猛者
カラン
ドアが開かれると同時にベルが鳴る。
この音こそパンドラが一番楽しみにしている音である。
ベルの音が鳴る、これはすなわち…。
「…邪魔するぞ」
「おや、いらっしゃい」
お客の、つまり人間の来訪を意味するからだ。
自分から誰かに話しかけることを控えている彼にとって、それは至上の喜びであり、唯一の娯楽なのである。
今回の来客は、赤いバンダナを額に巻き、その種族独特の耳を持つ男、都市最強の冒険者『猛者』オッタルであった。
彼は一言パンドラに告げるとそのまま店の奥に入り、一番奥の席を陣取った。
すかさずパンドラは彼の前に水を置き、注文を受けようとする。
「本日はいかがいたしましょう?」
「………いつものを」
少し考えた後、オッタルはそう答えた。
彼の言う「いつもの」とは、パンドラ秘伝のソースをあしらった川魚のソテーである。
「かしこまりました」
そう返事をし、彼はフライパンにオイルを引いて火にかける。
少しした後にどこからか下ごしらえを終えた魚を取り出しフライパンに乗せ、塩とコショウ、そしてソースをかけて炒める。
部屋に匂いが広がり始めた頃、オッタルはその口を開いた。
「…いつ来ても、ここは不思議なところだ」
「そうでしょうか? 特に変わったところはございませんが…」
「そう思ってるのはお前だけだ。 自然に出される料理は見たことのないようなモノばかり…調味料に至ってはその素材一つすら知れない。 加えてその店主は都市そのものと笑顔で戦争を仕掛けられる神域の男。 人間や神から見れば、この店…そしてお前は荒唐無稽なバカげた存在だ…それこそおとぎ話のような」
そう言って、彼は出された水を飲みほした。
そしてコップを置いたと同時に、また新たな水が注がれる。
「神域…というのはいささか言い過ぎではあると思いますが、おとぎ話ですか…。 私は小さな少女が不思議な国に迷うお話が好きですが…確か私のあだ名も、その登場人物と同じだったみたいですね」
「あぁ、実に的を射た二つ名だった。 ジャバウォック以上にお前に似合う名など無いだろう」
「…あまり、その名は好きではないのですがね…人が私にくれたモノですから、ありがたく頂戴しております…どうぞ」
彼はちょうどよく出来上がった料理を皿に乗せ、新鮮な野菜を盛り付けてオッタルに渡した。
「いただこう…しかし、いつまでもこんな狭い空間にいるのは退屈であろう? もっと自由に、伸び伸びとこの世を出歩きたいと思わないのか?」
「…申し訳ございません。 私の浅慮では、貴方のおっしゃりたいことが分かりかねます」
言葉とは裏腹にパンドラは彼が言いたいことが一瞬でわかり、それ故にはぐらかした。
しかし、ソレを見逃す都市最強でもない。
「ふん、見え透いた嘘を吐くな。 …やはり回りくどい言い方は苦手だ、単刀直入に言う。 フレイア様のファミリアに入れ。 あの方はお前の加入をずっと心待ちにしている」
オッタルは真っ直ぐパンドラを見据えて言い、対するパンドラはヤレヤレといった様子で苦笑をする。
もうこのやりとりも何度目だろう、そう考えながら今度はどう断ったものかと頭を悩ませる。
オッタルの主神たるフレイヤが彼に目をつけて以来、彼はこうして彼の店にやって来ては勧誘している。
なぜ自分に?
そう聞いた時には、彼女曰く自分は「芸術のごとき魂」を持っているのだとか。
本来魂はその輝きによって価値とやらが決まるそうなのだが、自分はその輝き方が異様すぎるそうな。
様々な風景画の中に紛れる、唯一の抽象画みたいな。
そんな、なんとも反応に困る説明を受けたのだった。
まぁ、要するにゲテモノを一つくらい手元に置いときたい。
そんな心情なのだろうと彼は自己完結していた。
「それに、さっさと住処を決めた方が、お前自身のためだろう…そう思わないか?」
「私の住処はここと決めておりますので、今更どなたかの所に行くのは…」
「違う、お前に必要なのは「誰かの下につく」ということだ」
オッタルの言葉をパンドラは理解できていなかった。
自分にとって誰かの下に、つまりファミリアに加入することがなぜ大切なのか。
「申し訳ありません、やはり貴方の真意を理解しかねます」
「…今回は本当のようだな、まぁいい。 そうだな…まず、お前が天界でなんて呼ばれているか知っているか?」
「天界で?」
それは初耳であった。
パンドラは天界でもきっとジャバウォックや裏ボスと呼ばれているのだろうと勝手に思っていたが、彼の口ぶりからしてそうではないらしい。
「先ほど言っていたおとぎ話…あの方の話では天界でも中々に人気らしくてな。 そこからジャバウォック同様お前の二つ名に引用されている」
「なるほど、魔獣以外で…だとしたらなんでしょうか?」
パンドラはいつも通りの笑顔であったが、どうせグリフォンやハンプティ・ダンプティあたりの微妙な名前だろうと半分いじけていたりした。
しかし、オッタルの口から出た答えは意外なモノであった。
「『アリス』…お前は不思議の国に迷い込んだ少女に例えられている」
パンドラはますます混乱した。
「アリス…ですか? 嬉しいと言えば嬉しいですが…何故でしょう?」
納得はいってないが、自分は人間や神に恐れられている。
そんな自分がなぜアリスだなんて少女の名を冠しているのだろう?
「アリスが不思議の国でどう扱われたか、知っているか?」
「えぇ…色んな方々に興味をもたれて、様々な歓迎を受けておりましたね」
帽子屋、三月兎、チェシャ猫、ハートの女王、双子のおっさん。
色んな人物を出会い、彼女は不思議の国を楽しんでいたと記憶している。
「そうだ、天界の住人…神々からしてみれば、お前はまさしくアリスそのものだ。 異界から現れた、別次元の存在…手中に収めたいと考えない神などいないだろう」
心当たりはあった、ありすぎた。
彼はこの店を経営し始めてから、神々から勧誘を何度も受けていた。
フレイヤのようにファミリアの人間を遣わす神や、それこそロキのように直接出向いてくる神もいた。
「口ではお前に都合のいいことばかり言っているのだろうが、結局は自分の欲のためにお前を手にしたいと思っている。 あの狂神も、本当はどう考えているか分からない」
「狂神様はそんな方だとは思えませんが…」
「俺も全て理解しているわけではないが、アレの性格くらいは分かっているつもりだ。 お前との関係もな。 頭は回るが直情的で、やると決めたことは手段を選ばず実行しようとする。 もし、本当にお前を救いたいと考えているのなら、周りなど気にせずすぐに飛んでくると思うが?」
「…彼女はとても優しい方であり、ファミリアの方々を心底愛してらっしゃいます。 自分勝手な行動で、彼らに悪影響が及ぶことを気にしているのでしょう」
パンドラは地上の生物で一番彼女との付き合いが長い。
故に彼女の事は一番理解しているつもりであり、自分が言ったことに確信が持てていた。
「お前がそう思いたいなら、そう思えばいい。 しかし、神々がお前を狙っているのは確かだ。 …あの方は、ファミリアに加われば最高の待遇でお前を迎えると言っている。 自慢ではないが、我々はこの都市で最強の一角だ。 地に足付けるなら的確だと思うが?」
「…申し訳ありません、やはりすぐに決めることは…。 私も、今の店を気に入っておりますので」
数秒考え、パンドラはオッタルの勧誘をきっぱりと断った。
それを見たオッタルも、このやり方で勧誘に持ち込むのは無理だと悟り、残念そうに眼を閉じた。
そのまましばし沈黙が流れた後、オッタルが口を開いた。
「…まぁ、入る気がまだないのなら構わない。 今日はもう帰るとしよう」
そう言って彼はいつの間にか平らげていた皿をパンドラに渡すと、その横に代金を置いて席を立った。
パンドラは彼が長い間ここにいるつもりなのだろうと考えていたが、案外あっさりとしたその様子を見て、パンドラは少しホッとしていた。
「おや、もうお帰りなのですか?」
「すまないが、いつまでもここにいれるほど暇ではないのでな…それにあの方も、今はもう一つの方に気を向けられている」
去り際にオッタルが言った言葉に反応し、パンドラは彼に質問を投げかける。
「もう一方…ですか。 それはどなたの事でしょう?」
「お前に言っても問題はなさそうだが…今回は控えさせてもらおう。 …強いて言うなら、最近弱小ファミリアに加わった新米の冒険家だ」
「新米…」
一瞬、先日友人の神とともにやってきた白髪の少年が脳裏をよぎったが、すぐに考えるのを止めた。
そうである確証はなく、もし本当にそうだったとしても彼の主神が黙っていないだろうと、故に大丈夫だろうと考えたからだ。
そう安心しきって考えていると、不意にドアの方から声が響く。
「…だが、お前の事も諦めたわけではない。 来るのなら、いつでも歓迎するぞ。 …俺もお前が冒険者になるのならば、都市最強の冒険者という肩書はお前に譲ろう。 そうすれば冒険者としてさらなる研磨ができる。 お前という途方もない目標を間近に見据えながら…な」
「…考えさせていただきます」
「そうか…それと、先ほどはお前の友を侮辱してすまなかったな。 …また来る」
そう言い終えて、彼は扉を閉めた。
店内に沈黙が流れ、彼は料理の後始末を始める。
「アリス…か」
伝えられた三つ目の二つ名を呟いて、彼は天井を見上げる。
ただ、不思議と悪い気はしなかった。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。