比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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……これって、私、誘われてるの?


Side渚――④

 

 園川雀は、その光景に言葉を失った。

 

 E組生徒達が毎日登っている通学路を歩き、この時代に取り残されたような、俗世から排除されたかのようにぽつんと佇む木造古校舎を目の当たりにした時、彼女は思わず足を止める。

 ちょうど本校舎からは見せしめのような位置にあるこの校舎こそが、椚ヶ丘学園3年E組――成績不良の劣等生を、進学校の過酷な順位競争の敗者達を、一ヶ所に集めて管理する特別学級。

 

 エンドの、『E組』。

 

 立ち尽くす園川を置いて、烏間は一度目を細めた後、そのまま歩み出して校舎内へと入る。

 園川は慌てて烏間の後に続くと、教室の外の窓から彼等の――E組の授業風景を見学して。

 

 そして、言葉を、失った。

 

「――――ッ」

 

 そこでは、二十六人もの中学生が机を並べていた。

 

 特別珍しい風景でもない。

 マンガやゲーム機を手に持っている者もいない。スマホすら開いていない。

 むしろ却って今時珍しい程に、真面目に授業を受けている優秀なクラスといえるだろう――表面上は。

 

 だが、この光景を一目でも直接見た者ならば、口を揃えて言うだろう。

 

 この学級(クラス)は、崩壊し(終わっ)ていると。

 

 園川は、絶句しながら、とある少女の言葉を思い出していた。

 

 

――ただの、『エンド』ですよ。

 

 

 E組――エンドの、E組。

 

(…………これが……E組)

 

 そこは、池袋の病室で見た、『目』で溢れていた。

 

 あれほどの才気煥発の少女の瞳を占めていた、自棄と、諦念、失望と、侮蔑。

 それを真っ直ぐに己へと向ける少年少女が、二十六人、この教室には詰め込まれている。

 

 老教師が淡々と行う授業を、まるでお経のように聞き流しながら、中学三年生にして未来を絶望している子供達。

 

 園川雀は、そんな異常な教室に対し、ただ絶句するばかりだった。

 

「――さあ、行くぞ、園川」

 

 烏間惟臣は、そんな教室に背を向けて、真っ直ぐに職員室へと向かう。

 

「もうすぐ授業も終わる。その後、担任教師に事情を説明し、彼を呼び出してもらわなくてはならない」

 

 烏間は、教室の外からその生徒を――真っ暗な瞳が犇めく教室で、ただ一人、冷たい瞳で窓の外を眺める少年を。

 

 潮田渚を見詰めた後、そのまま目を切り、歩き出す。

 

「彼の相手は、一筋縄ではいかない。気を引き締めて臨め」

 

 決して呑まれるな――烏間のその言葉に、園川は生唾を呑み込み、彼に続いて職員室へと向かった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、その日のE組も、何も変わらず一日が終わった。

 

 終わった教室の一日が終わる。

 たった一日――後、何日、こんな終わった日常が続くのだろう。

 

 生徒達は僅かばかりの解放感に表情を綻ばせながらも、決して心からの笑みは浮かべられない中、彼等近所の席のクラスメイト達とぽつりぽつりと雑談をしながら、担任が帰りのHRへと戻ってくるのを待っていた。

 

 どうせ一人しか教師がいないのだから、最後の授業の終わりの後にそのままHRも済ませてしまえばいいのにと思うが、あの老教師は授業が終わる度に職員室へと戻り、きっちり次の授業の開始時間に教室に戻ってくるという習性を持っていた。

 

 そのことに関して何人かが笑いながらネタにする中、老教師が今日もいつも通り、きっちり時間通りに教室に戻ってきた。

 

 だが、HRといっても大した議題がE組にあるわけでもない。

 直近に迫った行事もないので、各授業で出した課題を期日までにしっかり提出するようにといった形式だけの連絡事項だけを告げて解散となるのだろうと誰もが思っていたが、今日だけは、少しばかり予想外の事柄が追加された。

 

「後、渚君。君はこの後、職員室へと来なさい」

 

 え? と、名前を呼ばれた張本人がぽかんとする中、他の生徒も疑問顔を浮かべている中で、当の老教師はその後はいつも通りに淡々と進行し、あっさりと解散を告げて教室を出て行った。

 

「お、おいおい、渚? お前、なんかしたのか?」

「いや、特に何も心当たりはないけど……」

 

 杉野が真っ先に渚へと問い掛けて、渚はそれに本気の疑問を返す。

 それに続いて磯貝や前原といったクラスの中心存在も渚へと問い掛けてくるが、寺坂らはそれをじろりと睨むだけでさっさと帰宅を決め込み、他のクラスメイトも渚が本当に心当たりがなさそうだと分かると、大事ではないと判断したのか、一人、また一人と教室を後にしていった。

 

「それじゃあ、杉野。悪いけど……」

「ああ、気にすんな。今日は先に帰ってるよ」

 

 杉野は申し訳なさそうに謝ってくる渚に苦笑しながらも、渚が教室を出て行った瞬間、少しほっとしたような表情になった。昼休みのキャッチボールのことは、彼の中で完全に修復出来てはいないらしい。

 

 そんな杉野も教室を出て、そのまま校舎を出て行くと――教室の中には、茅野カエデと、赤羽(カルマ)だけが残った。

 

「……カルマくん、まだ帰らないの?」

「うーん、このまま帰っても暇だしねぇ。……それに――」

 

 気になることもあるし――と、カルマは空っぽの鞄を肩に担ぐと、そのままニヤニヤと茅野を見詰める。

 茅野はそんなカルマを無表情で一瞥すると、そのまま帰り支度をして教室の出口へと向かった。

 

「茅野ちゃんはどうするの?」

「……どうするのって?」

「いやいや、誤魔化さなくてもいいって。茅野ちゃんも気付いてたでしょ?」

 

 あの、()()()()()()()()()――と、カルマは茅野の背中に向けて言う。

 

「俺には、アレが渚君の呼び出しと無関係とは思えないんだけど、茅野ちゃんはどう思う?」

 

 茅野は足を止めて、カルマの方を振り向いた。

 

「……これって、私、誘われてるの?」

 

 その表情は――カルマの知らない、茅野カエデの顔だった。

 

 まるで()()()()()()笑顔(さつい)だった。

 

 カルマはそれに、嘘のような笑顔で答えた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 山の中の古校舎から、生徒が一人、また一人と下校すべく下山する。

 一様に授業からの解放感から顔を綻ばせ、けれど、やはり何処かに影を落とした表情で。

 

 また一日が終わる。だけど、再び明日にはこの山を登る。

 下界から遠ざかるように、十三階段を上るように、自分達を隔離する牢屋のようなこの学級へ。

 

 そんな現実から、そんな終わってしまった現実から目を逸らしつつ、一時の仮釈放を享受すべく、今だけは普通の中学生に戻ろうと。

 

 一人、また一人と下校すべく下山する中――とある小柄な男子生徒が職員室へと呼び出されていた。

 

 この隔離教室では、問題児が見せしめのように集められるにも関わらず、実は生徒が教師に呼び出されるということは殆どない。

 

 E組は揃いも揃って――既に見放された生徒だからだ。

 教師からも、親からも、友達からも。

 

 故に、だからこそ、どれだけ成績不良でも、どれだけ素行不良でも、ここに落とされた時点で、彼等彼女等は再指導を受けることはない――筈だった。

 

 件の小柄な男子生徒は、大半のクラスメイトが下校しているであろう放課後に、職員室の前に立った。

 

 本校舎時代では、最後通牒を突き付けられた、己にとっての裁判場だった職員室。

 このE組では日直の時に授業道具を取りに来る時くらいにした訪れたことのなかった場所。

 

 少年は礼儀として形式的にノックして、扉を開けた。

 

「――失礼します」

 

 ゆっくりと(ひら)けた扉から、まずは顔だけを覗かせる。

 

 本校舎のそれとは違い、このE組の職員室はとても狭い。

 机によって形成される島も一つしかなく、校舎と同様にそれらの机も木造だ。

 

 一応、島を形成できる程度には数脚用意してある机も、実質一つしか使われていない。

 このE組では全教科を一人の教師が教える為、一人の教師しか派遣されないからだ。

 

 だが、扉を開けた先に待っていたのは、己を呼び出した、見慣れたE組担当の老教師ではなかった。

 

 もっと言えば一人でもなかった。教師でもなかった。

 見慣れない、かっちりとした服装の大人。まるでビジネスマン――いや、もっと公的で、もっと法的な誰か。

 

「――潮田、渚君だね?」

 

 二人の大人の男の方が言った。

 スーツの上からでも分かる鍛え上げられた身体。猛禽類のように鋭い目つき。そして放たれる気配。

 

 問われた男子生徒――潮田渚は、己の中に冷たい血液が流れるのを感じる。

 察したからだ。この男が、只者ではないことを。

 

 もっと言えば、知っていたからだ。

 この男が只者ではないことを――昨夜の戦場で、潮田渚はそれを知っていた。

 

 だから渚は――小さく、笑った。

 

「――はい。僕が、潮田渚です」

 

 そして笑顔のまま逡巡し――そのまま笑顔で、言った。

 

「昨日ぶりです――烏間さん」

 

 男は――烏間惟臣は。そして、その横に立つ女――園川雀は。

 

 目の前に現れた小さな少年が放つ――()()に、グッと心を引き締める。

 

 放課後のE組の職員室にて。

 

 二人の軍人と、一人の中学生による、奇妙な三者面談が始まった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 普段、E組担任が使用している席に烏間が座り、その横に園川が座る。

 そして、机二つ分のスペースを挟んで、向かい側の机の椅子に渚が座った。

 

 渚は指示されたその席に座る間も思考する。

 何故、烏間惟臣が――此処に現れたのか。

 

 椚ヶ丘学園3年E組に、やってきたのか。

 

(わざわざ僕のことを指名してこういう場を用意したってことは、間違いなく烏間さんは昨日のことを覚えている。僕の顔も知っていたし、名前も……昨日のあの戦場で、平さんからでも聞いたんだろうな。……一瞬考えたけど、そうなると知らないふりをするっていうのも意味ない。……分かんないな。ガンツの秘密保持の爆弾って、もう大丈夫なのか、それともまだ――)

 

 渚はそっと頭を触る。

 あの『部屋』において、潮田渚は決して真相というものに近い立場にはいない。まだまだ知らないことが山のようにあるのだろう。

 

 だが、今も機能しているかどうかはさておいて、この頭の中の爆弾は、こういう時の為に埋め込まれたものなのだろうということくらいは分かる。

 ならば、これから自分がすべきことは――爆弾のスイッチがONであろうとOFFであろうと――余計なことを言わないということだ。

 

 余計なことを言わず、余計なことをせずに、この三者面談を乗り切ることだ。

 

 そう己の中で結論付けて、渚は――笑顔で武装した。

 

 

 

 園川雀は目の前の存在が信じられなかった。

 

 神崎有希子――彼女を前にして感じた闇のようなもの。それを初めて突き付けられた時も絶句したものだ。そして、先ほどの授業参観を経て、彼女は己の愚かさというものを痛感させられた。

 

 書類上の情報だけでは、決して理解出来ない教育の闇が――E組(そこ)にはあった。

 

 ほんの一年前まで、日本でも有数の進学校のエリート中学生として、順風満帆だった筈の、成功が約束されていた筈のレールが――突如として消失し。

 身体を突き抜けるような突風によって大舟は転覆し、成功の約束手形は破り捨てられ、真っ暗な海の中へ、凍えるような奈落の底へ、真っ逆さまに落とされた十四才達。

 

 必死に手を伸ばしても、親にも、教師にも、友達にも、誰にも彼にも侮蔑の表情で背を向けられた――そんな絶望に飲み込まれた一クラス分もの少年少女達の抱える闇は、まるで、その教室だけ真っ暗な夜であるかのように、澱んでそこに存在した。

 

 E組(ここ)いる彼も、彼女も、皆きっと神崎有希子に負けず劣らずの才能を持った原石だったのだろう。

 そんな子供達が真っ暗な部屋の中、真っ暗な瞳で、ただ一日が過ぎるのを俯きながら待っているその光景は、思わず園川自身が俯き、涙してしまいそうな程に、見るに堪えないものだった。

 

 けれど――この子は、違うと、そう思った。

 

 闇は抱えている。それもとびっきりの闇を。

 だが、この子の抱える闇は――この子が放つ闇は、違う。

 

 闇の――危うさの、種類が、純度が、違う。

 

(……いや、この子はもう――)

 

 神崎有希子とも、また違う。

 あの少女が境界(ボーダー)を跨ぎ掛けているのならば、この少年は――きっと。

 

「…………っ」

 

 だから、この少年は――こんなにも穏やかに笑うのか。

 

 こんなにも、穏やかで、美しい――殺気を、人に向けるのか。

 

「………………ッッ」

 

 冷や汗が流れる。机の下で掌をスーツで拭う。

 

 どうして。

 神崎有希子と同い年の、こんなにも小さく見るからに非力な、()()()()()()()が。

 

 こんなにも――怖いの?

 

 

 

 烏間惟臣は己が目を疑った。

 

(…………これが……潮田、渚か……?)

 

 男子三日会わざれば刮目してみよとは言うが、たった一日で――いや、正確にはたった一晩で、ここまで変わるものなのか。

 

 烏間が知っている渚は、確かに中学生とは思えない程に戦場に適応していた戦士だったが、それでもあの時の彼は、もっと――澄んだ少年だった。

 仲間を守る為に自ら囮となり、初対面の自分を信用して、ほんの僅かな間だったが共に怪物と戦った。

 

 その時の彼と、今目の前にいる潮田渚が――重ならない。

 

 まるで一皮剥けたような――まるで一段、落ちたような。

 

 とても大事な何かを――踏み外してしまったかのような。

 

「……渚君。昨日も会ったが、改めて名乗ろう。烏間惟臣だ。元自衛官で現防衛省勤務。今はとある事情で警視庁に出向している。こちらは園川雀、私の部下だ」

「……! よ、よろしくね、渚君」

 

 二人の大人が名乗ると、渚は「潮田渚です。よろしくお願いします」と礼儀正しく頭を下げる。

 

(警視庁に出向……よく分からないけど、よくあることなのかな? ということは、今日来たのは警察として?)

 

 渚が頭を下げて上げる間も思考を続けながら――微笑みを絶やさないのを見て、烏間は「……それで、本題に入る前になんだが、渚君」と前置きながら、渚を真っ直ぐ見据えて、射竦めた。

 

「――不用意に殺気は向けない方がいい。耐性がない者には怯えを、耐性がある者には警戒心を与える。どちらにせよ、良いことは何もない」

 

 表の世界での日本最強の男が放つ殺気に――渚の手が、腰に伸びる。

 

「っ!?」

 

 そして、ふと我に返ったように停止し、渚はきょとんとした顔で烏間に問い掛けた。

 

「……殺気、ですか? 僕が……出してましたか?」

「…………ああ。あんな戦場で戦っているんだ。殺気の一つも身に付いてしまうだろう。だが、普通の一般人には縁がない代物だ。普段は押さえておくに越したことはない」

 

 烏間は机の上に肘を着くように――左手で右手を押さえるようにしながら言う。

 

 こうは言ったが、渚の放つ殺気は、所謂戦士のものではないような気がしていた。

 軍人とはいえ、非戦国家を宣言している日本の軍隊の一員だった烏間は、現役時代は殆ど戦場に赴いたことはない。

 

 本物の戦場を、本当の地獄を知ったのは、むしろ防衛省に勤め始めた頃だろう。

 真っ暗な闇の中で一つの情報を奪い合ったこともあれば、秘密裏に日本という国家に対しての潜在的害悪を消したこともあった。

 そこには多種多様の殺気が入り交じっていて、そこには種々雑多な戦場に生きる者達がいた。

 

 誇りを胸に戦う者。

 金銭を稼ぐ為に闘う者。

 家族の為に生きる者。

 愛する人の為に死ぬ者。

 

 そこには戦士もいれば、傭兵もいた。軍人もいれば、諜報員(スパイ)もいた。

 

 昨夜で言えば、あの東条英虎は戦士だろう。葛西善二郎は犯罪者だ。しかし、渚は違う。

 

 潮田渚の放つ殺気は、己から湧き起こる闘志でも、他者を弄ぶ愉悦でもない。

 

 もっと澄んだ黒で、もっと鋭く冷たい黒だ。

 

「……そっか。ごめんなさい。少し緊張していたみたいです」

 

 緊張――というよりは、警戒だろう。

 無意識の内に高まっていた警戒心により、知らずの内に殺気が漏れた……?

 

(……まだ殺気を制御出来ていない? 確かに、普通は制御するようなものではなく、知らず知らずの内に漏れてしまうものだろう。しかし『プロ』ならば、殺気の制御法など呼吸のように心得ていて当たり前だ)

 

 彼等は――『黒衣の戦士達』は、対怪物用に訓練された部隊というわけでは、プロとしての訓練を受けた戦士ではないのか。

 

 だとすれば――()()()()

 

「…………」

 

 元々、心から納得していた訳ではない――が、それでも、命令は命令だ。

 

 ()()命令だ。

 

(……本当に、何を考えているんだ…………)

 

 烏間は組んだ手を思わず額にぶつける――その時、目の前から、()()()()()

 

「っッ!?」

「なっ!?」

 

 烏間だけではなく園川も瞠目する。

 一体いつの間にいなくなったのかと腰を浮かせかける――が。

 

 渚は、()()()()()()()()()()()()

 

「――さて。僕に聞きたいことって何ですか? 烏間さん」

 

 目の前の少年は、とても穏やかに笑っていた。

 

 今度の笑顔は殺意の欠片もない――虫も殺せなさそうな微笑み。

 

 思わず腰を下ろす。そして、烏間は己の右手が拳を解いていることに気付いた。

 

(……どういうこと? さっきまで、私はこの子を怖がっていたのに――今はいっそ安堵すらしている……。同一人物なのに、()()()()()()()()()()()()()()のにッ!)

 

 園川はごくりと唾を飲み込む。

 そして――烏間は。

 

(……やはり、そうか。あの殺気の鋭さ。そして、この殺気の消し方。……紛れもない。これは――)

 

――殺し屋の、才能。

 

「…………」

 

 烏間の脳裏に、昨夜の業火の戦場が蘇る。

 

 潮田渚。

 

 確信を得た。この少年は、きっと烏間が求める真実へと繋がっている。

 

 黒い近未来的スーツの戦士について。

 人間からオニへと変貌する怪物について。

 

 そして――『死神』に、ついて。

 

「…………昨夜も君に言ったな。俺は、君に聞きたいことが、山ほどある」

 

 烏間は、瞑目する。

 彼は自分が知りたいことを知っている。渇望した真実が、目の前にいる。

 

 だが、烏間の瞼の裏に響くのは、この椚ヶ丘学園に辿り着いた車内で受け取った――電話からの言葉。

 それは、烏間が最も信頼する上司からの、信用出来ない言葉だった。

 

『――烏間。椚ヶ丘学園に向かってるって? ……だったらよ……ちょっと一つ、頼まれちゃくれねぇか?』

 

 元自衛官で現防衛官――日本という国に尽くす戦士は、目を開ける。

 

「――だが、それらを聞くよりも前に……我々は、君に頼みたいことがある。今日は、それを伝えに来たんだ」

 

 隣で園川が息を呑む。

 烏間はそれに何も言わず、渚は烏間に問い返した。

 

「……頼みたい、ことですか?」

「……ああ。昨夜の池袋大虐殺事件、その終戦の立役者の一人である君に――防衛大臣から直属の依頼だ」

 

 防衛大臣? と、渚は繰り返す。

 余りにも大きい役職名故に現実感がなかったのか、渚はただ訝しむばかりだ。

 

 その様子はどこからどう見ても普通の中学生で、自分が聞いた情報と、先程までの異様な雰囲気からもかけ離れていて、烏間はその言葉を思わず一度飲み込んでしまう。

 

 だが――これは、国家命令だ。

 

 日本という国に尽くし、日本という国を守り、日本という国の為に戦う。

 それが――烏間惟臣の使命であり、職務だ。

 

 これは大人の仕事なのだ――その為に、子供の人生を利用するのだ。

 

 烏間は言う。覚悟を以って、告げる。

 

「……今夜、午後六時より。総理大臣と防衛大臣による、昨夜の池袋大虐殺の説明会見が行われる」

 

 

 潮田渚君――君も出席して欲しい。

 

 

「…………え?」

 

 

 その言葉に、真っ直ぐ見据えられた潮田渚も。

 

 

 窓の外で聞いていた、茅野カエデも赤羽業も、絶句するしかなかった。

 

 




潮田渚は、奇妙な三者面談を終え、新たな戦場への招集を受ける。

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