比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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――正義の味方だよ!!


Side試験(ミッション)――①

 

 正義の味方に憧れていた。

 

 誰かのピンチに颯爽と駆け付けて、絶望を振り撒く悪に立ち向かい、解決不可能だと思われた窮地を覆し、世界に笑顔と平和を取り戻す。

 

 そんな、テレビの中にしかいないようなヒーローに、少女は純粋に憧れていた。

 

 

 

 同い年の女の子が、一つ年上のお姉ちゃんが、他の皆と同じように魔法少女やプリンセスに憧れる中――その少女は、仮面のライダーや五色の戦隊ヒーローに憧れていた。

 お姉ちゃんのおもちゃ箱には着せ替え人形やカワイイぬいぐるみが増えていく中で、少女は変身ベルトやヒーローのフィギュアを両親に強請(ねだ)った。

 

 日曜の朝は誰よりも早く起きて、ヒーローの活躍に胸を躍らせていた。

 

 テレビの中のヒーローの動きに合わせて、手に汗を握り、変身ベルトを腰に巻いて、パンチやキックを見えない敵に向かって繰り出す女の子の姿に、母はお兄ちゃんがいるわけでもないのに誰の影響でこんな男の子みたいな子になっちゃったのかしらと頭を抱え、父はまぁ子供の内は女の子も腕白(わんぱく)なもんさと笑い、お姉ちゃんは笑顔でお姉ちゃんも応援してと手を引っ張る妹の我が儘を苦笑しながら受け入れていた。

 

 少女はそんな温かい家族に囲まれ、見守られながら、その純粋な正義感を育てていく。

 

 世界には悪がいるけれど、同時にカッコいい正義の味方も確かにいて。

 悪の野望は絶対に潰え、正義の力に挫かれる。

 ピンチの時には何処からともなくヒーローは必ず駆け付けて、正しい思いはいつか間違いなく報われる。

 

 それが世界の仕組みだと学んで、それが世界の法則だと信じていた。

 

 だからこそ、少女は正義の味方に憧れた。

 悪の怪物を倒し、人々の笑顔と平和を守る――正義の味方に。

 

 いつか必ずなるのだと、そう眩しい憧れを抱きながら、少女は今日も腰に変身ベルトを巻いて、背中にはライダーが愛用する玩具の剣を背負い、頭には縁日で強請って買ってもらったお面を付けて、街の平和を守るべくパトロールに出掛けた。

 

 だけど、少女はすぐに理解する。

 

 世界はそんなに正しくなくて、不合理と不条理に満ちていると。

 

 正しいことが報われずに肩身が狭い思いをして、間違っていることが幅を利かせて我が物顔でまかり通っていることを。

 納得の出来ないことを、筋の通らないことを、そういうものだからと見て見ぬふりをすることで成立している仕組みなのだということを。

 

 悪が栄えても、怪物が跋扈していても――正義の味方は現れないということを。

 

 少女が憧れた画面の中のヒーローなど、何処にもいないということを。

 

 割かし早く、呆気なく――由比ヶ浜結愛(ゆあ)結愛は、理解することになる。

 

 

 

 それは、結愛がいつも通り、全身フル装備で遊びに出かけて帰ってきたある日のこと。

 

 結愛は泣きながら、ベルトも剣もお面もボロボロにして、泥だらけで家へと帰ってきた。

 

 母は急いで娘を抱き締め、姉と一緒に何があったのかをお風呂の中で聞いた。

 

 少女曰く、女の子を泣かせていた男の子達がいたと。

 

 寄って集って複数の男の子が、一人の女の子を取り囲んで暴言を浴びせていたと。

 聞こえてくるその悪口は、どれもこれもが理不尽な言い分で、論理的に考えればいくらでも反論出来るもので、そういったことが分からない幼い結愛でも――間違っているのは男子達で、女子は罪なき被害者だと理解出来た。

 

 だからこそ、結愛は男子達に立ち向かった――正義の味方として。

 

 滑り台の上に立ち、大きな声で登場の口上を叫ぶ。

 

「お前たちのような悪は、あたしが許さない!」

 

 あたしは、正義の味方だ! ――と。

 

 突然現れたお面少女に、男子達は呆気に取られたが、結愛が玩具の剣の一撃を加えた途端、一気に喧嘩が始まった――そして、結愛は呆気なく負けた。

 

 悪に負けるなど、正義の味方として許されない。

 だからこそ、結愛は泣き喚きながらも剣を振るい続けた。

 

 次第に固くて痛い剣の攻撃に男子達も泣きべそをかいていたが、女子に負けるなど男子としても許されず、結果として、引っ込みがつかなくなった両者はお互いにギャンギャン泣きながらも喧嘩を止めることはなかった。

 

 いじめられていた女の子が呼びに行ったお母さんがその場を収めることで決着はついたが、お互いの敗北は認めないままに、それぞれの家へとべそをかきながら帰ることになった。

 

 経緯を全て聞き終えた結愛の母は、風呂から上がるや否や、どこかへと電話を掛け始めた。電話の内容までは聞こえなかったが、断片的に聞こえるのは――母の、謝罪の言葉。

 

 うちの子がご迷惑を、いえ女の子とはいえどうちの子から手を出したようですし、そうですね剣を持って歩くことは止めさせます、お気になさらずに大きな怪我も無いようですし――そんなようなフレーズが、断片的に聞こえた。

 

 なんで、どうしてママが謝っている?

 悪いのはあの男の子達だ。理不尽な言い分で女の子をいじめるような奴らは悪に決まっている。だからあたしは正義の味方として戦ったんだ――それの何処がおかしい?

 

 ママに、お姉ちゃんに包み隠さず全部話したのも――褒めてもらう為だ。

 がんばったね、と。結愛は間違っていないよ、と。そう言ってもらって、正義の為に頑張って戦ったことを褒めて欲しかったのに。

 

 なのに、電話を切って、リビングに自分を呼んだ母の第一声は、結愛の期待に沿わない厳しい言葉だった。

 

 何で、お友達をぶったりしたの? ――と。

 

 結愛はショックで涙を浮かべたが、必死に反論した。

 悪いのは女の子をいじめていたアイツ等だと。自分は女の子を守る為に戦ったと。

 

 だが、母の言い分は「それでも、先に手を出したあなたが悪い」というものだった。

 

 母は滔々と続けた。

 

 そういう時は先生かお母さんを呼びなさい、と。

 どんな理由があれ暴力はいけないことです、と。

 女の子がむやみやたらに怪我をするようなことをしてはいけません、と。

 

 結愛がぷるぷると震えて俯き何も言えないのをいいことに、母はやがて「これを機会に玩具の剣や変身ベルトをして外に出ることを禁止します」やら「これからは女の子らしい遊びをしなさい。お姉ちゃんを見習って」などと言い募った。

 

 すると、結愛は目を真っ赤にして涙を溜めて、母に「ママのバカ!! 大嫌い!!」と言い放ち、そのまま二階の自室へと駆け上がった。

 母が「……だいきらいって言われた……」とショックで動けないのを一瞥して、そんな妹の後を姉が追う。

 

 姉妹共有の子供部屋に入ると、真っ暗な部屋の中で結愛が布団を被って啜り泣いていた。

 

 姉はそんな妹の傍に寄って、ぽんぽんと布団を叩く。

 結愛は、そんな姉に、布団の中からくぐもった声を出す。

 

――あたしは、まちがってるの? と。

 

 姉は、そんな妹に、優しい声で言う。

 

 まちがってないよ――と。

 泣いている女の子を助けようとしたのは偉かったよ。立派だった――と。

 

 大好きな姉に、そんな風に言ってもらえて、妹は泣きじゃくっていた顔に笑顔を浮かべる。

 

 だが、「だけど――」と、そう聞こえたと思ったら、結愛が包るまっていた布団の中に、お姉ちゃんが入ってきて、目が合った。

 姉の顔は、結愛と同じように、真っ赤に充血し、涙を浮かべていた。

 

「……お姉ちゃん、結愛が怪我するのは……ヤダよ」

 

 そう言って、姉は結愛にひっつき、わんわんと泣いた。

 大好きな姉が、自分のせいで泣いている――そんな状況に、結愛も再び泣いた。

 

 この夜は姉妹揃ってずっと泣いて、泣き疲れて、久しぶりに二人で同じ布団で眠りについた。

 

 

 

 あの日から、結愛は日曜の朝に早起きをすることはなくなった。

 

 街をパトロールすることもなくなった――だけど、女の子の遊びを女の子の友達とすることが、増えたというわけでは決してなかった。

 

 玩具売り場の前を通る度に、戦隊ヒーローのコーナーを複雑な瞳で眺める妹の姿に、姉は心配そうな顔を向ける。

 それに気付く度に、結愛は姉になんでもないよと笑うのだ。

 

 もう、あの日のように、姉に自分のことで泣いて欲しくない。

 

 だけど――結愛の心の中には、まだあのカッコいい正義の味方達の姿があって。

 

 正義が必ず勝つなんて嘘だと知っても。

 まちがっていることも、そういうものだからと流される世界だと知っても。

 

 結愛の憧れは、仕舞い込んだ心の底で、それでもまだ息づいていて。

 

 

 ある日、同じ公園で、結愛は――同じ男の子達が、同じ女の子をいじめている現場を目撃した。

 

 

 その光景に、真っ先に感じたのはショックだった。

 自分があれほど全力を尽くして戦っても、自分は何も変えられていなかったのだと。

 いや、それどころか、あの男の子達は前よりも苛烈にあの女の子をいじめているようにも見える。前はただ悪口を言っていただけだったのに、今、あの男の子は女の子の髪を掴み上げた。

 

 それを見た瞬間、思わず結愛は駆け出そうとして――止める。

 過ぎったのだ。あの日の母の言葉が、そして、姉の涙が。

 

 自分の正義は母に否定された。姉に涙を流させた。

 あの女の子も、自分が余計なことをしなければ、今、あんな風に涙を流していないかもしれない。

 

 このまま見て見ぬ振りをして帰るのが、正しいことなのだと結愛はあの日に学んだ。

 

 自分が何もしなくても、あの女の子のお母さんはその内この公園にあの子を迎えに来るだろう。その時は、あの時と違い、あの男の子達は明確に只の加害者だ。今度こそ、あの子達は悪として裁かれるだろう。もうこの公園に来られないようになるかもしれない。

 

 そうすれば、あの子にも笑顔が戻るだろう。この公園にも平和が戻る。

 ほら。自分がちょっと我慢すれば、見て見ぬ振りをすれば――ズルをして、悪者になれば、結果として正義の味方と同じことが出来る。

 

 正しいことだ。みんながそうしているらしいことだ。

 

 だから――結愛は、ダッシュで家に帰った。

 

 心が張り裂けるような悔しい思いを抱えて。どこも怪我をしていないのにあの日と同じように泣いて。

 

 そして、ただいまの代わりにごめんなさいと言って。

 

 二階の子供部屋に駆け込んで――玩具箱の中から。

 

 あの日、壊れてしまったものとは別の変身ベルトを巻いて、より安っぽい剣を背負って、別のヒーローのお面を付けて。

 

 張りぼての正義の味方として、勇気と共に家を出た。

 

 向かう先は、もちろんあの公園。

 

 間違っているのかもしれない。

 心はあの日のように真っ直ぐではなくて、多大な不安と恐怖があって。

 

 だからこそ、こうしてフル装備で武装しなくては、戦えないほどに――自分は、弱くて。

 

 弱くて、弱くて、涙が出た。

 自分はあの強い正義の味方のように、なりたかった筈なのに。

 

 だけど、それでも――嫌だった。

 

 母の言葉に逆らうよりも、姉をあの日のように泣かせてしまうとしても。

 あの光景を、間違っている光景を、己の正義に反する光景を、見て見ぬ振りをするのは嫌だった。

 

 だから、あたしは――と、玩具の剣を背中から引き抜いて、玩具のお面を被って、玩具の変身ベルトを発動させて。

 

 あの日と同じように、滑り台の上に立って。

 男の子達の注目を己に集めるべく、大きな声で――叫ぼうとして。

 

「お前たちのような悪は、あたし……が……?」

 

 ヒーローのお面を被った少女は、その小さな穴から覗く光景に目を疑った。

 

 先日、自分をボコボコにした男の子達が、揃いも揃って苦しそうに蹲っている。

 助けられた筈の女の子も、ぼさぼさの髪のまま呆然と座り込んでいてしていて。

 

 立っているのは、結愛とそう年の変わらない、一人の男の子と、一人の女の子。

 

 ぴょんと一房のアホ毛が特徴的なボロボロの服の少年は、凄くだるそうに首に手をやって言う。

 

「……おまえらさぁ……人がせっかく束の間の休みを使って仕上げた作品をさぁ……何してくれちゃってるわけ?」

 

 そう言って親指を背後に――砂場で潰れている()作品に向ける。

 

「見ての通り、俺は貧乏なの。お前たちが馬鹿みたいにやってるゲームも買えねぇ、カードも買えねぇ。そんな可哀そうな俺が、唯一思う存分楽しめるお遊びなんだよ。水を入れるタイミング、量、割合、角度――俺がこの神バランスを見つけ出すまで、どれだけの時間を費やしたか分かるか? どれだけの情熱を注ぎ、ストレスを解消してきたか……なのによぉ」

「あがっ!」

 

 少年はぶかぶかのパーカーのポケットに両手を突っ込みながら、蹲っている体の大きなリーダー格のいじめっ子の後頭部を踏みつける。

 ちょうど、このいじめっ子がアホ毛少年の渾身の作品である神殿をぶち壊したように。

 

「……あんだけ大騒ぎしてたのに、壊されるその瞬間まで気付かないくらい集中してたアナタも悪いんじゃない? だからもっとお手軽なのにしときなさいって言ったのに。それになんで神殿なのよ。もっと山とかトンネルとかにしときなさいよ」

「俺をガキ扱いするな」

「紛れもなく子供よ。私も、アナタも、その子もね。……まぁ――」

 

 子供だからって、全部許されるわけじゃないけどね――そう呟いて、いじめられていた女の子の手を取って立たせ、眼鏡を直したこちらも見事なアホ毛の少女は、倒れ伏せる他の同年代の男の子らに向かって言う。

 

「確かに、私達は子供で、間違うことが仕事みたいなものだってお父さんも言ってたわ。……でも、間違いから何も学ばないのは罪だって、お母さんは言ってた。それも、間違っているって気付いたのに、それでも間違いを直さないのは――大罪だってこともね」

 

 そう言ってアホ毛少女は、アホ毛少年に頭を踏まれている大柄の少年の短い髪を掴んで、無理矢理に顔を上げさせる。

 

「いたいいたいいたいいたい!!」

「そう、痛いの。でもアナタ、これをあの女の子にもしてたわよね? 痛いって知ってたわよね? でもそれを他の人にやった。これって悪いことよね?」

 

 それって(あく)よね――と、アホ毛少女は問い詰める。

 こえーとアホ毛少年は棒読みで言うが、少年の後頭部を踏みつける行為を止めようとはしない。少年が踏みつける力を強めると、少女が髪を引っ張る力を強める。

 

 どんどんと涙を溢れさせていくいじめっ子は、やがて涙声で喚くように言う。

 

「ま、ママに言いつけるぞ! ママはPTAかいちょうなんだ! ママに言えば――」

「――ねぇ。それって弁護士(私のお母さん)よりも正義なの?」

 

 警察官(私のお父さん)よりも正義? ――と、無表情で首を傾げながら言う、アホ毛少女に。

 

「あなたは――私よりも、正義?」

 

 今まで会ったことのない目の少女に、いじめっ子少年は――完全に、言葉を失い。

 

「ちなみに、俺はコイツみたいなカッコいい職業の両親はいない。クズとビッチな、どこに出しても恥ずかしい両親だ。遠慮なくディスってくれていいぜ」

 

 と、アホ毛少女が髪から手を離した為、勢いよく地面に顔を押し付けられたいじめっ子少年は。

 

 泥だらけのまま無理矢理に上を向かされて――見たこともない、悪魔のような笑みを浮かべる少年に。

 

「ほら? 助けを呼べよ。()()()()()()()()()()()、自慢のママなんだろ?」

 

 今まで会ったことのない、決して会ってはいけなかったと思わせる目で、覗き込まれてしまって。

 

「よかったなぁ。素敵なママが居て」

 

 羨ましいよ――と、そう耳元で囁いて。

 

「う、うわぁああああああああああ!!」

 

 いじめっ子少年は渾身の力で立ち上がり、そのまま公園の外へと走り出した。

 

 リーダーの少年の逃走に、(おの)が恐怖も限界だったのか、次々と取り巻きの少年達が同じ方向に走り出していく。

 

「――ハッ。鬱陶しいガキ共だ」

「……砂の城が壊された憂さ晴らしは済んだ?」

「城じゃねぇ! 神殿だ!」

「はいはい。神殿神殿(笑)」

 

 そう言ってこれ見よがしに神殿(笑)跡地を踏み抜くように砂場を突っ切って読書途中の本が置かれたベンチへと戻っていた少女に、少年は蟀谷(こめかみ)が引き攣るのを感じながら言う。

 

「……おい、アホ毛女」

「何よ、アホ毛男」

「……お利口さんのお前にしては、随分と助けに入るのが遅かったじゃねぇか。お陰で比企谷神殿が崩壊した。賠償しろ」

「弁護士の娘に何を馬鹿なことを請求してるの? ……単純に本をキリのいい所まで読んでいたら、あなたの比企谷神殿(笑)が崩壊してただけのことよ。私は(あく)じゃないわ」

「……人のことをとやかく言えない集中力(笑)じゃないですかねぇ」

 

「そういえば、あのいじめられっ子はどこ行った?」「あの男の子達が逃げるのとは逆方向に逃げていったわ。あなたが怖かったんじゃない? あなたの目が」「いやなんで目に限定した? それにお前の恫喝も十分に怖かったからね」「恫喝じゃないわ。正義の尋問よ」「お前、正義って頭に付ければ何でも許されると思ってない?」――と、まるで、何事もなかったかのように。

 

 当然の日常だったかのように。当たり前のルーチンだったかのように。

 少年と少女は、まるで何もなかったかのように、それぞれの遊戯へと戻っていった。

 

 アホ毛の少年は砂場で神殿の再築へと勤しみ。

 アホ毛の少女はすぐ傍のベンチでハードカバーの装丁の本の読書へと浸る。

 

 一人の少女を救ったことを誇りもしない。正義を執行したことに充足も感じない。

 賞賛も求めず、かといって少年達への改心も求めない。

 

 まるで、やりたいからやったことだと、そう言わんばかりの少年少女に。

 

 安物の変身ベルトを巻いて、玩具の剣を背負い、ヒーローのお面を被った少女は。

 

(……か……カッコいい――――!!!)

 

 一目で――憧れた。

 

「……そんで――」

「……それで――」

 

 やはり、我慢できなかったのか。

 

 そのままスルーして元の遊びに戻ろうとしたが、どうしても無視できない存在感を放つ何者かの正体を。

 

 アホ毛の少年とアホ毛の少女は、ゆっくりと、滑り台の上で仁王立ちする不審者に向かって誰何(すいか)する。

 

「お前(あなた)――誰?」

 

 背格好は自分達と同じ年頃であろう子供。

 先程から真っ直ぐに、自分達に向かって視線を向けてくるヒーローマスクは。

 

 ハッとしてお面を外し――その予想外に可愛らしい顔立ちを、興奮で真っ赤に染めていて。

 

 ぐんと胸を張り――誇らしげに。

 

 生まれて初めて出会う――本物の正義の味方に対し。

 

 大きな声で、自己紹介した。

 

「あたしは、由比ヶ浜結愛!」

 

 そして、一瞬躊躇したが、喉の奥で停まった言葉を――今一度、固めた決意と共に、宣言する。

 

「――正義の味方だよ!!」

 

 滑り台の上で仁王立ちする、変身ベルトを巻いた少女の、むふーという満足気な様子に。

 

 アホ毛少年――比企谷晴空(はると)は、露骨に呆れてげんなりし。

 アホ毛少女――雨宮(あまみや)雨音(あお)は、露骨に溜息を吐いて眼鏡を直し。

 

 そして、お互いを見た。

 

 ()()、変なヤツに出会ってしまった、と。

 

 

 

 

 

 これが由比ヶ浜結愛という少女の、その後の運命を変えたターニングポイントとなる出会い。

 

 その後、紆余曲折を経て、この日に出会った二人と、人によってはまちがっていると称されるであろう青春を送り。

 

 他の誰が何と言おうと、結愛にとっては胸を張って本物と言える絆を築き。

 

 やがて、本物の星人(かいぶつ)と戦い、人々の笑顔と平和を守る、五色ではなく黒一色の戦隊の一員となるのだが。

 

 それはまた、別の話。

 

 いつかどこかで語られるかもしれないが、今は語るべきではない物語だ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 地面が――屋上が、爆発する。

 

 その衝撃を、轟音を、雪ノ下陽乃は間違いなく肌で感じた。

 

(――ッ!? 爆発する、ハンマー!?)

 

 比喩ではない。

 文字通りの爆発――爆炎、爆風が陽乃に向かって襲い掛かる。

 

 陽乃は瞬時に距離を取った。

 爆発も勿論だが、その余波たる倒壊から逃れる為に。

 

 だが、再び――陽乃は己が目を疑った。

 

「――――な、んで――!?」

 

 屋上が――破壊されていない。

 

 あれ程の爆発で、あれ程の衝撃で――まるで傷一つない、平和な状態。

 

(……いや、そんなわけないでしょ)

 

 陽乃は黒槌を再び肩に担ぎ直す由比ヶ浜結愛を見ながら、自らが着ていた服を引き千切る。

 露わになるのは――目の前の戦士と同じ、光沢のある漆黒の全身スーツ。

 

 そして取り出すのは、一本の黒刀と、一本の黒槍。

 陽乃は、真っ直ぐ結愛を見据えながら、ガンツソードの刀身を伸ばし――屋上を抉った。

 

「…………へぇ」

 

 結愛は陽乃の行動を見て、笑顔のまま呟く。

 陽乃はそんな結愛から目を逸らさないままに――横目にその現象を確認した。

 

「…………やっぱり」

 

 屋上は、確かに抉れていた。ガンツソードは確かに、コンクリートに消えない刀傷を残した筈だ。

 

 だが、その傷は既にない。

 瞬間的に修復されていた――電子線が、まるで時を戻したかのように、傷を無かったことにしていた。

 

「――『位相』をずらしてるんだよ」

 

 結愛は陽乃にそう言った。先輩が後輩に伝授するように得意気に。

 

「今までアナタがいた『部屋』での戦争(ミッション)は、ミッション中は一般人に気付かれなくても、ミッションが終わると周辺被害はそのまま現実に影響を残していたでしょ? それは、あくまで『周波数』をずらして見えなくしていただけだったから。だけど、今は『位相』をずらしている――簡単に言うと、()()()()()()()()んだよ」

 

 同じ世界にいない――そう、結愛は笑顔で言った。

 

 陽乃は、これまで僅かに二回のミッションしか経験していない。

 しかも内一回は、ガンツの周波数操作が機能してないオニ星人戦であり、もう一回はそもそも死亡し生還することが出来なかった。

 ガンツミッションから帰還出来たのは、実は今日が初めてだった。

 

 その為、通常の『部屋』でのガンツミッションが現実世界にどのような影響を残すのかなどについての知識は乏しかった――だが、今、目の前の女が言ったことがとんでもないことなのだということは理解できる。

 

「……それは、ちょっと前に流行ったAR(拡張現実)みたいなことかしら?」

「違うけど、まぁ考え方としては近いかな。やってるのは『拡張』じゃなく、『複製』だけどね」

 

 複製――コピー。

 

(……確かにガンツの得意技の一つ……なんだろうけど。これは、ちょっと規模(スケール)が違い過ぎるんじゃない?)

 

 死者の蘇生(コピー)なんてもんじゃない。

 

 いつ放り込まれたのかも分からなかった。

 いつ掏り替わったのかも分からなかった。

 

 さっきまで当たり前に立っていた世界が、知らない間に――複製品(にせもの)に、変わっているという。

 

(……私も何度か遊んだことがあるけど、あれだけ進歩したVR(かそう)界とも違う。……正直、実はそうだってネタ晴らしされた今でも――何が違うのか分からない)

 

 仮想と現実の違いが、情報量の多寡だけだというのなら。

 まったく情報量が同一の『複製世界』は、それは最早、現実ということではないのか。

 

 それはつまり、あの黒い球体は――世界を創れるということではないか。

 

「勿論、限界はあるよ」

 

 結愛は語る。

 ぶんぶんと黒槌を振り回しながら、自分達が今、紛れもなく存在する――実在する、複製現実(Duplicated Reality):DR世界について。

 

 死者蘇生に続き、世界創造すらも実現させた、黒い球体(GANTZ)の――限界についての話を。

 

「まず、このDR世界は複製元の世界を軸に作ってあるから、何でも好きな世界を作り出せるってわけじゃないの――あくまで、複製(コピー)。そして、複製元の世界と繋げる形でDR世界は存在してるから、いきなり世界の裏側の、例えばブラジルとかのDR世界に移動するってことも出来ない。……ま、これは『転送』を経由すれば出来るんだけどね」

 

 全く同一の、複製し、重複した世界。

 

 GANTZが作り出した、もう一つの世界。もう一つの現実。

 

 好きなだけ壊し、好きなだけ暴れられる、星人と戦士の闘技場(コロシアム)

 

「……そっか。知らなかったよ。わたしは殆ど新人みたいなものだけど、本当にわたしは、ガンツのこと何にも知らなかったんだね」

 

 現実を複製する。

 元になった世界を軸にし、繋がっている――鏡のような世界。

 

 由比ヶ浜結愛が登場した時も、黒槌を振り下ろした時も、そして自分がガンツソードで抉った時も――あれは、修復していたというよりも、文字通り復元していたのだろう。

 

 あれ程の所要時間(スピード)で、あれ程の完成度で復元が可能なら、確かにDR(この)世界ならばどんな戦争だって、どんな大戦だって受け入れて――無かったことに出来るだろう。

 

 ならば――だが。

 

 陽乃は目を細め、黒槍の穂先をダイナマイトボディの美女に向けて、言う。

 

「だけど、『本部(あなたたち)』も人が悪いんじゃない。こんな素敵なDR世界(もの)を、どうして自分達だけで独占(ひとりじめ)してたのかしら?」

 

 見れば見る程、聞けば聞く程、感じれば感じる程に完璧だ。

 地面を蹴る感触も、肺に取り込む空気の味すらも。

 

 ここまで見事な空間を作れるのならば、どうしてこの技術を、この世界を――『部屋』の戦士にも提供しないのか。

 

 そうすれば、池袋であれ程までに凄惨な地獄が生み出されることも、今こうして表の世界に星人の存在が暴露することもなかっただろうに。

 出し惜しみにしては、余りに不利益が生まれ過ぎている。

 

 陽乃のそんな言葉に――結愛も黒槌を向けながら答えた。

 

「――言ったでしょ。限界があるんだよ。……旨い話には、それなりの苦みもあるってこと。世知辛いよねぇ。でも、」

 

 世界は案外、そんなもんだよ。

 

 由比ヶ浜結愛は、一瞬哀れむような表情をして、そのまま誰かを彷彿とさせる笑顔で言った。

 

「だから、陽乃ちゃんも覚悟を決めてね。本来の合格点だった残り900点分の可能性――」

 

 

――この『入隊試験(ミッション)』で、見せてもらうよ。

 

 

 両者、同時に地を蹴る。

 

 由比ヶ浜結愛は黒槌を、雪ノ下陽乃は黒槍を、同時に突き出す。

 

 そして衝突し――爆発する。

 

 

 位相がずれた複製現実(DR)世界で、二人の美女が真っ向から激突する。

 

 

 




正義の味方と漆黒の魔王は、複製世界で激突する。

そして、雪ノ下陽乃の『入隊試験(ミッション)』が始まる。

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