「根」の女   作:蒼彗

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全力でお茶を濁す。



幕間

野戦病院さながらにワンフロアぶち抜きで寝台が並んでいる。老若男女問わず横たわり、身体を繋ぐ機械音と微かに呼吸が漏れ聞こえる以外は物音一つしない。無機質な音にも身じろぎしない彼らより等身大の人形を丁寧に飾り付けておいた方がよっぽど患者らしかった。

 

午後の日差しがカーテン越しに照らしているというのに、辺りの時は凍りついて動こうとしないようである。重く、息苦しい。その不気味なまでの静寂の中、座した老人は顔を上げた。

 

「なんじゃ、来ていたのか」

 

ーーダンゾウ

 

と、老人が呼んだのは同輩の名前だ。老人が三代目火影でなければ、ダンゾウが暗部の闇を担っている事を除けば昔と変わらぬ関係である。初代の薫陶を受け、二代目の教えを継いだ弟子同士で幼馴染なのだから当然だろう。

 

ダンゾウは鼻を鳴らして、周囲を見回した。

 

「いつ来ても此処は死の匂いがするな」

 

かつてこの場所は、うちはの財産から拵えさせた新病棟の全てを埋めていた。一人、また一人といなくなり、今では一つの階に集めるだけで済んでいる。重い空気が流れているのも当然だ。それだけの人間が死んだ。里を作った千手もうちはもかつての隆盛から程遠い場所にある。これを退廃と呼ぶのか、歴史の荒波に揉まれていると言えば良いのか後世を生きなければ分からないだろう。

 

今を生きるダンゾウには屍の群れなど見飽きたものだ。ただ、見て気持ち良いものではない。それがイルマを捕らえているならば尚更。其処で生まれ、厭い厭われ、抜け出そうとしても逃れられなかった血という枷は、今もイルマを煩わせるのだ。

 

嫌気を顰め面で表現するダンゾウを横目に、三代目は前々から聞いてみたかった事を口にする。

 

「そういえば、先程聞いたのだが……おぬし、本当にイル姉に求婚したのか?」

 

「イルマ様から聞いたのか?」

 

三代目が頷けば、ダンゾウは唇を綻ばせた。押し隠していた感情を昔馴染みに知られるというのは気恥ずかしい事ではあるが、それに勝る想いが溢れていたのだ。

 

「嗚呼、昔からお慕い申し上げていた。かつては子ども特有の淡い感情でしかなかったが、今では心からお守りしたいと思っている」

 

堂々とした声だ。

齢重ねた老人の抱く重厚さと、壮年の威勢の良さ、少年のような純朴さ、青年の爽やかさが入り混じる態度だった。ともすると違和感を感じさせるものだが、虹がその七色を損なわぬようにダンゾウの姿も不思議と調和していた。

 

ダンゾウは目蓋を閉ざして、肺腑に溜まった感情を晒す。

 

「あの時。イルマ様がマダラが生きていると主張した時、ワシ以外誰も話を聞こうとせなんだ。狂いだからと、実弟のカガミですら相手にしようとしなかった」

 

イルマは主張していた。

マダラのチャクラを感じたのだ、と。確かにマダラの死体をかつて見たが今一度墓を暴き、その死体を目の前で燃やしたい。それが叶わぬのならば目だけでも奪って欲しい、と。普段の冷静さからは程遠い恐慌振りではあれ、筋は通っていた。ただ、マダラという存在は木ノ葉では禁句であり、うちはイルマという女がその事に言及するには早過ぎたのだ。

 

ある人は嘆いた。姉は未だ従兄弟達が生きている妄執に憑かれているのだと。

 

ある人は蔑んだ。憧れが一瞬で軽蔑に変わり、彼女はその言葉を無視した。

 

ある人は畏れた。イルマが本気になれば己では止められないだろうと。

 

ある人は考えた。姉のような人を信じる為にマダラが生きられる可能性を模索し、幻術や変わり身などを想像すれども死の因果を否定出来る魔法のような術は思いつかなかった。

 

ある人は聞いた。ただ寄り添い、周りをどう説得しようか悩んでいた。

 

二代目は何も言わなかった。そして、イルマの為に動かなかった。遂にはイルマを表舞台から遠ざけて、幽閉しようとまでしていた。

 

それがうちはイルマを離反させる原因だったに違いない。

 

「もし、誰かがイルマ様の言う通りに墓を暴き、マダラを灰に帰していたならば里抜けなどしなかっただろう。せめて確認だけでもすべきだった」

 

止めに行った二代目火影がイルマの左腕だけを持ち帰った後、火影の弟子達は密かにマダラの墓を暴いた。けれども、そこには何もなかった。肉も骨もない。人が安置された形跡はあれども、随分と前のようだったのである。つまり、イルマの言う事は虚言や妄想の類ではなかったということだ。

 

呆然と佇んだ一行の中で、真っ先に慟哭を上げたのは誰であったか。

 

「嫌な事件じゃったな」

 

三代目火影は遠い目をした。酷いなんて一言で言い表せないだろう。

 

冷静に戦力という点から鑑みれば、イルマは強かった。器用貧乏な向きはあったが、マダラの片腕であった事を思えば当然である。火影の補佐も手馴れていたし、里の子どもであれば誰にでも優しかった。里を第一とし、一族でなく里の枠組みで物事を考えられた稀有な人だ。人当たりも良く、癖のある忍の相手でも難無く熟した。

 

翻って、己に素直になればこれまた荒れた。

家族や憧れの女性が強く言う事を戯言と切り捨て、離反へと追いやったのだ。残ったのは、左腕(物理)のみ。罪悪感と己に対する嫌悪感でカガミを筆頭に病んだ。その憤りや遣る瀬無さをぶつける為にどれだけの敵が惨殺されただろうか。比較的冷静だった三代目は戦々恐々と仲間を見ていたものだ。ついでに左腕を切っただろう師匠も荒れていた。逃げられて自業自得だ、なんて口が裂けても言えなかったものだ。

 

その後ろめたさがあるから、今現在イルマが里内で自由に振る舞えるのだから世の中分からない。うたたねコハルや水戸ホムラなどがイルマと顔をあわせることすらしないのは、図らずも裏切ってしまった償いのようなものだろう。

 

イルマは強い。けれど、同時に脆いのだ。イルマが守ろうとする|存在〈木ノ葉〉はあまりにも大きく、一人では決して守りきれない。誰かが支えなければならないだろう。

 

「イルマ様には後ろ盾がない。初代様二代様、実弟のカガミも亡き今、誰がイルマ様をお守り出来る?うちは一族など最早風前の灯火だ。だからこそ、ワシは言ってしまったのだ」

 

「そうか……しかし、既に断られたのだろう?」

 

「いや、うちはの一件があってな。答えを貰っておらんままだ」

 

それはそうだろう。

イルマにも立場というものがある。表舞台からは消されても二代目の側近で、貴重な血筋の持ち主だ。おいそれと容易く番い、情を交わす事も絆される事もないだろう。如何にかつての教え子だとしても許される事ではないのだ。

 

断わらぬのはイルマらしい優しさなのかもしれない。或いは、酷さか。どちらにしても老い先短い老人が夢見るには随分と甘美な夢であろう。

 

そんな考えを巡らせていた時だった。

三代目火影・猿飛ヒルゼンは凍りついた。気付いてはいけない事を気付いてしまった瞬間である。その事実は今まさにくわえようとしたパイプを取り落としてしまう程、衝撃だったのだ。

 

三代目が気付いた事、それは求婚時期だ。

 

それまで加藤ダンゾウがイルマに求婚したのは最近の事だと思っていた。それが戯れか本気なのかはこの際問題ではない。問題は見た目年齢である。現在、うちはイルマの見た目十代後半くらい。己と同輩のダンゾウが六十代後半、七十に手が届くほど、ほぼ孫同然の年だ。限りなくアウトに近い何かである。ドン引きだが、互いに納得しているならば第三者が口を挟む事はなかろう。他方、中身を鑑みればイルマは年上という事もあって、初恋を拗らせたと分かる。これまたドン引き案件ではあるが、世界は広い。妻子を捨てて憧れの女性と結婚した例もあるものだ。

 

それと同時に世間の目というものもある。

 

ダンゾウは「うちはの一件」と言った。それが三代目の知る一件ならば、大量昏倒事件の事を指しているならば大体四、五年前。その頃のイルマさん十代前半でダンゾウが60代前半から半ば辺り。大量昏倒事件前に求婚しているという事は、つまりそういう事だ。

 

立派な犯罪現場の出来上がり、である。

 

「アウト」

 

三代目はイイ笑顔で親指を立て、思い切り下へ向けた。地の底抜けて根の国へと逝ってらいっしゃいと言わんばかりである。決して土遁を使えと言っている訳ではない。暗部に帰れ、と言っている訳でもない。しかし、三代目が幾ら好意的に捉えようとダンゾウとイルマを見ようとも哀しいかな、後ろ盾のない少女を権力者が手込めにしているようにしか、見えない。

 

立派な案件である。

|お巡りさん〈うちは一族〉、コイツです。しかし、三代目の期待も虚しくうちは一族の殆どがこの場で寝ている。取り締まる人間が圧倒的に少なかった。

 

もし、何も知らぬ人間が加藤ダンゾウがうちはイルマに求婚した事実を知れば驚愕に打ち震え、そして気づいてしまうだろう。少女を手にする為に少女の保護者諸共一族を消したのではないか、と。それが本当か嘘かは問題ではない、幼気な娘に手を出す老人が悪名高い加藤ダンゾウである事で十分だ。

 

真実、ダンゾウが今まで初恋を拗らせて純愛を貫いていたとしても周囲はそうとは受け止めない。不憫だが自業自得ともいえよう。

 

どう諦めてもらおうか、三代目が思案し始めた時だった。

 

「ダンゾウ、諦めろ。お前が告白するには五十年遅い」

 

一言でダンゾウが固まった。

それは、戸板もない入り口から顔を覗かせた水戸門ホムラによる冷静な突っ込みである。ホムラが視線を遣った先には怒りに打ち震える、うたたねコハルの姿があった。鬼のよう、ではなくまさしく鬼。かつて、イルマを姉の様に慕ってきたからこそ同胞の愚行が許せぬのだろう。

 

コハルは往時の速さでダンゾウに詰め寄った。一方のダンゾウも負けじとコハルを睨み付ける。

 

「ジジイ二人が暗部もつけずに辛気臭い墓場にいると思えば!貴様なんぞが(あね)さまに指一本触れさせんぞ!」

 

「長年恋い慕ってきた方が生きておられたんだぞ!仕方ないではないか!」

 

年甲斐のない喧嘩を続ける二人を他所に、ホムラと三代目はなんともなしに語り始めた。里、いや忍界でも有数の実力と権力が集まっているというのに和やかなものだ。此処が病院で、目の前にうちは一族が眠っていなければ高齢者施設のレクレーションにも思える。

 

「しかし、イルマ様は厄介な男ばかりに好かれるな。写輪眼がある訳でもないのに何故だろうか」

 

「分からん。ワシはずっと可愛がられるばかりだったからな」

 

三代目にとって、イルマは年の離れた姉でしかない。イルマにしても同じ認識だろう。それで良いし、それがいい。心地よい関係を壊すつもりはない。きっと好いた相手にしか見せぬ顔もあるのだろうし、何気ない動作や言葉で惹かれる場合もある。

 

「イル姉は年上好きだからのう」

 

年下は庇護対象でしかないのだ。イルマが真に甘えられるのは目上の人間だけである。だからこそ、現状が恐ろしい。甘えて、泣き付ける相手のない状態など張り詰められた糸に等しい。切れてしまったら、もう二度と元には戻れないのだから。せめて、その辛苦を和らげたいと思うのだ。

 

「ん?年下好き(ショタコン)だろう。そうだから、今もナルトやうちはサスケを追って行ったのだろうに」

 

ホムラは持参していた茶を啜った。静かな部屋ではよく響く。

 

「なんだ、と?」

 

思わず、我が耳を疑った三代目は杖を取り落とした。

火影命令!とばかりに見栄を切って強制的に休ませた姉貴分が、脱走した上にお子様たちの護衛に回ったのだという。理由が年下好き(ショタコン)だから?いや、そんな筈があるまい。結婚相手だって年上だったのに。

 

混乱する三代目の隣、少年に変化したダンゾウがコハルにシバかれるまでそう時間が掛からなかったという。

 




ある人一覧
カガミ
コハル
ホムラ
ヒルゼン
ダンゾウ

どうしても、トリフさんだけが思い浮かばないのです。



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