Links   作:枝折

3 / 11
第二章 これまでのいきさつ

「単刀直入に言います。平坂さん、麻雀部に入ってください!」

 

 わたしのその一言で生徒会室がしんとなった。わたしはじっと平坂さんの返事を待ったが、彼女は突然のことにびっくりしたのか、きょとんとして目をしばたたかせていた。

 やはり突然すぎただろうか? 新学期初日から生徒会室に引っ張ってきたのは事を急ぎ過ぎていたかもしれない。

 

(だって平坂さんが偶然同じクラスで、しかも席が近かったんだもん。つい、気が急いたって仕方がないよう……)

 

 わたしは誰にするでもない言い訳を心の中でつぶやいた。事の発端はほんの二日前、この生徒会室での出来事にさかのぼる。

 

                      ***

 

 四月七日。晴天。窓から差し込む日差しは春のそれで気持ちがいい。柔らかいお日様の光でほんわり温かくなった生徒会室で、わたしは麻雀牌を握っていた。

 

(これで聴牌(てんぱい)……。平和(ピンフ)三色(さんしょく)、タンヤオ。ダマでも満貫(マンガン)の逆転手だけど、問題は……)

 

 不要な牌を切りながら、ちらりと対面(といめん)に視線を移す。そこには長い髪をひとまとめにしたポニーテールの少女が座っていた。八波遥(やつなみはるか)ちゃん。生徒会会計だ。

 遥ちゃんはさっきから、落ち着きなく視線をあっちこっちに泳がせ、微妙に震える手で牌をツモっている。明らかに挙動不審だった。

 遥ちゃんは明るく裏表のない性格の子で、ポーカーフェイスとかにはとことん向かなかった。なので、しばしば表情から役の大きさが読めたりする。今、彼女がここまで挙動不審になるということは、この上なく高い手が出来上がりつつあるに違いなかった。

 それはわたし以外の面子もよく知っていて、その証拠にみんな下り気味の捨て牌をしていた。でもわたしは良形で逆転手を張っている手前、そう簡単に下りるわけにはいかない。

 警戒しつつ押せるところまで押そう。そう決めた途端だった。

 遥ちゃんがツモ牌をみてあからさまに顔を輝かせた。一瞬、アガったのかと思ったけど、遥ちゃんは手牌を倒すかわりに点棒を一本手に取った。 

 

「ようしっ、リーチ!!」

 

 遥ちゃんが場に勢いよくリー棒をだす。やはり相当高い手を聴牌しているようで、リーチの声が弾んでいた。けれど切った牌は四萬。それを見てわたしは内心ほっとしながら手牌を倒した。

 

「ロン。8000だよ、遥ちゃん」

「うそぉおおおおお!?」

 

 遥の悲痛な叫びが生徒会室に響いた。遥はリーチ宣言の勢いはどこへやら、震える手で点棒をわたしの方に差し出すと、力尽きた様子で椅子からずり落ちていく。そしてそのまま真っ白に燃え尽きて物言わぬ彫像へと姿を変えた。

 

「むう、最後の最後でまくられてしまいました」

 

 わたしの左、上家(かみちゃ)に座る水町梢(みずまちこずえ)ちゃんが少し残念そうに牌を伏せた。

 梢ちゃんは書記を務める二年生だ。ショートに切りそろえられたきれいな髪や雪のように真っ白な肌が目を引く梢ちゃんの外見は清楚と形容するのがぴったりくる。梢ちゃんはいかにも和製美人という印象で、たとえば大好きな本を読んでいるときの彼女の姿は絵にかいたような古き良き時代の文学少女のそれだった。

 

「あたしの四暗刻(スーアンコー)が~。むごいよ、みーちゃん」

「ふっふっふ、勝負の世界はきびしーのだよ、遥ちゃん。あと、みーちゃんは止めてね」

 

 四暗刻って。とんでもない役を張っていたものである。危ない、危ない。内心冷や汗をかきながらもわたしは余裕の笑みを浮かべてみせた。

 みーちゃんというのは遥ちゃんがわたしにつけたニックネームだ。藤咲美織(ふじさきみおり)。だからみーちゃん。この単純すぎるような気のするニックネームをわたしは最初こそ受け入れていたが、最近、遥ちゃんがノラの三毛猫にみーちゃんと呼びかけているのを見てからは断固拒否している。わたしはにゃんこじゃないのだ。

 

「いいじゃない、私は好きよ。みーちゃん、かわいらしい貴女にピッタリのニックネームだわ」

 

 右からささやくような低い声がした。わたしがそちらをみるとモノクロの女の子が意地悪そうに笑っていた。少しからかうような調子の声だったので、わたしはむっとしてにらんでみたけれど、彼女は薄い唇を釣り上げて笑うばかりで全く反省した様子もない。それどころか「怒った顔も好きよ」などと言い出したのでわたしはがっくりと肩を落とした。

 彼女は名前を砥上沙夜(とがみさよ)という。生徒会副会長を務める彼女とわたしは幼い頃からの付き合いなのでいっしょにすごした時間は生徒会メンバーの中でもダントツに長い。

 沙夜ちゃんはモノクロだ。

 顔を隠すように頬にかかった髪は闇空のような黒。長い前髪の間からこちらを覗く瞳も、髪と同じ深い黒色をしていて、じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな気分になる。一方、そんな髪や瞳の色とは対照的に沙夜ちゃんの肌は病的なまでに白かった。梢ちゃんも色白だけど沙夜ちゃんはそれ以上で、もういっそ青白いと言った方が正確かもしれないくらいだ。

 病的と言ったが、それは比喩でも何でもない。沙夜ちゃんは幼い頃から病気がちで、今もよく体調を崩して学校を休むことがある。そのたびに大丈夫かなあって不安になるのだけど、わたしが心配すると沙夜ちゃんはどういうわけかものすごく鬱陶しそうな顔をした後、まるで憂さ晴らしをするかのように意地悪をしてくるので、わたしはあまり心配を表に出さないようにしていた。

 わたしと沙夜ちゃんと梢ちゃんと遥ちゃん。全員二年生で三年生がいないという珍しい構成のわたしたち生徒会四人は、去年の秋くらいから麻雀同好会としても活動していた。

 活動と言っても、放課後、生徒会の仕事を片付けた後にこうして四人で卓を囲むだけなのだけど、その何でもない時間がわたしにとっては大切なものだった。そう、大切な時間なんだけど……

 

「はあ、なんだかなあ」

「お、どーしたの、みーちゃん」

 

 思わず口からこぼれたわたしの言葉をキャッチしたのは彫像から人間に戻った遥ちゃんだった。

 

「なんか物足りないっていうか」 

「もう一回打ちますか?」

「いや、そういうことじゃなくって」

「じゃあ、何?」

 

 はっきりしない様子のわたしに梢ちゃんと遥ちゃんが首を傾げた。

 

「うーんと、去年の秋くらいに生徒会メンバーで麻雀同好会作ってから、わたしたちけっこう上達したと思うんだよね。それはすごくうれしいことで、四人で麻雀をするこの時間がとっても楽しくて、でもだからこそ、もっと、もっとって思うの」

 

 自分でも何を言っているのかよくわからない。自分の気持ちをうまく言葉にできずにわたしが困っていると沙夜ちゃんがやれやれという調子で口を開いた。

 

「美織は今がもっと楽しくなるような何かがほしいのね」

「そう! それが何かはわかんないけど……」

 

 尻すぼみになってしまったわたしの後に、梢ちゃんがぽつりとつぶやいた。

 

「……大会に出るとかですか?」

「おお、いいじゃん!!」

 

 梢ちゃんの言葉に遥ちゃんが思いっきり食いついた。

 

「野球部だったら甲子園。麻雀部なら夏の全国だよ。あたしたちみんなで全国大会に行けたら、すごくいいじゃん」

 

 遥ちゃんが興奮気味に言う。確かに全国大会まで行ければ楽しいに違いない。でもそれはそう簡単にはいかないことだ。梢ちゃんも同じことを思ったようで、悩ましげな声を出した。

 

「自分で言っておいて何ですが、そんな簡単には行きません。みんなでってことは団体戦ですよね? そもそも人数が足りないです」

 

 現在の麻雀部同好会は四人。つまりはここにいるメンバーで全員だ。だけど、大会の団体戦に出るとなれば最低五人は必要となる。あと一人足りない。

 

「全国狙うなら経験者、それも強い人がいいわね。いくら上達したと言っても遥も梢も麻雀歴半年ちょっとだもの。強豪校相手ではきびしいでしょう……ああ、美織も無理よね」

「もうっ、一言余計だよっ!?」

 

 沙夜ちゃんの意見はもっともだった。このメンバーで強豪校の生徒相手に互角以上の勝負ができるのはたぶん沙夜ちゃんだけだと思う。沙夜ちゃんよりわたしの方が麻雀歴が長いことを思うと少し面白くない。

 

「あれ? けど、穂波川にそんな強い人いないような……」

「そうですね。そもそも高校で麻雀をやりたい人は最初から新道寺とかの名門校に行くと思います」

 

 北九州最強と名高い全国常連校の新道寺女子。そりゃ本気で麻雀をやりたい人はそういう強豪校に行くだろう。まかり間違っても穂波川にやって来る人間はいない。梢ちゃんの言うことは極めてごもっともだった。

 

「でも大会に出るならどうしてもあと一人必要です。夏の大会の県予選は六月上旬だから、エントリーの〆切りはもっと早いはず。できるだけ急いでいい人を見つけないと参加すらできません」

「二、三年生は難しいよね……。今から部活を始めようって人はなかなかいないよ」

「なら一年生に期待するしかないです」

 

 突然降って来た難題にわたしたちはそろって頭を抱えた。

 

                      ***

 

「という話を昨日してたんです」

「あっはっはっは、今度はインハイかあ。同好会設立の時もそうだったけどあんたら、いつも唐突ねえ」

 

 翌日、四月八日。わたしは職員室で生徒会顧問の中富先生と突然出てきた大会出場について話をしていた。中富先生は二十四、五歳くらいの若い先生で、いいかげん――じゃなくて、ちゃらんぽらん――でもなくて……そう、奔放な性格のため穂波川では少し変わった先生として認識されている。かといって生徒から不人気かと言えばその逆で、どこか憎めない人柄から多くの生徒に慕われていた。 

 中富先生は顧問だけど生徒会にはめったに顔を出さないので、わたしは機会があればこうして生徒会や同好会の活動を報告している。本人曰く「あんたらしっかりしてるからアタシがいなくても大丈夫でしょ」らしい。

 

「笑い事じゃないですよ」

 

 わたしが口をとがらせると中富先生は「すまん、すまん」と軽く手を合わせた。

 

「しっかし、全国ねえ。そりゃ確かに人も時間も足りないわ」

「ハッキリ言ってお手上げです」

 

 わたしが両手を上げてみせると中富先生はまた声を立てて笑った。

 

「新入生に誰かいい人がいればいいんですけど」

「麻雀で全国目指そうなんて奴は穂波川には来ないだろ」

 

 中富先生は生徒の希望をあっさりと打ち砕く一言を気軽に放つ。わたしは「ですよね」とため息をついた。

 

「ま、そう暗い顔すんなよ。笑う門には福来るってな。ほら笑え笑え」

「ひゃあ! や、やめてください」

 

 不意に中富先生がわたしの指で脇腹を突っついてきた。本人は笑わせるつもりなのかもしれないが、勢いが強すぎて痛い。わたしは悲鳴を上げながら先生のつっつき攻撃を振り払った。

 

「いきなり何するんですか!」

「何って……藤咲、アタシはな、落ち込んでいる生徒をすぐさま笑顔にできる、そんな教師でありたいと思っているんだよ」

 

 中富先生が急に真面目な顔と口調になってそう言った。

 

「先生……。わたし、先生がそんなことを考えていたなんて全然知りませんでした。中富先生は前から素晴らしい先生だと思っていましたが、今回のことでよりいっそう尊敬――」

「しません! 勝手に人の発言をねつ造しないでください。もうっ、いつもいつも何なんですか。先生、わたしをからかって遊んでいませんか?」

「え?」

「その『何を今さら』みたいなリアクション止めてください!」

「まあそう怒るなよ。まったく藤咲はかわいいなあ」

「ひゃめてえ~」

 

 中富先生は笑いながら、怒り心頭なわたしのほっぺを両の手のひらで挟んでぐりぐりしてきた。先生といい沙夜ちゃんといいわたしで遊ぶのは止めてほしい、と普段から切実にそう訴えかけているのだけど、二人ともそんなわたしを見て楽しそうに笑うばかりで一向に止めてくれない。ほっぺをぐりぐりされること十秒。それで満足したのか中富先生はぱっと両手を離して言った。

 

「まあ、冗談はこのくらいにしといてだ。生徒想いの教師として定評のある私が迷える藤咲にいいことを教えてやろう」

「何でしゅか?」

 

 ぐりぐりされたほっぺたがまだうまく動かず間抜けな声でわたしは尋ねた。

 

「転校生の平坂、知ってるか?」

「平坂さん?」

 

 中富の先生から唐突に思わぬ人物の名前が出てきてわたしは驚いた。平坂さんは前年度の三学期から隣のクラスに入った転校生だ。ボーイッシュな髪型がよく似合ったすらりときれいな女の子で、いつもクールな雰囲気を身に纏っている。

 彼女は一年生の間ではけっこうな有名人で、転校生と言う属性や人目を引く外見もさることながら、とにかく遅刻が多いことで知られている。なんと平坂さんは三学期だけで学年で一番遅刻の多い生徒になってみせたのだ。

 平坂さんは遅刻しても特に急ぐでもなく教室に向かうという。一切悪びれることなく悠然と廊下を歩いて行く彼女の姿はいっそ清々しく、そんなところも格好いい、とクラスの誰かが言っているのを聞いたことがある。

 生徒会長としてそこには絶対に首を縦に振れないけれど、平坂さんがかっこいいのは本当だった。あの物静かで落ち着いた雰囲気に密かに憧れを抱く生徒は多く、実はわたしもその一人だったりする。

 

「ああ。平坂は前いた東京の学校で麻雀部だったらしいんだよ。一年生で団体戦のレギュラーをしていたと平坂のクラスの担任から聞いたことある。あと一歩で全国出場だったそうだ」

「すごいじゃないですか。一年でレギュラーだなんて。でも、そんなに麻雀強かったなら、平坂さんはどうしてうちの学校に来たんでしょうか?」

「さあ? アタシもそこまでは知らない。中途半端な時期に転校して来たし、事情は人それぞれだろ?」

 

 中富先生は肩をすくめた。確かにその通りだ。たとえば家の都合かもしれないし、いちいち理由を考え始めたらきりがない。

 

「さっそく当たってみます。先生、ありがとうございました」

「おう、勧誘成功したら言えよ。大会にエントリーするなら学校に報告しないといけないからさ」

 

                      ***

 

 そして、今日。四月九日。登校して自分のクラス名簿を確認すると、なんと自分の名前の真上に平坂さんの名前があった。その上、教室に入ったら自分の席は彼女の真後ろだった。出席番号順ばんざい。あまりに都合のよい展開に、これはもう運命に違いないと舞い上がって、わたしは平坂さんにすぐさまアタックした。

 始業ぎりぎりにやって来た彼女に挨拶することから始めて、それから休み時間の度に話しかけた。さらにお昼ご飯をいっしょに食べて、菓子パンといちご牛乳が好きという意外に可愛い平坂さんの一面を知って、放課後には生徒会室に引っ張って来て、そして今に至る。

 我ながらものすごい速さでここまで来たものだ。沙夜ちゃんに話したら呆れるに違いない。

 

「えっと……なんで私?」

 

 わたしの突然の入部してください発言に面くらっていた平坂さんがようやく口を開いた。彼女の口から出てきたのは返事ではなく至極当然の質問だった。急に生徒会室に引っ張ってこられて、なぜか麻雀部に誘われたら誰だって困惑するにちがいない。

 

「去年の夏のインターハイ、平坂さんが団体戦のレギュラーだったって話を聞いて、少し調べてみたの。そしたら、西東京ブロックで鳴海高校のメンバーに平坂さんの名前があったんだ」

 

 昨日、中富先生に話を聞いた後、わたしは図書室のパソコンで平坂さんのことを調べてみた。先生の情報を参考に、去年の夏のインハイの東京予選について見てみると、意外と簡単に調べはついた。西東京地区の決勝戦のことを書いた記事に平坂さんらしき名前があったのだ。らしき、とあいまいな表現になってしまうのには理由があって、記事には平坂奈々ではなく里見奈々と書いてあり、名字が違っていたのだ。

 だから記事に書いてあったのが絶対に平坂さんのことだとは言い切れなかったけど、お昼休みに平坂さんから麻雀部に入っていたという話を聞いた時、これはもう間違いないとわたしは確信した。

 

「鳴海高校は激戦区の西東京でも五本の指に入る強豪校。そこでレギュラーだった人にメンバーになってもらえたら即戦力だよ。それが平坂さんを誘う理由」

 

 わたしがそう答えると平坂さんは「そんなたいしたものじゃないんだけど」と少し困ったように言ってから、頭を下げた。

 

「ごめん。期待してもらって悪いんだけど私じゃ力になれないと思う」

「へ、何で? そんな強い高校のレギュラーだったんなら全然問題ないじゃん」

「そうですね。実力云々でいうなら私や遥さんは麻雀を覚えてまだ半年ぐらいですし」

 

 遥ちゃんと梢ちゃんが不思議そうに言うと平坂さんはますます困った表情になった。それを見て慌ててわたしは口を開いた。

 

「もちろん無理強いはしないよ。今日、何か強引に連れてきちゃったし、嫌だったら――」

「そんなことない」

 

 わたしの言葉を遮って平坂さんは首を横に振った。

 

「麻雀部がいやとか全然そんなこと……誘ってくれたことはすごくうれしい。だけど、私はもう――」

 

 そこで平坂さんは言葉を切って黙り込んでしまった。平坂さんは確かに何かを言おうとしているのだけど、それをうまく言葉にできないようだった。弱々しい表情でうつむく平坂さんを見て、わたしがおろおろしていると、

 

「んー、あのさぁ、とりあえず一回打ってみない?」

 

 遥ちゃんが机の上の牌を指して言った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。