比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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君達は――戦士だ。その仕事とはつまり、戦争をすることだ。


Side八幡&陽乃――⑤

 

「知らない天井だ」

 

 最早、どれだけ使い古されたか分からない、とある作品の主人公の有名な台詞。

 ある日、唐突に、世界を救うという重責極まる役割を大人達に背負わされ、見知らぬ環境に放り込まれ、孤独にぽつりと呟く――独り言。

 

 世界を救う使命を担う秘密組織――フィクションにはありがちな設定で、その主人公も当たり前のように怪しさ極まるそんな組織に取り込まれていたけれど。

 まさか、自分が同じような立場になり、同じような台詞を呟く日が来るとは……人生、分からないもんだ。

 

 あのアニメとは違い、此処は美人上司の汚部屋の一室というわけではなく、まるでどこかのホテルのような小奇麗な場所だが。

 清潔感に溢れている分、一切の個性というものが排除されている――誰のものでもないような、何処にでもあるような部屋。

 

 天井も高く、数える染み一つない。

 ベッドも二つあり、テレビは大きくはないが薄型で恐らくは最新式と思われるものが用意されている。大きな姿見鏡、ポットやドライヤーまで完備。シャワーやトイレまであって、本当にホテルじゃないかと思えるような至れり尽くせりぶり。シ〇ジくんに申し訳ないくらいの歓迎ぶりだ。

 

(……穿った見方をすれば、まだお客さん扱いってことか)

 

 この部屋が俺の私物で埋まり、生活感というものが溢れるまで――ここが俺の新しい『部屋』になるまで、果たして生き残れるのかどうなのか。

 

 それは、今日からの俺の働きぶりに掛かっているのだろう。

 生活を豊かにしたければ、働くしかない。俺はもう、学生でもなければ、巻き込まれただけの子供ですらないんだから。

 

 あの主人公とは違い、自ら望んで、就職活動の末に――この場所にまで辿り着いたのだから。

 

 そんなことを考えながら、俺が半身を起こして――剥き出しの肌につけっぱなしのエアコンの風を感じていると。

 

「…………んぅ」

 

 俺が剥がしてしまった布団の中から、艶めかしい吐息が発せられた。

 まだ照明は点けていないが、俺と同じくエアコンの風でも感じたのか、徐々に吐息の主は覚醒していき、瞼を擦ってもぞもぞと温もりを探すように身悶え――俺の裸の腰に抱き着く。

 

 そして俺と同じく、何も身に着けていない生まれたままの姿の彼女は、その暴力的なまでの魅力を備えた大きく柔らかい乳房とすべすべの肌を俺に押し付けながら――俺に向かって笑顔を向けた。

 まるで、寝起きに初めて認識する存在が、俺であって本当に幸せだと言わんばかりに。

 

 ……そんなことを思い上がってしまって本当に恥ずかしい限りだが、少なくとも、俺はそんな思いだった。

 

 寝て、起きて――誰よりも近い場所に、すぐ手の届く距離に、彼女がいる。

 すぐにこの人を感じられる。触れられる。声が聞こえる。笑顔が見られる。

 

「おはよう、八幡」

 

 それが――幸せでなくて、なんというのか。

 

「おはようございます、陽乃さん」

 

 俺は、そんな思いを込めて、世界で最も愛しい人の名前を発した。

 

 陽乃さんは、ぱちくりと瞬きをしながら一瞬呆然とし、辛抱たまらんといった表情を爆発させると――突如、その凶悪で巨大な胸部で俺の顔面を挟み込むように飛び掛かり、再び俺をベッドの中に引き戻した。

 

 ……いや、流石に朝からはしないよ。

 じゃあ昨晩はお楽しみでしたねって? 言わせんな恥ずかしい。

 

 こんな感じで、俺――比企谷八幡の、世界を救う秘密組織CIONでの生活――その記念すべき一日目の朝は幕を開けた。

 ……いや、マジですまんなシン〇くん。笑えばいいと思うよ。

 

 

 この後、滅茶苦茶イチャイチャした。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その数時間後――俺は、信じられないものを目撃した。

 

「……なん……だと……ッ」

 

 朝から陽乃さんと甘ったるい時間(R-17)を過ごし、二人して最早普段着のように着こなしているガンツスーツへと着替えた後、揃って朝食の為に食堂っぽいスペースへとやってきた。

 

 まぁ、食堂というよりは、ショッピングモールとかにあるフードコート的な広さの場所にテーブルと椅子が敷き詰められていて、自動で食事が出てくる自販機みたいなものが壁際に設置してあるだけのシンプルなものなのだが(メニューは流石に世界征服している組織だけあって全世界の料理がこれでもかと用意されていたが)、俺達の他に人は居らず、ガラガラの空間に俺と陽乃さんはぽつんと並んで席を取って、各々が選んだメニューを大した時間も掛けずに完食した。

 

 味は絶品というわけではないが普通に美味い程度のもので(陽乃さんも特に味に不満はないようだった。表情を輝かせるという程ではなかったが)、陽乃さんが先程の食事自販機の中のドリンクメニューにあった紅茶で食後の一服をしている中、俺は用を足そうと食堂を出て、トイレへと向かう廊下の中で――それに出会った。

 

 まるで人目を避けるように、何もない廊下にぼっちに佇むそれは――終ぞ、俗世では出会うことなく、もう会うことも出来ないであろうと思っていた、諦めていた、それがずっと心残りだった、会いたくて会いたくて震えた相手だった。

 

 俺は――再び震え出した手を、そっと――その素敵な黄色いボディへと伸ばす。

 

 選ばれたのは――マッ缶でした。

 

「……お、おお。おお! これが――マッ缶仕様の、マッ缶専用の自販機か! ……期間限定といっていたから……もう会うことも見ることも出来ないと思っていたが――ッ!?」

 

 今年の冬から春にかけて、最寄りのららぽに設置していたらしい、このマックスコーヒー専用自販機。

 行きたくて会いたくてたまらなかったが、今年の年度末はそれどころではなかった為、結局お目通りは叶わず、心の奥底にずっとしこりが残ったままだったが――まさか、こんな場所で、その念願が叶うなんて!

 

 俺は思わずスマホを取り出しインスタにアップしかけたが、スマホは家に置いてきたしそもそもインスタもやってなかったしイイネを貰える友達もいなかったことを思い出して歯噛みした。この素晴らしさを全世界に発信出来ないなんて……俺は何て無力なんだッ!

 

 その後、自販機裏側の成分表示を確認して芸の細かさにコカ・コー〇の愛を感じ、尿意を忘れて今のマッ缶のデザインのポップさに改めて可愛さを感じていると――ふと、大事なことに気付く。

 

「……そうだ。これがあるってことは、これからもマッ缶を愛飲し続けることが出来るってことじゃねぇか……ッ」

 

 スマホは簡単に捨てられたが、日本ですら一部地域でしか愛されていないマッ缶だけは……中々捨てる決心がつかなかった。俺にとっては愛煙者にとっての煙草、愛酒者にとってのアルコールに等しいので(それを陽乃さんに言ったらまるで薬物中毒者を見るような目で見られた)、ぶっちゃけ数箱分は一緒に持ってくるつもりだったが、結局、この場所(CION)への転送も予定外の形とタイミングになった為、一箱どころか缶一本すら持ってこられなかったことに、昨夜は自分を殴打しそうになったものだ。正直ショックを隠せなかった。

 

 だが、今――目の前には夢のような光景が広がっている。

 一段目も二段目も、そして当然三段目もマッ缶マッ缶マッ缶。

 マッ缶によるマッ缶の為のマッ缶自販機がここにある。そうか、アヴァロンはここにあったんだ。

 

 今、買わなくて何処で買う? 絶対に摂らなくてはいけない糖分が――此処にはある!

 

 俺は流れるように130円を放り込もうとして――そこで初めて、財布を持っていないことに気付いた。

 

「…………馬鹿なッ!?」

 

 金が――ない!? というか、金を入れる投入口が、この自販機にはない!?

 

 ……なん……だと……ッ。

 この期に及んで、ここまで来て、こんなアルカディアを前にして――俺はマッ缶が飲めないというのか……ッ。

 

 思わず腐った双眸に涙を溢れさせかけ、無力感に膝を折って絶望に暮れかけた俺の前に――すっと、細い腕が自販機に向かって伸びる。

 

「いやいや。普通に無料(タダ)だから。ボタン押せば出てくるから。さっきの食堂(フードコート)の自販機もそうだったでしょう?」

 

 ピッ、と軽やかな機械音の後に、ガコン、と商品が落ちる音。

 自販機の底の取り出し口から、見慣れた黄色と茶色の缶を取り出すと、それを俺に見せつけるようにしながら――彼女はいたずらっぽく俺に微笑みかけた。

 

 それはやはり、俺の良く知る彼女にそっくりの顔で――でも、俺が全く見たことのない表情だった。

 

「やっぱり親子だね。味覚が同じくらい狂ってるよ。このコーヒー入り練乳の、どこがそんなに美味しいんだか」

 

 そう言いながら彼女は――光沢のあるボディスーツで強調された、その峰不〇子みたいな胸部を更に強調するように、腰に手を当てながら体を逸らし、全千葉民が愛するソウルドリンクを飲み干すと、笑顔で俺に向かって言う。

 

「――うん! 不味い! 飲めたもんじゃないね!」

 

 由比ヶ浜結愛は、そう言って、空になった缶を自販機の隣のダストシュートへと放り込んだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 やはりというかなんというか、あのマッ缶自販機は親父が設置したものらしい。

 

「はるるんの鬼のような希望でね。ららぽで期間限定で使われなくなったアレを、そのままこの本部に持ってきたんだよ。管理とか補充とかあの自販機だけ個別でしなくちゃいけないし、そもそもマッ缶自体はるるん以外飲まないから、他の職員からは鬼のように不評なんだけどね」

 

 あのクソ親父は職場でも大層に嫌われているらしい。ざまあ。

 だが、この件だけは素直に感謝してやってもいい。グッジョブ親父。

 

 憧れのマッ缶自販機に満足いくまではしゃいだ俺は、完全に消え失せた尿意を無視して、無意味にホットとアイスの両方で一本ずつ(無料で)購入したマッ缶を両手に、由比ヶ浜結愛と並んで食堂へと戻る。

 

(…………本当に、ここで親父達は働いているんだな)

 

 俺は親父達と旧知の仲だという女性の横顔を見ながら、そんなことを思う。

 

 無機質な廊下だった。

 廊下だけではなく、食堂も、個室も、どの部屋もどの設備も、全く個性というものが感じられない――無色の空間。

 

 いや、その無色でこちらを圧迫してくるような、全てを無色で塗り潰そうとしてくるかのような、そんな支配的な色で満たされた空間。

 だとすれば、やはり――この無色は、黒なのだろう。

 

 黒で支配された職場――世界を支配する漆黒の組織――『CION』。

 

(一晩経っても、全く慣れる気がしないな)

 

 昨夜――あの慣れ親しんだ『黒い球体の部屋』に別れを告げた後、転送されてきたのは、事前のパンダの宣言通り、秘密組織CION本部のロビーだった。

 そこはやはり無機質で、清潔感にだけは溢れた、人間味は悉く排除された――無駄なものを一切排斥した、どこにでもあるような場所だった。

 

 まるで、あの『黒い球体の部屋』のように。

 だだっ広いフロアの中心に――ぽつりと、『黒い球体』のみが存在するフロア。

 

(……俺が知ってる()()()()()()()()()よりも数回り大きかった気がするが……それでもあれは――あれも、紛れもなくガンツだった)

 

 俺が知るあの『部屋』にも黒い球体(ガンツ)が置かれたリビングの他に廊下や別室と繋がる扉があったのと同じように――あの『ロビー』にも、他の部屋へと繋がる扉、というより、他の(フロア)へと繋がる、他の(フロア)へと転送させるエレベーターのような役割を持つ黒球が配置された部屋への扉はあったけれど、それ以外には基本的には何もない、受付もなければ受付嬢もいない、あの黒い球体以外何もない場所だった。

 

 それはある意味で、黒い球体(ガンツ)を背後で操る黒幕組織には、相応(ふさわ)し過ぎる仕様なのかもしれないけれど。

 

(……『ロビー』にも『食堂(フードコート)』にも、そして俺らに与えられた『個室』にも、この建物の外に出る扉はない。窓すらない。ここがどこも分からず、自分がどこにいるかも分からない。……例え、内部に入り込もうとも、更に徹底される秘密主義――か)

 

 それは俺が、俺達が新参者だからなのだろうか。

 信用や信頼を勝ち取っていない新入りだから――なのだろうか。

 

 ……この人は――由比ヶ浜結愛は、知っているのだろうか。

 俺が知らないことを、知っているのだろうか。

 

 この組織のこと、あの『大きな黒い球体』のこと――そして。

 

 CION(ここ)で働いている、俺の知らない比企谷晴空(おやじ)比企谷雨音(おふくろ)のことを。

 

「……あの、由比ヶ浜さ――」

「あ! やっはろー! フォトくん!」

 

 俺が隣を歩く由比ヶ浜結愛に声を掛けようとした、その瞬間、会話を露骨に拒否るかのように(違うよね? たまたまだよね?)、彼女は途端に歩くスピードを上げ、誰かに向かって駆け寄っていった。

 

 未だにガラガラのこの食堂(フードコート)は、まるで俺と陽乃さんの貸し切りのような状態だった筈だが、彼女の知り合いでも新たにやってきていたのだろうか――それはつまり、俺らの先達、先輩ということか。

 

 バイト先の先輩とすら上手くやれた試しのない俺は、やだなーこわいなーという思いと共に、その方に目を向けると――そこには、引き攣った笑顔の陽乃さんと、その向かいで笹を食っているパンダがいた。

 

「………………」

「………………」

 

 俺は陽乃さんの無言のヘルプコールに、黙って従い、足を進めた。

 

 ……フォトくんって、アンタかよ。

 てかこの食堂の自販機、まさか笹まで出てくるのだろうか。きっと本場(中国産)の良いやつに違いない。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 

 ここに来て初めて知ったが、このパンダ(♀)は『要塞(フォートレス)』くんというらしい。名前というより異名のようなものらしいが。少なくともリンリンと呼ばれるのよりは悪い気はしないようだ。

 だが、そんな厨二――けぷこんけぷこん、もとい、威厳溢れる異名をフォトくん呼ばわりする所に(カメラのCMキャラみたいな名前だ)、そこはかとない由比ヶ浜家DNAを感じるが、まぁ、今はそれは置いておこう。これからも俺はパンダと呼ぶだろうし。

 

 今はそれよりも、思わぬ形で始まった、この新入社員オリエンテーションに集中するべきだ。

 俺はまずつめた~いマッ缶のプルタブを開け(どっちか飲むかを尋ねたら陽乃さんに即答で両方とも遠慮された。解せぬ)、寝起きの頭に存分に糖分を補充しながら、笹を食べ終えたパンダの第一声を受け止めた。

 

「――どうだ? 昨夜はよく眠れたかね? 新たなる部隊戦士達よ」

 

 昨夜のロビーと同じく、だだっ広いだけの無機質な空間である、この食堂(フードコート)

 

 無数に並ぶ中の一つの小さなテーブルに、俺――比企谷八幡と、その隣に座る雪ノ下陽乃。

 俺の真正面の向かい側には、今さっき自販機で購入してきたのか、俺に見せつけるように直方体のハニトーを食べる由比ヶ浜結愛。陽乃さんの正面には、七夕飾りみたいな笹の葉を食べ尽くした要塞の名を冠するパンダ。

 

 たった四人だけが、ぽつんと小さく寄り集まっている。

 

 ……全く、昨日はロビーに着いたら、俺らの新たな住居になる個室に案内した後はさっさと消えた癖に。本当に子供を振り回す大人達だ。

 

 まぁいい。とりあえず腹ごしらえをしたはいいが、この後はどうすればいいのか何も分からなかったのは事実だ。

 分からないことを説明してくれるってなら、それが早いに越したことはない。

 どんな形でさえオリエンテーションをやってくれるってなら、何の説明もなく戦争に放り込まれていた『部屋』時代と比べたら破格の待遇といっていい。

 

 だからこそ――逃すな。

 一言一句、脳内にメモを刻み込む意欲で臨むんだ。

 

 これから先、しくじったら待っているのは減俸ではなく、落命なんだから。俺らはもう、子供ではなく――社畜なんだから。

 聞いてませんでしたじゃ済まされない。覚えてませんでしたでは話にならない。

 

 そういうブラック企業に、俺らは就職しちまったんだから。

 

「お陰様でな。久しぶりにぐっすり寝られた気がするよ。……で――」

 

 俺は――隣の陽乃さんと一度アイコンタクトをして――パンダに向かって言葉を返した。

 

「――俺らは、これから何をすればいい? あの綺麗な個室の家賃分くらいには、身を粉にして働くつもりだぜ」

「うっわぁ~、殊勝だね~。はるるんの子とは思えな~い」

 

 由比ヶ浜結愛は口元に生クリームを付けながら、こちらを嘲るように言った。

 ……由比ヶ浜と同じような顔で、けれど由比ヶ浜が終ぞしなかった表情を見せるこの人には、常に俺に何かを突き付けるようで――本当に、ありがたい。

 

 だからこそ、この人がこのオリエンテーションに同席していることに、俺からは何も言えない。

 そもそも情報源は多いに越したことはないしな。一つの情報を二つの視点から語ってもらえるのは、それだけ詳細にポイントを把握できる。

 

 俺は「親父達の社畜DNAを大いに受け継いでいるんでね。俺は養われる気はあっても施しを受ける気はないんですよ。与えられる報酬分は働かないと気持ちが悪いんです」と嘯くと、由比ヶ浜結愛は「うわぁ~、やっぱりはるるんの子供だね~。なんか言いそ~」と楽しそうにハニトーをもう一口含む。

 

 そんな俺をフォローするように、今度は陽乃さんがパンダに向かって問い掛けた。

 

「話を戻すけど、パンダさん。わたしたちは今後、どんな風に行動すればいいのかな? 『部屋』時代と同じように、ミッションが始まったら強制的に招集を受けるの?」

 

 陽乃さんの問い掛けに、パンダはつぶらな瞳を向けながら、低く渋い声で答えた。

 

「基本的にはそうだ。普段はこの施設内で好き勝手に過ごせばいい。この後、この建物内のそれぞれの『(フロア)』の『渡り方』を教えるが、この施設内には『外の世界』にある大概の施設は揃っている」

 

 欲しいものは大抵手に入れることが出来るだろう――そんなパンダの言葉に、俺は眉を顰めながら、マッ缶を啜る。

 

 ……外の世界、か。

 やはりというべきか、基本的に一度この本部の中に入った戦士を――内側に取り込んだ戦士を、こいつらは簡単には外に出す気がないらしいな。

 

 そもそもこんな場所(CION)に来るような奴等の殆どが、外の世界に未練を残しているとは思えないが――俺らのように、全てを断ち切って、此処にいるだろう。どんな戦士も、全てを捨てて、こんな地獄に飛び込んでいるんだろう。

 

 俺はちらりと、全く人の気配のない周囲の席へと目を配らせ、パンダに言う。

 

「――他の戦士は、その別のフロアとやらにいるのか? それこそレストランとかも完備されてて、そこで優雅にブレックファーストってるとかなの?」

 

 パンダは俺の言葉に「レストランは完備されているが、そういうわけではない。そもそも、そこの自販機には世界中のあらゆる料理が提供できる機能がある。わざわざ別の場所に食べに行く必要もない」と嘯くと(じゃあ何でレストラン作ったんだよ)、獣の瞳で俺の腐った眼を見詰めながら言った。

 

 

「他の戦士の多くは、それぞれの『支部』に居る。ここはあくまで『本部』だからな。一部の職員はここで働いているが、大半の前線戦士は、ここにはいないのだ」

 

 

 ……支部?

 初めて聞くそんな言葉に、俺は思わず陽乃さんと顔を見合わせると、由比ヶ浜結愛が補足するように言った。

 

「ここは、あくまでCIONって組織の運営本部なんだよ。あたしとかはるるんとかあおのんとかが例外で、普通の現役戦士は、それぞれの各支部の所属になって、各支部の『フロア』にいるんだよ」

「無論、君達も例外ではない」

 

 そしてこれが、これこそが、今回の新入戦士オリエンテーションの主題だ――と、パンダは渋い声で、俺達に再び決断を迫る。

 

「君達は――戦士だ。その仕事とはつまり、戦争をすることだ。働きたいというのなら、家賃を稼ぎたいというのなら、これから存分に戦い、存分に殺したまえ」

 

 そして、選びたまえ。これから君達が赴く戦場(職場)を。

 

 パンダはそう言って、何も知らない俺らに、世界を知らない俺らに、優しく丁寧に地獄を説明してくれた。

 世間を知らない子供のような新入りに、社会の厳しさを教え込む大人の先輩のように。

 

 CIONという組織の仕組み、そして、これから赴く戦場(支部)――新たな戦争(ガンツミッション)について。

 

 それはすなわち、俺と陽乃さんの、新たな黒い球体の物語の始まり。

 

「……………」

 

 俺は、あったか~いマッ缶のプルタブを開けながら、脳に更なる糖分を補充した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 この無機質な食堂には、時計すらない。

 

 だから正確な経過時間は分からないが、オリエンテーションが終わったのは、由比ヶ浜結愛が巨大なハニトーを食べ終え、さらにもう一個お替りも食べ終えた頃だった。……甘い物は基本的に好物な俺だが、そんな俺でも胸焼けがする光景だった。……きっと全部のカロリーが――いや、なんでもないです。だから陽乃さんそんな目で見ないで。

 

「――以上が、このCIONという組織の簡単な構図だ。理解出来たかね?」

 

 パンダのその言葉に、陽乃さんは間髪入れずに頷いた。

 ……そんな陽乃さん程には迷いなく首を縦には振れないが、俺も基本的には理解出来た、と思う。

 

 整理しよう。

 

 GANTZを、そして世界を裏で操る組織――CION。

 CIONは、世界中に『黒い球体の部屋』を配備し、『戦士(キャラクター)』を量産する。

 そして『表舞台』へと存在が露見しそうになった『星人』を『戦争(ミッション)』で狩ることで、星人の存在を隠しながら『終焉(カタストロフィ)』へと備えてきた。

 

 更に、各『部屋』で頭角を現した一部の有望な『戦士』達を、『まんてんメニュー』と、『勧誘(スカウト)』からの『入隊試験』によって、『部屋』から『部隊』へと引き抜きを行い、同時に終焉(カタストロフィ)に備えた戦力の確保も行っていた。

 

 CIONが誇る『部隊軍』は、大きく五つの『支部』に分かれている。

 というよりも、五つの支部が、それぞれ固有の部隊軍を持っているという形になっている。

 

 五つの支部とは―――。

 US(アメリカ)

 EU(ヨーロッパ)

 CN(中国)

 RU(ロシア)

 そして――JP(日本)

 

 ……正直、この並びに日本が単独で存在していることに少し疑問を覚えるが(アジア支部とかで一個に出来そうだが)、このような形になっているらしい。……その辺りの経緯にも色々ありそうだが(親父達がCIONの創成期からの古株メンバーらしいくらいだし。陽乃さんはその時に知ったCIONの余りに浅い歴史に絶句していた)、それはまあ今の俺達には関係のないことだろう。

 

 その他にも。

 四天王的なキャラである(六人いるらしいが)『主要幹部』――そして、その主要幹部らが持つとされる『私兵部隊』とか(昨日の『CEO』とやらもこの主要幹部の一人、というか組織全体の№2らしい。そんなお偉いさんとタメ口とか親父どんだけ)。

 霧ヶ峰が所属したっていう組織の№1である《天子》とやらが持つ『《天子》直属部隊』とか(中坊どんだけ)。

 五つの支部のいずれにも所属しない特殊なポジションである『本部職員』(母ちゃんとか由比ヶ浜さんとかはこのポジションになるらしい)とかがあるそうだが。

 

 しかし――これらは就任条件もかなり特殊で、なろうと思ってなれるもんじゃないらしい。

 

 基本的に、CIONの本部へと足を踏み入れた『部屋』上がりの戦士達は、こうして『オリエンテーション』を受けた後、速やかに自分が所属する『支部』を選択し――『転送』されるそうなのだ。

 

 自分の所属支部へ――新たな職場へ。知らない戦場へ。

 

「転送って……また引っ越さなきゃいけないの? あの『個室』がこれからのわたしたちの住居になるって、パンダさん昨日言ってたよね?」

「いや、君達の『住居』フロアから、それぞれの『支部』フロアへは転送により直接移動可能だ。あくまで、所属支部は君達の新しい『職場』だと考えてくれればいい」

 

 ……確かに、個室のフロアから、この食堂のフロアにも、昨夜に使用した『移動用黒球』が勝手に転送してくれた(どこに行けばいいのか分からなかったから、その黒球くらいしか手掛かりがなかったのだ。何すればいいかも何処に行けばいいのかも分からなかったからな。取り敢えず、その黒球のとこに行ってみたら、この食堂に転送されてきたってわけだ)。

 

 つまり、今度からはあの黒球が、この後に決めることになる所属支部に、これから毎日転送してくれるってことか。通勤時間ゼロとかそりゃ便利なこって。

 

「…………」

 

 職場――すなわち、このCIONという大きなビルに、それぞれの『支部』が『(フロア)』として存在していると考えればいいわけか。……スケールが大き過ぎて、頭がおかしくなるな。

 

 勿論、それがあくまで比喩で、それぞれの国の支部がそれぞれの国土にあるとしても、移動手段として使っているのが『転送』ならば何の問題もないわけ、か。

 もっと言えば、俺らが一晩寝て起きたあの『個室』と、優雅に朝食を摂ったこの『食堂』が、まったくの別の場所で、もしかしたら別の国土ってことも――というか、だ。

 

「ちなみに、この『本部』はどこの国にあるんだ? 俺らは今現在、世界のどこにいるってことになるんだ?」

「それを知るのは天子様やCEOら一部の者だけだ。私も知らん。彼ら曰く、『どこでもあって、どこでもない』らしい」

 

 どこでもあって、どこでもない――また哲学的な答えだが、ガンツの『転送』を考えると、場所なんてものに意味がないように思えるのも事実だな。

 まぁ、パンダでさえ知らないってことが分かっただけでも十分だ。それはつまり、知らなくていいことだってことだからな。知らない方がいいことなのかもしれない。

 

 話を戻そう。

 今、重要なのは、求められているのは、迫られているのは―――新たな戦場となる職場を選ぶこと。

 

 その為に重要になってくるのが――『上位幹部制度』、すなわち『ランキング』。

 

「これから君達は、所属した『支部』が保有する『部隊』の一員となり、その部隊に依頼された『戦争(ミッション)』に参加することになる。そこで点数を稼ぎ、評価を得て、ランキングを上げることに終始することになるわけだ」

 

 戦士(キャラクター)ランキング。

 それぞれの支部が保有する部隊の戦士達は、それぞれの支部内においてランキング付けされることになるらしい。

 

 世界各地の『部屋』から集められた、選りすぐりの戦士達によって構成される『部隊軍』。

 そして、その中の上位十名が――各『支部』からそれぞれの『部隊軍』の上位十名、つまり、この世界で僅か五十人のみが選出されることになるそれらは『上位戦士』と呼ばれ、特別な権限を持つ、特別な戦士と“上”に認められたことを意味する。

 

 何故なら『上位戦士』とは、同時に『上位幹部』と呼ばれ――文字通り、CIONという組織に置いて、『幹部』の地位を確約された証であるからだ。

 

 一介の使い捨ての戦士(モブキャラ)から、世界を征服する組織の幹部にまで上り詰めた死人達。

 そもそもこのランキングシステム自体が、星の数ほど存在する戦士(キャラクター)達の中から、より有能な――より有用な戦士を判別し易くするための制度って話だ。

 

 つまり――『上位戦士』になれば、CIONにとって分かり易く貴重な戦士だと認識させることが出来る。

 

 十把一絡げに戦場に放り込むなんてことはされない――出来ない。

 CIONにとっても大事に使わなければならない大駒――捨て駒に出来ない、兵力。

 

 兵力であり――戦力であると、そう認められた戦士ってことだ。

 

「それもまぁ一概には言えまい。一長あれば、一短もある。『上位戦士』となれば、確かに様々な面で優遇はされるだろうが――その分、その実力に応じた、より厳しい戦場に、より強い星人の元へと派遣されることも増える」

「だが、その分――より『物語』の表層に近い場所へと行けるのも確かだ」

 

 そもそも、俺が何故こうして、あの『部屋』を出て、わざわざ黒幕の総本山へとやってきたのかといえば、偏に――より『真実』に近づく為だ。

 

 どうせ俺はもう、この闇の中からは抜け出せない。

 ならば――より真実に近い場所で、より物語の重要人物になると、そう心に決めたからだ。

 

 この複製の魂に――誓ったからだ。

 

 その為に俺は、愛すべき千葉を捨て――ありとあらゆる、全てを切り捨てて、ここに来た。

 

 世界中を包む黒い闇の深奥に。

 黒い球体を巡る物語の中心に――だから、俺は。

 

「……俺はもう、死ぬわけにはいかない」

 

 比企谷八幡という救いようのない愚か者が死んだことから始まった、この救いようのない物語は、最早、俺が死ねば終わるという優しい物語ではなくなった。

 

 俺は生きなければならない。俺は死んではならない。俺は幸せにならなくちゃいけない。

 

 その為に――どこにでもいる戦士Aではなく、台詞も与えられない一般人Bでもなく、この黒い球体の物語の主要キャストにならなくちゃいけない。

 

「俺は――終焉(カタストロフィ)を生き残らなくちゃいけない」

 

 例え世界が滅んでも、俺は死んでも生き残らなくてはならない。

 

 恐らくは世界中の人間の殆どが死に絶えるであろう、そんな終焉で生き残る為に、半年後に確定された終末を乗り越える為に――その残された半年で進むことの出来る、最も生存確率の高い選択肢(ルート)は。

 

「――だから……俺はならなくちゃいけないんだ」

 

 簡単に使い捨てられるような、使い潰されるような戦士Aではなく。

 世界各国にばら撒いた無数の『部屋』の中の一人の戦士Bでもなく。

 

 この物語を動かしている、あの終焉を描いている黒幕達にとっての――登場人物(ネームドキャラ)に、ならなくちゃいけない。

 最低でもエンドロールの一頁目に名前が載るくらいの人物でなくちゃ――終焉(カタストロフィ)は生き残れない。

 

 そうだ――勝たなくていい。

 地球が負けようが、人類が滅びようがどうでもいい。

 

 俺の最終目標は、不幸に生き残り、幸福に死ぬこと――それだけだ。それだけは忘れるな。

 

 残された時間は少ない。

 だが――お陰で、目指すべき目標は明確になった。

 

 

「上位幹部に、俺はなる」

 

 

 折角、世界を支配する組織にコネ入社したんだ。

 このまま何食わぬ顔で、エリート出世街道を突き進む。

 

 堂々と――真っ直ぐに。卑怯に卑屈に、最低に。

 

 俺はきっと悪の組織に相応しいであろう、真っ黒な笑みを浮かべながら、そう目の前のパンダの黒い瞳を見詰めた。

 




比企谷八幡は、黒い球体の黒幕組織で、より深い闇の中へと足を進める。

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