東方魔法録   作:koth3

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ユグドラシルの葉の下で

 大階段を駆け上った先の世界樹前広場は、ひっそりと静まり返っていた。ネギたちは警戒を深めながら、広場の中央へ進んでいく。

 見上げる必要もあるほど巨大な世界樹が、色とりどりな光を輝き放つ。その光に一本の影を落とす、世界樹前広場の大時計が、寂しげに二時少し前を指し示している。時計の針が進む、規則的なかちかち音が、夜陰へ虚ろに唸る。

 世界樹の光のおかげで、視界は良好だ。ネギたちが見渡す限り、誰もいない。広場に繋がる階段にも、広場の周囲にも、世界樹の辺りにも、怪しげな影はない。

 泳ぐような闇の中か、それともその闇を明るく照らし出す光の中か、どこから敵が現れるか分からず、ネギと明日菜は背中合わせに厳戒をこらし、その額から大粒の汗を滴らせていた。

 汗がぽたりと地面へ落ちた瞬間、子供のような高い声が響いた。

 

「ようこそ、普通の魔法使い」

 

 二人が反応する。素速く身体を反転させ、声のした世界樹へ顔を向けた。世界樹が煌々と照らす光により生まれた梢の影で、敵の姿が中々見えない。しかし、じっと声のした方へ目をやり続けていると、茂みの中が見通せるようになってきた。

 そして、声の主を見て、二人は身体を強張らせた。

 そこには、上等な狩衣に太陰太極図をちりばめた前垂れを着たユギ・スプリングフィールドが、地上から十数メートルという高さの世界樹の枝に腰掛けている。脚をぶらぶらと揺らし、二人の反応を見て、妖婉に笑む。

 

「ユ……ギ?」

 

 ネギからこぼれ落ちた言葉は、余りに弱々しく、夜の静寂にかき消されるほどだった。しかしそれが届いたのか、ユギは笑みをますます深め、口元を真っ黒な扇子で隠し、肩を震わせた。

 

「さて、自己紹介をば。私がこの異変、創世異変の黒幕、ユギ・スプリングフィールド改め、一人一種の妖怪。スキマ妖怪、八雲黒。お見知りおきを」

 

 舞台役者のように大仰な身振り手振りでユギは礼をし、枝から飛び降りた。

 重力に引かれ墜ちてくるユギに、ネギは咄嗟に走り出した。ユギは魔法が使えない。あの高さの世界樹の枝から飛び降りようものなら、地面に激突して死んでしまう。

 だが。

 だが、しかし。

 ユギは地面に激突することはなかった。かといってネギが受け止めたわけではない。

 ユギは、空中を引き裂くように現れた狭間に柔らかく受け止められた。それは空間に空いた穴のようなもので、縁にユギを腰掛けさせたまま、地上へ降りてきた。

 ネギの眼前に、ユギが立つ。穴は閉じていた。

 

「ふふ」

 

 身動き一つできなかったネギは、ユギにちょんと肩をおされる。バランスを崩したネギが後退りすると、突如足下が抜けた。

 足下に、あの穴がぽっかりと開いていた。飛行魔法を発動する暇もなく、ネギは穴に呑み込まれる。

 そこは奇妙な空間だった。落とされてすぐ、上下左右の感覚が失われ、ネギは落ちているのか、それとも飛んでいるのかすら分からなかった。周りに目を向ければ、目や手足など、人間のパーツが浮かんでおり、身もだえている。それはネギに反応しているようだった。

 ここに長くいるのは危険だ。本能がネギにそう伝えた。なんとか抜け出そうともがいていると、再び足下に穴が開き、どすんと固い地面に落とされた。

 尻餅をついたネギのすぐ近くには、明日菜がいた。

 

「ね、ネギ!? 何が起きたの!?」

 

 明日菜は大剣を脇構えに、ユギへ突っ込もうとしていた。

 しかし突如ネギがすぐそばに現れたことに驚いているのか、目を丸くしている。

 

「スキマ旅行はどうでした?」

 

 クスクスと笑い声をこぼし、ユギはゆったりした所作でネギたちへ近づいてくる。そして敵意が放たれる。息が詰まるほどの敵意だ。明日菜が表情を歪め、大剣を構えなおす。

 

「嘘だ」

 

 立ち上がることなくネギは無機質にいった。

 

「嘘だ、そんなの、嘘だ……」

「しっかりしなさい、ネギ!」

 

 明日菜の叱咤も今のネギには届かず、ただ自らの殻にこもろうとしていた。

 しかし、そんなネギの近くにごろりとスイカ大の何かが転がり込んできた。それは、かつて戦ったヘルマンの頭だ。悪魔だからか、頭だけでも生きている。ヘルマンは傷だらけで、息も絶え絶えだ。それでも弱々しげに瞼を開き、ネギを見詰め、苦悶の表情で言葉を絞り出す。

 

「ネギ君、逃げるんだ……アレには勝てん」

 

 力なく転がっていた頭が踏みつぶされる。辺りにはどろどろとした粘液が飛び散り、粘液を被った場所がしゅうしゅうと湯気を立てていた。白い湯気の間から、ユギがヘルマンの頭があった場所を脚で踏みにじっているのが、ネギにはぼんやりと見えた。

 ヘルマンの頭を踏みつぶしたユギは、笑みを隠そうともせず、嬉しげに語った。

 

「嬉しいでしょう? 楽しいでしょう? スタンお爺ちゃんの苦しみを、百分の一でも味わわせたのだから! そして分かったでしょう。私はすでに、貴方の知るユギ・スプリングフィールドではないことが」

 

 ユギは何が楽しいのか、笑い声を響かせる。それはまさしく化け物の吠え声そのものだった。

 闇を切り裂くように、無邪気な子供のような笑い声が辺り一帯に満ちる。ぴたりとそれが止まると、笑みをすっかり消し去ったユギが、ネギへと指を突きつける。

 

「さあ、弾幕ごっこを始めましょう」

 

 鈴の音を転がした声で、楽しそうに、心底楽しそうに語るユギの姿に、ネギは言葉を失う。立ち尽くしたまま、ユギが己へ向けて弾幕を放つのを見逸れた。丸い弾が、黒と白の色合いを変えながらネギへ迫る。

 

「く……ッ! 重い……!」

 

 明日菜の大剣が、ネギを守るように飛び出す。明日菜の馬鹿力が大剣の刃を通じ、凄まじい力で弾幕を叩っ切ろうとする。しかしユギの放った弾幕は、明日菜の力に対し真っ正面から対抗し、打ち勝とうとしていた。

 踏ん張る明日菜ごと引きずり、弾幕は呆けていたネギを打ち据える。

 

「きゃっ!」

「ぐっ!」

 

 二人ともはじき飛ばされる。ごろごろと地面を転がり、止まる。明日菜は素速く立ち上がる。しかし、ネギは立ち上がろうとしなかった。

 

「ネギ!」

 

 明日菜の必死の呼びかけにも応じない。

 ネギの心は力なく(くずお)れてしまい、もはや明日菜の声すら届かなかった。ただただユギを見詰め、過去のユギを今に投影し夢を見続けていた。

 もはやネギの心は限界だった。仲間達が倒れていき、妖怪達の憎悪を向けられ、そして今、たった一人の弟にすら敵意を向けられている。十歳の少年の心には、耐えられる重さではない。

 ひび割れた心はネギの身体から抜け出し、過去という清水に浸り、傷ついた精神を癒やそうとしていた。

 だが、それは身体を無防備にさらけ出しているに過ぎない。自らに殺到する光のつぶを目に入れながら、ネギはそれらを認識できず、身動き一つとらない。

 衝撃が走る。

 

「きゃああッ!!」

 

 明日菜が、茫然としていたネギをはじき飛ばし、身代わりとなり弾幕を食らう。

 

「あ、す、な、さん……」

 

 吹き飛ばされた先で、四肢を投げ出した明日菜は、焦点の定まらない目で誰かを探していた。ぴたりと瞳が定まる。その色違いの瞳は、ネギを捉えていた。

 

「ネギ、逃げちゃ駄目……。辛くても、ユギを止められるのは、アンタだけなんだから……。お願い、ネギ」

「い、いやです……。できない。僕にはできません! ユギを傷つけるなんて!」

 

 声を大にして叫ぶ。

 他の誰と戦っても良い。しかしユギと戦うことだけはできない。ネギにとってユギは弟だ。弟と戦うなぞ、考えることすらできない。

 震え、顔を覆い隠す。その掌の下では、涙が流れていた。

 

「分かったわ、ネギ。でもね、それは後々きっと後悔することよ。だって、私は今、後悔しているもの」

 

 指の隙間から明日菜が見える。

 大剣を杖に明日菜が立ち上がる。もはや立ち上がるだけの力もないのか、ふらふらと危なっかしく立つその様は、ネギにはなぜだか幽鬼のように見えた。

 

「立つべき時に立たなかった。向き合うときに向き合えなかった。だから、私は全てを失った。ガトー、ナギ、そして、ネギ、貴方の母親、アリカを」

 

 明日菜の言葉に、ネギは顔を上げた。明日菜を見やれば、その顔は苦渋に満ちている。

 

「……記憶を取り戻したわけですか。ならば、訪ねる必要があるでしょう。神楽坂明日菜。いいえ、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。私と共に行きませんか? 貴方の存在は、人の旗頭となりうる」

 

 ネギはもう、何が何だか分からなかった。明日菜の口から出た父の名前、そしてネギ自身一切知らない母のこと。なぜだか二人は母のことをよく知っているようで、それが一層ネギの混乱を助長させた。

 

「私の名前は神楽坂明日菜よ」

 

 にっこりと笑い、明日菜はその身から光を発した。淡いながらも力強く輝くそれは、ネギの目を惹きつけ放さなかった。

 光を纏った明日菜は、顔を引き締め、拳をポケットに収めた。それは、高畑・T・タカミチの居合拳の前動作そっくりだった。

 

「私の有りっ丈、大判振る舞いしてあげる! 顔を洗って出直してきなさい!」

 

 轟音が響く。ネギは咄嗟に瞼を瞑り、顔を腕で覆い隠した。衝撃で吹き飛んだ小石がネギの頬に当たる。

 恐る恐ると目を開けば、明日菜の前には、幅十メートルを超してレンガの道がえぐり取られていた。

 抉られた先には、ユギが傷一つない姿で仁王立ちしている。その顔にはありありと嫌悪が浮かんでおり、右手には巨大な、直径数メートルの球が握られていた。

 

「結局貴方は普通の魔法使いの呪縛から逃れられず、マリオネットのままでしたか」

 

 そして、その巨大な球を躊躇うことなく、川に小石を投げ入れるような気軽さで、明日菜へ放り投げた。ゆっくりと迫り来る巨大な球を前に、明日菜はネギの方へ首を向けると、一目見て分かる程無理をして笑顔を作った。

 

「ゴメンね、ネギ。貴方には悲しんで欲しくなかった。でも駄目みたい」

 

 限界を向けたのか明日菜の身体が仏倒しに倒れていく。倒れていくその様は、とてもゆっくりと見えた。明日菜の身体の末端から力が抜けていく様、絶望が顔を彩る様。それはネギのひび割れた心に染み渡る。

 

「雷の斧」

 

 雷鳴が轟く。迫り来る球を、雷で出来た斧が切り裂く。球は二つに別たれ、明日菜を傷つけることはなかった。

 

「あくまでも、邪魔をしますか」

「黙れ、八雲黒(、、、)。ここからは、僕が相手だ」

 

 父の形見の杖を一声で呼び寄せ、手に取ったネギはその先端を黒へと向けた。

 血肉を別けた兄弟が、今その袂を分かった。




ようやく黒とネギが敵対できました。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!

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