるね。初めて見たやつは結構驚くんだけど」
「い、いや……驚いてますよ」
だが、格下を相手にするときの彼にはクセがある。余裕を見せているせいで、攻め方は何の工夫も無いワンパターン。高速でつくドリブルを最大限に利用したクロスオーバーのみ。しかも、フェイントもなしで、純粋に速度でねじ伏せに来るはずだ。
「ずいぶん自信を持っているようだけど、彼を止めるのは無理よ。たとえ読み合いで勝ったとしても、彼の速度についていくことはできないわ」
勝ち誇ったように笑う玲央に、僕は口の端を吊り上げることで答えた。そう、たしかに小太郎のドライブや切り返しの速度は尋常ではない。だが、初動さえ読みきれば――
「さーて、見せてやるよ」
激しいバウンド音を轟かせながら小太郎が笑う。一触即発の危険な空気。驚異的な速度によるドライブ。そして、そこから目にも止まらぬクロスオーバー。
この試合、攻撃に参加しない玄人には、マークマンの呼吸を読むことに集中させていた。過去の試合の映像を何時間も見続け、さらに実際との違いも徐々に修正していったはずだ。呼吸を合わせて初動を読み取れれば、そして次の行動パターンも読めているならば――
「なにーっ!?」
刹那にも満たない交錯。その軍配は今野玄人に上がった。完璧なタイミングで前に伸ばした手にボールがぶち当たる。それを奪取し、一瞬の空白状態に陥った小太郎を脇目にパス。
「あ、赤司っ……!」
それを受け取った僕に慌ててダブルチームをしに駆け寄る先輩達。だが、もちろん彼らを突破できる実力など今の僕は持ち合わせない。
「させないわよっ!」
「……元々、僕がやる気はないさ」
『キセキの世代』を過度に警戒している彼らを嘲笑うかのようなリターンパス。二人を十分に僕が引き付けたおかげで、玄人はノーマーク。そして、そこから前線へのロングパス。それを受けるのはもちろん――
「代々、頼むっ……!」
「任せろ!」
小太郎からのスティールという想定外の事態。そんな中、ゴール前に戻っていたのは代々をマークしていたPFの先輩だけだった。1点ビハインドの現状。残り時間から考えて、ここで得点を決めれば僕達の勝利だ。
「小太郎があんなにあっさり……それにこの連携……まさか!?」
ハッとした表情でこちらを振り向く玲央。
「アナタ達、急造チームじゃないわね!相当こっちの対策を――」
青ざめた玲央だったが、もう遅い。これがまちがいなくラストプレイ。代々と3年生の1対1だ。
ドリブル突破を図る代々と、それに対する相手選手。その決着は一瞬だった。
「敵の速攻で1対1になった場合、つまり焦ったときの先輩の行動の傾向。それは――」
DFの意表を突くように、あえて前に出てきた先輩を代々はロールで受け流すように抜き去った。
「なっ……!?」
「焦ったときほど強気に攻めてくるってことですよ」
そのまま、代々は無人のゴール下でレイアップを放つ。しかし、勝利を確信したその表情が瞬時に凍りついた。
「なっめんじゃねえよっ!」
――背後からのブロック。
代々によって放たれたシュートは突如現れた手に思いっきり弾かれていた。1年生の観客たち全員が悲鳴を上げた。ロールで抜き去る際のわずかな時間で追いついたのは『無冠の五将』のひとり、根武谷永吉。まさか、あの巨体であれほど速く戻るとは……
「これが『無冠の五将』の底力――」
弾かれて転がっていくボール。それを確保する前に、試合終了の笛が鳴った。
結果は一年生の無惨な敗北である。心底ホッとした様子の先輩たちと、意気消沈する新入生チーム。
「ありがとうございました」
礼を行った後も、僕はその場から動けなかった。
また、僕の負けか……。何が中学最強だ。これだけ必死になっても勝てないのか。悔しさを内心に押し隠しながら、他人からは見えないよう唇を噛み締める。
「ふうっ……!ギリギリだったけど、これでキャプテン交代は無しだよなっ!」
「ああ、そういやキャプテンをどっちがやるかっつー話だったな」
「そうそう。レオ姉と赤司のどっちがキャプテンにふさわしいかって。ま、これで証明された訳じゃん。だいぶ冷や冷やしたっしょ、レオ姉もさ!ってあれ……?」
コート中央に佇んでいる僕の元へ玲央が歩いてきた。何の用なのかと、皆がそれを不思議そうに眺める。脇目も振らず僕の前に立つと、彼はまっすぐにこちらを見据え、口を開いた。
「赤司、あなたがキャプテンをやりなさい」
一瞬の空白。突然の玲央の言葉に館内がどよめきに包まれる。
「アナタ、今日の試合のために1年生同士で事前に対策をしてたわね?急造チームに見せ掛けて、連携もしていない風を装って。いつから対策をしていたのかしら?」
「入学前の合同練習会のときからだ」
「そう、数ヶ月前ね」
「ちょっ……そんな前からかよ!」
用意周到に仕組まれていたという事実に、小太郎は驚きの声を上げる。他の先輩達も同様のようだった。しかし、玲央だけは落ち着いた調子で続けた。
「たったそれだけの期間で全国最強と互角に戦えるようになったのね……。見事な分析力と作戦立案能力だわ。クセも読まれていたし、私達が短期決戦を承認することも、アナタにダブルチームをすることも織り込み済みだった。だけど、それだけじゃないでしょう?」
深い溜息を吐きながら、玲央は目を閉じて首を左右に振った。そのくらいで対応されるなら、とっくに全国最強なんて看板は下ろしている。そんな自信が窺える。そして、それは事実だ。
「たった数時間の合同練習とはいえ、それでも新入生の実力くらいは把握していたわ。完全に格下、試合にならないレベルの選手だけだったはずよ。それなのに今日の動きはまるで別人。尋常じゃない選手育成能力――マネジメント能力があまりにも秀でている」
相手のすべてを見透かすこの『天帝の眼(エンペラーアイ)』という才能の新たな活用法。本人さえ知らない仲間の弱点や利点を見抜き、ピンポイントで補強する。皮肉にも、選手として眼を使えなくなったがゆえに、仲間の育成というマネジメント方向に才能を傾けることができていた。
「そして何より、今日の試合でアナタは一本もシュートを撃たなかったわね。徹底して仲間のための囮になって、仲間を生かすことだけに専念していた。だから、この試合で苦戦したのはアナタの選手育成の結果ということ」
そこで、玲央は深く溜息を吐いた。現在までの自分の行いを振り返るような、そんな遠い目を見せる。
「いくら強くても、チームのことを考えられない奴に、私はチームを任せられない。今日の試合で私は、選手としては勝ったけれど、キャプテンとしては圧倒的に負けていたわ。だから――」
――あなたがキャプテンをやりなさい
静まり返った体育館の中で、全員が僕と玲央に視線を向けていた。決意と共に放たれた玲央の言葉に、僕は小さく頷きを返す。
「任された。僕がキャプテンをやろう」
そう僕が宣言すると、一年生の間から溜まりに溜まったという風な歓声が響き渡った。わらわらと集まってくる彼らは口々に嬉しげな悲鳴を上げる。
「よっしゃあああああ!」
「赤司っ!やったな!」
バシバシと肩を叩く代々や、試合に出ていなかったメンバーでさえも輪の中に加わっている。他の先輩たちも少し複雑そうではあるが、それでも玲央の判断に従うようだ。小太郎などはあっさりと意見を変えて、僕への祝福の輪になぜか混ざっていた。
だが、正直戸惑っている部分もある。絶対的な支配者であった中学時代、こんな熱狂的な反応をされることはあまり経験がなかったからだ。かつての僕の信条は勝つことが絶対で、敗軍の将に価値はないということだった。その気持ちはまだ変わっていない。
「かなり信頼されているようね。その新入生からの信頼も、アナタの数ヶ月間の成果なのよ」
このチームは強くなるわ、と玲央は期待の篭った声でつぶやいた。