比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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お前、どこから気付いてた? んで、どこまで気付いてる?


Side戦争(ミッション)――⑦

 

 戦争を終えた――雪ノ下邸の広大な庭にて。

 

 黒火が消火された跡が、まるでミステリーサークルのような消えない戦争痕を残している中。

 比企谷八幡が左の掌と右腕の切断面を雪ノ下陽光(ひかり)によって凍らされ、応急処置を施されているすぐ傍で。

 

 二人の敗者たるミッションに失敗した戦士が――比企谷晴空(はると)と比企谷雨音(あお)夫妻が、ボロボロの息子の傍で微笑みながら、治療を受ける死に掛けの息子を眺めていた。

 

「おい、実の父親をぶっ殺しかけたクソ息子」

「なんだ、実の息子をぶっ殺しかけたクソ親父」

 

 呼吸するようにお互いをディスり合う、ほんの一分前までバッチバチに殺し合っていた息ピッタリの親子に、雪ノ下豪雪はこれが父子(おやこ)というものかと感心し、雪ノ下陽光はドン引きし、比企谷雨音は溜息を吐いて己が夫の脇腹を肘で抉る。

 

 命に係わるような大怪我はないとはいえ、中々の死闘でダメージもそれなりに蓄積していた晴空はマジかこの嫁と夫婦の愛を疑うも、八幡を一刻も早く転送してやらなくてはならないことは確かなので、P:GANTZを右手で弄びながら、晴空は八幡を問い詰める。

 

「お前、()()()()気付いてた? んで、()()()()気付いてる?」

 

 ニヤニヤと、あのいつも通りの人をおちょくったような性格の悪い笑みが晴空に戻ったことに、陽光は露骨に顔を顰めて、八幡は溜息を吐きながら言葉を返す。

 

「……親父達がガンツ関係者ってのは、まあ、驚いたけど、納得はした。雪ノ下陽光との距離感を見ても、初対面って感じじゃなかったからな。つまり、同盟相手とはいえ星人との交渉を任されるくらいは重要ポストってことか。そんで、そんな雪ノ下陽光も知らなかったのがこのミッション――俺を星人扱いしてぶっ殺すってミッションだったってわけだ」

 

 そういって、ジロリと八幡は真っ黒な瞳で両親を睨み付ける。

 雨音は少し眉尻を下げたが、晴空の口元は笑みのままで、その睥睨を受け止める。

 

「――で? どう思った?」

 

 晴空は、そう八幡に感想を求める――父親が、母親が、息子を殺そうとした感想を、自分が両親に殺されそうになった感想を、真正面から。

 

 八幡は、そんな晴空が内心ではどういった思いを抱いているかを見抜いた上で、見えていない振りをしてやるというように顔を逸らしながら淡々と言う。

 

「生温い――って思ったよ」

 

 陽光は、応急処置の手を止めて瞠目した。

 

 あれほどの死闘を、あれだけの常軌を逸した戦争を。

 父親が、母親が、強襲的に息子を殺害しようとした、あの狂気のミッションを。

 

 この息子が、殺されかかった当の息子が――生温いと、そう表現したことに。

 

 晴空も、雨音も、一切の表情を変えずに受け止めた。そんな両親の方を真っ暗な瞳で見ながら、八幡は尚も淡々と言う。代わり映えのない日常を語るような口調で。

 

「親父達が本当に本気で俺を殺そうとするんなら、こんな回りくどいことはしない。俺らに気付かれないように透明化して現れ、背後から確実に殺す。あんな分かり易くこれ見よがしに登場することもないし、俺にわざわざミッションの標的にされたことを教える必要もない」

 

 それに本気なら、母ちゃんが一発目の矢を外すとは思えないし、親父も俺のスーツを壊さないように手加減して殴ることなんてしなかっただろう? ――と、自明の理を説くように言う。

 

 つまり――この少年は。

 

 突如、唐突に現れた――黒い衣を纏った戦士の姿の両親に。

 凍えるような殺意を向けられ、お前は星人(バケモノ)だと理解不能な烙印を押され。

 

 一方的に強襲されて、殴られて、蹂躙されて――殺されかけている、その状況を。

 冷静に俯瞰して、分析して、検討した――その上で。

 

 ()()()と、そう冷めた真っ黒な眼で見詰めていた――と、そういうのか?

 

 ぞくっと冷気を生み出すその手に冷たいものを感じながら、陽光は唾を呑み込む。

 星人(バケモノ)が、陽光が誰よりも人間だと、そう称した少年に慄いている横で、晴空は再び息子に問い掛ける。

 

「つまり――お前は読んでいたのか? 両親(おれたち)が、息子(おまえ)を殺しにくるってことを?」

 

 父親が、母親が、自らの息子を殺しにくるという状況を――他ならぬ息子自身が、想定していたのかと、そう問う父親に。

 

 八幡は、目を逸らしてあげながら、再び淡々と、冷静に言う。

 

「……親父達がガンツ関係者ってことに驚いたのは、本当だ。……だが、小町はガンツ関係者じゃなかった。つまり、小町の死は隠せない。いずれ必ず知ることになる。……で、そん時は、間違いなく――」

 

――両親(アンタたち)は、俺を殺しにくるだろうと、そう確信していた。

 

 真っ暗に晴れ渡った夜空を見上げながら、八幡は真っ黒な瞳でそう言った。

 当然のことのように。自明の理だと、何の感慨も抱かずに。

 

 例え、八幡に対する記憶操作が行われ――両親が、八幡に関することを忘れたとしても。

 小町の死を知った両親ならば、()()()()()()()()として、八幡を探し当てたに違いないと――だからこそ。

 

 父親が、母親が、己を殺しに来るという未来を、息子は当たり前のように確信していた。

 

 その上で、八幡は――ここにきて初めて、僅かながらも確かな怒りを込めて言った。

 

「だが――まさか、あんな生温い殺意だとは思わなかったよ」

 

 八幡は、凍り付いた左手で、真っ直ぐに己の心臓を叩く。

 己が父親を、己が母親を睨み付けながら、黒く燃える怒りを込めてこう言う――どうして、もっと真剣に俺を殺そうしなかった、と。

 

「俺は――小町を殺したんだ。アンタ達の宝物を、ぶっ壊した張本人だ。なのに、アンタらは、明らかに俺を生かそうとしていた……っ」

 

 それぐらいの力の差はあった。

 八幡を殺すチャンスなどいくらでもあった戦争だった。

 

 なのに、確かな殺意を持って追い込む癖に、最後の一線には踏み込まない――まるで、怯えるように。

 この期に及んで、この両親は、一人息子と――向き合おうとしなかった。

 

「……正直、がっかりした」

 

 もしかしたら――と。この時、八幡は、自分がそう期待していたことに気付いて。

 顔を顰めた。唇を噛み締めた。自分の最も嫌いな自分が再び顔を出したことに。

 

 勝手に期待して、勝手に失望する――唾棄すべき醜悪さに、怒りが表情に出ることを堪え切れない。

 

「…………」

「…………」

 

 だが、その表情をどう受け取ったのか。

 

 顔を僅かに伏せる母親と、何も言わない無表情の父親に。

 

 八幡は顔を逸らしながら「……だから、何らかの理由があると思った」と、語り続ける。「何かしらの思惑があって、裏があって――こんな茶番をやってるんだと」と、言葉が強くなるのは、やはり我慢できなかったが。

 

「……初めは、それでもいいと思ったんだ。どんな茶番であれ、どんな温い殺意であれ……両親(アンタたち)が、俺を殺そうしていることは確かだったからな」

 

 この世で最も、自分を裁く権利がある存在。

 小町の死に最も悲しみ、小町の死に最も怒りを覚え、小町を殺した存在に最も殺意を抱く存在。

 

 そんな存在から殺されるというのは、もっとも己に相応しく幸せな(おわり)であると。

 

 茶番染みていることは否めないが――しかし。

 このまま終わりにしたいと。このまま死んでいきたいと、そう身を委ね掛けたことは事実で――でも。

 

「それでも――俺はもう、楽に死んでいい身分じゃない。少なくともアレは、こんな茶番で反故にしていい誓いじゃなかったから」

 

 俺は生きることにした――そう、八幡は言った。

 それは、真っ黒な瞳で、どうして自分をもっと真剣に殺さなかったと両親を睨み付けた男とは思えない程に――強く、冷たい、凍土のような硬質な決意。

 

 陽光は、そんな少年に悲しげな瞳を向けた。

 あの死にたがりな少年と、この生き抜く決意を表明する少年は、果たして同一人物なのだろうか。

 

(……きっと、そうなのでしょうね。どちらも確かに比企谷八幡――彼は、そう歪に壊れて、こんなにも歪に完成してしまった)

 

 生に執着する死にたがり――それもまた、英雄と呼ばれる少年には必要不可欠な素質なのかもしれない。

 

 そう思考しながら、陽光は晴空と雨音を見る。

 己が息子の歪んだ才能を見て、その両親は――何も言わず、ただ静かに見詰めていて。

 

 八幡は、そんな両親の方を見ずに続けた。

 

「生きると決めたからには、この茶番を生き抜く必要があった。その為には、この茶番がどういった目的で繰り広げられているのかを、見抜く必要があった」

「……目的、ですか?」

 

 陽光は思わず問い返す。

 次々に起こる理解不能な超展開にただ流されるばかりだったが、確かに、何の目的もなくこんなふざけたミッション紛いの殺し合いが行われたとは考えにくい。

 八幡の殺害が目的ではなかったのだとしたら、一体何の目的があって、こんな茶番を始めたのだろうか。

 

 思わず声に出して疑問を呈した陽光の方を見て、八幡は逆に問い返す。

 

「まず初めに聞いておきたいんだが、雪ノ下陽光。星人は他の星人の存在を、一目で見分けることが出来るのか?」

「……難しいですね。例えば寄生星人(わたしたち)ならば、ある程度の距離まで接近すれば同族の存在は感知できますが。擬態しているオニ星人などは、確実に判別できるとは言い難いです。ですが――」

 

 陽光は真っ直ぐに、晴空と雨音を眼で射抜きながら言う。

 

「――比企谷八幡さん。あなたは人間です。断じて私達のような化物ではない」

 

 それを……こいつ等は分かっている筈なのに……ッ――と。

 雪ノ下陽光は、未だにそれだけは許せないのか。

 晴空と雨音は陽光の殺意を受けても、何も言い返すことはしない。

 

 対して、八幡は。

 

「――まぁ、それはどうでもいいんだ。問題はそこじゃない」

 

 と、己が星人(バケモノ)呼ばわりされたことはあっさりと流して言う。

 

「問題は、親父達は俺を殺すことを、どうして『ミッション』としたのか。そして、ミッションの標的(ターゲット)として設定したにもかかわらず、どうして全力で殺しにかからなかったのか、だ」

 

 答えとして有効なのは、ミッションは形式的なもので、誰かに対してのパフォーマンスとしてそう設定する必要があった――というケース。

 

 その上で、親父達は、あるいは誰かは、何かを八幡に求めていた。

 

「親父達が俺に求めていることはすぐに想像がついた。……何せそれは、俺が何よりも求めていることだったからな」

 

 最も己を殺す権利を持つ者に――相応しい仇を討たれて死ぬこと。

 

 十八年間もの間、向き合うことが出来ずに、数々の宿命を背負わせ、自分と同じ地獄に叩き落してしまった息子に殺されること。

 

 それが、比企谷晴空と、比企谷雨音が、この戦争に求めていた――断罪であると。

 

「……ちょっと待ってください。だとすれば、このふざけた茶番は! この二人が、自分から殺される為に設定したミッションだというのですか!? 両親(じぶんたち)を……息子に殺させる為に!?」

 

 瞬間――陽光は、晴空と雨音を睥睨する。

 その余りに情けなく、安直で無責任な逃避を選択しようとした大人を軽蔑するように。

 

 晴空と雨音は、そんな瞳を受けても、何も言わずに目を合わせようとはしない。

 

――『……出来ない……わたしには……八幡を……好きな人を…………殺すなんて……出来ないよぉ』

 

 八幡は、昨夜の想い人にさせてしまった泣き顔を思い出し、己の首に小さく触れて、言った。

 

「……つまり、親父側の設定したクリア条件としては、俺が親父達を殺すことが可能性として挙げられる。……だが、それはつまり、親父達の目論見通りってことだ。そんなもんは、只の敗北と変わらない」

 

 この『試験』の『合格』ではあっても、個人的にはいつも通りの『敗北』だ。

 

「それに、たかだか俺程度の戦士を見極める為に、親父達クラスの戦士をみすみす殺させるか? さっき言った通り、俺は親父達はそれなりのポジションにいる戦士だと想定している。組織側にとっては明らかに釣り合いが取れていない。だからこそ、親父側とはまた別に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう感じた」

 

 晴空と雨音――『試験官(ハンター)』を『標的(ターゲット)』として返り討ちにする、のではなく。

 あくまで両者を生かした上で――徹底的に、勝利する。

 

 それが、晴空や雨音ではない、第三者が求める比企谷八幡のクリア条件である――と。

 

 雪ノ下豪雪は、そう淡々と語る比企谷八幡を、細めた目で見詰めながら思考する。

 

(……確かに、CIONとしては比企谷晴空と比企谷雨音を、たかだか『入隊試験』が必要な戦士の為に失うというのは損失でしかない。……そう言った意味では、比企谷夫妻(かれら)を殺した所で、戦士としての未来が比企谷八幡に用意されている保障などなかった。むしろ、危険な英雄(おや)殺しとして、今度こそ消されてもおかしくはなかった。だが――)

 

 雪ノ下陽光は、完全に傷を氷で塞ぎ終えて、八幡の顔を複雑な表情で見詰める。

 

(……黒火をその身で受けたあの状態で、あれだけの黒い殺意をその身で受けたあの状態で……殺さずに勝利するという、通常の戦争では殺害よりも遥かに難しいそのクリア条件を……何の正解の保証もないその勝利を目指したというの? そして、成し遂げたというの?)

 

 誰も殺さずに勝利する――ただし、誰よりも己が最も深い傷を負いながら。

 

 その姿は、その在り方は、まるで――。

 

「――どうだ? 親父」

 

 八幡は、自身の凍り付いた左手と、切断した右腕を一瞥して、己を見下ろす『試験官』に目を向ける。

 

「俺は――合格か?」

 

 黒曜石の如く、真っ黒な、それでいて鋭く尖った、その瞳を受けて。

 

 比企谷晴空は、息子殺しに失敗した元英雄は、新たな『英雄候補』たる息子を見定める役目を担った『試験官』は。

 

 ハッ――と、笑って。

 

 弄んでいた手の平サイズの黒球を放り――空中で静止した、その黒球に問い掛けた。

 

「――だ、そうだ。どうだ、俺のクソ息子は合格か?」

 

《CEO》――と、そう言った、晴空の言葉に。

 

「「――――ッッッ!!!!???」」

 

 雪ノ下陽光が、雪ノ下豪雪が絶句し、滝のような汗を流す。

 その様子を一瞥した八幡は、それだけで、その《CEO》たる存在が、それほどの存在なのだと理解する。

 

(………………CEO)

 

 CEO(最高経営責任者)と呼ばれる存在――晴空(おやじ)は随分と気さくに呼びかけたが、その役職名の通り、文字通りの“お偉いさん”ということか。

 

 世界を支配する組織の重役とは、すなわち、世界の支配者の一角ということだが――。

 

『――比企谷八幡』

 

 宙に静止した小さな黒球から、機械仕掛けの無機質な音声が、そう発声した。

 

 CEOというその役職名が文字通りの意味なら、文字通りの世界の支配者の一角が――あるいは、そのものが。

 

 己の名を――比企谷八幡という、個人名を呼称した。

 

「…………」

 

 その事実を、どう受け止めたものか――脳内で幾通りの可能性を模索しながら、表面上は一切の反応を見せず、無表情でただ黒球を見詰める。

 手の平サイズの黒球は、その向こう側にいる世界の支配者は、そんな八幡が見えているのかいないのか、無反応に委細構わずにこう続ける。

 

『見させてもらった。君の戦いを――君の可能性を』

 

《CEO》は、姿なき機械音声は、小さな黒い球体は。

 

 文字通りの、世界の支配者は、言う。

 

 比企谷八幡を――見せてもらった、と。

 

「……………………」

 

 比企谷晴空は――比企谷雨音は。

 雪ノ下陽光は――雪ノ下豪雪は。

 

 そして――比企谷八幡は。

 

 思い思いの表情で、思い思いの心情で、その言葉を聞く。

 

 黒い球体は――言った。

 

 

『無論、合格だ。我々は、君を大歓迎する』

 

 

 世界で最も黒い地位にいる、存在は言う。

 

『君のような英雄を、我々はずっと待っていた』

 

 その言葉と共に、天から一筋の光が降り注ぐ。

 

 真っ直ぐに、引きずり込むように、夜の闇から伸ばされたそれは――比企谷八幡に突き刺さっていた。

 

『ようこそ、後戻りの出来ない地獄へ。取り返しのつかない選択をした君を、我々は仲間と認めよう』

「……笑えるくらいブラックな上司だな。安易に就活なんてするんじゃなかったぜ」

 

 やっぱり専業主夫こそ至高だな――そう溜息を吐いた八幡は、最早慣れ親しんだといっていい己の身体が消失していく感覚の中で、死んだ魚のように瞳を腐らせながら言う。

 

「で? 俺はこれからどんな酷い目に遭わされるんだ?」

「お前はこれから『いつもの部屋』に送られる。そこで“彼女”とも合流できるだろうよ」

 

 酷い目に遭うのはその後だ――そう吐き捨てるように言った晴空の顔は。

 

「…………」

 

 八幡が初めて見るもので、八幡は小さく瞳を細める。

 

「――八幡」

 

 そして、その時。

 

 雨音が初めて、真っ直ぐに――八幡を見詰めて、言った。

 

「……私達も、すぐに行くわ」

 

 だから、待ってて――と。

 

 瞳を潤わせ、揺らし、震わせる――母に。

 

「…………あぁ」

 

 と、顔を逸らしながら答える。

 

 そして、逸らした先にいた陽光に――消える間際、八幡は。

 

 一瞬のみ逡巡し――無数の言葉を呑み込んで。

 

 ただ一言、顔の半分をなくした状態で、言い残す。

 

 もう二度と訪れない、日常の世界に――遺言を残す。

 

「――雪ノ下達を……どうか、頼む」

 

 

 そして、比企谷八幡は。

 

 生まれ育ち、愛し尽くした千葉の地から。

 

 世界で最も黒い闇の中に、影も形も残さずに消え失せた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして――黒く燃えた雪ノ下邸の庭に降り注いだ光線と共に、消え去った比企谷八幡に。

 

 日常への遺言を託された雪ノ下陽光は、静かに瞑目しながら言葉を心中で返す。

 

(……確かに、受け取りました。あなたが守りたかったものは、私達が守ります。……だから――)

 

 これから彼はきっと今までいた地獄が真っ白に感じるような、黒く澱んだ闇の中に堕ちるのだろう。

 身も心もズタボロにされ、何度も死に掛け、何度も死にたいと願わされた、これまでの地獄が楽園に感じるような、そんな戦争に身を投じ、心を放るのだろう。

 

(――どうか、死なないで。そして、願わくば――)

 

 きっと、雪ノ下陽光という星人(バケモノ)ですら、想像を絶するような地獄へと――そして。

 

 恐らくその隣には、きっとあの子もいる筈だ。

 あの子はきっと、例えどんな地獄だろうと、彼の隣を手放さない。

 

 そう確信できる――あの子は、『雪ノ下陽光』の娘だから。

 

『雪ノ下陽光』に、そっくりな――自慢の娘だから。

 

(――陽乃を、どうかよろしくお願いします)

 

 雪ノ下陽光は、そう、星に願うように、真っ暗な夜空へと祈った。

 

 そして――そんな陽光を余所に、昏い声が真っ暗になった雪ノ下邸に響いた。

 

「――で? どうだ、《CEO》さんよぉ。満足か? あれが俺の息子だ」

『ああ、実に満足だ。流石は君の、君達の息子だ』

 

 私の目に狂いはなかったと、そう確信出来たよ――と、無機質に紡ぐ機械音声に。

 

 ぎりっ、と。

 明確に聞こえた――歯を食い縛る音。

 

(――っ!? まだ、《CEO》との通話は――いえ、それよりも……今のはまさか、比企谷晴空が――ッ!?)

 

 雪ノ下陽光は、未だ《CEO》がこの場を見ているという緊張感を忘れて、衝動的にその方を向いた。

 

 それほどまでに衝撃的だった。

 常に飄々と不愉快に笑い、こちらを全て見透かすような不気味な眼差しを絶やさない、あの比企谷晴空が――音が聞こえる程に、歯を食い縛ったという事実が。

 

 陽光の位置からは晴空の表情は伺えない。雨音も、その小さく震える背中しか見えない。

 

『安心しろ。彼を英雄として偶像化させ、希望の象徴のように扱わせるつもりはないさ』

 

 そういった役割を負う英雄は、既に小吉達が用意してくれた――と、《CEO》は、そう言った。

 

『小吉達は実にいい仕事をしてくれた。そして、君達も。持つべきものは戦友ということだな』

「駒の間違いだろ。俺らはお前の、チェスの兵隊(コマ)ってか」

 

 ハッ――と、晴空は吐き捨てる。

 

 強く、激しく――何かを込めて。

 

『私は君達を信頼しているさ。だから、こうして君達の我が儘を聞いてあげただろう』

「………………」

 

 確かに、比企谷八幡の『入隊試験』を私物(ミッション)化出来たのも、晴空や雨音というCIONでもトップクラスの稀少戦士を『試験官』として派遣させたのも、《CEO》というCIONの最高幹部であり、№2であり、事実上の運営責任者(トップ)である存在の許可があってこそだ。

 

《CEO》直轄部隊リーダーという立場にある晴空が、息子に殺されて自殺するには、どうしても《CEO》の許可を得ることが必要だった。

 故に、《CEO》が一目見るまでもなく一目を置いていた、『比企谷八幡』の英雄の資質を確かめるという理由付けの元に、此度の番外戦争が行われたのだ。

 

 そして、結果としては――《CEO》の一人勝ちだった。

 八幡は、晴空と雨音の息子は、両親の目論見を見破り、思惑を超えて、身勝手な自殺を防いだ挙句、《CEO》が満足する程の資質を見せつけた。

 

「……お前は、本当に――八幡が、世界を救うと思うのか?」

 

 晴空は、そう力無く、黒球に向かって呟いた。

 

 それは醜い足掻きのようでもあったし、切なる願いでもあった。

 どんな言葉を期待したのかは分からない。だが、期待通りの言葉が来る期待など、まるで持たずに放たれた言葉だった。

 

 果たして、《CEO》は、こう答えた。

 

『英雄は、一人とは限らない』

 

 世界を救う、地球を守る、光を打ち砕く奇跡を起こす、たった一人の【英雄】を探し求めた十年間。

 その大前提を覆す発言をした、世界を征服し、世界を救うことを目的として作り上げられた組織のトップは、共に戦い続けてきた戦友に言った。

 

『確かに、我々が観た『予言』では、【英雄】はたった一人で立っていた。だが、あの【英雄】があの場所に辿り着くまでに、果たしてどれだけの“英雄”が必要になると思う?』

 

 第一次カタストロフィにおいて。

 あの『黒い球体の部屋』に、《天子》が、《CEO》が、そして晴空が辿り着く為に。

 雨音が、結愛が、小吉が、一郎が――どれだけ数多くの英雄が尽力し、どれだけ無数の奇跡を起こし続けたか。

 

 あの『真理』との面会が、どれほどの奇跡の結晶であったか、忘れたわけではあるまいと。

 そう、今では数えるほどしか残っていない戦友達と乗り越えた、あの運命られた終焉の日を、思い返しながら述べる《CEO》に。

 

「………………」

 

 晴空は、雨音は、闇の中に表情を隠しながら、その言葉を聞く。

 

『世界を救う英雄。故国を守る英雄。民衆の期待を背負う英雄。希望の象徴たる英雄。数多くの英雄が生まれるだろう。真なる終焉の日に向けて、英雄は多いに越したことはない』

 

 そして――その中の、たった一人。

 

 世界を救わなくても。故国を守らなくても。

 民衆の期待を背負わなくても。希望の象徴になれなくとも。

 

『英雄の中の英雄でなくてもいい。救世の英雄にも、護国の英雄にも、希望の英雄にも出来ないことを、たった一つ出来る無名の英雄が――【英雄】となるのだと、私はそう考えた』

 

 全てを備える完璧な英雄など存在しない。

 あの神々(こうごう)たる光を打ち砕くのは、何も出来なくとも、誰にも出来ないことを成し得る、そんな異常な英雄なのだと。

 

 晴空と共に、その身で『予言』を浴びた男は、そう――予言した。

 

 光輝く英雄では、あの光は超えられない。

 神々たる光を乗り越えるのは、神に嫌われた闇を纏う英雄なのだと。

 

『そして――だ、晴空よ』

 

 仮面の英雄は――その仮面を脱ぎ捨てて。

 

 機械により変えられた声ではなく、雪ノ下陽光と雪ノ下豪雪(星人)が聞いているのを承知の上で。

 本当に限られた戦友しか聞いたことのない、その荘厳なる色の肉声で。

 

 ()()()()()として、こう、友に向かって言った。

 

「彼は、我が友の息子は、そんな【英雄】となるに相応しいと――そう心から信頼している」

 

 神様というものに嫌われていても。世界というものにも嫌われていても。

 民衆に受け入れられなくとも。何の希望にもなれなくとも。誰にも期待などされないとしても。

 

 真っ白じゃなくて――真っ黒でも。

 綺麗じゃなくて、腐っていても。

 光など放たず、闇に纏わり憑かれていたとしても。

 

 だから――こそ。

 

 誰にも見えない場所で。何も聞こえない場所で。

 誰にも知られない戦いでも、何の期待もされていない奇跡を起こすと。

 

 神の如く神々しい光にも呑まれない――強く、美しい、闇になれると。

 

「……………………………」

 

 そんな――友の希望を聞いて、晴空は。

 

 ただ背中を震わせ、拳を握り、歯を食い縛る。

 

 そして、ただ、乾いたように――力無く、笑う。

 

「……………………ハッ」

 

 己の無力さに、絶望するように。

 

『――役者は、揃った。舞台も、整った。後は、(ページ)を進めるだけだ』

 

 声は――再び、機械音声に戻り、《CEO》は淡々と言葉を紡ぐ。

 まるで、台本を読むように。台本を読み進めるように。

 

『全ては、200日後――真なる終焉の日にて繋がる伏線だ。消化しなくてはならないフェーズも残っている。君達の力も必要となるだろう。我々の戦いはこれからだ』

 

 まだ、最終回とはいかないのだ、友よ――と、全てを終わらせることに失敗した敗北者達に、そんな言葉を言い残し、宙に浮いていた黒い球体は落下した。

 

 比企谷八幡が消失し、《CEO》も音声を切断し、その場を奇妙な沈黙が満たす。

 

「…………あぁ~。負けた負けた。惨敗だぜ」

 

 そんな沈黙を破るように、晴空が癖のある黒髪を掻き毟り、そう吐き捨てる。

 立ち上がり、そんな男の表情がはっきり見える場所まで近づいた陽光は、「あぁ?」と振り向いた晴空を――パァン! とビンタした。

 

 戦争が終わった戦場に、気持ちのいい程に響き渡ったそれに。

 豪雪は僅かに目を見開き、雨音は何も言わずに瞳を細め――晴空は。

 

 醜悪に笑い、いつもの見る者全てを不愉快にさせる笑みを浮かべて、陽光を見遣った。

 

「随分と冷たい眼差しと張り手だな。思わずゾクゾクしちまうぜ」

「黙りなさい。……この、」

 

 クズ――そう、雪女の極寒の軽蔑の表情を、陽光は晴空に向ける。

 

 晴空は、打たれた頬から冷気の煙が昇るのにも委細構わずに、ただ不快な笑みを崩さない。

 

「クズだクズだとは思ってはいたけれど……まさか、ここまでのクズだったとはね」

「ハッ。お前からの評価なんてとっくに最底辺だと思っていたが、思ってた以上に下がる余地があったくらいには好かれてたんだな。モテる男は辛いぜ」

 

 パァンと、再び放たれる華奢な右手。

 晴空は、打たれままの姿勢で、だが笑みを崩さない。

 

「……あなた、どうするつもりだったの?」

「…………何がだ? ついさっき黙れって言われたばかりなんだがな?」

「いいから答えなさいッ! その不愉快な笑みを消して、本当のことだけを話しなさい!」

 

 それは俺に死ねということか――と、呼吸するようにペテンを織り込む習性を持つクズは、だが、その言葉を放つ前に、陽光に咬み付かんばかりにこう問われる。

 

「あなた――もし」

 

 雪女の眼差しが、雪女の殺意が、真っ直ぐに比企谷晴空に向けられながら、切っ先を突き付けるように言う。

 

「八幡さんが、あのまま殺されることを選んだら――どうするつもりだったの?」

 

 比企谷八幡は、殺されかけた息子は言っていた――生温いが、その殺意は確かに本物だったと。

 

 雪ノ下陽光も同意見だった。

 あの親子喧嘩での、親子殺合でのこの男の殺意は、比企谷晴空が向ける比企谷八幡への殺意は、間違いなく本物だった。

 

 八幡の傷の治療をしていた陽光には、それが如実に感じられた。

 自ら切り落とした右腕はともかく、自ら矢を受け止めた左の掌はともかくとして。

 

 その他の種々雑多な掠り傷の数々――それには紛れもなく、本物の殺意の残滓があった。

 一歩間違えれば、一寸でもズレていれば、容赦なく致命傷に成り得た程の。

 

 八幡の回避もあっただろうが、それはこの男が致命傷を避けていたのだろう。だが、何かの間違いがあれば、何かのイレギュラーがあれば――そう思える程に、鋭いその傷跡は。

 

 殺しても構わないといった殺意の元に繰り出された攻撃であることを物語っていた。

 長年、黒衣の戦士と戦い続けてきた陽光に、それが分からない筈もなかった。

 

 もし――八幡が敗れていたら。もし――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あの時、比企谷八幡が、生きることを止めて、死に逃げることを選択していたら――その時は。

 

「その時は、小町の仇を討っていたさ。八幡を殺し、解放していた。その未来は、十分に有り得ただろうな」

 

 パァァン! ――と、これまでで最も強い張り手が振るわれる。

 

 息を荒げる陽光の声だけが、辺り一面に小さく響き、豪雪と雨音は何も言わず、晴空は――。

 

「この――クズッ!!」

「……あぁ。何だよ、今更気付いたのか?」

 

 いっそ開き直るように、俯く陽光を、顎を上げて、天を向いて、見下す。

 晴空は、晴れ渡った夜空を見上げながら、感情の読めない言葉を紡ぐ。

 

「――死にたがってる逃避野郎が生き残れるような、地獄じゃねぇんだよ。……カタストロフィは」

 

 ここで死に逃げるようなら、遅かれ早かれ、どうせ死ぬと。

 かつて第一次カタストロフィを生き残った英雄は、息子に殺されたがっていた死にたがりのクズは、そう夜空から雪女へと視線を移しながら言った。

 

 そこには、見る者全てを不愉快にさせる笑みはなく、ただ小さい微笑みがあって。

 陽光は、その笑みが、何故か無性に癇に障った。

 

「――ッ! ……なら、もし、八幡さんが、あなた達を本当に殺していたら?」

 

 もし、比企谷晴空と比企谷雨音の、目論見通りに事が進んでいたら。

 もし、クズの父親とモンスターな母親の思惑通り、息子が両親を殺していたら。

 

 つまり――お前達の、当初の計画通りに自殺に成功してたら、一体どうするつもりだったのかと。

 

「あの『比企谷晴空』と『比企谷雨音』を――元英雄の両親を殺した息子を、CIONが快く歓迎していたと、本気でそう思っているの? 彼の言う通り、あくまで『入隊試験』が必要な程度にしか期待されていない戦士が、カタストロフィの英雄の首を手土産にやってきたら……待っているのは、それこそ地獄よ」

 

 英雄殺しにして、親殺し。

 彼等が求める【英雄】としての資質としては、余りに大きすぎる(スキャンダル)を持つ、中途半端な戦闘力の戦士。

 

 そんな戦士(キャラクター)が人気を博するとは思えない。むしろ、いつも通りの迫害が待っているに違いない。

 

「もし、そうなっていたら――あなた達は、親として、一体どう責任を取るつもりだったの?」

 

 息子を自殺に利用した親として、残された天涯孤独な息子に、いったいどんなケアを用意していたのかと、そう問う雪ノ下陽光に。

 

 比企谷雨音は、唇を噛み締めて陽光から目を逸らし。

 比企谷晴空は、不敵に微笑み、とんと――雪ノ下陽光を指差して、言う。

 

「――お前だよ。雪ノ下陽光」

 

 瞠目する雪ノ下陽光に――瞠目する雪ノ下豪雪を無視して――ただ雪女の瞳だけを見詰めて、比企谷晴空は言う。

 

「息子に殺された俺達は、息子を置き去りにした俺達は、行き場のない息子を、地獄へと放り込まれるであろう息子を――お前に託すつもりだったんだ。雪ノ下陽光」

 

 自分勝手に身勝手に、クズでモンスターな決断をした晴空と雨音は。

 全て投げ出し、全てを置き去りに、全てから解放され――死へと逃げた後。

 残された責務を、親としての責任を、雪ノ下陽光という寄生(パラサイト)星人に丸投げすることを目論んでいたと。そういう目論見で思惑だったと。

 

 呆然とする陽光に、晴空は尚も微笑みながら言う。親として最低極まりない無責任な計画を明かす。

 

「何の為に、ここに結愛を連れてきてないと思ってんだ?」

 

 由比ヶ浜結愛(ゆあ)

 比企谷晴空、比企谷雨音という英雄夫婦を語る上で欠かすことの出来ない最強のパートナー。

 

 この三人は三人揃ってこそ真価を発揮し、この三人を纏めて相手にして生き残った星人はいないとすら言われる――彼女もまた、紛うことなき英雄戦士。

 

 確かに、由比ヶ浜結愛もまた、陽光ら寄生(パラサイト)星人との交渉役を仰せつかっている筈の戦士だ。ここにいてもおかしくはない――が、いなくてはおかしい程ではない。雨音一人というのはなかったが、晴空や結愛が一人でやってくることも少なくなかった。グリフィンドール生ではあるまいし、常に三人揃っていなければおかしいというわけではない。

 だが、今回の来訪に至っては、由比ヶ浜結愛を外したのは――紛れもなく、故意だったと。

 

(……確かに、この二人の目的が息子に殺されることによる自殺だったというのならば、彼女は連れてこられないだろう。あの“正義の味方”が、例え親友だろうと――いや親友だからこそ、こんなふざけた自殺を看過する筈もない)

 

 ここに彼女がいれば、間違いなく止める筈だと、そんな確信を抱く陽光に対し――正解だと告げるように、晴空が口元を歪ませ、言う。

 

「結愛には、お前の娘の方の『入隊試験』の『試験官』を任せてある。姪馬鹿なアイツのことだから、多少のいじわるはするだろうが――多めに見てやってくれ。アイツはクズでもなければモンスターでもねぇ。俺らみたいなことはしねぇよ」

「……陽乃ならば、それが原理上不可能でなければ、どんな試験でも問題なく突破するでしょう。問題ありません」

 

 ハッ、親馬鹿はここにいたか――と、晴空は肩を竦めて笑うが、陽光の逸れない眼差しが話が逸れることを許さず、晴空は語りを再開する。

 

「……お前のことだ。八幡が俺達を殺したとする――すると、直にその危うさに気付くだろう。そして、“上”と交渉できる存在である、結愛と間違いなく連絡を取る筈だ。……まあ、さっきので分かってると思うが、《CEO》はこの『入隊試験(ミッション)』を見てたからな。俺らを殺しても、八幡は『部屋』には転送されないようになってた」

 

 そして、この場にいない結愛は、晴空と雨音が殺されたという報告を受けたら。

 唯一無二の親友夫婦が、実の息子に殺害されたという訃報を受けたら――果たして、一体どうするだろうか。

 

「決まってる――()()さ。結愛は、八幡に対して色々と複雑な感情を抱いているようだったが、例え内心にどんな感情を抱いても、アイツは八幡を守ろうとする。俺らの息子だから、それだけの理由でな」

 

 そんな『正義の味方』なんだ――と、晴空は言う。

 例え、心の中ではどれだけ禍々しい殺意が荒れ狂っていようとも――由比ヶ浜結愛は、それを噛み殺しながら、親友を殺した親殺しの息子を守り続けるだろうと。

 

「……………ッッ」

 

 雨音は己を爪立てながら左腕を掻き抱く。

 たった一人の親友に、この世界でたった二人の――『本物』の関係を築いたと胸を張って言える存在に、そんな思いをさせることを計画に入れていた自分達に対する軽蔑が止まらない。

 

 ハッ――と、笑うことすら、晴空には出来なかった。

 

「…………確かに、そんな事態になれば……私なら。八幡君をそのまま本部には行かせなかった。……そして……様々な危険性(リスク)を考慮した上で――由比ヶ浜結愛に、連絡を取っていたでしょうね」

 

 八幡が黒衣の戦士である以上、CIONからはいつまでも逃げ果せるものではない。

 そして、交渉するならば――例え、漆黒の殺意を抱かせることになろうとも、彼女の友情を、そして彼女の正義感を、利用することを考えただろう。

 

 由比ヶ浜結愛ならば、比企谷八幡を殺すことはしない。そして、《CEO》と直接交渉できる立場にいる。

 

「アイツには――《CEO》には、もし俺らが殺されたら、八幡には寄生(パラサイト)星人の所に潜伏させるということを約束させてあった」

 

 つまり、雪ノ下陽光から交渉の要請さえあれば、後は勝手に《CEO》がやってくれる手筈となっていた訳だ――全ては整備されていた。晴空と雨音によって。

 

「……あの《CEO》が、何でそこまで――」

 

 たった一人の、半年前に極東の島国の黒球に無作為に選ばれたに過ぎない一戦士に。

 

 怒涛の戦果を挙げたわけでもない。卓越した戦闘力があるわけでもない。

 特異な能力を持っているわけでもない。潜在する可能性を秘めているわけでもない。

 

 どこにでもいる普通の高校生である比企谷八幡という戦士を、どうしてそこまで贔屓するのか。

 

 世界を征服する組織を支配する男が、どうして――。

 

「……さぁな。それだけは、俺も分からん」

 

 比企谷晴空の息子だから――《CEO》はそう言っていたが、果たしてそれが真実なのかも分からない。

 実の親にも分からない、気付いていない何かを、八幡に見出しているのか――それとも。

 

 あの日――運命られた終焉の日に。『真理』に見せられた、真なる終焉の日の【英雄】に関する『予言』。

 

 たった三人――《天子》と、《CEO》と、そして晴空だけが見せられた『予言』。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……虹鳴は、俺とは違う、何かを見せられたのか?)

 

 もしかしたら――《天子》も。

 

「………………」

 

 晴空は、薄暗く、見通しが悪くなってきた夜闇の中を――既に転送されているであろう、《天子》のお気に入り戦士がいたであろう方向を見遣ると。

 再び陽光に向き合い「――だが、アイツが八幡を、やたらめったら買い被ってるのは確かだ」と、肩を竦めて言う。

 

「アイツは運命論者で傍観主義者だ。奴の計画(プラン)に致命的なズレが生じなければ、何もしてこないだろうと踏んだ。八幡を買ってることは確かだから、GANTZによる生命維持は継続させるだろうしな」

 

 だが、ガンツ装備を提供されなければ、戦士など只の人に過ぎない。

 故に晴空は《CEO》に、もう一つの提案をしていた。

 

「八幡は、寄生(パラサイト)星人――お前らの懐に侵入させる『星人側潜入諜報員』として送り込んだ、という体で処理されることになっていた」

 

 逃亡兵ではなく、潜入兵――つまりは、正式なミッションとして、星人側に身を置いているのだと、そう書類上処理することになっていた、と。

 

「……つまり、スパイということ?」

「ああ。別にCIONとしては珍しいことじゃない。同盟星人の監視役として送り込まれることもあれば、秘密裏に人間に擬態する星人の組織に紛れ込ませることもある」

 

 お前らも、まさか寄生星人(じぶんたち)だけが、同盟星人(とくべつあつかい)だと思ってたわけじゃないだろ? ――と、晴空は嘯く。

 

 陽光は険しく晴空を見据えながらも、無言の肯定を返す。

 晴空はそれを確認し、再び大仰な身振りをしながら、語る。

 

「――どうせ、半年だ。半年経てば、世界の勢力図は崩壊し、全ての組織は解体される。それはCIONも例外じゃない」

 

 CIONの中には、半年後の世界滅亡のその後で、CIONが表舞台に支配を表立って広げるだろうという憶測の元、必死に組織内の権力争いに精を出し、滅亡後の世界に置いての地位を高めようと努力を勤しまない者達もいるが――晴空からすれば、それこそ無駄な努力だと嘲笑う。

 

 他の幹部連中がどんな思惑を抱いているのかは知らないが――少なくとも。

 

 あの《象徴》と、あの《端末》は、そんなことはまるで考えていない。

 

 全ての勢力が崩壊する。全ての組織が、全てのパワーバランスが崩壊する。

 それは、滅亡後の世界の主義を統合するという名目で設立された組織――CIONも例外ではない。

 

 CIONは、あくまであの二人の目的の為に作られた、手段に過ぎない――それに気付いている人間は、果たしていったい、どれだけいるのか。

 

「――つまりは、これが俺達の計画だった」

 

 ハッ、と笑いそうになるのを堪え、晴空は陽光に言う。

 逸れそうになってしまった話題を強引に引き戻し、己が自殺計画を自供する。

 

「俺達は、八幡に自分達をぶっ殺させるように仕組んだ。それがアイツをどんな立場に置くことになるか、十二分に理解した上でな」

 

 世界を救った元英雄。

 組織内でも独特の立ち位置にいる伝説級の戦士を殺させる――それはつまり、英雄殺し、親殺しのレッテルを張られることになるということ。

 

 それを理解していて尚、自分達が楽になりたいがために、息子に手を汚してもらうことを選択した。

 

 ただ、相応しい存在に、相応しい仇を討って欲しいが為に。

 

「その後のアフターケアは、結愛と寄生星人(おまえら)に丸投げすることにした。『星人側潜入諜報員』として送り込んだ体にして、カタストロフィまでの半年間の時間を稼いでもらうことにした」

 

 下手をすれば、英雄(おや)殺しとして処分されかねない八幡の身を、宿敵たる寄生(パラサイト)星人に匿ってもらうことにした。

 親友殺しの少年戦士を、それでも親友の息子だからと殺意を抑えさえるといった地獄の所業を結愛に課し、怨敵たる戦士の息子をこれまで数々の屈辱を与えてきた陽光に科そうとした。

 

「カタストロフィまで待てば――後は自由だ。どうせ全ての組織、機関が機能しなくなる。CIONも同様だ。八幡も、そして寄生星人(おまえら)も、好きなようにすればいい。誰もお前らに構うものはいない。皆、自分のことで精いっぱいになるからな」

 

 これが俺達の素敵な自殺計画の全容だ――と、晴空はドヤ顔で言った。

 色んな人間に、色んな星人に押し付けるだけ押し付け、自分達は全てから解放されて楽になるという、クズでモンスターな傍迷惑極まりない犯行計画。

 

「お前にはさぞ面倒だったろうが、それでもお前らなら、俺の息子を有効利用してくれると思ったんだよ。悪い話じゃなかった筈だ」

 

 例え、CIONという枠組みから外れようとも。

 寄生(パラサイト)星人という独特な星人組織に身を置くことになろうとも、雪ノ下陽光という星人の元でなら、比企谷八幡という社畜戦士はカタストロフィを乗り切ることが出来る筈だと。

 

 そう、この父親は、母親は――育児放棄した。

 

「俺の息子は、使えるぜ」

 

 バチンッッ!!! ――と。

 陽光は、肩を震わせ、息を荒げながら、晴空の頬を渾身の力で振り抜いた。

 

 晴空を叩いた手を、震えるその手を握り、瞳を濡らして――陽光は、漏らす。

 

「………この………クズ…………っ」

 

 そして、バッと振り向き、俯く雨音を見遣る。

 

「……なによ………なんなのよ、ソレ………なんでそんな、モンスターになれるの?」

 

 雪女は――涙を流す。

 冷たく、温かい、頬を伝う涙に――晴空は、思わず、目を見開く。

 

「――――最低…………ッ」

 

 雪ノ下陽光は、震える声で、掠れるように漏らした。

 お願いだから――そんな化物のようなことは、しないでくれと。

 

 誰よりも人間だと、そう信じた戦士の――両親に言った。

 

「…………あなた達は、親でしょ?」

 

 そう――星人は、懇願する。

 誰よりも己が化物だと自覚し、誰よりも己は人間にはなれないと痛感した化物は。

 

「親は、子供を幸せにする為に生きなくちゃダメなの!! 子供を幸せにする為にしか、死んじゃダメなのよ!!」

 

 かつて娘を殺し、その生命と身体を略奪した化物は、そう人間に絶叫する。

 

 己の所業を棚に上げて、涙を流し、心を震わせて。

 頼むから――お願いだから――後生だからと。

 

 かつて死んだ身体で。己が殺した娘の、身体で。

 どうか――こんな化物(モンスター)には、ならないでくれと。

 

 人間に――希う。

 

「…………お願い……だから――」

 

 陽光は、晴空の身体にしがみ付いて。

 そして――真っ直ぐに見上げて、眼前に己が顔を突き付けて。

 

 晴空は、その雪の結晶のように透き通った眼を、突き付けられて。

 

「…………子供に、守ってもらうのは……止めなさいよ。……情けないとは思わないの?」

 

 太陽のように眩しい化物(モンスター)は、暗闇のような昏い瞳の人間(クズ)に、言った。

 

「親なら!! 子供の生命を守る為にッッ!! その生命を使いなさいッッ!!」

 

 化物は言う。化物は怒る。

 感情を爆発させ、激情を迸らせ、情けない親を叱咤する。

 

 そんな化物を――晴空は。

 

 皮肉な笑みではなく――慈しむような、微笑みで。

 

「………………やっぱり、“当たり”だったな。お前は」

 

 ボソッと、そう呟く。

 陽光が眉根を寄せて、その聞こえなかった言葉を問い質そうとすると。

 

「――っ!?」

 

 雨音が、晴空の妻が、グイッと晴空と陽光の間に入り、距離を開けた。

 無言で睨み付ける雨音に苦笑を返した後、晴空は陽光に向かってこう言う。

 

「……耳に激痛が走るお話ありがとうとよ、寄生(パラサイト)星人。……安心しろ。俺らのふざけた計画は、あのクソ息子にご破算にされた。アンタ達に迷惑は掛けねぇよ」

 

 これまで通り、時々俺らが美味い紅茶を飲みに来るだけだ――と、飄々に嘯く。

 

「今まで通り、仲良くしようぜ」

「まるでこれまで私達が仲良くしていたみたいな言い方をするのは止めてくれるかしら。不快でしかないわ」

 

 陽光がそう晴空の軽口をバッサリと両断すると、晴空はあの不快な笑みを浮かべながら「おいおい、いいのか、そんなことを言って」と陽光の顔を覗き込んできた。

 

「…………何かしら?」

「当然、お前も知っているのよな? 俺んとこのクソ息子と、アンタんとこの長女ちゃんが、随分といい仲になってることを」

 

 そう言われ、陽光はギョッと硬直する。

 晴空は攻め所を見つけたとばかりに目を輝かせる。

 

「おたくの娘さんは随分とまあ男の見る目がないとは思うが、おかげさまでウチの捻くれ野郎を貰ってくれそうで助かったぜ。だが、するとつまり、あの二人が結婚すれば、俺達は親戚となるわけだが、そこんところはどうお考えで? ん~?」

 

 この男――ッ、と、陽光は歯を食い縛らんばかりに、晴空を睨み付ける。

 

 娘に――孫娘に。

 陽乃に幸せになって欲しいと願うのは、陽光の確かな本心だ。

 

 雪乃と陽乃の幸せだけを願って陽光は今日を生きているし、娘達の幸せの為ならば明日にでも死ぬ覚悟は――この体を手に入れたその日から、陽光はずっと胸に抱いて生きている。

 

 比企谷八幡という男の子についても、陽光としては何の不満もない。

 だが、この男が余計だ。付録としても無用。おまけでついてきたらそのままゴミ箱に捨ててしまいたい程にいらない。

 

 どうしたものか――と、表情を歪ませて、真剣に懊悩する陽光に。

 

「………………」

 

 先程の皮肉気な笑みではない、どこか優しさすらも感じる眼差しを向ける晴空――の耳を、雨音は強く引っ張った。

 

「イタタタタタタタ!! ちょっと雨音さん!? 引っ張るのは最悪良しとしても爪を食い込ませるのは止めていただけるとイタタタタタ!!」

「……いい加減にしなさい。これ以上、あの子達を待たせるわけにはいかないわ」

 

 あれ? 血出てない、血? と耳を押さえている晴空の頭頂部に電子線が降り注ぐ。

 そして晴空は、そのまま陽光に振り向き、自身を睨み付ける陽光に対し、――ハッ、と、笑いながら言った。

 

「ま――こうして死に損なった以上、これからも顔を突き合わせることもあるだろう。未来の親戚として、色々と付き合ってもらうぜ」

 

 今からでもこの男だけ未来予想図から消し去れないだろうかと、半ば真面目に殺害計画を組み立て始める陽光に。

 

 晴空は、晴れ渡った笑顔で言った。

 

()()()()もよろしくな。カタストロフィでは、頼りにさせてもらう予定だから」

 

 そう言い残して、晴空は雪ノ下邸の庭から姿を消した。

 

「……………………」

 

 残されたのは、二人の母親と、一人の父親未満の化物。

 

「…………さて。じゃあ、私も行くわ。お邪魔したわね」

 

 そう言ってすぐに、雨音の頭頂部にも電子線が降り注ぐ。

 

「………………ねぇ、比企谷雨音」

 

 雪ノ下陽光は、初めて出会ったその瞬間、比企谷晴空と犬猿の仲になった。

 というよりも、陽光が一方的に晴空のことを蛇蝎の如く嫌い、晴空がそれを面白がって煽るという関係だが――それ故か、あまり陽光と雨音は言葉を余り交わさない。

 

 結愛は晴空とはまた別の意味で図太くコミュ力の化物なので、陽光とはまた独特の関係を構築してはいるけれど、だからこそ、結愛と共に訪れた時は結愛が陽光の相手をし、決して雨音一人では雪ノ下邸を訪れたことはなかったので、陽光と雨音の関係は、未だ形容しがたく冷え切っている。

 

 そんな雨音に対し、陽光は冷たく言う。

 

「――母親になりなさいよ」

 

 あの男は、父親は、クズなりに、生命を懸けて息子と向き合った。

 

 ならば――次は、モンスターの、母親の番だろうと。

 

「あなたはモンスターよ。自分の都合で息子から逃げて、娘に逃げて――死に逃げて。何も見ようとしない。その眼鏡は飾りなの?」

 

 何も見ようとしない者に、何もかもから目を背けている母親に、そんなレンズは必要ないと。

 むしろ――そのレンズこそが、視界を――世界を、歪めて見せているのではないかと。

 

「裸眼で向き合いなさい。ありのままを見なさい。そして、しっかりと――母親になりなさい」

 

 あなたは――と。

 冷たく、静かに――血を吐くように、己にも突き刺さる言葉を放つ。

 

 目の前の、妬ましく、羨ましい――自分が燃える程に、己が体を溶かす程に欲しかった、その全てを持っている女に。

 自分がなりたくてなりたくてなりたかったものになれたくせに、その全てを放り出そうとした、殺したい程に憎らしいモンスターに。

 

「あなたはモンスターよ――だけど、人間なのだから」

 

 私と違って――人間なのだから。

 そう、冷たく、言い放つ雪女に。

 

 雨音は、消失する間際、こう言葉を――小さく、返した。

 

「――るっさい。ばーか」

 

 この人間(モンスター)め――と、不貞腐れたように。

 

 言われなくても分かっているとばかりに、顔を顰めて耳を擦りながら、比企谷雨音は消失した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、すっかりと暗くなった雪ノ下邸には、雪ノ下家の人間だけが残った。

 

「――都築」

「はっ。こちらに」

 

 陽光の呼び掛けと同時に背後に姿を現した都築に、陽光は目を向けずに淡々と言う。

 

「――あの二人は?」

「……比企谷晴空と比企谷雨音が来襲した直後、比企谷八幡がこちらに向かったのを確認し、私は霧ヶ峰霧緒と……(けい)がいる中庭へと向かいましたが――」

 

 都築は、薄闇の中で膝を着き、頭を垂れながら語った。

 

 

 

 突如として、雪ノ下邸の一室から、広大な庭へと伸びた二筋の電子線。

 

 そして、そこから現れた男女の黒衣の戦士と、比企谷八幡が向かい合う光景に。

 

「…………なるほど。そういう展開か」

 

 涼しい微笑みで――けれど、どこか冷たい眼差しで、その親子喧嘩を眺めるのは、霧ヶ峰霧緒。

 人目に付かない中庭で、自分と瓜二つのパーカー少年と向き合う黒衣の戦士は、木の幹に背を着けて言った。

 

「――で? 僕の相手は君なのかい?」

 

 霧ヶ峰霧緒と同一容姿の寄生(パラサイト)星人――朧月継(おぼろづきけい)は。

 

 無風にも関わらず木の葉を揺らしているかのような殺気を放つ美しき鬼の眼差しに――ごくりと唾を呑み込み。

 声を震わせないように細心の注意を払いながら「……いや、違うよ。さっき言ったじゃないか。君は、この後、CIONの本部に呼ばれるって」と、意識して笑いを作り上げながら言う。

 

「あれは、本来の基準(ボーダーライン)を超えていないのに、『監視員』の『勧誘(スカウト)』によって本部入りしようとする戦士に対して行われる『入隊試験』なんだ。君は覚えていないかもしれないけれど、君は過去に13回連続クリアを成し遂げている。合計クリア数ならば20回を超えているだろう。そんな君に、今更『入隊試験』は必要ない。すぐにでも転送を開始するよ。このP:GANTZで、《彼女》の待つ本部(ばしょ)までね」

 

 そう朧月継は、気持ち早口で言い募る。

 

 霧ヶ峰霧緒の鬼のように美しい殺意から解放されたいが為か。

 こうして『入隊試験』が始まってしまった以上、遠からず内に露見する己が正体に気付かれない内に、この雪ノ下邸から姿を消したいが為か。

 

 だが、そんな継を、霧ヶ峰は大きく溜息を吐いて――。

 

「――継くん。僕のようになりたいとまで言ってくれたファン一号である君に、こんなことは言いたくないんだけどね」

 

 そう言いながら木の幹から背を離し――その木の幹をぐるりと回るように、死角から迫っていた漆黒のブーメランを踏み堕とす。

 

「…………………」

 

 引き攣った笑顔で硬直する継に、霧ヶ峰はパーカーのポケットに手を突っ込んだまま言う。

 

「僕のようになりたかったら、まずは平気な顔をして嘘を吐けるようになる所から始めようか」

 

 継は、大きく息を吐いて「……嘘は吐いてないよ。君が『入隊試験』は免除されていることも、この後に本部に送られることも、《彼女》が待っているのも本当だ」と言って――その頭頂部を、凶悪に裂かせた。

 

「――だけど、たかだか田中(5点の)星人に殺されたことが最終戦歴になっている君の実力を、疑っている幹部がいることも確かなんだ」

 

 自分と同じ顔が、まるで食虫花のように裂き乱れる様を、霧ヶ峰は不気味な笑みのまま見詰める。

 

「……それに、僕は確かめてみたい。この半年で、僕はどれだけ君に近づけたのか」

 

 継は、そう言って裂かせた肉片の全ての先端を鋭く大きな刃へと変える。

 そして、その全ての切っ先を向けられた――霧ヶ峰は。

 

「……そうか。それじゃあ、存分に僕の力を確かめるといい。僕も、あの面白ロボットに殺されて、昨日生き返ったばっかだからさ」

 

 ガッと地に堕とした初めて見るガンツ製のブーメランをまるでサッカーボールをリフティングするように空中に蹴り上げ、くるくると頭上に回転させながら――その宣戦布告に応えた。

 

「――今の僕が何%の《僕》なのか、確かめずにはいられないぜ」

 

 そして、白いパーカーのジッパーを下して――真っ黒な機械仕掛けの服を露わにし。

 黒衣から数々の機械兵装を――『怪物兵装(エイリアンテクノロジー)』を展開していく『星人戦士』は、憧憬(なりたい“自分”)に言った。

 

「――行くよ、“僕”!!」

 

 Cosmopolitan Integration OrganizatioN(世界主義統合機構)

 

 CEO直轄部隊 メンバー

 

 戦士ランキング 枠外

 

 朧月継

 

「ふっ、胸を借りるつもりで掛かってくるがいいよ、ファン君。でも――」

 

 襲い掛かる無数の星人の刃、そして人間(科学)が作り出した機械の刃に――霧ヶ峰は。

 

「――もしかしたら、やり過ぎて殺してしまうかもしれないけれど、君から仕掛けた戦争だ。例えそうなっても」

 

 初めて扱う漆黒のブーメランを手に取り、美しく、妖しく――漆黒に、笑う。

 

「僕は、悪くない」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、場面は再び、薄闇に包まれた雪ノ下邸。

 

 跪いたまま口を閉じた都築に、陽光は静かに問い詰める。

 

「…………それで? その後、どうなったの?」

「…………僅か、数分でした」

 

 比企谷晴空と比企谷八幡が戦争を始め、僅か数分で八幡が叩き伏せられ、黒く燃える剣を突き付けられた――それよりも、早く。

 無数の星人の刃が、無数の漆黒の怪物兵装(エイリアンテクノロジー)が、一人の生き返り間際の少年戦士に、一斉に容赦なく降り注がれた戦争は――決着が着いた。

 

 都築は――震えながら、言う。

 雪ノ下陽光と雪ノ下豪雪に遥か昔から仕え、今生き残っている寄生(パラサイト)星人では、間違いなく五本の指に入る猛者である彼が、声色から恐れを隠せずに、漏らす。

 

 

「――霧ヶ峰霧緒は、その身に掠り傷一つ負うことなく、あの朧月継を制圧してみせました」

 

 

 無数の刃も、無数の兵器も、その一太刀たりも――返り血さえも浴びることなく。

 初めて触る漆黒のブーメラン一つを持って、全てを捌き、砕き、雪ノ下邸の中庭に串刺しにした。

 

 圧し折った槍で、砕いた剣で、別の刀を、別の刃を――串刺しにした。

 まるで一つの芸術を作り出すように。

 

 都築は――恐ろしかった。

 その鬼のような戦いぶりに――美しさすら感じてしまった、その強さが恐ろしかった。

 

「…………そう」

 

 己が信頼する腹心の報告に、陽光は遠く何処かを見詰めながら思う。

 

(――霧ヶ峰霧緒。……やっぱり、彼は――)

 

 陽光がそう思考している傍で、豪雪は都築に端的に問うた。

 

「…………それで、霧ヶ峰霧緒と継の奴はどうしたんだ?」

 

 都築は、一瞬口ごもりながらも、主君の問いに偽りなく答えた。

 

 

「――決着後、程無くして転送されました。霧ヶ峰霧緒も、そして……地に伏せ、虫の息だった継も」

 

 

 その報告を聞き、陽光は瞑目し――先程の晴空の発言を思い出す。

 

(……なるほど。『星人側諜報員』、ですか)

 

 つまりは――そういうことだろう。

 

 とっくの昔に、寄生(パラサイト)星人の中にも《諜報員(スパイ)》をCIONは忍ばせていた。

 

 木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)になった――ただ、それだけのことだ。

 

「…………いいのか? 陽光」

「いいも何も――あなたも気付いていたでしょう、豪雪」

 

 遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた。

 来るべき時が来た――ただ、それだけの話だと。

 

「……お疲れ様でした、都築。去ってしまった者を追う暇は我々にはありません。これからの話をしましょう」

 

 そう言って陽光は、跪く都築へと初めて向き直り、淡々と指示を告げる。これからの指示を告げる。

 

「まずは見逃してしまった記者会見を確認しましょう。すぐに用意しなさい。それから、継の代わりの仕事を頼む者が必要ですね。“あの子”を至急呼び寄せてください」

 

 陽光は、光が降り注がなくなった、真っ黒な空を見上げる。

 

――『例の計画もよろしくな。カタストロフィでは、頼りにさせてもらう予定だから』

 

 霧ヶ峰霧緒は蘇らせた。雪ノ下陽乃も取り戻した。比企谷八幡と同盟を結ぶことも出来た。

 

 朧月継は失ったが――それもまた、計画の一部だ。

 

(……それでもまだ、やるべきことは残っている。私達には、私達のすべきことがある)

 

 雪ノ下陽光は、未だ跪いたままの都築の横を通り過ぎ、「――それから」と、凛とした声で言った。

 

「小町小吉防衛大臣――そして、オニ星人の篤さんへと連絡を」

 

 あの『計画』を、次なる段階へと進めます――その主の指示に、「――はっ」と都築は了解し、陽光の背後から姿を消した。

 

 そして、残されたのは、雪ノ下陽光と、雪ノ下豪雪の二人のみ。

 黒火が消えない傷跡を残した庭から、もはや慣れ親しんだ我が家となった雪ノ下邸内へと歩みを進める二人。

 

 そんな中、豪雪がぽつりと、徐々に星が顔を出してきた黒い空を見上げながら言った。

 

「……あんな父親もいるのだな」

 

 豪雪は、今日、初めて見せつけられた父親という存在に対して回顧する。

 

 息子に対して殺意を向け、八つ当たりに近い言いがかりで殺しに掛かり――そして、ちゃっかりと、自分が楽になる為に、息子に己を殺させようと画策していて。

 

 それでも、息子が己を殺した後、仇敵と親友と盟友にその後のフォローを託していて、息子の死にたがり症候群を荒療治で克服させ――誰よりも、息子の可能性を信じていながら、否定していて。

 

 息子を殺せるほど、息子に殺されるほど、息子を――。

 

「……あんな形の、親子もあるのだな」

「…………やめなさい。あんなクズを見習うと、碌な父親になれないわ」

 

 陽光は、その場で振り返り――そして、豪雪に唇を重ねた。

 

「――――」

 

 滅多に夫婦の愛情を、それこそ外敵へのパフォーマンス以外では見せない陽光が。

 

 あまりに珍しく、あまりに直接的に行ってきた、その雪女の口吸い(キス)に。

 

 雪ノ下豪雪は――凍り付くことしか出来なかった。

 陽光は、息を吐くように唇を放し、そしてそのまま歩を進める。

 

 そして――振り返り、その、()の光のような、眩しい微笑みを浮かべて。

 

「あなたなら――あんなクズよりも、もっと、ずっと素敵な、父親になれるわ」

 

 なってもらわなくちゃ困るもの――そう言って陽光は、再び豪雪の前を歩き出す。

 

 いつだって、自分よりもずっと前を歩き、自分よりもずっと重い物を背負ってきた、美しい背中。

 

「…………そうだな」

 

 ならなくては――あの隣を歩くに相応しい男に。相応しい、父親に。

 

 雪ノ下豪雪は、そう改めて決意するように、強く、その力強い一歩を踏み出した。

 




こうして比企谷八幡は、愛すべき千葉へ別れを告げる。

そして、最後の審判の場所たる――『黒い球体の部屋』へと送られる。

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