山の中に忘れ去られたように佇む、木造の旧校舎。
椚ヶ丘学園3年E組――通称エンドのE組での一日は、今日も
今は午前と午後の狭間である昼休み。
全ての学生が授業からの解放感に身を伸ばし、仲の良い友達と共に昼食を楽しむであろう時間帯。
落ちこぼれ底辺クラスであるE組にも流石にこの時間は平等に提供されていて、すっかり置いていかれてしまった授業のことは忘れて、生徒達は束の間の安らぎと共に午後の授業への英気を養っている。
そんな同級生達の余所で――よく晴れた空の下、二人の少年がキャッチボールをしていた。
「いくぞ! 渚!」
爽やかな短髪に両手首に巻いているリストバンドが特徴的な少年が、足を高々と上げて背筋を曲げるクセのあるフォームでボールを投げる。
そして、そのボールを、キャッチャーの姿勢で腰を落としていた小柄な少年の構えるキャッチャーミットが見事に捕球した。
パァン、と、小気味いい音が響く。
それによりボールを投げた少年――杉野友人が、花が咲くような笑顔を浮かべた。
「――ぉぉ……おお! ナイスキャッチ、渚! 本当に捕れてんじゃねぇか俺の球!」
「……はは。でも、やっぱり手が痛いけどね。用具室にキャッチャーミットがあってよかったよ」
杉野がはしゃぐ様子に苦笑しながら、小柄の少年――潮田渚は立ち上がってボールを投げ返す。
そのボールをパシッと受け取りながら「よし、次はもう少し速く投げるぞ!」と言いながら再び投球動作に入る。
渚は親友に優しく微笑みながら「流石にマスクはしてないから、お手柔らかにね」と呟くと、再び腰を下ろして捕球体勢に入る。
そんな二人の様子を、一人の少年と一人の少女が見ていた。
「…………」
木造平屋の旧校舎から、渚達がキャッチボールをしている運動場へと降りる階段に腰を下ろしている緑髪の小柄な少女――茅野カエデは、膝に両肘を立てて両手で顎を支えるような姿勢で、渚と杉野を無表情で眺めている。
この二人が昼休みにキャッチボールをするのは、そう珍しいことではない。
親友同士で席も前後な二人は、昼食も共にすることが多く、食べ終えたその足で食後の運動とばかりに運動場へと繰り出すこともしょっちゅうだった。
小学校ならばともかく、中学校ともなると、昼休みに校庭で体を動かして遊ぶという生徒達は少ない。運動部の自主練習をする者達くらいだろう。
その上、この隔離校舎のE組の運動場は、お世辞にも綺麗とは言えない。
雑草がそこら中に生え、砂利も多く、一応は置かれているサッカーゴールもネットすら張っておらず錆び付いているといった有様だ。
カリキュラムに申し訳程度に用意されている体育の時間も、体を思い切り動かすことよりも怪我をしないようにすることに神経を使わなくてはいけないような始末。好き好んで自由時間を過ごしたい場所ではないだろう。
そんな場所で、何故、杉野と渚はキャッチボールをするのが日課なのか。
偏にそれは、杉野が元野球部で、渚がそんな杉野に付き合っているからだ。
かつて野球部のレギュラーだった杉野。
しかしレギュラー落ちしてから自身の野球の才能に悩み、勉強にすら身が入らなくなり、そしてE組へと落ちることになった。
学業成績不振者に対する特別強化クラスであるE組生徒は、全ての部活動への参加が禁止され、強制退部が言い渡される。
故に杉野は野球部を追われ、それでも野球への想いを断ち切れず、今は市のクラブチームでプレイをしているといった状況だ。
だが、杉野の根底からは野球部での落伍、そして自身の
先日に行われた球技大会のエキシビションにおいても、E組対野球部という晒し者に近い催いだったとはいえ、杉野のボールはかつて共に練習に励んだメンバーに打たれに打たれた。
それでも杉野は、今でも暇さえあればボールに触れようとし、野球に縋ろうとする。あの日、聞こえてしまった心の折れる音を、必死に耳から消し去ろうとするように。
渚はそんな杉野の気持ちを察して積極的に付き合い、一人では出来ない練習を手伝うようになっていた。
しかし、野球未経験者であり、それどころか碌に運動部経験もない渚に出来ることなどたかが知れていて(球技大会の時も、キャッチャーマスクにプロテクターを着けていても杉野の球をまともに捕球することは出来なかった)、時間も限られている昼休みに出来ることなど精々が軽いキャッチボール程度だったのだが――。
「……今日のは随分と本格的じゃん」
二人の様子を無言で眺めていた茅野の後ろに、一人の赤髪の少年が立っていた。
彼も校舎の方からこのキャッチボールを眺めていたのは茅野も気付いていた。はっきりと話し掛けられたので、茅野は渚達から目を離さないまま言葉を返す。
「初めはいつもよりも少し速い程度だったんだけど。……でも、今はもう――杉野ほとんど本気だよね」
パァン! という捕球音が、明らかに初めとは違っていた。
「…………」
無邪気な笑顔が消えて、完全に真剣な表情になっている杉野を、赤髪の少年――赤羽業は、冷たく見据える。
そして、その目線はすぐに、その表情を引き出している元凶たる捕手――潮田渚へと向けられる。
完璧に受けられているわけではない。
変化球には完璧に対応出来ずに弾いてしまうので、どうやら
だが、それでも、ストライクコースの直球だけならば、渚は見事に捕球していた。
「……杉野ってさ。ボールが遅くて打たれまくったから、レギュラーから落ちたって言ってたっけ」
「……確か、そんなこと言ってた」
「……けどさ――」
カルマは冷たく、見下すような声色で――吐き捨てるように言う。
「いくら遅いって言ってもさ。野球部のレギュラーに――それもピッチャーになれるような奴の全力に近い球を、何でど素人の渚君が、
パァン、と、渚は瞬き一つせずに捕球する。
額に汗が滲み始めたからなのか、それとも別の要因なのか。
笑顔から無表情へ変わった顔に苦りが混じり始めた杉野には一瞥もせず、ただ渚だけを見据え続けている茅野は、ポツリとカルマに言葉を返す。
「――怖くないからだよ」
「……ん?」
茅野の言葉の意味が分からず問い返すカルマに、やはり茅野は淡々と答える。
「渚……杉野のボールを、瞬きせずに完全に目で追ってる。だから捕れるんだよ。野球部のストレートを、全く怖がってない」
「…………」
ちう、と、手に持っていた紙パックのいちごオレを吸いながら、カルマは渚へと目を向ける。
動体視力――というよりは、茅野の言う通り、これは恐怖心の問題だろう。
杉野のボールは、およそ100km/hに満たないくらいだろうか。
野球部のエースのストレートとしては確かに物足りないかもしれないが、それでも、野球未経験者の人間にとっては、そんな速度で軟式といえど野球ボールのような硬い物質が迫ってくれば、当然、恐怖する。本能的に臆するだろう。
目を瞑ってしまう。反射的に回避、あるいは防御しようとしてしまう。
だが、時速100km/h程度であれば、一般人でもバッティングセンターで打てる速度だ。つまり、慣れれば目で追うことも十分に可能である。
無論、機械が機械的に放るそれと、人間のピッチャーが投げるそれとでは、球質にまったくの違いが生じるのであろうが、それでも、捕れない球ではない。
本能的な恐怖心を殺し、冷たいまでの冷静な平常心で、しっかりとボールを目で追うことが出来れば――だが。
「………」
パァン、と。先程までは小気味よく聞こえていた音を聞き流しながら、カルマは思考する。
別に神業という技術でもない。自分でも難なくこなすことも出来るだろう。自分ならば変化球も問題なく捕球出来るかもしれない。
だから、異常なのは――やはり、心だ。
ほんの少し前まで出来なかった少年が、たった数日で殺してしまった恐怖心の問題だ。
同級生の野球部が投げる全力のストレートを、まるで近所の子供が投げる石ころを見るような冷たい眼差しで見据えるようになった――あの水色の少年の、心の問題だ。
「…………」
先日から感じる、変異した同級生を見ると何故か胸の中に渦巻く正体不明の不愉快な感情を押さえながら――ふと、目の前に座る別の同級生を見遣る。
(……変わったと言えば、茅野ちゃんもだ)
渚は気付いていない。恐らくは誰も気付いていない。
けれど、先日から変異した渚をずっと意識していたカルマだからこそ、僅かに覚えた違和感だった。
茅野カエデ。
暴力行為による停学により、このE組に誰よりも遅れて参加したカルマが、このE組で初めて出会った同級生。
他校から編入してきたにも関わらず、何故かこんなE組にやってきた女子生徒。
元々気になる経歴の持ち主だったけれど、それでも、昨日までは普通の中学生のように見えた。
だが、今は――。
「…………」
渚を――ひたすらに渚を真っ直ぐに見据える彼女を、細めた目線で見据えるカルマ。
だが、その時、断続的に続いていたパァンという捕球音が途絶えた。
「…………杉野?」
これまで渚からボールを受け取ったらすぐに投球動作に入っていた杉野が、手首のリストバンドで汗を拭きつつも――顔を上げない。
それを見て不思議がり、立ち上がって杉野の元へ向かう渚。
カルマは、そんな二人を上から見下ろしつつ、(……まぁ、そうなるよね)と冷めた目で見据えていた。
杉野は自身の球の威力の無さにコンプレックスを抱いていた。
中学生となり、成長期で体が大きくなっていくにつれて、周囲の同級生の球速はどんどん速くなり、エースを争うライバルだった進藤は140㎞/hにまで達して、文字通り力づくでレギュラーを奪われた。
生まれ持った才能の差――それを球技大会で嫌という程に見せつけられた傷も全く塞がっていない内に、
自分以上に背が小さく、体も細く、特殊な訓練どころか運動部にすら所属したことのないような少年に。
ああも容易く、ああも淡々と、瞬き一つしないで――己の全力投球を捕球される。
それは、仮にもエースを目指して何年間も練習に打ち込んできた野球少年にとって、屈辱以外の何物でもないだろう。
折れた心を、完全に圧し折って余りある――闘争心を、反骨精神を、情熱を、夢を、殺されて余りある光景だったことだろう。
「……悪い、渚。今日はもう、いいや」
「え、でも、昼休みはまだ残ってるよ」
「いいんだ――渚、もういいんだ」
ちょっと、疲れたよ――そう言って、杉野はリストバンドで汗を拭きながら、一度、瞳を拭って、グローブを外す。
「ありがとうな、渚。付き合ってくれて。ミット貸してくれ。用具室に仕舞ってくるから」
そう言って杉野は渚からキャッチャーミットを預かると、「渚は先に教室に戻っててくれ」と言い残すと、そのまま用具室へと向かった。
渚は自身も手伝うと言って続こうとしたが、杉野の
「……杉野」
自分は何かしてしまっただろうかと、渚は眉を下げながらも、とりあえず言われた通り教室に戻ろうと階段を上がる。
そして、渚はその時に始めて、茅野が自分達を見ていたのだと気付いた。
「あれ? 茅野」
「お疲れ様、渚」
渚は、自分を見下ろすように立ち上がりニコリと明るく笑う茅野を見上げる。
彼女と同じ段にまで辿り着くと、今度は茅野が渚を見上げながら、すっと手に持っていた水を渚に差し出した。
「はい、水分」
「大丈夫だよ、喉が渇くほど長い時間やってたわけじゃないし」
「いいからいいから」
遠慮する渚に茅野はどうぞどうぞとばかりに両手を出して返却を断る。
これ以上遠慮するのも悪い気がして、渚は一口だけ飲んで茅野へとペットボトルを返した。
「間接キスとは、やるねぇ渚君」
「からかわないでよ、カルマ君。あ、でも、ごめん、茅野イヤだった?」
渚がカルマの言葉に苦笑しながら返すと、茅野の方を申し訳なさそうな顔で振り向いた。
茅野は「大丈夫だよ」と笑顔で首を振ったが、茅野も、そしてカルマも一瞬だけ目を細めた。
確かに渚は草食男子といったタイプで、エロネタにも同級生の岡島程に熱心だったわけではないが、それでも中学生の思春期少年らしく、異性関係の話題には照れる程度の反応を見せる少年だった筈だ。
先程のキャッチボールといい、まるでここ数日で感情というものが希薄になってしまったかのようだ。
いや、希薄というよりは――悟りに近いか。
まるで自分の人生観を、一変させるような体験をしたかのように。
「……渚君。インドでも行った?」
「なに、カルマ君、急に。行ってないけど」
「……いや、よく俺の両親が、インド行ってそんな風になって帰ってくるからさ」
そんな風? と言って首を傾げる渚。
カルマはそんな渚をへらへらとした口元で、けれどまったく笑っていない目で答える。
こんなことを言ったが、カルマはそんなものではないということを理解している。
海外旅行程度で、こんな風に変わるわけがないだろう。
それにこれは、そんなにも平和的な変異ではない。
もっと恐ろしく、もっと致命的な何かだ。
(……そんなことには、きっと、俺よりも茅野ちゃんの方が気付いているよね)
茅野は笑顔だった。完璧な、仲の良い同級生に対して向ける笑顔。
「…………」
それをカルマは細めた瞳で見ていると、渚が「そもそも――」と、茅野とカルマに対して尋ねてきた。
「――なんで二人は、ここにいるの? いつも昼休みは教室にいなかったっけ?」
前述の通り、渚と杉野が昼休みに校庭でキャッチボールをするのは日課といっていい。
しかし、そんな二人を校舎の外に出てまで、この二人が見ていたのは今日が初めてだった。
カルマは「別に、ちょっと外でいちごオレ飲みたくて出てきただけだよ。ていうか、俺は今来たとこだし。鞄だけ置いて出てきた」と言って手に持っている紙パックを振る。
渚の目は茅野に向くが、茅野はそんな渚にニコっと微笑んで――。
「――私はね、ちょっと渚に話があるの」
そう言って、一歩前に出た。
「……話?」
「そう――
茅野は、そこで初めて笑顔を消して――自分の胸に手を当てて、言った。
手遅れなのかもしれない。
今更、何を言ったって変わらないのかもしれない――茅野カエデが、何も出来なかったという事実は、何も変わらないのかもしれない。
あの日、あの時、あの瞬間に言うことに意味のあった言葉なのかもしれない。
それでも――茅野は、言うと決めたから。
戦うと決めたから。
殺してでも、救ってみせると誓ったから。
これは――その為の、誓いの暗殺だ。
「渚――貴方は、自分の好きなように生きていいんだよ」
昨日の夕暮れの下校道。
渚は、茅野に対し、己が呪縛からの解放を告白した。
――茅野。僕は、解放されたのかな?
唐突に支配から解放されて、実母の
潮田渚という少年は、淡々と、壊れたように、己が根幹の秘密を語った。
その様が余りに異様で。
その表情が、余りにも悲しそうで、余りにも寂しそうで、余りにも嬉しそうで。
茅野は、渚からのこの問いに、何も答えることが出来なかった。
――…………茅野。僕は、これから……どんな風に、生きていけばいいんだろう?
あの時は何も言えなかった。何もすることが出来なかった。
何かをしなければ、何かを言わなければ――何をしてでも、少年を救うような何かを言わなくてはならなかった
あんなにも辛そうで、あんなにも危うい少年を、救えるヒロインでなければならなかった筈なのに。
「なりたいものになっていい。やりたいことをやっていい。渚――あなたは、自由になったんだよ」
だからきっと、こんな言葉には何の意味もない。
一晩経って、きっと何かに完成してしまった、今の渚には――こんな言葉は、きっと響かない。
何も救えないし、誰も救われない。
渚はこれからも『あの男』を追いかけるのだろうし、茅野の後悔だって、きっと消えない。
それでも、茅野は言葉を続けた。
正しいかどうかも分からない。意味があるとも思えない。
それでも――少女は、ヒロインを演じることを止めない。
茅野は踏み出す――あの時、踏み出せなかった一歩を。
その為の、これは暗殺だった。
(渚……私は――)
茅野は、隣でカルマが呆気に取られているのにも構わず、目の前で呆然としている少年に向かって語り掛ける。
「もし不安なら、何だって相談してよ。一緒に考えるから。一緒に悩むから。渚がもし間違えそうなら――私が全力で止めるから」
例え、殺してでも――救うから。
茅野は、こればかりは言葉に出さず、心中で刻み込むように呟くと。
再び――笑顔で。
主人公を救うヒロインのように――
「渚。私は、ずっと傍に居るから」
演じることに全てを捧げた少女の、偽りなき
水色の少年に――果たして、届いたのか。
「……そっか。ありがとう、茅野」
渚は、ただ一言、そう言って微笑んだ。
その笑顔に――茅野は、苦笑する。
「……ううん」
後ろ手に組んだ指に、ギュッと力が入る。
それにカルマは気付いたが、渚はその笑顔のまま頭の後ろに手を当てて言った。
「ずっと考えてくれてたの? ごめんね、昨日は変なこと言って。お陰様で――何とか心の整理がついたよ。昨日、あの後に色々あってさ」
「……そっか。ううん、こっちこそゴメンね。あんなに真剣な悩みを打ち明けてもらったのに、その場で何も言えなくって」
本当、ゴメン――と、茅野は笑みのまま、目線だけは俯いて呟いた。
渚は「ううん、こっちこそ。いい年して恥ずかしいんだけど、僕もいい加減親離れすることにするよ」と言って頭を掻いた。
カルマは茅野を一瞥すると、渚の首に腕を回して「何? 渚君がマザコンって話?」と言いながらニヤニヤした顔を向ける。
渚は「はは、違うって。まぁ、でも、ざっくり言うとそんな感じ、かな?」と言って苦笑する。
すると、その時、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「あれ? もうこんな時間なんだ。二人とも、教室戻ろっか」
「そうだねぇ。流石に午後からは授業出よっかな。……ほら、茅野ちゃんも行こ」
渚がチャイムの音に一番に反応して先頭を行く。
カルマがそれに続こうとした時、茅野がただ一人、足を止めていたことに気付く。
茅野はカルマの言葉に「……うん。今行くよ」と言って、校舎の方へと振り返り――その背中を見る。
小さい背中――遠い背中。
昨日は、この背中が消えるまで、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「…………っ」
自分が届けた言葉は、果たして届いたのだろうか。
自分が届けたかった思いは――想いは――果たして。
「――ねぇ、さっきのって告白?」
茅野が無意識の間に唇を噛み締めていると、見詰めていた背中との間にカルマが顔を出してきた。
ニヤニヤとした顔の彼に、茅野は一瞬呆然として――そのまま一歩を踏み出して、カルマを追い抜く。
「……違うよっ。さっきも言った通り、昨日答えられなかった人生相談に答えただけ」
「ふーん」
明らかに含みのあるカルマのリアクションに、茅野の足が早まる。
すると、前を歩く渚の背中が、先程よりも近いことに気付いた。
「…………!」
昨日と違う景色に、昨日よりも近い背中に――茅野は自分が踏み出せたことに気付く。
思わずを後ろ振り返るが、そこには未だニヤニヤ顔のカルマが居て、その長い指で己の耳を指差していた。
初めはそのジェスチャーの意味が分からなかった茅野だが――やがて、その意味が分かると。
「~~~~ッ!」
バッと――
先を歩く二人の「ど、どうしたの茅野? 顔赤いよ?」「な、何でもない! 何でもないから!」というやり取りをニヤニヤした顔で聞いていたカルマは――歩みを止めて、表情を消して。
「………………昨日、色々あった……ね」
そして、ふと振り返り、誰もいなくなった運動場を眺めながら――紙パックのいちごオレを吸う。
「……一体、どんなことがあったら……あんな風に――人は変わるんだろうね」
ズズ――と、何も吸えず、喉を潤せなかった音。
カルマは――変異した渚の、あるいは
冷たい瞳を思い浮かべながら、空になった紙パックを握り潰し、既にいなくなった二人を追って、E組へと登校した。
天才子役は、標的たる同級生に、宣戦布告の暗殺を贈る。