その日、うちはサスケにとっては災難続きの日だった。
とある人を時間ぎりぎりまで探した所為で朝ご飯も食べられず、苛立ち混じりにアカデミーに向かえば指定された教室の前には黒山の人だかり。さっさと入れば良いのに、と教室を覗き込めば真ん中の机にソレはいた。
小花の散ったパフスリーブのチュニックに黒のサブリナパンツという忍らしからぬ格好をし、何時もは緩く纏めている黒髪を垂らし、自らの左腕を枕に安らかに
サスケが今朝探していたその人だった。
「あの人、誰かしら?」
「分からないけど……年上みたいだし、アカデミー生じゃないわよね」
ヒソヒソとした話し声にサスケの怒りは頂点に達した。
年の離れたアカデミー生に混じるのだから一人では心細かろうと迎えに行けば家はもぬけの殻で、病院にもおらず、修行でもしているのかとうちはの居住区を探し回ったというのに本人は呑気に寝ていたなんて!怒らぬ訳がない。サスケは人だかりを掻き分けて彼女の机を蹴る。もぞり、と持ち上がる額を叩いて、彼女を起こした。
「イルマ!」
「あれ?サスケくんだ。おはよー」
ふんわりした笑顔と、寝起き特有のぼけぼけ感が漂う少女の名はイルマ。彼女は側に置いてあったバスケットをサスケに手渡す。
「牛乳配達と新聞配達してたら眠くなっちゃって。沢山作って来たからサスケくんも食べる?」
中にはサンドイッチが入っていた。
ベーコンとレタスの間に薄切りトマトが沢山入ったB・L・Tに、オムレツをパンで挟み、ケチャップを掛けたタマゴサンドなど実にサスケ好みのサンドイッチばかりだ。
「食べないと大きくなれない…だろ?有難く頂戴する」
サスケは薄く笑みを浮かべた。イルマは始めからサスケが食べる事を見越して作ってきたに違いないのだ。
ただでさえ注目されている中で、あのうちはサスケが笑ったのだ。ギャラリーが騒がない訳がない。
「何よあの女!サスケ君に馴れ馴れしいわ」
「アカデミーも卒業出来なかった年上のクセに」
嫉妬と誰何の視線が飛び交う教室に、慌ただしく黄色の少年が駆け込んできた。金髪に青い目が映える少年は、イルマを見ると不思議そうな顔で近づく。
「あのさ、あのさ、ネェちゃんってば誰?」
騒ついた教室が一瞬静まり返った。
意外性ナンバーワンの忍者が空気を読まないおかげでサスケと親しいイルマが誰なのか分かるのだ。耳が象みたいになってもおかしくない。
尋ねられたイルマは眩しい者を見る瞳で眺めてから、噛み締めるようにその名を呼んだ。
「君は……うずまきナルトくんですよね?私はイルマ。うちはイルマよ」
思いがけぬ微笑みにナルトは少し戸惑うも、イルマの瞳に蔑みの色がないのを見て破顔した。
「オレの名前を知っているのか!アレ?うちはって…」
ナルトの視線がサスケに注がれる。
それもその筈、四年前に起こった襲撃事件でうちは一族は数人を除いて死んだ。木ノ葉で真っ当に生活しているのはサスケ位なのに。
ナルトの思いを読み取って、イルマは説明する。
「私は養子だから。目が覚めたのも三年前なんだよ」
ーーだから、今年アカデミー卒業した落ちこぼれなの。
そして、そう結んだ。
他方、周囲の子供達もイルマがサスケの親戚だと知って安堵する。年上ではあってもサスケより取っ付きやすそう性格だというのもそれに拍車をかけた。
喧騒は、日常へと変わる。
イルマは隣に腰掛けたサスケに尋ねた。
「サスケくん、サンドイッチどう?」
「もう少しトマト多めだと嬉しい……イルマ、お前、何してんだ?」
サスケはイルマを見る。正確には、イルマの両腕に閉じ込められたナルトを。
「なんかさ、オレ上手く言えねぇけどさーーイルマのネェちゃんってば、なんか懐かしいんだってばよ」
「……そう。もしかして昔会ってたのかもしれないね」
ナルトはぬいぐるみのクマみたいにイルマに後ろから抱き上げられて、頭を撫でてられているナルトは嫌がるそぶりも恥ずかしがる事もなく、されるがままに愛でられていた。イルマはとろけそうな笑顔である。
それがサスケには腹立たしい。
「イルマ、初めて会った奴に馴れ馴れしく触るな」
髪の色が違う。目の色も違う。
そうだというのにイルマとナルトが親子か、姉弟に見えるのだ。同じ『うちは』は、サスケなのに。
「あー!サスケってば、オレがネェちゃんと仲良くしているから嫉妬している!」
「してねえ」
ナルトはイルマの腕から机の上に飛び乗ると、サスケの前に詰め寄る。所謂、ガンを飛ばす状態だ。
顔と顔を近付け、互いの目を睨む。牽制し合う二人に不幸は容易く訪れた。
「あっ、悪い」
前の席の子がナルトにぶつかり、ナルトの唇がサスケにぶつかった。人間ドミノ倒しの末に、完成したのはナルトとサスケのディープキスだった。
横で一部始終を目撃していたイルマは、淡々と呟く。
「サスケは犠牲になったのだ…うちはのクレイジーサイコホモの流れにな」
サスケは口に広がる味噌味に、茶化してふざけるイルマへ後で盛大な突っ込みを入れる事を誓ったのだった。
*
「だーいつまで経っても来やしない!何でオレ達7班の先生だけこんなに来んのが遅せーんだってばよォ!!」
ナルトが騒ぎ、サスケが苛立つ。そんな教室で春野サクラは困惑していた。
「サクラちゃんって、将来は絶対美人系になりますね」
全ては隣に腰掛けるイルマの所為だ。
サスケの親戚と知るまでサクラも憎らしく思っていたのもあるが、何と言うかイルマは人懐っこい過ぎるのだ。先程知り合ったサクラにも気さくに話掛けてくるし、手製のお菓子なんかもくれる。
普通なら、『家庭的なア・タ・シ、アピールか!しゃんなろー』となるところだが、イルマの振る舞いは何と言うか、自然なのだ。気負った様子もなく分けるだけだ。
「サクラちゃん、サスケくんの事好きなんでしょ?何処が好きなんです?」
ただ、その視線が久し振りに孫に会ったおばあちゃんのようで、面映ゆい気分にさせる。サクラは座り直すと、消えそうな声で呟いた。
「サスケ君は何でも出来て、それに何時もクールで格好良いから」
単純で明快な理由だ。
呆れられるかもしれないと不安げなサクラに、イルマは嬉しそうに語り掛けた。
「うふふ、そう!サクラちゃんにはサスケくんがそう見えるのですね。出来る事ならば、サスケくんの格好悪い所も好きになってくれると嬉しいな」
格好良い所ではなく、格好悪い所を好きになれ、とはおかしな話だ。今のサクラにはサスケの格好悪いところなど想像出来ない。
イルマは瞼を閉ざして、続けた。
「人間、誰かを本当に好きになる時、その人が何しても許せるようになるの……頑固で現実的なクセに何処か傷つきやすくて、冷たいようで情熱家という非常に面倒な男を愛している私の経験から言えるってだけだけど」
どんな男だ。ってか、誰だ。
思わずツッコミそうになったサクラは寸前でなんとか留まった。イルマの表情が、今までよりも美しく見えたのだ。真珠の肌は薄紅に染まり、濃い瞳は潤む。
恋は乙女を彩るのだ。
「また、シスイさんの事か?」
「違います!シスイさんは家族です」
呆れるサスケにイルマは激しく否定する。真っ赤になって否定する様は否定し切れてないようにも映るが、それでも違うのだろう。
サスケは何時もの事だと言わんばかりに溜息をつき、教室の扉を睨んだ。
担当上忍はまだ来ない。
イルマは戸に黒板消しを挟むナルトを見て、小さく笑った。
「そうだ、皆にいい事教えてましょう!」
イルマは天井のーー恐らく、教材を掛ける為のーーフックに紐を掛けると、その端に濡れた雑巾を括り付け、チャクラ糸のついた千本で雑巾を天井に留めた。
「『忍たる者、裏の裏を読め』罠を仕掛ける場合は何重にも、仕掛けよ」
イルマはチャクラ糸を引く。
その時、ガラリと引き戸が開けられて担当上忍が入ってくた。ぼふりと白墨の粉が舞いーー。
「っ、何これ!」
雑巾が担当上忍の顔へお迎えに上がる。
言い換えれば、
その仕掛けは至極単純で、天井に張り付いた雑巾が千本という支えを失い落下、フックを支点に張り詰めてあった紐が振り子の如く動いたという訳だ。
「任務の際は、時間を守るべし」
常に微笑していたイルマが一瞬、真顔になった。それだけなのに、ナルトもサクラも恐怖を覚える。普段が明るく人好きするような態度だからだろう、表情を消したイルマは冷徹な忍そのものだった。
黒髪も白い肌も無機物を思わせ、うちはに似た端正な顔立ちがそれに余計拍車をかける。
「先生、何を遊んでいるのですか?早くしましょうよ」
優しい人程、怒らせると怖いものだ。
ーー七班はまだ動けない。