比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

175 / 192
ここに化物はいない。いるのは――英雄だけだ。


Side戦争(ミッション)――⑥

 

 小町が死んだ。

 

 ガンツのメモリーにすら残されていない、たった一人の愛娘の死亡。

 

 何で、死んだ――そう、掠れるように問い返した、晴空の言葉に。

 

 パンダは、ただ、言ったのだ。

 

 

 君達の息子に――比企谷八幡に、撃たれたのだと。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 これは天罰なのか――と、そう思った。

 

 親殺しが親になろうとした――その天罰なのかと。

 

 妹殺しが、娘に己が殺した妹を重ねて、勝手に救われた気になっていた――その天罰なのか、と。

 

 超常たる『真理』が下した、神託が如き『予言』に、逆らおうとした――その天罰なのか、と。

 

「――――ハッ」

 

 守るというならば、全てを敵に回してでも守るべきだった。

 

 息子に目を付けられない為だと。息子を英雄にしない為だと

 なんだかんだと言い訳を捏ねて――結果、十八年。

 

 息子から逃げ続け、目を逸らし続けてきた、これは――その天罰なのか、と。

 

「―――――――――――ハハッ」

 

 取り返しがつかない過ちを、再び犯した。

 

 覚悟がないままに子供を作り、向き合うことなく逃げ続けた――その結果。

 

 たった一人の息子に、たった一人の娘を、殺させてしまった。

 

 息子に――妹を、殺させてしまった。

 

 八幡を、自分達と同じ地獄へと、叩き落してしまった。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 比企谷晴空(はると)は笑った。

 

 世界で一番滑稽な人物を笑うように、腹の底から大爆笑した。

 

 何度も何度も床を叩き、ぽたぽたと涙を流しながら。

 

「…………小町…………はち、まん……ッ」

 

 同様に、口を押え、大粒の涙を流していた雨音(あお)は。

 

 俯いていた顔を上げて、地に倒れ伏せる夫の名前を呼ぶ。

 

「…………はる、と――ッ」

 

 瞬間、晴空は。

 

 両の拳を振り上げて、世界で最も許せない存在に対して慟哭する。

 

「オマエはッッ!!! 何もッッ!!! 何も変わってねぇなッッ!!! アァ!!?」

 

 逃げてばっかりだ。逃げてばっかりだ。

 逃げて逃げて逃げて。逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて。

 

「何にも出来ねぇッ!! 何にもしねぇッ!! 何にも見ねぇッ!! 何にもッ!! 何にもッ! 何にもだッッ!!!」

 

 父親と向き合うことから逃げて。母親と向き合うことから逃げて。

 過去と向き合うことから逃げて。現実と向き合うことから逃げて。未来と向き合うことから逃げて。

 

 息子と――向き合うことから。

 

 逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて。

 

「……何が、星人(バケモン)を狩る戦士(ハンター)だ……。何が、地球を救った英雄だ……ッッ。一番のモンスターは、テメェだろうがこのクズがッッッ!!!」

 

 その、何のスーツも着ていない、ただ振り下ろしただけの元英雄の拳は。

 

 まるで、大地を――地球を揺るがすかのような、錯覚を起こす程の迫力に満ちていた。

 

 ただ、己への――莫大な殺意に満ちていた。

 

「…………晴空」

 

 そして、地に伏せる英雄に、嘆き苦しむ男の肩に。

 

 優しく手を乗せて、涙に濡れるその顔を挟んで、涙に塗れる己の顔を向ける美女が、言った。

 

「晴空……ありがとう」

 

 雨音は、夫にそう囁いた。まるで、愛を囁くように。

 

 別れの言葉を、告げるように。

 

「今まで、一緒に背負ってくれて。今日まで、一緒に生きてくれて」

 

 その濡れた瞳で、涙に塗れた顔で――雨に打たれたように、笑う美女は。

 

「………約束、したよね?」

 

 愛する夫に。あの日、自分を救ってくれた男の子に。

 

 晴れ渡った空のような、満面の笑みで言う。

 

 

「一緒に、死のう?」

 

 

――『……でも、お前が死にたい時は、一緒に死んでやる』

 

 あの日、晴れ渡った雨の日に、誓った言葉。

 

――『俺が一緒に裁かれてやる。俺が一緒に地獄に堕ちてやる』

 

 少年が少女を救った言葉。

 

 親殺しが親殺しを、妹殺しが妹殺しを、唆した――愛の告白(プロポーズ)

 

「…………ああ。そうだな」

 

 約束、したもんな――そう言って、晴空は。

 

 あの日と同じように美女の涙を拭い――抱き締める。

 

「一緒に裁かれてやる。一緒に地獄に堕ちようぜ」

 

 今度こそ、クズとモンスターに相応しい死を迎える為に。

 

 比企谷晴空と比企谷雨音は、晴れ渡った、笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして晴空は立ち上がり、その場でずっと慟哭する夫婦を静観していたパンダに告げた。

 

 自分達が、息子の――比企谷八幡の『入隊試験』の『試験官』となること。

 

 そして、その『入隊試験』を、『星人戦争(ガンツミッション)』として行うということを。

 

「…………正気か?」

「――ハッ。おいおい、今更かぁ? 何年の付き合いになるんだ、寂しいこと言うなよ」

 

 俺らが正気(まとも)じゃねぇことくらい知ってんだろ――と、晴空は笑う。

 

 その笑みは、先程までの慟哭などまるでなかったかのような――あの比企谷晴空の笑みで。

 

 人を喰ったような、見る者全てを不快にさせる、不愉快な英雄(かいぶつ)戦士の笑顔。

 

「……出来るわよね。例え、実績のあるアナタのスカウトでも、形式上は『入隊試験』は行わなければならない。霧ヶ峰霧緒は実績があるとしても、八幡の成績じゃあそれは避けられない筈よ」

 

 比企谷雨音は、笑わない。

 

 人を人とも思わないような、見る者全てを凍えさせる、怜悧な英雄(かいぶつ)戦士の無表情。

 

 それはパンダがよく知る戦友達の姿。

 幾重もの戦場を共に地獄へと変えた、紛うことなき()戦士の顔。

 

 だからこそパンダは、無駄だと分かっていても、こう問わずにはいられなかった。

 

「……お前達ならば分かっているだろう。その強権発動が、公私混同が、どんな事態を招くことになるか」

 

 これまでずっと、その事態を避ける為に、息子を見殺しにしてきたのではないか――そう問うパンダに、晴空は。

 

 一切戦士の笑みを崩さず、ニヤニヤと笑いながら言ってのける。

 

「――ハッ。どうせこのままじゃあ、お前が『本部(こっち)』に連れてきちまうんだろ? だったら遅かれ早かれだ。それに――」

 

 その為の『ミッション』だろうが――そう、吐き捨てる。ニヤニヤと、吐き捨てる。

 

 ミッションの標的(ターゲット)は――《八幡星人》。

 このモンスターペアレンツは、他ならぬ息子を、『英雄候補』となる少年兵を、あろうことか『星人(ターゲット)』として設定した。

 

 それは、つまり――。

 

「例え、どんなに伏線塗れでも、『星人』を【英雄】に据えるような馬鹿はいない」

 

 それどころか、【英雄】どころか、もはや『戦士』でもいられないだろう。

 

 息子を、八幡を――英雄としても、戦士としても解放する。

 

 その為に――。

 

「――お前は、息子を『星人(バケモノ)』にするのか?」

 

 パンダは低く、渋く、重い声で問う。

 己が地球を守る戦士としてスカウトしてきた少年を、星人として設定しようとしているこの戦友に。

 

「息子を殺すのか――化物として」

 

 己が息子を、星人として殺そうとしている、この両親に。

 

 そうだ。

 確かに、()()()戦争(ミッション)星人(バケモノ)認定を受ければ、【英雄】たる資格も、『戦士』としての資格も失われるだろう。

 

 解放されるかもしれない――だが、それは、比企谷八幡から人間たる資格すらも奪い去る。

 待っているのは、責務からの解放だけではない。生からの解放と、化物としての死が待ち構えている。

 

――『一緒に死のう?』

 

 そう夫に囁いた妻は、化物として殺されようとしている息子の母は。

 パンダからの忠告に対し、怜悧な戦士の無表情で返す。

 

「……八幡は、小町を殺したの」

 

 それが全てよ――そう言って、執務室のクローゼットの中から、黒い弓と黒い矢を取り出す。

 

「アイツを殺してやるのが――俺達の……両親(おや)の、務めだろう?」

 

 今まで、親としての務めを何一つ果たせなかった――クズとモンスターは嘯く。

 

 晴空は断言する。八幡は殺されたがっていると。

 誰かに裁いて欲しくてたまらない筈だと。誰かに仇を討たれたくてたまらない筈だと。

 

 真っ直ぐに窓に向かって歩きながら、片手を掲げて黒い剣を呼び寄せる。

 

 そして、黒い火を纏う剣を肩に担いで、「……それでも、アイツが生きたいと望むなら」と。

 

 欲しくてたまらない断罪を、求めてやまない赦罪を拒絶し、生に縋りつくというのなら。

 

「――そん時は、俺が……背負ってやるさ。父親としてな」

 

 例え、八幡から、死ぬほど恨まれることになろうとも。

 

 望むところだと言わんばかりに、黒火に向かって、笑いかけた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして――再び晴空は、黒火に向かって、笑みを浮かべる。

 

(…………もうすぐだな)

 

 黒火に囲まれた処刑場に、血だらけの親子が対峙している。

 

 比企谷八幡は、『星人認定』された元『英雄候補』たる息子は――やはり、案の定、死にたがっていて。

 けれど、それでも、こうして生に執着し、縋りつき、両親たる自分を殺してでも、生き残るのだと殺意を燃やしている。

 

(……やっぱりお前は、俺の――俺達の息子だな)

 

 着実に親殺しの遺伝子を受け継いでいる。妹殺しの宿命を背負わされている。

 

 だからこそ、余計な運命を背負わせた張本人として――父親として、責任もって背負ってやらなくてはならない。

 

(今――楽にしてやるよ)

 

 八幡の右手に燃える黒火は――着実に八幡の寿命を奪っていて、そして。

 

「――――ッ!」

 

 スーツの泣き叫ぶ悲鳴の音調が変わる――その場にいる、全員が悟った。

 

 あのガンツスーツは、まもなく死ぬ。

 どれだけ感情による性能強化で寿命を延ばそうとも、まるで毒のように常にダメージを与え続けられれば、遠からず内に命を奪いきる。

 

 ベテラン戦士の比企谷夫妻は当然として、長年黒い球体の戦士達と戦い続けてきた雪ノ下夫妻も、そして、黒火によるダメージを受け続けている八幡自身も、それは分かっていた。

 

 だから――これが、最後の攻防。

 

 壮絶で凄絶な親子喧嘩の、遂に決着の時だ。

 

「ハッ――どうした? 来いよ? これが父親(オレ)を殺す最後のチャンスだぜ?」

 

 晴空は、そう凄惨に笑いながら嘲笑する。

 口端から血を流しながらも、だからこそ、禍々しく、息子を挑発する。

 

 対して――息子は。

 父親とそっくりの顔を――けれど、母親のように冷たく無表情で、応じる。

 

「……そう死に急ぐなよ、クソ親父」

 

 タイムリミットが近づいているのは己にも関わらず、黒く燃える拳を固め、半身を引き。

 黒く燃えていない左手を――そっと腰に回して。

 

 冷たく、静かに――最後の切り札を、切った。

 

「慌てなくても――今、殺してやるよ」

 

 カチッ――と。

 まるで失敗したかのような、気の抜けた乾いた音が聞こえ。

 

 それを掻き消すように――勢いよく。

 

 黒火に囲まれた戦場を――黒煙が満たした。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 比企谷八幡は、例えミッション外でも、この黒いスーツは手放さない。

 あの部屋の外にも星人はいて、ミッションが終わっても戦争は終わらないと知っているから。

 

 だからこそ、彼は日常世界でも(スーツ)を纏い、銃を持ち歩く。

 しかし、だからといって常に万全の装備を整えているかといえば、そうではない。

 

 あの黒い球体の部屋には種々雑多な装備が用意されているが、その全てを持ち歩くことなど出来る筈もない。それに、平和な日常においてはガンツの武器は異彩を放ち過ぎる。

 

 武器を持ち歩いて半年の人間が、最新鋭の更に先の未来武器を持ち歩くのは、やはり目立ち過ぎるのだ。どれだけ隠そうとしても、武器を持っている人間というのは、それだけで自然体ではいられない――そして、露見すれば、待ち構えているのは死だ。

 

 だからこそ、武器を日常に持ち帰ることを覚えた戦士達は、まず、持ち帰る武器の取捨選択から始めることになる。

 己が得意な武器を、命を預けるに値する武器を――平和な日常へと密輸する。

 

 そこには当然、最低限の条件がある。

 持っていることを露見されないことだ。

 

 ガンツバイクのように見るからに手に負えない武器などは真っ先に除外され、ひっそりと隠し歩けるような手頃な武器が人気を博す。

 上級者になると、常に好きなタイミングでガンツバイクを出現させ、返還できる『キー』を手に入れることも出来るのだが――とどのつまり。

 

 現在、不意に日常の中で勃発したこの親子戦争において、比企谷八幡は決して万全な状態ではないということだった。

 

 八幡は今回の帰還に対し、BIMを持ち帰っていない。

 彼自身は気に入ったあの武装に対し、その宣伝(アピール)も兼ねて陽乃には持ち帰るように勧めたが、八幡本人はXガンとYガン、そしてスーツと既に荷物がかなり嵩張っていたのもあって、持ち帰りを断念した。

 

 滞在時間はおよそ一日、その後はすぐに迎えに来るという計算もあった。

 見るからに重装備だと寄生(パラサイト)星人の無用な警戒を煽るかもという打算もあった。

 

 だが、しかし――今回の帰還において八幡は、そもそもとして、この寄生(パラサイト)星人の本拠地への乗り込みは念頭に置いていた。

 親子戦争の勃発は予見出来なくとも、一つの星人種族の巣窟に突っ込む覚悟は固めた上での日常への一時帰還だったのだ。

 

 だからこそ、必要最低限の装備だけでなく、また、寄生(パラサイト)星人の必要以上の警戒心も煽らない、そんな特殊な切り札を忍ばせて、この敵地に赴いている。

 その装備とは、昨夜のオニ星人との戦闘に用いた、あの閃光弾(スタングレネード)――ではなく。

 

 爆弾(BIM)があるならば、閃光弾(スタングレネード)があるならば、恐らくはこれもあるだろうと、昨夜の帰り際に『武器庫(クローゼット)』から見つけた特殊武器。

 

 いざという時の――逃亡用の武器。

 

 煙幕弾(スモークグレネード)

 真っ暗な闇に覆われる深夜のガンツミッションではなく、光の下で行われる日常での戦争において、その有効性を発揮する攪乱装備。

 

 その光を遮り――闇を作り出す、その為の武器。

 平和な日常を、慣れ親しんだ戦場へと作り変える――その為の切り札。

 

 八幡の左手から生み出される黒煙は――真っ先に八幡自身を呑み込む。

 

 不敵な笑みで、壊れた笑みで、その闇を堂々と享受し――消える。

 黒煙は膨れ上がるように広がり、処刑場を覆う。

 

 その様は――皮肉にも。

 晴空が十年前に目撃した、あの『予言』を思わせる光景だった。

 

 光ではなく、闇であるところが最大の違いだが――あの男には、あの息子の笑みには、むしろその方が相応しいように思えた。

 

「――――ハッ」

 

 晴空は、今、再びに笑う。

 その皮肉さに、光に呑まれさせまいと【英雄】となることを阻止してきた息子が、自ら邪悪な笑みを浮かべて闇に呑まれた姿に――笑いが込み上げるのを堪え切れない。

 

(……この黒煙に紛れて逃亡するか? それとも、背後から不意打ちするか――いいねぇ、実に俺の息子らしい小細工だ)

 

 晴空は棒立ちのまま、ゴキッとその五指を鳴らす。

 剣は折られて、銃もない――だが結構。人を殺すなど、この腕だけで十分だと。

 事実――数々の星人の息の根を止めてきた、この細長い鉤爪が如き右手は、それだけの殺傷力を秘めている。

 

 それに、この黒煙も、実はそこまでの脅威ではない。

 単純に黒煙ならば黒火も隠せると考えたのかは知らないが、八幡が生まれた頃から『黒火の剣』を愛用してきた晴空ならば、この闇の中でも黒火を見つけることなど容易い――右手が黒く燃えている息子の居場所など、接近してくれば必ず見分けることが出来る。

 

 後の問題は――八幡が接近してくるか、それとも逃亡してくるか。

 

 この期に及んで逃げるという選択肢があるのかと言われれば――間違いなく、ある。

 例え一度、ミッションの標的にされようとも逃げることは出来るということは、他ならぬ自らの失態を持って八幡は知っている。

 

 勿論、間違いなく追手を差し向けられるだろうが、八幡はカタストロフィまで後半年を切っていることも知っている。つまり、明確にゴールが、手の届く範囲にあるということを知っている――だが、それらを差し引いた所で。

 

 適わない相手に、勝てないと分かっているのに、真正面から戦い続けることが愚策であると――その程度のことに思い至らない比企谷八幡ではない。比企谷晴空の息子ではない。

 

 この場は負けよう――だが、真の敗北とは、むざむざと殺されることであると。

 だからこそ、晴空に対し、己が父親に対し、一切の勝算をこの時点で見出していなければ、比企谷八幡は間違いなく逃亡する。

 

 だが――。

 

(――なるほど。八幡、お前は俺に勝てると踏んでいるのか)

 

 一瞬――黒火が揺らめくのを感じた。

 

 つまり――八幡は逃亡を選んでいない。

 

 晴空を、父親を殺すべく、この黒煙の闇の中で息を潜めている。

 

(なら――後は、簡単だ)

 

 向かってくるならば――アイツは間違いなく。

 

 晴空は脱力し――直立する。

 そして、敢えて、その背中を無防備にする。

 

 分かっていると――父親は息子を、おびき出す。

 欲しいんだろと、ここを狙いたいんだろうと――父の背中を、剥き出しにする。

 

 今まで、ずっと息子に向けてきた――何一つ、教えられなかった、その無様な背中を。

 

「……さぁ、来い……八幡」

 

 ゴキっ――と。

 息子の命を刈り取るべく、喉を鳴らすように。

 

 ハッ――と。

 真っ暗に笑い――そして。

 

 

 比企谷晴空の背後に、真っ暗な火を灯した右手が出現した。

 

 

 晴空は機械的に、完璧なタイミングで右手を振るう。

 

 かつて、己が父親の車のブレーキを狂わせた時のように――己が父親と、母親と、生まれる前の妹を、その右手で殺した時のように。

 

 真っ暗な無表情で、ドロドロに濁り切った眼で、血に塗れた右手で。

 

 今度は、己が息子の息の根を――刈り――。

 

「っ!?」

 

 取れ――()()()()

 

 なかった。何もなかった。

 

 右手があるのに。黒火を灯して、そこにあるのに。

 

 そこには――()()()()()()()()

 

 肘から先しかなく、息子は、息子の命は、そこにはなかった。

 

「なん――!?」

「本当に――」

 

 声が聞こえた――()()()()()

 

 自分が逃げ続けた息子の声が聞こえ、思わず振り向き、やっと見えた。

 

 こんなにも近くで、こんなにも真正面から、晴空は初めて、息子の顔を見た。

 

「――アンタは、変わんねぇな……親父」

 

 余りにも近くで合った、その息子の眼は、やはり禍々しく腐っていて――けれど、とても綺麗な、黒色で。

 

 鏡のように、間抜け面で呆然とする、カッコ悪い男の顔がはっきりと映っていた。

 

(……あぁ。俺って、今――こんな顔をしてたんだな)

 

 それは、世界で最も嫌いな男の顔で――でも。

 

 目の前で拳を振りかぶる男とは――まるで似ても似つかなかった。

 

 そこで、世界は白く染まる。

 

 比企谷晴空は、比企谷八幡の渾身の左拳を、鼻っ柱に打ち込まれた。

 

 それは本当に――とても痛く。

 

 晴空は思わず――嬉しくて、涙が出た。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 黒煙が祓われる――闇が晴れる。

 

 それはまるで、比企谷晴空の心のように――清々しい敗北だった。

 

(……あぁ。これが因果応報って奴か。最高に気持ちイイな)

 

 ()っちまいそうだぜ――と、晴空は大の字で地に横たわりながら、目を上げる。

 

 そこには右手を肘から切り落とし、だくだくと血を流しながら、息を荒げながらも、こちらを冷たく見下ろす息子がいた。

 

「……まさか、そこまでするとはな」

「……別に。いつものことだ。そうだろ?」

「ハッ――違いねぇ」

 

 ガンツミッションにおいて、手足の欠損など珍しいことではない――日常茶飯事だ。

 失くした足も、切り落とした腕も――例え、ミッション終了時に生きてさえいれば、半身が奪われていようと、脳が削り取られていようと、全てが綺麗に修復される。

 

 新品のように、なかったことになる。

 

 だが――それは戦士(キャラクター)の場合だ。

 この場において、戦士は晴空で、八幡は星人(ターゲット)だ。

 

 だが、それでも、この息子は――当然のように。

 

 文字通り、我が身を犠牲にして――勝利を得た。

 

 そして、悲願を、果たす。

 

「――(Xガン)は、拾えたか?」

「……ああ」

「よし、撃て」

 

 そして、殺せ――と。

 

 晴空は綺麗な空を見上げる。

 茜色は消え去り、こちらを映しそうな黒が広がる。

 

 息子の瞳のように、美しい夜空だった。

 

「…………ああ」

 

 八幡は、小さくそう呟いて――横たわる父に、銃口を向ける。

 

 慣れない左手で銃を持ち、慣れた手つきで照準を合わせる。

 それを見て、晴空は「……ハッ」と、穏やかに、微笑む。

 

 念願の瞬間だ。

 

 あの日から、ずっと申し訳なく生きていた。

 開き直ろうと思っても、常に心の隙間風が寒かった。

 

(……悪いな、雨音。先に行くぜ)

 

 一緒に死んでやると誓った妻へのプロポーズを裏切ることが心残りだが、それはまあ、こんなクズを伴侶に選んだあの日の自分を恨んで欲しい。

 

 親殺しの自分が、己が息子に殺される。

 

 こんな相応しい死があるか? こんな望ましい死があるか?

 

 こんな素晴らしい――仇討ちがあるか?

 

(……悪いな、八幡。俺の方が先に、こんな幸せに死んじまって)

 

 晴空は、己に向かって銃口を向ける八幡を見て、笑う。

 

 ハッ――と。嘲けるように、笑う。

 

 八幡は、そんな笑みを見て――表情を消し。

 

 左手の人差し指を、使い慣れた銃の引き金へと向けて。

 

「……………」

 

 そして――そして。

 

「……………………」

 

 晴空は、そんな息子を見て――笑みを消して、言う。

 

 

「――()れ」

 

 

 瞬間、僅かに残っていた黒煙を――真っ直ぐに黒矢が突き破る。

 

 突如として飛来してきたそれに対し、八幡は振り返り、晴空は――醜悪に、笑った。

 

 飛び散る血。

 

 その一射が齎した光景に、誰もかもが――息を呑んだ。

 

 傍観していた雪ノ下豪雪も。

 凶行に及んだ女を止めようと右手を刃に変えていた雪ノ下陽光(ひかり)も。

 

 黒矢を放ち、黒弓を手に呆然としていた、比企谷雨音も。

 

 そして、発射を命じ――()()()()()()()()矢を。

 笑みを浮かべながら待っていた、比企谷晴空も。

 

 皆――その男を見ていた。

 

 ガラン、と。左手に持っていた、Xガンを落とし。

 

 突如として、己の横を擦過し、自分が殺そうとしていた父親を貫く筈だった、己の母が放った黒矢を。

 

 左の掌で受け止め、血を流しながらも――真っ黒な瞳で大人達を睥睨する、その黒衣の少年を、見ていた。

 

「俺は――アンタ達とは、違う」

 

 矢を放った体勢のまま、呆然と立ち尽くす――母に向かって、真っ直ぐに腐った眼を向けた後。

 矢を待った体勢のまま、呆然と座り尽くす――父に向かって、真っ直ぐに。

 

 静かに、冷たく――けれど。

 温度の通った、声色で。

 

 八幡は、死にたかった父親に向かって、言った。

 

「俺の勝ちだ。……クソ親父」

 

 壊れかけのスーツを纏い。右手を切り落として。左の掌も矢が貫いていて。

 真っ直ぐに立つことも出来ず、瞼も今にも閉じてしまいそうで。

 

 今にも死んでしまいそうな、そんな有様の少年が呟く――勝利宣言に。

 

 母は黒弓を落としながら、その怜悧な瞳の端から、一筋の涙を流して言った。

 

「…………そうね。私達の、完璧な負けね」

 

 自分達には、息子のことが何も見えていなかった。

 向き合うことを恐れて、何も見ることが出来なかった。

 

 だが――息子は。

 

 父親の、母親の、その情けない内面の全てを見透かし――見抜いていて。

 そして真っ向から、真正面から、逃げずに、受け止め――勝利した。

 

 まるで――英雄のように。

 

「…………ハッ。そうだなぁ」

 

 晴空は、今度こそ、脱力し、死んだように横たわり――空を見上げた。

 

 綺麗な真っ黒で、全てを受け入れるように優しい、晴れ渡った夜空だった。

 

 晴空はP:GANTZを取り出し、ミッション画面を操作する。

 

《八幡星人》と、己の息子が化物であると表示するその画面を。

 

(ここに化物はいない。いるのは――英雄だけだ)

 

 消去し、リセットする。

 

 こうして、戦争(ミッション)は終わった。

 

 比企谷晴空と、比企谷八幡。

 

 真っ黒な親子の殺し合いは、誰も死なずに幕を閉じた。

 

 一人の息子を、英雄にして。

 




こうして、元英雄の父親は、完膚なきまでに敗北する。

そして、息子は――英雄たる道、その一歩目を歩み出す。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。