もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「これ、ヤバくね?」

――ウィンターカップ決勝戦当日。

 

試合を控えた僕達はロッカールームで最後の調整を行っていた。目を閉じて精神を落ち着かせる者、ストレッチをする者など、各々が淡々と準備を整える。

 

「さて、今日が最後の試合だ。準備はいいか?」

 

「ええ、もちろん……っと、珍しいわね」

 

答える玲央の手は小刻みに震えていた。武者震い、ではないだろう。そんな自身の姿に彼は小さく嘆息する。

 

「中学時代、アナタ達とやったのを思い出すわね」

 

「うっわー、レオ姉カッコ悪ぅー。ま、オレもだけど」

 

周りを見回すと、仲間達の表情がどことなく固く感じられた。『キセキの世代』エース、青峰大輝の圧倒的な実力を前に、かつて敗北した記憶を思い出したのだろう。ここに来て、緊張と不安がロッカールーム内を伝播していく。

 

「チッ……身体が重くなりやがる」

 

永吉がグルグルと肩を回しながら忌々しげに一人ごちた。嫌な空気が流れる中、自然と皆の視線が僕に集まり出す。これも主将の仕事か。安心させるために僕はわざと見せ付けるように小さく嘆息した。

 

「何を不安に思う必要がある。僕はこの試合、負けるなんて想像もしていないよ。奴らを束ねていたのは誰だと思っている。僕の眼には桐皇学園の、大輝の全てが見えている」

 

以前、無様に負けたという負い目を一切表情に出さず、堂々と言い切った。一人ひとりに視線を合わせ、絶対の自信と共に言い放つ。それに、と表情を緩めて軽く肩を竦めて見せる。

 

「お前達がいて、負けるはずがない」

 

仲間達の不安や緊張が消え、高揚と集中に気持ちが切り替わっていくのを感じる。前回優勝の洛山高校が戻ってきた。最良の精神状態で臨むこの試合は彼らの潜在能力を最大限に発揮してくれるだろう。

 

だが、相手は高校最強のスコアラー。他の追随を許さない、あまりにも隔絶した実力者である。トリプルチームだろうと単独で突破するその能力はすでに戦略級の代物だ。残念ながら、ビデオを見直したが都合の良い攻略法など思いつかなかった。どころか、昨日の試合を見た限りでは、相手にすらならないというのが率直な感想である。それをどうにかするのが僕の仕事な訳だが。

 

 

 

 

 

 

 

精神状態を上げた状態で両チームが入場する。今大会一番の熱狂的な歓声に迎えられ、僕達洛山高校と桐皇学園が姿を現した。『キセキの世代』の異次元の試合展開によって、テレビ中継の視聴率は日を追うごとに飛躍的に上昇しているらしい。この東京体育館は満席で立ち見まで出る盛況振りだ。冬にもかかわらず、息苦しいほどの熱気が僕らを包み込んでいた。

 

「よお、赤司。待ってたぜ」

 

「……大輝か。どうやらコンディションは万全のようだね」

 

「ハッ!当然だぜ。テメエとやるためにわざわざ練習なんてしちまったんだからよ。そのせいで緑間との試合が全然楽しめなかったぜ」

 

試合開始前のウォーミングアップ。ひさしぶりに僕は大輝と対面した。野生の獣のような獰猛な目付きは、これからの試合への期待に爛々と輝いている。すでに身体は暖気済み。早くも準備は万端、勝負に掛ける意気込みは凄まじい。

 

僕の眼をもってすら、今の大輝から隙を見つけ出すのは容易ではないだろう。溢れ出んばかりの闘気と研ぎ澄まされた集中力が感じられた。

 

「中学時代、ひとつだけ心残りがあってよ」

 

「へえ、何だい?」

 

「決まってんだろ?――お前とマジで戦わなかったことだよ」

 

挑むように口角を吊り上げる大輝に、僕はひとつの感情を乗せて見返す。互いの視線が交錯する。戦えば自分が勝っていたという確定的な自信。それをお互いから言外に感じ取っていた。

 

「ゾーンに入れるんだよな、赤司。だったら、そこで勝負つけようぜ」

 

「望むところだよ。確かにお前はバスケット選手として究極の域にいる。だが、それでも全てを見切れるのが僕の眼だ」

 

自身の能力に絶対の自信を持つ僕達の間に、話し合いは通用しない。ならばどうするか。互いに相対して潜在能力を余さず全部をぶつけ合うしかない。『ゾーン』と『カウンターゾーン』による別次元の暴虐を。先日の試合で思い出してしまったのだ。かつて覚えていた絶対的な支配者としての全能感を。勝利こそ絶対で、勝利することが当然であるという価値観を。

 

 

 

 

 

 

 

――試合開始

 

ジャンプボールを制したのは『無冠の五将』根武谷永吉。ボールは狙い違わず僕の元へ。そして、当然のようにマークについたのは『キセキの世代』青峰大輝。野性の獣のごとき鋭敏に研ぎ澄まされた五感は脅威だ。だが、全能感と共に見下すように言い放つ。

 

「無駄だ。僕の眼の前には、全てが透けて見える」

 

「御託はいいから、やってみろや!」

 

初速から最高速。全力のドライブで抜きにかかった。しかし当然、大輝の敏捷性ならばノータイムで反応してくる。涼しい顔で瞬時に追随する。だが、僕の『天帝の眼』にはその動きが予見できていた。体重の乗り切った刹那のタイミングに完璧に合わせた切り返し。

 

――アンクルブレイク

 

「うおっ……!?」

 

重心をずらされ、ガクリと膝が折れる。大輝の上半身が大きく傾いた。それでも、あと一歩で踏みこたえているだと……!?

 

「やるじゃねーか、赤司!」

 

マズイ、すぐに体勢を立て直される。一瞬で状況を判断し、即座に大輝の脇を切り裂くロングパス。前線に走りこんでいた小太郎に繋がった。

 

「よっしゃ、ナイス!」

 

先制点は洛山高校。試合開始直後のみに使える『天帝の眼』による奇襲は成功した。

 

見つめ合う僕と大輝。初戦はこちらの勝利だ。しかし、向こうは愉しそうに口元を歪めていた。そのまま視線を外し、静かにボールを取りに戻る。背後から声が軽薄そうな声が聞こえた。

 

「それが御自慢の眼ってやつかい。期間限定の必殺技らしいの。けど、あかんて。そんなん、奇襲としては成功でも戦術としては大失策やで」

 

「どういう意味だ」

 

「起こしてもうたっちゅうこっちゃ。あの目覚めの遅い男をの」

 

今吉はいかにも可笑しそうに笑った。桐皇学園の攻撃は、大輝にボールを回すことから始まる。ディフェンスは僕がマンマーク、他の四人でゾーンというボックスワンの陣形だ。相手エースを封殺するのが僕の役目。だが、ボールを持った大輝は――

 

「ぬりぃぜ」

 

――僕の横をあっさりと通り過ぎた。

 

慌てて振り向くが、すでにリングめがけて跳躍を開始している。それをゴール下の守護者、永吉がブロックで迎え撃つ。

 

「させるかよっ!」

 

ダンクに来たその手を叩き落とそうとするが、それはあっさりと空を切る。一度ボールを引っ込め、体勢を立て直して大輝が再びダンクを叩き込んだ。

 

「うおおおっ!マジかよ!ダブルクラッチでダンクってできんのか!」

 

会場が揺れる。NBA並の派手なプレイに観客が沸きあがった。素人ですら一目で分かるほどに、大輝の選手としての完成度は並外れている。だが、それはすでに知っていたこと。

 

「落ち着いて一本返すぞ」

 

周りに声を掛け、浮き足立つ者がいないかどうか様子を窺う。意気消沈している者はいない。特に動揺もなく、再び洛山の攻撃に入れそうだ。皮肉なことだが、度重なる敗戦で僕達は強者との戦いには慣れている。

 

「へえ、これは予想外だな。お前が僕のマークとは」

 

「何だかんだいっても、結局ここを止めりゃ終わりだろ?」

 

僕の前に立ち塞がるのは大輝だった。

 

これまで僕は相手チームのエースをことごとく封殺することで『キセキの世代』に勝利してきた。そんな一対一に特化した『変性意識(トランス)状態』を相手にマンマークでぶつけてくるとは……。ずいぶんと大胆な策、いや、大輝なら勝てると確信してのことだな。

 

「下手にうちのメガネ辺りをボコられてもつまんねーからな」

 

「自分ならば逃れられるとでも?前回の試合を忘れたようだな」

 

傲岸不遜に挑発の言葉を吐くが、しかし通常時の僕では相手にならないのは分かっている。スティールされる前に小太郎にパスを出した。

 

「分かってるって、赤司。最初から全力で行くもんね」

 

会場中に響く轟音。それは、ボールを突いただけとは思えないほどだ。全身の力を集約させた高速ドリブルは、『キセキの世代』以外には止められない。

 

「くっ……速すぎやろ」

 

一瞬にして今吉の横を抜き去った。純粋なクロスオーバーの速度だけでいえば、大輝にも引けを取らないだろう。それほどの神速だった。先ほどのプレイに対抗するように披露されたダブルクラッチが桐皇リングを揺らす。

 

「あんまナメないで欲しいよね。これでもオレら、洛山だからさ」

 

「ハハッ、言うてくれるやん」

 

着地と共に振り向いた小太郎は、前回優勝者の自負を込めて言い放つ。『キセキの世代』のような埒外の連中を除けば、まぎれもなく高校最高峰。それが洛山高校レギュラー陣なのだ。エースの個人プレイのみで勝ちあがってきたチームとは訳が違う。

 

「確かにウチらは総合力じゃ勝てんよ。一対一なら1-4で負けるやろ。せやけど――勝つのは桐皇や」

 

反撃の速攻は大輝のドリブル突破。やはり、ひたすらこれで来るか……。勝率が高いとはいえ、ここまで徹底できるとは監督も見事だな。勝つための最善策を採ってくる。

 

「こうなれば点の取り合いになるな」

 

ここからの乱打戦を予想し、僕は覚悟を決めてつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

第1Qは互いの攻撃力が守備力を上回り続け、得点は31-34と熾烈な接戦となっていた。100%の確率で加点していく怪物相手に上出来と言っていい立ち上がりである。

 

さすが『無冠の五将』の名は伊達ではないな。仲間達の連係プレイによって、こちらも順調に得点を重ねることに成功した。僕の方も止めることはできないにせよ、昨日の試合で見せた3Pだけは阻止している。

 

「だが、そう簡単に進ませるはずがない」

 

――桃井の未来予測ディフェンス

 

今はまだ、昨日から今日にかけての指導で、仲間達のプレイの隙を消した効果が出ているが……。桃井のデータ収集力からすれば、そろそろ現在の彼らの対処法も見えてくるかもしれない。やはり敵に回すと厄介な女だ。地力の差があるため、そうそう後れを取りはしないだろうが、止められる回数は確実に増えるはずだ。

 

やはり大輝を止めるしかない。すでに心を合わせたこともある相手だ。もうじきに入れるはず。後半戦を待たずに第2Qで勝敗は見えてくる。この戦い、結局のところ僕と大輝との勝負が全てなのだ。

 

 

 

 

 

 

第2Q開幕は玲央の3Pから始まった。

 

「また実渕だ!アイツ、メチャクチャ入れてるぞ!」

 

観客から喝采が出るほどに、今日の玲央は絶好調だった。ここまで桐皇相手に競れているのも彼の貢献が大きい。なにせ絶対の確率で単独ゴールを決める大輝が相手だ。そんな人間を超えた芸当ができないこちらは、玲央の3Pシュートが唯一の勝機となる。

 

「ふふっ……我ながら最高の出来だわ」

 

正確無比な狙い澄ましたシュート。スクリーンを活用する巧さもある。真太郎を除けば、まぎれもなく当世一のシューターだろう。

 

だが、苦労して同点に追いついても無慈悲なまでな絶対が立ちはだかる。

 

「おら!ちっとは粘れや!」

 

たった一度の切り返し。それだけで僕を振り切った大輝は四人の待ち構えるゾーンに侵入する。インサイドの防御に最大の効果を発揮するゾーンディフェンス。その城塞のごとき鉄壁ぶりは、しかし、『DF不可能の点取り屋』の異名を持つ彼にとっては砂上の楼閣。残像すら見えんばかりの高速ドリブルと『型の無い(フォームレス)シュート』はそれらを容易く打ち破る。

 

「本当、やんなるわね。だけど、こっちもそのぶん点を入れればいいんでしょ?」

 

ボールを受け取った玲央が自信を込めてつぶやいた。だが――

 

「させんて」

 

「くっ……ダブルチーム!?」

 

即座に二人が密着マークでプレッシャーを掛ける。強烈な圧力でボールを奪取せんと試みる攻撃的なディフェンス。とてもシュートを撃つどころではなく、苦し紛れにボールを戻すしかできなかった。

 

「やってくれるな。3Pシュート封じとは」

 

「ま、他のマークが甘なるけどな。そんでも、2点なら好きなだけくれてやるわ」

 

嫌らしげに薄笑いを浮かべる今吉。厄介で有効な戦術だ。シューターだけを執拗に封じるとは……。2点ずつの取り合いで大輝に勝つのは不可能。なにせ、確実に得点を決められるのだから。いつかは必ずシュートを落とす僕達に勝ち目は無い。

 

「おらあっ!」

 

ブロックの上から強引にダンクを決めた永吉だが、その表情は固い。今のも下手したら止められていた。何度も言うように大輝を好き勝手にさせてはならないのだ。

 

「もっと深く、深く……」

 

「無駄だっつってんだろ!」

 

初速から最高速(トップスピード)。尋常でない瞬発力のドライブを、どうにかタイミングを合わせて反応する。しかし、ここからが難関。予測不能の奇抜(トリッキー)な切り返し。まるで読めない変幻自在のドリブルに僕の身体が置き去りにされる。重心が崩されてしまう。

 

「テメエの専売特許じゃねーぜ」

 

――アンクルブレイク

 

完全に足元を崩され、無様にも僕は尻餅をつかされた。高校最速のドライブからの鋭い切り返し。地面に倒されるしかなかった。直後、リングにボールの叩き込まれる音が耳に届く。床に腰を落とした状態で僕は呆然と天を仰いだ。

 

「ちょっ……赤司、なに放心してんだよ。こっちボールだぜ」

 

「あ、ああ……わかってるさ」

 

「どうしたんだよ。お前が抜かれるなんていつものことだろ?無敵モードに入るまで全然なんだからさ」

 

ショックを受けている僕を励ますように、肩を叩いて笑いかける小太郎。気持ちはありがたいが、僕が衝撃を受けたのはそんなことじゃない。最悪の事態だった。

 

「……ってる…」

 

「え?何だって?」

 

問い返す小太郎に、僕は絶望的な現実を突きつける。

 

 

「もうすでに入ってるんだよ」

 

 

この言葉を理解した小太郎は、いや他のメンバー全員の顔色は真っ青になった。俯き、小さく僕は首を左右に振る。たしかに練習で隙を減らしてくるのは予想していた。だが、この成長速度は想定を遥かに上回っている。

 

「『変性意識(トランス)状態』でも心の隙が見えない。ゾーンに入っていない、通常時にも関わらずだ」

 

洛山のチームとしての戦術は『前半は忍耐、後半に僕の個人技で逆転する』というものだ。そしてそれには『変性意識(トランス)状態』で相手エースを圧倒することが前提となっている。その唯一の武器が使えないという今の状況は致命的と言っていい。互いに慌しく視線を合わせ、引き攣ったように皆の表情が固まった。

 

「これ、ヤバくね?」

 

ポツリと小太郎の乾いた声が耳に響いた。


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